ローマ・カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂は、すべてにおいてけた外れのスケールです。
世界一の長さを誇る身廊は、巨大な彫像やフレスコ画などで贅のかぎりを尽くして装飾されています。
天井部分は巨大なアーチ状で、それを支える柱はバロック風の色大理石と彫刻で飾られ、
圧倒的な迫力で訪れた人々を驚かせます。
大小のクーポラは、それぞれ趣向を凝らした装飾がなされていて、差し込む光が内部をいっそう神々しく見せています。
それにしても、これだけ巨大な空間にこれだけの装飾。いったいどのくらいの富をつぎ込んだのでしょうか。
宗教改革を唱えたルターたちの気持ちも少し理解できるような気もします。
歴代教皇の名前が刻まれた巨大な石碑です。天国への鍵を持つサン・ピエトロの後継者たちですね。
数えてみると、あと600年分くらいの余白が残っていました。
クーポラのてっぺんからは、ローマの街を360度見渡すことができますが、
今回はあえてヴァチカン市国を空からご案内していきましょう。
まずは、サン・ピエトロ広場。
こうしてみると、あらためてそのスケールとバロック的な舞台空間としての完成度がわかりますね。
屋根の傾斜はけっこう急です。
それにしても、こんなところにまで教皇の紋章があるとは知りませんでした。
当時の教皇たちの自己顕示欲はかなりのものだったんですね。
クーポラからみたヴァチカン美術館です。
一番手前に見える長方形の要塞風の建物がシスティーナ礼拝堂です。
こちらは大聖堂の裏手に広がる庭園です。緑が豊かなんですね。
手前の大きな建物がいわゆる市庁舎です。
市庁舎前の花壇をアップで撮ってみました。紋章が大きくデザインされています。
これはヴァチカンの駅です。FSと直接つながっています。
ただし、ふだんは列車は走っていません。原宿の皇室専用のホームのようなものですね。
上を見上げると巨大な円柱がにょきにょきと・・・。
上っていたのは、ちょうどここの部分です。
ローマに行ったら、とりあえず一度は上ってみる価値はあると思いますよ。
さあ、いよいよクーポラにチャレンジです。ここからは、自分の足だけが頼りです。
中に入ると、いきなりそこはクーポラの回廊です。
下から眺めると小さく見えるモザイクも、実はとても大きなものだったんですね。
下をみると、「サン・ピエトロの椅子」が小さく見えています。
上を見上げると、すぐそぱにクーポラの装飾が。細かいところまで、ていねいに装飾されています。
また、よくみるとクーポラが16枚のアーチで構成されていることがわかりますね。
さあ、ここからは二重構造になっている屋根のすきまを歩いて、てっぺんまで行きます。
こんなに狭いらせん階段をぐるぐるとまわりながら進みます。
クーポラに沿って進むので、上のほうに行くと、通路はこんなに斜めになっています。
サン・ピエトロ大聖堂 | |
石鍋 真澄 | |
吉川弘文館 |
サン・ピエトロ大聖堂のクーポラへは、エレベーターで大聖堂の屋根まで上り、
そこから徒歩でクーポラの一番上まで行くことができます。
まずは、エレベーターで屋上まで行ってみましょう。
屋上のエレベーター乗り場です。エレベーターは上り専用と下り専用が別々にひとつずつあります。
屋上は意外にごちゃごちゃしていて、たくさんの建物が建っています。
クーポラは、ここからならさえぎるものなくその姿をじっくりと眺めることができます。
バールやおみやげ物屋もあり、トイレまであります。
教会の屋根の上にいるという感じはまったくしません。
近くで見るクーポラは、下から眺めるのとはまったく迫力が違います。
こうやってそばで見ると、ブラマンテの原案の影響がかなり色濃くみられることがわかります。
これがマデルノのファサードの裏側です。一つ一つの彫像は、近くで見るとかなりの大きさです。
使徒の並び順には、どんな意味があるのでしょうか。
さて、それではいよいよクーポラのてっぺんまで行ってみましょう。
サン・ピエトロ大聖堂前の広い空間がサン・ピエトロ広場です。ベルニーニが設計したこの空間は、カトリックの総本山にふさわしい巨大な空間で、機能性と美しさをかねそなえています。
広場の中央に建てられたオベリスクは、かって聖堂の南側にあたる場所にチルコ・マッシモのような競技場があったときからのものです。サン・ピエトロが逆さ磔にされた場所に建てられているともいわれていますが、実際には空間にアクセントをつけるために置かれたもののようです。
オベリスクの左右には、一対の噴水があります。それぞれ「ベルニーニの噴水」「マデルノの噴水」という名がつけられています。近くを歩くと、けっこう水しぶきがかかります。真冬に来たことがないのでわかりませんが、クリスマスや新年には、そばによったら風邪を引いてしまいそうです。
このしるしは、この地点に立ってみると、広場を囲む回廊の列柱が、すべて一列に重なって見えるというものです。つまり、この地点は半円状の弧を描いて建てられている列柱の円の中心ということですね。
上の写真の地点から見ると、ほら、ご覧の通りです。柱が一本ずつしかないように見えますね。
近くに寄ってみると、柱の下が回廊になっていて、見えていた柱の外側に、もう二列の柱が並んでいることがわかります。
近くで見ると、このスケールです。広場の大きさが想像できるでしょうか?
カラフルな制服に身を包んだヴァチカンの衛兵は、ヴァチカン名物のひとつといってもいいでしょう。
制服をデザインしたのがミケランジェロであること、
スイス人だけが衛兵として採用されていることは、知っている人も多いかと思います。
サン・ピエトロ大聖堂のすぐ脇には、教皇の公邸があります。
衛兵は、教皇の警護のために長いあいだ重要な役割を果たしてきました。
大聖堂の大きな青銅の扉の前に立つ衛兵です。身動きひとつせず立ち続けています。一番絵になる場所です。
車の出入り口脇の詰め所前で微動だにしない衛兵のそばで、
めずらしく一般人と思われる人と会話を交わしている衛兵がいました。何の話をしていたのでしょうか。
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Buon Anno 2012!ということで、新年はサン・ピエトロ大聖堂に初詣?からスタートしましょう。
現在のファサードはマデルノのデザインによるもので、
ファサードそのもののデザインはともかく、全体としての調和という意味では賛否両論あります。
他の教会でもそうですが、マデルノのデザインしたファサードは、
舞台装置の書割のように広場全体を劇場のように見せる効果がありますが、
そのためにファサードの後ろにある構造物と広場は隔てられてしまいます。
サン・ピエトロ大聖堂では、せっかくのミケランジェロのクーポラを隠してしまっているというわけです。
よく見ると、広場のあちらこちらに歴代の教皇家の紋章がかかげられています。
昔は有力な貴族出身の教皇が多かったので、このようなレリーフが残っているのですね。
ファサードのアーチをくぐると、いくつかの扉がありますが、一番右にあるのが「聖なる扉(Porta Santa)」です。
この扉は、25年に一度の“聖年”と呼ばれる年にだけ開かれます。
ちょうど25の倍数の年なので、次は2025年ということになります。ずいぶん先の話ですね。
“聖年”にローマの四大教会のすべての「聖なる扉」をくぐって巡礼すると、
あらゆる罪があがなわれる、ということなので、2025年にはぜひともローマに行かなくては・・・。
上の写真は、ファサード下の回廊です。さすがサン・ピエトロ、すべてにおいてスケールが違いますね。
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トラムの終点、リソルジメント広場(Piazza Risorsimento)です。ここからヴァチカンへは南へ歩いて5分ほど。
城壁に沿って通りをまっすぐ下ると、やがてアーチが見えてきます。
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このアーチをくぐれば、もうそこはイタリアではなくヴァチカン市国、サン・ピエトロ広場ですが、
ちょっと遠回りして正面から大聖堂にお目にかかることにしましょう。
先ほどのアーチから続く城壁は、サンタンジェロ城までつながっています。
この城壁は、有事の際の教皇の脱出路を兼ねていたと言われていますね。
ここがサン・ピエトロ大聖堂への表参道、コンチリアツィオーネ通り(Via di Conciliazione)です。
正面に大聖堂が堂々とそびえていますね。
ここからならファサードにじゃまされずにミケランジェロのクーポラを望むこともできます。
ただ、この通りは昔からこんなに広かったわけではなく、
ムッソリーニがラテラーノ条約がらみで建設したものだそうです。そう聞くとちょっと複雑な心境になりますね。
そして、ついにやってきました、ローマ・カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂です。
ミケランジェロ、ラファエッロ、ブラマンテ、ベルニーニ、マデルノといった
名だたる芸術家たちの汗と悔し涙の結晶ですね。何回来ても圧倒されてしまいます。
さて、聖堂内へと行きたいところですが、
その前にベルニーニが設計したサン・ピエトロ広場をひとめぐりしてみましょう。