まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

人間考学 男は悲哀をかこう時の態度が勝負だ 2011/5あの頃

2018-07-26 09:38:45 | Weblog

        
           横浜市金沢区 称名寺

菅さんと安倍さんを比較することではない。

ただ、切り口はともかく、彼等を取り巻く人と環境は大きくは変わらない。

故にたどり着く途は彼らに悲哀と、国民には徒労と諦めが集積される。  (18・7加筆)                        

 

その椅子は永遠に続くものではない。
まさに菅政権は軽薄な罵詈雑言に打たれ難渋している。
早い、遅い、言い方が悪い、態度がなっていない、そもそも政治家を志すものには的外れな駄論だ。虚偽、迎合、強圧、それは政治の倣いだと判っていても言わなければ損、書かなければ無能、つまり共に政治の舞台を食い扶持にしている寄生虫の騒動のように国民はみている。

以前、菅さんとオバマさんの音声と眸(ひとみ)について書いた。
国柄の違いか、ビンラディン氏の殺害を謀り、あのイラク戦の臨場感溢れる映像が茶の間を賑わしたように、独立国であるパキスタンの奥深く潜伏していた彼をオバマ大統領指揮下にある米軍による殺害を瞬時に世界発信した。空母からの水葬の後だったが、隠れ屋と戦闘シーンが映像として流された。

ワシントンでその状況を固唾をのんで聴いていたオバマ大統領の人相が就任当時より険しくなったように見えた。日本的に云えば少々悪気が出てきた。
眸もすわり動作も重かった。まるで弾む心を抑えているようにも見えた。

前記では眸が泳いでいたと記した。音声もデモのアジテーターのようで真意を疑った。「イエス・アイ・キャン」なかなか口に出すことができない言葉だったが、小泉流のワンフレーズは考える力の衰えた国民にはヒッタリだった。
殺害の報を聞いたアメリカ国民は喝采を挙げた。支持率も上昇した。つくづく日本とは違うと実感した。

戦後、平和憲法を押し付けられたと改憲論者は言うが、その多くは保守系である。その時の交渉当事者は、頭を下げれば文句は上を通り過ぎる。そして今は唯々諾々と聞いていればいい。軍服の大男に強圧される敗戦国では賢者は追放、致し方ないが美章美句にはカラクリがあった。それは恣意的に装った自由、民主、人権、平等だった。

もともと人間を唯一高貴なものと観ていたキリスト教徒は違い、家畜も山海に棲む生き物は人間と平等だと日本人は考えていた。明治以前には四足動物は資源として普遍ではなかった。つまり共生する仲間の血を忌み嫌った。たまに食するのはカシワ(鳥)くらいだった。つまり畜産はなかった。士農工商は平等ではない差別だと言い出したが、今どきのような、みんな国民と詐称した権力パラサイト(官吏)はなかった。まだ恥を悟ったら自ら腹を割く権利があった。

人の権利も同様だ。民主と自由が、勝手と気侭になると人の権利を互いに毀損するようになるのは当然だが、人権は第二成文法のように一人歩きして、コンプライアンスなどという自縛が重なると、草系ではないが元気がなくなるのは当たり前だ。

日本には「ざまぁみろ」という言葉がある。
嫉妬が絡むと田中角栄やホリエモンも、その言葉が投げかけられる。いまは説明責任が有ると追及されると、まず頭を下げて理解もできない人たちに長々と説明する。それは目を開けて眠っている器用な大学生に似て、後で考えても相対する人間の弱さを見たいのだろう。これも「ざまぁみろ」だ。

一時大学紛争では先生が総括を求められ追及された。一昔前は恩師と敬された教師が教え子に頭を垂れた。それ以来、学生は大学商店のお客さんとなり、教師は人の師ならず「経師」という教科書を説明するのみの労働者となった。
いまは、頭を下げるのは不祥事を出した大企業の経営者か、欲張り気味の小商人である。かといって揚げ足取りの記者会見では無機質な書面読みの言い訳に終始するだけである。



               


              桂林



社会の変異は人心を微かにする。其れに伴って敏感になるものがある。自らを護ることに長けてくる。それも容、象、体で観察することなく、口舌によって、さも智であるが如く高邁な論を立て内なる大偽を包み込むようになる。
先に述べた音声や眸に表れる内心を読み取れなくなった大衆は、易き証明を要求して、より非能率な人間関係を弄び、ついには亡羊な姿となって表れている。


オバマさんに戻ろう。
彼等にとって罪人である人間を殺害する。それを大衆に誇らしげに知らせて大衆は歓迎する。そしてオバマさんは一人前の大統領として認知される。その音声は潜在する善なる能力や鎮まりとは違う低き音を発し、眸は獲物を狙う鋭さを増し、体型は肩を丸めいからせる。あの中空を見上げて、あるときは四方に視線を運び、甲高い声でイエス・ウイ・キャン、と謳った爽やかさはなくなった。若くて元気がよく、開けっ広げの愛すべきヤンキーではなくなった。殺人指令はないと思った。よく牧童文化とはいうが、血は争えない。


良し悪しは歴史の秤に任せるとして、音声とリズムは落ち着き、顔が出来上がって眸も据わってきた。
翻って変化が無いのは我国の総理である。よく、椅子に座れば様(さま)になるというが、議員ともども騒がしく落ち着きが無い。眸は泳ぎ、音声は調子が取れていない。二日酔いのようだともいう。与野党、マスコミの騒ぎはこの際、論外としても心理学者や内科医が連なると、つくづく陛下の存在が新たな蘇りとして人の心に突き刺さる。棲む世界の問題ではない。なにを学び養ってきたかだ。

浮俗の騒然とした選挙で選ばれた議員から選ばれた総理ではあるが、相応しい人を推戴すべき観人則の欠落は議会政治を亡きものにするようにも映る。

さてこの国をどうするか。いまは震災と原発だが、辞職を促がす側もためらいと戸惑いを生んでいる。本人の決断と慇懃に構えている。
辞めても、辞めなくても時が決することだが、辞めた後の処し方と引きずり落とした側の様子が人間の試考として重要な問題となってくる。
辞める側は悲哀をかこい、辞めさせた側は溜飲を下げる、それでは巷の野郎と同じになる。

あの佐藤総理は日頃の鬱積からか辞任記者会見に来た記者を追い出し、テレビに向かって語った。田中総理は「一夜、沛然として心耳を澄まし・・・」と、安岡正篤氏の撰文を宰相の務めとして読み上げた。「一晩、土砂降りのような非難の中、独り鎮まりを以って国民の声に耳を傾けると・・・」との意味だが、陣笠代議士が辞職するのとは違って、国家宰相の辞職は自決する覚悟がなくてはならないという進退の所作だ。

野党は問わず、仲間だった議員までもが反抗し、官僚は言うことは聴かない、マスコミも袋叩き、だれもが面従腹背して土壇場に来てしまった。しかし誰も名誉ある辞任を教えてくれるものもいない。辞めたところで社会は同じ状況を作り出す。

夫婦なら飽きがきたら別居だが、考えなかった離婚はうろたえる。今まで罵詈雑言、揚げ足取りの先頭にたってきたが、それでもヒョイと手を挙げると総理になれた。これでは強請った子供が親になったようなものだが、それで辞任が叶ったとして、悲哀をかこった総理の扱い方は人間の器量をみられる場面だ。

人物を量るために国民にとっては絶好の機会でもある。政局は論の他において、機会と対処を人間の度量、器量の秤となるなら、悲哀を解けなければ、寄らば大樹の批判はゴロツキの言掛りにしかならない。





                



     まともな国民は見たくないが、観ている



「小人、利に集い、利、薄ければ散ず」

たとえ小者の群れとしても、あるいは「人格二流にしかなれない身分」と、安岡氏が揶揄しても哀悼、忠恕の意は知らぬはずが無い。
だが、それが見えないから逡巡しているのだろう

その後を逆賭して、仮にも総理を救って差し上げる大人物はいないのだろうか。変わり者といわれようと、悲哀を撫す人物を日本人の倣いとして求めたい
あえて思う、人情のないものは政治に不向きだ、と。



※「逆賭(ぎゃくと)」先を見通して現在の手を打つ
ある意味、政治の要諦である。

コメント

台湾民主主義 消費者から見た日本ブランドの偽装問題  15 4 改題

2018-07-25 08:32:38 | Weblog


子供たちは幼稚園から常に手を洗うことを習慣としている。日本以上に健康生活には敏感である
台北市 中山記念小学校

 

30 7/25

日本産食品の解禁を問う」台湾11月に住民投票

野党国民党は消費者の不安を煽り、解禁を目指す政権を攻撃してきた。

国民党は、政権が日本の機嫌を取って核被災食品の解禁をしようとしていると攻撃。

 

どちらの側に立つものではない。また与野党の政治的目的から離れて以下に記した。

 2017 02/9 の掲載

先日、台湾外交部関係の高官と食事を共にしながら懇談した。
それは青森県平川市で行われた台湾シンポジューム招請の返礼の意もあった。
場所は都内のホテル内の飯店、円席を共にしたのが某高官と秘書官である。
その高官は我が国のキャリア官吏の様子とは異なり、外交官らしく直感と俯瞰力に優れた人物である。
時節の話題としてリラックスした会話だった。


≪以下、「フォーカス台湾」より参照転載

台湾、輸入する日本食品への非被曝証明などの添付 6月にも義務化へ【社会】 2015/03/25 19:20
      
(台北 25日 中央社)衛生福利部は25日、安全性確保のため、日本から輸入される全ての食品を対象とした産地証明書および一部の食品に対する放射能検査証明書の添付を、6月にも義務化すると発表した。

同部は昨年10月末、添付を義務化する措置の草案を発表していたが実施には至っていなかった。だが、24日に東日本大震災直後から輸入が規制されている福島、茨城、栃木、群馬、千葉の5県で生産された食品の一部が、産地を偽装して販売されていたことが発覚したため、早期実施を求める声が噴出した。

野党・民進党の林淑芬立法委員(国会議員)らは、日本側の圧力により実施が大幅に遅れたことが今回の事態につながったとして同部を批判。これを受け衛生福利部は、2週間以内に義務化について公告すると回答している。

輸入が禁止されている食品が流通した問題については、現在までに規定値を超える放射性物質が検出された報告は入っていない。また、同部の蒋丙煌部長は25日、輸入規制の撤廃を検討していると明かしている。

(龍珮寧/編集:杉野浩司)≫












以前、産地偽装表示の問題で千葉県に足を運び、かつ台湾国会議員の森田千葉県知事との会談をセッティングして、事は収束したかに見えたが、ここにきて食品衛生部より日本からの輸入品すべてに産地証明を義務づける通達が出たため、政治問題化していとのこと。
筆者は専門家ではないので、状況の概略と現地消費者の動向を伺い、セシューム風評時の青森県産リンゴの輸入停止時の状況と当時の対応をお伝えした。

違うのは風評による停止と偽装表示の違いだが、いずれも福島原発から排出した放射能の問題として同じ根から出ていることだ。今回は産地偽装とこれに行政の対応遅延という不信感が重なって政治問題化した。



 

以下は筆者と高官の会話です

「リンゴ輸出の大部分を台湾向けで占めているあの時の青森の状況ですが、県や自治体が正式国交のない台湾の機関に働きかけをしたが、私は「風評は消費者の声なので台湾当局としての働き効果は限定している。まして口に入るものは政府が大丈夫だと国民には保証できない。まさに風のごとく流れる感情だから、関係する地方自治体は現地に飛び、市場調査を行うべきだ。そしてバイヤー任せで売るばかりではなく、マンゴーに代表される台湾農産物とバーターすることです。また不信感から生ずる風評を起こさないために積極的住民交流を行なったらよいでしょうと伝え、その交流調整を代表處へご依頼もしました。その後、様々な交流が活発に行われているのは御承知のとおりです」

A「私どもも招請していただき自治体交流にも参加して台日交流も活発になっています。
これからも人と物の交流は盛んになりますが、そのためには政策関係者だけではなく、互いの市民が国情を照らして食品などの安全基準の普遍的理解を深める必要がありますとくに日本製品の安全性や技術に裏打ちされた信頼度は台湾のみならず世界のブランド化されています。それは勤勉・正直。礼儀。忍耐の徳性で培った人の信頼性が基となっています。

今回の問題は多くの日本製品を求め、また購買力の高い層の市民から出てきた疑問なのです。また、これに対する処置は台湾だけの基準ではなく、国際基準なのです。そのことは日本の皆さまも理解するはずです。市場には日本のみならず多くの国々から同種の製品が輸入されます。量からすれば日本製品の数倍、数十倍に及びますが、とくに日本品を求める層は高価でブランド力に安全性を求めています。決して過度のことではなく、国際基準に照らしてクリアーできる選別力、安全性、製品管理を認めているからです

また、この層の市民は政治力も大きいこともあります。「問題があって高ければ買わなくてもよい」ことではなく、日本の生産者がつくる適合した製品を求めたいから声を上げるのです。期待もできるし、クリアーできる能力が日本人にはあることも知っているユーザーなのです。また、この方々の声を中心にして東日本の被災については我が事のように悲しみもできる限りの義志(volunteer)を行ないました。
そして、徐々にですが被災地の復興を歓び、かつ期待しています。


今回の問題がなんら台湾と日本の関係に影を落とすものではないと信じていますし、私も交渉窓口として目の回る、いやゆっくり寝ることのできない日程を過ごしています。」

同伴の秘書官も「昨日は一時間しか寝ていません、今日も朝から、この食事の時間は心の問題として、たいへんくつろげます」









A「政府と市民、そして外交の問題となり、日本も当局者と生産者、そして台湾同様の国民感情になっています。そのことで政治的風評も市民の間で騒がれています」


「先の代表(大使にあたる)も良くマスコミに寄稿していましたね」


A「もと、ジャーナリスト関係ということもありますが、正式には日本の新聞は台湾代表のコメント記事は載せないことが多いようです。大きく出るのは観光や国慶祝宴などのPR記事です。位置づけは中国総局の台湾支局という扱いです。ご存知のように台北駐日経済文化代表處の外交部の機関の亜東関係協会に属します。日本側は交流協会台北事務所として各種の調整を図っています」


「そういえば、園遊会で陛下と代表がお話しされていましたね」


A「本来は話しかけてはいけないのがルールです。あの時は代表が『台湾代表の馮寄台です』とお声を掛けたのです。すると陛下は代表に国民の声としてお礼を述べています。面白いことがあって皇后陛下が英語で代表夫人に声を掛けられました。米国企業の台湾重役である夫人は、それを英語では応えず、緊張して日本語で応答していました」


「あのシーンでは陛下が日本人を代表して感謝を述べたことに、安堵しました。その前の慰霊祭で台湾代表を他の援助国の席ではなく、一般席と同じ二階席に案内したことに国民は、゛友邦に対して礼がない゛と怒っていましたので、国民の溜飲が下がった思いがしました」






馮代表


A「その馮代表のエピソードで台湾の民主主義の受け取り方で逸話があります。代表を辞めて民間人として米国の会議に出たときのことです。空港カウンターで搭乗機のチケットがダブルブッキング。そのとき代替え機を頼んだら『できません』。上司に連絡依頼すると航空会社のリストと時刻表を見せられ『ここから選んで手続きをしてください。アナタにできることはそれだけです』今までは代表ですよ。しかも馬総統の友人です。日本の航空会社ならクラス上の席が空いていればお詫びを言って搭乗させてくれます。監督官庁の職員や高名な議員なら気が付けばワンクラス上もあるかもしれません」


「政府と国民の関係や間(ま)の取り方は法のもとに厳格さを求められますが、ナルホドと思っても、馮代表の心中は複雑ですね。とくに日本滞在経験の慣習をみたら首をひねりますよ」


A「続きがあります。やっとのおもいで米国に着いたのは夜も遅く、急いでホテルに向かいました。ホテルカウンターで事情を話し予約を確認すると『到着が遅れたので別の客を入れました』苦情を言うと『私がアナタにできることはこれだけです』と空港カウンターと同じ応答だった。『シャワーを浴びたい』というと、プールわきのシャワー小屋を教えてくれた。
この顛末を米在住の弟さんに話したら、『この国はそれが当たり前ですよ』といわれ、さすがの国際人であり台湾の知識人の馮元代表も嘆息していました」






後藤は赴任後、不作為、遅延がおびただしかった日本人不良官吏を内地に召喚して、無名だが気鋭な若手官吏を登用した。先ずは住民の健康を考慮した防疫、医療、くわえて教育の充実だった。
その政策は浸透して清潔簡便な営みが住民の慣習となった。
つまり、いま後藤が台湾にいたらもっと厳しい処置を内地(日本本土)に課していただろう
そのくらい厳しい気概があったからこそ今の発展基盤がつくられたといって過言ではない



「それを考えると風評や政策の齟齬や遅漏を日本のように大手の新聞社記者クラブを総動員して宣伝したり、あるいは記事にしなかったりしても効き目がないほど市民感覚は鋭くなっているようです。その感覚が判らないと日本の生産者は偽装しても政府に働きかけて台湾の当局者に便宜を企図しても、こと健康のことは市民も政府の言うことをそのまま聞くはずはないですよ。その意味で自治体には市場調査と民情観察を促したわけです」


A「このことは政府と市民の力関係とか統治力の問題ではなく、民主主義に関する市民の受け取り方が問題になってきます。馮代表の逸話ではないですが『いまアナタにできることはそれだけです』の状況ですが、その関係が日本のように市や県や政府に依頼しても国内問題なら済むかもしれませんが、国外の問題では解決をより難しくさせます。
ですから、この台湾の市民の苦情というより、日本への提案として「国際基準の順守」を言っているのです。これは圧力でも台湾政府の国民への対応不能でもなく、かえって日本の国際競争力や製品管理の向上に役立てられる提案なのです。」


「日本政府も騒ぎを大きくしたくないとか、対応遅延を批判されたくない。あるいは放射能問題を起こしたくないという現場の不作為や先延ばしもなかったとは言えません。
今回のことは台湾の消費者にお詫びすべきことであり、不謹慎かもしれませんが、かえって台湾でよかったと思います。単なる輸出禁止ではなく、国際基準に沿って市民が歓迎する日本製品を潤沢に輸入したいとする心温まる提言なのです。
いっとき、液晶はメーカーではなく工場の立地場所で亀山モデルがありました。和牛も近江や但馬もあります。リンゴは青森です。ブラジルでは日本人の栽培で陛下が訪問時に『日本と味も香りも同じようですね』と感想をお応えしたリンゴがあります。何よりも安い。
でも、台湾では日本の津軽リンゴは愛好者が多い。国交がない自治体交流ですが、ここは国産基準を難しいことと思わず、また風評と看過せず、中身の伴った外交儀礼を学ぶよい機会かと思います。それが津輕なら国内外における真の誇りの魅せ方なのでしょう」


A「そのような理解はより底辺の広い交流が図れます。政府間はいろいろな事情がありますが、人の人情と心の方向は同じです。私の娘も日本の歴史にハマってしまい新選組や幕末に興味があります。ほかの勉強が疎かになるのが母親として心配です」



           

          地方自治外交 青森県平川市


                    

「いゃ、歴史は時空を超えた俯瞰力を養います。また人物に興味を持つことは数値選別に弄ばれたような価値観とは違う感性を浸透させます。それを基とすれば知識や技術も活かされます。台湾の繁栄もそのような感性を持った人物によって支えられ発展したものだと思います。何よりも異なることを恐れない、そして台湾の国民に浸透している義志や義行というボランティア精神がそれに添った社会づくりです。お嬢さんは心配ありません。アナタと一緒で直観力や俯瞰力、そして許容力(寛容)をいま養っている世代としても好機のようです


A「どうしても言ってしまう(娘さんに)。でもその観点は学校教育にはない部分ですね」


「その意味では、生産性や利潤を追い求める効率的経営のなかで起きた今回の問題です。考え方によっては正式国交がないからこそ地方自治体にとっては世界を知り、真の繁栄価値を知り、じかに消費者の心情を知る好機です。
いろいろとネガティブな意見もありますが、先ずは足元を見て、かつ自分に置き換えて素直に現象に向き合うべきです。

それは棲み分けられた地域においても人々が信じ合い助け合う協働の心にもなります。日本でも官と民との問題がありますが、地方では依頼関係があります。今までは人情に基づいた無謬性を信頼する関係でしたが、さっきの馮代表の逸話と弟さんの言葉にデモクラシーの行く末をみたようにも思います。でも今回の台湾政府の要求は市民の提言として教えていただいたように思います。信じ合える、困った時に助け合える友の忠告は有り難く甘受するのが日本人の応えであるべきです。こちらの逸話ですが、日本の若者が台湾に旅行に行って行儀が悪かったのを台湾のオバサンが咎めた、『昔の日本人ならそんな行儀の悪いことはしなかった』
じつは私も一度怒られたくて行くのですが、まだその機会?に恵まれてはいません」


A「今日は○○(秘書官)とも楽しみにしていました。こんど家もこの近所なので遊びに来てください」


「昨日は一時間くらいしか寝ていないと聴きましたが、○○さんの調整に期待がかかると身体か心配です。はやくゆっくりお休みになれるように願っています。外交官は応答直観力と許容量が肝心ですが、○○さんはその能力に溢れている。その点は心配していませんよ」

A「次回はもっとゆっくりしましょう」



国内消費者者ともかく、海外に「分らないだろう」と偽装商品を輸出する心が日本人として悲しいことだ
日本人を信頼する台湾の人たちも、その日本人の変化が辛く悲しいのだ。
国内消費でもラベル偽装やブランド地域に輸送してそこで梱包して送る「…産」も多いようだが、食べ物はともかく、日本人の劣化が激しい。それも、みな金儲けだ。今までは嘲笑していたどこかの国とその点では同化傾向にあるようだ。


今回の問題に際して丁度、符合したように台湾外交部の俊英が調整に臨んでいる。
なんというめぐり合わせなのだろう。
どことなく飯店からでる姿に凛とした雰囲気をあった。
「人情は国法より重し」
これも縁と清談の妙なのだろう。

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逍遥録  伝、エリートの呟き

2018-07-23 19:58:48 | Weblog

  下北  カマブセ山

 

文化文明は興隆し、財貨を蓄え矛と盾を増大し、「高学歴」と称するものが増えても、世の中の「なぜ」に妙答も智慧もない。

世の先達たちは死生観もなく、いたずらに死を恐れ、繁栄の残滓を残したまま戸惑い生きている。

笑談の臨機に切り口が見つかったように突然、耳元で口からもれた至言があった。

 

伝とは、絵画の作者などの、゛そのように伝えられている゛作品だ。

掛け軸などで江戸時代の作者名が揮毫されているが、本物か偽物か真贋は判別しないが、その作者だと伝えられているという意味で「伝」と冠される。

 

ある晩のこと友人が、「安岡先生の文なり言葉は感性を以て理解しなければならない」と発言した。戸惑ったのは感性への理解だった。彼は学び舎エリートで派遣留学でスタンフォードで早々とドクターになって帰国、官域でも高位を得た人物である。巷の立身出世組と異なり現場認識に秀でるゆえか、将来を推考して醇なる問題意識を涵養している稀有な人物だ。

 

筆者も教育者,道学者としての安岡正篤氏と妙縁をいただき、幾たびか忠告、提言、文章添削をなど戴いたが、「感性理解」とは思ったことはなかった。

だだ、世俗の学び舎の合理を求める課題に汲々として答えを探るようなことはなかった。

自身の童のような稚拙な不思議感だが、たしかに己の視点や観察、行動への好転、結果への対処が多くの他者と少し違うのかなと感じてはいた。

 

感性での理解」帰宅後瞑想した。

何となく、こんなことを書き連ねていた。

 

学舎は合という理で充て、世間は非合理なるを万象の真理とする。

整理すれば 「合理は論で充て、非合理は感性で充て、不合理は無理に充て」

古諺に「平ならぬことを平すれば平ならず

もともと平らでないものを無理に平らにすれば不平を生ず、ということだ。

生まれながらの天爵と人為で成る人爵もある。

それを無闇に平ら(平等)にすれば夫々に不平が生ずるだろう。

人の特徴に、モノ覚えがよく暗記が得意なものは試験に向いているが、人格は問えない。

計算が得意で、組織人として従順なら官吏か銀行家だが、無償の情感は乏しい。

暑さ寒さをいとわず肉体的辛苦を問わないが計算が苦手なものは、秀逸な匠や篤農にもなれる。つまり自然界からの自得だ。

昔は「あの子は計算が立つので心配だ」と親は注視していた。多くはオットリ好人物の長男ではない兄弟だ。

ならば、試験に向いているものや組織人を、肉体的衝撃をいとわない戦士に任じては国は護れない。いや似つかわしくない。

 

  

   東郷は運がいいからと  感性と直感の人事

 

容姿も天爵がある。

青ひょうたんのように軟弱な者はヤクザ渡世の世界では威圧感が乏しい。いかつい男にはナンパな口説きは似合わない。心根はあるのだが似合わないと人は勝手に感ずる。

 

ある国では、幹部登用に外国高官と比して見栄えが劣らない顔はともかく、長身の者を任用する。稀に出現するが、往々にして隠れた実力者として権勢をふるっている。あるいは国民は貧困で痩せていても為政者はふっくらと太っているが、姿かたちも威厳になるようだ。

 

  

  官界の変わり者 後藤新平と任用した児玉源太郎  人事は何を見るか

    

 

はたして、人権や平等という主義の謳う人間社会理想の合理だとしても、論の立て方は難儀になる。ましてや学び舎の課題としてもどこに論拠を充てたらいいか答えも数値評価も、世間の実利からすれば詐学、利学、錯学の類でしかない。

近ごろは錯学や詐学を頭がいいエリートと称して素餐をむさぼっているが、まさに不特定多数への利福増進を妨げ、錯覚を誘い、欺く不合理ではないだろうか。

 権力あるものに課題を与えられれば、疑問さえ持たず、好むような答えを出そうと努力する。忖度などではない、教育奴隷のなれのはてだ。

故に人物を育て観る目を養うことを為政者の学びに求められているのだが、「観人則」のかけらもない組織の末路は歴史の証にもあることだ。

不合理は無理と書いたが、無はゼロないしナッシングではない。西洋的合理からすれば無意味な「無」だが、ゼロ概念発祥地東洋では、ゼロは「無限」の端緒であり、創造の種と考えられていた、いや今でも活学されている。

 

それが友の呟いた感性で覚え、察する境地だと思う。

まさに入道の観がうかがえる合理を含有した人間科学認知への端緒に立った呟きだった。

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中国でさえ危機ととらえ、元総監は「警察はサンズイが捕れないだろう」と嘆いた

2018-07-18 09:08:40 | Weblog

故 鎌倉 節 氏




辞めた議員が「分かる人には分かる、分かりたくない人には分からない」と捨てぜりふを吐いたが、この事は国民も承知だ。

サンズイとは汚職である

宮内庁長官だった元警視総監の鎌倉氏の慚愧の念だ
氏は皇室を敬愛し武士(もののふ)の風儀が漂っていた。

国民が憂慮する公官吏や政治家の弛緩した実態でもサンズイは無い、という。
無ければ国民は幸せだが、今のところは無いはずがないと読んでいる。
ちなみに警視庁の捜査二課は知能犯罪の捜査を担当するが、政治家や官吏の贈収賄の摘発などに専従している。ほかには選挙違反などがあるが、国民が期待しているのは、必ず有るであろう政官財のトライアングルと云われた関係での便宜供与に伴う斡旋収賄だ。

もともと所轄署は地方公務員や市長もしくは出先の公官庁とは協力関係にあるためか、相身互いでなかなか摘発はない。いや摘発しにくい関係だ。疑わしい端緒の情報は組織内では所轄が手足となるが、本部と所轄の関係、あるいは所轄責任者が別部署のキャリアだとなかなか二課には情報が上がらない。
だからなのか、直接本庁の二課に告訴することになる。警察官や議員の関わる事犯は交通違反の議員と警察の係わりで事件が流される恐れがあると、今度は検察庁に上訴するようになる。

ならば、検察官が関わる事犯になると、どこにもっていって良いか国民は判らなくなる。
近ごろは、こんなことが多くなったようだと世俗は嘆き諦める。
とくに公務員の関わる問題は、返り血や、江戸の仇長崎と云われるように、いつかしっぺ返しがあると恐々とする。とくに税と治安にかかわる公務員の問題は陰に隠れて処理されることが多いようだ。


地方創生の端印のもとつかみ金のごとく使途を限定しない税金なり借金が投入されている。それも乗数効果というが、乗数どころかマイナス効果が含まれている政策が数値目標のために投入されている。はたして後藤新平のように人を育て、人を活かし、その人物によって資材が有効に使われているかは疑わしい。
だからこそ中央官庁の官吏は集中権力を手放さないのだろうが、今の状態で地方に流せば果たして資金とともに供される国家的政策の意図に沿うものかははなはだ疑問だ。






新華社 共同配信


中国では官吏や党員の汚職取り締まりが頻繁に行われている。
日本と違うのは党員の規律関係を監視摘発する、日本に当てはめれば捜査二課や検察特捜の大物までが検挙されていることだ。習近平氏は革命一世代の縁者派である太子党で、捕まるのは共産党青年同盟出身者だから、これは権力闘争だといわれるが、ともあれ権力者や公務員の汚職摘発は国民の喝采を受けている。しかも後ろ盾となる軍の高官までお縄にしている。

最近、元空幕長田母神氏の選挙で不明朗な支出があったと仲間内で騒いでいるが、この仲間も航空自衛隊のキャリア幹部だ。せいぜい繁華街で飲食や女色にふけるのがオチだが、総じて野暮な姿だ。軍と警察は武力をもち、税官吏は調査権、徴税権をもっているため国民は息を潜めるしかない。
この部類が社会的使命とモノノフの清廉さをを失ったら国が国として成り得ない。
近ごろは緩みを通り越して官位と組織を盾に汚れ始めている。
現職中の安定職担保ならまだしも、辞めた後も民生に入り込み素餐を食んでいるから始末に悪い。

※「素餐」功績も才能もないのに高い位にいて報酬を受けること

とくに甚だしいのは目に見える面前権力だが、国民から見れば現場の隊員や官吏の精勤を見ると言を控えるようになるが、それを踏み台に高位の官吏が民政を侵食する愚は戦前の増殖した軍官吏を彷彿とさせ、いつか同じ途を辿るだろうと国民は危惧している。
だから若い隊員は有事になったら後ろから撃つなどと云い、警察は有能な警察官を数値選別し、幹部は組織内派閥抗争に明け暮れ管轄権で争ったりするのだ。

余談だが、子供が地下鉄内でお年寄りに暴力を振るったことを社会道徳の一大事として動いた署長がいた。普通なら新聞も四段の記事だが、某社の社会部記者は同感して動いた。筆者の面前での会話だった。その署長が都心の方面本部長から本庁の総務責任者になった。
ちなみにその感性の優れた記者は外信部長から論説委員となっている。
真面な感性をもっている人物が揃うと些細な小事が将来の大事になることを逆賭するのだ。また、組織内でも際立つのだ。

筆者と懇談しているとき所轄の署長から電話があった。筆者とも懇意な人物だった。
内容は「警備に比重をおいた組織が民生に転化するこの機会に、組織の意識変革をしなくてはならない・・」とのことだ。










その幹部は民生と警察の関係について尋ねてきた。「青少年と任侠変じてヤクザとなった群れが民生の問題でしょう」と応えた。
権力は常に見えるところにいてはいけない。それは民生の自立自制を妨げることもある。また地域の長(おさ)としても率先垂範する任侠的な存在も習慣文化の自省、自浄として必要との考えだった。そして「深入りは止め処もないことにもなるので慎重に運用してほしい」、と付け加えた
以後は、警備や公安が姿を隠し、生活安全と交通、捜査二課や四課が耳目を集めるようになった。
経済事犯、政治家の汚職、稼業社会の民事介入などが社会問題としてクローズアップされた。

しかし、他聞にもれず省益ならぬ庁益が発生するようになると、捜査権や逮捕権など法の運用権があるゆえに容易に民生の世界に侵入するようになった。まさに怖いものなしだ。本来は慎むべき権力だったが、功利的かつ効率的思考が入ると組織はあらぬ方向に進むことの深慮が薄かった。鎌倉氏の慚愧もそこにある








川路大警視


いまは庁益として民生転換の本意を失くし、政治家でも言を恐れ、上部機関の検察も調査活動費不正使用や証拠改ざんで言を失くしている。
そんな組織に限って現場警察官には過度な自制を求める。
寒期でも交番はドアを開け放ち、下を向いたり新聞さえ読まず顔は上げる、暴漢が入ってきたらという理由だ。もちろん見えるところでは水も飲めない。些細なことだが肩書で指示する幹部でさえ、数値に追いまくられている。
終いに弛緩し自堕落になる。それは組織内の面従腹背を招くことにもなる。キャリア幹部は生涯賃金を企図して転職天下り先を模索し、部下もそれらに倣い、職場の空気はときに陰湿となり、それぞれが信頼できなくなると各部間の連携調和が欠け、拙速を旨とする捜査の遅漏を招くようだ。また、足の引っ張り合いになることも有りうることだ。

それを統御コントロールするのは数値に依る選別だ。交番を空けて道路わきで違反ドライバーを探し、二人組で瞬時の駐禁を確保するようになった。 確信的違反ではないドライバーの不注意を覚らせる会話をすることもなく、違反を告げ切符を書きだす。法は法と国民は判っているが、警察官と国民の相互関係についての深慮が乏しくなっている。それがすすむと人々は罪びとを隠すようにもなるのも隣国にある権力との関係だ。地方出向の職員も東京の環境に馴染むことに苦労するというが、時をおいてそれも地方に伝播するする。

等しい国民感情だが、もう、あの頃の駐在さんやお巡りさんはいなくなった。


私事だが、筆者も安岡氏や安倍源基氏の誘縁で多くの治安官僚と語る機会があった。また佐藤慎一郎氏は内閣調査室や当局者の縁で諜報関係に知人が多い。その中でも当時の柏村長官や神戸にいた秦野章(後の総監)との逸話など、それらの方々との邂逅は先ずは「国家社会の安寧」を基にしたものだった。
あるとき某所轄の署長から「士気が弛緩している、とくに組織内の上下関係の感ずることがある」と、署員に講話の依頼があった。
「よりによって私のようなものに・・」そう云ったが、「遠慮しませんよ」と承諾した。

内容は城東署の覚せい剤の偽装逮捕とキャリア幹部の不祥事の根底にある、ノルマによる数値選別とキャリアへの現場の怨嗟だった。
怨嗟は国民感情にも直結していた。そこで「人情は普遍なり」と題して隣国の警察と庶民の感情をつたえ、所轄幹部にはには肩書階級は形式として、警視庁が行う殉職慰霊の弥生祭とは別の、所轄歴史にある殉職者を掲げ随時、幹部訓示の背景意識として階級を問わず士気を整えるようにと伝えた。
また聴講した職員約100人の前でも同様なことを伝え、都心警備に赴く職員には「寒気風雨にさらされた高速道路に立ち通過する高官の車を警護するとき、この高官がもし汚職腐敗にまみえていたなら、士気かが消滅するのは国民とて同感だ。添うべき心は善なる国民であり、自身の警察官になった初心を忘れないことが大切なことだ。その姿は警視庁ならずも津々浦々の人々の同僚の共感として、その姿は国民の国家への信頼の姿として浸透する」と伝えた。

その後、返礼に署長が訪ねてくるという。
「所轄区域は狭いので交番職も自転車を利用している。事件があっても指令を出すものが地理に暗くては初動も遅くなるので、我が家には民情視察のつもりで電車で来ていだだければありがたい」とお伝えした。
その署長はそれ以来夜半のジョッキングでは管内の交番巡りをしていた。決して監視ではなく職員に見つかれば激励をした。、













日本では為政者である国会議員から選ばれた総理が権力者と云われるが、隠れた権力は公務という職種に位置する集団の姿なり構造がそれにあたるようだが、公務員の不始末を大臣が言い訳したり、しかもその言い訳文(答弁)や質問文まで官吏の作文では国民は堪らない。しかも御上御用の公文書となれば反駁もできない。

じつは日本の権力の在り処は雲霞のごとく風に漂う蚊の大群もしくは、誰がボスなのか解らないイナゴの大群に似て、群れそのものの目的が食い扶持の安定的確保と保全に向かう始末の悪い状態だ。
幾らかでも為政者が識見を以て逆賭(ぎゃくと)を行うなら、先ずは綱紀粛正が筋だろう
しかし補完関係でしかなくなった為政者(議員)と官吏の関係はますます強固になってきた。
しかも公職選挙法の細かな規制を、ときに恣意的に運用する治安官吏によって生存与奪権まで召し上げられる立場だ。自分で縄を作るような規制を唯々諾々と立法する議員も思索も観照も問題意識がない状態だ。

つまり、官吏が言うことを聞かなくなっているのだ。
いや、聴いたふりして言った人間を満足させているのだ。
お手盛り給与や豪華な議員宿舎、選挙区には予算の便宜配分、顎足つきの視察と称する旅行、腹話術の人形なら金もかからないが、人間、とくに贅沢病に罹ると点ける薬もない。
こんな児戯に付き合う知恵者もさすがだが、実質権力の在り処さえ判れば児戯に付き合うのは容易いことだ。
これを当ブログでは「四患」として記している。






安岡正篤 氏


「税と警察の姿によっては、いかようにも人心は変わる。これを整えるのが両者の役割だ」と筆者に説いた。



最たるものだが、警視総監がパチンコメーカーに再就職したと記事にあった。もちろん手駒の一族郎党も後に続く。
あくまで博打場ではなく遊戯店と言い張っているが、博打のサイコロや札の製造元に武士の目付や奉行が食い扶持を求めたようで、十手をもった街道筋の親分も顔色を失う所業だ。
様々な所業は国民の知ったことだが、北朝鮮、拉致問題、パチンコ、天下り、規制、風俗許可、消費者金融、カジノ、と単語を並べると事情も見えてくる。
一方、青少年健全育成、防犯、交通安全、取り締まり、逮捕、覚せい剤、泥棒、万引き、駐在さん、殉職、となれば昔なからの敬する存在が浮かび上がる。










先に書いた鎌倉節元警視総監ならパチンコメーカーには食を求めなかっただろう。
日々精勤する実直な警察官も片腹痛い作業を続けている

想い出すのは震災時の原発作業員と経産省や東電の役員の関係だが、海外のジャーナリストは、日本の官僚制度内の差別格差、エリートの無責任と不作為がもととなる瑕疵は、現場の実直な作業員で補うものなのかと嘆息し、日本のエリート教育は失敗したと書く。

よく、「元を断たねば」という。
泥棒、万引き、自殺、サラ金被害、殺人、強盗、と犯種は判れるが、動機は金か感情のもつれが多い。最近では老齢者の判別能力の衰えが犯罪につながるが、元は医療なり家族の問題だ。その動機は金か感情のもつれと書いたが、近ごろの傾向はギャンブル、とくにパチンコパチスロの遊興資金が犯罪の元となることが多いという。また依存症は500万人を超え、精神疾患として大きな問題になっている。よりによってパチンコメーカーに就職するなど現場警察官の士気にもかかわる大問題だ。


政治も気が付かない。いや献金でコロガサレているとは思いたくないが、この元総監のメーカーは総理まで音頭を取っているカジノ議連、マスコミ、などと連携を取ってお台場のみならず、全国カジノ構想を企図しているという。

そこで現場の状況だが、鎌倉氏の推測は当たっている



≪警視庁捜査2課、贈収賄摘発ゼロ 今年濃厚、過去30年で初≫
2014年12月30日05時00分 朝日デジタル







終戦時の内務大臣 安倍源基氏 筆者は杉並区和田の自宅に度々伺い、警察のあるべき姿と慎むべき権力をの在り方を聴く




あろうことか、今年はゼロだという。巷で囁かれている交通違反の取り締まりノルマや、今は少なくなった拳銃摘発の競いや覚せい剤事犯の件数争いなど虚偽逮捕が頻発したが、稼業の情報協力もなくなり、その件数も少なくなっている。
もとより犯罪件数が少ないことは国民にとって幸いとすることだが、こと組織維持や予算獲得の見地からすれば手を拱いてはいられないはずだ。

それとも鎌倉氏の「警視庁は、サンズイは捕れない」という厳しいコメントは、ほかに何か意味するところがあるのだろうか。
よく事件の管轄権の取り合いがあるというが、検察特捜と警視庁の事件(ほし)の隠しっこと事件化に関する許諾関係もあるのだろうが、意地の張り合いで事件をバラバラにしたら悦ぶのは犯人だけだ。

それもあるだろう。それはいくら成果主義といっても現場の能力、つまり使命感と目的をもととした知恵を駆使した捜査力のたまものだが、それだけではない問題がある。

つづく
イメージは関係サイトより転載

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天下り「前官礼遇」安倍君の眼を外に向けろと釜炊きは言う 14 6/2 再

2018-07-17 10:21:43 | Weblog

逗子の海

 

煩い上司は外で遊ばせろ、トモダチ作りは土産を持たせて配れば気分は良くなる。

担ぐのは軽くてパーがいいと誰かが言った。

 

維新期の有司専制がお飾りの議会を作ったが、戦後民主主義といえどその維新期の有司(官僚)が首を引っ込めたり出したりしながらバチルスのように繁殖している。まだ維新期の元老を輔弼として天皇権威に繋がってしていたころは、いくらか国家意識はあった。 なによりも混乱期の苦労人がいたせいか下座観もあった。戦後は始末の悪いことに戦前制度は悪と断罪したかのような教育によって、短絡的かつ合理的とも思える基準によって、ものごとの選別する思考となった。また専門分化して技量は増したが、技能が衰えた。

技術・技能だがオートメーションのラインで個々の作業は高まっても、次に続くラインのことまで考えなくても良いシステムが思索や連帯意識と調和力などに影響を与えてしまった・・・・と、ライン熟錬工は嘆く。

それが、さまざまな要因を持って構成なさしめている国家なるものの、人間という部分の変容によって、或る時は騒がしく争い、平時のおいても生命の危機は増大し、人として倣う対象である教育家、宗教家、政治家、知識人らに独善的気風が蔓延し、深層の国力といわれる情緒を涵養する息潜む人々の怨嗟はますます増大している。

 

                   

           天下は私するものでなく公に在るもの  孫文

 

以下は政治的現象の一例の考察である。

内 平らかに 外 成る 」 とは、元号のもう一つの意味だが、外遊でおみやげを気前よく配るまえに、内政に目を転ずるべきことが大切なことだと深慮を求めている。また、そのぐらいな慎みがなければ部下の狡知に乗ずる軽薄な相として名を刻むだろう。


 
責任
のあいまいな組織対応に長けた者たちの部分の応答は、決して全体効果を示すものではなく、ましてや歴史に耐えうる経国の成果すら望めない。
前官礼遇」は肩書食い扶持の徒の見方だが、官職や御上御用に対して阿諛迎合性の強い日本人に多い傾向だ。

もとより中国や韓国のほうが制度的に官職の俸給が抑えられ、アンダーテーブル(賄賂)の習慣性が官と民の潤いとなり、相互利益調整の仕組みになっていることと違い、「不埒な心」を起こしてはならないと使用人自身が制度的なお手盛り法を作り、官ならず政までもが地位保全,高給待遇、各種手当と便宜を法に定めるような精細な狡猾さがある。

は、たしかにその方面では世界に冠たる優秀さがある。逆に冷遇したら江戸の敵は長崎で返されると一層の厚遇に励むのも愚かな民の性癖になっている。

しかも、いまでも官職に全職優越性を持つのか、もしくは出身の規制官庁に苛められることを憂慮するのか、民間天下りや独立行政法人への転出が全職官位に準じて行われ、昨今はより勢いを増している。独立行政法人は国公立大学、医療・各種研修機関などだが、この場合の独立は「埒外」と意味を含んでいる。

また多くの補助金や研究費、協力費,の名で関係省庁から拠出され、溜め込んだ留保金は数十兆だとの試算もある。
標記の「前官礼遇」は、そこに席を有す前官吏の様子だが、現場任用の職員からすれば、まさに礼をもって遇する土産持ちの連中であろう。

それらは国民からすれば、隠された状態で、議員すらお手盛り目当てに見向きもしない。これらの処遇は形式的には法によって執り行われている。とくに,精緻にほころびのない投網のような法は、勤勉、礼儀、忍耐を旨とする国民を巧妙に囲い込んでいるが、法治国家を謳い、普遍性を看板にしているところがイカガワシイ。





獲物を掴みとるトンビも増えた


それを支えるのは税だが、よく日本は租税負担率が欧米と比較して低い、だから上げるという理屈がある。
60%も70%も払えば、医療費、教育費、老後も心配ないならそれでもいいが、それには役人の俸給、箱物の管理費などを含む経常経費が予算の90%超えるような予算立てをする慣性能力ではとうてい無理なことだ。碩学は税はこの国の参加費だと思えばいいと云ったが、近ごろは安くならずに、高くなるばかりだ。

国税担当者の発表では給与所得に占める租税負担率は所得比24%だが、これだけを北欧と比較すると低い。
しかしこれに加えて個人所得税8%と消費税、介護保険も健康保険などの負担率は17・5%、これに各種手数料とあの、誰でも、どこでも隠れて徴収される、うっかり、不注意から生ずる罰金や反則金、公的外郭団体の空き地活用と称する駐車料など、行政の経営効率?を掲げる公務員経営の収益もバカにならない

もちろん受益者負担の原則を基としても、使用料、罰金の額は膨大な数字になっている。それが国民の普遍的な利益らなるならまだしも、特別会計というチェックのない金庫に紛れては検証しようにもままならない。その特別と称する額は国会審議に供する予算の3倍もある。

国家予算は国会で審議する本予算と称するものと特別会計がある。本予算の半分が税収であとは赤字国債という借金、ということは子供に計算させても6分の⒈の収入で、チェック無しの類が5倍もあるということだ。数字は精密を旨とするが、ザックリみて350兆超えの公資金が一年間で回る勘定だが、就労人口と税金を払っている人口、タックスペイヤーとイーターの割合も明確になれば幾らか国民にも理解できる問題だ。

しかも、数年前の会計検査院の検査で4000億以上の無駄(不正)支出が報告された。これも氷山の一角だという。
一年で4000億なら10年で4兆円、震災増税もまかなえる。氷山の一角なら全体はどうなのだろう。重箱の隅を突く細かい調査をするなら全体像を示してもらいたいくらいくらいだが、官官調査は昔から舐めあい調査で甘いことは国民も承知だが、迂回システムの懐優遇ではたまったものではない。





彼らの待遇は厳しい  震災地での自衛隊




欧米を例に出して税負担を説くが、いくら公務員が税を払っているからといっても、イーター(食う人)とペイヤー(払う人)の峻別は彼らの方が厳しい。

本来の税収からイーターの総支出(官吏、政治家、独立行政法人や公機関雇用の俸給)を引いたら、先ず残らないし、足らないはずだ。本会計の税収がイーターの支払いに消えてしまう。いくら公的サービス機関とし欠くことのできない利便の慣性になじんだ国民だとしても、国民の多岐にわたる要求だと自然増殖するバチルスのような公組織は、「公」の意識もさることながら、公の囲いの私用集団のような様相を国民に映し出している。

先の負担率の合計と国債乱発の赤字負担を考えると、給与の52%が引かれている。それも国民が、顔がいい、生まれがいい、名前が売れている、経歴がいいと熱狂選挙で選んだ政治家の選択だ。

北欧のようにあと10%出して老後も医療も教育も心配なく、過度の罰金や反則金もない60~70%はどうだろうか。それとも考え直して国家組織の掃除と改造を真剣に考えるのか。
いや、いくら出してもイーターの慣性根性は無くならないと達観している国民は多いのだろうか。
この国に生まれた悲哀と台湾の李登輝総統は独特な諦観を語った。
日本人はそれを他人事として大仰にも理解の形を示したが、我が身が「※釜中の民」だと今頃気が付いたようだ。
それも、一部だが、安倍さんの銃後の守りもそれ如何に懸っている。


「※」釜の中で優雅に泳いでいる魚も、徐々に熱せられる。所詮、釜の中の民だ
 
さて、釜炊きの薪が増えているのも知らなくてはならない

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銀座酔侠伝  やさしい漢たちは逝った  そのⅤ (加筆未完)

2018-07-11 08:43:43 | Weblog

 銀座金春通り   金春湯 にて  (竹本提供)

松坂屋裏の東京温泉と金春湯で一汗流してビヤホールへ…

 

ビヤホールは、好いた、好かれた、いろいろな話が飛び交うが、みな、屈託がない。なにしろ名刺交換もなければ、金の話は御法度。なにしろ、十年たって何しているか、年は幾つなのか分かることもある。誰と仲良くなった、連れだって行った、男同士の関係だが、これも始末に悪い。
 ゛俺を誘わなかった゛、そのうち、゛あいつは誘うな゛とんだ話になる。

        

     神田多町  ショウジさん    名刺には「火事と喧嘩は江戸の華」

竹本は顧みて語る。
「俺たち仕事人は懐の按配が難しい。昔のことだが、銭がさびしいときでも呑みたくなると、ホールの脇の小窓からのぞいて知った顔をさがしたときがある。居れば入るとビールが出てくる。次の客が来るとまた一杯。そんなこともあった。だからこの席に毎日来て、ここに座った客には一杯だすんだ。それがつないだものだ。ゆっくり飲みたければ我が侭いえる店で温カンがいい。だか、なかなか誘える奴は来ない。俺がここでゴチ(おごってもらう)になっては洒落にならない。鳶は芸人じゃないょ」

「鳶はハシゴと入れ墨と木遣りが華だが、どれもホドだ。近ごろでは口が巧くなくてはならないが、見えるものより気分が大事だ。なかには、どっちが旦那か分からない派手な野郎もふえているが、しまいに身の程を締めるようになって消えていくのがオチだ」

 

竹本は川崎の病院だった。

病室に入った一声は「チーちゃんは一緒でないのか」女友達のことだ。

つづけて姉さん(かみさん)も、「てっきり一緒かと」

よりによって川崎くんだりの病院見舞いに女友達の名前を言われると

「悪かったねぇ、こんど連れてくるよ」と妙な歓迎に応えた。

もちろん病人の希望?もあり、冥途の土産に顔見せに行った。

 

『竹本のような生き方が本当だ。居なくなったなぁ』長谷川の懐かしみだった。
平成24年2月長谷川は逝った。長谷川は銀座通りの松屋あたり四丁目を仕切っていた。

歳末のお飾りは銀座通りに面して松屋の軒下で出店していた。大店(たな)が多かったので一対何十万単位のしめ飾りが覇を競って並べられる。

どうしたわけか、松屋の出店は伊能と宝塚が威勢良く売っていた。銀座には不釣り合いの鬼瓦の様相だが、宝塚がいると不思議に能の翁の笑顔となり、いっぱしの銀座の品が漂ってくる。ただ、こんなデレ顔をカミさん(本妻)に見られはしないかとヒヤヒヤしたが、本人はいたって生真面目に口をとんがらして「ありがとう」とぶっきら棒に応えていた。

この漢(おとこ)、頭を下げたことはないようだ。めっぽう恥ずかしがり屋なのだ。

 

昔からお飾りは鳶の歳末手当として、それだけで一年分暮らせるくらいの身入りがあるという。それが日本橋、京橋あたりから新橋まで飾られるのだ。それが終われば旦那衆への挨拶だが、組の染め抜き手拭いと小物をつけて配る。六日は出初式の梯子と木遣り、唄を先導するのは竹本の美声だ。

 

伊能は口癖でいう。「まともなのは竹本と俺くらいだ」何かというと、仲間内ではいかなる理由なのか女房なしの一人暮らしが多い。だが浮いた話はたくさんある。見せびらかすのかビヤホールには連れてくる。それが年季の入った番手を背負った鳶頭までが、女の話をする。

たまに、これも年季の入った仲間の連れ合い(正妻)が来ると、冷やかされたり、武勇伝の裏話を暴露されたり、女の来歴をとうとうと喋られ、カッコつけの頭も形無しになる。

 

長谷川は忙しい時期が過ぎると新幹線に乗って箱根湯本温泉に入湯する。長谷川は彫り物がないが、このホテルだけは鳶の彫り物だけは大浴場でも入れてくれる。鳶と河岸とヤクザの彫り物の違いは素人には判別つかないが、通人には判るという。

彼らはしょっちゅう出役がある。各地の慰霊祭、成田の新勝寺や川崎大師などの神社仏閣の奉納も恒例だ。関係する議員の年始や祝賀パーティもあるが、田中角栄邸への団体年始は有名だ。ときには海老を贈って鯛を貰うようだが、そこそこの任侠にも挨拶に行く。地域の飾り店の持ち合いもあるのか、互いに義理の渡世に生きているが、境(さかい)もあるので、分(ぶん)を超えないホドもって付き合っている。

そのたびに赤筋の半纏を装って木遣りを唄う。祝儀もあるが、返しもある。丸一日出役でつぶれると釜の蓋も開かない鳶も出てくる。付き合いきれなくて辞めるものもいる。

そのほかに若い者は梯子や木遣りの稽古がある。

竹本は「男を売るのは六十まで、あとは狭くしなくてはならない、渡し銭をしてものぐさに出なくなるのも、その生き方だよ」と、人生の無事をホドで補っている。

 

     

長谷川さんの代理参拝参拝  タクヤさん

 

一区のも組は江の島神社参拝が恒例になっていたが、このところ足が遠のいたという。

長谷川が「乗っけてってくれるか」というので、随伴した。
あの不自由になった身体を抱えた江の島から眺めた富士は良かった

朝の陽ざしをうけた相模湾をわたって遠望する山並みに、あの頃は一緒だった伊能と竹本のことを想いだすのには長谷川にとって十分すぎる憧憬でもあった
『もう 歩けねェなぁ』
 参道の土産物屋に残して、ながい階段を昇って代参したあの汗は懐かしい。

宮司に長谷川が石段下にいると伝えると、宮司も残念そうに、懇ろに祝詞を奉げた。

翌年は本物の代理参拝だ。札を預かって病室にとって返した。
床からやっと開いた言葉は『わるいなぁ』
 あまり日を措かず袢纏を借りて江の島神社に二度目の代参をした。

半纏の襟には稼業の親分の名前があったが、あの世界のスポンサーとしてよくあることだ。

神札は病室に鎮座した。
半目をひらいた。口をモグモグさせ写真を見て微笑んだ。

縁者から「あの写真を御棺に入れておきました」と葬儀の後の伝えだった。
あの優しい漢たちが手招きするかと思うと、気が気でない心地がする。

 枝頭に春がきた。そろそろ桜も咲く。
 広尾の桜、保土ヶ谷の桜、そして長谷川も桜に包まれて何を語るのだろうか。

 

未完   とりあえず終章


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銀座酔侠伝  やさしい漢たちは逝った  そのⅣ (加筆未完)

2018-07-08 10:09:05 | Weblog

    竹本と左後 伊能

 

鳶のむかし話もある。

横浜の戸塚に基礎足場の仕事がいきつけの旦那の注文が入った。旦那は温情のつもりだが、足場をもっていくにはトラックを用意しなくてはならない。あいにく手配できなかった。

断ることも報いることにはならない。親父の金太郎の「いくぞ!」と一声で職方は腰を上げた

昔ながらの大八車に足場と荒縄を積んで銀座から戸塚までの道中が始まった。

品川から蒲田、多摩川の六郷橋を渡って川崎だ。姉さんの握り飯を土手でほうばりながらの一日掛かりだ。押すもの、曳くもの、交代しながら歩く。煙草はキセルタバコが重宝だ。キザミを火口に丸めて吸うが、終わると手のひらに落としてコロコロと転がすと火傷はしないし火種は残る。その間、タバコ入れからねじり出したキザミを丸め、火口に入れて手のひらの火種でとぼすと、器用な奴は銀座から戸塚までキセルを吸いづづける者もいた。

良かったのは誰からともなく木遣りがあがってくる。基礎杭の地ならしに使う曲もあるが、歩きながら景色を見ながら唄うのも格別だ。大八を転がす調子もとれるし、順番にはじまると木遣りの稽古にもなる。

とくに親父がいると甲高い声でフシの好い木遣りが始まる。調子の連呼も合わさって気分が上がる。あの頃は録音機もなく聞き耳だけだったが、今は唄われない好い曲がある。想い出しているんだが、つながらなくて惜しい。気風(きっぷ)も啖呵も切れるし、義理と人情とやせ我慢、木遣りも聞き惚れる、あんな赤筋(鳶頭)はもう出てこない。みんなで高尾山に親父の顕彰碑を建ててくれたと竹本は懐かしむ。

 

「近ごろは、どっちが旦那なのかわからなくなった。役職は背広来て挨拶もしなくてはならない。木遣りはCDで習い、彫り物は電気彫り、車はベンツ、ホテルで梯子乗りじゃ軽業芸人だ。世の習いは逆らっちゃいけないが、気風も人情もスカスカじゃ吉宗(制度を作った徳川吉宗)まえのゴロツキか遊び人だよ。任侠と江戸鳶は似ているようで分別が違う。鳶仕事は旦那に頼まれればドブさらいもするが、博打打ちはしない。どっちが楽なのではなし、格好いいとも思わないし、比べる下衆な了見はない。それが土方衆とは違うところだし、土方衆も稼業やくざとは違うところだ。それが金と女と酒は同じ欲だと境がわからなくなっているが、女の付き合い方も、金の遣い方も遊びの仕方も、それぞれ違うのだ。まともな稼業やくざも土方も鳶もそのことは分って辛抱しているんだ。粋筋は道なりの道理がなくては単なる、゛まねごと゛の悪戯だよ」

「お前がやればなぁ」しまいには、イケメンの気風にいつもの言葉が・・・

 

     



イケメンは伊能にはよく苦言を言った

「伊能さん、陽が高くなって帰ってくるなら、しかめっ面はいけないよ」と、老若弁えずに話したが、黙って二階に上がってしまった。後日、「あんときは、お前にいわれて格好悪かったなぁ」とビールを差し出されたことがあった。
 ただ、そんな荒くれでも,気は繊細だった。伊能の義兄弟となる竹本と席を共にしていると、こちらの席には寄ることもなかった。帰りには「すし屋にいるから来いよ」と、ぶっきらぼうに伝えるが、ことのほか竹本のことも好きたが、こちらが席を共にしていると気にかかっていた。

 そんな男だが、卜部侍従を紹介してくれたのもその縁だった。

よく入江侍従も来ていたが健啖家といわれるように豪快な飲みっぷり。世間は、あの世界は堅ぐるしいと思っているが、話は洒脱で飽きさせない。なかには弁当を差し入れして、ちゃっかり宮内省御用達と宣伝していた宴席料理屋もいたが、その後は相手にされなくなった。

「入江さんが亡くなって陛下はお嘆きに・・・」と聞くと、陛下は「入江は食べ過ぎで亡くなったのか」と、冗談か本気なのかわからない御下問があったという。

その卜部氏も泡友が開いたライブハウスの開店日には横浜からわざわざやってきて、「こんな裏芸があったとは・・」と挨拶をしていた。

 

      

    右 卜部氏  中央  安岡正明氏

 

そのイケメンが安岡正篤氏の縁で勉強会を開くと悦んで講師を受任して、度々激励の書簡を送っている。葉山の御用邸に皇太后のお付きで行くことになったときは差し入れにサッポロビールの提供を伝えると、「ビールは揺らせたら落ち着かないと美味しくないですね」と、運搬方法まで依頼するビール好きだった。


伊能は天皇即位のとき使用する高御座(たかみくら)の設営関係の御役を頼まれたが「俺は前科がある」と、仲の良い新川の山口政五郎に委ねている。ともかく筋目はうるさいが、人生は足を踏み外すほどに奔放だった。

政五郎も人情に細やかな頭だ。伊能は「あいつは本物だ」と強引に連れて行ってくれた。

伊能の祖父の五十回忌もなじみの芝プリンスホテルで世話したのが政五郎だ。自分の授章祝賀会でも、わざわざ寄ってきて「兄弟は大変だったね」と、伊能が勝手に義兄弟にした男の病のことを覚えていて、労ってくれる気配りがある。

 

      

     山口政五郎 氏

 

深川八幡の祭りでは伊能を先頭に立てて練り歩くような人を立てる情もある。どうゆう訳だか伊能と仲良かった仲間は鳶の世界では名を上げている。竹本は銀座も組の組頭として名跡を守り、靖ちゃんこと鹿島靖之は江戸消防記念会の会長として江戸時代から続く鳶の歴史を守っていた。政五郎は鳶のことは政五郎に聞けといわれるくらい全国にファンがいる。また江戸情緒の語り部として多くの文化的事物の収集家でも有名である。

゛うるさい兄ちゃん゛といわれながら、伊能は気が付けばお節介を焼いていた。


その竹本だが、「人は好かれなくてはいけねェ」と、大言を吐くこともなく、「俺たちは旦那あってのものだ。頼まれれば溝(どぶ)さらいでもする。仕事師は旦那気分になってはいけない」と、常連会の会長も最後まで固辞していたが、やはり人柄がそれを押した。
 ときおり、おなごを連れて「友達ですよ」といえば、「格好つけてちゃいけねェ、一緒にいるときが一番の女だ。可哀そうじゃねぇか」と、渋い顔をみせた。

 間をおくと、「近ごろ来ねぇじゃねえか・・」と電話が来る。そんなときは、選りすぐりのトモダチを二人連れて近所の飲み屋でカラオケを歌ったが、必ず女房には七寸(寿司箱の寸法)を土産に頼んでいた。ともかく女房に惚れて優しかった。恒例は毎年正月の三日にライオンの二階で二人っきりで杯を傾けた。
「なにごともホドが大事だ」「若い頃は型つけて付き合いを広げ、男を売っていたが、この歳になると付き合いを狭めるようにしている。物ぐさといわれようが、丁度いい生き方はそんなもんだ」

 あるとき本人は決して語ることもない、まして自慢することもない背中の彫りものを見たことがある。その後の付き合いで東京温泉ではいつも拝ませてもらったが、その類にも位(くらい)があるらしい。サウナ室に入ると、混んでいれば人は隙間を空ける。それが何人もの刺青者が居ても、みな席を寄せて空ける。あるときオンナトモダチが「頭(かしら)の見たいわ」と言われて返す言葉がふるっていた。「二人っきりでお前の背中も見せてくれたらなぁ」

相続?のことも面白かった。

いつものように呑んでるときに、突然、「あれ、おまえに相続するよ」と。
小づくりで可愛い人だが、干支を繰り返すような年の差だ。
 だが、断るわけもいかず、「兄弟かね・・」と呟いたのを想いだす。
 ことは、たとえ冗談でも少しよけて返すのは此の手の倣いだ。それにしてもホンノリとした関係のオナゴを相続とは恐れ入った。

気分のいい女性なので新富では何度か軽いお付き合いをしていただいた。
亡きあと酔客のなかで面白おかしく相続の話をしたら、文句を言うわけでもなくグラスを当てられた。
たしかに粋なしぐさだった。


その生き方を「竹本のように生きるのが本当だ・・」と逢うたびに懐かしんでいたのが長谷川一郎だ。いっとき煩いごとでホールに足が遠のいたとき、「行ってんのか?、いゃ俺も近ごろ行っていない。騒がしくてなぁ」後の理由は付け足しのようだったが、それくらい人の付き合いの善し悪しを知っていた。
 伊能もそうだった。ある高名な人を紹介して伊能なりにつき合っていたが、心底が割れてその人間と付き合いを絶ったが、あくまで伊能との付き合いに掉さしてはいけないと思って黙っていた。どこからか伝わったのか、「俺はやめるよ、あんたの方が見る目はある」と、その人間との付き合いを一切、絶っている。

 ふつうは、高名であわよくば良い気分になれる人間にでも、そんなことに価値を置いていない。「偉かろうが、金になろうが、そんなこと」といわれると、緊張感も湧き、教えられもする。長谷川もそんな人物だった。
 長谷川も竹本と同じ好かれる人だった。大手新聞の大物からもよく誘われていた。後楽園の巨人のボックスシートもあの人の「遺言形見」だと、券を回してくれた。その席はバックネット裏の丁度テレビ画面に足が映る七段目くらいだ。
「だれ連れて行っても分からない位置だね」

「良く分っているよ」

膝も不自由で二丁目の自宅から五丁目のビヤホールまでタクシーだった。帰りはオイル(アルコール)が入るので、そろり徒歩の帰路だった。七丁目のホールをよけてから八丁目の小料理屋、月島のすし屋、あるいは江の島神社の参拝、そして八景野島のしま寿しと、いろいろ連れ立った。

ときおり新浦安の順天堂へ行ったが、「伊能もここで亡くなったなぁ」と、感慨深げに建物を見上げていた。
長谷川は「どうしてんだよ」
『来いよ』とは言わない。
 そんなときは好きな銘柄のワインを補充すると、また「どうしてんだよ」と連絡をよこす。
伊能は「たまには来いよ」
竹本は「話したいことがあるんだ」
 三者三様だが、あの雰囲気でわかる奴と飲みたいだけ、それも逝った。
「伊能さんの夢見たよ」と竹本にいえば、『今、誰と飲んでいるのか心配でおまえにやきもちを焼いているんだよ』あの貌を思い出して保土ヶ谷に墓参に行った。
 仕事人の気風なのか、伊能と竹本には色よい逸話が良くあった。なぜか巻き込まれ?もした。

 

                 

 

前後する逸話だが、松屋の脇に福富太郎のキャバレーがあったときのこと、伊能が来てくれという。黙って傍に座っていてくれとのことだろうが、一人ではおぼつか無いらしい。なにしろ場面まで設定して色々思案するのが伊能の癖だ。屏風代わりだが、大のオトナが頼むことならそれなりの理由がありそうなものだ。伊能も取りまとめて体裁よくは言えない。こっちも聴かずにその場の雰囲気で察しなくてはならない。いまどきの説明責任などの手間のかかる無粋な仲ではない。
 要は、竹本とうまくいっていた女が、情が深くて、あっさりした竹本が避けているが、女がいうことを利かない。仲をもってみたものの、なにしろ伊能の面姿は人が怖がる。そこで助っ人のような頼みだった。
 伊能はそんなときは独りでは行けない。伊能も宝塚を添えもので連れてきた。
 言うことは一点張り「竹本は悪い人じゃない」と涙を流して説得する。女はそんなこと解かっているから惚れたのだ。
「なぁ、そうだよなぁ」
 そのたび相槌をこちらに要求する。
 もともと身持ちの固いといわれる竹本はビヤホールで呑んでいる。連れていくわけもいかず、伊能はいつものように仕切っている。兄弟と言いあっているが、そんな強引な仕切りに竹本も鬱陶しく感じているが、今回に限って伊能が義狭心?で受けて立っている。でも相手は罪もない情の厚い、しかも年若の利口そうな女性だ。しかもなかなかの美麗だ。
 伊能は泣きださんばかりに竹本をかばっている。いや、鬼が本当に泣いていた。

普通はそんなことくらいで好いたものが「そうですか」と、引き下がるわけではないが、こんな時には口を開くアトとサキが問題なってくる。別れ上手は女に先に口を切らせるものだが、今回は伊能のおせっかいで、しかもボキャブラリー(会話単語)の乏しい伊能が「竹本は悪い人じゃない」と連呼されては、女も、゛分かっているよ、そんなに言何度もわないで゛と、話もうっとうしくなり、何が悶着の原因なのか聞くまでもなく、黙って引き下がるのがオトナだと、勝手に納得してしまいかねない。

伊能は喧嘩でも相手より興奮度を上げて、理屈そっちのけで口から泡を飛ばし、それは熊のヨダレ状態になり、人間離れした形相で戦闘状態の啖呵を切るものだから、相手は大人の人間ではなく、赤子の泣き止まないなき声にヘキヘキするように冷静になって、しまいには呆れてしまう。伊能が苦手なのは低姿勢で冷静に理を詰める人間だ。くわえて伊能を褒め上げることだ。下手すると瞬間湯沸かし器にもなるが、巧く行くと般若が好々爺の翁(おきな)のような形相に変わる。


キャバレーハリウッドはホステスもいる。場所感覚も伊能らしい可笑しさがある。
「色々あるが、ここはよくないょ。後でゆっくり話しましょう」と、話を切った。

伊能はあんなこと言うから、てっきりアンタと二人っきりで話すのかと思ったが、そんな慰めをしたら二人がデキてしまうのかと心配になった、と妙な絵を描いていた。

「ありがたいオコボレだが、頭と兄弟の弟より、こればっかりは兄貴になりたいね」
伊能を残してタクシー乗り場まで送った。話すことはなかったが、女性は何気にのみ込めたようだった。

 

              

                                   竹本金太郎 氏

 伊能はビヤホールにとって返して竹本に「タ―さん、うまく言っといたよ」
後で竹本に聞くと、ことさら頼んだわけでもない、と。

何のことはない。伊能が竹本に呑み仲間の女の話を振って

「最近会ってないのか」竹本の女と思い込んでいる

「飲むと悪酔いしてなぁ」

「それはよくねぇ」ここから思い込みとカン違いが始まった。

「銀座の鳶頭が女にてこずっていてはサマにならねぇ」

「近ごろは連絡していないが、俺がいなとき来ていたみたいだ」

なんの変哲もない会話だが、伊能は竹本が嫌がっていて、それでも女はやってくる、そのうち困ったことになる、と思い込みの先走りをした。

竹本も説明するのもかったるいし、まして伊能のこと、お門違いでやり込められてトバッチリが来たら面倒になるので、ここは伊能の独り芝居に水を差さずにおこうと思っていた。

新聞タネになった洲崎遊郭での伊能の出入り悶着も、まるで鬼の形相で「ターさん行くぞ」と、まるで映画のように行ったはいいが、相手の方も常人ではない伊能の形相に警察を呼ばれて二人はブタ箱入り。これとて伊能の武勇伝には必ず語られる一説だ。

もてる男は、人の勝手な思いにも流れに任せるようだ。

竹本がなぜ好い女を避けたのか聞いたことがある。

「アレはイイ女だよ、躾けはいいし男を立てる。玉にキズは呑むと限度を知らない。タクシーで送ったときゲロを吐いた。運ちゃんに謝って俺もその掃除を手伝った。何度かあったが、そんなことでうっとうしくなった。車のシートと床掃除じゃかっこう悪いやなぁ」

竹本も女性の呑み癖を自覚させようとしてつれなくしていたが、伊能の先走りには諦めもあり、いつものホドで眺めて悠然としていた。「縁があれば戻ってくるよ」と。

 

米  イメージは増田氏(竹本)提供 

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銀座酔侠伝  やさしい漢たちは逝った  そのⅢ (加筆未完)

2018-07-08 01:30:31 | Weblog

 一区も組が毎年参拝した江ノ島神社     掲額は江ノ島  児玉神社

 

        

奉納の鳥居  台座に「も」

 

伊能勝之進は表向きの稼業上鳶職人だ。鳶といっても町鳶ではなく、もともとは土工の飯場を仕切っていた剛の者である。その稼業の義兄弟に銀座一区も組の組頭竹本がいた。その竹本と一番気があった「も組」には長谷川一郎という、今どき稀有な人物もいた。
 伊能で忘れられないのは、筆者の母の葬儀に雪降る中、赤すじ袢纏(役付き)をはおって仁王立ちで焼香の終わるまで戸外の寒い中で立っていてくれた。後で聞くに「お前んところの葬儀にどんな奴が来るかわからないので・・」ということだった。ともかく暴れん坊だったが不思議とイケメンにだけは向かうことがなかった。

 むかし洲崎の遊郭で出入りがあったという。喧嘩だ。そのとき竹本と二人で乗り込んで新聞をにぎわす事件になった。戦後のどさくさの頃、飯場に侵入する荒くれを追い払うためにいつもは夜中起きて、昼に寝ていたという。

熱海に泊りに行った時のことだ。伊能と株屋が女連れだ。こちらは一人かと思ったら、伊能が女の友達を連れてきた。歳は一回り上のおばさんだった。伊能らしい気遣いだったが、どう見てもおかしいので文句を言うと伊能と二人部屋になった。飯場の癖なのか一晩中ガサガサと騒がしい。夜中に茶うけの菓子をむしゃむしゃ食べるわ、深夜に内風呂に入るわで、騒がしくて寝られない。

            

伊能勝之進氏

 

 女房は北九州から盗んできたと伊能は言と女房は笑っていた。その女房も伊能の出入り(喧嘩)があると、オ―スチン(英国車)で乗り付けて「あんた、こっちだ!」と、逃走を手助けしている。なりは白いスーツにハイヒールだった。ともあれ惚れていた。
 前記だが、晩年は伊能のトモダチ・?通いに、小さなボストンバックに下着三日分をもたせて送り出していることを書いた。誰も伊能が怖くて女房からやんごとなき事を聞かれないかと訪ねることさえ避けていたが、筆者はある一点を除いて姉さんと話し相手になっていた。あるとき陽を眩しげに午前様で帰ってきたとき、丁度出くわした。

女房はできた女で生まれは九州筑前。稲能はさらってきたというが、騙してカドワカシた訳ではないらしい。だだ、既婚かどうかわからないがもとの持ち主?はいたらしいが、伊能のこと強引さはあっただろう。昔から筑前の女、とくに北九州あたりの女性は、気は荒いが男に尽くすという。

筑豊炭鉱から遠賀川の流れに乗って石炭を運ぶ船頭は、川筋ものといって独特の気風を持っていた。たしかに伊能の無鉄砲さではあるが容姿に不釣り合いな繊細な気遣いは異郷のオンナの興味をいだかれる。いつでもアンバランスは突っ先の出会いには不思議感が付きまとうものだ。

江戸鳶の役職である赤筋半纏を誇らしく着込んでいる伊能だが、出は土方だ。荒くれの土方を連れて全国を流す親方だが、突っ張っていればどこでも悶着を起こす。砦ではないが飯場の真ん中に足場を組んでその上に寝ていた。しかも夜は危なくて寝ていられない。

前記した熱海参りでの夜の飯場癖は死ぬまで治らなかった。

 一宿の色遊びも滑稽だ。伊能は土方だから金回りいい。夕方になると伊能はオートバイに乗って銀座にやってくる。歩道で待っているのは一区五番の竹本(増田忠彰)と新川とも霊岸島とも呼ばれるマーちゃん(山口政五郎)、もう一人は柳屋の靖ちゃん(鹿島靖之)の面々だ。

なかには白い背広に白い革靴にシャレた漢(おとこ)もいた。

銀座通りは京橋から銀座八丁目までそれぞれが稼業シマを持っている。鹿島の靖さんは日本橋、松屋あたりはシブヤの名称がある長谷川一郎、小物屋の「くのや」や銀座ライオンあたりの七丁目は竹本だが義父は鳶頭の神様といわれ高尾山に顕彰碑がある竹本金太郎。

この金太郎が何を思ったのか伊能と養子の忠彰を義兄弟にした。八丁目の神社の境内で兄弟の杯ごとをした。常連の築地のクリーニング屋はそれを見ていた生き証人。しきたり通り格好良かったという。

 

伊能と靖ちゃんが用足しに東京を離れて伊豆に宿をとったときお決まりの色あそびをしたときのエピソードが伊能らしい。

互いに別部屋で同衾するのだが、しばらくすると「靖ちゃんおきてるかい」と夜中に騒いでいる。もうコトが始まっているのに落ち着かない。すると襖をあけて伊能が首を出した。

笑いをこらえつつも、目が点になった。びっくりした。

パンツ一丁で風呂敷に財布を包んで余布をひねりあごの下に結んだ恰好で「靖ちゃん、こうしてないとアブねえぞ」と、事が終わって枕探しにあうから気を付けろ、とのお節介だ。

経験上なのか、まさか、伊能と同じ恰好をするのも憚れるが、伊能はその格好で廊下を胸張って女のところに戻っていった。

伊能なりの房中の算段だろうが、滑稽な格好を見せにくる仲間の姿を呆れたような顔で眺める。

傍らのオンナに気恥ずかしい気分だった。こうなるとコトは始まらない。伊能のように、それは猿股一つで逃げ出すコソ泥か、大井川を渡る渡河人足の姿にバカバカしくて、女と腹を抱えて笑うと、なおさらコトは始まらない。なによりも、その姿で今ごろ励んでいる姿と、その女の困り果て、かといって笑うこともできず、しかもアエギ漏れることもあるだろう。それを想像すると一晩中クスクスと笑いが止まらない。うとうとすると女のクスクスが漏れる。

もう、何をイタしてのか覚えてなかったが、まだ女は寝間着をはだけてイビキをかいている。

ドタドタと足音が寄ってくる。朝風呂ですっきりしたのか、朝が早い伊能は勢いよく襖を開けた。

「靖ちゃん、どうだった」

「・・・・・」アホくさくて言葉もない。そばではハダケタ寝間着にイビキの女。

「いゃー、そうとう励んだな」

風呂上がりに手拭いを引っかけて、手には風呂敷がしっかり握られている。

エンコしたオースチンは手押しで難儀して夜は伊能に騒がれて、こりごりの馬鹿話は尽きることはない。

 

リンゴの花

 

その伊能がとんでもない土産を残していった。

惚れたのか、相手にされた嬉しさなのか四国出身のバーのオンナに入れあげた。景気が悪いまで店を変えるので一端荷物を預かってくれという。格好つけたのかイケメンに頼んだ。イケメンは断るわけもいかず、トラックと職人を出して自分の倉庫に預かった。

ところが伊能が亡くなってもウンともスンとも連絡がない。十年くらいしてその女から返してくれと連絡が入った。車と人手と倉庫料も出費は三桁になった。処分しても良かったが亡くなった伊能のこともあったのと、義理は守るといっても世間ではお人好しなのだ。

とうとう手元にも入らず、そのまま返してしまったが、「厄を落したと思えば」と平気だった。

 

しばらくして、高円寺の宝塚から「伊能さんに言われてバーのオンナに八百万貸して借用書もある」とのこと。オンナに連絡すると預かり証はないが伊能に返したと。伊能は格好つけて自分の金のようにして貸したらしいが宝塚には一銭も入っていない。死人に口なし、何とも言い訳はあるが、預かり荷物の件もあり、一杯食わされたと思うが、ろくな死に方をしないと宝塚を慰めるだけだった。そういえばそのオンナ、狸のような貌だった。

 

足かけ三十年にもなる津軽も切っかけは伊能だ。

ライオンの並びの地下に「銀パリ」というシャンソンライブがあった。そこの歌手の工藤ベンがステージの合間にビールを飲みに来る。朴訥な語りは津軽弁だ。

「ベンさん、津軽のどこ」

「わかるかい」

「先生が弘前なので」

「ワ(我)も弘前だが、先生の名前は」

「佐藤慎一郎」

「本当か、ワが満州でお世話になった人だ。青森の人はみな世話になっている」

「杉並にいるので今度会ったらいい」

「今度、弘前で秋田漣という津軽弁のシャンソンを唄う人とコンサートをやる。よかったに来ないか」

「伊能さんにも聞いてみる」

 

伊能と宝塚、彼女の友人と四人の弘前行きが決まった。

伊能が悪たくみをしているといけないので部屋は三部屋、事前に予約した。悪だくみとは、連れの女性をあてがうからだ。70越した呼吸が荒い人だが、いい人だが罪作りだ。

コンサート会場は弘前市民会館。案内された席は前から三列を空席にして四列目の一番前の中心に席は用意してあった。銀パリの責任者もいたらしい。伊能は誇らしげに胸を張っている。ベンさんも漣さんも地元では有名人だ。津軽弁はフランス語、北京語とイントネーションが似ているというが、津軽弁のシャンソンは符にのって心地よい。

打ち上げは漣さんの店だ。ときに外者に厳しい津軽衆は東京モンに挨拶をしてほしいという。

伊能は鼻を膨らましてすぐこちらに向けた。

「津軽ははじめてですが、歌もいいし酒もうまい、でも歴史を大切にしていない。都会のモノマネをしても若者はみな東京に行ったまま帰ってこない。先輩が郷土の歴史に誇りをもって語れるようでなければ、いずれ津軽の心は無くなってしまう・・・」

挨拶が説教のようになった。伊能も心配していたが、弘前にも人物がいた。ベンさんも頷いていた。みな最後は真剣に聴いていた。そのうち伊能も胸を張ってきた。

イケメンはそれから足かけ三十年、毎年縁ある人の墓参に通っている。伊能も縁を運ぶが尻拭きはお人好しがやっているが、これも使い方次第では人に役立つ縁となり運となるものだ。

そのたびあの鬼瓦のような貌と翁のような笑い顔を思い浮かべるのだろう。

 

      

      一区五番組    長谷川    右端 竹本     (竹本寄託誌依り転載)

 

竹本は気風がいい、鳶職人の三拍子といわれる梯子乗り、木遣り、彫り物、まさに江戸鳶の鑑のような男だった。忠彰も政五郎もほれぼれする絵柄の彫り物が引き締まった身体を染めている。なかなか三拍子はない。竹本忠彰の親譲りの木遣りは大手出版社のCDにもなっている。彫り物は銀座東京温泉では、いかつい稼業人でも竹本には場を譲るくらいの逸品だ。   柄は品の良い水滸伝、白肌で始終長袖ゆえ陽を当てない。藍が浮き上がって金春湯のタイル絵の鯉とことのほかよく合う。
 

忠彰の義父金太郎と伊能にはいきさつがあった。

金太郎は話の行き違いがあって仲間といっとき仲たがいしたときがあった。義理と人情とやせ我慢とはいうが、金太郎の気性は稼業仲間にはキツイ。金太郎なりの意気地だが、どうしても引けないことも出てくる。伊能とは仕事先で知り合ったわけだが、鳶と土方は生き方が違う。互いに木遣り唄いの男芸者とか宿無し土方と嘲っていたが、金太郎と伊能はなぜかうまが合った。それでも歳の違いもあり伊能は親のように一目おいていた。

 

伊能の口癖に「馬鹿にされちゃいけねぇ」がある。またオッチョコチョイなところがある。

金太郎の窮地と察した伊能はトラック二台に道具を持たせた土方を乗せて「やるぜ」と乗り込んできた。道具といっても、ツルハシ、スコップ、ハシゴ、どこから調達したのか鎌もある。

幸い抗争にならなかったが、伊能の荒くれだが人情の義侠心ある気風(きっぷ)は金太郎を唸らせ、まるで命令のように忠彰、勝之進の縁組に進んだ。戸惑ったのは忠彰だ。よりによって木遣りもできない音痴、ハシゴも乗れないそそっかしさ、彫り物など痛がってできないような土方の伊能と兄弟など、それは伊能がなくなるまで首をひねっていた。

伊能は忠彰の下になる小頭の赤筋を着て常会に出ていたが、まるで金太郎の狙った忠彰の用心棒のように身近についていた。

竹本は松の内の六日、出初式が終わるとビヤホールの三階座敷で呑むのがイケメンと恒例になっていた。

 

余人を交えないためか、カミさんに内緒の話もある。

ホールに来ていた姉妹の妹を誘って出役(つきあい事)に行った。行先は京都で仲間の鳶も大勢いる。

「ターさん、レコ(小指を立ててコレの逆読み)連れかい」

「調子が悪いもんで看護婦の見習いだよ」

そこまではよかった・・・。運が悪いことに年寄りに病人が出た。

「ターさん、たしか連れは看護婦だよな」

訳も分からない竹本は、「まだ見習いだが」

「いま、病人が出た、血圧なのかぶっ倒れているんだが、診てもらってくれないか」

困ったのは竹本より連れの女性だ。なにも飲み友達とか知り合いの娘だといっておけばいいものを、よりによって看護婦見習いとは、運も悪く具合が悪いものがでた。

「なにも持っていなくて・・・、診断は慣れてないので・・」

「いゃ、来て様子を診て、手に負えなければ病院を探さなくてはならない」

見ることはできても「診る」ことはできない。傍まで行ってオデコに手のひらをあてるが風邪でもあるまいし熱もない。脈をとってもどうやって数えていいのか解らない。

「一応、大事をとって医者に見せたらいいですね」

ガキの頃にお医者さんゴッコをしたことくらいしかなかった女性だが、竹本と自身の危機には対処できた。その意味ではメイ(迷)医である。

一緒に行ったことは内緒だが、ことの珍事の顛末は後日、ホールのヒソヒソ話にはなる。

 

以下 次号につづく

 

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銀座酔侠伝  やさしい漢たちは逝った  そのⅡ (加筆未完)

2018-07-06 08:15:41 | Weblog

 

 

人の縁はいどのようにも広がる。

平凡社の下中の邦さんと青森の弘前に桜を見に行った時もその女性は同行している。

いろいろあったようだが、人の口では艶のある想像もするが、それだけでは続かない。竹本の云う「ホド」がイケメンにはあったのだろう。

 

常連にはけっこう艶っぽい、いや男女の欲っぽい話もあるが、大きくもめた話は聞かない。不倫だとか浮気などという野暮な言葉も聞くことはない。ときに独り者から、ひかれ者の愚痴も出るが、野暮な男は余計に持てないといわれると、天を恨んで観念している。

そんな風だから二人は野暮な小心者の陰口にさらされることもあったようだ。

 

いつごろからか近所に住むシャレ男だが老境に入ってもオトコということは忘れていない。

そんなオトコだから常連の力加減、つまり顔が利くかどうかを量って迎合する。スキャンダルや博打ものと風俗を掲載している新聞のブンヤだが、めぼしいネタを仕込むとご注進してまとわりつく手合いが多い世界のオトコだ。

はじめは竹本にまとわりついていたが、竹本は相手にしない。もろちん長谷川など人を見る眼があるものは相手にしない。はじめは紺ブレザーを着込んで、小林老のモノマネで女性客にビールを出すが、しばらくするとノコノコと席まで押し掛ける。いつもは入口に向かってキョロキョロと落ち着きのない呑み方をするが、同じような仲間が集まるが、今までの常連にはない下衆な風情がある。

女性席に押しかけても老境のスケベイ面で話題も少ない。普段はネガティブなことばかり口を突くものだから、洒落たネタもない。銀座のホールにビールを飲みに来るような女性は場末の居酒屋談義はしない。普段はゴミ出ししている女性でも目いっぱいシャレているが、男より同性の目を気にするのが女性だ。幾らビールが飛んでこようが、スケベイ男が同席に珍入されては格好もつかない。

だいたいがグラスを贈っても、礼は欲しがらないもの。まして,有り難くないものを勝手に贈ってノコノコ押し掛ける厚顔廉恥は老境の重みとは思えない。

だだ、手に負えないものだから、゛無理だね゛と眺めていたイケメンに手招きで助っ人をたのむ軽さのお陰で、別の縁が運ばれてきたことを思うと、まんざら無駄ではない。

 

ただ、「俺がビールを出して知り合ったのに・・」と、ひかれ者の小唄を唸られては、竹本ですらも失笑することしきり。

そのスタイルが通用しないと判ると、こんどは着物姿で来るようになった。幾らかマシだが話す内容はイケメンの陰口やホラ話が多かったが、その類は友を呼ぶたとえで、その種の客が増えてきた。なかには地上げ屋まがいの不動産屋の手代がいるが、これも仕事柄ホラ吹きで嘘話をする。みな勝手に金持ちだとか、大物だとか勘違いする。欲張って近づく者もいたが、単なる手代だと判ると潮が引くように離れていった。

それは小林老や竹本、長谷川が気風として守り続けた常連の倣いが失くなることでもあった。一期一会の縁を愉しみ、地位や名誉や学歴、家柄など、なんら人格を代表しない附属価値に人を選別もせず、まして分かったとしてもベタベタ寄り添う男芸者など、一番嫌う連中だった。だからこそ稼業任侠や職人など数多の老若男女にかかわらず、まして出自や職業貴賤など関知しない意識が器量として培われたものにとって、ブンヤは異質な人間だった。

竹本もそんな男の醜態をいやな顔もせず、間(マ)を置いた関係で歓談していたが、話は上っ面の軽い話しかしなかった。

そんな男のヨイショに気分良くなる客もいたが、下心が透かして見えると離れていくようになる。懐が乏しくなった男や、和装形(なり)に重さを錯覚して興味を持った女もいたが、そのうち一時は日に多いときは五席二十人来た常連席も、一、ニ席で四、五人になってしまった。

野暮で助平なオスはいても、漢(おとこ)がいなくなると、オンナも寄ってこない。

竹本は「オトコは好かれなくては」と・・・・、その通りになった。

 

        

              下中

 

奇縁もある・・・

イケメンがいつもの独りドライブに箱根に向かったときのこと。湖畔から大観山に向かうつづらに朽ちそうな小さな案内板があった。「パル・下中記念館」とある。

うっそうとした敷地に仏教施設のようなものがある。研修場とかかれた建物もある。記念館は入口が雑木に覆われジメジメした周囲には覆い被さるように苔もむしていた。気になったがパルはラダ・ビノード・パル、極東軍事裁判(東京裁判)のインド選出の判事だということは知っていた。もう一人の「下中」は解らなかった。

いつもの常連席にときおり女性連れでくる初老の男性とグラスを傾けた。顔見知りだが、ここのシキタリで名前はあえて聞かず、もちろん職業も、まして懐銭の話などはご法度の世界だ。何気なく、「箱根にパル博士と下中という人の記念館があるのですが、その下中という人物が何者なのかわからないのです・・」と話したら、「私が下中です。それは父の弥三郎ですよ」と。

心理学者のユングが同時性とか必然の偶然とか説いているが、まさにいつものビヤホールで、しかも幾らか顔見知りの目の前の人物が、あの考えていた下中の息子さんだったとは、何のめぐり合わせだろうと唖然とした。ライオンビヤホールはその様なことがしばしばある。

それ以来、箱根の記念館に同伴したり、お陰で記念館を覆う雑木が伐採され内部の貴重な資料を検索することができた。出版社の友人たちと下中氏とともに津軽にも足を延ばし、桜を堪能すると、「こんど我が家の庭にある桜の観桜会をしたいので幹事をしていただけますか・・」と企画を依頼された。

雪ヶ谷の一段高い石垣に囲まれた広い庭で観桜の会が毎年催され、多くの客が招かれた、その人選は幹事の独断で決めた。

 

        

    邦さんと弘前

 

下中氏は邦さんといっていたが、よくモテた。銀座の老舗バーに集まる文壇、出版会の連中は手伝いできていた新劇の女優が狙いだった。みなそうだった。それを邦さんがゲットした。

女優は患った邦さんに添って黒髪が白くなるのもかまわないくらいに、かいがいしく動いた。

いろいろな事情を聴いて「看取りやさん」と名づけたが、邦さんも誰もそれは知るところではない。伸びさかりの気鋭の女優だったが、水谷八重子のたっての望みで私生活の世話をして最期まで看取った。次は尾上松緑、つぎは辰之助、そして邦さんだ。

慰労がてら横浜のバラ夜景に誘った。

「星(運命)なんだよね」

「そうかしら、でも苦労ではないのよ。縁がそうさせているようで・・・」

目の前においてはシャレた言葉も出ないので歩きながらの独り言のようだったが、それがまるで自分に言い聞かせるようで、ときおりバラに触れながら無口になる。

「花食って、知ってる?」

白いバラの一片を口に含むと、深紅のバラに駆け寄ってそれを口にふくんで、

「へぇー、キザなようだけど夜だからね」

「もっとキザはワイングラスをもって気に入った色をつまむ人もいるょ」

それは邦さんが亡くなってからしばらくした頃だった。

取りなしの好い女だが看取り屋にならなかったら、いっぱしの女優になっていただろう。

ときおり誘われたが「(あの人とは)続いているの・・」と聴かれると、「面白い縁さ・・」と応えるが、そこからの会話は途切れてしまう。さすがに場面の間(ま)は心得ているが、観客ならやきもきしながら息をのむ場面だ。

時が来れば多くの泡友も逝った。

通夜ではいろいろなことが伝わってくる。

「家では話もしなかった」「いつもどこに行っていたのか」生前の感謝を告げても横を向いてしまうご遺族もいた。逆に始めてビヤホールまで来てハマってしまう連れ合いもいた。

 

ともあれ、常連の丸テーブルは家族内のことなど話題には乗らない。なかには女房が酒豪で旦那がきまり悪くなって来なくなったこともある。なかには入り口が気になるのか人の会話もそぞろになる人もいる。大体が異性目当ての助平おやじだが、注意するのも野暮なことだ。とくに男の嫉妬はありもしない陰口が先行して、大のオトナが気色わるい態度をはじめるが、だいたいはモテないしビールも集まらないし、相席にも気を遣わない。

 

ホールからの流れは、並びの「天国」でかき揚げか金春通りの「よし田」の鴨せいろだ。

燗のつまみは卵焼きと鴨、仕上げはソバに酒をかけて出汁つゆですする。それでも話が「語り」となって気分がいいから一刻はもつ。混みあってくると腰は軽く次にまわる。

よく葬式の清めで勝手な飲み食いをして座が重い奴もいるが、タダなら尚更のこと腰が軽くなければならない。なかには酩酊する焼香客もいるがみっともないし野暮だ。

天婦羅の天国は新橋へ行く道すがら厠を借りるが、気が引けるのでコノワタとかき揚で酒をつきあうこともあるが、話し相手は天国の倅の家庭教師だった店長だ。ことのほか腰が低い。

気が向くと月島の「花ちゃん」ここでは始めでマグロの脳天やホホをもらった。女房はがらっばちだが板前の亭主に惚れて店を切り盛りしている。亭主は男前なので監視付きということだ。ここのカミさんのように器量が広ければいいが、寿司屋によっては連れの女にサービスでもしようものなら仕込み場の暖簾から怖い眼をして旦那をにらんでいるカミさんもいるが、旦那は鬼瓦でもじれったくなると女は怖い。

 

新富町の「新古亭」にも寄る。新富芸者の姉妹だが、妹は竹本の佳き友人だ。あとで竹本から相続だと奇妙な話があった小づくりの可愛い女性だ。

竹本の侘しい昔の話だが、休みに一杯やろうと誘って出かけようとしたところ、おみっちゃんのスポンサーが来た。仕方ねぇーと諦めざるを得なかった竹本の侘ししさは、昔のことだが聴かされている方も言葉がない。後年、おみっちゃんとビールを飲みながらのことだが・・・・

 

             

            文化人との付き合いも多かった稲能

 

人形町の「松葉寿司」に連れていかれた。

結婚しない姉妹が八十になる母を手伝っている。はな板は白い割烹着を羽織って髪をまとめた昔はそうとうな美人だ。伊能は必ず武勇伝と金の話をする。すると黙ってネタを整えていたカミさんが、

「伊能さん。金持ちはねぇ、つかってなんぼのことよ。持っていたって金持ちとはいわないよ」

きまりが悪いのか、伊能は黙ってこちらに銚子を向ける

閉店近くに銀座から電話を入れたことがある。

「間に合うならちょっと小腹が空いているのでいいかな」

「どれくらいで」

「二十分くらいだが」

着いてみると客は終いまぎわなのでいなかったが、ネタは並んでいる。すぐヌル燗と水が並べられた。酒の出し方で、゛ほどほどに゛゛これくらいで゛゛もう酔っているから゛と酒の温度も気を遣うが、水は寿司ネタを味わうための口すすぎのようなものだ。はじめからガリ生姜はいただけない。

板(調理台)の脇から地下の仕込み場をのぞくと、パタパタとうちわを叩いている。

なにー・・・・。

シャリがなくなれば断ればいいものを、銀座から二十分で来るといってカミさんに並べられたネタをつまんで四十分、電話を入れてから飯炊きをしていた・・・。

娘二人が文句も言わずオカミの指示でシャリを炊いていた。

そういえば、昔あの辺一帯はヤクザが多く、どこの飲食店もタダ呑みかツケで困り果てていた。

中にはたたむ店もあった。いつか女将はボソボソと問わず語りをした。

「アタシは女でよかった。男手もなくそれはヤクザも来て払わなかったりしたが、娘二人で困るもんだから、親分のところにいって話した。掛け合いなんて言う勇ましいものではなかったが、女だから手を出すわけにもいかず、話は了解してくれた。だれも怖がって行かれなかったが、この町で寿司が握れなくなったら困るのは皆さんですよ、と話したらわかってくれた。それいらい苛めも脅かしもなかった」

 

毎年三越本店で寿司職人が集まった催しがあるが、その中心に白い割烹着を着たカミさんがさっそうと寿司を握っている。聞くところによると二の腕に毛はないし年寄りの掌は温度も高くない。強くもなく柔らかすぎず、大きさもほどよい。まずはお目にかかれない稀な職人だ。

いまだかつてその気風と、人に気遣いを起こさせない細やかな気配りは、男まさりの威勢はないが抱え込む母心がある。たしかに面前に並べられると粗末にはできない代物となる。

水天宮のゆかりは腹帯とニッキ味の黄金饅頭かと思っていたが、とんでもない女将、いや人物が居たものだ。母にしても、女房にしても、色にしても、惚れ惚れする、そんな夢想の女性でもある。

伊能もたまには好い処を案内する。

 

そういえば、伊能の仲のよい女性は宝塚出身だ。芸能評論家アンツルこと安藤鶴雄の親戚で、下中の邦さんとも遠い親戚だ。女房とは違いさらった訳ではないが、景気のいい時に品川ああたりの店で知り合ったらしい。あの性格だから毎日のように通って口どいたという。   荒くれの土方と宝塚の女優、取り合わせも異様だ。

「手籠めらされたのでは・・・」

女性は黙っているが伊能は女自慢で格好つけている。

「すみれの花・・咲くころ・・・」

伊能は天下とったように誇らしげに聴いている。

その後女性は高円寺に移り住んだが、焼きもちやきの伊能は度々訪れて連泊している。ああ見えて女房には気を使うのか直前に仕事だといって出かけるが、できた女房は意地を隠して三日分の下着をバックに詰めて送り出している。それを抱えて行くほうも行くほうだが、高円寺の女性も判って受け入れている。あるとき聞いたことがある。

「伊能さんのことだから余程でかい話をしたり、武勇伝を言っていたのでは・・」

「私の用心棒のつもりみたいなもので居なくては困ると思っているみたいね」

「あの乱暴者だから脅かされたり叩かれたりして、仕方なくと想像したものですよ」

「そう見えるけど、あれで人が気になって細やかだから、優しくもなり、修羅にもなるのよね」

「そういえば自分の気に入った同士を勝手に兄弟分にするけど、面倒見がいいですね。戸惑ったことに八王子のテキヤの親分や右翼の会長が今日からお前の兄弟分だ、と勝手に決めるけど皆イイ人達ですね。そういえば八王子も北九州から人妻をとってきたけど、伊能さんもそうだ。しかも夫婦はできた女性で仲いいね。」

「不思議な人よね。あなたみたいな静かな人も好きで、いつも気にかけていますよ」

 

気のおけない仲間が厚い情を交わすようになるのは自然だった。

 

以下 次号につづく

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銀座酔侠伝  やさしい漢たちは逝った  (加筆未完)

2018-07-05 15:21:17 | Weblog

銀座酔侠伝 

やさしい漢たちは逝った  (未完)


 銀座七丁目にライオンビヤホールがある
 銀ブラがてらに喉を潤すとき、暑さ寒さは何のその人は行列をつくって入店を待っている。
 かれこれ40年になるが当時は七丁目常連会といって、誰彼ともなくカウンターの前に席を陣取る一群があった。当時の会長は日本バラ会の小林さんだ。易者、地元の鳶、会社員、総会屋、水商売、河岸の仕事人、近在の住人、物書きな、それと流行りの知識人など多士済々が毎日のように集まっていた。
 以前、小筆のコラムに登場した平凡社の下中邦さんや卜部亮吾皇太后御用掛も少し間をおいた呑み仲間だった

一昔前には銀座のビヤホールといえば七丁目のライオンビヤホールといわれて買い物客や歌舞伎座や演舞場帰りの銀ブラ(界隈をブラブラ)する人たちが一息入れる、それはギンザのたまりのようなところだった。

天井が高く、壁にはモザイクタイル、正面のカウンターの背景には裸婦が麦を刈り取るモザイクとなって異国の雰囲気を醸し出している。戦時中も営業していたが裸婦の乳房には不謹慎だと目隠しがされていた。開店90年ごろ建て替えの計画があったが銀座の景観遺産として、あえて声を高めて反対もしなかったが、ついぞ立ち消えになった。

進駐軍がいたころは彼ら施設として日本人の客は出入り禁止、無粋な彼らは店内でバーベキューをした。天井が黒ずんでいるのはそのせいだ。

常連客は松坂屋側の小窓から中の様変わりした占領軍の遊興の様子を嘲りつつ、うかがって悔しがっていたが、それもホールの永い歴史からすれば束の間のことだった。

戦後、懐のさびしかった竹本たちは小窓からのぞいて知った客がいないかと覗いた。見知ったカウンター前の常連席につくと相席の客からすぐ一杯、出てくる。常連は誰か来ると競って一杯出す。懐の乏しいときは、それで、゛ご馳走さま゛だ。

みんなから推されて仕事師の鳶が会長になった。かといって旦那ヅラなどはしなかった。あの頃を思い出して毎日決まった席に来るものにはビールを配った。ただ、ケチな野郎には知らん顔もした。

「漢(おとこ)は好かれなくてはならねぇ」と、いらぬ口論は好まなかった。うるさくなると、そっと抜け出して「よし田」か「天国」で盃を傾けていた。

ホールでは丸テーブルの相席のグラスが空くと三人なら「小、三杯」と、カウンターでビールを注いでいる注ぎ手に声掛けをする。キビキビしたウエーターが「常連さん三杯」と復唱すると少々泡が多い目の小グラスが置かれる。常連は覚えているので次にグラスが空くと、ほかの相伴客から声がかかる。

五杯おごっても、五杯ゴチになる。常連のテーブルは四席か五席だが、週末は混んでいても空けている。一隻に五人くらいだが、あっちこっちの席から目を配っている気の利いた客からゴチになると十杯飲んで支払いは五杯分ということもあるが、次は逆もある。

そんなことを知っている昔からの常連は、いまでも仲間や新顔の連れが来たときは人数分を注文する。入り口から常連席まで二十メートル、その間に注文するから席についた途端にビールが運ばれる。理屈はともかくそれが此処のしきたりのようなものだ。だから一期一会にケチは禁物なのだ。

いまどきは男女でも割り勘流行りで、混みあって見知らぬものが相席しても割り込みに挨拶も話もしない。ビヤホールの相席はよくあることだがライオンの七丁目は、ボーイが常連に「よろしいですか」と聴きにくるが、まず分かった常連は断らない。ときおり「野郎(男)ばかりで華がないね」というと、気を利かして席待ちの女性を案内してくれる。

 

゛待ってました゛とビールが出されるし、粋な話題が多いせいか、タダ酒と話芸が楽しくて度々来るようになるが、いくら美麗でもこっちはホストクラブではないので、それはそれで野暮な客として相手にされなくなる。酒好き、異性好きはともかく、人間がヤボで辛気臭い客は阿吽でわかる雰囲気もある。ことさら決まりきったシキタリではないが、つかず離れず探らない、知り合いになっても銭の話は人を測られるし、グラスのやり取りは忘れずに遠くない次には返しをする。話題を独占しない、色々あるが、要は頭で考えることではなく浸透された習慣のようなものだろう。

新米の野暮は口に出して知ったかぶりをするが、しばらくして底が割れる。

年が明ければ口開けに客も少ないのを計らってビールの注ぎ手やホールの女の子に些少でも心付けを配る。それも大勢の前では渡すほうも受け取るほうも気が引ける、そんな江戸っ子の気質も、ホールの雰囲気と年の始末を大事にする粋な仕草なのだ。その好い格好でも粋な姿でも目立たないようにするのは小道具もある。 

銭は裸で渡さないし財布を人前で開かない、だから掌に入る年玉袋より小さなポチ袋なり女性用の懐紙を常備している。それを用意するかトイレに立ったところで子袋に包み込む、そこまで気を配って手のひらに隠した包みを、ビールを注文して戻る間際に相手の掌に包み込む、それは敢えて「ありがとう」ともいわれる照れくささと、押したり引いたりのやり取りを避ける工夫なのだ。

気の利くボーイは「気持ちです」と、年の口開けビールを置いてゆく。二杯目は空きそうになると注ぎ手から、これも、゛気持ち゛が回ってくる。年の初めを気分よく始めたい気持ちは店も客も同じことなのだ。子袋もビールもモノの行きかいだが、気分の交歓はそれにも増した人なりの生き方の愉しみなのだ。まさに独りを悦ぶところでもあろう。

 

    

 

 

混みあうホールも楽しみもある。

トイレに立つふりして店内を見回すと女性客がいる。するとボーイに「あの席に持っていって・・」と伝えると人数分の小グラスが届けられる。「常連さんからです」と口を添える。

会釈する人もいれば、グラスを挙げて乾杯のポーズをとったり、席まで来て礼をする女性もいる。こっちの席が空いていれば招くこともあるが、常連という言うことでの安心感と興味が湧くらしい。

 

会長の小林さんは馴染みになった若い男性に「ここで知り合った女性は表に連れ出してはならないょ。問題が起きると永年の雰囲気がダメになる・・・」と、諭す。が・・・歳かさの多い客には言わない。小林さんは毎日通っていたが、その若手を使ってめぼしい女性にビールを配りつづけ、必ず黒い手帳にサインをしてもらう。イケメンの遣いと常連会の品良さそうな紳士だと、より安心するのか住所や会社名、なかには連絡先まで記載する。

小林さんは気が合うと資生堂パーラーに誘っていたが、そんな時には「連れ出しては・・・」は反故になる。禁則やらを言われたのはイケメンだけらしい。

日本バラ会の会長として毎年高島屋で行われる展示会では美智子皇后をご案内している。黒皮の手帳にはビールを提供した女性の名前が細字で書きこまれ、それが十数冊になる。常連会も小林さんあってのことと、みな分かっている。なにしろ毎日狛江から通ってくる。頑固だが器の大きい人物だった。

 

感動モノの色話もある。

新橋の航空協会の泡友だが、当時、いきな老齢な女性がよく着物を着て来ていた。夏は浴衣が似合う品の良い魅力的な人だった。あるとき客が少なかったせいか泡友と普段は同席しない女性とまるで見合いのように話が始まった。いつも騒がしい泡友だが借りてきた猫のように紳士ヅラして畏まった。どこでどうなったか、帰りに送ることになった。礼をわきまえている粋な女性ゆえ「お茶でも・・」となったらしい。それからどんな情景が起きたかは想像だが、ことが終わった後に「ありがとうございます」と礼を言われたという。

それを聴いたイケメンは、「よりによって何考えているんだ」と低い声で言葉を投げた。

男と女、銀座で名が知れた稀な女性だが、選んだわけもない騒がしい泡友なぞと・・・・・。

呆れと、いくらか分別があるとみていた悔しさが混じってしばらく口もきかなかった。

焼きもちも野暮だが、何が悲しくて、この男には、゛もったいない゛と、思ったまでだ。

しばらくして葬式があったと、その帰途に「清めだ」と速いピッチでグラスを空けていた。

「めずらしいね、イヤなことでも」イケメンの言葉に、「線香をあげてきた」その一言で黙っている。

ピンときた。「そうだったのかい。いいことしたんだね」

泡友は二、三度うなづいてイケメンのグラスに割れんばかりの強さで満杯のビールをあてた。そうなれば過去は問わない。「どうだった」いやらしいが、その場面の雰囲気を聴きほじくった。

人の秘めごとなど知る必要もないことだが、久しぶり泡友をいじくりたくなった。

そのときは一生懸命だったのだろう。双方は一夜にして春になった。独りおかしくてクスクス笑う女性が目に浮かんだ。秘めた独悦は墓前の香縁で再会した。

反省と戸惑いに己のオノコに問いかけ、我が家の門口をそっと開けてコッソリ布団に潜り込み、今夜の出来事をなぞる泡友を想像した。

目の前には相変わらず騒がしく元気を取り戻した泡友がいた。

 

        

 

 

もう一つはイケメンの話だ。

この男は何をしているのかわからない。だだ、クセがないので伊能ですら別の顔で付き合っている。みんなにいい顔しているわけでもなく、いつも冷静だが洒脱な話もする。一言の酔っ払いの相手もするが、侍従職やブンヤ、はたまたそれと分る稼業とも楽しく時を過ごしている。時には三越やカネマツに寄って若い売り子に声かけして連れてくるが、売り子も不思議と難なく付いて来る。テーブルでは飛んで火に入る様相で、人の持参したみやげに安いビールで喰いついて来る。それゆえかイケメンも羨ましがられることはない。

話は軽妙でも人間は軽くはない。ときおり重い話も交えるので、浮俗の了見の狭い客には、何者かと不思議がられていた。易者に連れられてきたが、初対面から打ち解ける不思議なところがある。東映のニューフェースで、六本木でジャズの店をしている客とも仲良くなり、そこで演奏していた平岡精二とも兄弟のように付き合っていた。変わり者だった平岡も自分を理解する者のために、週末には楽器持参で彼の家に遊びに行く律義さもあった。平岡は彼のために喜ぶことを探していた。

平岡が亡くなったときペギー葉山と棺を支えた。毎年、命日の増上寺の墓の墓参メッセージにはペギーと彼の署名が並んで記されている。

平岡もそうだが、亡くなっても継続した、゛つきあい゛をするものは少なくなった。伊能や竹本も長谷川の墓参には欠かさず行っているという。彼も頑なに意識しているわけではなく、人に言うわけでもなく、何かがそうさせているようだと、本人も呟いたことがある。

それが格好なのかポーズの類なのかは分らないが、こけないで続いているのは本物なのだろう。

 

彼にも艶話があった。

二人連れの女のセーターを褒めて何気なしに袖を通していたら、その彼女も彼のセーターを着てしばらく呑んでいた。

いつもは二人連れの好い女をもて余している常連に呼ばれれば、割り込まないように相手をしてやる。決まったオンナがいないのか、いたって真面目なところがある。老成したモノ書きのように艶話も巧みだが、世にいう口説くことは誰も見たことはないので安心して連れの女を相手させている。「口どかれる女性もねぇ」と小声でつぶやくが、「どうやって口どくの?」と、面白いことをいう。不思議と女の気持ちを察するのか、猥談も彼に語らせたらいやらしくなくなる。竹本からは「人に合わせて似合わねぇことをするのは野暮天だょ」と、意を合わせる。

焦れた女は「ずるい」「意気地なし」というが、平然と微笑んでいるので余計に焦れる。

そんなことを考えている下衆な常連も女も内心は「格好つけて」と思っているだろうが、また、竹本が「オトコは格好が一番で」と援軍を送る。

何といわれようと動ずることはないが、次に会えば席は離れていてもビールを出す。悔しがる女もいれは、分かる女は懇ろになる。゛嬉しがらせて~、泣かせて消えた゛と歌の詩にあったが、゛悔しがらせて、仲良くなる゛ほうが、面倒ごとは起きない。

「三十年も来ている常連なら客を楽しませなくては・・・」と竹本もいうが、ホールでの一期一会を眺めるのも、ここの気風(きっぷ)なのだ。

 

               

 

そのときは魔が差したのか、運が良かったのか、それぞれがセーターを交換したまま別れてしまった。しかも初対面で連絡先も分らないままだ。

どんな女かも鮮明には覚えていなかった。次に会っても判らないくらいだ。

数週間後、トイレに立ったら狭いところで外国の老人とその二人がいた。居たといっても薄ら覚えで会釈をした。

「あの時は・・・」

「やっぱりあんたか・・」

連れはもう一人の女の英会話の先生だった。

「アナタも習っているの」

英語の教師はグラスを挙げて乾杯の仕草をした。

ボーイにビールをたのんで乾杯をした。

「あのセーターを返さなくては」
「いつでもいいですよ」

それなりの仲なのか、連れの女性は教師にしなだれかかっていた。

「酔い覚ましに涼しい空気を吸いに行こうか・・・」

ハナシは早い。即席カップルの四人で月島の花ちゃん寿司に寄ってから晴海埠頭にいった。揺られたせいか助手席で自分の帽子の中に嘔吐した。少しスカートも汚れていた。

帽子はそのまま捨てるという。トイレで衣類の汚れを落としてくるといって入ったがなかなか出てこない。待っているのも妙なので海を眺めて煙草を吸っていると、いつの間にか、あの二人はいなくなっていた。

ライオンに来るようになってこんなことはなかったが、もともと夜の海が好きなので他人の行動は気にかからなかった。こんな雰囲気で色よい話もなく、辺りは、いましがた手を繋ぎ、肩を組んで歩いていたと思ったカップルの影が一つになっていた。

彼女も年の様子では人の持ち物のようだ。

そういえば、はじめから隣同士で座っていたので正面からの顔は見ていない。小顔で帽子の似合いそうだが、それ以上はビヤホールの、゛しきたり゛に気が回って無粋なセリフしか出なかった。

気を利かせたのか、シケコミなのか、ほかの二人は上気した顔で戻ってきた。

帰りは二人とも国道二号線の城南だった。

運なのか、あのユングのいった必然の偶然なのか、イヤリングが車のフロアーに落ちていた。二つ一緒は意識的に外したものだろう。落していったものなのか・・・・。ビヤホールや暗がりばかりの縁だが、ポケットに入れてくれた連れの女性の連絡先があったのも妙だ。

 

              

       

ときどき食事をしたり横浜のバラを見に行ったりするようになったが、オシャレな女性で会うたびに衣装を工夫してきた。不思議なことに偶然にして二人ともよく似通った色選びをした。

普段から連れの容姿にはあまり頓着しなかったが、銀座通りでは振り向く人も多かった。

暇があるというのでビヤホールの五合庵で催している俳句の会を紹介した。師匠は一竜齋貞ホウと評論家の塩田丸男。女性は塩田を案内して城北くんだりまで来るが、八十にして健啖家で女性好き。

 

次号につづく

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「五寒」 生じて国家無し   08  再掲載

2018-07-02 05:09:06 | Weblog

[亡国とは]
 
“亡国は、亡国になってはじめて亡国を知る”と言います。 
国家の三要素である「領土」「民族」「伝統」を司るものは「人間」です。

清朝末期の読書人(知識人)、梁巨川の殉世遺言録の校録者であり、朝野の知識人の隠れた導師であった景嘉は
「人にして人でなくば、国は何で国と成りえようか」と述べ、

 序文において
「世界で発生するあらゆる問題、及び一国一家に生ずる一切の問題は、実は人の問題とは切り離せない」と、いうことである。

そして人の問題では、
「とくに東洋の伝統が主張する人格の問題がとりわけ重要である。 人格、人心、信義の重要さを知り、特に精神の独立、人格の独立、出たとこ勝負と己を偽り相手に従うことの不可、強いて相手を従わせることの不可を、心の深奥な所で反省することである」と、亡国に立ち至る人間の脆弱さを指摘している。





             




 また、インドの司法家で極東軍事裁判の判事を務め、彼独自の東洋的諦観から判決書を作成したラダ.ビノード.パルは敗戦に打ちひしがれた日本の女性に向けて

「 新しい環境に順応するには、社会は新しい生命力を必要としています。
そのために社会が最も期待をかけるのは、若い人たちの中でも、つまりあなたがたです。 現在のあなたがたは、知的にも道徳的にも最も感受性に富み、もっとも受容力の大きい時期にあります。

 学校教育から、本物と偽物を見分ける能力、お国の将来を形成していく力についての知識を得てください。
特に宣伝に惑わされない判断力を得てください。


            



 わざわざこう言うのは、宣伝(政治 経済 教育)が大衆を支配するため案出された実に警戒すべき手段だからです。
ほとんどの大国が宣伝省をもち、有能な人を宣伝大臣に任命していることでも、その強力さがわかります。 宣伝の恐ろしさは、絶えず感情に働きかけ、知らず知らずのうちに、自分の本性とは矛盾する事を信じ込まされることにあります。

皆さん一人のこらず、どんなことに出会っても、勇気と優しさと美しい魂とで、処理してください。
皆さん一人のこらず 世界を歩む美女は何万といるが、どんなに飾り見せびらかしても、彼女  の完全な美しさとは比べようもないと、尊敬をもって言われるように行動されることを願っています」
 
 このように敗戦によって西洋の文化が一挙に流れ込む状況と、有史以来、はじめて敗戦という状況に追い込まれた男子の呆然自失した姿と、男女それぞれの特性を調和させて来た伝統と文化の衰退を見越したパルの、日本女性に対するささやかな提言と、たおやかな特性にたいする依頼でもありました。

  また、昭和41年来日した折り時世を的確に観察して、こうも述べている。
「…現在、世界中で西洋化が進行しています。この西洋化は進歩に付随する現象でしょうか。それとも、古代文明が示すように崩壊の兆候に過ぎないものでしょうか。
ギリシヤ、インド、バビロン、中国などの文明の歴史を大観してみると、文明の発達を図る基準は、領土の拡大に見られる環境の征服や、技術の進歩に見られる自然の征服ではないことが証明されている。

 我々の聖者マハトマ.ガンジーは、この西洋文明の宿命を予見していました。 そして、インドが自らを救おうとすれば、現代の西洋の技術と西洋の精神を排斥しなければならない、という結論に達したのでした。
この精神のシンボルが糸つむぎ車(カダール)です。
彼はインドのすべての男女に自国産の綿を手で紡ぎ、その糸を手織りにした綿布を身につけるように説きました。
インド国民の熱意とエネルギーを物質的行動から精神的行動面へと切り替える必要性の象徴だったのです」

大英科学振興協会々長 サー.アルフレット.ユーイングの言葉を引用して、
「科学は確かに人類に物質的な幸福をもたらした。だが、倫理の進歩は機会的進歩に伴わず、あまりにも豊富な物質的恵みを処理できずに人類は戸惑い、自信を失い、不安になっている。引き返すことはできない。 どう進むべきであろうか」
 
最後に、現在を推察したかのように 
「産業化と民主主義という新しい推進力は、全人類の利益のために、新興力が自由に活動できるような、全世界を打って一丸とした社会を建設するのに用いられるでしょうか。
それとも、われわれはこれから、歴史上に比を見ない強力な新しい力を、大昔から存在している戦争、部族主義、奴隷制度などに悪用して、全人類、自滅の方向に向かっていくのでしょうか」 と結んでいる。



              



 辛亥革命を成功させた孫文は神戸女子校における大アジア主義の演説のなかで
「日本は西洋覇道の犬となるか、それともアジアの王道の干城となるか、あなた方は日本人が真剣に考えてください」と日本人に問い、日本の進むべき方向を明示しています。
 そして東洋の言うところの「王道」の優越性を唱えています。
 
 なぜ、社会の衰亡や堕落の行き着くところ、亡国の徴のなかに「女」があるのでしょうか。
それは、景嘉やラダ.ビノード.パル、そして孫文が唱えた歴史の真理、真実からの語りかけに、女性にかかわる大きな意味が内包されているからです。





              岩木山神社



 歴史の表現の中では、戦争、革命、あるいは政治、経済、教育といった分野の大部分は男性の表記が圧倒的に多いようです。
とりわけ、名利位官が男性に集中したわけではないのですが、今流に言う男女均等からすれば不満が吹き出したはずですが、近代になるまでそれほど目立った表記はありません。

“雌鳥が刻を告げるようになると、国は乱れる”などといわれ、ひどい俗表現では
“女が頭に立つとロクなことがない”とか、近ごろでは“オバタリアン”と揶揄されるような表現も出て来ました。

以下次号

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