この前、ご近所の患者さんからいただいた超巨大スイカ。「でんすけっていう種類だけど」と言われ、「ふ~ん、そうなんだ」で通過していましたが・・・。改めて調べてみたら超高級ブランドスイカじゃないですか。
1玉8000円とかの値が付いているショップもあり。呆然。
いただき物は水分たっぷりで重さはなんと10.4kg。15kgのものもあったと今日になって伺ったけど、とにかくすげぇ!しかも大味でなく、細やかかつ大胆な甘さ(どんなの?とにかくうまい!)。
うちでも昔は畑で普通のスイカを作っていて、食べ放題だったけど、こんなブランドスイカがここいら辺の畑でできちゃうっていうのも、何だかすごい。種を大事に取って置いて、まいてみようかって気になってしまう。
記憶を辿れば、小学校にあがった頃からか。
ハリ天、つとに大食らいに成長。
体は大きくなかったので、いわゆる「やせの大食い」
小さいながら「ご飯食い」でおかずなんてちょっぴりで十分。小学1年生の冬には「炒り卵一口でご飯3口の術」や「生卵1個でご飯3杯の術」を会得していた。
とにかくワシワシ喰らう。喰らい過ぎでしょっちゅう腹こわしもあったが、とりあえず給食が終了してしまう6年生の時には他のクラスや他学年の残飯漁りをしてまわる「ブタクラブ」なるものの会長までも務めた。
高校時代はサッカー部で朝練があったので弁当2つ持参+購買部でパン+帰りは立ち食い・・は当然。
大学時代はサイクリングクラブでキャンピング中心だったけど、早食い&大食いでトップクラス争いだけは譲らず5年を過ごした。もう入らないという状態から「腹減り体操」なる怪しい運動をするとさらに何人前かをガツンと胃袋へ送り込むことが可能だったし、アパートで自炊すれば一度に2合ずつのご飯を喰らうのは当たり前だった。
今思うと、恐ろしや恐ろしや・・・。
結婚してからもかなり食べてはいたけど、いつの間にやらすっかり小食になってしまっていた。気がつくと・・って感じだ。
今なんて、いかに食べずにどれくらい長く走れるかを競い合うくらいだ(誰と)。
で、先週、宮崎の娘夫婦宅で目にした孫のシッキーの食欲。これがすごい。
えっ、そんなに食べちゃうのかって量のご飯をムシャムシャ(納豆が混ざっているとご機嫌)と喰らう。食パンなら6枚切り1枚をペロリ。お口直しにはおっぱいだ。
その見事な食べっぷりに、元大食いのハリ天は真っ青になって慌てふためいたのだった。
誰も知り合いのいない新しい土地で、二人でまっさらな生活を始める。我々が結婚する前に勝手に描いていた夢のビジョンだった。
多くの親はなるべくなら近くにいて欲しいと願うのだろうし、事実、自分達だって島へ行こうと希望していたら、せめて地続きの場所に・・・と懇願された。
そして、そういう周囲の強い想いをばっさりと切って捨てる程の強い意志は持てず、現実路線を選択してきた。
自分達のそんないきさつがあったからこそ、次女が結婚することになり、彼と二人で見知らぬ遠くの地で新生活を始めたいと話があった時には、それがいいそれがいいと二つ返事だった。自分達が実現できなかったささやかな望みを若い二人には是非実現させて欲しいなぁと思った。
で、遠くへ行くの大賛成。
が、遠くにいるといざという時にすぐに駆けつけてやることは無理。頼りになる親戚や兄弟もそばにはいない。実はとっても大変なのだ。
そんな状況で3年が経過。実際に子どもを産み(里帰りもせず)、育てている二人には頭が下がる。お宮参りだってお食い初めだって、両方の親に囲まれてこなしてきた我らと違って、全て二人でやらざるを得ないから二人でやってきたのだ。偉い!
時々いさかいもあるようだけど、そんなのいいんだ。とにかく偉い!
そして今度はいよいよ家を建てた。これまた互いの親の援助を一切受けずに、やりくりしての結果ときた。しかも娘はあこがれの専業主婦。収入源は1本。色んな頭を悩ませられる状況が覆い被さっていたようだけど、二人で乗り切ってしまった。
我々はなんだかんだと親にずいぶん助けてもらう形でやっていただろうし、多分に楽もしてきた。だけど、宮崎の彼らは何をやるにもひとつひとつ自分達で考え、決断せねばならなかった。本当に大変だったと思う。はっきり言って偉い! あの頃の自分には到底無理難題ばかりだ。
自分達の若かりし頃を思い出すにつけ、遠くの地で健気に頑張っている二人には特別なエールを送りたい気持ちでいっぱいになるのだ。
【内容とは全く関係なく、大阪南港】
一度は出場を宣言しながら、結局はチャレンジを見送ったトランスジャパンアルプスレース(通称TJAR)。
8日(日)午前零時にスタートしてほぼ3日が経過。佳境に入っています。今年も刻々と選手の皆さんの動向が伝わってきて、家にいながらにしてエキサイティングです。
選手の皆さんの移動に合わせ、地図でコースをたどるにつけ、如何に自分が山について知らないということが浮き彫りになります。今までは見る前に飛べって感じでやってきたことばかりだけど、決意しながらも思わず足踏みしてしまったレースがこれ。
だから、今は、ひたすら、勇猛果敢な選手達を応援するのみです。
選手の動向はこちら↓
■公式ブログ
http://tjar2010.seesaa.net/
■イーストウインド
http://www.east-wind.jp/
■fofさんが経過をまとめて下さっています
https://spreadsheets.google.com/pub?key=0Asw-hgQjwdQbdHRoeV8xVzlZTko4aUxpb3M3WUZJbEE&hl=ja&gid=1
【紀淡海峡にて】
夏休みもおしまい。仕事再開。
さっそく常連の方々との話題は「宮崎」に集中。
車で1400km。往復で2000kmオーバーの話になると、ほとんどの方が、さぞ大変だったでしょうと気を使って下さる。
本当に車で行っちゃったんですか・・・と呆然ともされる。
まぁ、時間のことを考えると、九州まで車という選択は明らかに少数派であることは間違いない。
多分、常識的には大変だ・・・と、思う。
でも、ハリ天の頭の中には大変で「あ~あ」という感覚がほとんどない。というか全然ない。これが正直な感覚。むしろ、九州まで車で行けちゃうのが嬉しい。荷物を持って飛行機に乗るとか電車に乗り換えるということに比べると、実に気楽、天国なのだ。
車というメカが好きな訳じゃない、運転が特に好きだというのでもない。
じゃぁ、何なんだ、何が好きなんだと聞かれると・・・困る。いや、困るという程のこともないが、延々とひたすら何かをするのが結構好きなのかも。
腰も痛くならないし、肩も凝らず、実に快適至極で、フェリー半額チケットがあるし船も好きだから半分海路を選択したけど、帰りも陸路を行けと言われれば、おーしと喜んで行っちゃうのだ。(ただし、かなり記録狙い)
これって、もしかして感覚鈍磨の一つなのか・・・。
西から帰った翌日は東へと向かう。
西への1400kmに比べたら、その距離120kmなんて、鼻くそにもならない程の距離だ。
三女の所属する大学女子サッカー部主催のフェスティバル(カップ戦みたいなもの)の中日。毎年恒例なのだけど、いよいよ今年は4年生で最後の年。無理をして駆けつけたという次第。
で、決勝トーナメントへと進んでいた本日の試合はスコアレスのまま。決着はやめてくれ~のPK戦。
互いに全員が決め、なんと5人目のキッカーは三女・結。
オシムさんは常に最悪の結果を受け入れる準備が必要と。その言葉が脳裏を鋭くよぎった瞬間。
ボールはキーパーにはじかれ・・・嗚呼来てしまったか・・・
・・・・が、一瞬の悲鳴は歓声に。キーパーにはじかれたボールはそのままゴールラインを越えゴール。やったぁ・・というよりホッ。
で、サドンデス突入。
○○○○○ ○○××○
○○○○○ ○○×××
なんと10人目をつくばのキーパーが止め、勝利!
ここまで色々あったけどよく頑張ってきたご褒美だね。
なんとセンターバックの娘はゴールに入れたのは初めてなのだそうな。みんなと一緒に嬉しそうに跳ね回っていた。
【出航】
一昨晩、父さんと母さんに是非食べさせてあげたいからと、騒動前に確保しておいてくれた名物・宮崎牛をご馳走になった(焼き手は俊くん)。いやぁ美味絶品。少しずつ少しずつ食べて、あぁもう少し食べたいなってところでご馳走様。
また今度食べようねって、満腹にはせずに一歩手前でオシマイにしておく。美味しかった思い出は強烈に残る。
図らずも完全休日が実現してしまった今回の宮崎行き。
シッキーは昼寝から起きないままに帰路についた我ら。後ろ髪を引かれる思いだけど、あともう少し・・ってところでオシマイにしておくのが、実はとてもステキな幕の引き方。宮崎牛の食べ方と一緒。・・・だ。
あともう少し!
こういう気持ちがまた、次の機会へと繋がるのだ。
実はバースディプレゼントカード(宮崎カーフェリーの会員特権)が使えて、二人まで運賃半額。よって復路だけでもとフェリー利用。ゆっくりと余韻にひたりつつ、大阪までのぐっすりの船旅。これもまたよし。大阪から家までの500余kmが異様に短く感じるという特殊効果付きだったのだ。
娘たちが結婚以来住んでいた川南という所は、例の口蹄疫騒動の真っ只中となって有名になった地域。(6月に隣町に引っ越した)
昨日、今日と、一緒にその川南町を通ったけど、あちこちにいたはずの家畜が一頭もいなくなって静まり返っていた。普通に人間と一緒に生活していた牛や豚の気配が一切ないという異空間な雰囲気が漂っている。
殺処分される家畜や辛い思いをしている農家の人々の近くにいた娘達の話を聞くにつけ、もし自分達が当事者だったらどうだったのか・・・。そう考えるだけで胸が痛みます。
グルメな二人にあちこち案内してもらい、たどりついた丘の上。
静かな南の小さな町並みを眺めながら、ここ川南の、そして宮崎の皆さんが再び元気を取り戻すことが出来るよう、ただただエールを送ります。
未だ明けやらずの午前4時半。
JogNote繋がりのsoさんと待ち合わせ。実は初対面。
コメントのやりとりをしているので、顔は合わせたことがなくとも、初めての感じはないのが不思議。
さて、soさんはなんと九州在住。奥様の実家へ等々のための関東遠征に乗じて、是非一度私のブログ等でさかんに登場する青梅丘陵を走ってみたいということで連絡をいただきました。
soさんは九州から車でこちらへ、ハリ天は本日夕刻出発で九州入りの予定だったため、この日この時間でどうでしょうかと打診があった本日午前4時半は、まさにここしかないというピンポイント。
簡単そうで、なかなかには実現しない条件でした。
でも、ご縁があったのですね。
ということで、未だ明けやらず、ちょっとライトが欲しい時間に「ようこそ青梅丘陵へ!」(ボイストレーニングver.)となり、あれこれ切れ目なくしゃべりまくりながらのあっという間の2時間でした。
本日午前は早い時間からたっぷり仕事が入っていたので、せっかくの遠征をゆっくり過ごしてもらえず、それがちょっと心残り。またいずれの再会を誓って終了となりました。
またまた訪れた新しい出会い・・・
別れ際に尋ねたらなんとびっくりの転職同志でした。しかも・・・
トレイルランニングの専門店「SKYTRAIL」を。びっくり~!
本日未明、我が家のTAKKUが静かに息を引き取りました。
いくらなんでもちょっと短すぎる命でした。
親バカですが、猫にしてはかなりイケメンでフォトジェニックな存在と自負。何もしなければスマートな男前で通るのに、猫的にはとんでもないドジを連発してしまう。めっちゃ人なつこいキャラも幸いして、大いに愛されていました。
先月初め、突然降って湧いた膀胱結石、尿毒症併発、そして腎不全。
4日前の診察日にはかなり良好で、元気に走り回れるのもあと少しと思っていた矢先でした。
腎機能回復せず・・・。24日間の闘病でした。
今までも我が家にペットとの別れはたくさんありましたが、今回は相当にガツンと来ました。
そっと土をかけてやるうちに、久し振りに悲しくて悲しくて、泣けました、泣きました。