JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

避難生活 Vol.1

2011年03月20日 | y-その他

日々いろんな方にご心配いただき私は幸せ者です。学生時代の友人、チャリンコなんて、居住場所まで心配してくれていますが、幸いにも姉の家で充分なスペースをいただいていますのでその点はご安心下さい。

といっても、問題が無いわけではありません。避難生活最大の悩みは、じつは怒られそうな事でして・・・・・・・
暇なんです。
そんなこと言っちゃバチが当たることは充分承知しています。ただ、仕事をするでもなく、かといって家事を手伝うといっても勝手知らない姉の家、へんに手出しをするとかえって迷惑をかけます。さりとて、釣りだのゴルフの打ちっ放しだのパチンコだのといった娯楽に興ずる気も起きない、テレビで災害地の様子を見るのもなんとなく気が重いし、近くに住む友人と飲むわけにもいきませんしねぇ

それじゃあどうしているのか?
一昨日は同じ避難組、S君と再会してきました。
S君の避難場所、息子さんのアパートも姉のマンションも同じ南部線沿線にあるということで、チラッと会おうかということになったのです。
待ち合わせ場所は「溝ノ口」。
まっ会っても「互いに知る範囲での情報交換」程度で、あとは「どうすれば帰れるか、でも現状では難しい」と、今は諦めねばならぬ心情を愚痴りあうくらいで、進展はないんでありますが、それでも会っただけでいくぶん心が落ち着くのは友であればこそでしょうか。

ところで、私にとって約30年ぶりの「溝ノ口」でしたけど、いやはやビックリですよ。
私の「溝ノ口」に対するイメージは、茶色?汚い?そんなんだったのが(昔から住んでいる方には申し訳ありません。)・・・・ア~~タ、浦島太郎常態、まったくその面影もありません。
30年という年月はこれほどまでに大きいものなんですね。

だからというわけじゃありませんが、昨日は独り、学生時代約3年間過ごした「相模大野」に行ってみました。
いやはや「溝ノ口」どころの話じゃありませんね、駅はもちろん周辺全てが別の場所に来たような大都会に変貌していました。
「家賃8000円の二階なのに水害にあったあのアパートは・・・・」
とうぜん残っているわけもありません。いやそれどころかおおよその位置すら分からないしまつ、ちょっと寂しい気持ちになってしまいました。

いかに長い年月がたったのか痛感しながら、帰りはこれも思い出の地「向ヶ丘遊園」の駅から姉のマンションまで歩いて帰ることにしました。
南口を出ると・・・・・
「おおおお!」
「溝ノ口」と「相模大野」の変貌ぶりに驚嘆した私の目の前に、たしかにモノレールの駅跡が自転車置き場になってはいたものの、ほぼ記憶にあるその姿があるではありませんか。
「うんうん、これだよこれ」(笑)
それでね、ふと思い立ったのです。
「ガロに行ってみよう」



ありました。まぎれもなくあの『ガロ』です。ここは浦島太郎常態ではなく、時が止まってるがごとく、まるで記憶のまんまの『ガロ』です。
残念ながら営業はされていませんでしたが、なんだかホッとした気分で帰ることが出来ました。

って、私、こんな毎日をおくっていていいんでしょうか?
「あせってもしかたないんだから」
と、姉夫婦は言うんですけど・・・・・正直、あせってます。