東京市長 後藤新平
2009年に石原慎太郎氏のことを書いた。
都政に無関心でも人は慎太郎さんに期待していた。
その後を見れば、あの浮かれ調子が猪瀬.舛添を生んだ。
あの時、筆者は天邪鬼とか変わり者と嗤われた。
公人としての見方を再度、振り返ることを提言したい。
゛日本よ゛とは
産業経済新聞、略して産経新聞の月曜日の一面は著述業を生業として、一方東京都知事として衆目を集めている石原慎太郎氏のコラム、「日本よ」今回は「現憲法の歴史的正当性」と題して健筆を振るっている。
゛日本よ゛は日本及び日本人に対する問いであり、氏の謂うところ意の披瀝である。
一昔前は、タレント、モノ書き、僧侶、女優、大学教授、とくに映像や誌面に登場する有名人を口説き落とし、今は無き選挙制度である参議院全国区の候補者として各政党はその確保にしのぎを削っていたことがあった。ナルホド彼ら政党にとっては愚かな民、されど権利を有する厄介な人たちであろう。
石原氏も時の総理佐藤栄作氏や妻寛子さんのおぼえめでたく自民党候補として出馬し、最高点で当選している。もちろん弟裕次郎氏やベストラー作家としての印象が有権者を突き動かした最大の要件であったことはいうまでも無い。
表立つたエピソードとしては日中友好交渉に疑義を唱え自民党若手が集った青嵐会が有名だが、その後は弟の病気のために視察先から自衛隊の水上哨戒機をプライベートに使用したとか、テニス事件もあったが、゛慎太郎さん゛のやることだからと生真面目に構える側が、まるで四角四面の分からずやのように自問自答する妙な許容を働かせる人物でもあった。
その青嵐会も浜コウこと浜田幸一、収賄で逮捕された中尾栄一、不明自殺した中川一郎、あるいは新宗教の取りまとめ役など一匹狼的議員の集いだった。
会議では机をひっくり返すは、血判状を作るなど、勇ましげな人たちだったが、政治資金源については公明正大とは思えない議員たちだった。
慎太郎さんも最近では親子揃って焼酎のみには垂涎の的「モリ・イゾウ」を土産に貰ったとマサカの疑惑を掛けられている。政界ではレンガやブロックといわれる現金一千万がスッポリ入る寸法らしい。
しかし、それでも「慎太郎さん」だ。
それも是も霞ヶ関のドブネズミと揶揄された官僚や、既得利権の族議員に成り果てた連中からすれば、掃き溜めの鶴のような爽やかさが有ったためだろう。
趣味はヨット、著作の題材は青年の破天荒生活を格好良さに、しかも理解しなければ遅れモノのように錯覚させる浮俗カルチャーの創造力があった。
口舌は敢えて左右を問えば右風だが、孤高の貴族的趣味が見上げるような雰囲気として庶民が勝手に増幅するせいか、カジノやオリンピックといった下座観の希薄な打ち上げも、はたまた、゛慎ちゃん゛のすることだからと看過してしまうようだ。
ことのほか、゛慎ちゃんファン゛は多いようだが、その慎ちゃんが、果たして庶民のささやかな希望、つまり真の爽やかさを政治という舞台で演じてくれているだろうか。
その姿とは、勤勉、正直、礼儀、忍耐にある「教養」の「教」の部分であり、四角四面の人格、品格論ではなく、辞譲の端である「礼」の在り様である。
欲望の交差点である議員である頃はまだしも、いまは大統領にも擬せられる自治体の首長である。いつまでも選挙支持者に与する選民意識ではなく、民情を俯瞰できる登覧の位置に立たなくてはならないだろう。
今どきの野党、与党と色分けしても貰い扶持根性に心底染まった議員、官吏の戯言に対しての威勢のよい語り口調は、いずれ阿諛迎合を従順と錯覚した封建領主の末路を見るまでもないだろう。またその危険性はあるし、当の慎ちゃんも栄枯盛衰の歴史観を鏡として観ていると思うのだが、ことは観人則の座標に在り様だろう。
どうも、皇居から離れれば離れるほど、その「節」は緩慢になってくるようだが、都政も内藤新宿に移って豪奢な居を構えてからは、その傾向があると感ずる。
組織や人の劣化は「奢」と「倹」によく表れる。また灯台下暗しもあるが、あくまでローカル都政の扱いしか受けず、マスコミの視点から外れた悲哀を打ち払う威勢の発露を感じざるを得ない。
その趣は、首長の慎太郎さんからすれば税収の思惑だろうが、泥臭い競馬、競輪、競艇よりカジノのほうが彼の質感からして合っているようだ。一時最上階でその筋のイベントがあったようだが、鎮まりの沈考など似合わないのも慎ちゃんらしい姿だ。
オリンピックや絵画芸術も彼からすれば元気付けと民度の向上になると考えるだろうが、江戸風情からすれば、゛時節柄も弁えず、ホドのない野暮な馬鹿騒ぎ゛もしくは一時の大尽遊びと思っているのか、かといって天下の慎太郎さんのこと、小声で、゛どうなんだか゛と高をくくって観ている昔のタニマチ気分が大勢であろう。
「その金はどうするんだい」との問いには一例をもって考えてみたい。
慎太郎さんになって変ったこと、つまり面前に感ずる権力の風向きと強弱の関係である。
先ずは税だが徴収がことのほか厳しくなった。税吏は「他の人との問題もあり、当然徴収するべきものだ」と。庶民はまさにグーの根も出ない応答だ。
ところが官吏も慎太郎さんが知事になった途端、「軍は竜眼の袖に隠れて・・」といわれたとき同様、妙に高飛車にかつ自身を漲らせている。
恐る恐る退職まじかの職員に聴くと、「ノルマが厳しくて毎日予定行動を詰問され、皆さんも大変ですが、私たちも凄い重圧ですょ。上の人間同士の面子ですよ」
そういえば銀行員が金貸しセールスに来たことがある。
「何故、ウチなんかに・・」
「いゃ、有りそうな地主の土地持ちさんは差し押さえが多くて」
「税金、払えないから?」
「それもあるが、分納していても額が多いと、一応、担保として抑えている」
「銀行担保でアパートを建てた人は、期限の利益喪失で全額返済を迫られるが・・」
「それで、担保としての差し押さえを避け、税金を払うためにローン会社や、一時の高金利に手を出すんですよ」
「そういえば・・総量規制で貸し所がなくなった銀行は保険会社と組んで変額保険を売り歩き、破綻承知で相続税対策を謳って60万人12兆の焦げ付きで親戚保証人が皆、悲惨な目にあっている」
「確かに税の取り立ては異常だ。固定資産税の負担は地域の長(おさ)の余裕を亡くすこともあり、地域の自助や落ち着きも失くしている。しかも土地は売るか、ローンでアパートでは行き着くところは分かるね。政治の先見とはそこを見るべきだ。闇雲に公平だとか、義務を徴収の切り口上にしても、納税者側の事情はすべて言い訳になってしまう」
初代総監 川路大警視
「そういえば、警察も自治体の予算だが、石原さんは副知事に警察官僚を選んでいる。また外形税で争った銀行の向こうを張って新銀行を作ったが、責任者はトヨタ自動車出身、今期の副知事も小説家仲間の猪瀬氏が選ばれている。どうも、観人則(適材の人物観)があるように観えないね」
期待の熱狂とほとぼりが過ぎた後、また都民がその突破力の方向性に戸惑いを抱いたとき、どうも切り口は物珍しいが、人の上に立って世を治めるための座標の作り方に実直さが窺えない、あるいは狡猾な部下に翼賛的議員、縁者をも配下に従えて、゛どこが悪いんだ゛と言い切られても誰一人諫言するものが無いくらいの雰囲気がいつの間にか醸し出されている。
つまるところ、ことの良し悪しを理屈こねることではなく、慎太郎さんに期待するものは小泉ワンフレーズのようなものではなく、また新銀行の出向都幹部の言い訳会見を云々するものでもなく、貴方の姿に童のような素直さと純粋さを見たいと願っている。
格好悪くてもいい、都民いや、゛日本よ゛と敢えて問いかけた問題について、慎太郎さんなりの解決意思を下座に向き合って語って欲しい。
つねに鏡に映す己の姿は、ヨットを繰る颯爽とした慎ちゃんが、その爽やかさと清々しさという言葉をなくした世界に対して何を具現するかの期待だ。オリンピックやマラソンはたまたカジノではない。貪官や素餐議員のように真新しい防災服を着せられて大名視察する姿と同様になった、慎ちゃんの黄昏を都民は見たくないだろう。
慌てずとも湘南の海は待っている。
゛日本よ゛確かに言い得て妙な表題でもある。