ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

総選挙・長すぎた序章!

2009年08月18日 | 日本の課題
 いよいよ衆議院総選挙が公示され、現在の定数は300小選挙区と11の地域ブロックでの比例代表をあわせて、480議席の新しい衆議院議員、別の名を「代議士」を選出する国民の権利と義務である、大切な国政選挙が始まった。

 昨年9月に「選挙管理内閣」とまで称されて自民党の総裁となった「麻生太郎」首相の下、ほぼ一年近く、「解散・総選挙」が取りざたされた挙句の、初の「八月総選挙」として幕が切って落とされたのである。

 一年近くにわたって、「私の責任で行う」と常に語っていた「麻生総理」にとっては、もう後がない相撲で言えば「徳だわら」に足がかかった「背水の陣」での解散・総選挙となった。

 ともかく、国民、有権者の多くは、いつ解散・総選挙があっても可笑しくないというムードのマスコミ報道を見聞きしながら、なんと約一年近く待たされたわけだから、もう少々飽きたような白けムードも伴っているのではないだろうか。

 その上、解散から総選挙の投票日の8月30日まで、たっぷり40日もあるわけで、よく政治家たちが言う「政治の空白を作らない」なんて話が「眉唾物」であったことがよく分かる「無責任な選挙」となったのである。

 今回の選挙は小選挙区、比例代表制となって以来、初めて「政権選択」を自民党と民主党が争うという「二大政党政治」の醍醐味を感じさせる「総選挙」となるであろう。

 テレビマスコミだけでなく、いつもの「総選挙当落予想」を展開する週刊誌などによれば、驚くなかれ、とんでもない民主党の地すべり的勝利の予想が掲載されていたりして驚いてしまうほどである。

 民主党がなんと300議席を越えて、自民党はわずか50議席を下回るという、大胆予測まで飛び出していて、党関係者や候補者たち周辺では、「厳しい選挙」というムードを通り越して、「如何に負けるか」といった「あきらめムード」もあるとしている。

 しかし、国民、有権者たちは、今日から12日間の「選挙運動期間」内の明日からの事前投票と8月30日の「投票日」投票で、小選挙区立候補者と比例代表区の政党を選択すればいいので、まだ時間はあるのである。

 総選挙の公示がされて、各立候補者をはじめ政党、選挙事務所関係のインターネットのホームページやブログなどの書き込みや選挙運動につながる利用は、いまだ禁止されているので、ほとんどの有権者は生の選挙運動や主張を見たり聞いたりするには、街頭演説や演説会などしかないのである。

 「マニフェスト選挙」と言われて久しいが、「政党マニフェスト」よりも、候補者個人の主張と人柄などの情報の方が大切なのだが、ほとんど観たり聞いたりできないまま、投票する候補者を決めざるを得ない状態となっていると思う。

 皆さん、総選挙の際には必ず「最高裁判所裁判官審査」も行わるのだが、いつも一番初めに記載された裁判官に×が多くなるだけで、ほとんどの人が記載しないために、「罷免される」ことはないのだ。

 制度だけが一人歩きしている感の強い、この審査方法以外に、評価する方法はないのだろうか。

 
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50年来の親友と。

2009年08月17日 | 感じたこと
 夏休みをとって、のんびり一人旅で広島、福山を訪問中。

 64年経った敗戦の日の一昨年は、1日中、広島で過ごした。

 昨日からは、福山に住まう小学時代からの旧友を訪ね、いろいろと語り合った。 
 福山は広島県第二の都市なのだが、県東部に位置し、岡山県に近い昔の備後の国であり、県央の安芸の国とは文化圏が異なると言う。

 私には同じ広島弁に聞こえる方言にも違いとこだわりがあるみたいだ。だ。

 福山駅前の喫茶店で耳にした「じゃけぇ」や「しんさい」は全く広島市と同音に聞こえるのだが。未だに廃藩置県前の伝統、歴史、誇りを大切にしている郷土愛というべきか、地域意識の特殊性に感心しつつ、昔話をしながら瀬戸内海をのぞむ「しまなみ街道」を走り、生口島の平山郁夫美術館へと向かった。

大好きな日本人の画家の一人だったが、瀬戸内の島の出身とは知らなかった。

 大作の数々の下絵や幼少期の絵日記風の原画も展示されてたが、自分自身の小学生時代の絵日記と比べるのも恥ずかしい感じのデッサン力であった。

 やはり平山郁夫画伯が天才的画家であることは間違いないのだが、作画するモチーフの選択とロケーションの構図の創作力に優れている人だと痛感した。

 確かに平山郁夫を世界的に有名にした「シルクロードを歩いた」旅だけでなく、全ての作品のモチーフとなった現地に取材はされているのだが、下絵とされるデッサンと最終的な完成作品を見比べてみると、さらに平山画伯の苦心と芸術性が感じられる。

 私の大好きな駱駝や満月を描いた作品も数点あり、なんとも深みあるエキゾチックなモチーフでありながら、「月は全世界を照らしている」とでも言わんばかりの迫力とエネルギーを感じた。

 夕日が沈む瀬戸内海の海を見ながら、尾道の港に近いフレンチレストランへと車を走らせ、「京都からようこそ」というプレートを手に夕食を共に楽しんだ。

 福山の友人宅に一泊泊めていただくこととなり、男同士で朝方の五時過ぎまで、昔話や政治、仕事、家族、現在などを語り明かした。

 お互い、酒も飲まずにお茶とジュースを口にしながら、よくも「修学旅行の夜」の如く語り合ったものであった。

 いくつになっても、持つべきは友であり、長く直接会っていなくても、いつも親しく遠慮なく語り合える親友の良さを改めて感じたものである。

 一昨年の初春に連れ合いを癌で亡くした友人の遺影に見つめられての一晩となったが、彼の健康とご家族の幸せ、そして仕事に難なきと祈る思いであった。

 ついでだが、「広島」という名は、400年以上昔に毛利元就が築いた城が、湿地帯のいくつかの島の内で、一番広い島に築城したために「広島城」と名づけられたところから、地域の名も「広島」となったそうである。

 ゆっくりと「広島」に行って、名の由来と共に、戦争と原爆をなくし、、平和と友人たちを大切にと改めて感じた旅であった。
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広島から。

2009年08月15日 | 感じたこと
2009年8月15日、戦後64回目の終戦の日。

 広島駅構内カフエで朝食を取りながら行き来する人たちを見ていると、全く平和なもんである。

 少し雨が降って路面が濡れた町も64年前の面影は感じられない。
 老若男女が各々の目的に向かって足早に通りすぎる。

しかし、曇天の灰色の空を見上げると、何やら先入観のせいもあって不気味な暗雲にも感じてしまう。

さて、まず終戦のきっかけとなった世界初の実践的被爆の爆心地に近い「広島平和記念公園」へ向かうことにする。

 そこで、平和を祈る鐘をついた後、原爆ドームを象徴とする広島平和記念公園を歩き、最後に原爆資料館を見学した。

ほんとうに多くの方々が来られていて、外国人や子供たちも多数いたことは、将来への平和を継続する希望として頼もしくも感じた。

正午、原爆慰霊碑の前で祈った。

 64年前の8月15日を想像しながら、我々の願いを少しでも近づけるためにも声を大にして、地球上で唯一の被爆国の市民として多様な行動を積極的にしなくてはならないと改めて心に誓った。

 テレビでは、核廃絶への様々な議論がされているが、オバマ大統領の核軍縮への道義的責任を感じるとしたチェコのプラハでの宣言は、全ての地球人にある想像力で、「地球と全ての生命と自然を守ろう!」とする全世界の願いでもある。

 広島の秋葉市長も長崎市長もそれぞれの被爆記念の日の挨拶で、オバマの核軍縮についての宣言を評価し、秋葉市長は「オバマオバマジョリティ」という新語を使って、アメリカのリーダーシップの下、日本も「核廃絶」を発信していくと宣言した。

 誰もが、この「広島平和公園」に直接やって来て、様々な被爆の実態、その後の悲惨な後掲被災者の惨たらしい姿に目で触れてみると、「二度とこんな愚かな原爆の使用があってはならない」と思うであろう。

 ぜひ、オバマ大統領だけでなく、世界の首脳、政治的指導者が広島、長崎の64年前の現実とその後に触れて、言語道断の魔の兵器である「原子力爆弾」の廃絶に向けての「話し合い」と「実践的削減」へと動き出さねばならないと感じてほしいものである。

 全世界で、今も民族、部族、宗教、肌の色の違い、経済的格差、地域差別など、多種多様な権力的戦いや衝突が起きている。

 同じ人類が長い歴史上で「戦争を繰り返して」きたことは否めないが、お互いを殺し合い、他の民族、グループを絶滅されるであろう、原爆や化学兵器などでの「大量殺戮」は、人の英知からしてもふさわしくない。

 政治的権力者だけでなく、一般市民がもう少し賢い市民となって、こうした「権力者」の過ちや暴挙を食い止めなければなない時代に突入していると感じている。

 日本だけの平和を祈願するのではなくて、地球上全ての「平和」がなくては、人間の愚かな権力欲と自分勝手な暴挙はとまらない。
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明日は広島。

2009年08月14日 | ガリバー旅行記
 お盆休みも早やUターンラッシュが始まったとテレビは伝えている。

 甲子園球児たちの熱戦もたけなわで、今日は近畿勢同士の和歌山智弁学園が初出場の滋賀学園を破った。

 暑さはちょつと油断していると熱中症になってしまうほどの気温は35度前後を行ったりきたりである。

 私もご他聞に漏れず、『夏休み』をとった。

 しかし、今夏に計画していた「モンゴル縦断の旅」は、バイカル湖周辺のブリヤートモンゴルへ行くためには、ロシアのビザが必要ということで、田舎町のホテルの予約と共に、個人旅行の手配は難しく、今回は延期することとなった。

 そこで予定より一週間遅れての「盆休み」をとって、広島、福山方面に一人旅をすることとなった。

 戦後64年経った今夏の終戦記念日、つまり明日8月15日を広島で過ごそうと想いたったのである。

 深い意味はないが、私たち戦後生まれの団塊の世代にとって、還暦を過ぎて健康にいきいきと暮らせることの感謝と共に、日本の昭和史に大きな汚点と反省点を残すこととなった「大東亜戦争」と位置づけた『日中戦争」から始まり、太平洋戦争とした敗北した「第二次世界大戦」の国内では最大の焼土と化した、世界初の原爆に見舞われた「広島」を思うことで、いろいろな「いのち」と「戦争」の現実を考えたいと思ったのである。

 しかし、いざ出発となると、「広島」の魅力は、決して「原爆ドーム」を象徴とする平和記念公園だけでなく、牡蠣や広島焼きなどの食べ物や県立美術館やアートな美術館めぐりも魅力だし、世界遺産に指定された「安芸の宮島」も観光地として有名である。

 特別な目的はないのだが、ふらっと「広島」を訪れてみて、風の吹くまま、気の向くまま一人で歩いてみようと考えている。

 夜行バスで早朝に広島に着いてから丸一日とちょっと、どんな広島を体験できるだろうかと、わくわくしているのだが、京都への帰路には小学時代からの友人を福山に訪ねて、出会ってからのお互いの50年をゆっくり語り明かそうと願っている。

 一昨年の冬に亡くなってしまった親友の愛妻の追悼の気持ちもゆっくりと示しつつ、お互いのこれからの「余生」いや、これからの「活躍」を期したいと思うのである。

 小学生時代から中学校に至る数年間は、お互いに性格は異なっていても、何かとライバル視した面もあったり、全く違った考え方で議論したこともあったが、もうこの歳になったら、遠慮なくお互いの胸のうちを語りながら、あまり飲めないのだが、ちょっと一杯できるのではないだろうか。

 広島の旅は、私にとっての「お盆」、父や友人、先輩、知人たちの先に逝った人たちを想う時でもあるが、残されし元気で生き続けている私たちの「成すべきこと」、または「なせること」を確認する機会となるように想うのである。

 明日は「広島」、さて今から出発しよう。何が待っているか、とっても楽しみである。

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総選挙を前にして。

2009年08月13日 | テレビマスコミ
 衆議院の解散から40日以内の選挙を行う必要から、ぎりぎり8月30日に予定されている、第45回衆議院議員総選挙まで、後半月ほどとなり、18日の公示を前に、多様な各党の宣伝、マニフェスト合戦が続いている。

 自由民主党、民主党、公明党、共産党、社民党、そして国民新党が、一応マスメディアでは、認められた「公党」として取り扱われているが、それ以外にも活動している政治団体は無数にある。

 田中康夫元長野県知事のグループ、「みんなの党」と名づけられた渡辺元自治大臣の党、「改革グループ」など、国会議員を経験した立候補予定者を擁する小さな政党だけでなく、今回の総選挙に何と小選挙区と11の比例区に全て候補者を立てる準備をしていた某宗教をバックにした幸福○○党なども事前活動を活発に行っていた。

 この「幸福○○党」に関しては、創価学会をバックにした宗教政党である「公明党」につぐ政治と宗教の政教分離に抵触しかねない問題視がされていたが、五月に結成されたらしいが、結党以来、党首、すなわち党の看板が結成当時と二度も変わって、結局「教祖的人物」が代表となって、いよいよ参戦かという今日になって、全面撤退という指示が出たと報道されている。

 私は以前にも、この「幸福○○党」への危惧を記したことがあるが、一体何が目的で多額の経費をかけて準備し、多くの信者を動員し、事前活動を一番くまなくやっていた感のあるグループだっただけに、何の目的だったのかと憶測する。

 ポスターや宣伝物だけでなく、多数の自動車や旗、選挙用のグッズを準備し、候補予定者は各選挙区、地域で毎日、大きなスピーカーで、「消費税撤廃」や「北朝鮮のミサイルを阻止」などの実現を約束しますなどと宣伝していたのだ。

 全く、この宣伝活動に動員された立候補予定者や関係者たちは、「教祖の指示」に従っただけで、ひとりの市民として、個人的に衆議院選挙に立候補するなんて想いは全くなかったのだろうか。

 教祖である党代表の指示で、衆議院選挙への立候補を全員取りやめるとなると、益々「宗教政党」としての「狙い」の不思議さと共に、「危うさ」、「胡散臭さ」を改めて感じざるを得ない。

 政治参加は、全ての国民に与えられた権利であり、どんな宗教を信じていても、立候補の権利、公民権は保障されてはいるが、組織宗教として顕在化された「新興宗教」のみならず、宗教団体としての政治参加は、大変問題があるのだ。

 一般的に、宗教の不況や信じるが故の「献金」や「お布施」などの金銭が、一部の権力者、すなわち宗教組織幹部の意向で、他の目的のために使われることはあってはならないのである。

 つまり、今回の「幸福○○党」の撤退は、正解ではあるが、多くの謎と共に多くの金銭と実働を提供した人たちの時間を無駄にした、許しがたき行為だったのではないだろうか。
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大好きな球技。

2009年08月12日 | ファミリーイベント
 夏の甲子園は、誰もが知らぬ間に自分の生まれた都道府県のチームを応援したくなる、真夏の高校球児の憧れの祭典でもある。

 今年の夏の高校野球は、雨のために二日間も同一ゲーム、広島の如水館と高知高校の試合が途中で中止、再試合という高校野球史上初の出来事もあって、出鼻をくじかれた感じだが、漸く順調に一回戦の戦いが進みだした。

 しかし、私が住む京都代表の「龍谷大平安高校」は、今日残念ながら一回戦で敗退してしまった。

 小学二年生の孫のK君は、知ってる漢字があったので、京都代表になった「平安高校」を、何と「ひらあん」と読んだ。

 阪神タイガースファンの彼にとっては、好守巧打の平野選手の「平」とエースであるべき安藤投手の「安」だから、「ひらあん」とは読めるのであった。

 平安高校が緒戦で敗退してしまったので、今度は私の出生地の大阪代表の「PL学園」を応援するしかないだろう。

 今晩の京セラドーム大阪で行われた、阪神、中日戦ではタイガースのPL出身の桜井広大選手が代打で左中間に大きなライナー性の飛球を飛ばして三塁打として、勝利を決定付ける二点を七回に奪っていた。

 いずれにせよ、私は野球が大好きで小学生の頃から草野球チームを作って、捕手、投手、一塁手などをして大いに遊んでいた。

 球技といえば、小さな玉で遊ぶ「パチンコ」から、大きなバスケットボールまで様々だが、野球の次には「ボウリング」が好きになった。

 ちょうど、私たちが大学生の頃に、最初のボウリングブームが起きて、特に女性プロポーラーの「中山律子」さんや須田加代子さん、並木さんという三羽ガラスが、テレビの「ボウリング番組」で活躍し、特に「中山律子」さんは抜きん出た実力で、たぶん日本の女子プロポーラーとして最初の300点の完全試合を達成したはずである。

 最初から「ストライク」を連発し、最後のフレームの3投までストライクを続けて、とびっきりの笑顔でゲームを終了した画像が今も脳裏に残っている。

 野球も40代までは、知り合いの草野球チームに加えてもらったりして時々ゲームに参加していたが、思うようには打てなくなり、学生時代にはまったボウリングは、歳を重ねてもある程度は出来るので、これからも時々ボウリングは楽しみたいと思っている。

 他にも球技はたくさんあるが、どうも「ゴルフ」ってやつは、若い頃誘われて何度がコースにも出たが、自分には不向きなスポーツだと感じて、40代以降は一度もしたことがない。

 したことがないと言えば、冗談ぽいが、小さな銀の玉を打つ「パチンコ」も、スポーツとはいえないけれど、東京で音楽関係の仕事をしていた頃は、時々帰宅途中に、ちいさな子どもの土産をとしたことがあったが、京都に帰っては全くしていない。

 「球技」は多種多様にあるのだが、自分に向き不向きがあるようで、テニス、バレー、ハンドボールなどをしたことはあるが、野球、ボウリング以外では「卓球」くらいしかしないようになった。

 
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「もんじゅ」を廃炉せよ。

2009年08月11日 | 日本の課題
 福井県敦賀市にある日本原子力開発機構の研究用の原子力発電所で、高速増殖炉の原型炉として建設された「もんじゅ」が、1991年からの試運転を始めたが、1995年にナトリウム漏出火災事故を起こして運転を休止して以来、運転再開への工事を行い、2007年に本体工事が完成したが、何度も運転再開への予告を行い中止し、今回は来年2月には再開すると発表された。

 1995年12月8日に起きた「ナトリウム漏洩事故」発生から、何と14年もの歳月が経過して、多くの危惧を抱かざるを得ない情報が渦巻く中、敢えて「再開」せざるを得ないのは、どうしてなんだろうか。

 国の原子力政策にのっとって始められた、この「高速増殖炉」という名の危険極まりない計画は、アメリカやヨーロッパ諸国では断念する国が相次ぐ中、日本だけは面子のためか、原子力安全委員会というお国の下請け機関が「No」と言わないので推進する方向で巨額な税金が投入されているのである。

 建設費は約6000億円と言われているが、事故後の修理や経費を合わせれば、約一兆六千億円という巨額の投資がなされているのだが、「もんじゅ」の原子炉設置許可を行った国(経済産業省)に対して、周辺住民が行った、許可処分の無効確認の行政訴訟が1985年に提訴され、争われてきたが、2005年5月30日に、最高裁は「国の安全審査に見過ごせない過誤や欠落があったとは言えない」として、設置許可は違法ではないと判決し、国の勝訴が確定した。

 しかし、反対派は高速増殖炉そのものの必要性を疑問視しつづけていて、日本が将来、核武装するためのものではないかとの疑念もある。

 普通の原子力発電のプルトニゥム燃料は、原子爆弾の材料とするのは難しいが、高速増殖炉の場合はプルトニゥム239の比率が非常に高く、「兵器級プルトニゥム」が生産されると言う。

 実験段階でも現在までに純度97.5%のプルトニゥムを62㎏も生産しており、原爆被災国としては、発表してはいないが、多くの原爆を製造できる技術と材料を持っていると言っても過言ではない。

 1995年に起きた「ナトリウム漏洩事故」に関してのビデオの隠蔽や当時の動燃の総務部次長の因果関係の判明しない自殺体(警察発表)をめぐる「もんじゅ西村裁判」など、今なお、この事故にまつわる不明瞭かつ具体的な資料などの公表がなされていないなど、まだまだ真の情報が公開されていないようだ。

 今回のもんじゅの運転再開の発表に際しても、福井県知事は不明確な態度であるが、結局は国の方針、もんじゅの推進に、いろいろと条件を出しつつも賛成するものと見られている。

 真の「地方分権」など、国の地方交付税をはじめとする補助金や事業への協力に基づく税金投入に多くの足かせがあるために、地方は本当はNOと言いたい事業でも、安全性よりも金の縛りで「YES」と言わざるを得ない羽目に陥れられるのであろう。

 
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脳の病気!

2009年08月10日 | とんでもない!
 この一週間は、タレントの酒井のり子の覚せい剤使用をめぐる事件で、テレビを中心としたメディアは大騒ぎだった。

 清純派というイメージのアイドルが結婚して、ママドルと言われながら、中国、韓国、台湾などアジア各国でも人気があった「のりピー」こと、酒井のり子の失踪から容疑者、そして逮捕に至る騒ぎは、「覚せい剤」をめぐる疑惑と共に多くの人をビックリさせた。

 芸能界だけではなく、一般の学生や主婦にも蔓延しつつあると言われている「覚せい剤」は、街中やインターネットを通じて容易に手に入る薬物となっているようである。

 違法とか違法ではないとかいう区別や専門的な違いは分からないが、ともかく一度手を出して吸引したり注射して体内に入ってしまうと、その気持ちよさなのか脳が快感に浸ってしまって抜け出せなくなるという。

 つまり、「覚せい剤」とは、脳をしびれさせたり、麻痺させたりする薬物のことで、種類による違いはあっても、全て「脳の病気」になってしまう危険なものなのである。

 一般的には、この薬物の洗礼、つまり服用を興味本位に始めてしまうと、またほしくなり「薬物乱用や常習犯となってしまう魔物なのである。

 今回の芸能人の押尾学容疑者の逮捕と酒井法子の夫の逮捕が続いたわけだが、いずれも愛人、恋人、妻も同罪である常用者になっていたということである。

 現在、薬物中毒からの脱出には、専門家によると常用期間が一年だったとしたら、三年以上、つのり使用期間の三倍以上の期間が、薬物からの脱出にはかかるといわれている。

 ちょっとした好奇心、出来心、またはパートナーからの薦めに乗って服用したり使用したばっかりに、「病み付き」になってしまい、「覚せい剤」の虜、すなわち「覚せい剤の奴隷」と化してしまうケースが多々あるというのである。

 「タバコ」は、日本社会では違法ではないが、「喫煙」そのものからの脱出、つまり「禁煙」に苦しむ人たちも非常に多いと聞く。

 違法な「覚せい剤」の常用だけでなく、「喫煙」の習慣も、結局は「脳の病気」にかかっているのと同然だといわれている。

 だから、「禁煙」を試みても、すぐに喫煙したくなることを拒むことが出来ず、三日坊主や何度も禁煙したという人が多いのである。

 つまり、タバコも覚せい剤も、その度合い、程度に違いはあるが、「脳を麻痺させる」病気、すなわち「脳の病気」になっているのである。

 人間の努力や我慢では脱出したり、根絶したり出来ない「魔力」を持っている「薬物」であるので、「麻薬」「魔の薬物」とも言われる所以があるのだろう。

 芸能界だけではなく、普通の市民生活の中にも、この「魔の手」は、偲び寄ってきていると言われていて、ちょっと気分が良くなる薬とかリラックスできるサプリメントなどと言われて誘われても、絶対に服用、使用してはならない、とんでもない薬であり、「脳の病気」になる薬物である。
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娘よ、ここが長崎です。

2009年08月09日 | 季節の話題
 ニッポンの八月は、六日の広島、九日の長崎と原爆が投下された「原爆の日」として記憶しなければならない大切な日と、15日の第二次世界大戦、太平洋戦争の敗北を認めた日、「終戦記念日」と三つの「戦争への想い」の月である。

 戦争の悲惨さ、平和の尊さを語ることは大切なことだが、この太平洋戦争の経験者、その実際の語り部が、どんどん減って行く昨今に、今日も自民党と民主党の麻生首相と鳩山代表が、長崎での平和記念式に出席し、被爆者救済について語ったり、後遺症に苦しむ被爆者を見舞ったりしていた。

 どうも、八月末に行われる衆議院議員選出の総選挙への全てがパフォーマンスとしかうつらない、なんとも軽い発言や行動にしか見えないのは、私だけだろうか。

 「長崎」といえば、私はあの原爆の被害に合いながら、人々の救護、救済に奔走した長崎医科大学の永井隆博士のことを思いました。

 昭和20年8月9日、長崎市浦上上空で一発の原子力爆弾が炸裂し、当時の長崎市民20数万人の内、約三分の一の7万人以上の人が亡くなったのですが、自らも被爆し重傷を負いながらも、献身的な救護活動を続けた博士の姿を見つめていた、永井さんの娘、茅乃さんが書いた「娘よ、ここが長崎です」を紹介したい。

 永井博士の娘さんである茅乃さんがこの世に生まれた昭和16年八月から、数ヵ月後に日本はハワイの真珠湾攻撃をして、アメリカとの戦争が始まりました。

 それまで日本は中国大陸で戦争をしていたので、父である永井博士は、彼女が生まれた前後にな二度出征し、ていたのですが、彼女は幼くて、その実態を知る由もなかったのですが、空襲警報の鳴り響く中を何度も逃げたり、親戚の家に避難していたりしていたそうです。

 その日、八月九日も、いつものように彼女は森田さんちのユイコちゃんとままごとで遊んでいると、B29が見えたそうです。

 そろそろ十一時です。「昼までに、もうひとはたらき、できるばい」と大人たちが、それぞれの仕事をしている時間でした。

 「シャッシャッ シャッシャツーーー」せみの声しか聞こえませんでした。

 ピカッ グォーッ! とつぜん、真っ白な光と、ものすごく強い風が、やってきました。

 縁側にいた茅乃は、部屋の中に、ドーンと叩きつけられました。その上に障子がバサッとたおれてきました。

 ゴォーッ ゴォーッ 強い風が、家の中を一気に吹き抜けて、さらに谷に沿って、遠くの方へも吹いて行ったようです。

 部屋の中は、台風の後のようでした。

 みんなは何があったかよくわからず、おしだまったままでした。

「とげんしたとやろ。」「爆弾の落ちたとでしょうか?」

 小川で泳いでいた少年が、「B29が、太陽と、衝突した!」と飛び込んできました。

 そんな記憶が今も鮮明に残っているそうです。たった四歳の幼い女の子に深く残る「被爆の経験」です。

 
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『約束』って守れるか?

2009年08月08日 | とんでもない!
 皆さん、「約束」はしたことがありますよね。

 いろんな約束がありますが、昨夜の朝日放送テレビの人気番組で、「美味しいメロンを贈る」と約束されたタクシーの運転手を探して、探偵の松村邦弘と依頼者が北海道へと訪ねるエピソードが紹介されていました。

 奥さんと共に旅行した際に、たまたま乗り合わせたタクシーの運転手との会話で盛り上がって、農閑期に運転手をしているという中年の方言の強いしゃべり方のタクシー運転手を探して、「メロンが届かない」ことを暗に伝えて、ぜひ「美味しいメロンを食べたい」という、ナイトスクープならではの依頼でした。

 でも、「約束したつもり」の『メロンを贈る』という信じていた楽しみが、一向に届かないので、わざわざ番組に依頼して、結局は「催促がましく頼む」こととなりそうでした。

 総選挙が近づいて、各党がマニフェストという名の「有権者との政策約束」と言われる「政策公約」を盛んに競い合って、「バラマキ」や「美味しい中身」を宣伝していますが、果たして、こうした「選挙民への約束」は守ることが出来るのでしょうか。

 政権与党となった政党においては、マニフェストに記した「政策公約」をある程度実現させるための努力もするだろうし、予算化も可能でしょうから、実現可能な約束となるものも多いかもしれません。

 しかし、政権を取れなかった政党、グループの掲げる「マニフェスト」、すなわち「政策約束」は、ほとんど「空手形」となってしまい、言いたい放題の「政策提言」は、絵に描いた餅同然となることでしょう。

 友達や知人、家族とひょんなことから、いろんな「約束」を話の流れでしてしまった後に、そのことを忘れてしまったり、「そんな約束なんかしてないよ」と思ったりと、当事者間においても、同じ事象でも「約束した」と思った人と「約束なんかしていない」と思っている人がいる場合もあるものです。

 どうしても自分に都合よく他人の話を聞いていたりして、相手にとっては全くそんな気はなかったのに、「約束した」と思われてしまったりした場合は、一方的に「あの人は約束を守らない」ということになってしまいます。

 決して「約束を破る」ために、「約束をする」なんて人はいないと思いますが、利害というものは、いくら仲のいい友達や知人、家族でも異なる場合が多くあるものではないでしょうか。

 「ウサギと亀」が、いくら「ずっと友達でいようね」と約束したとしても、きっとウサギは兎の個性や習性で走ったり飛んだりしてしまうでしょうし、亀もゆっくりと歩いたりしていても、泳げるという個性で、結局ウサギを裏切ってしまうかも知れないのです。

 人間社会においては、もっと巧妙な「約束破り」、すなわち、「有権者や国民」を侮って、「出来もしない公約」を「マニフェスト」に掲げて戦うという「政党」もあると思います。

 「騙された!」と後で思うよりも、冷静かつ慎重に、各党、各候補者の「公約」や「マニフェスト」を聞いたり、みたりして、賢い有権者として、「約束のいい加減さ」を見破りましょう。
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