ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

1963年。

2009年08月04日 | テレビマスコミ
 先日、妻が大阪の実家で昭和38年8月2日のサンケイ新聞朝刊を見つけて、懐かしそうに持って帰ってきました。

 セピア色ともいうような茶色に変色した新聞紙は、おばぁちゃんの家の箪笥付近を掃除していた時に、下敷き状態で見つかったようでした。

 とっても懐かしいとでも言うべき、今から46年前、1963年夏の新聞から読み取れる「時代の移り変わり」を興味深く読みました。

 私にとっては、この年1963年は、何と言っても11月23日の朝に伝わった衝撃的ニュースが脳裏に強く印象的に残っています。

 その朝、アメリカからの初の衛星放送が放映される予定だったのですが、朝寝坊していた私に、妹が「ケネディが死んだ!!」と告げました。

 ビックリしつつ、テレビの前に行ってみると、アメリカからの初の衛星中継で届けられた映像が、何とケネディ大統領がパレード中に狙撃されて暗殺されたという衝撃的な映像でした。

 アメリカ国旗の星条旗がケネディ大統領の亡骸を入れた棺にかけてあって、米軍の兵士が敬礼し運んでいた映像が忘れられませんでした。

 この衝撃的な事件は、私が後に関わったフォークソングの世界で有名な五つの赤い風船の名曲、「血まみれの鳩」という西岡たかしの詩になって後世に残ることとなりました。

 新聞に目を向けると、雑誌の広告欄に「堀江謙一氏の太平洋単独ヨット横断」や「吉展ちゃん誘拐殺人事件」などの、その当時を偲ばせる事件やニュースが載っていました。

 スポーツ欄に目をやると、何と我が阪神タイガースが、川上巨人軍に10連敗!というニュースが掲載されていて、王、長島の黄金期の巨人が如何に強かったかが思い出されます。

 他のチームとしては、現在のパリーグチームは全てなく、現楽天監督の野村が四番を打つ南海ホークスが首位で、あの日本一の安打男の張本が東映フライヤーズの四番バッターで、他には近鉄、西鉄、大毎、阪急の六チームでペナントレースを戦っていました。

 一方のセリーグは、巨人、阪神、中日、広島は現状のままで、現ヤクルトが国鉄、現横浜が大洋ホエールズとして戦っていましたが、巨人が断然中日に11ゲーム差をつけてトップを走っていました。

 その他の記事の中から当時の経済感覚を読み取ると、求人欄の新入社員の給与としては2万円から3万円で、土地、建物の不動産広告から、大阪市内の土地付住宅として、100万円から300万円程度でマイホームが取得できる時代だったことが分かりました。

 今から46年前の経済的感覚は、現在の約十分の一であり、戦後の日本の復興期の走りであり、高度成長経済の始まりとしての時代だったことがうかがわれ、8月15日の終戦記念日を前にして、もはや戦後ではなく、先進国の仲間入りをする時代という記述がありました。

 戦後69年経った、今年の八月を迎えて、46年前の色あせた新聞紙を前にして、今と昔、何も変わらぬ物と大きく変わったことを考えつつ、平和と人の心の大切さを改めて強く感じました。
コメント (1)
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