菜の花 2012-03-16 | Weblog 待つといふ男子に花菜明りかな 柿本多映 「花菜明り」といっても、いわゆる光源ではない。 しかし、誰かを待っている男子のための明り。 花菜明りに映し出される男の子のシルエット・・・ 作者の視線がやさしい。 「俳句」3月号〈作品8句〉より抄出。(Midori)
春暮 2012-03-15 | Weblog 対当でゐよう春暮の鴉とは 大木あまり 鴉には、およそ親しき感情というものを持ったことがなかっただけに、 「対当でゐよう」などという、フレンドリーな呼びかけに、まず驚いた。 しかし、かつてこれに似た感情を一瞬でも持ったことがなかったか? というと、そうでもない。何気ない心の動きが確かにあったはずだ。 それに気づき、言葉を与えることができるかどうかは疑問。 「星の木」所属。「俳句」3月号〈新作5句〉より抄出。(Midori)
凍蝶 2012-03-14 | Weblog 宗教のように凍蝶さがしけり あざ蓉子 本来、春の季語であるはずの蝶だが、 凍蝶となると、はるかに遠い印象を受ける。 凍蝶のストイックなイメージは、まるで宗教画のようだ。 「宗教のように」という、抽象的な比喩に共感を覚えた。 「花組」主宰。「俳句」3月号〈特別作品21句〉より抄出。(Midori)
寒 2012-03-13 | Weblog 時を貫き点滴の寒通す 倉田紘文 一滴ずつ体内に注入される点滴ではあるが、 「時を貫き」とは、何と激しい表現だろう。 まるで点滴と対峙しているかのようにも思えるが、 「点滴の寒通す」のリアリティには、精神性の高さも感じられる。 「点滴」と題された21句の中の一句だが、 「点滴の数を信じて春を待つ」に至って、安堵の思いを深くした。 「蕗」主宰。「俳句」3月号〈特別作品21句〉より抄出。(Midori)
冬薔薇 2012-03-12 | Weblog 貝殻のやうな昼月冬ざるる まなうらにのこる微熱や冬薔薇 生命線運命線や日向ぼこ 言ひ訳にくちびる動く寒さかな 平川みどり *「阿蘇」3月号に掲載されました
冬帝 2012-03-10 | Weblog 冬帝のふところにある沼ひとつ 北原勝介 蕭条とした冬枯れの景色の中に、鈍い光を放っている沼ひとつ。 「沼」という謎めくものの中で、確かに息づいている小さな生命・・・。 「沼」の生命感が、冬帝の懐に抱かれて、詩情を得た。 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
短日 2012-03-09 | Weblog 短日のキヨスクで買ふ京土産 今村征一 京都と言えば、美しい自然や歴史・文化など世界にも誇る財産があり、 国内外から、多くの観光客で賑っている。しかし、それだけでなく、 作者にとっては、旧友との再会の場として京都は特別なのだろう。 さて、冬の日暮れは早い。キヨスクで買い求める京土産に、 短日の実感とともに、慌ただしくも楽しい旅の余韻が伝わってきた。 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
寒さ 2012-03-08 | Weblog 人に会ふまでの寒さや樹木園 武藤たみ 待つほどに増してくる寒さは、皮膚感覚に加え、 不安からくる心理的な寒さもある。 それを、「人に会ふまでの寒さ」だという作者。 四季折々の美しさに触れることのできる樹木園も、 待つ間は、どこか寒々とした風情だが、 待人に会えた瞬間、彩りも増してくるものだろうか。 樹木園という場所の設定も物語性があってよかった。 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
石蕗の花 2012-03-07 | Weblog 掃かれたる砂利のしづけさ石蕗の花 永村典子 掃かれた砂利は、誰かがその上を歩かない限り、 もともと音を発するものではないが、 「しづけさ」と置かれたことによって、忽ち、 美しい箒目が引かれた閑寂な石庭が目に浮かぶ。 「石蕗の花」の配合により、一幅の日本的造形美となった。 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
柊の花 2012-03-06 | Weblog 懺悔ほろほろ柊の花こぼす 谷 喜美子 柊は、刺のある特徴的な葉を持ち、硬質なイメージ。 そして、想像もしないような、可憐な白い花を咲かせる。 一行詩の中で「懺悔」という言葉が、違和感なく感じられるのは、 「懺悔」と「柊の花」ともに微妙にかかっている「ほろほろ」という オノマトペの力によるものだろうか。 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
寒さ 2012-03-05 | Weblog 一灯にあつまる堂の寒さかな 山下しげ人 法要に、寒さなど言ってはいられないが、 真冬のお堂の寒さは、また格別だ。 暖といえるものは全く見当たらない中、一灯は、 静謐な光を放ちながらも、どこか寒々としている。 「一灯にあつまる寒さ」の感覚的な把握によって、 お堂の寒さがひしひしと伝わってきた。 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
紅葉 2012-03-04 | Weblog 三百段登つて来よと寺紅葉 田中フジコ 「三百段登つて来よ」の、寺紅葉の擬人化。 まるで人を挑発しているかのように聞こえるが それ程、美しかったということだろう。 傾城の美女が発するような寺紅葉の誘いに、 さて、作者は乗ったのだろうか? 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
時雨 2012-03-02 | Weblog 来ては去る夜のしぐれを友とせん 水野信子 急に降り出したかと思うと、すぐに止んでしまう時雨だが、 「来ては去る夜のしぐれ」と、時雨への語りかけは優しい。 「夜のしぐれ」を友とする作者に、きっと、静かで、 満ち足りた時間が流れていそうだ。 「阿蘇」3月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)
待春 2012-03-01 | Weblog 待春のカフェ桜町一番地 岩岡中正 「桜町一番地」という地名地番は、全国にもいくつかあるようだが、 そのうちの一つに、熊本城の城下町であり、中心市街地でもある 熊本市桜町一番地がある。さらに、ズームアップしてゆくと、市民の 文化交流の場として熊本市民会館がある。カフェは、その一階。 ここで、コーヒーを飲みながら待春の思いを深くしている作者だが、 こんな具体的な地名など知らなくても、桜町一番地のカフェという だけで待春の最高のスポットだとわかる。地名地番に込められた、 待春の思いに心が弾んだ。「阿蘇」3月号〈近詠〉より抄出。(Midori)