多武峰に佇む神社
談山神社を訪れた
ここが神社になったのは
実は明治時代になってから
それまでは
多武峯寺と呼ばれる寺だった
藤原鎌足の長男
定恵が創建したと寺伝では伝えている
摂津安威の地にあったとされる古墳
阿武山古墳
父、藤原鎌足の墓
この談山神社の地へと移し
ここの代名詞ともなっている
十三重塔を建立した事を以って
創建としている
時代は天武天皇治世の折
創建当時は聖霊院と号したそうである
十三重塔
以外に小さい塔
普通はけまりの庭から
見上げるようにして撮るのが定番だが
あえて正面から撮影
背後の権殿が修繕中だったのが残念
それではと
角度を変えて
続きます
談山神社を訪れた
ここが神社になったのは
実は明治時代になってから
それまでは
多武峯寺と呼ばれる寺だった
藤原鎌足の長男
定恵が創建したと寺伝では伝えている
摂津安威の地にあったとされる古墳
阿武山古墳
父、藤原鎌足の墓
この談山神社の地へと移し
ここの代名詞ともなっている
十三重塔を建立した事を以って
創建としている
時代は天武天皇治世の折
創建当時は聖霊院と号したそうである
十三重塔
以外に小さい塔
普通はけまりの庭から
見上げるようにして撮るのが定番だが
あえて正面から撮影
背後の権殿が修繕中だったのが残念
それではと
角度を変えて
続きます