タイトル---徳に進み行を修める『菜根譚』。第1076号 23.12.10(土)
『菜根譚』 第5章
〈耳中(じちゅう)、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事ありて、纔(わずか)に是れ徳に進み行を修むるの砥石(しせき)なり。若し言々耳を悦ばし、事々心に快ければ、便ち此の生を把って鴆毒(ちんどく)の中に埋在せん。〉
〔訳文〕 人間は平素、常に耳には聞きづらい忠言を聞き、常に心には思い通りにならぬことがあって、それでこそ徳に進み行を修めるための砥石となる。(これと反対に)、もしどの言葉も耳を喜ばせ、すべての事が心を満足させるようであっては、それではこの人生を鴆毒の中に埋め沈めてしまうことになる。
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〔コメント〕 既に紹介しましたように、『菜根譚』を手にしてから20数年が経過しました。頁をめくるごとに素晴らしい、素晴らしいと感動しなから読んだことを思い出します。『菜根譚』、『禅とは何か』、『古典の教え、誠、明、健』、『南洲翁遺訓』は片時も離さず持ち歩いたものです。電車を待つ間、バスを待つ間、寧ろよろこんで本を読みました。お蔭で私の本はボロボロになっています。これらは私の宝物なのです。
百点満点の人間なんている筈がありません。だから、聞きたくない忠言は喜んで聞くべきだと思います。そして、真剣に咀嚼して、改めるべきは改め、反省すべきは反省することが肝要でしょう。でも、自分の信念を曲げ、あっちにふらふら、こっちにふらふらはすべきではないと思います。
自らの行動が、思考が、社会性があるか否か、教育性があるか否か、多くがよしとしてくれるかで判断したいものです。それが確認できたら、『孟子』にある「千万人と雖もわれゆかん」の精神で邁進したいものです。
政治家たちがバラマキを提唱しています。これらは、一見、社会性があり、多くが〝よし〟としてくれているように思われます。だが、半世紀後、一世紀後の民族の衰退につながるのです。国家・民族の衰退につながるようなことは是認すべきではないのです。