台湾 外交部 欧陽常務次官 手前左 国際平和協会会長 伴武澄氏
昨日の章では「Think アジア」にを唱えて台湾へ人物探しに行ったことを記した。
その旅程だが、まさに休む間もなくアポイントが入り込みスコールの中で飛び回ったことを想いだす。どうにかクリアできたのも外大出の伴さんの少しは?話せる北京語のお陰でもあった。
「Thinkアジアで台湾へ行くよ」というだけで直ぐ呼応したのが、当時総務省のCIO補佐官の大塚氏と伴氏である。そのときの訪問目的を台湾側に伝えるときの標題で思いついたのだが、大塚氏のHP「Think Japan」の拡大版だった。
備忘録の参考として日程を転載する
一九日午前一〇時、成田発
午後〇時半、中正国際空港着
午後二時、台北市シーザーズ・パーク・ホテル
午後四時、芝山巌の六氏先生碑訪問
午後六時 在台北日本人ジャーナリストと懇談、渡辺共同通信支局長、
早田建文台湾通信発行人
二〇日午前一〇時、中正記念館、・・館長と面談
午前一一時、中央研究院近代史研究所研究員 黄自進慶応大学法学博士
昼食をはさんで3時間の面談
午後七時、ホテルで緊急ゼミ(西尾林太郎愛知淑徳大学教授、
栃本千鶴藤田保健衛生大学助教授、日本人ジャーナリストら)
二一日午前一〇時、忠烈祠
午後〇時、蔡焜燦台北市李登輝之友会会長、李璋台湾川柳会会長らと会食
午後二時、国立国父記念館の・・館長と面談
午後四時、彭栄次台湾輸送機械会長と意見交換
午後七時、酒井亨民進党国際事務部職員と意見交換
二二日午前一〇時、欧陽瑞雄外交部常務次長インタビュー、
呉嘉雄同台日関係会執行秘書も同席
午後一時半、中正国際空港発
午後五時半、成田着

避けたい日本のTPP参加によるアジア分断
2011年11月10日 萬晩報主宰 伴 武澄
学生時代から日本とは何かをずっと考えてきている。引きずっているのは日本に
とってのアジアという存在である。少年時代に南アフリカでアパルトヘイトの洗礼
を受けたことが影響しているのだと思っている。政治家も評論家も学者も戦争につ
いて「アジアへの贖罪意識」については語るが、「はたして日本がアジアなのか」
という議論をずっと避けてきた。
明治時代、西洋という対抗軸の中で多くの日本人がアジアを強烈に意識していた。
「脱亜入欧」は西洋に追いつけというスローガンではあった。しかし、日本が先進
国の仲間入りをした後も、人種も宗教も異なる日本について、西洋諸国が心を許す
仲間になるほどにはなり得ていないし、そもそもなり得ない存在なのだろうと感じ
ている。
日本がアジアで信頼を得ていないのは、いつも西洋の尻馬に乗るその立ち振る舞
いにあったのではないかと思っている。外交の軸足はいつだって「アメリカ」だっ
た。かつて独自外交を目指した政治家もあったが、ことごとく悲惨な末路をたどっ
ているのは確かである。
「アジア」の重要性を口にしながら、重要な決定を控えると対米従属の行動を繰
り返してきたのが戦後日本だった。アジアから見える日本はまだに欧米崇拝であり、
アジア蔑視だったはずである。
約20年前にアジア共同体をつくろうという動きがあった。最終局面でアメリカか
ら「アメリカ抜きの経済体」は許さないという圧力がかかり、APECという中途半端
な組織が誕生した。アジア太平洋経済閣僚会議である。台湾や香港という「国家」
でない単位も加盟できるよう「閣僚会議」と命名したのは苦悩の末だった。アジア
はそれほどに微妙な政治的バランスの上に成り立っていたからだ。それなのに、ク
リントン大統領はAPECで「首脳会議」を敢行した。結果的に台湾の総統は参加でき
なくなった。
21世紀になって、ようやく東アジア共同体の発想が育まれた。アセアンの中に
「プラス3」、つまり日中韓というフォーラムを形成し、東アジアの経済協力を進
めることになった。アジアが互いに信頼醸成できる経済的環境が生まれたとの感慨
があった。
TPPの存在を知ったのは1年前である。菅直人首相が突然、TPP参加を表明した。
そのとき、東アジアの協力の機運に真っ向から対立する概念だと感じた。
経済力や成長力で日本を凌駕する中国と韓国の存在感は90年代とは比べられない
ほどに高まっている。貿易量でも日中は日米を上回るまでになっている。アメリカ
が大切なのかアジアが大切なのか。比較する前提も大きく変化している。そんな情
勢の中で再びアジアを分断するような経済体をつくる必要はない。
日本がもう一度、アジアに立ち戻るチャンスを見逃してはならない。TPPは日本
の農業であるとかサービス業うんぬんの話ではない。日本外交がアジアに軸足をお
くのかどうかという歴史的な分水嶺になるはずだ。日本抜きのTPPなど地域経済体
としてまったく意味をなさないはずだ。参加国の経済規模があまりに小さすぎる。
アメリカの一人芝居に終わるに決まっている。
野田佳彦首相は何をあせっているのか。民主党の多くの反対論に抗してまでTPP
参加を決断する意味はない。日本の立ち位置についてもう一度深く考えてほしい。
≪前後するが前日のブログページ≫
「萬朝報」の向こうを張って「萬晩報」を主宰する伴武澄氏が、元の棲家であった共同通信を卒業して出身地の高知に戻った。
以前といおうか昔のことだが、まだネットが盛んでない時分に「京都霊山の坂本龍馬の墓に何日の何時に集合」という知らせが入った。東京、横浜、関西から好き者が集まって遊んだことがある。みな初対面の連中だった。
以来、「Think アジア」を提唱して台湾に有為なる人探しに行ったり,彼のライフワークになった賀川豊彦氏の由縁を訪ねて神戸を訪問したり、津軽弘前には歴史の縁を訪ねて深雪に戯れ、まさに人生色々を体験した。
当時経済部の伴、総務省補佐官の大塚氏、経産省の某氏などとの手弁当の旅だった
また寶田時雄氏の備忘録「請孫文再来」をホームぺージにして多くの読者を集めたのも、伴氏と友人の大塚寿昭氏である。
今回、元経済部の賢察から腹話術のドジョウの考えに切り込んでいる。
食い扶持に囲われているときは、なかなか見られなかった筆力だが、もともと構想力と気概がある氏のことゆえ,多方面での活躍が望まれる。
そんな的確な着眼に敬意を表して転載させていただきます。

弘前市幹部との押しかけシンポジューム 左 伴
国の無駄遣い4200億円で賄える震災復興
2011年11月09日水)萬晩報主宰 伴 武澄
最近、意味の分からない議論が多すぎる。東日本大震災の復古財源に充てる復興
債の償還期間が25年に延長されることで与野党が合意した。そもそも復興債の発想
は「次世代に負担させたくない」(野田佳彦首相)ということから始まった。当初
10年で返済するはずだったものが、自民党の要請で25年に延長されてしまった。
与野党の合意は歓迎すべきことだが、25年となれば、確実に次世代に引き継がれ
ることになってしまう。そうなら、あえて「復興債」などという仰々しいことをし
なくても建設国債でも赤字国債でもよかったはずである。この間の与野党の議論は
なんだったのかと思うととたんに疲れが出てしまう。
一方、会計検査院が野田首相に提出した2010年度の決算検査報告書によると、税
金の無駄遣いは約4283億円だったそうだ。金額で2009年の1兆 7904億円に次いで
過去2番目に多かった。ちょっと待て。東日本大震災の復興に使う11兆2000億円を
25年で割ると4480億円。国の無駄遣いとほぼ同じではないか。政府が無駄遣いをや
めれば、復興債など出さなくとも賄える金額ではないのか。
そんなに毎年、巨額の無駄遣いが出るわけではないといかぶる向きもあろうと思
うが、実は2006年度までは数百億程度だった無駄遣いの指摘が翌年度から千億円の
単位となっているのである。2006年度310億円だったのが、2007年度は1253億円、
2008年度は2364億円と続く。
これは消費税増税の議論の中で「まずは無駄遣いをなくせ」という与野党の機運
が盛り上がり、会計検査院としても本気にならざるを得なくなったからである。民
主党の仕分け会議でなくとも、公務員でもやろうと思えばできることを証明してい
るのである。
野田政権は何もやらない政権かと思っていたが、なかなかしたたかである。とい
うより従順である。消費税増税、TPP、復興税、普天間・・・。官僚の振り付け
のままに中央突破を図ろうとしている。官僚の議論はある意味で緻密に積み重ねら
れているから、国会の論戦でもたじろぐことはない。ちゃんと答弁書を用意してく
れるから心配もない。
官僚のへりくつに従って、後は馬耳東風を決め込んできたのは歴代の自民党政権
だった。その自民党の手法を真似ていれば「政権の安定」が図れると考えているの
だとしたら、それは偉大なる勘違いであろう。脱官僚を目指した民主党が官僚に完
全に取り込まれている姿はいかにも痛々しい。
よく考えてみよう。国民の前で一度だって公言したことのない「消費税10%」の
議論を野田首相はカンヌサミットで「国際公約」だと約束してみせた。「税と社会
保障の一体改革」で財源である消費税増税議論を進めながら、肝心のどういう年金
を目指すのかの議論は止まったままなのである。
消費税増税によって民主党のマニフェストである税金による基礎年金の負担がで
きるのであれば、国民の一定の理解もすすむだろうが、今回の消費税増税によって
改善するのは「財政」だけとなれば話は別である。
「税と社会保障の一体改革」は完璧なまやかしとなる。(伴 武澄)
昨日の章では「Think アジア」にを唱えて台湾へ人物探しに行ったことを記した。
その旅程だが、まさに休む間もなくアポイントが入り込みスコールの中で飛び回ったことを想いだす。どうにかクリアできたのも外大出の伴さんの少しは?話せる北京語のお陰でもあった。
「Thinkアジアで台湾へ行くよ」というだけで直ぐ呼応したのが、当時総務省のCIO補佐官の大塚氏と伴氏である。そのときの訪問目的を台湾側に伝えるときの標題で思いついたのだが、大塚氏のHP「Think Japan」の拡大版だった。
備忘録の参考として日程を転載する
一九日午前一〇時、成田発
午後〇時半、中正国際空港着
午後二時、台北市シーザーズ・パーク・ホテル
午後四時、芝山巌の六氏先生碑訪問
午後六時 在台北日本人ジャーナリストと懇談、渡辺共同通信支局長、
早田建文台湾通信発行人
二〇日午前一〇時、中正記念館、・・館長と面談
午前一一時、中央研究院近代史研究所研究員 黄自進慶応大学法学博士
昼食をはさんで3時間の面談
午後七時、ホテルで緊急ゼミ(西尾林太郎愛知淑徳大学教授、
栃本千鶴藤田保健衛生大学助教授、日本人ジャーナリストら)
二一日午前一〇時、忠烈祠
午後〇時、蔡焜燦台北市李登輝之友会会長、李璋台湾川柳会会長らと会食
午後二時、国立国父記念館の・・館長と面談
午後四時、彭栄次台湾輸送機械会長と意見交換
午後七時、酒井亨民進党国際事務部職員と意見交換
二二日午前一〇時、欧陽瑞雄外交部常務次長インタビュー、
呉嘉雄同台日関係会執行秘書も同席
午後一時半、中正国際空港発
午後五時半、成田着

避けたい日本のTPP参加によるアジア分断
2011年11月10日 萬晩報主宰 伴 武澄
学生時代から日本とは何かをずっと考えてきている。引きずっているのは日本に
とってのアジアという存在である。少年時代に南アフリカでアパルトヘイトの洗礼
を受けたことが影響しているのだと思っている。政治家も評論家も学者も戦争につ
いて「アジアへの贖罪意識」については語るが、「はたして日本がアジアなのか」
という議論をずっと避けてきた。
明治時代、西洋という対抗軸の中で多くの日本人がアジアを強烈に意識していた。
「脱亜入欧」は西洋に追いつけというスローガンではあった。しかし、日本が先進
国の仲間入りをした後も、人種も宗教も異なる日本について、西洋諸国が心を許す
仲間になるほどにはなり得ていないし、そもそもなり得ない存在なのだろうと感じ
ている。
日本がアジアで信頼を得ていないのは、いつも西洋の尻馬に乗るその立ち振る舞
いにあったのではないかと思っている。外交の軸足はいつだって「アメリカ」だっ
た。かつて独自外交を目指した政治家もあったが、ことごとく悲惨な末路をたどっ
ているのは確かである。
「アジア」の重要性を口にしながら、重要な決定を控えると対米従属の行動を繰
り返してきたのが戦後日本だった。アジアから見える日本はまだに欧米崇拝であり、
アジア蔑視だったはずである。
約20年前にアジア共同体をつくろうという動きがあった。最終局面でアメリカか
ら「アメリカ抜きの経済体」は許さないという圧力がかかり、APECという中途半端
な組織が誕生した。アジア太平洋経済閣僚会議である。台湾や香港という「国家」
でない単位も加盟できるよう「閣僚会議」と命名したのは苦悩の末だった。アジア
はそれほどに微妙な政治的バランスの上に成り立っていたからだ。それなのに、ク
リントン大統領はAPECで「首脳会議」を敢行した。結果的に台湾の総統は参加でき
なくなった。
21世紀になって、ようやく東アジア共同体の発想が育まれた。アセアンの中に
「プラス3」、つまり日中韓というフォーラムを形成し、東アジアの経済協力を進
めることになった。アジアが互いに信頼醸成できる経済的環境が生まれたとの感慨
があった。
TPPの存在を知ったのは1年前である。菅直人首相が突然、TPP参加を表明した。
そのとき、東アジアの協力の機運に真っ向から対立する概念だと感じた。
経済力や成長力で日本を凌駕する中国と韓国の存在感は90年代とは比べられない
ほどに高まっている。貿易量でも日中は日米を上回るまでになっている。アメリカ
が大切なのかアジアが大切なのか。比較する前提も大きく変化している。そんな情
勢の中で再びアジアを分断するような経済体をつくる必要はない。
日本がもう一度、アジアに立ち戻るチャンスを見逃してはならない。TPPは日本
の農業であるとかサービス業うんぬんの話ではない。日本外交がアジアに軸足をお
くのかどうかという歴史的な分水嶺になるはずだ。日本抜きのTPPなど地域経済体
としてまったく意味をなさないはずだ。参加国の経済規模があまりに小さすぎる。
アメリカの一人芝居に終わるに決まっている。
野田佳彦首相は何をあせっているのか。民主党の多くの反対論に抗してまでTPP
参加を決断する意味はない。日本の立ち位置についてもう一度深く考えてほしい。
≪前後するが前日のブログページ≫
「萬朝報」の向こうを張って「萬晩報」を主宰する伴武澄氏が、元の棲家であった共同通信を卒業して出身地の高知に戻った。
以前といおうか昔のことだが、まだネットが盛んでない時分に「京都霊山の坂本龍馬の墓に何日の何時に集合」という知らせが入った。東京、横浜、関西から好き者が集まって遊んだことがある。みな初対面の連中だった。
以来、「Think アジア」を提唱して台湾に有為なる人探しに行ったり,彼のライフワークになった賀川豊彦氏の由縁を訪ねて神戸を訪問したり、津軽弘前には歴史の縁を訪ねて深雪に戯れ、まさに人生色々を体験した。
当時経済部の伴、総務省補佐官の大塚氏、経産省の某氏などとの手弁当の旅だった
また寶田時雄氏の備忘録「請孫文再来」をホームぺージにして多くの読者を集めたのも、伴氏と友人の大塚寿昭氏である。
今回、元経済部の賢察から腹話術のドジョウの考えに切り込んでいる。
食い扶持に囲われているときは、なかなか見られなかった筆力だが、もともと構想力と気概がある氏のことゆえ,多方面での活躍が望まれる。
そんな的確な着眼に敬意を表して転載させていただきます。

弘前市幹部との押しかけシンポジューム 左 伴
国の無駄遣い4200億円で賄える震災復興
2011年11月09日水)萬晩報主宰 伴 武澄
最近、意味の分からない議論が多すぎる。東日本大震災の復古財源に充てる復興
債の償還期間が25年に延長されることで与野党が合意した。そもそも復興債の発想
は「次世代に負担させたくない」(野田佳彦首相)ということから始まった。当初
10年で返済するはずだったものが、自民党の要請で25年に延長されてしまった。
与野党の合意は歓迎すべきことだが、25年となれば、確実に次世代に引き継がれ
ることになってしまう。そうなら、あえて「復興債」などという仰々しいことをし
なくても建設国債でも赤字国債でもよかったはずである。この間の与野党の議論は
なんだったのかと思うととたんに疲れが出てしまう。
一方、会計検査院が野田首相に提出した2010年度の決算検査報告書によると、税
金の無駄遣いは約4283億円だったそうだ。金額で2009年の1兆 7904億円に次いで
過去2番目に多かった。ちょっと待て。東日本大震災の復興に使う11兆2000億円を
25年で割ると4480億円。国の無駄遣いとほぼ同じではないか。政府が無駄遣いをや
めれば、復興債など出さなくとも賄える金額ではないのか。
そんなに毎年、巨額の無駄遣いが出るわけではないといかぶる向きもあろうと思
うが、実は2006年度までは数百億程度だった無駄遣いの指摘が翌年度から千億円の
単位となっているのである。2006年度310億円だったのが、2007年度は1253億円、
2008年度は2364億円と続く。
これは消費税増税の議論の中で「まずは無駄遣いをなくせ」という与野党の機運
が盛り上がり、会計検査院としても本気にならざるを得なくなったからである。民
主党の仕分け会議でなくとも、公務員でもやろうと思えばできることを証明してい
るのである。
野田政権は何もやらない政権かと思っていたが、なかなかしたたかである。とい
うより従順である。消費税増税、TPP、復興税、普天間・・・。官僚の振り付け
のままに中央突破を図ろうとしている。官僚の議論はある意味で緻密に積み重ねら
れているから、国会の論戦でもたじろぐことはない。ちゃんと答弁書を用意してく
れるから心配もない。
官僚のへりくつに従って、後は馬耳東風を決め込んできたのは歴代の自民党政権
だった。その自民党の手法を真似ていれば「政権の安定」が図れると考えているの
だとしたら、それは偉大なる勘違いであろう。脱官僚を目指した民主党が官僚に完
全に取り込まれている姿はいかにも痛々しい。
よく考えてみよう。国民の前で一度だって公言したことのない「消費税10%」の
議論を野田首相はカンヌサミットで「国際公約」だと約束してみせた。「税と社会
保障の一体改革」で財源である消費税増税議論を進めながら、肝心のどういう年金
を目指すのかの議論は止まったままなのである。
消費税増税によって民主党のマニフェストである税金による基礎年金の負担がで
きるのであれば、国民の一定の理解もすすむだろうが、今回の消費税増税によって
改善するのは「財政」だけとなれば話は別である。
「税と社会保障の一体改革」は完璧なまやかしとなる。(伴 武澄)