Valtournancheは登山家にとっても有名な村だそうです。
上の写真はAimè=Gorretという
イタリアではじめてチェルヴィーノ(マッターホルン)の登頂を試みた人のブロンズ像です。
登山家だっただけでなく、作家でもありまた同時に司祭でもあったそうです。
(つたない語学力なので、まちがいがあったらごめんなさい。)
村の小さな広場には、たくさんの登山家たちのレリーフが飾られています。
アップで見るとこんな感じです。
たぶんみんなイタリアでは有名な登山家なのだと思いますが、
残念ながら私たちはレリーフに書かれた文字から想像するだけです。
でも、レリーフのバックにチェルヴィーノが彫られているところを見ると、
やっぱりチェルヴィーノはイタリア人にとっても特別な山なんですね。
ヴァルトゥルナンシュは山あいの谷にそって南北に細長く広がる村です。
そのほぼ中央に村の教会が立っています。
教会そのものは古くからあるのかもしれませんが、
建物自体は新しく、第二次世界大戦後の建物のような感じがします。
内部はシンプルですが、ところどころにあるフレスコ画がアクセントになって
華美すぎず調和のとれた印象を受けます。
そのフレスコ画は、キリストの生涯を題材にしていますが、どこか農村風にアレンジされています。
夜になると、ほのかにライトアップされた鐘楼が夜空に浮かび上がります。
「カンパニリズモ」というイタリア人の郷土愛を表す言葉がありますが、
この教会も村の人たちの心を一つにする象徴的な役割を果たしているのかもしれませんね。
L'Ancien Paquier B&B
ヴァルトゥルナンシュのホテルは、正確にいうとB&B、つまりベッドと朝食を提供するだけの簡素な宿です。
村のメインストリートに面して、バス停からも近い、比較的アクセスのよい場所にあります。
1階はバールになっていて、村の人たちでいつもにぎわっています。
このバールでチェックインしたあとに、2階にある部屋にチェックインするしくみです。
朝食も1階のバールでとります。
部屋の入り口にはチェルヴィーノのスキー場の大きな地図が貼ってありました。
その隣には部屋のカギを置いておくための小さな棚があります。
建物の外のドアはオートロックで、暗証番号を知らないと入れないのですが、
お客さんを信用しているからこういうシステムが成り立つんですね。
部屋はこんなふうで、ちょっとかわいい感じです。
いわゆる「登山家」が泊まるような部屋ではないですね。
窓のように見えるのは実はバルコニーに出るためのドアなんです。
バルコニーの写真です。晴れていたら、ここで山を眺めながらのんびりできたのに・・・。
バールのご主人は、誠実な感じのいい人です。部屋も清潔で、とてもよい印象のB&Bでした。
モンテビアンコを制覇?した私たちは、
その足で今度はチェルヴィーノ(マッターホルン)のふもとチェルヴィニアへと向かいます。
クールマイユールからチェルヴィニアまでは
アオスタ、シャティロンの2ヶ所でプルマンを乗り換えなければなりません。
(上の写真はイメージです。SAVDA社のホームページから無断借用しちゃいました。ごめんなさい。)
寄り道ばかりしていた私たちがシャティロンに着いたのは、もう日が西に傾き始めた頃でした。
しかもアオスタからのプルマンが遅れて乗り継ぎがない!
ここでタクシーを使えばよかったのですが、チェルヴィニアまでは100ユーロ近くかかります。
(でもこの100ユーロをケチったばかりに大きな後悔が残ってしまうのですが・・・。)
シャティロンのバス乗り場はロータリーの真ん中に建物が立っているだけ。
写真でもわかるように案内所のマークが大きく表示されていますが、
肝心の建物の入り口には鍵が閉まっています。
ロータリーのまわりには、バール兼ピッツェリアが一軒あるだけ。
そうこうしているうちに太陽はどんどん西に傾いていきます。
ようやくたどり着いたその日宿泊予定のヴァルトゥルナンシュ(Valtournenche)のバス停です。
一気にチェルヴィニアまで行かなかったのは、スーツケースをお供につれていたからです。
今考えてみると、無理やりにでもチェルヴィニアへ行ってしまえばよかったんですけど。
というわけで、明日も今日みたいに晴れるといいなあ、
と思いながらヴァルトゥルナンシュの夜はふけていくのでした。
モルジェの村のはずれに、ちょっと不思議な建物を見つけました。
駐車場があって、車が何台も止まっています。
2階の窓が1つだけ開いていますが、人の気配はありません。作りからして民家ではなさそうです。
近づいてみると、扉の上に「Capo Stazione」の文字が。
駅長室?駅なの?アオスタから先には鉄道はないって思ってたけど…と思いながら、
建物の裏手に回ってみると…、
線路がありました。単線だけど、もっと先まで続いています。廃線にしては、駅舎が新しすぎます。
駅舎には、ちゃんと最新の時刻表が貼ってありました。
そういえば、バールのおばあちゃんに「プルマンで来たの?それとも電車?」って聞かれて「?」って思ったけど、
こういうことだったんですね。
でも、切符はどこで?「Bilietto e Caffe」の入り口は閉まっていて、もうずいぶん使ってなさそうです。
自動券売機らしきものはあるけど、刻印は?わからないことだらけです。
結局プルマンでアオスタまで戻りましたが、チャレンジしてもよかったかな。
あとで調べたら、アオスタからプレ=サン=ディディエ(Pre Saint Didier)までの路線があったんですね。
しかも駅もけっこうたくさんあります。でも、いったいいつ作ったんでしょう。
コルティナ・ダンベッツォみたいにならないといいけど…。
イタリアではどんな小さな村にも、必ず1軒はバールがあります。
朝、行きつけのバールでカプチーノやエスプレッソを飲み、コルネットを食べるのが
イタリア人の一日の始まりだからです。
そんなわけで、モルジェにもちゃんとバールがあります。その中の1軒がここ、「da BEPPE」です。
中に入るとこんな感じ。昼のあいだはおばあちゃんが1人でやっているお店です。
なんだかテレビドラマに出てくる昭和のあんみつ屋さんみたいです。
写真を撮ってもいいかとたずねると、
「こんな店の写真なんか撮ってどうするのよ」といいながらオッケーしてくれました。
エスプレッソは1杯1ユーロ。トリノのカフェにはない、どこかほっとする香りがしました。
モルジェの家並みは、いかにもヴァッレ・ダオスタの村といった感じで、
歩いているとなんともいえないのんびりした気持ちになります。
典型的?なモルジェの家です。石積みの壁に木のバルコニーが印象的です。
1階は手作りのおみやげ物を売っているお店になっていました。
やっぱりここでも家々はきれいな花で飾られています。
アルプスをバックにすると、石積みの家々がますます絵になります。
こんな「見張りの塔」がある家もありました。見た目では、使われている石は新しそうです。
昔の家を復元したのでしょうか。
歩いているうちに、こんなものを見つけました。野菜などを洗ったりする湧き水?のようです。
日本でも田舎の村に行くと、時々見かけたりしますね。
ここはおしゃべりが大好きなイタリアですから、朝夕は井戸端会議が開かれているのかもしれません。
わたしたちが車窓から眺めていた教会は、
サンタ・マリア・アッスンタの名で呼ばれるこの地域の教区教会でした。
ファサード側にまわり、入り口の上を見ると、歴史を感じさせる石版がありました。
内部は何回か改装されたのでしょう。いろいろな時代の様式が少しずつ残っています。
後陣の天井画です。明るい色彩が印象的です。長い冬に耐えなければならない北国だからでしょうか。
壁の左手に素朴な感じの「最後の晩餐」のフレスコ画が残っていました。
テーブルをはさんでユダがひとり手前に描かれているので、ルネサンス以前のものなのでしょうか。
天井画の華美な感じと比べると、その違いがよくわかります。
新しいものも取り入れつつ、古いものも大切にする。
ここに暮らしている人たちの気質が伝わってきたような、そんな気がしました。
アオスタからクールマイユールへ向かう途中のプルマンの中から、
わたしたちは写真のような教会を目にしました。
目に焼きついて離れない、というほどではありませんでしたが、なんとなく気になる存在だったのです。
アオスタへの帰り道。わたしたちの乗ったプルマンは、この教会の目の前のバス停で止まったのです。
気がつくと、わたしたちはプルマンを降りていました。
バス停は、ご覧の通り、簡素な石造りです。大きな村ではないことが想像できます。
時刻表を見ると、どうやらここは「Morgex(フランス語だ…読めない…モージュ?)」という村のようです。
わたしたちの乗ってきたプルマンは、もう見えなくなってしまいました。
プルマンはおよそ一時間に一本。
次か、その次のプルマンがやってくるまで、のんびりとこの村を散歩してみましょう。