我が郷は淋しからずや冬の空
吾部屋に十一月の日射し伸ぶ
何もかも見つめて射るや冬の山
初冬の千曲川と二つのお椀をひっくり返した山は、私共古里のシンボル「高社山」1351.5mの山で、この山の裏側は中野市です。地元の老若男女問わずに登られ、また越年登山、学校登山も行われている地元密着型の山の最たる山である。校歌、校章、団体名、会社名、産物名にいたるまで「高社山」または「たかやしろ」と呼ばれている。むしろ、飯山地方の人々は「たかやしろ」と呼ぶか方がほとんどと言って良い。私の母校の校歌に「みすずかる 信濃のまほら、うち繞り 聳ゆる嶺の 崇高きは われらが心 はるかなり 千曲の流れ時やまず 海に入り行く啓示こそ われらが鑑」とある。この、「聳ゆる嶺の」聳える嶺のは「高社山」のことであろう。また。第二応援歌に「高社おろし 吹きあれて
古城に起る 松風は天も轟ろに 叫ぶなり」と「雲上そびゆる 高社山長蛇洋々 千曲川我らの理想は 高遠し」とある。
冬ぬくし岩に腰かけ橋眺め
右の橋は新しく完成まじかの橋です。後ろの赤い旧橋は私の記憶だと確か中学三年生の年に完成した橋です。その旧橋の入口の堤防の直ぐ下に学校がありその堤防側の二階が私達三年A組の教室でした。授業中に橋のアーチを繋ぎを締める、焼けた鉄ビヨを橋の下から一本一本投げ、神技のように熱いビヨを鉄鋏で受け取ってガガガーと焼かれたビヨを打つ音の大きさに授業が実にならなかったことを鮮明に覚えている。昭和31年でしたから、今から58年前のことである。従って旧橋は58年間働いてくれて、老朽化が進み掛け替えとなった。新しい橋の工事を見学する度に技術の進歩に驚いていた。この新しい橋は新技術をふんだんに取り入れた、「エクストラールーズド」橋と言うそうで、住民の要望を充分に考慮した、長野県内の道路橋に実績のない、高度な技術を要した橋だそうで、景観性、施工性、経済性の橋で、市民は完成に大きな期待をしている。
神を呼ぶ用意万端虎落笛
左の写真は来年に行われる、私共の町の道祖神である。近年、雪降る前に完成させ一か月間以上、千曲川の河川敷に飾られている。道祖神と言えば「野沢温泉の壮大な道祖神祭り」が有名ですが、わが古里も、初の男の子の成長を願って、戦前、戦後は盛んに行っていましたが、ある時期から途絶えていました。そこで、私の若き時代の「十五日」会と言う親睦団体が、道祖神の復活を計画し、区民の協力を得て企画からオペレーションの全てを実行に移した。幸いのことに、私達の町が火つけとなり近隣の沢山の字町に広がった良き思い出がある。