タイトル----勢利紛華は『菜根譚』。第1075号 23.12.08(木)
『菜根譚』 第4章
〈勢利紛華は、近づかざる者を潔(いさぎよ)しとなし、これに近づきて而(しか)も染まざる者を尤も潔しとなす。智械機巧は、知らざる者を高しとなし、これを知りて而も用いざる者を尤も高しとなす。〉
〔訳文〕 権勢名利や豪奢華美のたぐいに、近づかないように心掛ける者は潔白な人である。然しそれらに近づいても、その悪習に感染しない者こそ、最も潔白な人物である。権謀術数のたぐいを、全く知らない者は高尚な人である。然しそれを知っていても、自分では用いない者こそ、最も高尚な人物である。
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〔コメント〕 拙著『礼節のすすめ』、人物論「皇刀軒流斬試道・岩坪清美四代宗家」の冒頭にこの言葉を紹介しました。岩坪師範は、この解説にあるとおりの人物であるため、敢えて紹介したのです。
今の日本の国に該当する人が存在するであろうか。
今朝の新聞に「礼なくして権威はない」という論文が掲載されています。
骨子のみ紹介します。曰く、
〈与野党の対決の「質」が落ちている気がしてならない。----ヤジも、相手の発言を邪魔するような品性の低いものではなかった。
今は議論の内容もヤジの品性もどうにかならないかと思わせる。国会が国民に信頼される基本である「権威」を欠くからだ。----礼なくして権威も信頼もない。〉
「礼」とは、「国家・社会の秩序を維持する組織やおきて」(『漢語林』大修館書店)と解説されています。
私はこの記事を読み、40年前のことを思い出しているのです。国会議員で建設大臣であった秘書の口座に、数十億の金が振り込まれていたというのです。その建設大臣が死去して後、この論文を書いた人が何らかの方法で没収したと専らの噂でした。本人は時も経過しているし、誰も知らない、と思っているでしょうが、天は観ているのです。
天網恢恢疎にしてもらさず、という言葉もあります。