味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

世渡りをするには『菜根譚』

2011-12-26 12:20:09 | ブログ

タイトトル---世渡りをするには『菜根譚』。第1092号 23.12.26(月)

 『菜根譚』 17

〈世に処するに一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本なり。人を待つに一分を寛くするはこれ福(さいわい)なり。人を利するは実に己を利するの根基なり。〉

〔訳文〕 世渡りをするには、先を争うとき人に一歩を譲る心がけを持つことが尊い。この自分から一歩を退くことが、とりもなおさず後に一歩を進める伏線になる。人を遇するには、厳しすぎないように、一分は寛大にする心がけを持つことがよい。この人のためにすることが、実は自分のためになる土台となる。

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〔コメント〕 このところは平成22年4月26日もブログでも紹介しました。字数にして1600字、原稿用紙4枚分書いていました。今読み返して、参考事例、考え方等々変更はありません。

 『南洲翁遺訓』にも同様のことが説かれています。この思想が分かればいいのですが、政治家も官僚も、まずは自分たちのことが優先されています。

 今朝のインターネットを開いてみたら、次のくだりがありました。印刷しようとしたが、印刷されませんでした。橋下市長の項は全て印刷できました。

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小沢一郎氏「福島県民は霞ケ関取り巻くデモ起こしてもいい」 (以下は手書きしました。)

 いまだに東日本大震災と原発事故を前に立ちすくむ日本の政治。なぜ日本の政治はこうも無力になってしまったのか。政治ジャーナリスト 渡辺乾介氏(『小沢一郎 嫌われる伝説』著者)が政府と国民の関係について小沢一郎・元民主党代表に問う。

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------被災地の人たちが、苦悩、困難を抱きながら自分たちの手で何かやらねばならないという、この大衆のエネルギーを政治が酌み取ろうとしないところが実に悲しく虚しい。

小沢:今回、一般の人たちがお互いに連帯していろいろな救済活動や復興活動に立ち上がった。これは日本人のとてもいいところで、みんなが感動した点だと思う。

 一方、地方はいちいち中央の霞ゲ関の許可をもらったりするのが面倒くさくてしようがないと思っているけれども、それが政治的な運動にならない。そこが日本社会が他の国から遅れているところですね。大きな変革を起こせない理由でもある。本来ならば、特に福島県の人たちなんか、全県民が上京して、霞ゲ関を取り巻くぐらいのムシロ旗デモを起こしてもよさそうなのに、日本はそうならないんだね。

--------外国ならば暴動が起きても不思議はない。

小沢:政治に何をしてほしいんだというものは必ずあるはずです。それが政治の変革を求める運動に繋がっていないのが、日本社会の最大の問題だね。

*週刊ポスト2012年1月1.6日号.

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 私は過去のブログで「ムシロ旗デモ行進」のことを書きました。そして「蹶起せよ」とも。それはあくまでも、暴力を含まない穏やかな中にも強い精神的蹶起をしなければなないということです。仮に霞ゲ関を取り巻いても官僚らは熱がさめるのを待つだけなのです。自民党がためなら民主党ということで民主党が政権を担当していますが、今の政権は前政権よりか悪い。出来もしないことをマニュフェストに書き、ほとんどできていないと今朝のテレビ報道でありました。

 ならば橋下市長みたいにやるぞという人々がいるのです。堺屋太一氏は十数年前からそれを言い続けているのです。国民が賢明ならそういう政党に一回託してみたら如何でしょう。官僚たちは吃驚仰天するでしょうが、国民はその政策をヨシとするであろうと思います。穏やかな中にも精神的に蹶起して、投票行動で示すべきだと思います。

 


人から受ける恩恵は控えめに『菜根譚』

2011-12-25 13:23:19 | ブログ

タイトル----人から受ける恩恵は控えめに『菜根譚』。第1091号 23.12.25(日)

 『菜根譚』 16

〈寵利(ちょうり)は人前(じんぜん)に居ることなかれ。徳業は人後に落つることなかれ。受享(じゅきょう)は分外に踰ゆることなかれ、修為(しゅうい)は分中に減ずるなかれ。

〔訳文〕 人から受ける恩恵は控えめにして、他人より先に取ろうとしてはならない。しかし人のためになる徳業は進んで行ない、他人に遅れを取ってはならない。また、人から受け取る物は、もらうべきであっても分相応を超えてはならない。しかし自分のなすべき行為は、分相応をへらすことなく、より以上に努力しなければならない。

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〔コメント〕 素晴らしい人の道の教えだと思います。私は道場にきてくれる子供たちのために、精一杯何時も行っています。

 今回、昇級通知を上げた子供から、大して上達もしていないのにと、お母さんが言った、そして帯をもらうのは恥ずかしい、というようなことを子供が言いました。そこで子供たちにお話しました。貰った帯に恥ずかしくないように頑張りなさい、と。

 その檄に子供が叱咤され、奮励努力するのです。幼少の頃は、追いついたり、離されたりといろいろあります。でも、どういう素質の子供が伸びるか、その時点では分からないのです。言えることは、物事を諦めないことなのです。私は決してあきらめない性格です。これが勝利の秘訣であろうと思い、老骨に鞭打っています。

 昨日は、今年の稽古おさめをしました。『南洲翁遺訓』の発表、そして「一本の杭」の合唱とそれは賑やかでした。ただ、黒帯を贈呈した子供が来なかったのは残念でした。少々寒いからと言って、子供がグズッテも母親は厳しく追い出すべきです。東北の方々の寒さに比べたらなんのことはないのです。それが子供をつよくするコツなのです。


友に交わるには『菜根譚』

2011-12-24 10:02:00 | ブログ

タイトル----友に交わるには『菜根譚』。第1090号 23.12.25(土)

 『菜根譚』 15

〈友と交わるには、須らく三分の侠気を帯ぶべし。人と作(な)るには、一点の素心を存するを要す。〉

〔訳文〕 友人と交わるには、利害打算からではなく、少なくとも三分がたの義侠心を持ち合わせていなければならぬ。また、ひとがとの人物となるには、世俗に流されるのではなく、少なくとも純粋な一点の本心は残しておかねばならぬ。

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〔コメント〕 本件原文及び訳文は、岩波文庫によるものです。訳文について、それは違うよという場合は私自身の解説も入れることにしています。

 友人と交わるには「利害打算---三分がたの義侠心」とありますが、利害打算は抱くべきではないと思います。

 私が『南洲翁遺訓』を子供たちに教えている関係上、以前、会社の同僚だった男が私に接近してきました。『南洲翁遺訓』を覚えた子供たちに資格を与えたらということでした。その男は金になるということは、なりふり構わず何でもやる男でした。私はウンともスンとも言わず、今までのやり方を踏襲してきました。

 金にならないと思った男は去って行きました。ことほど左様にいろいろな誘いがありました。あなたは空手道界では鹿児島県ナンバーワンですから、一緒にやりましょう、と。全く相手にしませんでした。その男は早々とあの世に行きました。

 「三分がたの義侠心」とありますが、私は仲間たちには八分がたの義侠心で付き合っています。尤も信用できない相手には最初から対応しませんが。それくらいの度量がないといけないと思っています。

 少なくとも『南洲翁遺訓』を人々に紹介する人は、どうして『南洲翁遺訓』がこの世に出てきたのか、ということを根底に置くべきなのです。命にかえて生を得たのです。功名を焦ったり、売名的にしてはいけないのです。

 『敬天愛人』誌に掲載された『南洲翁遺訓』の編纂事件は、売名行為以外の何物でもないのです。今年の六月、評議員会で件の西郷隆盛研究家は最初から荘内南洲会の方々にも相談するつもりでしたと弁明しました。これは全くのウソッパチなのです。私と池評議員が激しく抗議したものだから、吃驚していかにおさめるかということでの敬白だったのです。

 またひとかどの人物となるためには「世俗に流される」のではなく、という処も大切な処であります。だから出来るだけテレビは観ないにこしたことはないと思っています。それよりか耳を欹て、活眼し、漢籍を読むか教養書を読むことをお薦め致します。日本にも、素晴らしい本がいっぱいあるのです。

 くだらないテレビ放送が多いとかで、チャンネルを少なくしようという提起を拝見しましたが、これほど害悪なものはないと思いますので、よいことだと思います。


ひとかどの人物となるには『菜根譚』

2011-12-22 10:57:16 | ブログ

タイトル----ひとかどの人物となるには『菜根譚』。第1088号 23.12.22(木)

 『菜根譚』 14

〈人と作(な)りて甚(なに)の高遠の事業なきも、俗情を擺脱(はいだつ) し得れば、便(すなわ)ち名流に入らん。学を為して甚(なに)の増益の功夫(くふう)なきも、物塁を減除し得れば、便ち聖境に超えん。〉

〔訳文〕 ひとかどの人物となるには、格別なにも高遠な事業をなさずとも、名利の俗念さえ払い落とすことができれば、それでもう名士のなかま入りである。また学問をするに当たっては、格別なにも学識を増やす工夫をしなくても、外物によって心がわずらわされることさえ、へらし除くことができれば、それでもう聖人の境地にまで超え到ったものである。

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〔コメント〕 大変素晴らしい訓戒であります。人はどうにかして金を儲けたい、名声を得たいと奔走しているようです。

 私は会社を卒業して一切OB会、記念日の集いには出ないことにしました。私が5年早く退職したのは、労働組合の垢にまみれた人々が仕事を拒否し、文句を言うことに対して嫌気がさし早期退職をしたため、苦い思い出を回想したくなく、そういった集いには出ないと決めたのでした。

 私の使命は、集ってくる青少年に『南洲翁遺訓』他漢籍の教えを紹介することであります。会社では漢籍ひとつ読まない先輩たちが、間違った人の道を教えたものです。だから、私の処に集う子供たちには、漢籍が訓戒する人の道を教えたいと思い、日夜頑張っているのです。そしてまたこれこそが真の喜びに繋がるのです。

 あなたも四書五経を繙きませんか。筆写しませんか。10年も経てばそのよさがわかり、生きがいが倍加するでしょう。そしてこの世に生まれてきて、よかったとしみじみ思う事疑いなしです。


世渡りの安楽な方法『菜根譚』

2011-12-20 10:41:02 | ブログ

タイトル---世渡りの安楽な方法『菜根譚』。第1086号 23.12.20(火

 『菜根譚』 13

〈径路の窄(せま)き 処は、一歩を留めて人の行くに与え、滋味の濃やかなる的(もの) は、三分を減じて人の嗜むに譲る。これは是れ世を渉る一の極安楽の法なり。〉

〔訳文〕 狭い小みちのところでは、まず自分が一歩よけて、相手を先に行かせてやり、またおいしい食べ物は、自分のを三分がたへらして、相手に譲り充分に食べさせてやる。一歩を譲り三分をへらして与えるという、このような心がけこそ、世渡りの一つの極めて安楽な方法である。

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〔コメント〕 この教えは素晴らしい、と多くの人が思っているでしょう。でも、これを実践するとなると余程の決断がなければならないでしょう。そして修行もしなければならないでしょう。そして学問もしなければならないでしょう。

 今朝のテレビ報道で、橋下新大阪市長と選挙戦を戦って敗れた平松前市長が引き継ぎをし、笑顔で堅い握手をする場面が画面に写し出されました。見ていて、美しい場面だ、二人とも素晴らしいと感じました。そう思ったのは私ひとりではないと思います。

 選挙が行われる以前に、市役所の官僚たちが、給料を減額し、労働組合が不当な要求ともとられかねない事項を事前に修正し実践し、市井に住む人々からこれこそ王道の政治だ、と納得し賞讃されていたら、平松さんは負けなかったのです。ところが選挙で負けて初めてわかるのです。

 市の職員が賃金二割カットをされたとします。その以前に生活はどうなるんだ、と労働組合は必至の抵抗をするでしょう。でも、金がない、仕事がない、と路頭をさまよっている人たちが数多いるのてです。そういう人々の苦労を考えたら、二割カットぐらいしてあげていいではないですか。

 私は空手道場を運営し、月謝・会費を戴いています。それは日本で一番安いであろうと思います。人によってはピックリするような金額の人もいます。特別に空手の舞を指導している人からは戴いていないのです。そういう子供が来てくれるおかげで、私の健康が保存されるから私から金を払わなければならないくらいだと思っているのです。

 『南洲翁遺訓』と出会う以前は金を溜めて、と考えていました。ところが『南洲翁遺訓』を学ぶにつれて、金儲けが人生の目的ではないことがわかってきたのです。人生の何たるやも分からない子供たちに、『南洲翁遺訓』が訓戒する思想をこそ教えなければならないと思い日々頑張っているのです。

 橋下新市長は、就任と同時に70名くらいの人事異動を発表しました。これは大変よいことです。利権屋同然の職員は、人事でもって目を覚まさなければならないのです。公務員は公僕なのです。それが分からず、国民を市民を虐げる役人は、天の命による制裁をうけて当然だと思います。

 安全でしかも、生きがいのあるのは『南洲翁遺訓』のとおり生きることです。そうすれば、人々から信頼が寄せられるのです。

 『南洲翁遺訓』様有り難うございます。