まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「産経抄」

2011-10-29 18:20:52 | Weblog


    陸羯南はなんというか・・・



産経新聞一面のコラム「産経抄」は署名がない
週刊新潮の人気コラムだった、ヤンデンマン氏と称する人気コラムは江国滋と聞くが、ときに、副編集長の門脇護(門田隆将)も筆を添えていた

以前、産経抄は石井英夫氏の筆と聞いたことがある
後を託すとき、何人かの候補者がある期間執筆していた。いや、そうみえた。
なぜなら、そのつど違うのだ。毎日のことと追いかけられているわけでもないが、感覚が異なった印象があった。

下手な備忘書きをしている筆者の埒外な印象だが、なにしろ何十年も産経オンリーゆえ、かつ一面の産経抄は終面までセンターを貫く門前のように見ていたために、とくに気になる変化と察したのだ。
まえに「産経元老院」とあえて揶揄したことがあった。
石井氏ほどになると全ての記者が後塵を拝すようになる。

流れを変えないように・・・
少し変えてみよう・・・
ときに時局から離れて風雅を・・・
うまく前任の観点に合わせよう・・・

それらの競争者が励んでいた、と観えたのである。







新聞は識字率を上げる教材となる   ベンガル子供新聞 「キシロチェットロ」





よく物書きと言論人は違うという。
週刊誌のように取材して、書いて、編集するという完結主義は、時として地を這う取材が要求される。あるとき門脇氏が大手社会部の部長を伴って訪ねてきた。
「うちらは十数人の完結主義だが、あんたのところは何倍の数十人の大所帯で俺たちに敵わないではないか・・」と毒づいた。
つまり、分業と体裁の監督は真実から遠くなるということだ。
「組織だから致し方ない・・・」
部長は言葉を濁した。

ただ部分を掘り下げ、それを紙面として束にしたところで総体の意志は出てこないという事だ。
「部分の算術的総和は全体を表さない」と物理学者ハイゼンベルグは唱えるが、まさにその通りである。つまり、繋げるもの、貫くものが共通した意志で束ねられなければ用を成さないということだ。
ましてや業界のタブーとなっている強圧的押し紙(販売店の講売数より多く納品する)を蓋で隠して倫理道徳を声高に唱える仕草は、まず以ってセンターが歪んでいる。

他言を借りるわけできないが、言論人陸猲南はなんと言うだろうか。
当時も教員と女給の色ごとなどがあったが、教員とて人の子、色に迷うこともあろう。それを教育の荒廃云々と大上段に振り上げる新聞のありさまを羯南は嘆いている。

つまり、江戸の瓦版や号外騒ぎのように世の騒然をあおり、己にもあるような失態をあげつらい人物を失う愚を諌めたのであるが、当の瓦版は蛙の面に小便である。

何れも細事に囚われ部分に沈殿する姿だが、第四権力が人間の情緒や尊厳まで毀損するありさまは、読者までが、証拠は?、説明責任は?、と人情薄弱な世の中をつくりだしている。しかも、思索や観照も衰え、大を以て小の言論を包み込む大手と云われる新聞社は、その行く末を憂慮しないのだろうか。

部数を争い、球団を経営したり、社名を冠としたイベントを作り上げ、正義、健康、などの美辞麗句を謳いあげることが業界を総じた姿になっている。しかも人々は騒然として、かつ分化し、一過性の現実価値と虚構なる政治に口先介入するような周知方法は、より社会の混迷を深めている。切り口を換えれば個の成果であり多面的価値感の育成と煽る。
その球団とて税制の絡みなのか親会社経費の付け替えをおこなうと聞く。赤字などと紙面で敢えて騒ぐほどもない。











落ち着きが無くなり騒然とする社会の薫風であり、一面の座標とみていた産経抄のダッチロールは始まったようだ。執筆者も慣れたのか、安心したのか、ときに前任者を取り上げて褒めそやしている。

筆者も元老院と揶揄もするが、用と成す意義や矜持も以前はあった。どこの世界でも、貰い扶持、食い扶持の思案と安定願望はあるだろうが、老域まで引きずっている一部の元老もいるようだ。
願わくば、あるべき姿を取り戻してもらいたい。

「文は経国の大業にして、不朽の盛事なり」

知らぬはずはないと信じる。
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「台湾通信」の発行人 早田健文氏

2011-10-22 19:17:57 | Weblog


           教育殉職した六士  台北 芝山巌



台湾の旧友、早田健文氏の発行する台湾通信を紹介します
当時、彼を紹介してくれたのは週刊新潮の門脇護氏、当時「学さん」といって張学良を研究取材するため、よく台湾を訪れていた。いまは門田隆将という名で流行作家になっている。

筆者も西安事件の真の首謀者といわれる苗剣秋氏の未亡人の病気お見舞いに訪れた時だった

早田氏は広島大学卒業後、台湾大学へ、そして民間最大の放送局中国広幡公司(BCC)の日本語放送を担当、在台二十数年に及び、彼の発行する台湾通信は彼の人柄がよく表れる「実直で丁寧」な内容である

今回は、台湾人、韓国人、日本人の感覚観察とでもいおうか、知人の言を借りて紹介している。
とても、いいずらいことのようだが、民族性癖を的を得て表わしている。











「FTA」 2011.10.21

○米韓FTA(自由貿易協定)が締結された。韓国は台湾にとって最大の貿易ライバルである。その韓国がEU(欧州連合)結に続いてアメリカともFTAを締結したことで、台湾への影響が心配されている。台湾と韓国は産業構造が似ていて、経営形態は違うがいずれも情報・電子製品、機械、自動車関連製品が経済の中心となっている。韓国にとって台湾は意識外だろうが、台湾は韓国を強力なライバルと見ている。しかもここのところの韓国経済の台頭、韓国ブランド浸透、韓流ブームに比べて、台湾の低迷振りが目立つ。台湾には中国に対するだけではなく、韓国に対する敗北感も漂っている。

○たまたま先日、韓国から知り合いがやってきた。韓国で大学の先生をやっている日本人の人類学者で、今回の目的はシンポジウム出席だった。フィールドは韓国なので、韓国のことはいろいろ観察している。ところが彼女は、ソウルから台北に来ると、さっそく風邪を引いてしまった。台北はここのところ天気が変わって涼しくなり、台北でも確かに風邪の人は多い。しかし、韓国はもっと涼しいはずである。湿気が高いという台北の気候からなのか、何度台北に来ても風邪を引いてしまうのだという。もともと韓国で引いていたのではと思うが、そこからして台湾と韓国との溝を物語っている。

○さて、日本人から見ても韓国は勢いがあるように見える。K-POPでは少女時代やKaraしかり、電気製品ではサムスンしかり。しかし、やはりよくいわれるように韓国は格差が大きな社会である。そうした名前が知られているブランドは確かにあるが、それ以外はあまりない。ポップスを例に挙げると、日本でももてはやされているアイドル以外は、ほとんど見るべきものがない。各分野で層が厚いのは圧倒的に日本である。だからこそ韓国は、アイドル創出だけに集中する。しかし、韓国には今も後進国意識があって、負い付け追い越せの精神がある。そのため、少しでも世界に通用するようなものが出てくれば、大いに自慢し、尊大になるのだという。

○日本人はそうした韓国に拒否感を示し、敗北感を感じ、そして敵がい心を燃やす。韓流への反感がそうである。とにかく、日本と韓国の間では、どうしても冷静になれない。これが韓国在住日本人学者である彼女の見解だ。この点、確かに台湾と日本との関係はかなり違っている。それほどギスギスしていない。敵がい心を燃やすことは互いにないようだ。

○経済については、華やかな成長が伝えられる中で、実は表面ばかり見ていてはいけないということがよくいわれる。学校に勤めている彼女の実際の見聞からいうと、韓国では学生の半分ほどは就職できていないのだという。確かに格差は拡大しているとはいうものの、台湾の大学には見られない現象だ。台湾のポップスで世界に通用するようなものはほとんどないが、中国で大いにもうかっているのも台湾の芸能人だ。サムスンのような世界的な企業はないが、アップルの製品を作っているのはほとんど台湾企業だ。それなのに、台湾が意識で負けているのは間違いない。隣の芝生はやはり青く見えるのだろう。

○台北は昨夜、かなり雨が降った。ここのところ涼しくて過ごしやすい。ただし、どんよりとした雲が垂れ込めて、陰気な感じがする。さわやかな秋晴れとはいかない。(早)







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野田君で想いだした朝霞の喧騒

2011-10-05 17:14:27 | Weblog

市井の哲人 岡本義雄

安岡正篤氏は数日間留守にするときは事前に岡本に連絡していた
なぜなら岡本は行動は電光石火で、緊急訪問が多かった
その内容は、すべて私事はなく、不特定多数の利他の増進である




朝霞(あさか)は東京を外周する台地で私鉄の東武東上線が通っている。
昔は下って川越があるせいか、そこの名物をもじって「芋電車」と云われていた。
床に新聞紙を敷いて弁当を喰い、酒を飲むことは日常茶飯事だった。
当時、秩父からはセメント、かわりに池袋を経由して石炭や炭、練炭,薪が搬送されていた。途中の上板橋では貨物専用のプラットホームと集積場があり、そこから単線でグランドハイツに向かって支線が分かれていた。

筆者が18歳のころ取りたての軽免許で通称、軽トラで基地と旧道の間を走るオリンピック道路をよく走っていた。下りには左に自衛隊、隣に米軍基地とゴルフ場、そして自衛隊の演習場があった。旧道との間は50M。そこには白人専用のクラブ、少し外れて黒人専用のバーが並んでいた。クラブはその後朝霞ショー劇場としてストリップ小屋になってけっこう繁盛していた。よく店のレジから親の目を盗んでは拝領して黒人バーに通っていた。

オリンピック道路に沿った新設の税務大学の前にピンク色のランプが点灯していた。夕暮れになると石油缶に薪をくべて暖をとっている女性が何やら話しこんでいる。近くによると「お兄ちゃん、10分で1200円だよ」と乾いた声が飛んでくる。
地元の友人とモノは試しと後に付いていく。女性はタイトスカートだが素足にサンダル,内股ならず、つま先を開いた外股で胸を張って歩いている。べニヤにペンキを塗ったドアを開けると3畳ほどの広さに、壁もべニア貼り、見るからに湿っぽい夜具が敷いてある。

隣で連れの声が聞こえる。まさにべニア1枚の世界だ。豆電球だがけっこう明るい。
こんな世界があったのか、女性は仰向けになって、あくびをしていた。
こっちは何となく周りを見回したが、何もない。
「時間がないよ・・、隣は終わっちまうょ」
18でスーツを着て黒人バーで呑んで、ころがりこんだものの「はい、どうぞ」とばかりの姿を見せられると、幾つも年かさの上の女性に切なくなってしまう。

いま想えば、「枯木寒厳」である。荒涼とした寒期に枯木が突つたっている様子、そのものである。漏電もしなかった。
余談だか、安岡正篤氏のご長男正明氏が税務大学の校長だったころ、若手役人に珍問を出した。

強盗と売春婦に税金を掛けるとすれば????
どこからでも徴収してやろうと考える習性のある税官吏のタマゴは、必要経費にこう応えた。

凶器の出刃包丁と売春婦はコンドームと布団である。官制カリキュラムの合理的といわれる部分論証と探求に長けたサイボーグの答えではあるが、安岡氏は応えた。

それは逮捕と罰金の世界で、偏狭な徴収成果主義は控えなければ、国民の信頼や情緒まで破壊してしまう。警察や税務という面前権力の姿で国民の意識は変化する。それは怨嗟と国家に対する信頼喪失だ。権力を国民から負託されたものが堕落したら国民はとたんの苦しみにあえぐ。疑わしきものは罰せず,それも税務を預かるもののホドだ。


その税務大学の真向かいに女性のたむろ場があったが、その後米軍は引き払って自衛隊が駐屯地を拡大した。駅から旧道に抜ける森のようになった敷地も返還された。

そのころから歴代首相は朝霞に来るようになった。東京都内からママっ子のように追い出された自衛隊の観閲式が演習場で行われ、総理訓示が行われる。以前は川越街道を練馬の第一師団、朝霞の駐屯地から戦車や装甲車が都心に向かっっていた。沿道の見物は名物だし拍手も起こった。余談だが、それ以外の拍手はアジア大会のマラソン走者、君原選手だけだ。






創作題「石にかじりついても」




時期外れの今度は、小役人の手代のような野田君である。
わざわざ御用マスコミを引き連れて名セリフを言いに来ている。

どこか似た風景があつた。有明防潮ゲートの管君、八んばダムの前原君 そして朝霞官舎の野田君。どこか型を取っているが、江戸っ子に言わせると、゛野暮ったらしい゛。
あの、横須賀のヤンキーのようだった小泉君も、わざわざ巨漢の秘書にことづけて記者を待機させて鎮まりの杜である靖国を騒がした。

あのとき筆者はこう記した。
鎮まりを以て鎮魂を祈る所に、敢えて騒がしくする意図は何なのか・・・
真に祷りがあるなら、早朝に近い宿舎から徒歩でもいい、もし閉門なら頭を垂れればいい。
なにも、世間を騒がせることはない


翻って野田君はどうしたか。
歩けば僅かな所に自衛隊のヘリポートかある。まずは官邸から飛ばして国土を俯瞰することだ。
あの石原知事が大勲位の中曽根氏を都庁舎の屋上に案内した時、知事として,都の長(おさ)として遮るものがない高所から周囲を睥睨して、その覚悟のエピソードを示している。

つまり、細事、部分にとらわれず歴史の時空を俯瞰してあるべき方向を確立せよ、との提示だ。公営博打場やオリンピックがそれに沿うかは別として、権力の保持と矜持、人間の尊厳を護る任の座標も少しは観えただろう

いちいち小役人の説明を聴かずとも、日中に車列を並べずとも、ヘリから建設地に着陸して樹木に触れ、地に伏して,独りで鎮考すべきだろう。往復一時間と掛からぬはずだ。
君の親父は習志野空挺団と聞く。少年のあこがれは夢のハナシだったのか。

野田君の演技する場所、その舞台に登場する役者を見れば、セリフ回し、間合い、口上、決め技は十八番までの演目も乏しい。閉会中の幕間の出し物としては振付師の情けないほどの無粋が露呈された。

あの朝霞のショー劇場の幕間(まくあい)芸人は踊り子を引き立てることに一生懸命だった。
人目には恥をさらし、泣き、わめく、愚かさを芸として、観客を踊り子の一点にくぎ付けた。
くれぐれも、サギについばまれるドジョウにならないようにと願うばかりだ。



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