タイトル---君道と市道『言志録』。第1068号 23.12.01(木)
『言志録』 47 君道と市道
〈君の臣に於ける、賢を挙げ能を使い、与(とも)に天職を治め、与に天禄を食(は)み、元首股肱、合して一体を成す。此を之れ義と謂う。人君若し徒らに、我れ禄俸を出し以て人を畜い、人将に報じて以て駆使に赴かんとすと謂うのみならば、則ち市道と何を以てか異ならむ。〉
〔訳文〕 君たる者はその臣に対して、賢者を挙用し、有能者をよく使って、共々に、天から授かった職分を尽し、共に天禄をいただき、元首である君主と、輔弼の臣とが一体となって、国家に尽すことを義というのである。
しかし、もし君主が自分が禄を出して人民を養っているのであるから、人民等はその恩義に報いようとして、自分の命のままに追い使われようとしているだけのことであるとするならば、(利益を追求して、道義観念のうすい)商売道と何ら異なるところがない。
〔付記〕 当時の大名達の臣下の使い様が、道理にかなっていない(現代的には私物化している)場合があるので、これに対する戒めを述べたものと思う。
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〔コメント〕 「訳文」の前半は『南洲翁遺訓』が訓えるところと同じであるように思います。後半は、今の政治と電力業界等権力者がほしいままにしている実態と同じように思われてなりません。
そういうやり方に若者たちが精神的に反乱を起こしたのが、今回の大阪市長選挙のような気がするのです。改革をするとすればどちらかに痛みが生じるというのは道理です。要は、長期的に見て、国民が幸せになるような政策をして戴きたいと思うのです。でも、金をバラマイテ票を稼ぐというのはよくありません。国民が働かなくなるし、怠けてしまうからです。自分で食べて行くのは、自分で働いて稼いで食べるのだという気概・気骨が欲しいのです。
労働組合の要求によって会社経営が維持できなくなり、外国へ逃避するとしたならばこれも改めなければならないと思います。それは一部の人だけが恩恵を受け、他の人は仕事にもつけず、折角の人生が駄目になるからです。
お願いしたいことは、こういう恵まれない人が多いわけだから、そういう人が喜び応援してくれる政治家集団であって欲しいのです。そういった意味で考えるならば、今の政権は過去の政権よりか一段と悪いような気が致します。現にマニュフェストに掲げた内容は平気で反故にしていると思われるからです。
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私がかねがね薦めている『南洲翁遺訓』の学習は、人間が人間たるの自覚を持って人生に処するべきだと説いているのです。『南洲翁遺訓』が刊行された当時の社会状況と今日を対比して、一世紀前の当時がはるかに貧しかったと思います。でも、メディアとか頽廃した文化が人々を汚染することがなかっただけに、生きがいはあったのだと思います。
あなたの人生を活性化させ、救ってくれるのが『南洲翁遺訓』なのです。