日本語では「秘儀荘」と訳されることの多いこのヴィッラは、ポンペイでもはずせない見どころの1つでしょう。
私たちがここを訪れたときにも、何組もの日本人ツアーがガイドに連れられてやって来ていました。
建物はゆるやかな斜面を平らに削って造られており、入場口(住居の入り口とは別)は、
地面を掘り下げて作った回廊のとなりにあります。
ヴィッラにはいくつかのアトリウムがあり、自然光を上手に取り入れています。
ここもアトリウムです。そして、これらとは別にぺリストリウムがあります。
台所とおぼしき場所のそばには、半分埋もれたままの壺が…。
たぶん客間です。写真ではよくわかりませんが、床のモザイクも見事です。
そしてここが有名な「ディオニュソスの秘儀」のフレスコ画の部屋です。
本来はダイニングルームだったとされていますが、フレスコ画の題材から見ても
、特別な祭事の時に利用されていたと考えられています。
「ポンペイの赤」の象徴的な壁画です。
こちらは一転して、黒を基調にして装飾された部屋です。応接間だと考えられています。
ヴィッラの裏手から外に出たところです。まわりをブドウ畑に囲まれているため、
緑の少ないポンペイでは数少ない一息つける場所でもあります。
ポンペイを訪れたときには、ぜひ足を伸ばしてみてください。
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古代ポンペイの日常生活 (講談社学術文庫) |
ポンペイの見どころの1つ、ヴィッラ・デイ・ミステリは、当時の市街を囲む壁の外側にあります。
郊外というほど街から離れているわけではありませんが、ヴィッラと呼ばれていることからもわかるように、
いわゆる貴族の別荘だったようです。
遺跡の北西にあるエルコラーノ門からヴィッラ・デイ・ミステリへと続く道沿いには、
多くの有力者のお墓が残されています。
ちょうどローマ市街地を出てすぐのアッピア街道沿いに多くの墓地があるのと似ています。
通りはごらんの通り、立派な石畳で、街道と呼んでもさしつかえないでしょう。
(もしかすると、この石畳も復元されたものかもしれませんが…)
ご覧の通り、立派なお墓がいくつも並んでいます。
カタコンベかな?と思えるような場所もあります。
これは女司祭マミアのお墓です。
こちらはカルペンティオとネヴォレア・ティケのお墓です。
どんな人物だったのかは、あまりよくわかりません…。
というわけで、街道沿いの墓群を眺めながらしばらく歩くと、いよいよヴィッラ・デイ・ミステリ です。
ポンペイ遺跡の街はずれ、南東の隅に円形闘技場があります。
古代ローマにおいて、闘技場は“パンとサーカス”と呼ばれた統治を行う上で非常に重要な場所であり、
古代ローマの都市にはほとんど例外なくそのなごりを見ることができます。
闘技場へと続く道は、木々に覆われています。すぐそばには、大規模な運動場(錬兵場)もあります。
外観は、復元されているのでしょうか、かなり保存状態がよく、原型がはっきりとイメージできます。
ここが入り口です。
客席へ向かうための通路です。ヴェローナのアレーナなどと比較すると、天井がかなり低いことがわかります。
おそらく、建設された当時の石板でしょう。左端がかけているのでよくわかりませんが、
(完全な形で残っていても読めませんけど…)
建築にあたって費用を負担した当時の有力者をたたえてつくられたもののようです。
闘技場の内側です。観客席とのあいだの壁が低く、客席の傾斜もゆるやかな感じがします。
ローマのコロッセオが東京ドームだとしたら、ポンペイのこれはできたころの西武ドームみたいといえば、
わかる人にはわかるでしょうか…。
ポンペイの遺跡は文字通り「街」なので、ただ通りをぶらぶらするだけでも楽しめます。
通りを1つ曲がると、そこにはまた違った光景が広がっています。
まずは栄光の門のそば、悲劇詩人の住居近くです。フォロにも近いこのあたりは多くの人でにぎわっています。
きっと昔も往来の多い場所だったのでしょう。
こちらは典型的な裏通りです。歩道がずいぶん狭くなっていますね。
当時は裏通りにはインスラ(古代ローマの高層集合住宅)なども多かったでしょうから、
日当たりはもっと悪かったかもしれません。
ここは街の北西のはずれ。左へ行くと、エルコラーノ門を経てヴィッラ・ミステリへと至ります。 ここが街の一番北、ヴェスヴィオ門から続く通りです。通りの左手が未発掘なせいもあるのでしょうか、どことなく閑静な住宅街だったのでは?と思ったりしませんか。
アッボンダンツァ通りの東のはずれには、2つの大きな邸宅の跡が残されています。
その1つが“オクタヴィウス4世の邸宅”です。この住居は、庭園に人工の川が流れているのが特徴です。
入り口を入るとすぐに中庭(アトリウム)がありますが、
本来正面にあるべき応接間がなく、裏の庭園まで見通せるようになっています。
ここにも白い部屋がありました。この部屋は何か祭壇のようなものが置かれていた部屋のようです。
壁の真ん中に小さく描かれているのは、古代エジプトの神々です。
こちらは食堂のようです。全体的に簡素な印象をうけます。
水が流れ出ていたと思われる場所には、神殿風の屋根を持ったくぼみがあります。
ここには何かの像が置かれていたのでしょうか。
川のちょうど真ん中にあたる場所にも、神殿風のあずまやが建てられています。
遺跡の西側、古くからの市街地に建てられている商人の住居と違って、
どことなく瀟洒な印象を受けるのは気のせいでしょうか。
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優雅でみだらなポンペイ―古代ローマ人とグラフィティの世界 |
剣闘士の死闘に人びとが歓声をあげた闘技場や 男たちが一晩中飲み騒いだ居酒屋、そして密かに通った娼家。 ポンペイの壁に残された落書きから、 古代ローマ人の姿をいきいきと再現しています。 |
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講談社 |
「悲劇詩人の住居」から東へ少し行ったところに、この家があります。
ポンペイといえば“赤”のイメージが強い中、この家は青を基調とするフレスコ画が多く残っています。
この部屋は応接間として使われていた場所で、
床のモザイクも含めて、当時の富裕層の家の応接間の様子がよくわかります。
通りに面したところからは直接見ることはできませんが、見て損はないと思います。
おそらくツアーではまわらない場所なので、ゆっくり静かにくつろげる?のもメリットでしょう。
ちなみに、この家の名前のもとになっている「狩りの絵」は、
青い壁面の下のほうにある白い背景の小さな絵がそうです。
ちょっと拍子抜けする感じは、日光で「眠り猫」を見つけたときの気分にも似ていますね。
こちらは食堂です。白い壁面が印象的です。
住居の一番奥には、小さいながらも庭園の跡もあります。真ん中の丸いくぼみは噴水だったのでしょうか。
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ポンペイの家々の床には、さまざまなモザイク装飾がほどこされていますが、
このモザイクは、ある意味ではポンペイで一番有名なモザイクかもしれません。
ポンペイに一度もいったことがない、という人でも、
絵葉書や写真などで一度は見たことがあるのではないでしょうか。
このモザイクは“悲劇詩人の家”と呼ばれる住居跡の玄関部分にあり、私たちが訪れたときも人だかりがあったので、
場所はすぐにわかりました。
実物は、絵葉書などで見るより退色して損傷も激しく、
「犬に注意」という文字もはっきりとは読み取れませんでした。
が、あちらこちらでこのモザイクをモチーフにしたお土産が売られていることからも、
知名度の高さがうかがえます。
現代のポンペイの犬たちはといえば、暑さのせいもあるのでしょうが、どことなく覇気がないように感じられます。
もちろん、食事に不自由しない飼い犬と、その日暮らしの野良犬との違いはあるのでしょうが…。
ポンペイに残っている住居跡のうち、最も大きなものの1つです。
ぺリスティリウムと呼ばれる大きな中庭が見どころです。
ここがそのぺリスティリウムです。久しぶりに復元予想図(カレンダーを撮影)を見てみましょう。
中央のくぼみには水が張られていたんですね。
ところで、この住居の名前の「ファウヌス」ですが、ここに住んでいた人の名前ではなく、
中央にある像のモチーフになっている牧神の名前なんです。
ちなみにこの像は「踊るファウヌスの像」と呼ばれているそうです。
また、このペリスティリウムの奥の部分には、
アレクサンダー大王の戦いの様子を描いた見事なモザイクがあります。
(といっても現地にあるのはレプリカで、本物はナポリの国立考古学博物館にあります。
ちなみに「踊るファウヌスの像もやっぱりレプリカで本物は同じくナポリにあります)
また、ペリスティリウムの手前にある応接間にも、床に見事な幾何学模様のモザイクがあります。
一見何の変哲もないデザインですが、古代ローマの神殿などによく使われたデザインだそうで、
この邸宅の設計者がそれなりに名のある人物だったことがうかがえます。
敷地内には、使用人たちが住むためのインスラなども建てられていたようです。
いったい家の持ち主はどんな人だったのでしょうね。
マチェッルムとは、マルシェ(=マーケット)のことで、いわゆる市場です。
今のイタリア語でいうとメルカートということになるのでしょう。
このスペースの真ん中には円形のトンガリ屋根の建物があり、
多くの生鮮食料品を扱う店が並んでいたようです。
立派な入り口です。現代のイタリアの街のメルカートだって、
こんなに立派な門が建てられているところは少ないでしょう。
入ってすぐのところは、柱廊になっていて、壁面には今もフレスコ画が残されています。
もしかすると、外壁に沿って柱廊がめぐらされていたのかもしれません。
門をくぐってすぐ左手の内壁です。いかにもポンペイらしいフレスコ画で飾られています。
そして、なぜかここに大噴火で亡くなった人の石膏型が…。
その石膏型や瓶や壺が大量に保管されている場所もありました。
ちなみにこの写真はマチェッルムとは別の場所です。(もしかするとレプリカ工場かも)
古代ローマ人は、仕事を午前中で終えると、午後はそれぞれ自由に時間を使っていたようです。
公共浴場へ行くのも、楽しみの一つだったのでしょう。
公共浴場は、単に入浴のための施設ではなく、市民の憩いの場でした。
たいていの浴場には運動場が併設されていて、入浴前には運動で汗を流す人もいたようです。
入ってすぐには、美しい装飾のほどこされた脱衣場があり、
ここにはたくさんの書物も置かれていて、読書をすることもできるようになっていました。
脱衣場
脱衣場の壁面の装飾
衣服を脱いだ人たちは、まずたいていはテピダリウムと呼ばれるやや温かい部屋に入ります。
ここで熱い浴槽のある部屋に入るための準備をします。
次にカリダリウムと呼ばれるお湯を張った浴槽のある部屋で体を暖めて、汗を流します。
この部屋には冷たい水の出る噴水もあり、火照った体を冷やすこともできたようです。
カリダリウム
カリダリウムの浴槽
カリダリウムの噴水
最後に、フリギダリウム(水浴室)と呼ばれる部屋で水浴びをして、 入浴が終わります。
もちろん、そのあいだにそれぞれの部屋では、さまざまな話題の会話がはずんでいたことでしょう。
フリギダリウム
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ポンペイは、他の多くの古代ローマの都市と同じく、共和制をしいていました。
都市にはデクリオネスと呼ばれる終身制の都市参事会員が存在し、行政を担当していました。
ここには「ホルコニウム・プリスクムさんに投票しよう!」というような内容が書かれています。
もしかすると、本人が書いたのかもしれませんね。
役職はよくわかりませんが、2人が選ばれる役職らしいので、執政官のような役職の選挙でしょうか?
(正確にご存じの方、教えてください。)
おそらくコレが、現存する世界最古の選挙掲示板ではないでしょうか。
昔の人たちも、やっぱり選挙は大変だったんですね。
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