ガリバー通信

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教育再生・改革!!!

2008年02月17日 | 日本の課題
 ここ数年、日本の教育現場は、国の「教育改革」という旗頭で、教育再生会議なる素人集団や中央教育審議会なる組織的議論の場を通じて、政府、自民党を中心とする「日本のあるべき教育」のあり方についての提言がいろいろとなされてきた。

 地方選挙はもとより、総選挙や参議院選挙のたびに、「教育再生」や「教育改革」がスローガンとして掲げられて、ついに「教育基本法」の改悪がなされてしまった。

 何故に、「教育の再生」や「教育改革」が必要なのかがよく分からないままに、「いじめ」「不登校」「学力低下」「少子化による受験問題」「国際社会に対応する」などの課題に対する、小手先の都合のいい制度や内容の変更を目指している。

 しかし、よーく考えてみる必要があるのではないだろうか。

 日本と言う島国の中での「寺子屋」的教育の時代は江戸時代から昭和の初期で、もう終わっていいのではないだろうか。

 つまり「国際化」「情報化」の時代に突入した「世界の中の日本」の教育のあり方は、いまや決して「日本人」の育成なのではなく、国際人、つまり多様な民族、文化、宗教の混在する人間社会での、生きていくための基本的な「人間力」の育成が必要なのではないだろうか。

 安部前首相は「美しい国」を目指すと言って、やたら「愛国心」や「国のために働く人材育成」を掲げていたが、目を欧米諸国や地球人としての視野に立って考えてみれば、EU、ヨーロッパ諸国などでは、もはや他民族、多文化共生が当たり前であり、「愛国心」なんぞは仕事の邪魔であり、他国の文化や習慣をも理解できる寛容な心が必然的に求められているのである。

 すなわち、日本の教育の一番の欠点は、集団的教育であることと、点数評価を中心とした「試験のための勉強」が学習の根本であることではないだろうか。

 今や世界の趨勢は、習熟度別学習や集団的同質能力教育ではなく、何処でも誰でも時間をかけてでも「学ぶ機会」の徹底的な場と条件の整備を行った上で、PISA、すなわちOECDにある国際学生プログラムアセスメントが行っている「試験のスタイルに変わりつつあるのである。

 つまり「テストのための知識や正解を学習する」ことではなく、「考えて答えや方法を導き出すプロセスを大切にする学習」を重要視する教育に変革しなければ、国際社会での「学力評価」が望めない時代になっていると言えよう。

 「競争原理」に基づく、一点でもいい点を取ることが、全ての人間的能力や仕事が出来る評価に繋がるのではなく、多種多様な価値観の中での理解と調整、調和の発想、想像力などが、所謂「学力」となり、「人間力」として評価される時代に突入しているのである。

 つまり個性ある一人ひとりの子供たちの習熟度や理解力にあわせた「待つ」教育。一斉によーいドンで走ったり、みんなが百点を取る学習ではなく、個別な「好きな世界」を見つけることの出来る「ゆったりとした学習環境」があり、その個性を受け止めてサポートし付き合ってくれる教師が必要なのである。

 

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