ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

帽子の一休さん。

2008年02月27日 | 季節の話題
 先々週の日曜日、「市民駅伝」の応援をかねて孫と散歩に出かけたが、いたるところで応援の人たちと立ち話をしながら、やってくる選手に「ファイト!」「頑張れ!」「もう少しだ」などと大きな声をかけながら先へと進んだ。

 十数年前の「町民駅伝」だった頃に私も職場の仲間たちとチームを組んでエントリーし、第一走者として約4.2キロを走った経験があり、当然10数歳若かったのだが途中でバテてしまって、第二走者への襷を渡す時にはフラフラだったことを思い出していた。

 そんな経験も手伝ってか、どうしても颯爽と走る若者たちだけでなく、よれよれになって走っている遅い走者に、どうしても感情移入しての声援が多くなっていた様に思う。

 マラソンや駅伝を人生に譬えるケースが多くあるが、人生においても調子よくカッコよく歩んでると思われる人よりも、どうしてもギコチナクても一生懸命に歩んでいる人に共感を覚える。

 まだまだ立春は過ぎたとはいえ、「春遠からじ」といった感じの寒さが身に沁みる季節が続くが、孫と二人で、いつもは自家用車でしか行き来しない、町の中心部にある図書館まで歩いて行く予定で、いろいろと話ながら歩いた。

 駅伝を走る選手のしんどさや寒さとは異なるだろうが、冬の寒さを身に感じながら図書館のあるJRの駅付近にやってきた。

 駅前広場の脇に立っている、わが町のシンボルともなっている「一休さん」の銅像が目に飛び込んできた時、何やら少しいつものイデタチと違うことに気づいた。

 そう、銅像の「一休さん」のいつもの丸坊主のツルツルの頭に、なんと帽子が被せてあったのである。

 そうだ、誰かがこの寒さの中で佇んでいる「一休さん」の銅像に、さぞ寒かろうと自分の帽子を被せたのだろうと察しがついたが、ちょっとしたユーモアでもあり、「絵になる」と感じたので駅伝の模様を撮影していた持参のデジカメでシャッターを何枚かきった

 現代版の「笠じぞう」みたいな光景でもあり、何やら世知辛い世の中の昨今にも、少し温かな思いやりの人の心が健在していると感じるワンショットとなった。

 数日後、ある新聞の地方版に、この「帽子の一休さん」が写真と共に掲載され、
記者の目にも留まったのか、読者が通報したのかは定かではないが、新聞紙上を飾ったのである。

 全く新聞を飾る「ちょっとしたショット」になるなどとは思わず撮影したワンショットが全く同じ思いの人たちの心にささやかでも響いて記事となったことが嬉しかった。

 その数日後、京田辺にも今年三度目の積雪があり、帽子にも雪が積もった「一休さん」の銅像が再び紙面の小さなコーナーに写真入りで掲載されていた。

 新聞紙上が凶悪事件や溜息のでる様な出来事のニュースなどで埋めつくされている感じの昨今に、心温まる記事とワンショットで構成された「帽子の一休さん」は、人々の心に、ほんとうの「春」を近くに感じさせる「立春」を感じさせてくれた様である。
コメント
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