稱徳天皇治世の折
今の嵯峨野の地ではなく
東山界隈
現在の六波羅蜜寺付近
愛宕寺として創建された寺であるが
荒廃は早かった
近くを流れる鴨川の氾濫で
堂宇を流失し
廃寺となったのは
平安の世の初期
真言宗東寺派の末寺であったが
醍醐天皇の勅願により
愛宕念仏寺と改め
天台宗に属した
ここから幾度も
再興と荒廃を繰り返す
最後の再興は
大正11年のこと
東山の地を捨て
嵯峨野の地へと移転
それでも荒廃したものを
復興させ
昭和の羅漢彫で
今では1200体もの羅漢様の寺へと蘇った
羅漢様のお姿
拝みに再訪
今の嵯峨野の地ではなく
東山界隈
現在の六波羅蜜寺付近
愛宕寺として創建された寺であるが
荒廃は早かった
近くを流れる鴨川の氾濫で
堂宇を流失し
廃寺となったのは
平安の世の初期
真言宗東寺派の末寺であったが
醍醐天皇の勅願により
愛宕念仏寺と改め
天台宗に属した
ここから幾度も
再興と荒廃を繰り返す
最後の再興は
大正11年のこと
東山の地を捨て
嵯峨野の地へと移転
それでも荒廃したものを
復興させ
昭和の羅漢彫で
今では1200体もの羅漢様の寺へと蘇った
羅漢様のお姿
拝みに再訪