高校、大学男性の3割近くが交際相手の女性から暴力を受けていたことがある調査で明らかになった。暴力被害は女性だけという一方的な決め付けに一石を投じる結果ではあるのだが。
「デートDV」意外な真実 男の30%女性から暴力受ける 5月7日19時35分配信 J-CASTニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080507-00000003-jct-soci
まずはニュースの表題が男、女性表記になっているのが滑稽だ。ここでは明らかに女が加害者、男性が被害者という構図なのだから、こんな表記がまかり通ること自体がやはりフェミニズム主導の報道だと言えるだろう。
次に、ニュース記事では沖縄タイムスに掲載された女性の事例を紹介しているが、これも以前自分がDVの被害者だったから加害者になってしまったという趣旨の記事になっている。つまり、本を正せば原因は男性にあるとでも言いたげな内容だ。
(引用開始)
■暴力の被害者が逆に加害者になる
沖縄タイムスの08年3月5日付けには、数時間にわたって殴られる「デートDV」を受けた女性(19)の記事が載っている。「デートDV」を受けた男と別れ、新しい恋人ができたときに、
「自分がされたように相手をコントロールしようとしてしまった。気付かぬうちため込んだ怒りがふいに爆発したり、フラッシュバックを起こし苦しんだ」
と、被害者が逆に加害者になる様子が書かれている。
(引用終了)
更に、デートDVの命名者であるというある団体の代表の解説が掲載されているが、これもフェミニズム得意の、支配被支配関係を強調している。更にセックスと所有関係とをこじつけ、暗にセックスが悪であるかのような表現をしている。そして最後には、やはり深刻なのは女性被害であると結んでいる。
(引用開始)
セックスすることによって、相手を自分の所有物のように思い、「支配」が始まるのだという。そして、相手を独占することが愛することだと勘違いし、「DV」だと気付かず、行為がエスカレートしていくことが多いのだという。
・・・中略・・・
女性と体格差がある男性に比べ、深刻なのはやはり暴力を受ける女性。
(引用終了)
結論として、この記事はあたかも男性被害にも目を向けていると見せかけながら、実は暴力の根源は男にあり、女性は被害者であるということを巧みに表現しているだけで、何らフェミニズムからの脱却は見られないと言えるのではないだろうか。
だいたい、DV加害女の全てが過去にDV被害者だったとは限らないし、暴力は肉体的なものだけではなく精神的なものもあり、むしろ言葉による暴力は男よりも女の方が攻撃性が強いとも言われている。
そもそも、女の暴力などの攻撃性が増加したのは、何よりフェミニズムの影響ではないだろうか。女性の権利だけを強調し、不快なものは全てセクハラだの人権侵害だのと騒ぎ立てて男性をねじ伏せる。そうした女性の態度そのものがDVであるし、それを国家的に推進している男女共同参画そのものが暴力法律と言えるのではないだろうか。
男女交際でも、友人との付き合いでも、必ず意見が分かれる時がある。その時には必ず妥協点を見出していくのが人間関係である。仮に支配という言葉を使うなら、自分の意には反しても、相手に合わせることによって関係を持続する場面は全て「支配」である。しかしそれはある時には立場が逆転する。つまり、お互いにある時は「支配者」となり、またある時は「被支配者」となることは実は普通の人間関係に過ぎないのであって、それを悪とするのなら、人付き合いそのものを絶つしか方法はない。
しかし、ならば誰とも付き合わなければ良いのかとなるとそれが誤りなのは明らかである。非婚化による少子化が問題視されているが、結婚を求める男性は多いのに対し、それを拒絶する女性は多い。だが女性の拒絶行為は暴力にはならないのか。離婚でも同じだ。別れたいと思う女性の意識は最優先されるのか。それは相手男性に対する暴力ではないか。支配や被害という言葉を並べながら、実は実権を握っているのは女性だということは社会を注意深く見渡せばすぐわかる。
フェミニズムとはそもそも支配思想である。自分を被害者と認定してもらうことによって、自分の欲求を相手に強制するという手法で権力を拡大していく。連中は全てが自分の思い通りになることだけをひたすら追い求める。そうした社会が女性の我侭を助長するだけだ。付き合いたい時だけ付き合って、要らなくなったら捨てる。まるで人を物のようにしか扱っていないのは何よりもフェミニズムなのだ。女性によるDVはそうした自己欲求が満たされないために引き起こされると考えるのが適切ではないだろうか。
何れにせよ、社会の癌はフェミニズムであることはいうまでもない。
ならば、今までの男性の言い分を主張していた記事・書物のことも批判したほうがいいのではないですか?
男性も理不尽さを体験することが必要です。
この際、とことん女性の意見に流されて、自分の無力さを知るのもいいことです。
「意見を聞き入れてもらえない」立場を知ることで、他人に優しくなれるのでは・・・。
そんな書物がどこに存在するでしょうか。
女性が理不尽さを体験し、とことん男性の意見に流されて、自分の無力さを知った試しがありますか。
>「意見を聞き入れてもらえない」立場を知ることで、他人に優しくなれるのでは・・・。
女性がそういう立場であったのならば、女性は他人に対し優しくなれるはずですが、現実はどうでしょうか。
批判してるわけだ。だったら女性差別、男女平等を訴えるフェミニストは女性よりでなかったとでもいうつもりだろうか。まさに典型的女のことしか考えてない女ですね。男性のDV被害についてはまるで触れてないし。
そしてマスコミはいつでも女性を被害者にしようとする。
いまネットでは男性差別的な報道はすぐ叩かれるようになっているので、大勢が地上波ではなく、ネットを見るようになればどうにかなるでしょう。
表現の自由さえ守られていればね
「どのような暴力コーピングでも,夫より妻の方が,暴力をふるう割合が高いことがわかります。また,結婚一ヶ月前,結婚18ヶ月後,結婚30ヶ月後,
いずれの時点でも,夫より妻の方が,暴力をふるう割合が高い事が報告されています。さらに,「親密なパートナーからの暴力」の性差を検討した82の調査を分析した研究(Archer,2000)では,男性より女性の方が,暴力的コーピングの使用頻度が高いと報告しています。暴力をふるったかどうかという自分自身の回答だけでなく,暴力をふるわれたかどうかの回答でも,男性より女性の方が暴力的コーピングを用いていました。ただし,パートナーにケガを負わせるような暴力に関しては,女性より男性の方が多いと報告しています。それではなぜ,世間は女性の暴力に注目する事なく,暴力をふるうのは男性だと思っているのでしょうか。それは,少なくとも北米の場合,女性の暴力を見逃す次のような社会文化的背景があると考えられています(Straus,1999)。①言い寄ってくる男性の横面を女性がひっぱたく事が受けいられているように,女性が男性を攻撃する権利を,社会が認める傾向があります。②また,女性の体は小さく,弱々しいため,女性は暴力を抑えなくてもかまわない,と思っているようです。つまり,女性は,自分の暴力が男性に危害を加える事はないと信じています。実際に,パートナーに暴力をふるう女性の多くは,「自分自身が暴力をふるっても,男性は傷を負う事はない」「自分の暴力を男性は防ぐ事ができる」と信じています(Lawrence et al.,2006)。③さらに,「女性は,男性からの暴力に対する自己防衛や報復のために暴力をふるう」と一般的に信じられているため,女性の暴力は社会的に許されやすいとも考えられています。」
『離婚の心理学 パートナーを失う原因とその対処』加藤 司 P186‐187