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まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

Think アジアの提唱  其の1 伴武澄の稿 11/11再

2013-09-12 13:47:11 | Weblog
   台湾 外交部 欧陽常務次官   手前左 国際平和協会会長 伴武澄氏



昨日の章では「Think アジア」にを唱えて台湾へ人物探しに行ったことを記した。

その旅程だが、まさに休む間もなくアポイントが入り込みスコールの中で飛び回ったことを想いだす。どうにかクリアできたのも外大出の伴さんの少しは?話せる北京語のお陰でもあった。

「Thinkアジアで台湾へ行くよ」というだけで直ぐ呼応したのが、当時総務省のCIO補佐官の大塚氏と伴氏である。そのときの訪問目的を台湾側に伝えるときの標題で思いついたのだが、大塚氏のHP「Think Japan」の拡大版だった。

備忘録の参考として日程を転載する

一九日午前一〇時、成田発
   午後〇時半、中正国際空港着
   午後二時、台北市シーザーズ・パーク・ホテル
   午後四時、芝山巌の六氏先生碑訪問
   午後六時 在台北日本人ジャーナリストと懇談、渡辺共同通信支局長、
早田建文台湾通信発行人
二〇日午前一〇時、中正記念館、・・館長と面談
   午前一一時、中央研究院近代史研究所研究員 黄自進慶応大学法学博士
         昼食をはさんで3時間の面談
   午後七時、ホテルで緊急ゼミ(西尾林太郎愛知淑徳大学教授、
栃本千鶴藤田保健衛生大学助教授、日本人ジャーナリストら)
二一日午前一〇時、忠烈祠
   午後〇時、蔡焜燦台北市李登輝之友会会長、李璋台湾川柳会会長らと会食
   午後二時、国立国父記念館の・・館長と面談
   午後四時、彭栄次台湾輸送機械会長と意見交換
   午後七時、酒井亨民進党国際事務部職員と意見交換
二二日午前一〇時、欧陽瑞雄外交部常務次長インタビュー、
呉嘉雄同台日関係会執行秘書も同席
   午後一時半、中正国際空港発
   午後五時半、成田着











  避けたい日本のTPP参加によるアジア分断
          
                   2011年11月10日 萬晩報主宰 伴 武澄

 学生時代から日本とは何かをずっと考えてきている。引きずっているのは日本に
とってのアジアという存在である。少年時代に南アフリカでアパルトヘイトの洗礼
を受けたことが影響しているのだと思っている。政治家も評論家も学者も戦争につ
いて「アジアへの贖罪意識」については語るが、「はたして日本がアジアなのか」
という議論をずっと避けてきた。

 明治時代、西洋という対抗軸の中で多くの日本人がアジアを強烈に意識していた。
「脱亜入欧」は西洋に追いつけというスローガンではあった。しかし、日本が先進
国の仲間入りをした後も、人種も宗教も異なる日本について、西洋諸国が心を許す
仲間になるほどにはなり得ていないし、そもそもなり得ない存在なのだろうと感じ
ている。

 日本がアジアで信頼を得ていないのは、いつも西洋の尻馬に乗るその立ち振る舞
いにあったのではないかと思っている。外交の軸足はいつだって「アメリカ」だっ
た。かつて独自外交を目指した政治家もあったが、ことごとく悲惨な末路をたどっ
ているのは確かである。

 「アジア」の重要性を口にしながら、重要な決定を控えると対米従属の行動を繰
り返してきたのが戦後日本だった。アジアから見える日本はまだに欧米崇拝であり、
アジア蔑視だったはずである。


 約20年前にアジア共同体をつくろうという動きがあった。最終局面でアメリカか
ら「アメリカ抜きの経済体」は許さないという圧力がかかり、APECという中途半端
な組織が誕生した。アジア太平洋経済閣僚会議である。台湾や香港という「国家」
でない単位も加盟できるよう「閣僚会議」と命名したのは苦悩の末だった。アジア
はそれほどに微妙な政治的バランスの上に成り立っていたからだ。それなのに、ク
リントン大統領はAPECで「首脳会議」を敢行した。結果的に台湾の総統は参加でき
なくなった。

 21世紀になって、ようやく東アジア共同体の発想が育まれた。アセアンの中に
「プラス3」、つまり日中韓というフォーラムを形成し、東アジアの経済協力を進
めることになった。アジアが互いに信頼醸成できる経済的環境が生まれたとの感慨
があった。

 TPPの存在を知ったのは1年前である。菅直人首相が突然、TPP参加を表明した。
そのとき、東アジアの協力の機運に真っ向から対立する概念だと感じた。

 経済力や成長力で日本を凌駕する中国と韓国の存在感は90年代とは比べられない
ほどに高まっている。貿易量でも日中は日米を上回るまでになっている。アメリカ
が大切なのかアジアが大切なのか。比較する前提も大きく変化している。そんな情
勢の中で再びアジアを分断するような経済体をつくる必要はない。

 
日本がもう一度、アジアに立ち戻るチャンスを見逃してはならない。TPPは日本
の農業であるとかサービス業うんぬんの話ではない。日本外交がアジアに軸足をお
くのかどうかという歴史的な分水嶺になるはずだ。日本抜きのTPPなど地域経済体
としてまったく意味をなさないはずだ。参加国の経済規模があまりに小さすぎる。
アメリカの一人芝居に終わるに決まっている。
 

野田佳彦首相は何をあせっているのか。民主党の多くの反対論に抗してまでTPP
参加を決断する意味はない。日本の立ち位置についてもう一度深く考えてほしい。





≪前後するが前日のブログページ≫


「萬朝報」の向こうを張って「萬晩報」を主宰する伴武澄氏が、元の棲家であった共同通信を卒業して出身地の高知に戻った。
以前といおうか昔のことだが、まだネットが盛んでない時分に「京都霊山の坂本龍馬の墓に何日の何時に集合」という知らせが入った。東京、横浜、関西から好き者が集まって遊んだことがある。みな初対面の連中だった。

以来、「Think アジア」を提唱して台湾に有為なる人探しに行ったり,彼のライフワークになった賀川豊彦氏の由縁を訪ねて神戸を訪問したり、津軽弘前には歴史の縁を訪ねて深雪に戯れ、まさに人生色々を体験した。

当時経済部の伴、総務省補佐官の大塚氏、経産省の某氏などとの手弁当の旅だった

また寶田時雄氏の備忘録「請孫文再来」をホームぺージにして多くの読者を集めたのも、伴氏と友人の大塚寿昭氏である。

今回、元経済部の賢察から腹話術のドジョウの考えに切り込んでいる。
食い扶持に囲われているときは、なかなか見られなかった筆力だが、もともと構想力と気概がある氏のことゆえ,多方面での活躍が望まれる。

そんな的確な着眼に敬意を表して転載させていただきます。





  弘前市幹部との押しかけシンポジューム  左 伴 





  国の無駄遣い4200億円で賄える震災復興
            
                2011年11月09日水)萬晩報主宰 伴 武澄

 最近、意味の分からない議論が多すぎる。東日本大震災の復古財源に充てる復興
債の償還期間が25年に延長されることで与野党が合意した。そもそも復興債の発想
は「次世代に負担させたくない」(野田佳彦首相)ということから始まった。当初
10年で返済するはずだったものが、自民党の要請で25年に延長されてしまった。

 与野党の合意は歓迎すべきことだが、25年となれば、確実に次世代に引き継がれ
ることになってしまう。そうなら、あえて「復興債」などという仰々しいことをし
なくても建設国債でも赤字国債でもよかったはずである。この間の与野党の議論は
なんだったのかと思うととたんに疲れが出てしまう。

 一方、会計検査院が野田首相に提出した2010年度の決算検査報告書によると、税
金の無駄遣いは約4283億円だったそうだ。金額で2009年の1兆 7904億円に次いで
過去2番目に多かった。ちょっと待て。東日本大震災の復興に使う11兆2000億円を
25年で割ると4480億円。国の無駄遣いとほぼ同じではないか。政府が無駄遣いをや
めれば、復興債など出さなくとも賄える金額ではないのか。



 そんなに毎年、巨額の無駄遣いが出るわけではないといかぶる向きもあろうと思
うが、実は2006年度までは数百億程度だった無駄遣いの指摘が翌年度から千億円の
単位となっているのである。2006年度310億円だったのが、2007年度は1253億円、
2008年度は2364億円と続く。

 これは消費税増税の議論の中で「まずは無駄遣いをなくせ」という与野党の機運
が盛り上がり、会計検査院としても本気にならざるを得なくなったからである。民
主党の仕分け会議でなくとも、公務員でもやろうと思えばできることを証明してい
るのである。


 野田政権は何もやらない政権かと思っていたが、なかなかしたたかである。とい
うより従順である。消費税増税、TPP、復興税、普天間・・・。官僚の振り付け
のままに中央突破を図ろうとしている。官僚の議論はある意味で緻密に積み重ねら
れているから、国会の論戦でもたじろぐことはない。ちゃんと答弁書を用意してく
れるから心配もない。

 官僚のへりくつに従って、後は馬耳東風を決め込んできたのは歴代の自民党政権
だった。その自民党の手法を真似ていれば「政権の安定」が図れると考えているの
だとしたら、それは偉大なる勘違いであろう。脱官僚を目指した民主党が官僚に完
全に取り込まれている姿はいかにも痛々しい。

 よく考えてみよう。国民の前で一度だって公言したことのない「消費税10%」の
議論を野田首相はカンヌサミットで「国際公約」だと約束してみせた。「税と社会
保障の一体改革」で財源である消費税増税議論を進めながら、肝心のどういう年金
を目指すのかの議論は止まったままなのである。

 消費税増税によって民主党のマニフェストである税金による基礎年金の負担がで
きるのであれば、国民の一定の理解もすすむだろうが、今回の消費税増税によって
改善するのは「財政」だけとなれば話は別である。

「税と社会保障の一体改革」は完璧なまやかしとなる。(伴 武澄)
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どちらにしろ、その時の猪瀬くんの態度に、その後が判る

2013-09-06 12:20:32 | Weblog


さて、数年来のオリンピック招致だが、当ブログでは「オリンピックは地球のドサ周り」と記したが、はしゃぎ知事をはじめ総理や経済界、はたまた補助金漬けの商店街までが騒いでいる。

よく経済効果がいわれるが、昔は国威発揚といった。それが自ずと他国に伸張する前段だったことも歴史にはある。その経済効果だが二兆とか五兆とか、はたまた切り口を変えれば百五十兆というものもいる。内容はといえば公共事業、商店の活性化など様々だが、国民からすれは都市開催という名目があるせいか、それほど関心がない。
あるとすれば、誰がいい思いをして、その繁栄の後に沈殿する残猜(猜疑の心の起こり)が怨嗟となりかねない憂慮だ。しかも理屈の立つ怨嗟ではなく、つかみどころのない、「やるせなさ」だ。


もっといえば、アノ方々のやっていることゆえ、余計に心配になるのだ。
謳われる経済効果だが、結果推計の基準が違う。まずは投資効果が人々の豊かさに結びつくという虚言だ。官吏の習慣思考に投資の乗数効果というものがある。大まかにいえば百億投資すれば一千億になるという将来推定だ。そこに愚か者の、さもしい、欲張りが多く輩出したら,成果の一千億が複雑な要因を以て構成されている国家の清新な発展にマイナス要因を含んでいることに留意しなくてはならない。それは人の変化の問題だ。

アベノミクスと称される政策もそうだ。まして国内要因だけでなく他国の成長と連動して数値をあげる経済が相乗的に動くうちはいいが、諸国の国民感情が反する側の連動として動き始めると、寄せ波は我が国にも到来する。
中国、中東も然り、アジアも連動するだろう。
それは、思想や宗教に関係するとは云うが、深いところでは財貨既得の偏重への疑問であり、それを看過する体制への反発だ。いくら兄弟同様だ、同文化圏だと言っても、あるいは幾ら慎重に扱っても行き違いや軋轢は自ずと発生する。

だからといって富の平準化は、怠惰や堕落を発生させ、弱者はよりさもしくなる。
巧い具合にはいかないのが経国だが、そこで誘引されるのはパンとサーカスだが、外部との争いで危機感を煽るのも為政者の倣いだ。

あえて祭りの最中に小理屈をいう野暮のようだが、ところで七年先はどうなっているのだろうか。遊び人にたとえれば毎日酒を飲んで女と遊び、金がなくなって借金をする。元気の良いうちはいいが糖尿病など生活習慣病にかかり、暇をみては病院通いか公園ウォーキングでは生産性もない。新興発展国といわれたブラジルもサッカーWカップとオリンピックが行われるが、これも景気のよいときのこと。そのときは国中も踊り騒いだ。
その開催を目前にして国民の反感は増した。陽気なブラジル人もハタと考えた。経済が衰退し生活も大変になってきたのに多くの費用をかけたスタジアムの建設はするべきではないと。

本来は政府の言うべきことだが、国民は賢明だった。どこでもそうだが政府の官吏は「投資によって多くの効果を生み、海外からの渡航者も増え経済が活気づく」と。
ここでも乗数効果が幅を利かせている。高利貸の金利計算ではあるまいし、そんな巧くは国家の経済は整わないことを国民は知っている。解っていても止まらないのが官吏の倣いだが、あれ程サッカー好きでお祭りが国民催事となっている国でさえ、国民はサーカスよりパンを優先させている。人気の女性大統領でもこの状態だ。日本とて他人ごとではない。













都市開催のオリンピックだが日本は東京の猪瀬知事が音頭をとっている。彼のデビューは「ミカドの肖像」という書きものだ。よく明治の資産を昭和が食いつぶしたというが、前知事の人物観と歴史観の思いこみなのか、はたまた、誰でもよかったのか、思惑が深いイベント選挙のお陰で成立した都知事も、このところ都政における成果よりオリンピックの招致ばかりが取り上げられる。マスコミとて、そのイイ思いの最たる仲間だが、少々度が過ぎる。選挙当選時にもなかったあのタコ踊りのようなジェスチャーと抑揚の激しいスピーチに自ら酔い、それをヨイショする取り巻きの媚態、諫言ないし矯正する部下もいないはしゃぎっぷりは、とうてい殿下と同席すらしてはならない様相だ。アレが総理なら恥かしくて外に出せない。

地位があがったらどんな部下を持つか、どんな仲間と遊ぶか、どのような金の遣い方をするか、あるいは臨機臨度にどんな涵養を持っているか、今はなき「観人則」の要諦だ。
ほかには、酒を呑んだ態度など、巷の地位や名誉、学校歴、財力で人を量る愚かな観察より、よの実利のある人間考察でもある。要は土壇場でどうなるかだ。



前知事は選に漏れたとき「大きな政治的な問題がある」と至極当然なコメントをしたが、これだけ利権の満載したイベントに政治家絡まない方がおかしいと思わなかったのだろうか。あえてその仲間入りをして、あわよくば歴史の一過性にみる虚像のために頭を垂れることの是非を考えたことがあるのだろうか。それも経済効果と国民の意識を進展させるお題目が、真に日本の政治要路にあるものの将来への逆賭だったのか、気になるところだ。
しかも、その題目をなぞるように猪瀬知事は以前にも増して熱狂している。

選ばれたらどんな姿を見せるのだろうか。飛び上がり、肩を抱き合い、大仰なジェスチャーで感謝のスピーチをするのが彼らしいが、選から落ちたらどんなコメントがあるのだろうか。古人のように勝者を讃え、協力を惜しまないのか。だだの自己納得ではないことを祈るばかりだ。






銀座の朝





富の分配は大方出来上がっているというが、たとえ選ばれてもアト7年。何か起こるとも限らない。
「小人 利に集い 利薄ければ散ず」
小者は利益があろうと思われる人物なりにすり寄るが、利がないと察すると我先にと離れていく。それが権力あるものなら権威は失墜し本来行うべき施策さえ滞り、権力者は悲哀をかこい、一族郎党は手のひらを返す。
もともとは官選が民撰となり、目立つことが倣いとなった各地の知事だが、狡知あふれる取り巻きはその目立つことを造り、おぜん立てされた知事をそこに集中させ、踊る舞台も作ってやる。
そんな自治体に限って経常経費は増大し、起債や補助金に頼らざるをえなくなるのが常だ。

孔子はまちづくりの要を「外の人来たる、内の人 説(よろこ)ぶ」と説いた。
とんな人たちが来て、どんな人たちが悦ぶかは、あるいはよろこびは悦(一人にんまり)なのか、慶びなのかは説明していない。それは為政者の務めだからだ。

東京の知事は「うちには4000置くもあるし、治安もいい・・」と売り込むが、外国に好い顔するのは明治以来の変わらぬ為政者の姿だ。しかもミカドに助力を恃むことなど維新の功臣といわれた、もと無頼の輩(山内容堂・言)と何ら変わりがない。
云うにこと欠いて「うちには金がある・・・」、相変わらず未開で野蛮でさもしい、とあの頃の白人の増長理由が良く解るようだ。イベント選挙にイベント政治、そんなことはミカドの大御心にはない。





被災地での陛下



あるのは「忠恕」の心で、スポーツという方法によって世界の安寧を祈る精神だ。
東京や日本のためなどといわず、あるいはメダルの数を按配することなく参加の意義を唱えるなら,慶んでミカドは助力を惜しまないだろう
ミカドはそのためには膝を屈して頭を垂れることは国民のみならず、世界の賢者も知っている。

気恥ずかしくも滑稽なプレゼンと徒党を組んだジョッキングしか流せないマスコミも愚だが、いっそのこと、この国の選挙のように土下座して哀願すれば金もかからず世界は面白がる、これこそ待ち望んだイベントだろう。

ともあれ、どっちに転んでもその瞬間が見ものだ。 


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新聞配達と小泉進次郎

2013-09-04 16:09:53 | Weblog


横須賀の小泉邸のすぐそばに朝日新聞の販売店がある。小泉進次郎氏は中学校のころ二年間新聞配達をしていた。いまは75歳の当時の同僚だった配達員の想い出話しだ。

居酒屋でなじみになったオヤジさんだが、やせ形で歌が大好きで一晩で二十曲はこなす。明るくて軽妙、好きなことはパチンコとビールと歌、店でも人気者だ。昨日のこと横須賀の話題がでた。
筆者も好きで月に一回は八景の野島や北条氏の菩提寺称名寺の裏山を散策するが、今の季節は大きな亀と鯉が仲良く季を満喫している。水仙や彼岸花、桜が四季を彩り、敷地続きには金沢文庫がある。野島は伊藤博文の別邸があり、産卵期にはフグやイカが大挙して押し寄せたも網でもとれるくらいに海岸一面を覆う。昔ながらの浜なので年に三回、自然にアサリが湧く。これも絶品だ。

ときおり追浜や横須賀まで足を伸ばす。酒が呑みたいために近くのプリンスホテルや観音崎まで宿をとるが、夜半までは通称どぶ板通りでアメリカ風のバーで水兵とダーツを打ったりもした。
近ごろでは近隣諸国との関係や第七艦隊の管轄範囲である中東問題でどぶ板も閑散としているが、東京広尾の米軍施設ホテルニューサンノ―も若い兵士は少ない。










そんな話をしていると、そのオジサンは「シンジくんは大したものだ」と呟く。
オジサンは進次郎をシンジくんという。
「あの小泉・・」
「そうだ、親父が厚生大臣で子供は新聞配達、しかも中学生の頃だ」
聞くと、親父がいい体験だからと自分に勧めたという。

「いまでもワシらは午前二時に起きて新聞の到着を待って広告を折り込み、雨が降ればビニール袋に入れ、自転車の前後に満載して配達している。いくら体験でも中学生が二年間も休まずそれを続けることなど・・・。俺たちはいつもシンジくんに感心していた」

「親父の純一郎さんの頃はスカジャン(パラシュート地に虎などの刺繍を付けた横須賀ジャンパー)をはおってチョイ悪もしていた年代だ。いろいろ失敗もあったろうが息子には厳しいですね。しかもそんな体験などは売り物にはならないと考えるところが好い」

「いろいろ想いではあるが、みな彼を見ていた。シンジくんに会っては見たいが、この歳で元気に新聞配達をしているのをみると驚くだろうなぁ・・。つい最近も携帯で話しながらバイクに乗っていたら自転車にぶつかり免停。久しぶりに自転車で配達だが、六階でエレベーターがないところは難儀だね・・・。それといつ行っても集金できない○○という人がいて困っちまう。」

「まだ若い子はいるのですか」
「奨学金が出るし大学まで行っている子もいる。シンジンくんの時と変わってはいない」
「ところで、強圧勧誘や押し紙(本社が部数以上を押しつける)があるが、大変ですね」









「昔からだが、それよりシンジくんも議員になっていろいろと書かれたりしているが、その方がもっと大変だよ。アノ苦労を知らない記者や重役連中も、いちど朝刊配達をしたらいい。人が寝ているころに起きて雪や雨や横須賀の海風に晒されたら幾らか変わるだろう。それを体験したシンジくんの言葉や涙は本物だ。それを知っているから腹の底から笑えないんだ。アノ児はみんなが腹の底から笑える時が来るまで本当の笑いはない。いい男になった。その意味では親父とは別の意味でモノが違う。一緒に働いていた大人たちがそれを知っているよ」

はたして、あのシンジくんの心根をわかる同寮は何人いるだろうか。いやそんな世間の願望を気にせぬ気概が頼もしい。
松陰は「他と異なることを恐れない」と学問の根本を諭している。
あの孤高を貫く冷徹な目は己の、゛まほろぱの地゛を目指している。

昨今、彼の所属政党は先祖帰りをすると称して権力を謳歌する群れとなった。
また父のように「自民党をぶち壊す」と訴える日がくるような気配だ。
その時、いまはもったいなくて語れない、「俺の学びはあの体験だった」、と叫べばいい。
日本及び日本人は、その雄の児を待っている



写真は関係サイトより転載
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