ゆっくり見てまわろうとしたら、まるまる一日かかるヴァチカン美術館。
私たちも半日以上美術館の中ですごしました。
そんなときに便利なのが、一階にあるセルフサービスレストランです。
味はそれなりですが、なんと言っても手軽に食事ができるのが一番です。
カフェテリアも併設されていて、エスプレッソを楽しむこともできます。
メニューはあらかじめ決められたものの中から選択するスタイルです。
これはCセット。パスタ・セコンド・ドルチェはそれぞれ2~3品の中から選ぶことができます。
でも18ユーロ50チェントはちょっと高いですね。
こちらがAセット。セコンド・ドルチェだけで、プリモはつきません。
12ユーロです。大学の学食みたいですね。
「せっかくのローマなんだから、おいしいものを」という人にはおすすめしませんが、
まあ見学コースの一部だと思って立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。
天井のフレスコ画が美しい階段をいくつも下っていくと、いよいよヴァチカンの至宝、システィーナ礼拝堂です。
入り口は廊下の途中突然に現れます。特になんということはない小さな入り口から一歩中に入ると…。
壁という壁に描かれたフレスコ画。その圧倒的なスケールに思わず息をのみます。
ミケランジェロの天井画はもちろん、ボッティチェルリやギルランダイオの壁画も、
他では見ることができないすばらしい作品ばかりです。
正面入り口の上には、だまし絵で窓がかかれています。
こうして見ると、ミケランジェロの描いた天井部分がより一層鮮やかな色彩で描かれていることがわかります。
ダ・ヴィンチが多用した空気遠近法を嫌い、絵画を彫刻のようにくっきりと描く
ミケランジェロの個性がよく出ていますね。
こちらは天井部分です。「アダムの創造」が写真中央やや右下に描かれています。
こちらも驚くほど鮮やかな色彩です。
そして、これが「最後の審判」です。
これだけの巨大な作品をたった一人でかきあげたミケランジェロの精神力には、ただ驚かされるばかりです。
それにしても、ミケランジェロは筋肉好きですよね。
ちょっとだけ気になったのは、礼拝堂の中が静粛な雰囲気とはほど遠かったことです。
もともと小声で話しても音が響きやすい構造になっているのに加えて、中にはあふれんばかりの見学者。
それぞれが少しずつささやきあっているので、礼拝堂の中は絶えずざわめいています。
警備員が何度も「Silenzo!」と注意するのですが、しばらくするとまた元通りに。
また、フラッシュをたいて撮影する人のストロボライトやシャッター音なども気になりました。
これだけの作品ですから、ぜひ静かにじっくりと鑑賞したいと思うのですが、どう思いますか?
システィーナのミケランジェロ (ショトル・ミュージアム) | |
青木 昭 TV局のディレクターとして、システィーナ礼拝堂の修復作業の記録責任者となった 著者が語る、ミケランジェロと修復をめぐるエッセイです。 |
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小学館 |
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システィーナ礼拝堂を出ると、今度はヴァチカン図書館です。
疲れてきていた私たちは、ぼんやりとながめてまわっただけですが、
装飾の美しさには目を見張るものがあります。
上の写真は、ウルビーノ8世の回廊です。宝石箱のようですね。
これは、サン・ピエトロ広場にオベリスクを立てるときの様子を描いたフレスコ画です。
現在の大聖堂の姿になる前の姿がよくわかります。
16世紀のパンテオンが描かれた板絵を見つけました。当時はこんな風に鐘楼があったんですね。
かなり違和感を感じるのは私だけでしょうか。
この回廊を通り抜けると「システィーノ5世の間」です。
あまり知られていませんが、この「システィーノ5世の間」の装飾は必見です。
システィーノ5世といえば、ローマの街を大改造した教皇ですよね。
システィーナ礼拝堂を見たあとには、ぜひ図書館にも立ち寄ってみてください。
「ラファエッロの間」のある建物のとなりには、「ボルジアの塔」と呼ばれる建物があります。
この建物と「ラファエッロの間」の階下の部屋をまとめて「ボルジアの居間」と呼んでいます。
これらは教皇アレッサンドラ6世の居住空間でした。
アレッサンドラ6世は本名をロドリーゴ・ボルジア(Rodrigo Borgia)といい、
息子はあのチェザーレ・ボルジア、娘はルクレツィア・ボルジアです。
現在は近代絵画の美術館になっているため、建物の下半分は当時の面影はありませんが、
天井から梁の上までは当時の装飾がそのまま残っています。
太陽や月をモチーフとした装飾は、どことなくパドヴァのラジョーネ宮を連想させます。
一目見て、他の場所とは時代が違うことがわかりますね。
ボルジア一族は、その悪い評判から後世の教皇たちがこれらの部屋を嫌って
ほとんど利用しなかったためだとも言われています。
ちなみにフレスコ画は、ピントゥリッキオが描いたものです。
他にも興味深い絵はあったのですが、残念ながら暗い部屋ばかりで、きれいに写真が撮れませんでした。
確かにラファエッロと比べたら地味かもしれませんが、いい絵がたくさんあるのになぁ…。
もう少し何とかなりませんか、ヴァチカン美術館の担当の方。
上のフレスコ画は、9世紀に教皇レオ4世がボルゴで起きた火災を十字を切ってしずめた、
というエピソードをもとに描かれたもので、この部屋が「火災の間」と呼ばれているのも、この絵からきています。
こちらは「カールの戴冠(Incoronazione di Carlo Magno)」です。
神聖ローマ帝国の始まりですね。世界史では必ず出てくる場面です。
この絵は、ラファエッロは下絵だけを描いて、あとは弟子たちに任せたといわれています。
ラファエッロの絵からは、ミケランジェロやダ・ヴィンチのような執念のようなものが感じられないのは、
そのせいかもしれませんね。
こちらは「オスティアの戦い(Battaglia di Ostia)」です。
以前から続くキリスト教世界とイスラム教世界の争いを描いています。
こちらも弟子が仕上げているといわれています。この絵と「ボルゴの火災」の色調は、
ミケランジェロの影響を受けているような気がします。
フィレンツェで聖母像を描いていたようなダ・ヴィンチのスフマート風な淡い色使いとは明らかに異なっています。
天井画です。金箔を多用して、宗教画らしい厳かさを強調しています。
この絵はまるでぺルジーノが描いたみたいですね。
これで、「ラファエッロの間」はおしまいです。
いずれの部屋も見どころたっぷりなので、十分に下調べをしてから訪れてくださいね。
ヴァチカン美術館でもっとも有名な絵画のひとつ
「アテネの学堂(Scuola di Atene)」があるのが、この「署名の間」です。
この絵については、いまさら私が説明する必要はないでしょう。
こちらは「アテネの学堂」の向かいにある「聖体の論議(Disputa del Santissimo Sacramento)」です。
同時代の画家の長所をすぐに取り入れて作風が変わり続けたラファエッロですが、
この絵は師匠であるペルジーノの影響が感じられます。
天井画も、もちろんラファエッロ。ここでは、聖母子像を描くときのような柔らかなタッチが見られます。
たった一人でシスティーナ礼拝堂の天井と向き合っていたミケランジェロとは違い、
弟子たちを指揮し、自分自身で筆をとることは少なかったといわれているラファエッロですが、
この部屋に関してはほぼ1人で描きあげたようです。
器用で遊び人だったラファエッロ。ミケランジェロやダ・ヴィンチとの生き方の違いが、
仕事への取り組み方にもあらわれているのでしょうか。
さあ、いよいよヴァチカン美術館のハイライト、ラファエッロの間です。
第1室は「コンスタンティヌスの間」。この部屋の壁画は、
ラファエッロの弟子たちによって描かれたといわれています。
写真の下半分に見えるのは「ミルヴィオ橋の戦い」です。ジュリオ・ロマーノの作品とも言われています。
部屋はこのようにいたるところフレスコ画で埋めつくされています。
アーチ部分のアップです。ラファエッロとはタッチが異なることが見てとれますね。
床面はモザイク装飾で、他の部屋とは少し雰囲気が違って見えます。
天井画です。かなりシュールな感じがしますね。
実際に見ると、遠近法の効果で、天井がかなり高いところにあるように見えます。
さあ、次の部屋に行ってみましょう。
地図のギャラリーからラファエッロの間までのあいだには、いくつかの部屋を通っていきますが、
私が特に強い印象を受けたのは、「無原罪のマリアの間」です。
鮮やかな天井画。作者が誰なのか知りたかったのですが、よくわかりませんでした。
ただ、この部屋が現在のようになったのは19世紀らしいということだけが理解できました。
天井の紋章はピオ9世のもの。聖母マリアは“Immacolata”だと定義した教皇ですね。
また、長崎の26聖人を列聖した教皇でもあります。
イタリア軍に教皇領を制圧され「ヴァチカンの囚人」と自分のことを表現したと、
世界史で習ったことがある人もいるかもしれませんね。
紋章のまわりに1858年とあるのは、この部屋を整備した年でしょうか。
壁画も、政治色がミエミエでげんなりする部分もありますが、
ラファエッロの作品と比べても、決して見劣りしません。
その手前には、聖母マリアの像が立っています。
ツアーなどでヴァチカンを回った人は、たぶん素通りしてしまっている部屋でしょうが、
もう一度訪れる機会があったら、ぜひ足を止めてみてください。
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今回は「地図のギャラリー」に展示されている地図を紹介していきましょう。
まずはイタリア全土の地図です。
イタリアが統一されたのは19世紀のことですから、まだ国家としての概念はなかったはずですが、
ローマ教皇の権威がおよぶ地域としてのイタリアが存在していたのでしょう。
これは地図の一部に描かれたウルビーノ市街のイラストです。
その下にバルベリーニ家の紋章が描かれているのがわかるでしょうか。
この当時、ウルビーノはヴァチカンにとっても重要な都市だったようです。
これはどこの地図かわかりますか?
南が上になって描かれているのでわかりにくいかと思いますが、現在のカンパーニャ州です。
ガエータ湾からナポリ湾、ソレント半島にカプリ島までが描かれています。
こちらはフェッラーラ公国です。上のほうにポー川が流れていますね。
このころ、この地域を支配していたエステ家が教皇によって追放され、この一帯は教皇領になっていたはずです。
地図の左下には、フェッラーラ市街のイラストと、星型要塞(どこかの小都市?)が描かれています。
スポレートのイラストです。
文字が書かれていなくても、すぐにスポレートとわかるくらい、現在までこの当時の街並みが保存されています。
こちらは湖水地方です。中央に描かれているのがガルダ湖ですね。
これも南が上に描かれています。
現在のリグーリア州です。
海の中に描かれたイラストが楽しいですね。
一番上に描かれている陸地はコルシカ島です。
これはサレルノ公国です。
「キリストはエボリにとどまりぬ」という有名な小説がありますが、
エボリ周辺まではローマ教皇の影響力がおよんでいたことがわかります。
左上の海はターラント湾で、アドリア海方面のバシリカータやプーリアは描かれていません。
レッチェではこのころバロック建築が花開いていたころだと思うのですが・・・。
最後に紹介するのは、教皇領です。
今のラツィオ州の一部で、ヴィテルボやモンテフィアスコーネを含む地域です。
まだまだ紹介したい地図はたくさんあるのですが、みなさんもぜひヴァチカンへ行って、自分の目で見てください。
大燭台のギャラリーから、タペストリーのギャラリーを抜けると、とてつもなく派手な天井のある廊下にでます。
ここが「地図のギャラリー」です。
展示されている地図については、この次に紹介するとして、今日はこの「天井」に注目してみましょう。
詳しく見ると、全体としてはバロック風ですが、グロッタ様式の装飾で構成されているようすがわかります。
ベースが緑色なのも、他とは違った印象を与える理由でしょう。
それにしても、よくもまあこれだけの装飾をしたものだなぁ、と感心するばかりです。
通路の扉上の装飾も派手なつくりです。
ボンコンパーニ家出身のグレゴリオ13世の紋章が、これ見よがしに飾られていますね。
グレゴリオ13世は、グレゴリオ暦を採用した人ですね。自然科学に興味があったんでしょうか。
これは別の通路の扉上の装飾です。
グレゴリオ13世の紋章の下には、もうひとつ紋章があります。
蜂が3匹。バルベリーニ家の紋章ですね。ウルバヌス8世も何かしらこのギャラリーにかかわっていたんですね。
それにしても、みんな自己主張が強いですね。
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ピオ・クレメンティーノ美術館を過ぎ、階段を上がると「大燭台のギャラリー」があります。
ギャラリーとはいっても、いわゆる廊下なのですが。上の写真が入り口の様子です。
名前の由来にもなっている大きな燭台が左右にあるのがわかるでしょうか。
天井では、教皇レオ13世が「このギャラリーは、私が依頼して現在の姿になったんだからね」と主張しています。
まあ、主張したくなるのがわかるくらい、天井の装飾は見ごたえがあります。
一方、展示されているものといえば、玉石混交で雑多なものが展示されています。
上の写真はたくさんの胸を持つ豊穣の女神ディアナ(アルテミス)ですが、
どこから見ても後世に作られたレプリカとわかります。
これは何かの柱頭部でしょうか。古代ローマの生活が再現されています。
ブタ(イノシシ?)を調理しようとしている家族がいるかと思えば、彫刻を彫っている?人もいて面白いですね。
こちらは大きな彫刻の「足」です。
軍足(エスパドリーユ)を履いているので、兵士の姿をした彫刻だったのでしょう。
再び天井を見上げると、すみからすみまで、ていねいに装飾がなされています。
ミケランジェロの天井画にも感服しますが、これだけのものを仕上げる労力を考えると頭が下がります。
ギャラリーの出口の扉には、これまたごていねいにレオ13世の胸像が飾られています。
日本の歴史で言うと、日清戦争の頃の人ですから、ローマ教皇の権力もそれほどは強くないはずですよね。
良くこれだけの財力があったなあ、と感心してしまいます。
まるでパンテオンそっくりの天井。ここが18世紀につくられた「円形の間(Sala Lotonda)」です。
ごらんのように、ぐるりとニッチが設けられ、そこに彫像が置かれています。
床のモザイクも古代ローマ時代を模して作られたのでしょう。
ピアッツァ・アルメリーナやポンペイをほうふつとさせるデザインです。
でも、パンテオンのできた頃って、まだキリスト教が公認される前では?
ここまでは、古代エジプト文明、ギリシャ時代、古代ローマ時代と、
キリスト教以前の歴史を追いかけてきてるってことでしょうか。
こちらのモザイクは、現代的なデザインです。
これは、「円形の間」のとなりにある「ギリシャ十字の間」の床だったと思います。
「ギリシャ十字の間」には、サンタ・コスタンツィアの棺が置かれていました。
コスタンツィアはコンスタンティヌス帝の娘で、お墓はサンタ・コスタンツィア教会にあります。
結婚式が行なわれていたあの円形(集中式)の教会です。レプリカの棺は前に紹介していますよね。
本物の棺をサンタ・コスタンツィア教会から、ここに運んできてしまったんですね。ローマ教皇って・・・。
「八角形の中庭」から室内に戻ると、そこは「動物の間(Sala degli Animali)」です。
動物をモチーフにした彫刻が数多く置かれています。
この彫刻は、動物の間にあったものかどうかよく覚えていませんが、
この馬の表情、どこか人間的に見えませんか?
特に秀作だとは思いませんが、この表情がなぜか印象に残っています。
こちらも馬が受難にあっています。ヘビは何かの象徴でしょうか?
床面にも、動物などをモチーフにした美しいモザイクがぎっしりです。
天井を見上げると、凝った天井画が・・・。
こちらは「彫像のギャラリー」です。天井の青がとてもきれいです。
その名の通り、ずらりと彫像が並んでいます。でも、圧倒されるのはまだまだこれからです。