山号を嵯峨山と称する寺院
嵯峨野の北東
嵯峨天皇が離宮を営んでいたこの地に
弘法大師空海が
五大明王を安置する堂を建て
修法を行ったのが起源とされる
嵯峨天皇崩御後
数十年を経て
正子内親王が
離宮を寺に改めたのが大覚寺である
皇室にも縁のある寺院で
平安の時代の後
鎌倉時代
亀山法皇や後宇多法皇といった
歴史上知名度も高い天皇が入寺
ここで院政を行ったことから
「嵯峨御所」などとも呼ばれている
この事から
大覚寺統という言葉が生まれ
以後
後深草天皇の系統の
持明院統と
交代で帝位を分け合う
両統迭立が慣例となった
この慣例が
やがて
両統の関係悪化から
南北朝時代を生むのだが
それはまた別の話
夏の頃
久しぶりに訪れた大覚寺
半夏生が待っていてくれた
嵯峨野の北東
嵯峨天皇が離宮を営んでいたこの地に
弘法大師空海が
五大明王を安置する堂を建て
修法を行ったのが起源とされる
嵯峨天皇崩御後
数十年を経て
正子内親王が
離宮を寺に改めたのが大覚寺である
皇室にも縁のある寺院で
平安の時代の後
鎌倉時代
亀山法皇や後宇多法皇といった
歴史上知名度も高い天皇が入寺
ここで院政を行ったことから
「嵯峨御所」などとも呼ばれている
この事から
大覚寺統という言葉が生まれ
以後
後深草天皇の系統の
持明院統と
交代で帝位を分け合う
両統迭立が慣例となった
この慣例が
やがて
両統の関係悪化から
南北朝時代を生むのだが
それはまた別の話
夏の頃
久しぶりに訪れた大覚寺
半夏生が待っていてくれた