8月に入って最初の日曜日、天気がよければ「墓参り」と決めて、朝目覚めてから、大阪の母に電話をして、昼過ぎに迎えに行きました。
8月の「墓参り」は恒例なのですが、今年はまだ「梅雨明け」していないそうで、天気が心配でしたが、なんとか昼からは雨が降りそうでないので、「瓜破霊園」にある、私の父、兄、そしてご先祖様の「墓参り」に母を連れて行ってきました。
「お盆」が近づくにつれて、周辺の花屋さんや仏事用具店の「墓花」は値段が上がって、お墓にいける緑のサカキや白、黄色の菊や「仏事用」の用意された「仏花」などは、何と一対で1000円以上、中には2000円もするものもあります。
私は、いつもは「墓参り」する日に、近くのお花屋さんか、墓地近くの母が馴染みの花屋さんで、「墓前用」の花を調達するのですが、あまり「仏花」として、セットされた花や緑が好きでないので、適当に「明るい季節の花」を選んで、墓前に飾るようにしています。
今回は、一番花屋で目についた「向日葵」の花をメインに選んで、その周辺にピンクとしろとブルーの小さな花をあしらったアレンジメントを、父の墓前用に作っていただき、他の二つの墓石用は、シンプルな小さな白と黄色の菊にしました。
今日の日中の炎天下は、母にはきつかろうと思ったので、大きな墓地の中の木陰に車を停めて、母にはしばらく、車内で休憩してもらっている間に、私が「墓の大掃除」をしました。
なにせ、昨年の大晦日に行って以来、春のお彼岸にも行けなかったために、小さな墓地とは言え、雑草が茂ってしまっていて、約1時間は汗びっしょりになって、「草抜き」をしました。
雨が比較的続いていたお陰で、雑草も比較的たやすく抜けて、墓地の横道に三山ほどの「雑草の山」が出来ました。
バケツに汲んだ水を墓石と灯篭の石に十分にかけてから、母を迎えに行って、二人で、父と兄の墓石と、祖父や祖母の眠る墓石、そして「先祖代々の墓」の三つにお参りしました。
92歳になる母は、腰を屈めて、ちょっと残っていた雑草を摘みながら、墓前に進んで、なにやら「健康で幸せに正しく」と祈っていました。
幸いにも高齢ながら、健やかに過ごしている老母ですが、耳がほとんど聞こえないために、一人ぶつぶつ言いながらの「墓参り」となりました。
それでも、帰りには「お墓参り」が出来て良かったと喜び、「また今度行こうね」と行ってくれました。
汗びっしょりのシャツを着替えてもほとばしる汗を沈静化させようと、帰路の途中に喫茶店に立ち寄って、冷たいデザートとジュースを飲みました。
やはり、日本の夏、お盆が近づく、この季節には「先祖や身内の墓」に参らなければ、気持ちが落ち着きません。
40年前に他界した「父の面影」を思いつつ、青空に元気に伸びる「向日葵」を墓前に飾った私ですが、「ひまわり」の花言葉は、意外にも「あこがれ」「私の目はあなただけを見つめる」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」だそうです。
8月の「墓参り」は恒例なのですが、今年はまだ「梅雨明け」していないそうで、天気が心配でしたが、なんとか昼からは雨が降りそうでないので、「瓜破霊園」にある、私の父、兄、そしてご先祖様の「墓参り」に母を連れて行ってきました。
「お盆」が近づくにつれて、周辺の花屋さんや仏事用具店の「墓花」は値段が上がって、お墓にいける緑のサカキや白、黄色の菊や「仏事用」の用意された「仏花」などは、何と一対で1000円以上、中には2000円もするものもあります。
私は、いつもは「墓参り」する日に、近くのお花屋さんか、墓地近くの母が馴染みの花屋さんで、「墓前用」の花を調達するのですが、あまり「仏花」として、セットされた花や緑が好きでないので、適当に「明るい季節の花」を選んで、墓前に飾るようにしています。
今回は、一番花屋で目についた「向日葵」の花をメインに選んで、その周辺にピンクとしろとブルーの小さな花をあしらったアレンジメントを、父の墓前用に作っていただき、他の二つの墓石用は、シンプルな小さな白と黄色の菊にしました。
今日の日中の炎天下は、母にはきつかろうと思ったので、大きな墓地の中の木陰に車を停めて、母にはしばらく、車内で休憩してもらっている間に、私が「墓の大掃除」をしました。
なにせ、昨年の大晦日に行って以来、春のお彼岸にも行けなかったために、小さな墓地とは言え、雑草が茂ってしまっていて、約1時間は汗びっしょりになって、「草抜き」をしました。
雨が比較的続いていたお陰で、雑草も比較的たやすく抜けて、墓地の横道に三山ほどの「雑草の山」が出来ました。
バケツに汲んだ水を墓石と灯篭の石に十分にかけてから、母を迎えに行って、二人で、父と兄の墓石と、祖父や祖母の眠る墓石、そして「先祖代々の墓」の三つにお参りしました。
92歳になる母は、腰を屈めて、ちょっと残っていた雑草を摘みながら、墓前に進んで、なにやら「健康で幸せに正しく」と祈っていました。
幸いにも高齢ながら、健やかに過ごしている老母ですが、耳がほとんど聞こえないために、一人ぶつぶつ言いながらの「墓参り」となりました。
それでも、帰りには「お墓参り」が出来て良かったと喜び、「また今度行こうね」と行ってくれました。
汗びっしょりのシャツを着替えてもほとばしる汗を沈静化させようと、帰路の途中に喫茶店に立ち寄って、冷たいデザートとジュースを飲みました。
やはり、日本の夏、お盆が近づく、この季節には「先祖や身内の墓」に参らなければ、気持ちが落ち着きません。
40年前に他界した「父の面影」を思いつつ、青空に元気に伸びる「向日葵」を墓前に飾った私ですが、「ひまわり」の花言葉は、意外にも「あこがれ」「私の目はあなただけを見つめる」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」だそうです。