まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

伴氏が憂う日本の役人  あの頃も

2024-06-28 07:55:20 | Weblog

 

今は高知の山奥に引っ込んで炭焼きをしたり、ときおり街なかで「夜学会」と称して寺子屋風の勉強会を開いたいる、元共同通信の伴武澄氏のコラムである。人は彼を反骨とか左翼かかっているという。

共同通信の待遇はあの朝日新聞をしのぐ高給だといわれているが、そんな位置から世俗を眺めるブンヤとは異なり、ことのほか浮俗の下座観が豊かな人物である。その第四の権力といわれるマスコミの経済部門に位置して、相手からすればイヤらしい視点で書き綴るコラムは、゛政府は嘘をつき隠す゛ことを赤裸々に表している。

人々は、すねる・嫉妬する・あきらめる。それらは為政者ですら手のひらで戯れさせる狡猾さだが、数多の国民は承知している問題だ。

まずは新年に際して寒気がする初笑いを楽しんでいただきたいと転載します。

 

       

        筆者台湾外交部にて 手前左 伴氏    

 

未成年飲酒防止を名目に酒の安売り阻止を図ろうとした国税庁

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1998年03月06日(金)
共同通信社経済部 伴武澄


 業界紙だからうちは書けないんです

 流通クラブ担当だった1994年10月初め、食品業界紙の知り合いの女性記者から電話がかかった。相談したいことがあるというので、翌日、同僚記者と近くの喫茶店に出かけた。

 「ひどいんです。国税庁は未成年飲酒防止を名目に、お酒に価格破壊に水を掛けようとしているのですよ。この報告書をみて下さい」

 差し出された分厚い報告書には中央酒類審議会・新産業行政部会の名が記され、「アルコール飲料の販売の在り方」と題されていた。当時、酒のディスカウン トショップが日本全国に広がって「酒を定価で買う」長年の習慣が崩れつつあり、業界は既得権益の崩壊に危機感を高めていた。

 「週明けに発表になるんですけど、批判的な立場から書いてもらえませんか。うちは業界紙だからあまり批判めいた記事は書けないんです」。彼女の目は真剣 だった。ぱらぱらめくると確かに「未成年の飲酒防止策」がたくさん並んでいた。「対面販売」「自販機の撤廃」「前払いカード自販機の開発」「容器への注意 喚起表示の義務化」など酒を自由に買えないよう策がめぐらされていた。

 圧巻は「安く大量に手軽に販売すればよいとする在り方は問題が多い」とし、価格破壊を進めていたディスカウントショップやスーパー店頭での「分別陳列」と「レジの分別」を求めた点だった。明らかに新興勢力への嫌がらせである。

 彼女が経済部記者であるわれわれにこの報告書を持ってきたのにはもうひとつの理由があった。国税庁記者クラブは社会部記者が中心になっている記者クラブ で、ふだんは企業の脱税事犯を追う立場にある。社会部記者は常々社会正義を追う使命に立たされているため、「未成年飲酒防止」などの枕詞がつけば、どうし ても「正しい規制」ではないかと考えがちだなのだ。彼女としては「規制緩和に逆行」といった見出しが欲しかったのだ。

 当時、多くの経済部記者は、規制でがんじがらめの日本経済に危機感を抱いていた。再生には価格破壊を含めあらゆる規制を撤廃する必要があるとの認識で一 致していた。われわれも社会的規制で価格破壊の流れを逆行させてはいけないと判断した。この記事は筆者らの独自ダネとして翌朝、多くの地方紙の一面を飾っ た。

 背後に業界団体と族議員、国税庁のトライアングル

 「アルコール飲料の販売の在り方」という名の報告書をまとめた背後には、酒類販売店の業界組織やそこを支持基盤とする自民党族議員の影があった。幸い、 審議会報告はまとまったものの、酒の自販機が街からなくなる事態にはなっていないが、業界組織と族議員そして安定的な酒税収入を確保したい国税庁との「癒 着の三角構造」が仕掛けた策だった。

 「未成年への酒類販売防止」という誰もが反対できない社会的規制を持ち出して、酒類販売店の既得権を守ろうとする姿勢はあまりにも卑劣だと考えた。彼女 の考えもそうだった。「レジを分別せよ」という項目は明らかにスーパーにコストアップを要求したに等しく、「容器への注意喚起表示の義務づけ」は輸入ビー ルに対する嫌がらせだった。

 この社会的規制がうやむやになった理由は、担当が変わったせいもあり追及していない。大蔵省が管轄している業界は金融、証券、保険のほか、酒類とたば こ、塩がある。酒類もたばこも税収は大きい。製品値上げと税率アップを交互に繰り返し、製品に占める税率を一定に保ってきた。両方とも従量制だから安売り しても税収は減らない構造になっているが、製品価格のアップがあって始めて税率をアップできる。ディスカウントショップのおかげで当分の間、酒税は上げら れないということだ。 

1998年02月28日(土)
共同通信社経済部 伴武澄


 2月16日付レポート 「『ご説明』-議員やマスコミを籠絡する官僚の手口」を読んだ感想やご批判を多くいただいた。多くの読者に共通した意見もあると思われるので、匿名で掲載させていただいた。

 

           

         台湾国立中央研究院    右 伴氏              

 

貧困な日本の住宅をつくった「以下の論理」

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1998年02月18日(水)
共同通信社経済部 伴武澄


 以下と以上の議論を知っているか

 これは、最近まで大蔵省の事務次官を務めていた小川是氏が課長だったころの会話である。

 「君は以下と以上の議論を知っているかね」
 夜回り先での会話である。住宅問題を議論していた。
 「知りません。何ですか。それ」
 「つまり、戦後の日本の住宅が貧困な理由なんだが、私がまだ駆け出しの事務官だったころ主計局であった論議だ。住宅金融公庫をつくって国民の住宅取得に安い金利の資金を提供しようということになった。そのとき、融資対象を45平方メートル以下にするか、以上にするかで議論があった。私は以下にしたら貧相な家ばかりになると以上に賛成したんですが、金持ち優遇になるとかで以下になった経緯があるんです。現実も発想も貧しかったんですね」

 45平方メートルは当時の一般的な公団住宅の2DKの広さである。日本はいったん規格や基準が決まると基本路線をなかなか変られない。住宅金融公庫のこ の融資基準も30年来、ほとんどいじくられていない。融資対象物件の上限価格だけは天井知らずに上がった。日本は有数の金持ち国である。国土が狭いから多 少は地価が高くても仕方ない。しかし、狭すぎる。いま首都圏で販売される新築マンションの平均的居住空間は60-70平方メートルである。子供が一人の家 庭ならまだしらず、二人、三人ともなれば窮屈だ。恥ずかしくて人も呼べない。

 そんな空間に35年間ものローンを組むのである。昭和40年代に東京都内で建設されたマンションはそんなに狭くない。少なくとも一回りは広い。役人の発 想が貧困だから国民に対する住宅政策まで貧困になる。実は多くの公務員住宅も狭かった。ほとんどが公団規格だからである。狭い公務員住宅に住んでいた公務 員が「われわれでさえ、こんなところに甘んじているのだから」と以下の発想になったに違いない。またちなみに小川氏は世田谷に、外国人を呼んでも恥ずかしくない一戸建てに住んでいた。「以上の発想」が出てきたのはそういうことである

 足軽長屋に見た公団2DKのプロトタイプ

 新潟県新発田市へ行くと新発田城址に近くに「足軽長屋」が残っていて観光地の一つになっている。つい最近までどこの城下町にもあった長屋だそうだが、老 朽化してみんななくなった。新発田市だけは頑丈だったのか現在に残ったから観光地になった。歴史的遺物ではなく、ここでもつい15年ほど前まで庶民が住ん でいたそうだ。案内を頼んだタクシー運転手が「僕が生まれて住んでいたところ」とガイドしてくれた。少なくとも明治になって100年以上たっているから相 当に古い。

 中をのぞくと、6畳の土間があって、奥に6畳の囲炉裏の間、居間は6畳と4.5畳。一間半の押し入れがついている。つまり6畳間を四つくっつけただけの造りである。「これはまさに究極の2DKだ」とひらめいた。囲炉裏の間はダイニングキッチンそのものだ。煮炊きしながら食べる場でもある。個別に風呂とトイ レを付けた分だけ少々面積が広い。平屋で木造の足軽長屋を鉄筋コンクリート建ての5階にして現代に再現すると公団住宅となる。公団の2DKを設計した人はこんな長屋に住んでいたに違いないと直感した。

 それがどうしたといわれるかもしれない。おっとどっこい。江戸時代の足軽だった人には申し訳ないが、お金持ち国の住宅の基準がいつまでも足軽長屋でいいはずがない。

           

               毎年伴氏と訪れる津軽弘前

 

                 

                 筆者 津軽講話

 

「ご説明」-議員やマスコミを籠絡する官僚の手口

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1998年02月16日(月)
共同通信社経済部 伴武澄


 官僚からかかる突然の電話

 突然、郵政省の某課長補佐から電話がかかってきた。郵政省など担当をしたことはない。面識があろうはずがない。「日本の携帯電話市場についてご説明した い」というのだ。ある雑誌に「世界の携帯電話市場は欧州規格のGSMが席巻している。GSMは欧州、アジアとアフリカのほとんどの国でローミングできるの に、日本のNTT方式は国外に出たとたん使えない」と書いたことがお気に召さなかったようだ。署名入りだったから電話番号を調べてきたようだ。

 来ていただいても自説は曲げないことを何回も電話口で説明したが、相手は「とにかく一回伺いたい」と言う。あまりのしつこさに「じゃあ。1時間だけ話を 聞きましょう」と会う日時を決めた。「近くだから出向きます」といっても相手は固辞して、どうしても自分が出向くという。翌日、汚い共同通信の一室でその 課長補佐と会った。

 正直言って、東大出身の官僚からわざわざ電話をもらうのは悪い気はしない。相手を持ち上げて、いつのまにか自分の土俵に相手を取り込む。これこそが官僚 の人心掌握術なのだ。彼は自分で筆者の名前を見つけたのではない。上司が雑誌で見つけて、彼に「説明」に行くように命じた。ご説明は2時間にわたっても終 わらなかったが、取材予定が入っていたので切り上げてもらった。課長補佐は「近々また来ます」と言って帰ったが、筆者が大阪に転勤してしまった。そして、 課長補佐が置いていった膨大な資料はのどから手が出るほどおいしいものだった。

 確実にインプットされる大蔵の論理

 かなり昔の話だが、消費税導入前夜、参院議員だった野末陳平氏を議員会館に訪ねた。先客がいたため待っていると、大蔵省の薄井税制二課長が出てきた。顔 見知りの記者と場違いのところで出会ったことに一瞬うろたえた様子をみせたが「やあ、どうも」といって去った。野末さんに「お知り合いなんですか」と聞く と「あの人のご説明には閉口している。ようく来るんだ」とまんざらでもなさそうだった。野末陳平氏は二院クラブに属していて税金に関してはかなりの専門家 だった。

 当時、駆け出しの大蔵担当だった筆者は「なるほど。こういう仕組みになっているのか」とひらめいた。大蔵省だけではない。官僚が新しい政策を導入しよう とするときは、局を挙げて課長補佐クラス以上が毎日「ご説明」に奔走する。自民党の幹部はもちろんだ。野党からはてはマスコミまで説明する範囲は想像を超 える。知らない相手であろうが躊躇しない。新聞記者の夜討ち朝駆けと同じである。

 自民党の最高幹部は別として、大蔵官僚がわざわざ自分のところに出向いて「ご説明させていただきたい」と電話がかかってきたら、それこそ悪い気がしない し、断れるものではない。警察や検察の事情聴取は強圧的に相手を呼びつけるから拒否できないが、官僚は自ら出向くという手法を取り、相手のプライドをくす ぐる。こういうときの官僚は実に腰が低い。

 初対面でも心を開いているよう相手に感じさせる術も心得ている。もちろん与党議員と野党議員とでは打ち明ける内容に濃淡がある。しかし、「官僚の論理」 はこうした「ご説明」を経て、相手の脳裏に確実にインプットされる。日本の行政は法律を読んだだけでは分からない。政省令や各種通達に精通した人たちだけ のものとなっている。官僚の「ご説明」を聞くと「なるほどそういうことになっているのか」とその分野の玄人になった気分にもさせられる。一度「ご説明」を 受けた人は政府統計など貴重な資料を定期的に手にすることができるし、気軽に電話での質問も可能になる。政策に通じていない国会議員やマスコミには絶大な るメリットをもたらす。コンピューター用語でいえば、彼らは官僚フォーマットが終わったことになる。

 

             

                     秩父 名栗湖の冬

      

 

京セラよ、おまえもか 中島元主計局次長入社事件

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1998年1月19日(月)
共同通信社経済部 伴武澄

 昨年12月のある深夜のことである。朝日新聞が社会面で「中島義雄氏が京セラ入社」を報じていることが分かり、共同通信社もそのニュースを追いかけた。中島氏といえば、元大蔵相の主計局次長。金融機関からの過剰接待が問題となって辞任した人物である。いつも正論居士として発言してきた稲盛和夫氏の京セラが 「どうして」「なぜだ」。デスクとしての義憤があった。「京セラよおまえもか」という思いが頭をよぎった。

 一般の新聞読者には分からないことだろうが、大手マスコミは翌日の「早版」朝刊を深夜の街角で交換する習慣がある。東京都内や大阪市内には「最終版」と いう紙面が配達される。各紙が特ダネで勝負するのはこの「最終版」であり、早い時間にニュースの掲載を打ち切り印刷された「早版」交換で各社は落とした ニュースがないかチェックするのだ。

 「中島義雄氏が京セラ入社」のニュースはいわば、朝日新聞の独自ダネであった。翌々日、京セラの伊藤社長は要望のあったメディアに対して、釈明インター ビューを受け入れた。取材した記者は夕方興奮した声で「中島が同席したんですよ」と伝えてきた。なんら動じることなく、過去を恥じるようでもなかった。実 に堂々とした様子に記者の方が圧倒されたという。

 伊藤社長は「一般の途中入社の募集に中島氏が応じてきた。過去の経歴や個人の力量を考えて採用した。過ちを悔いるものを受け入れて悪いはずがない」というような内容の発言をした。

 町のチンピラが、長い刑期を終えて過去を悔いたのとは訳が違う。捜査当局の判断次第では刑事被告人になっていたかもしれない人物である。大蔵省の大幹部 だったからこそ、刑事訴追を免れたのは明白である。中島氏が「過去を悔いた」といっても「刑に服した」わけではない。「償い」は終わっていない。

 筆者も1987-88年の間、大蔵省の記者クラブである「財政研究会」に属したこともある。当時、中島氏は主計局の厚生・労働担当主計官だった。向かい の部屋に運輸担当の主計官として田谷氏がいた。この二人はつっけんどんで愛想のない大蔵官僚のなかで新聞記者の人気者だった。いつでも気さくにわれわれの 取材に応じてくれた。田谷氏は自民党が整備新幹線の建設再開を決めたことに対して「昭和の三バカ大査定」と評してマスコミの寵児となった。

 金融機関から過剰接待を受けていたのはこの二人だけではない。ほとんどの官僚の日常生活に接待飲食とゴルフが溶け込んでいた。たまたま名前が浮かんだの は、度が過ぎていたのかもしれなし、運が悪かったのかもしてない。だからといって、京セラが中島氏を中途採用する理由にはならない。

 リクルートの未公開株の譲渡で労働省の事務次官らが逮捕された事件が起きたとき、ある大蔵官僚が「あいつらは脇が甘いんだ。接待慣れしていないんでない か」と言っていたのを思い出す。通産省では「課長にもなって夜の予定が入っていないようでは将来はないな」と豪語する課長もいた。月曜日の午前中、建設省で取材していた時に大手ゼネコン風の人が入ってきて「きのうはどうも」と大声を上げていた光景に出くわしたこともある。

 高度成長時、民間企業に接待費があふれ返っていた。安月給だった官僚がそのおこぼれに預かってなにが悪いという時代もあった。しかし時代は変わったのである。

 われわれ新聞記者の特性は「忘れやすい」ということである。国民も同様だ。昨夜、神戸に出かけて大震災3周年の記念行事に出席して「4年前に国民の目が この阪神・淡路地区に釘付けにされた」ことを思い出した。ゲストの加山雄三氏が「実はいてもたってもいられなくなって家族全員を引き連れて東京駅の街頭に 立って募金活動をした。みんなそうだったでしょう」と打ち明けた。

 官僚の犯罪も風化させてはならない。18日、東京地検特捜部は野村証券にからむ外債発行をめぐる汚職事件で大蔵省OBの日本道路公団理事を逮捕した。

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