雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

豊川稲荷4

2009年10月11日 | 愛知散策
豊川稲荷

    

参拝の楽しみの一つはその独特の風景と
たくさんの狐に囲まれた風景であったが
もう一つ
どうしてもと楽しみにしていたのが
門前町

       

稲荷なんだから
当然、稲荷すし

   

いやいや
豊川稲荷なら
稲荷すしではなく
おきつねバーガー

ここ松屋支店
もちろん稲荷すしは創業以来35年の伝統の味が楽しめるのだが
食べたかったのはこれ

   

ケチャップの味と
揚げた油揚げ
そしてヒレカツ
意外な食感と味わいに満足

最近の不況で
全国商店街にとって厳しい時代ではあるものの
ここ豊川稲荷界隈商店街
頑張っている

       

ふらふらと
幾つかの商店を物色しながら
立ち寄ったり食べたり
旅の醍醐味を堪能

       

4回に分けて紹介した豊川稲荷

      

神仏合祀
そんな雰囲気も楽しめる場所

      

近くまで来たら
立ち寄ってみて欲しい場所である

       
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豊川稲荷3

2009年10月10日 | 愛知散策
前回までは
豊川稲荷と云おうか
妙厳寺について記してきたが

   

この回は
ここが豊川稲荷なんだと
一番感じられる場所を紹介

      

   

それは
本堂の奥
奥の院に至る場所近辺

        

樹木に周囲を覆われ
内殿の参道は
大樹が林立

       

そして
奥の院の更に奥
ここにあるのが霊狐塚

  

昭和の初期には
本当に狐を飼っていたこともあったという

       

いったい何体の狐像があるのか
数えたくなる数

   

愛らしいものもあれば
険しい表情の狐も居る

       

豊川稲荷を訪れたのなら
ここは是非とも忘れずに訪れてみて欲しい場所である
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豊川稲荷2

2009年10月08日 | 愛知散策
豊川稲荷の2回目

   

日本三大稲荷のひとつだが
実は妙厳寺と称する曹洞宗の寺院

  

       

では何故
寺院が稲荷と呼ばれるのか

      

東海義易の師で寒厳義尹という人物が居た
寒厳義尹が1264年入宋し
3年後帰国するのだが
その帰国の途で
稲穂を荷い白狐に跨った霊神を感受したという

  

東海義易が鎮守として
豊川稲荷に祀られるようになると
師が感受した霊神
咤枳尼真天(だきにしんてん)も祀られるようになった

   

白狐に跨っていたことから
狐が信仰されるようになり
また
咤枳尼真天は穀物・農業の神
民衆の信仰も集め

   

豊川稲荷と称されるようになったそうである

        

山門もあれば
鳥居もある

   

どうも不思議な気分にさせられる
豊川稲荷

続きます
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豊川稲荷

2009年10月07日 | 愛知散策
愛知県豊川市
愛知県でも東の外れにある都市
市の名前と同じ稲荷
豊川稲荷へと足を運んだ

   

豊川稲荷大駐車場に車を停め
豊川稲荷西側の裏路地から境内を目差した

   

マツボックリが点々と落ちていて
靴の裏で時折砕ける音が心地よい



さて
豊川稲荷
日本三大稲荷のひとつなのだが

       

実は稲荷ではない

       

   

円福山 豊川閣 妙厳寺というのが
ここの正式名称
神社に詣でるつもりで
実は寺院に参拝していた
なんて人も居るかもしれない

      

  

曹洞宗の寺院である

   

神社だと思って訪れると
そこで見る風景は意外なものになる

      

ここが稲荷と呼ばれるようになった云われは
次の記事で

   

続きます
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犬山城下町

2009年10月06日 | 愛知散策
城下町
戦国時代に始まった町の形式

    

もちろん
日本独特のものではなく
世界中に存在する

       

世界各国の城下町は全て
町の防衛という機能と行政機能、そして商業機能を併せ持つ
複合都市という様相をもつ

        

   

しかし、世界の城下町と日本の城下町と比較して
一番違うのが城壁
世界の大半が町全体を城壁が被っているのに対し
日本の初期の城下町は
領主の居城のみが城壁に囲まれていた

   

やがては小田原城や大阪城のように
城郭都市となっていく城下町も存在するようになったが
それまではいざ戦となると
住民の家を焼き払い
焼け野原として敵兵の暗躍を封じていた

       

        

ここ犬山城は戦国時代でもごく初期に造営された城であるが
城下町が発展したのは江戸時代になってから
戦の備えが必要なくなった江戸時代のこと

   

この町は行政都市として
役割を果たしたことであろう

       

昔の雰囲気も残る
城下町を歩きながら

       

昔に思いを馳せてみるのも面白いもの
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犬山祭りの山車

2009年10月05日 | 愛知散策
寛永12年が始まりというから
祭りの始まりは約400年前に遡る
犬山祭り

        

祭りではなく
祭りで活躍する山車を紹介

        

祭りは4月の第一週週末に行なわれ
有形民俗文化財に指定される山車が町へと繰り出す
犬山城の周囲の散策地には
この祭りについて展示してある施設が二つあった

   

一つは犬山市文化資料館
もう一つはどんでん館
ここに山車が展示してある

        

犬山祭りで繰り出される山車は全部で13基

    

この犬山祭り
二日に渡って催されるのだが
祭りの呼び方が違う
1日目を試楽と呼ぶ
そして2日目は本楽

   

初日はからくり人形を乗せ
針綱神社へと向い
神社でからくりを奉納する

   

二日目はガラリと趣を変え
一年に例えた365の提灯で飾り立てられた山車が
町内を巡るという

        

二つの会館で
祭りの一端を見た気分になりました

   
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犬山城2

2009年10月04日 | 愛知散策
犬山城は1537年に築城されている

   

築城したのは織田信康
有名な織田信長と同じ織田家の家系で叔父にあたる人物
1537年というと信長が生誕してから3年後の年
余談だが犬山城が築城された時には信長は既に那古野城主であったと記述がある

        

元々、犬山には城があった
遡る事約60年余
織田広近が木ノ下城と呼ばれる城を築いている
場所は現在の犬山城とは違った場所で
犬山市市役所の西にある愛宕神社の境内が城であったらしい
犬山城の南南西約1kmの地である

       

この木ノ下城を廃して城郭されたのが今日見る犬山城である
築城当時の姿をそのまま留めていると云われている

   

犬山城はその後
織田家同士の争いのなかで
織田信長に攻め落とされている
織田信長の配下となった犬山城は
その後幾人か城主が変わっている
歴代の城主には、小牧長久手の戦いの原因をつくった
池田恒興も城主となった歴史を持つ

   

豊臣政権下においては
秀吉の使番を勤めた石川貞清が城主を務め
関ヶ原の戦いでは西軍に組した為
戦いの後一時廃城となっているが

   

江戸時代に入ると
尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり
以後は成瀬家の居城となった

       

白帝城の別名も持つ犬山城

   

かの有名な中国の詩人
李白の「早發白帝城」から採って名付けられたという城
久しぶりに訪れました

       
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犬山城

2009年10月02日 | 愛知散策
久しぶりに訪れた犬山城
数少ない現存する城

       

市営駐車場へと車を停め
城へと向う

   

先ずは城の麓に鎮座する三光稲荷神社から

   

創建時期は不明であるが
天正年間の記述は残っている神社
織田信康が信仰した事で知られている

       

        

織田信康
織田信長の叔父といえば判るだろうか

       

その織田信康が鎮座させた稲荷神社の境内を抜けると
城郭が姿を現す
現在も
築城当時の姿を留める犬山城

   

   

次回は城内を紹介しながら
犬山城のあれこれについて書こうと思う

   
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彼岸花2

2009年10月01日 | 岐阜散策
彼岸花の2回目

      

先の記事では
二十四節気の白露の頃
艶やか紅の色を付ける花が咲き出すと書いた

      

日本には二十四節気の他に
季節を現す表記がある
それが七十二候

      

七十二候は二十四節気を更に細かく表記
二十四節気の各々を3つに分けている
東風解凍から始まり
鶏始乳まで72ある

       

七十二候は古代中国で考え出された季節を表す言葉

   

気候や動植物の生態などを短句で現しているが
今では考えにくい短句等もあり少し面白い
「腐草為蛍」
なんてのもあるが、これは草が腐って蒸れ蛍が生まれるという訳になる

      

さすがに変だろうと
江戸時代に入り
暦学者の渋川春海らによって
日本の気候風土に合うように改訂されたのが今日伝わっている
「本朝七十二候」というのがそれである

  

話しは逸れたが
白露は七十二候(本朝七十二候)によると
草露白
鶺鴒鳴
玄鳥去
に分けられる

   

草に付着した露が白く光る頃
セキレイが鳴き始め
やがてツバメが南へと去っていく

   

そういえば
撮影の最中、ツバメが飛びまわっていた

   

季節の移ろいを言葉と共に
彼岸花を紹介しました
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