オルヴィエートの街並みは、中世の面影をよく残しています。
これといった見どころがあるというわけでもないのですが、ただ散策するだけで十分楽しめる街です。
メインストリートは街の東の端にあるカエン広場から西のレプッブリカ広場へと通じるカブール通りと、
街の中心南よりにあるドゥオーモから北西に伸びるドゥオーモ通りで、
この2つの通りが交わるあたりが一番にぎやかな場所になっています。
陶器店や、エノテカ、ちょっとおしゃれなブティックなどが並んでいます。
そこから北に進むとカピターノ・デル・ポポロ宮殿です。
市民隊長の宮殿とでも訳せばいいのでしょうか。いかにも“隊長”の住まいといった感じの建物です。
オルヴィエートの猫 ミケランジェリ通り
再びカブール通りに戻り、少し西に進むと、
様々なジャンルの芸術家の作品を売るショップが立ち並ぶミケランジェリ通りの入り口があります。
レプッブリカ広場(中央がサンタンドレア教会、右が市庁舎)
さらに西に進むとレプッブリカ広場です。
ここには市庁舎やサンタンドレア教会があり、古くからの街の中心です。
ここから西の端にかけて、オルヴィエートで最も古くからの街並みが残っています。
途中には、ポッツオ・デラ・カーヴァ(カーヴァの井戸)という
エトルリア時代の井戸や住居の様子を見学できる場所もあります。
街の西の端まで行くと、そこからはウンブリアの田園風景が見渡す限り広がっています。
そこから南のほうには崖沿いにずっと道が続いており、田園風景を眺めながらの絶好の散歩道です。
道沿いに進み、サン・フランチェスコ教会を通って、マイターニ通りに入ります。
まっすぐ進むと、やがてドゥオーモのファサードが正面に見えてきます。
ドゥオーモ広場に戻ったら、マイターニ通りの一本南の道をちょっとのぞいてみましょう。
そこはドルチ通りと呼ばれる小道で、上にいくつものアーチがかかる雰囲気のある道です。
ドゥオーモからちょっと入るとこんな小道がある、それがオルヴィエートの魅力です。
オルヴィエートには、イタリアでも有数の美しいドゥオーモがあります。
このドゥオーモを見るだけでも、オルヴィエートに来る価値があるでしょう。
ファサードは、シエナ出身のロレンツォ=マイターニのプランによるためか、
シエナのドゥオーモに非常によく似ています。
シエナのドゥオーモと比べると、彫刻が少ない分すっきりした印象があり、
全体が一枚の三連祭壇画のように見えます。
また、バラ窓とその周囲に細かい装飾がほどこされている点も、シエナとの大きな違いです。
ファサード下部と正面扉は、浅浮き彫りで装飾され、ファサード全体の印象を引き締めています。
ドゥオーモの建築は「ボルセーナの奇蹟」(ボルセーナの町で、
ミサの最中に“キリストの身体”の象徴として信者に配られるパンから、
キリストの血がしたたり落ちてきた)の聖遺品である血のついた麻布を納めるために、
13世紀の終わりに始められました。
完成には一世紀以上の年月がかかっており、ロマネスクとゴシックが複合した建築様式です。
内部はロマネスク様式のシンプルな構造ですが、
後陣がゴシック風のステンドグラスと壁一面のフレスコ画で飾られているため、
華やかさもあわせ持っています。
朝もやの中にぼんやりと浮かび上がるドゥオーモのファサードは、神秘的な雰囲気がいっそう強まります。
また、夕方になると、金色をベースにしたモザイク画が夕日を浴びて全体が美しく輝きます。
多くの人が、ドゥオーモの正面向かいにある建物の外壁の出っぱりに腰掛けて、
長い時間ファサードに見入っていたのがとても印象的でした。
オルヴィエートの旧市街へと向かうフニコラーレの駅は、FSの駅のすぐ目の前にあります。
10分~15分おきに運行されているので、長い時間待つこともありません。
ただし、夜は20時30分までしか動いていないので、
遅い時間にオルヴィエートに着いた場合にはミニバスを利用することになります。
こんな感じの坂道を10分ほど登ると旧市街です。
旧市街の駅です。デザインがふもとの駅と全く同じですね。
ここから旧市街を周回するミニバスへと乗り継ぐことができます。
ローマから車または列車で一時間ほど北に向かったところに、オルヴィエートという街があります。
この街は、旧市街全体が、まわりを崖で囲まれた台地の上にあります。
ローマ方面から向かう途中に見える街の全景は、まるで「天空に浮かぶ街」です。
オルヴィエート遠景
FSの駅は旧市街のふもとにあるため、旧市街へはミニバスかフニコラーレを利用して行きます。
オルヴィエートの街は、中世の雰囲気をよく残しており、
イタリア・ゴシックの最高傑作とも言われる華麗なドゥオーモでも有名です。
また、街の起源は古くエトルリア時代にまでさかのぼり、エトルリア時代の遺構も多く残っています。
次回からは、オルヴィエートの街を少しずつ紹介していきます。
チヴィタ・ディ・バニョレージョへは、隣町のバニョレージョからしか行くことができません。
バニョレージョのバスターミナルから町はずれの“展望台”と呼ばれる場所まで、
ミニバスが運行されています。
歩いても20分くらいですが、それに乗った方が便利です。
“展望台”には、リストランテが一軒あり、そこからはチヴィタの全景を見渡すことができます。
“展望台”から坂を下りると、
軽自動車がやっと通れるくらいの幅の橋がかかっており、
これを渡ってチヴィタの街に入ります。
この橋を渡る以外にチヴィタに入る方法はありません。
橋はけっこうな高さがあり、
おまけに途中からかなりの急傾斜になっています。
高所恐怖症の人は、ここに住むのは無理かもしれませんね。
橋を渡り終わったところには、小さいけれどしっかりした造りの門があり、
この門をくぐると、そこがチヴィタ・ディ・バニョレージョの街です。
街に入ると、そこは中世そのものです。細い石畳の道に、レンガ造りの家。
ブランドショップやスーパーマーケットなど、現代的なものは何ひとつありません。
しかし、どの家も良く手入れされており、鉢植えの花や緑が街のレンガ色によく映えています。
門をくぐってから、メインストリート(と呼べるほど広い道ではありませんが)を50mも進むと、
街の中心である広場にでます。
ここにはサン・ドナート教会があり、バールも一軒だけあります。
広場では、何匹かの猫が気持よさそうにくつろいでいました。
この街では、まるで時間の流れが止まっているかのようです。
広場から再びメインストリートを100mほど進むと、そこは行き止まりになっており、
もうチヴィタの町はずれです。
そこからは、トゥーフォの風景だけが広がっています。
わずか200mほどの楕円形をした台地の上に建つ街、それがチヴィタなのです。
行き止まりから少し戻ったところに、
ひとりのおばあさんが座っていました。
近くまで行くと、手招きをしながら声をかけてきます。
どうやら、自分の家の庭から景色を眺めていけと言っているようです。
私たちは、お言葉に甘えて、庭からの景色をしばらく楽しみました。
その帰り、おばあさんにあいさつをすると、
チップを要求するではありませんか。
少し複雑な気持になりましたが、
チヴィタの街に寄付するつもりでチップを置いて帰ってきました。
そのあと、広場に戻った私たちは、広場の近くのオステリアで
サルシッチャやブルスケッタの素朴な昼食をとりました。
そして、この小さな街が、いつまでも今のままであるようにと思いながら、
チヴィタを後にしたのでした。
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ラツィオ州の北部、ボルセーナ湖の東にチヴィタ・ディ・バニョレージョという本当に小さな街があります。
この街は、ただ小さいだけではなく、写真のように、断崖絶壁に囲まれた本当にすごいところに作られています。
チヴィタ・ディ・バニョレージョ遠景
このあたりは、トゥーフォと呼ばれる凝灰岩でできた土地で、川の侵食などの影響を受けやすいため、
あちこちに同じようにまわりを絶壁に囲まれた台地状の地形があります。
敵からの進入を受けにくいこのような場所に作られた都市は多く、その代表格がオルヴィエートです。
それにしても、このチヴィタのように、
まるで大海原の中の小島のような場所に作られている街は他に例がありません。
チヴィタ・ディ・バニョレレージョのまわりには、こんな風景がひろがっている
しかし、この街はもともとは隣町のバニョレージョと陸続きだったそうです。
度重なる土地の崩落の結果、今のように「陸の孤島」になってしまったわけです。
住む人の数も減り続け、現在、この街で生活している人は、わずか20人ほどだそうです。
実際に住んでみると、きっと不便なことも多いのでしょう。
しかし、この街を一度でも訪れたことのある人たちなら、
空想の中からそのまま抜け出してきたようなこの街が、
廃墟になることなくずっとこのまま「生きている街」であってほしい、と願うに違いありません。
チヴィタへは、谷にかかった橋を渡っていく
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シエナの街並みは中世そのもの。
ペストの流行や、フィレンツェとの抗争に破れたことで、急激に衰退したシエナは、
1500年ごろで時が止まってしまったかのようです。
こちらはサリンベーニ宮殿(Palazzo Salimbeni)です。
美しいゴシック様式の宮殿で、現在ではモンテ・ディ・パスキ銀行の本店が置かれています。
モンテ・ディ・パスキ銀行は、シエナの文化財の保存にも力を入れていますね。
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これは「ルーパ・セネーゼ(Lupa Senese)」のブロンズ像です。
狼の乳を飲んでいるのは、ロムルスとレムルスで、ローマ建国後にローマを追われた
レムルスの子どもたちによってシエナが興されたという伝承に由来するものです。
シエナの町を堪能し、サンジミニャーノに戻ろうとした私たちですが、
ここでとてもイタリアらしい出来事に遭遇してしまいました。
帰りのプルマンが待てど暮らせどやってこないのです。
バスターミナルで待っていた、他の観光客らしき年配の白人夫婦も落ち着かず、
まわりの人を捕まえてはバスについてたずねています。40分くらい待ったでしょうか。
ようやくバスがやってきました。運転手はバスを降りると涼しい顔で仲間たちと談笑しています。
「ここはイタリアだから…」と自分に言いきかせながら、私たちはバスに乗り込んだのでした。
バンキ・ディ・ソプラ通りが、バンキ・ディ・ソット通りと別れ、チッタ通りと名前を変えるあたりに、
カンポ広場の入り口があります。
カンポ広場は「世界で最も美しい広場」とも呼ばれ、ちょうど扇のような形をした広場です。
扇の要にあたる部分に向かってゆるやかに下り坂になっていて、その扇の要にプッブリコ宮殿があります。
広場を取り囲む建物の色調や高さは、全体が一体感を持つように整えられ、調和した空間が生まれています。
現在では建物の1階はほとんどがリストランテやカフェテリアになっていて、多くの観光客でにぎわっています。
広場の一角には、こんなおみやげ物屋さんもあります。
カンポ広場といえば、パリオでも有名ですね。
「コントラーダ」と呼ばれる地区ごとの対抗戦で、年に2度開催される競馬です。
パリオはこの広場に臨時コースを作って行なわれ、開催時には広場は熱狂的な人々で大騒ぎになるそうです。
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シエナはフィレンツェから南へ60キロほどの、トスカーナの美しい町です。
シエナの全盛期、政治の中心だったのが、このプップリコ宮殿です。
この宮殿は、今は市庁舎として、また美術館として利用されています。
美術館には、繊細さが特徴的なシエナ派と呼ばれる画家たちのフレスコ画が数多く残されていました。
宮殿の隣には、高さ100mほどの「マンジャの塔」と呼ばれる鐘楼があって、
ここからの眺めはすばらしいそうなのですが、あいにくの雨のため登ることができませんでした。
「マンジャの塔」という名前は、鐘をつく男の人が食いしん坊だったのでつけられた名前だとか…。
宮殿の裏手からは、シエナの街並みとトスカーナの田園風景をながめることができます。
ほっと一息つける場所ですね。
シエナの見どころといえば、やはりドゥオーモでしょう。
イタリアンゴシックの典型ともいえるファサードを持つこの教会は、
他のイタリアの街の教会にはない、独特の優美さがあります。
イタリア、特に北部から中部にかけての教会は、他の西ヨーロッパの国々の教会と比べると、
一般的にファサードがシンプルなのが特徴といえます(もちろん例外はありますが…)。
ところが、シエナのドゥオーモは、ファサード一面にこれでもかというほど彫刻がほどこされています。
おそらくそれが他のイタリアの教会とはやや異質な印象を与えているのでしょう。
また内部で特に目をひくのは床の装飾です。
イタリアで床の装飾といえばすぐにモザイクを連想しますが、ここは象嵌細工になっています。
当時の各都市のシンボルになっていた動物などがモチーフになっています。
内装はどちらかといえばロマネスク様式の影響が残っています。
イギリスやフランスのゴシック建築のように、高さを強調するのではなく、
白と黒の大理石が水平に重ねられた列柱が並ぶようすは、ピサのドゥオーモとよく似ています。
ドゥオーモの全景です。この大きさを見ても、当時のシエナがいかに繁栄していたかがよくわかりますね。