Hotel Goldoni
オニッサンティ教会の近くの建物の3階にあるホテルです。
モーツァルトも泊まったホテルとのことですが、こじんまりとしたアットホームなホテルでした。
1階からホテルのフロントまでは、フィレンツェの古い建物によくある、
手でドアを開け閉めするエレベーターで昇ります。
部屋の広さはまずまずで、タイル張りのため、少し冷たい感じがしたのと、
シャワーにカーテンがなかったのがマイナスですが、朝食はカプチーノがなかなかでした。
また、このホテルで初めてコーヒー味のヨーグルトを食べたのもなつかしい思い出です。
ホテルゴルドーニのホームページはこちら
http://www.hotelgoldoni.com/it
イタリアの空港にはたいていどこでも2つの名称がついています。
ひとつ目は地名に由来するもので、
ローマ国際空港なら“フィウミチーノ”、ミラノ国際空港なら“マルペンサ”です。
もうひとつはその土地にちなんだ人名がつけられています。
それも歴史上の人物である場合がほとんどです。
有名なのはローマの“レオナルド=ダ=ヴィンチ”やピサの“ガリレオ=ガリレイ”、
ヴェネツィアの“マルコ=ポーロ”などですね。
アメリゴ=ヴェスプッチの像
では、フィレンツェはどうなのでしょうか。
フィレンツェ空港の名称は“ペレートラ空港”、
別名“アメリゴ=ヴェスブッチ空港”です。
「アメリゴ=ヴェスブッチって誰?」という人のために
少しだけ説明すると、コロンブスとほぼ同時期に中南米へ航海し、
「アメリカ」の名前のもとになった人です。
もちろんフィレンツェ出身で、
今のオニッサンティ通りのあたりに住んでいたようです。
どうして?
フィレンツェ出身者にはもっとメジャーな人がたくさんいるのに?
と考える人もいるでしょう。
でも、私はなかなか気の利いた良いネーミングだと思います。
大航海時代の冒険家の名前は、
空港のネーミングにぴったりだと思いませんか?
さて、そのフィレンツェ空港ですが、
一年ほど前に滑走路の拡張工事が行われたと聞きました。
どうせならターミナルビルも拡張・改装して、
もっとりっぱにすればいいのになんて思っているのは、私だけでしょうか。
だって、市内へのシャトルバス乗り場に屋根すらないんですから…。
フィレンツェの空港のホームページはこちら
http://www.aeroporto.firenze.it/IT/index.php
フォロ・ロマーノの東に、ローマのシンボル、コロッセオがあります。
「コロッセオが滅びるとき、ローマも滅びる。ローマが滅びるとき、世界も滅びる。」と言われた
この巨大な遺跡は、そのスケールで訪れるものを圧倒します。
古代ローマ帝国は、その支配地にコロッセオと同じような円形闘技場を数多く造っています。
しかし、スケール・保存状態ともに本家ローマのコロッセオをしのぐものはありません。
私たちも、訪れたときの第一声が「すごいねぇ」でした。
今では、闘技場の床にあたる部分は失われてしまい(一部復元されています)、
地下の通路や檻がむき出しになっていますが、当時は一面運動場のような広い床があり、
時にはそこに水を張って、模擬海戦さえ行われたというのですから驚きです。
また、あまり知られていませんが、当時は布製の日よけ屋根もついていたようです。
当時のようすをイメージしたい方は、ぜひ映画「グラディエーター」を見てください。
(ちなみに「ベン・ハー」は戦車競争なので、
舞台はチルコ・マッシモやナヴォーナ広場ということになりますね。)
古代ローマの統治は、よく「パンと見世物」という言い方で表現されます。
コロッセオはまさにその「見世物」の舞台のひとつであったわけです。
それにしても、2000年前に5万人収容のこんな競技場を造ってしまう古代ローマ人って、すごいですよね。
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カンピドーリオの丘とパラティーノの丘にはさまれた低地に広がる古代ローマの遺跡、
それがフォロ・ロマーノです。ここは、古代ローマの政治と宗教の中心だった場所です。
ここを初めて訪れた20年ほど前には、
まだその辺に大理石のかたまりがごろごろと転がっており、
さびれた雰囲気も残っていましたが、
今では復元・整備が進み、だいぶ様子が変わっています。
フォロ・ロマーノの見学は無料で、
入り口や出口がはっきりと決まっているわけではないので、
いろいろなところから出入りすることができますが、
私は“聖なる道”を南の方から進むルートをおすすめします。
はじめに現れる“ティトゥス帝の凱旋門”をくぐると、
気分はすっかり凱旋将軍です。
そこから巨大な“マクセンティウスのバシリカ”や、
“ロムルスの神殿”などを右手に見ながら、
少しずつフォロの中心へと進みます。
やがて、右手には広場、左手には“ユリウスのバシリカ”が現れます。
凱旋将軍は演壇へと進み、広場に集まった民衆を前に勝利の演説を行い、
それから元老院に勝利の報告をする、というわけです。
最後に、市庁舎の脇の階段からカンピドーリオの丘に上ると、フォロ・ロマーノの全景を見渡すことができます。
また“聖なる道”を戻って、パラティーノの丘に上り、チルコ・マッシモ越しに夕日を眺めても、
皇帝気分を味わえるかもしれません。
いずれにしても、フォロ・ロマーノを楽しむには、想像力が必要です。
皆さんも「将軍」や「皇帝」になりきって、この遺跡を歩いてみてください。
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パンテオンからさらに西に進むと、ナヴォーナ広場があります。
この広場は、もともとは古代ローマの円形競技場だったこの広場は、南北に細長い楕円形をしています。
そして、おそらくオベリスクが立っていたであろうと思われる場所に、それぞれ噴水が配置されています。
北側にあるのが“ネプチューンの噴水”、南側にあるのが“ムーア人の噴水”で、
中央に最も有名な“四大河の噴水”があります。
四大河の噴水はベルニーニの手によるもので、ローマ・バロックの代表作です。
ただ、さすがに年月と排気ガスには勝てないようで、細かい部分にはずいぶんと痛みが目立ちました。
また、四大河の噴水の向かいには、ボッロミーニ設計のサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会が建てられており、
くしくもバロック時代のライバル同士の顔合わせになっています。
広場には、さまざまな出店が出て、観光客でにぎわっていました。
あわただしいローマの街の中で、ここは数少ないのんびりできる場所です。
ただし、観光客相手の軽犯罪も多い場所だとのことなので、くれぐれも気をつけて。
トレヴィの泉から、高い建物に囲まれた狭い路地をまっすぐ西に向かいます。
コルソ通りを渡ると、まもなくピエトラ広場です。
広場というほど広い場所ではないのですが、
ここには古代ローマ時代のハドリアヌス帝の神殿跡があります。
ローマには、古代ローマ時代の遺跡がたくさん残っているのですが、
トレヴィの泉からナヴォーナ広場にかけての一帯も、
遺跡の密集地帯といえます。そこからさらに3、4分西に歩いたところが、
パンテオン前の広場です。
パンテオンは、今もほぼ完全な形で残っている
古代ローマ時代の唯一の建造物です。
なんといっても1900年前の建物なわけですから、
そのすごさは想像を超えていますね。
そもそもは神殿として建てられたこの建物は、
キリスト教の教会として転用されたため、
破壊をまぬがれたといわれています。
またユニークなのは、天井の中心に丸い穴が開いている(たぶん明かりとりの窓なのでしょう)ことで、
雨が降ると、そこから雨粒が入ってきます。
ただ、雨上がりにはそこからさす日光がなかなか神秘的な雰囲気をかもし出します。
ここはまた、有名人の墓所としても有名で、
ラファエッロやイタリア初代国王ヴィットリオ=エマヌエレ2世が葬られています。
パンテオンもハドリアヌス帝の神殿もそうなのですが、現在の地面より5m近く低いところから建てられています。
ローマの土地が、テヴェレ川の氾濫によってだんだんと高くなってきた様子がよくわかります。
それにしても、5mも地表の高さが変わるなんて、自然の力ってすごいですね。
ちなみに、夜のパンテオンも、ライトアップされてとてもきれいです。
ローマの夜の街を歩く勇気のある方はぜひ見に行ってみてください。
スペイン広場から南東へのびる通りを500mほどまっすぐ進むと、トリトーネ通りという広い道に出ます。
この通りを右折し、次の五差路を左斜めに入っていくと、突然人だかりのある場所が現れます。
ここが、ローマを訪れた観光客が必ず立ち寄る場所のひとつ“トレヴィの泉”です。
トレヴィの泉は、他の多くの泉(噴水)のように広場の中心にあるわけではありません。
ですから、どの道からたどり着いても、突然目の前に現れるのです。
それがこの泉をいっそう劇的に見せているのかもしれません。
泉の背景は、建物の壁面を利用した(この建物で立派なのは、泉に面したこの面だけで、
あとの面はどうってことのない普通の建物です)バロック建築と彫刻で構成されていて、
その建物からせり出しているように泉本体の彫刻が造られています。
ちょうど、壁面に立っているネプチューンが、泉の噴出し口の2頭の馬を操っているように見えるのです。
その様子は、まるで凱旋門をくぐる馬車のようです。
この泉の歴史は古く、紀元前(古代ローマ時代)までさかのぼります。
パンテオンを建てたことでも有名なアグリッパが引かせた水道の終点のひとつがここだったというわけです。
この地域が古くからローマの中心だったことがうかがえます。
その後は何回か破壊と再建が繰り返され、
現在のものは、バロック後期にニコラ=サルヴィという建築家が設計したものです。
トレヴィの泉はまた、
「この泉に後ろ向きにコインを投げ入れると、もう一度ローマに戻ってくることができる」という
言い伝えでも有名ですね。この言い伝えには、いろいろなバリエーションがあるようで、
一枚投げると…、二枚投げると…、三枚投げると…、みたいなものもよく聞きますね。
私も、ローマを訪れるたびに必ずこの泉にコインを投げ入れてきます。枚数は…もちろん一枚です。
ブランドショップが並ぶコンドッティ通りを東へと進み、突き当たるとそこがスペイン広場です。
多くの観光客でいつもにぎわっているこの広場は、映画「ローマの休日」で、
オードリー・ヘップバーンがジェラートを食べるシーンであまりにも有名です。
広場の中央には、テベレ川の氾濫でここに流れ着いた小舟をモチーフにしたといわれる
「バルカッチャの噴水(舟の噴水)があります。
難破船のあちこちから水がふきだしているというユニークなこの噴水は、
ローマ=バロックの巨匠ベルニーニの父親が作者だそうです。
広場から、高台の上のトリニタ・デイ・モンテ教会までは「スペイン階段」と呼ばれる階段でつながっています。
いかにもバロック的な美しい曲線で構成されたこの階段は、
広場全体のフォルムをいっそう美しいものにしています。
スペイン広場を訪れたあとは、グレゴリー・ペック扮する新聞記者が下宿していたという設定の
マルグッタ通りを訪ねてみるのもよいし、
ヘップバーンが扮する王女が髪を切ったトレヴィの泉までも歩いて10分ほどです。
「ローマの休日」をたんのうしたい人には、ぴったりの場所がそろっていますよ。
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今のように自動車も電車もなかった頃、ローマの北の玄関口といえば、フラミニオ門でした。
サンピエトロ大聖堂を訪れる巡礼の人々は、ここで初めてローマの街に出会ったわけです。
このフラミニオ門をくぐると現れるのが、ポポロ広場です。
中央にオベリスクが立ち、“双子の教会”をあいだにはさんで3本の通りが放射線状にまっすぐに伸びていく、
このバロック風の空間を目の当たりにすると、昔の巡礼の人々は、
きっと誰もが「ああ、ついにローマにやってきたんだなぁ」という感慨にふけったのではないでしょうか。
フラミニオ門から見て左側はバブイーノ通りで、スペイン広場へと出ることができます。
広場からは、通りの名前を変えながら、クイリナーレの丘まで続いています。
向かって右側はリベッタ通りで、リストランテからピッツェリアまで、
おいしい料理を出すさまざまなタイプのお店が並んでいます。
この通りは、ナボーナ広場やパンテオンの付近まで続いています。
日本からのイタリアの玄関口は、直行便であればローマかミラノということになります。
ローマの空港は、フィウミチーノという小さな漁港の近くにあり、
ローマ市街まではバス、タクシー、列車のいずれかを利用することになります。
私たちは、たいていの場合“レオナルド・エキスプレス”と呼ばれるテルミニ駅までの直通列車を利用します。
この列車は、通常のFSの列車よりは金額が高いのですが、
ちゃんとテルミニ駅発着であること(他の空港からの列車はティブルティーナ駅に着くことが多い)、
かかる時間が短いこと、などがメリットです。
またスーツケースなどの荷物を置くスペースも確保されていて、他の乗客に気がねする必要もありません。
ただ、ひとつだけ欠点があります。それは、テルミニ駅から空港に向かう場合に特に感じることなのですが、
テルミニ駅の発着ホームが改札からとんでもなく遠いことです。
初めて乗ったときには、本当にここが正しい場所なのか不安になってきて、引き返そうかと思ったくらいです。
列車の停車場所に着くまでには、駅に着いてから5分はみておいたほうがいいかもしれません。
スーツケースを引きずっての5分はけっこうきついですよね。
皆さんも“レオナルド・エキスプレス”を利用するときには気をつけてくださいね。
レオナルド・エキスプレスの情報はコチラ