ジェノヴァのドゥカーレ宮殿はジェノヴァの街のほぼ中心、
フェッラーリ広場とサン・ロレンツォ大聖堂にはさまれるようして立っています。
現在の建物の多くは17世紀に建てられたもので、なんとなくパッラーディオ風ですね。
いまさらですが、ドゥカーレ宮殿とは「総督の館」のことで、
ジェノヴァやヴェネツィアのような共和国では、「総督」が国家元首の役割を果たしていたんですね。
したがってここがジェノヴァの行政の中心だったというわけです。
ちなみに「王宮」はそのころはまだバルビ家の館で、
イタリア統一の際に初代国王になったヴィットリオ・エマヌエレ2世のサヴォイア家が
19世紀に住むようになってから「王宮」と呼ばれるようになったそうです。
今ではここはイベントスペースや美術館として利用されており、バールやリストランテもあります。
私たちが訪れた時もこんなオブジェが置かれていました。
中庭の回廊の柱も写真のように現代アート風の装飾がほどこされています。
こちらは宮殿の前のマッテオッティ広場です。
たくさんの露店が並ぶ広場の奥にあるのは、バロック様式のファサードが美しいジェズ教会です。
この教会だけは17世紀から変わらぬ姿でここに立っているのでしょう。
そう考えると、まるで宮殿の変遷を見守っているおじいさんのように思えてきました。
中世のジェノヴァを思い起こさせるような狭い路地を歩いていると、突然小さな教会が現れました。
この教会がサン・マッテオ教会です。
白大理石と黒大理石のストライプは、リグーリアの典型的な教会のスタイルです。
内装は外観からは想像のつかない満艦飾のバロックです。おそらくこの地域でも大切な教会だったんですね。
そういえば、町のサイズと比べると、ジェノヴァには教会の数が少ないように思えるのは気のせいでしょうか。
天井も、スタッコ装飾と金細工が印象的です。カテドラーレにも負けていません。
でも、こうしていくつかの教会や建築物を見て歩くと、
ジェノヴァが十字軍のころと大航海時代の少し前に都市としてのピークを迎えていたことがよくわかりますね。
そういえば、ここは回廊も有名なのですが、見逃してしまいました。ちょっと残念。
Fratelli Klainguti(フラテッリ・クライングーティ)
カンペット広場からすぐのところにある歴史のあるカフェです。
写真にも「dal1828」とあるように、1828年創業のこのカフェは、
イタリアの歴史の中でも大きな役割を果たしています。
店内には、このカフェの常連だったヴェルディの直筆のサインが飾られています。
ヴェルディだけでなく、マッツィーニもこのカフェをよく利用していたようで、
ヴェルディ、マッツィーニ、そしてカブールの3人で会談が行われたこともあるそうです。
奥にはテーブル席もあり、200年前の内装がそのまま残っています。
この部屋でイタリアの歴史がつくられたんですね。
それはそれとして、オーダーしたのはカフェ・コン・パンナとブリオッシュ。
テーブル席でちょっと贅沢してしまいました。
ブリオッシュはプレーンとクリーム入りの2種類です。ほどよい甘さでおいしかったですよ。
お店のホームページはこちら
ジェノヴァのカテドラーレは大理石のストライプが印象的です。
そして、つくりはじめたころはロマネスク様式だったのに、途中で何度も工事を中断したり再開したりして、
ゴシック様式との折衷になってしまったような、そんな感じの外観です。
おまけに左右の鐘楼の形が違うのは意図したものではなくて、
むかって左はつくりかけ、つまり未完成だからなんだそうです。
イタリアでは仕事をやりかけのまま放り出してしまうことを「ドゥオーモ仕事」というそうですが、
ここジェノヴァも例外ではなかったようですね。
正面扉上の装飾はサン・ロレンツォですね。
有翼のライオンが背中を向けているのは、当時のライバルだったヴェネツィアを意識しているんでしょうか。
アーチ部分の柱は、よく見ると一本一本デザインが異なっています。壁面にも細かいモザイク装飾がありました。
ファサード左右にあるライオンの彫刻は、ジェノヴァ大学のものとよく似ていますが、こちらがオリジナルのようです。
内装もやっぱりストライプ。ピサのドゥオーモと共通点が多いように見えますが、
アーチの形が微妙にゴシックしていますね。
主祭壇は豪華絢爛。ラッザーロ・タヴァローネという人が天井画の大部分を描いています。
17世紀初めって、バロック?個人的な感想では、ミケランジェロなどの影響を受けているのかなって思いました。
クーポラは、さらに新しい時代のような雰囲気です。完成までにいったい何年かけたんでしょうか。
(あとから改修したのかもしれませんが、それだったら鐘楼も・・・)
正面扉の裏は、リブヴォールトの低い天井があり、古いフレスコ画が残っています。
大聖堂のオリジナルはこんな感じだったのかもしれません。
ところで、サン・ジョヴァンニはどこに?と思ったら、側廊にちゃんと大きな礼拝堂がありました。
ここに収められている聖遺物の多くは、十字軍の遠征の際にエルサレムから持ち帰ったものだそうです。
持ち帰ったといえば聞こえはいいのですが…。
ヴェネツィアのサン・マルコといい、ここといい、勝手に持ってきてしまっていいのかな?
バンキ広場から教会の脇の細い道を抜けるとすぐに、旧市街ではめずらしい広い通りに出ます。
この通りは19世紀に新しくつくられたもので、両脇の建物も比較的新しい感じがします。
中にはこんな建物も。何世紀にもわたって改修されてきたのでしょう。いろいろな時代の建築様式が混じっています。
窓の上の装飾はよく見るとこんな感じです。パゲーリアのヴィラ・パラゴニアを連想させます。
通りの中ほどには、ジェノヴァのカテドラーレでもあるサン・ロレンツォ教会(Cattedrale di S.Lorenzo)があり、
教会の前は同じ名前の広場になっています。この広場も通りと同じく19世紀に新しくつくられたものだそうです。
何百年も前の姿をそのままとどめているように見えるジェノヴァの街ですが、やっぱり変化し続けているんですね。
教会の向かいには、その時に建てられたと思われる建物があります。
よく見ると、一番左下の窓に「売ります」の貼り紙が。オフィスなんでしょうか、アパルトメントなんでしょうか。
広場では、こんなパフォーマンスが通りかかる人たちの注目を集めていました。
地面と体のあいだに手をさしだして、何もないことを確かめたり、のぞきこんで写真を撮ったり。
実はこれ、杖のように見える棒から手すりがのびていて、さらに小さなイスにつながっているんです。
その上から修道服を着ているので、外からは手すりもイスも見えないんですね。
と、タネあかしをしているわたしですが、こうやってしっかりと写真を撮ってきちゃいました。
もちろん彼の足もとにあるかごにはちゃんと1ユーロ入れてきましたよ。
サン・ルーカ通りを南西に歩いていくと、やがて小さな広場につきあたります。
ここがバンキ広場(Piazza Banchi)です。
Banchiとは英語のBankで、その名の通り、
ここは両替商たちが軒を連ねていた(台=Banchiを並べていた)場所だそうです。
広場の一角にはイタリアではじめて株取引市場が置かれた建物もあります。
今は写真のように広場の真ん中に花屋さんがあるのどかな広場になっています。
この広場に面して建つのがサン・ピエトロ・イン・バンキ教会(Chiesa di S.Pietro in banchi)です。
ファサードだけ見ると、まるで誰かの家のようなつくりです。
残念ながら中を見ることはできませんでしたが、ロッジアの天井画の装飾なども見事です。
そしてこの教会、ほかにはなかなか見られない変わったところがあります。
実はこの教会の1階部分はすべて商店になっているのです。
この教会は16世紀にこれらの商店の人たちがお金を出しあって、自分たちの店の上に教会を建てたというわけです。
こんな写真しか撮ることができなかったのですが、写真の矢印の部分に教会があります。
1階のお店は、写真のおみやげもの屋さんのほかに、貴金属店などもありました。
でも、半分くらいしか営業していません。人通りはけっこうあるのに、やっぱり商売ってむずかしいんですね。
それではいよいよジェノヴァの旧市街を散策します。
イタリアでは「旧市街」といえば中世(日本でいえば室町時代くらいまで?)の街区を指すことが多いので、
ジェノヴァもヴァッカ門からソプラーナ門(サンタンドレア門)までが「旧市街」ということになります。
世界遺産になっているガリバルディ通りは別名を“ストラーダ・ヌォーヴァ”(新しい道)というくらいですから、
イタリア基準では17世紀の街並みは全然「旧」じゃない、ということになりますね。
(だからといって「新市街」なわけでもないんですけど…)
私たちはヴァッカ門(Porta del Vacca)から旧市街に入りました。
道は狭く、両側の建物の高さがあるので、道にはあまり日が当たりません。
道幅と建物の高さとのプロポーションがいかにも中世の街並みです。
通りの名前は道と道が交わるたびに変わります。私たちが歩いたのはカンポ通りからサン・ルーカ通り。
ジェノヴァで最も古い道のひとつです。
このあたりは人通りも多く、聞いていたより怪しい感じはありません。
でも、サン・ルーカ通りから脇に入る道をのぞいてみると…。
落書きも多く、昼は平気ですが夜はちょっと「よそ者」を受け付けなさそうな感じです。
(実際に夜のプレ通りはちょっと緊張しました。)
1階はお店になっている建物が多いのですが、中には扉の脇にこんな立派な彫刻のある建物も残っています。
でも実はこういう建物は大航海時代以降に建てられていたりするんですよね。
と思っていたら、いかにも中世風の建物を見つけました。
バルコニーはあとからつけくわえられたのかもしれませんが、白と黒の大理石のストライプは、
11世紀~12世紀にジェノヴァやピサで流行したスタイルです。
十字軍のころには、こんな感じの建物が旧市街のあちこちに建っていたのかもしれませんね。
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バルビ通りをはさんで王宮と向かい合うように建っているのが、ジェノヴァ大学です。
この大学のある建物も王宮同様に力強く立派なエントランスが目をひきます。
案内板があったので、説明をわかるところだけ読むと、
17世紀に建てられたこの建物は、ジェノヴァに42あるPalazzoのひとつだそうです。
ということは、ここも世界遺産?(です。)
入り口には、ジェノヴァのあちこちで見かけるライオンの彫刻が。
でも、獅子といえばサン=マルコのヴェネツィアじゃないのかな…。
話はそれますが、ジェノヴァの守護聖人は洗礼者ヨハネだそうです。フィレンツェと同じですね。
そしてここが中庭。ほんとはもっと奥まで行ってみたかったのですが、なんとなく気おくれしてしまって。
ちなみに正面に見える胸像は、イタリア統一に大きな役割を果たした3人のうちのひとり、
ジュゼッペ=マッツィーニです。彼はジェノヴァ大学の出身なんですね。
バルビ通りの中ほどに、ひときわ目立つ大きな建物があります。ここがジェノヴァの「王宮」です。
もともとはこの通りの名前の由来にもなっているバルビ家の館でしたが、
その後デュラッツォ家の所有をへて、サヴォイア家の所有となったことから「王宮」と呼ばれているそうです。
ちなみに初代イタリア国王ヴットリア・エマヌエレ2世の弟フェルディナンドが初代のジェノヴァ公で、
それ以降はジェノヴァのサヴォイァ家はサヴォイア=ジェノヴァ家と呼ばれています。
入り口はこんな感じ。ちょっと圧倒されますね。門の上の紋章はどの時代のものなんでしょうか。
バルビ家の紋章でも、サヴォイア家の紋章でもなさそうです。
門をくぐると、馬車が飾られていました。意外に質素?
まずは中庭へ。この中庭のまわりを囲んでいる建物の上はテラスになっています。
それでは建物の中へと進んでみましょう。
ここから先は入場料が必要です。また、写真撮影は禁止です。この一枚を撮った後に注意されてしまいました。
というわけで、その代わりではないんですが、私たちを注意してくれたおじさんです。
彼は私たちにつかず離れずついてまわり、ときどきガイドらしきこともしつつ、
「写真撮っちゃだめだよ」を繰り返します。
というわけで王宮内部の写真はないのですが、内装はいわゆるバロック&ロココ様式の典型です。
これでは全然伝わりませんね…。
控えの間、謁見の間、寝室、礼拝堂などがあり、いずれの部屋も見事な天井画で装飾されています。
また、絵画館になっている部分もあり、ヴァン・ダイクやグェルチーノなどの絵画が展示されています。
詳しいことはホームページを見てもらったほうがいいですね。こちらです。
最後にテラスに出て見ました。ここは自由に写真オッケーです。さっそく裏から見た王宮を撮影です。
こんなピンク色だったんですね。
また、この場所に来ると不思議な解放感からか、みんな思わず深呼吸をしたくなるようです。
下を見下ろすと、見事なモザイク装飾がほどこされた庭園が目に入ります。
テラスからは、海も見えます。ジェノヴァのシンボル、大灯台が豪華客船の向こうに見えていますね。
このテラス、天気の良い日はいつまでもここに座っていたくなります。隠れたなごみスポットかもしれませんね。