ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

教育再生・改革!!!

2008年02月17日 | 日本の課題
 ここ数年、日本の教育現場は、国の「教育改革」という旗頭で、教育再生会議なる素人集団や中央教育審議会なる組織的議論の場を通じて、政府、自民党を中心とする「日本のあるべき教育」のあり方についての提言がいろいろとなされてきた。

 地方選挙はもとより、総選挙や参議院選挙のたびに、「教育再生」や「教育改革」がスローガンとして掲げられて、ついに「教育基本法」の改悪がなされてしまった。

 何故に、「教育の再生」や「教育改革」が必要なのかがよく分からないままに、「いじめ」「不登校」「学力低下」「少子化による受験問題」「国際社会に対応する」などの課題に対する、小手先の都合のいい制度や内容の変更を目指している。

 しかし、よーく考えてみる必要があるのではないだろうか。

 日本と言う島国の中での「寺子屋」的教育の時代は江戸時代から昭和の初期で、もう終わっていいのではないだろうか。

 つまり「国際化」「情報化」の時代に突入した「世界の中の日本」の教育のあり方は、いまや決して「日本人」の育成なのではなく、国際人、つまり多様な民族、文化、宗教の混在する人間社会での、生きていくための基本的な「人間力」の育成が必要なのではないだろうか。

 安部前首相は「美しい国」を目指すと言って、やたら「愛国心」や「国のために働く人材育成」を掲げていたが、目を欧米諸国や地球人としての視野に立って考えてみれば、EU、ヨーロッパ諸国などでは、もはや他民族、多文化共生が当たり前であり、「愛国心」なんぞは仕事の邪魔であり、他国の文化や習慣をも理解できる寛容な心が必然的に求められているのである。

 すなわち、日本の教育の一番の欠点は、集団的教育であることと、点数評価を中心とした「試験のための勉強」が学習の根本であることではないだろうか。

 今や世界の趨勢は、習熟度別学習や集団的同質能力教育ではなく、何処でも誰でも時間をかけてでも「学ぶ機会」の徹底的な場と条件の整備を行った上で、PISA、すなわちOECDにある国際学生プログラムアセスメントが行っている「試験のスタイルに変わりつつあるのである。

 つまり「テストのための知識や正解を学習する」ことではなく、「考えて答えや方法を導き出すプロセスを大切にする学習」を重要視する教育に変革しなければ、国際社会での「学力評価」が望めない時代になっていると言えよう。

 「競争原理」に基づく、一点でもいい点を取ることが、全ての人間的能力や仕事が出来る評価に繋がるのではなく、多種多様な価値観の中での理解と調整、調和の発想、想像力などが、所謂「学力」となり、「人間力」として評価される時代に突入しているのである。

 つまり個性ある一人ひとりの子供たちの習熟度や理解力にあわせた「待つ」教育。一斉によーいドンで走ったり、みんなが百点を取る学習ではなく、個別な「好きな世界」を見つけることの出来る「ゆったりとした学習環境」があり、その個性を受け止めてサポートし付き合ってくれる教師が必要なのである。

 
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就労の実態は・・・?

2008年02月16日 | 日本の課題
昨年の5月から、私は小さな事務所の営業部員として外回りの仕事をしている。

 昨今の「格差問題」や「非正規雇用者」の実態を生身で体験しつつ、「おっさんフリーター」と称して、毎日の仕事にせいを出している。

 一週に5日間、実質一日6時間労働なので、辛うじて週30時間のパート労働者として、今年の1月から久しぶりの社会保険が処遇され、厚生年金と健康保険がセットで少ない給与から控除されている。

 冒頭の図の如く、日本の全労働者の1/3を超える1600万人以上の就労者が非正規雇用であり、派遣、パート、嘱託、契約、アルバイトとしての就労している。

 特に若者と中高年の就労の場合の「正規雇用者」は、よっぽど大きな会社か専門技術や経験、実績のある人に限られ、時間的に拘束が長い仕事でも、非正規の雇用の場合が増えている。

 現在の就労実態では「ワーキングプア」と呼ばれ、仕事をすればするほど貧しさから抜け出せない人たちが増加している。

 バブル経済とよばれた1990年頃までは、非正規雇用者は15パーセント前後だったが、この10数年の経済動向の流れの中で、一挙に倍以上に非正規雇用がの増加したのが現況である。

 景気に左右されやすい事業や会社が、正規雇用者の福利厚生費を含む事業所負担を最低限に切り詰め、事業の縮小や拡大に臨機応援に対処しやすい利点から、急激に派遣や契約社員、パートやアルバイト従業員を増やすところが続出し、大きな事業所でも正規社員は一人か二人で、後の現場従業員は全て臨時、嘱託、パートとなっている場合も多い。

 最近の話題として報道された「マクドナルド」の店長は管理監督業務があるが、管理職ではないとの判断が裁判によって判定されたが、給与や待遇面でも就労者に不利な決済や会社側に都合の良い制度や待遇が目白押しである。

 また、問題の「中国産餃子」の製造工場であった中国・河北省の石家荘市の天洋食品の生産従業員の実態なども、非正規雇用のパート労働者が大半で、多くの就労条件の悪さが背景にあり、その腹いせに殺虫剤に使用されている毒物を包装段階で故意に混入させたのではないかという憶測が濃厚となってきている。

 日本では月20万円以下の低所得のワーキングプア労働者の大半が、非正規雇用の就労者であり、実質的には病気や欠勤ではほとんど給与が出ないも者も多く、有給休暇や諸社会保険などの適用も除外されているケースが多いと聞く。

 企業、事業所が安く人件費を抑えて、商品への価格転嫁を少なくし、国内同業種のみならず、海外、特に中国、韓国、東南アジアの低賃金労働による価格競争に、少しでもリスクを少なくする狙いが底辺にあり、なかなか非正規雇用問題の解決策は困難な状況である。

 しかし、現状を招いたもうひとつの原因は、無責任に自分勝手にいい時だけ仕事をしたいとする、就労者の我が儘、勝手な思いも大いなる問題であると思われる。

 厳しい時代に生き抜くための「勤勉さと対応」がしっかり必要な時代である。 
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「母べぇ」を観た。

2008年02月14日 | ファミリーイベント
 バレンタインデイに、山田洋次監督、吉永小百合主演の「母べぇ」を家人と二人で近くのシネコンに車を走らせて鑑賞した。

 夕刻の上映時間にも関わらず、観客は中年夫婦と思われる三組と若い男性の一人、計七人だけであった。

 上映時間前に観客席に入り「貸切状態」だと思ったのだが先客がおられ、偶然にも良く知っている近くに住むご夫婦がおられて、「日頃は近くにいてもめったに会わないのにね」とお互い苦笑しながらの鑑賞であった。

 テレビの芸能ニュースでは、山田洋次監督と主演女優、吉永小百合さん、助演男優の浅野忠信さんがドイツのベルリン国際映画祭に出席のために、この「母べぇ」を持って出かけている時に、私たちは観る機会を得たのである。

 正月明けに観た「続三丁目の夕日」とは違った日本の原風景としての、昭和十年代の戦争へ突き進む「帝国日本国」の状況下で、「治安維持法違反」の罪で夫のドイツ文学者を逮捕された妻佳代が、吉永小百合の役であった。

 つつましげに夫の無実を信じて、二人の女の子の成長を楽しみにしながら頑張っている吉永小百合の家に、坂東三津五郎演じる「野上滋先生」の教え子、山崎徹として浅野忠信がやってきて、何かとこの家族の世話をやくのである。

 そのうち、夫滋の妹野上久子を演ずる壇れいが加わり、まるで夫のいない家庭なのに、楽しげな一家団欒の家庭の様な毎日が続くのである。

 実は、浅野忠信演ずる山崎徹は、「母べぇ」こと野上佳代に好意を持っていることを、義妹の「チャコちゃん」は気づいているのに、母べぇは夫への変わらぬ愛情に満ち溢れているのである。

 戦時下の「贅沢は敵」「お国のために」全てをささげることを強いられた時代に、シナ事変と称された「日中戦争」を「聖戦」とは呼べない野上滋は、なかなか釈放されることがなく、「非国民」のレッテルを貼られて、佳代の父である警察署長もたびだび父として佳代に警告を発する。

 とにかく「三丁目の夕日」に描かれた貧しくとも、復興の兆しが見え、どんどんと街が元気になって行く昭和30年代以降の時代背景とは全く違う、暗くて重苦しい時代の中で、代用教員をしながら初子と照代という女の子を女手ひとつで育てていく「母べぇ」を演ずる吉永小百合は、やはり美しい。
 
 戦後生まれの私たちにとって、戦前、戦中の重苦しい時代の実感はないが、どんな時代にも「心から信ずる気持ち」を大切に、つつましくても「家族の絆」を大切に生きる、日本人の姿を、山田洋次は描きたかったのだろうと納得した。

 美しい野上佳代を演ずる吉永小百合が戦中に獄中の夫、滋を亡くしてもなお子育てに生き、戦後子供たちに看取られて亡くなる場面には、実母のことを思いながら涙をこらえることは出来なかった。

 映画鑑賞後自宅に戻ると、91歳の実母から「あんた元気にしてるか?」「大丈夫か」と電話があった。

 
 

 
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いくつが成人か?

2008年02月13日 | 日本の課題
昨年成立した「国民投票法」の施行を来年に控えて、政府は日本人の成人年齢を何歳とするのかを検討することとし、明治以来民法で20歳とされているのを慎重に審議する委員会を設立し、約一年がかりで議論するという。

 今ここに及んで「成人とは何歳か?」と議論するというのは、どういうことなのだろうか。

 世界の180ヶ国以上では、約9割近くの国々が成人とする年齢を18歳以上としているらしく、今回の「国民投票法」という名の「憲法改正」時に必要な国会議員の2/3以上の賛成の上で、国民の過半数の賛成が必要な「改正」への条件を「国民投票」制度では18歳以上を投票権者としたため、民法上の成人年齢の20歳との差が生じ、再検討することとなったのである。

 私は現在でも自動車免許の取得などは18歳以上で可能だし、一般的に高校を卒業した若者は、大学生も含め大人扱いする傾向も見られるので、成人到達年齢を18歳と変更することに賛成である。

 18歳ではまだまだ成人としての責任能力には欠けるものがあると言っている大人たちの意見もあるが、そもそも年齢だけで全ての「大人の資格」を語ること自体に無理があるのではないだろうか。

 たとえ20歳を過ぎても、いや30歳、40歳と歳を重ねても、大人としての責任能力や社会的対応や人間関係性に問題のある「大人」が多い世の中にあって、一斉に18歳は大人でないとか、20歳が大人の資格だとかは言えないのではないだろうか。

 今問われているのは、喫煙や飲酒に関する年齢制限を緩やかにすることではなく、国民としての民主的な選択や選挙に、何歳から参加出来るかを中心とした「大人の年齢」論議なのである。

 ぜひ、慎重に審議会で論議していただきたいものだが、テレビ報道を見ている限りは、政府が諮問する定番の審議会と同様で、年配の男性を中心とする委員たちの「議論」が一応される雰囲気だが、もっと女性の委員や各世代の代表者や大学生、高校生、勤労青年たちも加えた、幅広い実質的議論が必要な気がする。

 民主主義の根本の「選挙」をはじめとして、結婚、契約などの「大人の条件」の年齢が2歳だけ若返るだけで、この国が大きく変わるとは思えないが、できるだけ多くの世代の国民が、国のあり方や将来の選択に「参加」できる制度としての「成人年齢」の18歳化を推し進めていただきたいと思う。

 しっかりとした考え方を持った若者もいれば、いい加減な中高年の者もいるのだから、一概に年齢だけで線を引くことは難しいが、国の制度としては世界的視野での18歳以上の若者にも是非社会参加してもらって、この国の将来を大いに議論し変えてもらいたいものである。

 自分たちのに都合のいい「大人」を生み出すための「民法改正」にしないためにも、国民の監視と多様な意見を情報公開して、新たな「大人」としての日本国民を期待している。
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戦争を知らない子供たち。

2008年02月12日 | とんでもない!
 2008年も早一ヶ月半が過ぎ去ろうとしている。

 新年最初に見るとされる縁起物の「初夢」とやらを思い出したのである。

 「一富士、二鷹、三なすび」なんて絵ぞらごとの「夢」なんか見るはずがない。

 私の今年の初夢は、なんと「反戦フォーク」を歌って、機動隊に攻撃されるという、なんとも時代錯誤でもあり、しかし現実味も感じざるを得ない光景が何故か出てきたので、ショックでもあり鮮明に思い出せるのである。

 実は、私自身はたまたま、あの日本では「反戦フォークの神様」と一時もてはやされた「岡林信康」と同志社大学神学部で同級生だった縁から、大学をフェイドアウト、つまり中退してからしばらくして、彼が音楽活動する事務所であった「音楽舎」と称される会社のレコード部門に入社し、後に自らの小さな音楽事務所を設立した経緯があるので、「反戦フォーク」との縁は、なんと40年近くある。

 1960年代後半に高校生から大学生へと成長する時期を迎えていたので、ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、P.P.M、ピート・シガー、キングストン・トリオ、ブラザース・フォーらがアメリカンフォークとして入ってきて、和製フォークをマイク真木、森山良子、小室等らが歌いだした頃であった。

 「初夢」は、何処か会場やシュツエーションは不明なのだが、私自身がギターを持って「反戦フォーク」らしき歌を何人かと歌っているところへ、機動隊がやってきて排除されるというシーンなのである。

 私自身は、その当時一度だけ、見よう見まねで小さな仲間内の会場で友達のギターを借りて、スリーコードだけを辛うじて爪弾く形で、岡林の「友よ」を何とか歌った記憶があるのだが、それ以来私自身は「ギターを弾けますか・?」と聞かれても、ひけるのは「布団とリヤカーだけです」と答えているくらいで、全く演奏はできないのだ。

 それなのに、なぜに2008年のお正月の初夢に「反戦フォーク」を歌うというシーンが自らが主人公として映像化されたのか、今もって不明である。

 しかし、よくよく考えてみれば、「戦争を知らない子供たち」と歌った杉田二郎やジローズの面々と同じ、戦後生まれの所謂「団塊の世代」なのだが、戦後60年を過ぎて、定年リタイアの世代として、また問題視されているのだが、私たちの世代が伝えなければならない「反戦」の意識が潜在的に台頭せざるを得ない事態となっているのである。

 「憲法改悪」「教育基本法の改悪」「国民投票法」や「共謀罪」「盗聴法」有事三法」「人権擁護法」「周辺事態法」「テロ特措法」など、矢継ぎ早に、政府自民党、公明党を中心に「国家の基本理念」までもを大きく変えようとしている昨今の危機感が、たぶん「反戦フォーク」という形で「初夢」に登場したのだろうと思うのである。

 私たちの子供たちも、孫たちも、全ての地球人が「戦争を知らない子供たち」であり続けられる様に、「反戦フォーク」を心で、夢で歌い続けたいものである。
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またもやられた!!!

2008年02月11日 | とんでもない!
いつのまにやら定着したような感のある「建国記念日」と言う名の国民の休日だが、どう考えても「日本国の独立記念日」とは思えない、神話の神武天皇の即位の日だという「紀元節」に基づく国民の休日、祝日なのである。

 西暦2008年の今年は、紀元で数えれば2600年から数えて何年目か知らないが、日本国が誕生しての年数だと信じている人がいるとすれば不思議である。

 そんな「日本の誕生日」と称する日、山口県岩国市の出直し市長選挙が行われ、岩国基地への米軍厚木基地から艦載機の引越しを巡る賛否両論をバックに戦われたのだが、阻止派の前井原市長が約二千票差で敗北するというニュースが朝刊一面に踊っていた。

 多くの市民が「米軍機の爆音や米兵による事件のない平穏な日々」を願いつつも、基地経済と称される「飴と鞭」の政府の政策にNOとは言えずに、自民党を中心とする保守勢力の福田前衆議院議員を当選させてしまったのである。

 同じ日、沖縄県沖縄市では北谷町の14歳の女子中学生が、米兵により車に誘われ暴行を受けたという事件が、また起こっていたのである。

 数年前にも暴行事件やへり墜落事故などで、米軍へのネガティブキャンペーンが起きた時期があったが、沖縄に基地がある限り必要悪の様に、こんな事件が繰り返され、暴行や殺人などの米兵による犯罪の数々に、地元沖縄県民の怒りは渦巻いているはずである。

 またもや繰り返される蛮行、犯罪が起きると、マスコミ、メディアも大騒ぎして「米軍基地」がある限り絶えない米軍兵士による犯罪や事件の根本原因として、日本の米国一辺倒の外交、防衛政策に問題提起が行われるが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」が如く、時間が経過すると当たり前の様な米軍基地の現状が続くのである。

 日本には同じように「原子力発電」に関する、多くの国民が不安を抱き、できれば無い方がいいと思っている施設の立地に対しても、莫大な地方への「飴」としか言いようの無い「協力金」としての税金が交付されている。

 常に、弱い立場にある「地方」が「税金」という「あまい飴」のために、迷惑施設を受け入れさせられ、多くの不安や危険が伴う施設や基地の立地を強制されてきている。

 民主主義という名の下に、地方自治体の都道府県知事や市長、町長選挙が行われているのだが、「選挙」の争点は、結局は「平和か不安」の選択ではなく、「得か損」かの選択を突きつけられているのが現実である。

 岩国市長選挙も、結局多額の基地協力金を「餌」に政府が「地方」の自立を援助するという見せ掛けの構造で宣伝し、基地の拡大を許さない立場の井原前市長を蹴落としてしまったのである。

 多くの市民が、このカラクリを知りながら、「背に腹は変えられない」という現実の前に屈してしまったとしか言いようがない、残念な結果である。

 岩国、沖縄の現実は、日本国の致命的宿命ではなく、民主的選択で乗り越えられる課題だと思うが、いつまで「またもやられた!!」を続けたら気が済むのだろうか。
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ちりとてちん

2008年02月10日 | テレビマスコミ
 「ちりとてちん」、現在NHKの朝の連続テレビ小説として月曜から土曜日まで放映されているタイトルだが、この作品を私は楽しく毎日観ている。

 我が二人目の孫のR君は、まだ10ヶ月を過ぎたばかりの赤ちゃんだが、テレビから「ちりとてちん」のテーマ音楽が流れてくると「あっあっ」と声を出して注目するくらい気になるドラマの様である。

 一人目の孫のK君は、「ちりとてちんとんちん」などと電話で遊んで表現したら、一時は相当受けて笑いが止まらなかったらしい。何ともいい響きである。

 貫地谷しほりさん演ずる和田清美ことB子が主人公で、故郷小浜の「若狭塗箸」職人の家に生まれた幼少時から、爺さんの「落語好き」の環境に育ち、同姓同名の「わだきよみ」のA子との比較で劣等感とドジを重ねながら大阪に出て、女性落語家「徒然亭若狭」として成長していく様を描いたドラマである。

 この「徒然亭一門」の師匠は、渡瀬恒彦演ずる徒然亭草若で、この「若狭」を落語をするために生まれて来た子として評価し、兄弟子4人と共に末っ子弟子として励まし育てていくのである。

 このタイトルとなっている「ちりとてちん」という落語は「酢豆腐」と呼ばれる昔話を落語の題材としたものらしく、東京の落語界で誕生し、関西では桂春団治が十八番にしていた「落語」だったそうである。

 要は、何ごとにも「知ったかぶりをする」男に、珍しい食べ物として「腐った豆腐」を長崎の「ちりとてちん」と言う名の食べ物として紹介したところ、男が知ったかぶりで「うまい」と言うので食べさせ、「どんな味や・・?」だったと聞いたら、「まるで豆腐の腐った様な」と正直に答えたという「オチ」の落語である。

 世の中には、多くの何事にも知ったかぶりをする人たちが多い様に思うのだが、所詮テレビに出てる「お偉い方々」を見ていると、まるで「ちりとてちん」の如く見えてくるタレントや有名人に気づくことがある。

 特に「オーラの泉」の太った予言予知能力があるらしい「江原啓之」という男と、「私に言わせて!!」みたいなタイトルで、タレントや素人出演者相手に偉そうに教えている「細木数子」女史は、「ちりとてちん」と感じている。

 この二人をテレビで観てしまうとチャンネルを変えるのだが、他人の人生や未来を予測した様に語ったり指摘する輩が、まるで「ちりとてちん」を知ったかぶりする演者とダブってしまうのである。

 他人の運命や将来が分かるのなら、自らの今後や死期もわかるはずなのだが、一昔前にいた「宣保愛子」というモテはやされたおばちゃんも、自らの癌を予期できずに死んじゃったよね。

 この世の中に、霊能者とかスピルチャーカウンセラーなどと、さも知ったかぶりしているテレビの有名人たちも、「見えないものが見える」演技をしている「ちりとてちん」なのでしょう。


 
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ポピュラーベスト10

2008年02月09日 | 季節の話題
 愛車の車検が先月中旬終了し、運転席に「おまけのプレゼント」として、ポピュラーMusicの「2008年1月ベスト」の楽曲が詰まったCDが置いてあり、「聞いてみて!」と車やさんが下さったのである。

 パソコンを前に毎日の様に「ガリバー通信」の原稿を打ち込みながら、BGMとして聞いていると、ミュージシャンの名すら知らないグループやソロアーチストもいて、日頃自分の車のFMラジオくらいでしか、現代の流っている楽曲を聴く機会のない生に改めて気づいた。

 ベストソングのトップには「東方神起」という韓国の青年男子五人組の「Together」という楽曲が入っていたのだが、どうも頭に残らない曲なのである。

 1960年代から1980年代にかけて多くのレコードを買い、しょっちゅう「音楽」を聴いていたので、今なお懐かしく思える曲は多くあるのだが、ほんと最近の楽曲では「ゆず」「SMAP」「ミスチル」「ドリカム」「平原綾香」「槙原敬之」などしか聞いても記憶に残らないのである。

 そんな音楽欠乏状況で、2位以下の「ウラタロス、キンタロスetc」、「榎本くるみ」「JuJu」「Sowelu」「KOTOKO」「瀬名」「Vanilla Mood」なんてグループや個人名は全く知らなかった。

 辛うじて、松下奈緒、玉置成実、ZARD、the brilliant green 、BoA、SMAP、槙原敬之の名は知っているたが、ベストテンに入っている楽曲のタイトルは全く知らない。

 よく街の中をチャリンコやバイクに乗って、また電車やバスの車内でも小さなヘッドフォンを耳に、好みの選曲を聴き続けている若者、時には中年方も見かけるが、そういった御仁にしてみれば常識的な歌も全く知らないのではないだろうかと思うほどである。

 実は私自身は、かつて音楽事務所をやっていたので、80年に京都に移住する前までは、仕事でもプライベートにでもよく楽曲を聴いていて、音楽に対する関心も高かったのだが、最近の楽曲への関心がないわけはないが、耳や心に残らないのである。

 実は、79年に私が関係した楽曲でシングル盤として発売し、プロモーションも頑張った懐かしい楽曲が蘇ることとなったのである。

 中村ブン詩曲の「かあさんの下駄」で、約30年ぶりに日の目を見て、昨秋11月下旬にCDとしてリニューアル発売されたのである。

 もしお聞きいただいたり、耳にし心に残った方は、ご遠慮なくコメントかメッセージをください。

 今、失われつつある「日本人の心」、つまり母を思う少年のいたいけな優しい気持ちを綴った「プライベートソング」なのです。

 ぜひ、一度聴いてみてください。東方神起よりは絶対に心に残る詩と曲ですよ。
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サラ川柳に納得!!!

2008年02月07日 | 季節の話題
昨日の「ガリバー通信」のブログのタイトルは、今年の第21回サラリーマン川柳コンクールに応募のあった「100句」の内の一句であり、誰もがそれなりの年齢になると経験していると思われる、見事な「忘れても忘れたことに気づかない」・もの忘れパパの句を拝借したものである。

 毎年この季節になると前年秋から募集されていた第一生命主催の「サラ川」こと、サラリーマン川柳の「100句」が発表されて、3月14日までの約40日間の投票期間で、ベストテンを選ぶというものなのである。

 いつも関心しながら、100句全てを読みながら、サラリーマンに限らず、特に中高年世代の、中でも男性の悲哀を感じる「川柳」に出会って、面白いと感じつつ、身につまされる思いも感じているのである。

 今回の中では、私の選ぶベストテンとして紹介することにしましょう。

 「嫁さんよ、地球への優しさ 俺にくれ」三十C 

 「鈍感力 持っていることさえ 気が付かず」にぶい会社員

 「好きですと アドレス間違え 母さんに」蒼空

 「社長より 現場を良く知る アルバイト」ゴットマウンテン

 「安い値の ガソリン探して 遠出する」元ぐうたらママ

 「今帰る 妻から返信 まだいいよ」えむ  

 「なぜ怒る 早く帰って 来ただけで」有迷人

 「父の日に 香水ではなく ファプリーズ」ひらめ

 「ゴミだし日 すてにいかねば すてられる」読み人知らず

 「夢に見た 年金生活 今悪夢」老後生活

 「減っていく・・・ボーナス・年金 髪・愛情」ピュアレディ

 「妻の後 三歩下がって カート押す」好好爺

 「円満は 見ざる言わざる 逆らわず」ソクラテス

 「メタボまで 2センチあるわと 食べる妻」幸山

  適当に面白いなと思う川柳を選んでいたら、なんとベストテンより多くて14句にもなったが、なかなか全てが秀作であり、ちょっとひねった可笑しさは格別である。

 昨年にも同様の作品があったが、今年も「俺社食 息子給食 妻美食」というのがあり、父さんは頑張って働き、昼休みに社員食堂で安い定食を食べているのに、妻は連れ添っての「豪華美食ランチめぐり」をしているという、皮肉に満ちた現実を詠っているものもある。

 でも今年は、年金、定年、老後の悲哀を詠った作品が、自分もその資格者であるためか、特に目だって目に留まってしょうがない。

 しかし、結局偉そうに生きてきた私たち男、親父たちは、川柳に読まれた句の「守り抜く 言った夫を 守ってる」の様に、妻の手のひらの中で守られて生活しているのかもしれない。

 男の一人よがりは疑心暗鬼の錯覚かもしれないね。

 ともかく「サラ川」は愉快である。
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忘れても忘れたことに気づかない。

2008年02月06日 | とんでもない!
 節分を過ぎて暦の上では立春を迎えたというのに、寒さはまだまだ続きそうな今日この頃である。

 一昨日は仕事で使っている軽自動車のガソリンが無くなりそうなので、事務所で法人用のガソリンカードを借用して現場に向かった。

 法人用の後払いカードであるが、限られたガソリンスタンドでしか給油できないという、ちょっと不便なキャッシュレスカードであるため、仕事帰りまでに対象のガソリンスタンドを見つけることができなくて念のために現金で千円分だけ給油して事務所に帰ったのである。

 いずれにしても最近愛用している社用の軽自動車のガソリンが不足しているので、翌日にカードを使用してガソリンを入れようと思っていたので、事務所で説明して私用のジャケットのポケットに入れて翌日のために持ち帰った。

 その帰路で、日曜日の「餅つき」を行った住民センターに立ち寄って、水で濡れていたため干していた大きなブルーシートを片付けて、自分の車に詰め込んで帰っていたのである。

 翌日、いつもの様に社用の愛用車に乗って仕事現場に出かけた際に、ガソリンカードを使用してガソリンを入れようと思ったが前日と違ったジャンパーを着用していたためにポケットを探したが、ガソリンカードがない。

 携帯電話で家人にも電話して自宅にある前日のジャケットのポケットにあるだろうとガソリンカードを探してもらったがないとの返事であった。

 昼休みに昼食をとりながらズボンのポケットや携帯しているカバンや車の中も探したが見つからない。

 さてはガソリンカードを何処かに落としたのかもしれないと少し不安になってきた。

 帰宅後、就寝前と思い出した様に、ガソリンカードを探したのだが、どこにも見当たらない。

 結局頭を過ぎったのが、ガソリンカードを持ち帰った帰路に立ち寄った地元の住民センターで、グランドシートを畳む作業中に、底の浅いジャケットのポケットからカードを落としたのだろうという結論に達したのである。

 夜中に探しに行くこともできず、もし誰かが拾って届けてくれていたら幸いだが、不正使用でもされていたら困るなと考えながら、少し後悔の中で不安な眠りについたのである。

 翌朝、自分の身の回りを再度探した上で、近くの住民センターの事務所にガソリンカードが届いていないかと電話をしたが、届いていないという残念な返事だったが、もう一度自分の目で探そうと出勤前に立ち寄って探してみたが、やっぱりなかった。

 大切な金券でもあるガソリンカードを無くしてしまったという責任を感じつつ、止むを得ず落としてしまったことを詫びるしかないと事務所に向かい、上司に「あのうスミマセンがガソリンカードを・・・」と謝ろうと声をかけると、上司は机の上から、そのガソリンカードを手渡してくれたのである。

 なんと、なんと、私が事務所を去る前に翌日使用するつもりのカードだったが、一旦返していたのである。

 あぁ、「忘れても忘れたことに気づかない」、とんでもない出来事だった。
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