ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

出会い。

2008年02月25日 | とんでもない!
 長い人生の旅を重ねてきて、いつ頃からだったか覚えてはいないが、私も「出会い」を大切に生きようと思う様になって、今日まで生きて来た。

 多くの人たちと出会って、今日と言う日を「生かされて」いることに心から感謝したい気持ちでいっぱいである。

 多くの人が「出会いの大切さ」を事あるごとに語ったり、記したりしていると思われるのだが、イーターネットと携帯電話が普及しだして以来、「出会い」と言う言葉は、「出会い系サイト」なる、何ともイカガワシイ造語にさらわれてしまって、なにやら「出会い」を大切にしていますなんておおっぴらに言えない雰囲気にもなっている。

 まじめに中高年も含め、男女の伴侶を求めて「出会い」を求めている人たちもいるのだが、新聞、雑誌をはじめとするメディアで踊っている「出会い」は、ややもすると怪しげな「男女の遊び」に通じる誤解を生む「言葉」に化している。

 ともあれ、私の人生においても、仕事、結婚、社会との関わり、全てが予期せぬ「出会い」から始まっていると言っても過言ではない。

 皆さんにとっても、さぞかしいろんなドラマチックな出会いや「偶然」や「奇跡」とでも思う様な「出会い」をいくつも経験されていることだろうと推察します。

 しかし、この「出会い」には、凡人には「偶然」とか「奇跡」とか思う様な意外な「出会い」があるわけだが、何度も登場するが私の敬愛する考古地理学の権威で、私の現在の師匠兼親父替りの大先生によれば、「全ての出会い」は、歴史的必然性なのだそうである。

 実は私も、最近はその様に感じ、思う様になっているのだが、平凡にも思える日常生活の中で、多くの意識しない「出会い」も含めて、「出会い」を体験しているのである。

 最近の私は、外歩きの営業仕事で、住宅街を一軒、一軒と訪ね歩く途中に、嬉し恥ずかしい??、友人の友人や、昔の知人に出くわすことが多くあるのである。

 先方さんも突然の訪問者に最初は戸惑い気味であっても、そのうちの会話を通じて何やら共通項とでも言うべき話が重なっていて、突然「そうなんや」「誰かと思えば○○サンの知人」だったのかと急に身近な知人になってしまうことが度々あるのである。

 今日もあるご年配の初対面の奥さんと話していたら、なんと共通の知人が重なって、しかも私の奥さんとも共通の趣味の活動の仲間だったことを知ってびっくりされたのである。

 先日は、元の職場の元同僚の妹さんに全く初めて出会ったのに、話すうちに話題が近づいて、初めてお会いしたのに、もう十数年来の友人の様に話している自分に気づきながら、苦笑したものである。

 「出会うべくして出会った」との思いが心に届き、期せずして「出会わせて」くれた「歴史的必然性」に感謝したねものである。

 これからも、こうした「出会いを大切」に、たくさんの「出会い」を楽しみながら、多くの人に学び教えられて、人生を歩みたいものである。
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