Hilton Garden Inn Rome-airport
ローマの空港火災のとばっちりを受けて泊まったホテルです。
空港の駐車場のはずれにあり、シャトルバスで空港から5分くらいです。
深夜3時過ぎにチェックインしたのですが、チェックアウトが12時のため、
ゆっくりと過ごすことができました。
客室はいわゆるシティホテルで、機能優先ですが、不自由することは何もありませんでした。
ビジネスで訪れるなら、100点満点でしょう。
空港の駐車場を経由していく空港行きのシャトルバスが15分おきに出ています。
深夜の場合には、ホテルに電話すると送迎バスがやってきます。
困った時に、本当に助かったホテルでした。
ローマに3~4日間滞在するときにあると便利なのが「ROMA PASS」です。
今年から30ユーロになって、おトク感は少し薄れましたが、それでもじょうずに使えば、安くておまけに便利です。
わたしたちはボルゲーゼ美術館のオンライン予約といっしょにWebで購入しました。
ホテルがボルゲーゼ公園のすぐそばだったので、受け取りも便利だと思ったからです。
このパスは、ローマの美術館(場所は限定されます)の2ヶ所(原則としてはじめに行ったところ)が無料になり、
ATAC(ローマ市交通局)のバス・トラム・地下鉄が72時間乗り放題です。
このパスを使って入場したのは、ボルゲーゼ美術館とサンタンジェロ城、あわせて21ユーロです。
また、バス・トラム・地下鉄あわせて10回以上乗ったので、金額の上では元はとれたかな、という感じです。
それよりも、イタリアの面倒なチケット購入にわずらわされずにすむのが大きいですね。
思いついたらパッと乗りたいものに乗れるので。
話は少しそれますが、地下鉄はやっぱり少し緊張感がありますね。
トラムは混雑することもなく、乗っている人もお年寄りが多いので、リラックスして乗ることができますよ。
Da Fabrizio dal 1956
トラステヴェレでもっともにぎやかなエリアにあるいかにも下町らしいお店です。
Ristoranteと名乗ってはいますが、Trattoriaのように気さくな印象を受けました。
お店のロゴ入りのハウスワインです。料理にあわせて、赤と白のハーフボトルを一本ずつ。
アンティパストはローマらしく「ズッキーニのフリット」と「アーティチョークのユダヤ風」です。
下町にいるのを実感します。
プリモは「スパゲティ・カルボナーラ」。これもいかにもローマの味です。
セコンドは2品。一つ目が「トリッパ・アラ・ロマーナ」。これまたローマを代表する料理です。
ただ、オーダーするときにカメリエーレは「うちは魚料理が得意だから…」と
ちょっと渋い顔をしたのが気になりました。確かにちょっと煮込み足りてなかったかもしれません。
プリモの2品目は「スカンピのグリル」。日本でもよくあるメニューですが、こんなにてんこ盛りでは出てきませんね。
トラステヴェレには星の数ほど料理店があるので、どこに入ろうか目移りしてしまいますが、
ここならハズレはないと思いますよ。
トラステヴェレの西のはずれに「ジャニコロの丘」と呼ばれる小高い丘があります。
この丘のもっとも高いところにあるガリバルディ広場には、
天気のよい日の夕方になると、たくさんの人がやってきます。
ここにやってくる人たちのお目当ては、ローマで一番美しいといわれる夕暮れの風景です。
丘の北側には、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラが、すぐ間近に見えます。
午後8時前。昼の長いローマでも、太陽はようやく地平線にかくれようとしています。
ピンク色に染まる空に、サン・ピエトロ大聖堂のシルエットが浮かび上がります。
丘の東側からは、ローマの街並みを一望することができます。
まだ青みの残る空の下に広がるのは、オレンジ色に染まったローマの街です。
ローマに夜がやってくるのは、もうまもなくです。
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の前の広場は、夕方になるといつも多くの人でにぎわいます。
カフェでくつろぐ人、噴水のまわりでひと休みする人、
そして大道芸人のまわりにはひときわ多くの人が集まります。
時には写真のようにまわりのお客さんを巻き込んでの芸も見せてくれます。
4人の男性が小さな折りたたみイスの上に座って、お互いのひざの上に横たわっています。
それだけなら別に不思議でもなんでもないのですが、
実はこのあと、4人が座っているイスは1つずつ取りのぞかれていくのです。
最後にはイスは1つもなくなってしまいます。
マジックと違って、イスがなくなった4人は、お互い顔を見合わせながら必死でそれぞれを支えあおうとします。
観客はその表情を見ながら大喜びです。
大道芸人はといえば、その横を背の高い1輪車に乗って観客からチップを集めてまわります。
彼ら4人はノーチップなのに…。
さて、そろそろ日も傾いてきました。ローマで一番きれいな夕日を見に行きましょう。
トラステヴェレの中心にあたるのがここサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会です。
4世紀に建てられ、数多いローマの教会の中でも、もっとも長い歴史を持つ教会のひとつです。
修復されているのでしょうが、ファサードには中世のモザイクが当時の雰囲気そのままに残されています。
よく見ると、中央の聖母マリアをはじめとして、描かれているのは全員女性です。
トラステヴェレという地域にあったからでしょうか、内部もバロックの影響はあまり感じられません。
写真ではわかりにくいのですが、床一面コズマーティ様式のモザイクで装飾されています。
内陣は見事なモザイク画で飾られています。どことなくオリエンタルな印象を受けるのは気のせいでしょうか。
近づいてみると、アプシスの壁画は三層に分かれています。
一番下はルネサンス以降のフレスコ画でちょっとだまし絵風、
その上の段はカヴァッリーニによる「聖母マリアの生涯」が描かれています。
ドーム部分は、イエスと聖母マリアが中央に描かれた金色のモザイクです。
「全能のキリスト」のように見ていて圧倒されるようなイエスではなく、
どこかあたたかく包み込んでくれるようなモザイク画です。
振り返ってみると、ファサード裏にはきれいなステンドグラスがありました。
たぶんアプシスのモザイク画より600~700年近くたってから作られたものだと思いますが、
違和感なくこの教会の雰囲気になじんでいました。
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芸術新潮 2007年 08月号 [雑誌] |
トラステヴェレを訪れるときのおともにしたい一冊です。 | |
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この建物、まるでパラッツォのようですが、ここが聖チェチリアにささげられた教会の入り口なのです。
きっとローマビザンチン風のファサードを目印に探して、
なかなか教会に気づけなかった人も多いのではないでしょうか。
門をくぐれば、このように美しい中庭と、端正なファサードに出会うことができます。
聖チェチリアの遺骸は、もともとはサン・カッリストのカタコンベに埋葬されていたのですが、
9世紀になって、ここに運ばれてきたのだそうです。
列柱の色使いは、清楚な聖チェチリアにぴったりですね。
ファサードは改修されていますが、ところどころに当時の碑文などが残されています。
中に入ると、ここもまたアプシスと天蓋を除いて、すっかりバロックでした。
天井にはこれでもかというような豪華な天井画が…。
また、よく見ると天井を支えるアーチの構造が少し独特ですね。
優美な天蓋は、アルフォルノ・ディ・カンビオの作品だそうです。
アプシスのモザイクも見どころなんですが、この写真だとなんだかよくわかりませんね。
主祭壇前には、聖チェチリアが埋葬されていたときの姿を再現した彫刻があります。
まるで眠っているかのような姿です。
(ちなみにサン・カッリストのカタコンベにもレプリカが置かれています。)
トラステヴェレ地区には、昔ながらの庶民的なローマが今も残っています。
街並みはけっして新しくはありませんが、家々は花々で美しく飾られています。
小さな路地の曲がり角でふと上を見上げると、こんな素朴なタベルナコロを見つけました。
表通りから一歩裏に入ると、Vicoloと呼ばれる細い路地がいくつも通っています。
曲がり角を曲がると、突然こんな教会に出会うこともあります。
これはサンタ・マリア・デル・オルト教会(Chiesa di S.Maria del Orto)のファサードです。
16世紀のものですが、どことなくヴェネツィア・ゴシックの雰囲気を持っていますね。
こちらはサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会(Chiesa di S.Francesco a Ripa)です。
ベルニーニの彫刻で有名ですが、残念ながら中に入ることはできませんでした。またのお楽しみですね…。
テヴェレ川にかかるパラティーノ橋を渡った向こう岸は、トラステヴェレと呼ばれるローマの下町です。
そのパラティーノ橋の上からテヴェレ川の上流を眺めると、
古代ローマ時代の橋の名残と、テヴェレ川の中洲であるティベリーナ島を見ることができます。
この橋の名残は「ポンテ・ロット(壊れた橋)」と呼ばれ、ちょっとした観光スポットになっています。
実はこの橋、16世紀に一度再建されたのですが、その後またテヴェレ川の氾濫で流されてしまったそうです。
橋げたを飾るドラゴンのレリーフの頭には、草が生い茂り、きれいな花を咲かせていました。
橋の上ではカモメがひと休み。
テヴェレ川のカモメは、サンタンジェロ城もポンテ・ロットもおかまいなしのようです。
ポンテ・ロットの向こうには、ティベリーナ島がまるでテヴェレ川に浮かぶ軍艦のような姿を見せています。
この島は古くから病院として利用されていて、今でも病院や教会が建てられています。
島の西側とトラステヴェレを結ぶ橋はチェスティオ橋と呼ばれ、何回か修復されてはいますが、
もとをたどると紀元前1世紀のものだそうです。
当時は、今の教会のあたりにエスクラピオの神殿があり、それが病院の起源になっているそうです。
テヴェレ川を渡り終えるとそこはもうトラステヴェレです。さあ「ローマの下町」を巡ってみましょうか。
Ristorante SAPOLI (Hotel Lord Byron 内)
Hotel Lord Byron 内にあるリストランテです。
5つ星ホテルのリストランテだけあって、上品にまとめられていますが、ローマらしい料理をいただくことができます。
店内は明るく、オーナーの趣味でしょうか、このホテルを訪れたと思われる著名人の肖像画などが飾られています。
アンティパストはほとんど食べ終わろうかといったところであわてて撮ったので、こんな写真です。
カナッペの一種ですね。
プリモはカルボナーラです。街の食堂で食べるのとはまたちょっと違いますが、確かにローマの味です。
セコンドはこれもちょっと上品なアバッキオ。ほどよいやわらかさにグリルされています。
ドルチェはイタリアンジェラート。チェリーの風味が新鮮です。
エスプレッソはソーサーだけでなく、蓋つきです。
こういうエスプレッソを飲んだのはいつぶりでしょうか…。
サン・セバスティアーノ門からアッピア街道を1.5マイルほど進んだところに、
ローマ7大聖堂の最後の1つ、サン・セバスティアーノ聖堂があります。
この一帯は緑豊かで、ローマ市街から車で10分ほどの場所だというのがうそのようです。
聖堂が建てられたのは4世紀で、
当時この聖堂地下のカタコンベにはサン・ピエトロとサン・パオロが埋葬されていたことから、
7大聖堂の1つに数えられるようになったようです。
2人の遺骸がそれぞれ今の場所に移された後はサン・セバスティアーノにささげられ、
その後何回か改修が重ねられています。17世紀にはあのシピオーネ・ボルゲーゼが改修を命じています。
カタコンベの入り口は聖堂の右脇にあります。
残念ながら中の紹介はできませんが、ローマでもっとも由緒あるカタコンベです。
中はシンプルな単廊式ですが、シピオーネ枢機卿の好みなんでしょうか。
建てられたころの様子がわかるものは見あたりません。
天井には、それとすぐわかるステレオタイプな構図のサン・セバスティアーノがいました。装飾はバロック風です。
こんなところにいました、シピオーネ・ボルゲーゼ。
自己顕示欲の強い人ですから、礼拝堂の1つも作っているだろうとは思っていましたが…。
大きくはありませんが、こんな美しいクーポラもあります。それにしても、すっかり作り変えちゃったんですね。
こんなサン・セバスティアーノの彫刻も置かれています。
ベルニーニの作ではないと思いますが、ベルニーニを影響を大きく受けていることは間違いありません。
それにしてもこの聖堂、まるでシピオーネ・ボルゲーゼにささげられているかのようですね。
サン・カッリストのカタコンベ付近は、草原が広がり、アッピア街道と並行するように並木道が通っています。
今では多くの車が行きかい、びくびくしながら歩かなければならないアッピア街道を避けて、
こんな道を歩いてみるのもいいかもしれません。
もちろんアッピア街道とは違いますが、はるか昔にこの道を通った人々のようすを思い浮かべながら、
のんびりと歩くことができます。それにしても、何かの映画で見たような並木道ですね。
道の両脇には、舗装されていない歩道もあります。
道端には、こんな花も咲いています。のんびり歩かないと気づかないような小さな花です。
ところどころで野生のけしの花も見ることができます。
アッピア街道へとつながる道には、こんな小さな門もありました。
アッピア街道沿いには、いくつものカタコンベ(地下に作られた共同墓地)があります。
その中でもここサン・カッリストのカタコンベは、初期の歴代教皇の墓所や聖チェチリアの墓があることでも有名です。
アッピア街道沿いにある入り口を入ると、写真のような並木道が続いています。
広い駐車場もあり、ここがツアー客も訪れる観光地になっていることがわかります。
この看板をすぎると、まもなくカタコンベの入り口です。
こんなにちゃんとしたチケット売り場があります。まずはここでチケットを買い、入り口に向かいます。
ここがカタコンベの入り口です。
地下通路は迷路のように張り巡らされているため、迷ってしまわないように必ずガイドが同行します。
イタリア語・英語など、希望する言語ごとに整列してある程度の人数が集まると出発です。
Giapponeseはテープによる案内です。
その場所ごとにガイドの方(私たちの時は神父様でした)がテープを流して説明を聞かせてくれます。
場所が場所だけに、写真をお見せすることができない(撮影はもちろん禁止です)のですが、
初期のキリスト教徒たちの決意や想いが伝わってくる場所です。
ローマの中心、ヴェネツィア広場から出発し、
アッピア街道をめぐるアルケオバス(Archeobus)という周遊バスがあります。
わたしたちはコロッセオ前からこのバスに乗り、アッピア街道沿いのカタコンベや教会を訪れることにしました。
バスは周遊バスによくあるオープンルーフタイプで、8ヶ国語のイヤホンガイドがついています。
乗車時に代金を払うとチケットと使い捨てイヤホンを受け取ります。
ただ座席によってはイヤホンジャックが壊れている場合もあります。
まあイタリアのことですから大目にみてやってください。
ローマ市街の喧騒とさよならするための第一関門がここ、もともとは水道橋だったドゥルーゾのアーチ
(Arco di Druso)です。この付近は道幅がせまく、いつも渋滞しています。
そして、サン・セバスティアーノ門。
改修や修復もされているのだろうと思いますが、とても5世紀の建築物には見えないほどしっかりとしたつくりです。
街道沿いには、いわゆるマイルストーンが1マイルおきに建てられています。
もともとはこんな風に壁があったわけではないと思いますが…。
バスは専用のバス停であれば何回でも乗り降り自由です。
ただし往路と復路では若干ルートが異なるので注意が必要です。
街道沿いにはいくつもの遺跡が残っています。これはマクセンティウス帝の競技場跡だったような…。
こちらはサン・ニコラ教会の遺構です。あっという間に通り過ぎてしまいましたが…。
それでは、いくつかの見どころをめぐってみましょう。
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂からコロッセオに向かって歩いていくと、
その道のちょうど真ん中あたりに古いレンガ積みの壁で囲まれた建物が見えてきます。
この壁の内側がサン・クレメンテ教会です。
ファサードはマデルノによって改修されたようですが、
全体の雰囲気を見るかぎり、昔の面影を残したデザインになっているようです。
マデルノさん、ここでは「ぶちこわし」はしなかったようですね。
内部も内陣を残してほとんど改修されています。
天井の装飾は豪華で美しいのですが、全体としてみると違和感いっぱいです。
アプシスの部分だけは中世のままの姿です。
モザイク画の羊、聖人はよくある題材ですが、十字架のまわりにはたくさんの丸い模様が…。
この教会には、地下にさらに古い時代(4世紀)の教会が残っています。
壁面には、あちこちにフレスコ画が残っています。
地下の礼拝堂です。祭壇は新しく、長い期間ここが実際に利用されていたことがわかります。
キリスト教が公認される前は、みんなこんなところで集まって祈りをささげていたのかな、
なんてことを想像させる場所です。
ただし、実際に礼拝堂がつくられたのはキリスト教の公認より後のことです。
この教会には、実はさらに地下にある場所があるのです。
地下2階にあたるこの通路はまるで廃墟のように見えますが、つくりはかなりしっかりしています。
ポンペイの街並みを思い起こさせますね。
実はここには、もともとミトラ教の神殿があったのです。
キリスト教がミトラ教にとってかわっていった象徴的な場所というわけですね。
そして、現代のローマではなかなか見ることができない、
キリスト教以前のローマの宗教のようすを伝える貴重な遺跡でもありますね。