サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の前の広場は、夕方になるといつも多くの人でにぎわいます。
カフェでくつろぐ人、噴水のまわりでひと休みする人、
そして大道芸人のまわりにはひときわ多くの人が集まります。
時には写真のようにまわりのお客さんを巻き込んでの芸も見せてくれます。
4人の男性が小さな折りたたみイスの上に座って、お互いのひざの上に横たわっています。
それだけなら別に不思議でもなんでもないのですが、
実はこのあと、4人が座っているイスは1つずつ取りのぞかれていくのです。
最後にはイスは1つもなくなってしまいます。
マジックと違って、イスがなくなった4人は、お互い顔を見合わせながら必死でそれぞれを支えあおうとします。
観客はその表情を見ながら大喜びです。
大道芸人はといえば、その横を背の高い1輪車に乗って観客からチップを集めてまわります。
彼ら4人はノーチップなのに…。
さて、そろそろ日も傾いてきました。ローマで一番きれいな夕日を見に行きましょう。
トラステヴェレの中心にあたるのがここサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会です。
4世紀に建てられ、数多いローマの教会の中でも、もっとも長い歴史を持つ教会のひとつです。
修復されているのでしょうが、ファサードには中世のモザイクが当時の雰囲気そのままに残されています。
よく見ると、中央の聖母マリアをはじめとして、描かれているのは全員女性です。
トラステヴェレという地域にあったからでしょうか、内部もバロックの影響はあまり感じられません。
写真ではわかりにくいのですが、床一面コズマーティ様式のモザイクで装飾されています。
内陣は見事なモザイク画で飾られています。どことなくオリエンタルな印象を受けるのは気のせいでしょうか。
近づいてみると、アプシスの壁画は三層に分かれています。
一番下はルネサンス以降のフレスコ画でちょっとだまし絵風、
その上の段はカヴァッリーニによる「聖母マリアの生涯」が描かれています。
ドーム部分は、イエスと聖母マリアが中央に描かれた金色のモザイクです。
「全能のキリスト」のように見ていて圧倒されるようなイエスではなく、
どこかあたたかく包み込んでくれるようなモザイク画です。
振り返ってみると、ファサード裏にはきれいなステンドグラスがありました。
たぶんアプシスのモザイク画より600~700年近くたってから作られたものだと思いますが、
違和感なくこの教会の雰囲気になじんでいました。
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この建物、まるでパラッツォのようですが、ここが聖チェチリアにささげられた教会の入り口なのです。
きっとローマビザンチン風のファサードを目印に探して、
なかなか教会に気づけなかった人も多いのではないでしょうか。
門をくぐれば、このように美しい中庭と、端正なファサードに出会うことができます。
聖チェチリアの遺骸は、もともとはサン・カッリストのカタコンベに埋葬されていたのですが、
9世紀になって、ここに運ばれてきたのだそうです。
列柱の色使いは、清楚な聖チェチリアにぴったりですね。
ファサードは改修されていますが、ところどころに当時の碑文などが残されています。
中に入ると、ここもまたアプシスと天蓋を除いて、すっかりバロックでした。
天井にはこれでもかというような豪華な天井画が…。
また、よく見ると天井を支えるアーチの構造が少し独特ですね。
優美な天蓋は、アルフォルノ・ディ・カンビオの作品だそうです。
アプシスのモザイクも見どころなんですが、この写真だとなんだかよくわかりませんね。
主祭壇前には、聖チェチリアが埋葬されていたときの姿を再現した彫刻があります。
まるで眠っているかのような姿です。
(ちなみにサン・カッリストのカタコンベにもレプリカが置かれています。)
トラステヴェレ地区には、昔ながらの庶民的なローマが今も残っています。
街並みはけっして新しくはありませんが、家々は花々で美しく飾られています。
小さな路地の曲がり角でふと上を見上げると、こんな素朴なタベルナコロを見つけました。
表通りから一歩裏に入ると、Vicoloと呼ばれる細い路地がいくつも通っています。
曲がり角を曲がると、突然こんな教会に出会うこともあります。
これはサンタ・マリア・デル・オルト教会(Chiesa di S.Maria del Orto)のファサードです。
16世紀のものですが、どことなくヴェネツィア・ゴシックの雰囲気を持っていますね。
こちらはサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会(Chiesa di S.Francesco a Ripa)です。
ベルニーニの彫刻で有名ですが、残念ながら中に入ることはできませんでした。またのお楽しみですね…。
テヴェレ川にかかるパラティーノ橋を渡った向こう岸は、トラステヴェレと呼ばれるローマの下町です。
そのパラティーノ橋の上からテヴェレ川の上流を眺めると、
古代ローマ時代の橋の名残と、テヴェレ川の中洲であるティベリーナ島を見ることができます。
この橋の名残は「ポンテ・ロット(壊れた橋)」と呼ばれ、ちょっとした観光スポットになっています。
実はこの橋、16世紀に一度再建されたのですが、その後またテヴェレ川の氾濫で流されてしまったそうです。
橋げたを飾るドラゴンのレリーフの頭には、草が生い茂り、きれいな花を咲かせていました。
橋の上ではカモメがひと休み。
テヴェレ川のカモメは、サンタンジェロ城もポンテ・ロットもおかまいなしのようです。
ポンテ・ロットの向こうには、ティベリーナ島がまるでテヴェレ川に浮かぶ軍艦のような姿を見せています。
この島は古くから病院として利用されていて、今でも病院や教会が建てられています。
島の西側とトラステヴェレを結ぶ橋はチェスティオ橋と呼ばれ、何回か修復されてはいますが、
もとをたどると紀元前1世紀のものだそうです。
当時は、今の教会のあたりにエスクラピオの神殿があり、それが病院の起源になっているそうです。
テヴェレ川を渡り終えるとそこはもうトラステヴェレです。さあ「ローマの下町」を巡ってみましょうか。
Ristorante SAPOLI (Hotel Lord Byron 内)
Hotel Lord Byron 内にあるリストランテです。
5つ星ホテルのリストランテだけあって、上品にまとめられていますが、ローマらしい料理をいただくことができます。
店内は明るく、オーナーの趣味でしょうか、このホテルを訪れたと思われる著名人の肖像画などが飾られています。
アンティパストはほとんど食べ終わろうかといったところであわてて撮ったので、こんな写真です。
カナッペの一種ですね。
プリモはカルボナーラです。街の食堂で食べるのとはまたちょっと違いますが、確かにローマの味です。
セコンドはこれもちょっと上品なアバッキオ。ほどよいやわらかさにグリルされています。
ドルチェはイタリアンジェラート。チェリーの風味が新鮮です。
エスプレッソはソーサーだけでなく、蓋つきです。
こういうエスプレッソを飲んだのはいつぶりでしょうか…。
サン・セバスティアーノ門からアッピア街道を1.5マイルほど進んだところに、
ローマ7大聖堂の最後の1つ、サン・セバスティアーノ聖堂があります。
この一帯は緑豊かで、ローマ市街から車で10分ほどの場所だというのがうそのようです。
聖堂が建てられたのは4世紀で、
当時この聖堂地下のカタコンベにはサン・ピエトロとサン・パオロが埋葬されていたことから、
7大聖堂の1つに数えられるようになったようです。
2人の遺骸がそれぞれ今の場所に移された後はサン・セバスティアーノにささげられ、
その後何回か改修が重ねられています。17世紀にはあのシピオーネ・ボルゲーゼが改修を命じています。
カタコンベの入り口は聖堂の右脇にあります。
残念ながら中の紹介はできませんが、ローマでもっとも由緒あるカタコンベです。
中はシンプルな単廊式ですが、シピオーネ枢機卿の好みなんでしょうか。
建てられたころの様子がわかるものは見あたりません。
天井には、それとすぐわかるステレオタイプな構図のサン・セバスティアーノがいました。装飾はバロック風です。
こんなところにいました、シピオーネ・ボルゲーゼ。
自己顕示欲の強い人ですから、礼拝堂の1つも作っているだろうとは思っていましたが…。
大きくはありませんが、こんな美しいクーポラもあります。それにしても、すっかり作り変えちゃったんですね。
こんなサン・セバスティアーノの彫刻も置かれています。
ベルニーニの作ではないと思いますが、ベルニーニを影響を大きく受けていることは間違いありません。
それにしてもこの聖堂、まるでシピオーネ・ボルゲーゼにささげられているかのようですね。
サン・カッリストのカタコンベ付近は、草原が広がり、アッピア街道と並行するように並木道が通っています。
今では多くの車が行きかい、びくびくしながら歩かなければならないアッピア街道を避けて、
こんな道を歩いてみるのもいいかもしれません。
もちろんアッピア街道とは違いますが、はるか昔にこの道を通った人々のようすを思い浮かべながら、
のんびりと歩くことができます。それにしても、何かの映画で見たような並木道ですね。
道の両脇には、舗装されていない歩道もあります。
道端には、こんな花も咲いています。のんびり歩かないと気づかないような小さな花です。
ところどころで野生のけしの花も見ることができます。
アッピア街道へとつながる道には、こんな小さな門もありました。
アッピア街道沿いには、いくつものカタコンベ(地下に作られた共同墓地)があります。
その中でもここサン・カッリストのカタコンベは、初期の歴代教皇の墓所や聖チェチリアの墓があることでも有名です。
アッピア街道沿いにある入り口を入ると、写真のような並木道が続いています。
広い駐車場もあり、ここがツアー客も訪れる観光地になっていることがわかります。
この看板をすぎると、まもなくカタコンベの入り口です。
こんなにちゃんとしたチケット売り場があります。まずはここでチケットを買い、入り口に向かいます。
ここがカタコンベの入り口です。
地下通路は迷路のように張り巡らされているため、迷ってしまわないように必ずガイドが同行します。
イタリア語・英語など、希望する言語ごとに整列してある程度の人数が集まると出発です。
Giapponeseはテープによる案内です。
その場所ごとにガイドの方(私たちの時は神父様でした)がテープを流して説明を聞かせてくれます。
場所が場所だけに、写真をお見せすることができない(撮影はもちろん禁止です)のですが、
初期のキリスト教徒たちの決意や想いが伝わってくる場所です。
ローマの中心、ヴェネツィア広場から出発し、
アッピア街道をめぐるアルケオバス(Archeobus)という周遊バスがあります。
わたしたちはコロッセオ前からこのバスに乗り、アッピア街道沿いのカタコンベや教会を訪れることにしました。
バスは周遊バスによくあるオープンルーフタイプで、8ヶ国語のイヤホンガイドがついています。
乗車時に代金を払うとチケットと使い捨てイヤホンを受け取ります。
ただ座席によってはイヤホンジャックが壊れている場合もあります。
まあイタリアのことですから大目にみてやってください。
ローマ市街の喧騒とさよならするための第一関門がここ、もともとは水道橋だったドゥルーゾのアーチ
(Arco di Druso)です。この付近は道幅がせまく、いつも渋滞しています。
そして、サン・セバスティアーノ門。
改修や修復もされているのだろうと思いますが、とても5世紀の建築物には見えないほどしっかりとしたつくりです。
街道沿いには、いわゆるマイルストーンが1マイルおきに建てられています。
もともとはこんな風に壁があったわけではないと思いますが…。
バスは専用のバス停であれば何回でも乗り降り自由です。
ただし往路と復路では若干ルートが異なるので注意が必要です。
街道沿いにはいくつもの遺跡が残っています。これはマクセンティウス帝の競技場跡だったような…。
こちらはサン・ニコラ教会の遺構です。あっという間に通り過ぎてしまいましたが…。
それでは、いくつかの見どころをめぐってみましょう。