まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

宰相の目線から隠れる君奸 13  2/14再

2020-04-25 06:12:13 | Weblog




人物は置かれる立つ位置によって見える範囲と目線が変わる。
人によっては下座観が薄れ、空中戦のような美句や論に翻弄され、言は落ち着かなくなり、批判には過剰反応をするようなり、宰相としての人物信頼の前提となる国家の補弼意識が軽薄な印象となる。それは目標のための権力行使をひかえつつ人格の信頼威力の醸成にまかせる真の政治力に自信がなくなることでもある。つまり、急ぐ政治である。

浮俗の数値をあげつらう評価は入試試験のようなもので、真の教育目標ではないことを多く人は理解している。とくに複雑な要因を以て構成されている社会なり国家を短絡的現世利益で評することなどは意味するところ少ないといってよい問題だ。ならば何が問題かを提起することこそ政治家の役割だ。

昔は演説を通じて国会で何が行われているかを国民に伝えた。それはそれぞれの政党が問題を選別して政治家の声を通して国民に伝えられ、演説会場は聴衆でつねに一杯だった。今と違って、あれもする、これもするというような御用聞き演説は少なく、代議士もそれを潔しとしなかった。もちろん悪徳官吏や腐敗議員もいたが、国幹を変えるほどの強者はいなかった。

それは国民の道徳的慣性であり連帯セキュリティでもある、勤勉、正直、礼儀、忍耐という法の外に厳存し、かつ、他の意味理解も必要としない明解で普遍な生活規範がその不埒な同胞の拡散を拒絶した。また、そのすべての言辞の根幹は現代の人間観察の附属性価値である地位や名誉財力、学校歴ではなく、いかに言辞に義(正しさ)と仁(利他の忠恕)があるかをその判断基準として峻別した。

当時は今とは違い地位はどのような意味をもち、財はどのように遣い、学びは利他の増進のためという地域長(おさ)の継承された矜持があり、政治家にも当然な学びとして定着し、郷でも尊敬される対象だった。
だから人物も育った。宰相はその人物の特徴を選んで組閣した。ただ、埒外権力となった軍の干渉は肉体的危機感を生じ、警察権力は検閲監視によって社会を硬直させた。

当然のことだが宰相ともなれば、「それが見抜けなかった」「任せる人材だと考えていた」などとの言い訳はない。なぜなら、おかれる立場の意味と影響の責任は国政にみる時運や努力評価で変わる数値などとは違い、民族の風義、深層の情緒に関係するものであり、政策机上に掲げられる目標や期待だけで政治政局が語られ、しかも適材適所と広言する人材配置に飾られる現状ではとくに留意しなければならない問題でもある。










現政権も一回目はともだち内閣と揶揄された。それは内部嫉妬もあるだろうが、その関係が血盟的関係ではなく、我が意に沿う阿諛迎合的関係にあったことが原因だった。つまり、゛ともだち゛は主従ではなく、床の間の石である主人に二つの顔をもった配下という狡猾な関係であり、担がれた安部ブランドがそれを見抜けなかったことだった。
責任は専権者の総理だが、発表する前からともだち側近が河口湖の別荘からアドバイスを請われた、と選挙区で広言し、次は閣僚だと、マンション住まいから警備に体裁のいい一戸建てを急遽購入したと選挙区でも話題になった。

唱える考えも重くない。経済はいくら合理的な理論があっても心理学経済といわれるほど最近では、゛風潮 ゛が景気観を左右してきた。当り外れが横行する予想経済もあるが経済論者は幾ばくの責任を負ってきた。
逆に、教育論は「国家百年の計は教育」とか、「人材は国家の要」などと大風呂敷を広げても異論はない。その夢や期待を語るとき人は感動し、心あるものは感動さえする。
あの碩学安岡正篤氏でさえ「日本精神の作興」の大義で政治家に利用され、歴史に残る施政方針演説の草稿の監修を引き受けている。「政治家は人物二流でしかなれない」「デモクラシー変じてデモクレージーだ」という氏でさえ、大義を装う狡猾政治家に騙される。

騙す人間は、騙そうとする人物の観察目線をオボロゲニする巧妙さがある。
安倍さんは良質な継承政治家でもある。余談だが筆者も縁があって後に彼の選挙区に幾度となく訪れた。新幹線が岡山止まりだったころ、夜行寝台で小郡から車で長門、萩、山陰の豊浦から下関、そして長府の東行ゆかりの庵、宿は縁者の吉見、川棚の瓦そばも馴染みになった。父の晋太郎氏も地域では特別な印象があった。他の自民党実力者の選挙区にみる利害関係ではなく、あの長州民謡「男なら」にある有権者の心意気だった。

その頃、彼は東京の大学だった。東京生まれの東京育ち、政財界二世のためにあるような大学だった。学生仲間でも便宜供与の話題が飛び交うことも普通だった。もちろん管轄警察署の署長も阿吽だった。彼の家庭教師は当時警察官僚の平沢勝栄代議士だった。
ただ、妙な官学の数値評価による立身出世の汚泥のような慣性に敢えて入らずとも、かつ徒な競争にさらされず、一種無垢で良質なバーバリズムを保持できる環境だった。要らぬ学歴やめんどうな雑論に混じらずに済んだことは、あの麻生太郎氏と似ている。

弱点は人を得る機会の少ないことである。人とは技能功者や知者ではない。人格を有した人物人材である。人格とは、たとえ無名でも貧者でも囲い込む許容量のことだ。近頃は学者知識人をあてにするが、「識」にいう道理のない知がはびこっている。父晋太郎氏にみる私的な猜疑心のない気風は、時として醇なる公憤に近寄る狡猾な人間にたいする「観人則」に厳しさが弱いことだ。これは欠点ではなく弱点だ。しかし麻生氏同様安倍さんには俯瞰した国家観がある。ともだちと違って理論や講釈ではない感性がある。政治家はその感性が一番大切なことだと碩学も説く。

いっとき麻生氏が「さもしい」と発言して問題になったが、その「さもしさ」と「いやしさ」の峻別は有意な人物を得る大前提の「見る眼」となる。それは無条件の公憤となる必須な問題意識の発見となるものであり、国家に靖んじて献ずる立命になることでもある














彼の選挙区、生地でなく彼の祖父の縁があるという理由があるだけの場所だった。不安を打ち払うように昂揚した彼を迎えた長門、関門の人たちは安倍さんに安心と、鎮まりを以て世情を眺める心を教えてくれた。そして都会の喧騒から新しい世界の発見を痛切に促された。誰のための自分なのか、つまり全体のなかでの役割を知るという促しだった。

一回目の宰相は昂揚していた。ただ政治のご都合主義に包まれた虚構だった。降りるとともだちは遊びに誘ってくれた。失敗の原因や乃木さんのように国に殉ずる真摯な原点回帰を促すともだちは少なかった。議会に慣れ、論を運び、どう回復するか、そんなことしか頭のない郎党が多かった。かれも孤独は怖かった。郎党はその弱さを知っていた。なにかあれば必ず相談を懸けてくると・・・。
まだ、大葬の日の乃木の心境には達していなかった。それは目線が狭いことだった。
宰相は国家の紐帯である存在の大意を汲み、補弼具現することに任の意がある。つまり「紐帯の大意」は政党政治の大綱を超越した宰相の心の誓いでもあり、秘すものでもある。

つまり、秘すものへの誓いはたとえ配下の友だちであっても無闇に公言するものであってはならないのが宰相の責務である。

やっかいな時節はともだちに説明をもとめる。多弁なともだちは法律責任を超えて、ときに法社会を支える狭い範囲の掟や習慣まで世情に迎合して言を弄する。
西洋スポーツとは根源的に異なる相撲や古武道のあり方にも法や平等を適用して論を提供して、自らを責任回避の立場に置く官吏に倣い、コメンテーターのように軽薄な論を繰り広げている。「スポーツの一大事」だと。

保守は古臭いものを守るものではないが、その更新の糧となる(対象となる)習慣性と社会の関係を知り、それが人々の尊厳と連帯、そして継続に効あった意味も明らかにしなくてはならない。突き詰めれば、国体であれば天皇制、和芸であれば長幼の序と階級、武芸なら勝敗の礼と矜持、有無を問わない矯正、などそれぞれの世界や、文や論などにある壇の独特な価値を維持する閉鎖性など、政治がコミットすけばするほど議論が野暮になりがちな問題への深慮の控えが、後の憂いなき保守の信頼性とみられるのだが、ともだちには大衆迎合性ゆえの放言が多いようだ。

宰相は決して言を弄するものではない。人の欲望を助長する風潮にのるような流れを止めることこそ任の意味がある。それは「そうゆうもの」「そうでないもの」の峻別だ。
良し悪しは法律が決めるとは近ごろの知恵のない政治家や役人の弁だが、掟や習慣の世界まで無理やり法や観念をはめ込んで、より混沌とした分離社会をつくりだしているのもそれらの人たちだ。それゆえまともな政治問題は置き去りにされ、国民の耳目は他人のもめ事に興味を集中させる。それは政治の自殺行為だ。










昭和の頃、既成事実の積み重ねによって議論の自由を失って政治は混沌とした。外交の推測を誤り省くことを忘れ泥縄的に問題を堆積させ、残されていた力は危機感を分散暴発させた。動かしたのは現場当事者の追認要求だった。「現場では・・」である。
それは紐帯の大意が届かない状態だった。大命に現場が随わなかったのだ。信頼する仲間は離れ、最後に自らは自裁して果てた。
それは「小人 利に集い 利薄ければ散ず」の様相だった。その元凶は立身出世に励む学徒の目的が名利に堕した結果の姿だった。
安倍さんの目線には死角がある。脚下と背後だ。ともだちはつねにその位置にいる。

晋作さんは功山寺の挙兵でひるむ民兵に「女房を敵とおもえ」とひるむ心を叱咤した。それは女房子供のための新しい時代を切り開く覚悟の激励だった。(下関郷土史家金田氏談)

大義には覚悟と使命感がある。それは自身に懸ける問題だ。夢の創造は独立した己の境地をたのしむ「独悦」だ。他人の入り込む隙間もない。また、わかる人間が少なければ少ないほど覚悟は高まるものだ。女性はそれを真の男とみた。(東行庵 谷庵主)

ときおり郷の独遊も、先人の回天の智をめぐらし、懐かしむ良機ともなろう。



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