ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

飯山線の移動

2014-11-09 12:38:16 | Weblog

 

 

 

新幹線の開業み伴い、従来の飯山線が新幹線駅に併設の為、お別れイベントを行いましたが、昨日のブログにした、孫達の収獲体験の為に飯山駅のさよならイベントに行くことが出来なかったため、本日の新聞記事に替えさせて戴いた。

 

 

 


収獲体験

2014-11-08 16:43:51 | Weblog

                                        

 初捥ぎのりんご感触忘れまじ

 

 

今日は孫達兄妹は私の弟の妻の実家、中野市へ林檎捥ぎにいった。兄妹三人とも幼稚園で「さつま芋」堀は体験しているようですが、りんご捥ぎは初めてだ。兄妹は少し興奮気味、弟の「ゆーちゃん」は林檎が大好きだ、面白い面白いと言って沢山捥ぐのでおかあさんにいさめられていた。孫達は何と呼んだらいいのか、私の兄弟夫婦をおじちゃん、おばちゃんと呼ぶ。このおばちゃんの実家のサンフジ林檎を毎年、東京の長女の嫁ぎ先へ送って戴いている。長女の義母さんは、このサンフジは甘みと酸っぱさが適度に混合していて本当に美味しいと、毎年楽しみにしているとのことだ。 

 

                                                    

                               

 

                                                   大根抜く広い畑に身を投げて

大根引き尻餅ついて照れるかな

太った大根抜きも体験した。葉っぱも青々としてまさに採りたての新鮮そのものだ、私はこの大根の葉の料理が大好きだ。身体に良いと聞いているので、なおのことかもしれない。兄妹はこん身の力で大根を抜いていた。家内は早速先日烏賊大根煮を食べたばかりでも、家族は大根煮ものが大好きなので、また近い内に煮てくれるだろうと期待した。また私は大根を薄く切って少し塩が利いた酢漬がこれまた美味しい。野菜料理は手がかかると言いますが、身体にも良く、最高である。若い時代は肉や魚好んで食べましたが、年のせいなのか、野菜料理の方を好むようになっている。                                                    

      

                                       

 

                                                    

                               

 

                               

                                                    

 

                                                     

                            

 

 

 

                                                    

 

                                                    


杖ことば 五木寛之

2014-11-07 12:40:24 | Weblog

 冬立や机に本の座るまま

 

 久々に本を読む気になり、だが、机の上へ置いて数日経つ、若い時代から五木寛之の本との付き合いは長い。詠み始めた「杖ことば」は意外と読みやすくこれは、一気に読めると思いましたが、この頃根気が亡くなり、途中で思い出したように、干支の色紙を書く作業に移ったりし、集中力に欠ける自分を年のせいかなあーと勝手に都合良く納得している所がある。「五木寛之」さんの「青春の門」をむさぶるように読んだ若い時代が懐かしい。つい最近連載の終わった、信濃毎日新聞に長編小説「親鸞 激動篇」を朝刊に連載した。私は毎日楽しみに読んだ。最近「五木寛之」は仏教系の本をよく書いているので、調べて見ると、1980年代に一時休筆して龍谷大で仏教史を学んでおり、今回の新聞連載小説には熱い思いを抱いて臨んでいた、とあった。今読み始めた「杖ことば」に、こんなことが書かれていた。あるとき、(杖ことば)という言い方を耳にしました。ともすれば、しゃがみ込みたくなるようなとき、人生の苦難の旅路を共に歩き、そ一歩一歩を杖となってささえてくれる言葉をさすのだといいます。私自身もうダメだと思うときに、いくつかの言葉によって、ささえられて、ここまで生き延びてきました。崩れおちそうな自分、もう諦めてしまいそうな自分をささえ、再び立ちあがらせ、もう一歩進んでみようという気にさせてくれるのが、杖言葉なんです。とあった。

 


烏賊の大根煮

2014-11-05 10:25:04 | Weblog

大根煮婆の味ごろ染み込みて

 烏賊大根日々好日に箸進む

 11月の7日が立冬の日となりますので以後俳句では冬の季語を使うこととなるのですが、私は既に10月26日に「枯落葉」として既に冬の季語を使ってしまっている。昨夜の夕飯に大根煮物が出ましたので、何気なく写真にして置きましたら、たまたま今日のブログの材料に難儀していましたので、昨夜の「烏賊大根煮物」の写真に句を詠み今日のブログとしました。大根は冬の季語ですが、少し早いですが詠んだ。冬の季語とあって、昨日の大根煮ものは、苦みが無くふっくらとやわらかく甘みがあって美味しかった。大根は通年にありますが、やはり旬は今であると思う。これからの北信州は大根漬けと野漬けで忙しい季節となる。特に野沢菜漬を楽しみのスキー客が多い。従って民宿の女将さん達は野沢菜漬に大童となることだろう。昨夜は「烏賊大根煮」でしたが、やはり「鰤大根煮」は一番だ。本鰤が採れるのは寒い冬中となるので、今から楽しみである。


晩秋の朝

2014-11-04 10:00:25 | Weblog

 散り紅葉来る季節に身を委ね

 今朝の25mの防火道路の櫻の散り紅葉です。春の散り際の桜は満ち満ちて一番綺麗ですが、晩秋の散り逝くさくらの葉の色も、これまた最高に奇麗な時期だと思う。当たり前ですが、自然の摂理、風が強く当たる上から散り始める。しばらくすると散り終わったさくらの葉を近所の人達は協力し合い数人で片づけている姿を毎年のように見かける。今朝の薄暗い時間の空は曇り空でしたが、歩き終わる時間になると曇り空に青空が覗きはじめた。この分だと今日は澄みきった秋晴れととなるだろうと思った。今朝は体調が良く、身体が軽かったので何時もより沢山歩くことが出来た。例によって、朝ベットに入ってぐっすり眠った後は、秋晴れのようなスッキリとした気分となった。感謝感謝である。


来年の干支を描く

2014-11-03 18:49:53 | Weblog

争いの嫌ふ羊の丸い角

平和請ふやさしき顔の羊かな  

 

 毎年来る「干支」を色紙に書き兄妹初め親戚知人に差し上げて今年で9年目になる。来年の干支「羊」を書いて後三枚で一周りとなる。第一番は一周りはしたいと思っている。その後何年描けるか挑戦である。幸いにして姪のM子初めそれぞれが楽しみに待ってくれるらしい。数ヶ月前に所用で、下の妹の家へ行くと年が明けて額縁から外した今迄の画を順序良く部屋の欄間に飾ってあった。それを見た私は余り上手とは言えない画ですが、色々思いめぐり懐かしかった。多分何かにつけ小まめな義弟が飾ってくれたのであろうと思った。これからの年内は、年賀状初め干支を画く事で、何かと忙しくなることだろう。閑人の私は珍しく張り切っている。


画友逝く

2014-11-02 07:44:25 | Weblog

 秋の画と癌を抱いて画友逝く

画に向かふ秘めたるこころ天の川

2014年度長野県水墨画展入選作

 昨日の新聞死亡欄に画友の死を知らされる。私の高校の先輩でもある画友は一昨年に発症した大腸癌を克服し、しばらく元気で教室に参加していましたが、今年の七月ごろから抗がん剤治療を始めるようになった。教室の皆が心配して聞いてみると、「再発防止の抗癌剤」だと先輩は言いながら、教室に顔を出していた。教室では明るく振る舞う先輩を、私は薄々再発しての抗癌剤の投与だと思っていた。先輩は三年程前に「私は飯山市民ではないのですが、」この教室の仲間に入れていただいて良いですかと、自ら教室に顔を出してくださった。先輩の話だと、今迄中野市の教室で水墨画を学んでいたのですが、私共の吉越先生のグレードの高い画に加え、指導力が評判ですので、吉越先生に指導を仰ぎたい一心で私達の教室の門をたたいたのだった。教室のメンバーは全員大歓迎で先輩を迎えた。先輩はかなり長い画歴があり、私なんぞの画と比べにならないほどの画を描く方であった。「人生は会うは別れの初めなり」と言いますが、大切な人との別れは無情であると衷心から思う私である。一句目の句は、先日の秋の展覧会に元気に「滝」の素晴らしい画を、お出しになった後、直ぐ教室で「秋の風景画」を書きはじめていなさった。多分完成の途中であろうと思う。