Ristorante Europa
FSの駅から3分ほど、旧市街の入り口近くにあるリストランテです。
外観はやや高級そうだったので少し迷いましたが、
疲れていて他の店を探すのも面倒だったので、思い切って飛び込みました。
予想通り、店内は少し裕福そうな観光客らしい人たちがほとんどでしたが、
対応は思ったよりていねいでかつフレンドリーでした。
ワイン選びに時間がかかってしまいましたが、ソムリエはいやな顔をせずに付き合ってくれました。
結局選んだのはAlbana di Romagnaです。
ワインといっしょに出てきたPaniが絶品!
トスカーナあたりの素朴なパンも好きですが、工夫をこらしたパンたちに、ついついワインが進みます。
前菜は海の香りのPolpettine。平たく言えば「つみれ」ですが、日本のそれとはまったくの別物です。
(残念ながら写真撮り忘れました…)
プリモは海の幸のスパゲッティ。写真はイマイチなのですが、味は写真うつりよりはるかによかったです。
セコンドは何を血迷ったのか、tagliataをオーダーしてしまいました。
まあ、その時点でワインは空になっていたし、ちょっとだけ牛肉も恋しかったので・・・。
最後にエスプレッソをオーダーしたところ、小さなドルチェをサービスしてくれました。
よいことも、凹むこともたくさんあったリミニですが、ちょっとうれしい気分になった夜でした。
お店のホームページはこちら
http://www.europarestaurant.it/index.html
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トレ・マルティリ広場からFSの駅のほうへ少し歩くと、
他のイタリアのどの町でも見かけない一風変わったファサードを持つ教会が道の右側に現れます。
この教会が、マラテスティアーノ教会です。
ファサードは未完成で、おそらく左右のアーチの部分にも、入り口上のアーチ部分と同じような
色大理石による美しい装飾がほどこされるはずだったのでしょう。
この教会は14世紀頃にリミニを治めていたマラテスタ家の持ち物で、
中にはマラテスタ家ゆかりの人物の墓所がいくつかあります。
内部はすっきりとした単廊式で、柱や壁面のレリーフがとても印象的です。
再び外に出ると、緑の並木が美しい幅広の道が駅のほうへと続いています。
伝統的なイタリアの旧市街ではあまり感じない開放感は、道幅と建物の高さの比が逆になっているためでしょう。
これも第二次世界大戦の影響なのかなぁ、とぼんやり考えながら、私たちは駅へ向かう道を歩いたのでした。
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【エミリア・ロマーニャ】2007 ノイ・コッリ・ディ・リミニ(I495) |
ノイ・コッリ・ディ・リミニ(I495) | |
サン・パトリニャーノ |
カエサルの像が立っているトレ・マルティリ広場は、リミニ旧市街の中心にあります。
私たちはアウグストゥスの門からティベリウスの橋を結んでいるアウグスト大通りを歩いて広場に向かいました。
広場は、街の中心を貫いているメインストリートであるこの大通りのほぼ中間点にあります。
広場には、北イタリアの町でよく見られる時計台があり、
また南の隅には、カエサルの像と向かい合うようにしてパドヴァの聖アントニオに捧げられた礼拝堂があります。
八角形をした聖アントニオの礼拝堂は、
写真でもわかるように新しい建物です。
広場の名前自体が、第二次世界大戦後に改名されたそうで、
(それ以前はグランデ広場と呼ばれていた)
おそらくこの建物も大戦後のものでしょう。
それにしても、
聖アントニオに捧げられた礼拝堂を建てるということは、
以前この地で何か病気のようなものが流行ったのでしょうか?
それとも何か別の理由があるのでしょうか?
この広場から北東へ向かうと、
しばらくして右手にマラテスティアーノ教会が見えてきます。
リミニ旧市街で最も有名なこの教会については、また次の機会に。
リゾート地の印象が強いリミニですが、FSリミニ駅の南西側に広がる旧市街は、
古代ローマの重要な出来事の舞台にもなっています。 リミニの北西5kmくらいのところに、
「サイは投げられた」というカエサルのセリフで有名な
ルビコン川が流れています。
元老院の規律を破ってルビコン川を渡り、
兵を進めたカエサルが最初に掌握した町がリミニだったのです。
そして、トレ・マルティニ広場で兵士たちに
ローマ進軍に向けての演説をしたとされています。
というわけで、
町の中心、トレ・マルティリ広場にはカエサルの像が
立っています。
その後、古代ローマ帝国が成立し、
帝国全土に街道が整備されるようになると、
リミニは2つの重要な街道の終点となりました。
1つがヴィツェンツァ→パルマ→ボローニャと続いてきたエミリア街道、
もう1つはローマ→スポレート→ペーザロと続くフラミニア街道です。
エミリア街道は旧市街の北西にあるティベリウスの橋が、
フラミニア街道は旧市街の南東にあるアウグストゥスの門が、それぞれ終点(起点?)となっています。
そして、2つの街道が旧市街の中で出会う場所がトレ・マルティリ広場というわけです。
2000年以上も前から交通の要所・歴史の表舞台だったリミニ。リゾート地のもう1つの顔です。
リミニは、イタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニの生まれ故郷です。
そしてフェリーニが眠る町でもあります。 彼の自伝的映画「Amarcord」はリミニが舞台だと
いわれており、
町の人たちもフェリーニがリミニの出身であることを
とても誇りにしています。
海岸沿いの道(Lungomare)と、
一本奥を並行して走るレジーナ・エレナ通りとの間を
結んでいる何本もの小道には、
それぞれフェリーニの作品の名前がつけられています。
たとえば「甘い生活」通り、
「道」通りといったふうにです。
そして、Lungomareの終わり近くには
「フェリーニ公園」があり、
東のはずれには、あの「グランドホテル」が…。
リミニは、映画好きの人にとっても
見どころいっぱいの町でした。
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“イタリアのマイアミ”リミニの海岸は、夏になると多くの人でごったがえします。
シーズンオフの海岸は、その頃の喧騒がうそのように静かで、朝の散策場所にうってつけです。
(真冬は別かもしれませんが・・・)
砂浜には、思い思いの趣向を凝らしたビーチハウスが並んでいます。
よく見ると、どうやら一区画一区画が、ホテルなどのプライベートビーチになっているようです。
区画ごとに番号が振られ、入り口にはビーチハウスの名前とともにホテル名などが掲げられています。
通りをはさんで反対側には、リゾートホテルがびっしりと立ち並んでいます。
見るからに高級そうなものやカジュアルな雰囲気のもの、大きなものもあれば、個人の別荘風のものもあります。
いろいろあって、当初の予定とは違うホテルに泊まることになったリミニですが、
海岸近くのホテルに泊まれたことはラッキーだったかもしれません。
海から昇る朝日を部屋から眺めたり、こうやって海沿いの道を朝から散歩することができたわけですから…。
というわけで、どうせリミニに泊まるなら、絶対に海沿いのホテルがオススメです。
Suite Hotel Litoraneo
はじめに予約していたホテルでアクシデントがあって、代替として案内されたホテルです。
リミニの海岸沿いにあり、部屋によってはオーシャンビューが楽しめます。
私たちの部屋には小さいながらもアドリア海を望むバルコニーがありました。
バルコニーからの眺めは、まさにリゾートホテル。典型的なイタリアのビーチハウスが立ち並んでいます。
そして朝には、アドリア海から昇るきれいな朝日を見ることができます。
明るくなっていく風景を眺めたあとは、ゆっくりとシャワーを浴びて遅い朝食に向かいます。
イタリア式のあまーい朝食をとりながら、
こんなところで何にもしないでぼーっと何日も過ごせたらいいな、と考えたリミニの朝でした。
ホテルのホームページはこちら
http://www.litoraneohotelrimini.it/
ボローニャを出発して、リミニについたのは8時過ぎ。
予約していたホテルにチェックインすると、近くのトラットリアへ食事に。
いわゆるリゾート客相手の店で、味はイマイチ。
まあ、こんなものかなと思いながらホテルに戻り、シャワールームを使おうとすると、
なんとお湯が出ません!
いわゆるイタリアの古いホテルにありがちな、
だんだんお湯が出なくなるパターンではありません。
初めからまったくお湯が出ないのです。
しかも、高級とはいえませんが、
まがりなりにもリゾートホテルです。
フロントに直接行って、対応をお願いしましたが、
「non lo so(わからない)」と
「il riparatore viene domani(明日修理が来るから)」を
繰り返すだけです。
いったんはあきらめて部屋に戻りましたが、
どうしても納得がいかず、
スーツケースに荷物を詰めて1階に下り、
「vorrei cambiare il albergo,potrebbe presentare l'altro albergo seriale?」
(ホテルを代えたいので、系列のホテルを紹介してもらえませんか)と、強硬手段に出てみました。
するとしばらくして、オーナーと思われるおじさんがやってきて、別のホテルへ自分の車で送るというのです。
時間はすでに深夜0時をまわっています。どこへ連れて行かれるんだろうという不安はありましたが、
とりあえず言うとおりにしてみようということになり、車に乗せてもらいました。
行き先のホテルに着くと、おじさんは自分でホテルの入り口の鍵を開け、フロント係を起こすと、
「buon viaggio」と言い残し、握手をしてそのまま帰っていきました。
ホテルマンは妙にあいそのいい若い男性で、部屋まで案内すると細かく説明をして戻っていきました。
部屋はオーシャンビューの納得のいくグレードの部屋でした。しかし時間はすでに深夜1時過ぎ。
私たちはしばらくは怒りと緊張の余韻が残っていましたが、
まもなくどっと疲れが出て、ぐっすりと眠ったのでした。