犬山城は1537年に築城されている
築城したのは織田信康
有名な織田信長と同じ織田家の家系で叔父にあたる人物
1537年というと信長が生誕してから3年後の年
余談だが犬山城が築城された時には信長は既に那古野城主であったと記述がある
元々、犬山には城があった
遡る事約60年余
織田広近が木ノ下城と呼ばれる城を築いている
場所は現在の犬山城とは違った場所で
犬山市市役所の西にある愛宕神社の境内が城であったらしい
犬山城の南南西約1kmの地である
この木ノ下城を廃して城郭されたのが今日見る犬山城である
築城当時の姿をそのまま留めていると云われている
犬山城はその後
織田家同士の争いのなかで
織田信長に攻め落とされている
織田信長の配下となった犬山城は
その後幾人か城主が変わっている
歴代の城主には、小牧長久手の戦いの原因をつくった
池田恒興も城主となった歴史を持つ
豊臣政権下においては
秀吉の使番を勤めた石川貞清が城主を務め
関ヶ原の戦いでは西軍に組した為
戦いの後一時廃城となっているが
江戸時代に入ると
尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり
以後は成瀬家の居城となった
白帝城の別名も持つ犬山城
かの有名な中国の詩人
李白の「早發白帝城」から採って名付けられたという城
久しぶりに訪れました
築城したのは織田信康
有名な織田信長と同じ織田家の家系で叔父にあたる人物
1537年というと信長が生誕してから3年後の年
余談だが犬山城が築城された時には信長は既に那古野城主であったと記述がある
元々、犬山には城があった
遡る事約60年余
織田広近が木ノ下城と呼ばれる城を築いている
場所は現在の犬山城とは違った場所で
犬山市市役所の西にある愛宕神社の境内が城であったらしい
犬山城の南南西約1kmの地である
この木ノ下城を廃して城郭されたのが今日見る犬山城である
築城当時の姿をそのまま留めていると云われている
犬山城はその後
織田家同士の争いのなかで
織田信長に攻め落とされている
織田信長の配下となった犬山城は
その後幾人か城主が変わっている
歴代の城主には、小牧長久手の戦いの原因をつくった
池田恒興も城主となった歴史を持つ
豊臣政権下においては
秀吉の使番を勤めた石川貞清が城主を務め
関ヶ原の戦いでは西軍に組した為
戦いの後一時廃城となっているが
江戸時代に入ると
尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり
以後は成瀬家の居城となった
白帝城の別名も持つ犬山城
かの有名な中国の詩人
李白の「早發白帝城」から採って名付けられたという城
久しぶりに訪れました
去年は桜と紅葉の時期に行きましたが
それなりに美しいです。
歴史も深くは理解していませんが
くわしくわかりやすく教えていただき
ありがたいです。
屋根の反り具合が個性的です。
天守からの景色も最高です。
最近、お城ずいているので、
ますます行きたくなりました。
それでは相当古いんだ!あの姫路城ができたよりも前ですね。
そうやって考えると天守閣から眺める景色も面白くなってきますよね。ここから信長も川や山々を眺めたんだろうな、って。
久しぶりに犬山城を拝見させてもらいました~。僕もまた成田山と合わせて訪れてみたくなりました。
歴史の風格を感じるのは気のせいでしょうか(笑)
当時のままというのが素晴らしいですね。
もう、歴史書の中でしか見る事のできない過去のこと。
でも、それを伝えるものが現実に存在している。
なんだか、不思議な感じになります。
テレビ天地人にもしばしば出てくるということで
興味深く見学してきましたが,こういったお城に
行ってみるとその歴史を詳しく調べてみたい心境になりますね。
歩いていて、秋になったらさぞやと思ってました
歴史と共に訪れると
その場所が何故か特別な場所になったような気になります
行く時には歴史を調べてから
というのが雪だるま流です
小さな城ですが
見ごたえがあります
城巡り
雪だるまも時折、やってみたくなります
最近、日本最古の城
丸岡城へも行きましたが
それはまたその内にアップしますね
結構古いんですよ
それが近世まで個人所有だったというのも凄くて
よくぞ、当時のまま残っていたと感心してしまいます
天守からの眺めも良いので
お気に入りの城で
久しぶりに訪れてみました
成田山
しまった今回そちらには行かなかった
天守も姫路城と比較すると
二の丸か三の丸程度の大きさしかありません
でも
このお城
何処となく風格があります
訪れて、歴史に少し触れてみる
良い旅でした
巨大な城というのも面白いですが
こうしたこじんまりした城も良い
最近、戦国ブームだとかで
若い女性が訪れるそうです
そういえば
この時も、女性二人連れの方がいっぱい居ましたね
ブームでも何でも歴史に触れて楽むというのは
良いですね