まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

人間考学講話   ある隊士の所感、  2022/7 あの時

2025-03-31 18:48:16 | Weblog

 

 

数次にわたる空自幹部講話ですが、懇嘱を受けて教授案の作成に取り掛かります。

近隣のパワーバランス変化が危機感となり、特異な職掌ある隊員諸士の講話については技術や知識の類ではない内実が必要となります、

しかし、此の全体を包み込む言辞は、コネまわした付け焼刃で適わないことは当然のこととの受任でした。

この章は、講話後に送付された隊員の所感への、感じたままの応答です

よく、統御(組織マネージメントなど)には、人間の問題として「観人則」を伝えます。

今回、教場の一隅で虚ろに聴いていた隊士の所感は講者の人物そのものを観る洞察がありました。

洞察力とは、対象となるものの本質に潜在するものや、その奥底まで見透す醇なる観察眼です。

まさに驚愕し講者も学ばせていただいた所感でした。

数次にわたった講話で継続課題としたのは「統御」・縦横無尽、臨機応変を養う「機略」・それを有効せしめる「浸透学」・そして例とした「謀略」でした。

所感は、その課題を連結意識として、職掌各位の有効的連携、あるいは運用に必須な瞬時における直感力、想像力として感じていただいたと思います。

数百ある所感の内、特異な観点から自在に記され、かつ組織内統御の要点である「信」の在りようを彼なりの視点で考察している一部を紹介します。

 

下北 釜臥山 山頂レーダーサイト

 

所感  Y 隊員

無名にして有力、下座からの視点。こうした、下手をすると説教がましい話は、内容の如何や伝え方以上に、それを語ろうとする当人の佇まいや立ち振る舞いの次第に左右される。

増して、それを初見の人々を前に冒頭で語るとなれば、これは困難というよりも、話し手の側に何かある種の開き直りがなければ不可能であると思う。

つまり、伝えようであるとか、講義をぶってやろうとか、そうした思惑がある限り、そのことが雑念となり、無名にして有力という内容をたちまちのうちに空虚なものにしてしまうであろう。

武人は、その空虚こそを身に纏い、伝えるというより相手の内にあるものを励起することで、相通ずるものであろう。

それが仮に、予期された内容を伴わないとしても、人が互いに影響を与え、受けるということの本質は、相手をねじ伏せようとか、相手から評価を得ようであるとか、まして、人の目を気にし、周囲に阿ることで成るものではない。

先生は、私がこれまで20年ほど大学人として生き、転職後1年ほどを自衛官として経験してきたなかで目にした教養人や研究者、あるいは上官や指揮官とは異なり、何かそのような間というか雰囲気というかを、その良し悪しというよりも次元の別に自然と伸び縮みさせる方とお見受けしました。

俗っぽく言いますと、小さくたたけばそれなりに、大きくたたけば大きく響くというような、鐘か器かのような印象を持ったのです。

そしてお話の一つ一つがどうというよりも、私にすれば小学生の低学年くらいまでの、学校や剣道の先生に向き合った感覚が想起されました。素直に倣い信用できる対象であった大人に、久しぶりにお目にかかった、ということです。これは懐かしいということと、あまりにご無沙汰のことで、逆に新鮮なことでした。

わかったようなことを書きましたが、私は当初より部屋の一番後ろに隠れるように座り、お話の半分くらいはうとうととしておりました。前夜、些細なことで妻と喧嘩をし、一睡もできなかったこともありますが、結局のところ言行一致のないことは、開き直りでもなく私の本質であり、修行を要するところなのです。先生はそれもお気づきでしたでしょう。

 

  

 三沢基地

 

応答

江戸の小話で「女房に負けるものかとバカが言い」とありますが、バカは馬鹿ではなく「莫過」と理解した方が安全です。

「あんたバカと云ったでしょう」

いや、バカは馬鹿でなく、過ぎたるはなしといって、バカでかい、バカにできた女房、バカちから、それは愚かでないが、人より過ぎた、優れているという意味なんだ」と、利口者は応える。

貴官は再度ケンカして試してみたら如何か。野暮でなく粋な喧嘩ですが・・・

戯言は世の潤いといいますが、旧知の卜部皇太后御用係と小生の酔譚はこうだ。

昭和天皇が重篤のときビヤホールでのこと、「大変な時に外出を・・」

「いゃ、おそばにいても私は医者ではないので役立たないので・・・」

ホールには健啖家の入江侍従長も生前は泡友として愉しんでいた。

「入江さんもお亡くなりになって陛下も淋しかったのでは・・・」

「お亡くなりになったとき、陛下は『入江は食べ過ぎだったのか…』と下問された」

「お応えになったのですか」

「ええ、そのようです、と」

かの世界の実直な問答だが、一般なら病の種類を御聞きになるが、不謹慎と息巻くものもいないとは限らないが、これも同じ楽器を鳴らしている御方の音と拍子と間(ま)の妙のようだ。たしかに起因は健啖家つまり食べ過ぎでもある。

 

竜馬は勝と横井小楠に私淑している。西郷も勝から音の表現でドンがチンではないと印象を持っている。江戸会談のお膳立てをした山岡鉄周も駿府で西郷と会見、気概と腑に落ちる言辞に呑み込みの速い西郷も肝胆を察した。

ちなみに小楠を「おそろしい人物をみた」と述懐している。

 

小生も安岡正篤氏との初面で見抜かれた。「君は無名でいなさい、それは何よりも有力です」また、学び舎での向学を考えていたら、「大学(四書五経)という学問は有効だが、学び舎大学校は独学の補助、自分は学ぶべきものがないので始終図書館にいた」ー

 

たしか孔子も「学問は衣食ためではない」と説く。(欲心の自制)

佐藤首相も訪米間際に教えを請うていた。それは大統領との応答辞令だ。

今までは数分の挨拶だったが、終了間際に「大統領、わが国にも武士道があり西洋にも騎士道があります。真の勝者は敗者にあわれみ(憐憫の情)を持つことが真の騎士道かと存じます」

大国の大統領の、孤高ではあるが矜持見識如何を問うた。会談は長時間に及び、それを機を境に沖縄返還に進んだ指導者同士の共感であった。

それは、学び舎では、学び、知る由もなかった人物の慧眼(本質をみる)を観た応答辞令の妙だった。

まさに眼で見ることではなく、感じて観ることの促しでもあった。

安岡正篤氏から何度も諭されたことだが

真に頭の良いということは、直感力とそれを活かす情緒(情感)の有無だ

ちなみに「デモクラシー変じてデモクレージーの様相になって、落ち着きがなく騒がしくなってきた」と。

 

北部航空警戒管制団 三沢基地

 

そういえば、多芸の野田秀樹氏は東大医学部卒の映画監督、作家、評論家だが、

受験の要は「数学は解方パターンの丸暗記、受験は要領」と、生業はまさに感性操縦の妙手でもある。

小生も学び舎講義では、「教えるのではない、伝えるだけだ」「学校は落第してもよい、人生は落第しないでほしい」教職課程では、「先ずは生徒を好きでたまらないと思えば、気心は立っているだけでも通じるものだ」と、学び舎にあらぬことを伝えている。

 

マレーシアの留学生が「無財の力」について思ったことがあると、キャンバスを追いかけて来た。特別講義なので専任に遠慮したのだろう。

「私の国でも郊外に行くとお年寄りが微笑んで挨拶してくれる。まさにお金がなくても挨拶は人と人との力です。おばあちゃんから日本に行ったらそんな勉強できる先生がいるからと云われた意味が分かった」

眼が潤んだのはこちらの方だった。

きっと帰ったら偉くなって笑顔を失くさない国にしようね

それが精いっぱいの伝える言葉だった。

老生も若いつもりだが、独りくらいは居てもいいと、近ごろでは古木寒岩のように突っ立っている情況です。

          ※「古木寒岩」寒い岩肌に根を張っている古木の様相

 

応答の妙を感じざる所感ですね。ご賢察 恐縮です

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安岡正篤の「六然」と「官吏十戒」 08. 6/14. 再

2025-03-29 17:32:40 | Weblog


安岡正篤氏は数々の金言、人生マニュアルを遺している。
漢学古典を氏の曰く「活学」したものだが、「臨機応変」(機会のタイミング)
に、人を観察して言葉を発している。とくに歴史の位置づけへの考察力は、その時々の社会情勢を読み込んで大向うを唸らせる。

それは活躍の機会を発した頃に、時の内大臣牧野伸顕氏への大量の提言書簡にも観ることができる。

その論は「天子論及官吏論 」である。

戦後は数多の増幅されたエピソードによって、また一般庶民に不得意な漢籍のもつ簡潔性、かつ漢字一字のもつ膨大な情報量と多岐な意味を縦横に活用して各界要路に特異な発言をしている。

その中で「六然」がある。
隣国では養生訓の「五医」、国家の病弊を記した「四患」、共産党の四つの近代化「四化」など、数字を以って解りやすく取りまとめ周知する方法が伝統的にある。

「何々三原則」など外交上スローガンに使われるものもあるが、よく商店に「言,弐価なし」と看板が吊るされるが、゛掛け値い゛という意味だと思って買うと、次の人には値段をまける事がある。『なぜだ、弐価なしと書いてあるではないか』と文句を言うと、『弐価はないが、三価、四価はある』と、どこ吹く風。

数はその時々に変わる、なぜならそこには「人間」が介在するからだ。
西洋学、アカデミックに数字を捉えても、ゼロが「無し」でなく「無限大」として考える生き方から「六然」は考えるものだろう。

そこで碩学の「六然」から考えてみたい。

「然」は、゛そのようにしたら゛、゛考えたら゛、いいですよ、と安岡先生は考えています。確かに的を得ている漢字の組み立てです。和綴じの「孝経」を戴きましたが、「身体髪膚・・・毀傷せず」と有名な一章が在ります。これを「起床せず」と大書して寝転び、見る者を茶化したことがあります。確か、結婚前の奥さんを連れて帝大の学校祭に連れて行ったとき教室に生徒が全員寝転んでいたのでビックリした逸話があります。

これは職人の駄洒落のようなものですが、帝大の漢籍に長けた人物がやると、゛なるほど゛というエピソードになります。

例えば

【自ら処すること自然】
みずから(自発)おのずから(自然)を両在する「自(おのれ)」に問いかける
つまり、バランスである。 
 
【人に処すること同然】
観人則は地位、財などの属性を観ず、人格本性、つまり己を内観すると同様に他と処する 。変わらないこと。

【有事歴然】 
有るべくして、来るべくした縁の作用を振り返る 。 ハッキリしていること。

【無事祐然】
無事は他からの「祐(人助けの意」のお陰とみる。ゆったりしている。 

【得意鎮然】
得意があればその因を鎮まりを以って考える 。得意には、漫然することなく、自身を客観視する。

【失意悠然】
将来に希望を持って、柔軟に考える

以上は小生の「六然(りくぜん)」である

 

     

       岡本義雄(哲山)  

・・・政見(政治の方向は)金権 分限をわきまえず。巧言令色 舌禍甚だしく。 国会空転,罪、奈辺(何処)にあるのか

 

 

それぞれが己の欲の作用を制する、或いはそれを効あるように考える、「六然」は金言やマニュアルではなく、また「教わる」ことから、自己の特徴を発見して
自分なりの「学問」をすることを薦めている。  
先生は、人生の答えは自分で出すものだ、という。
ただ、その方向性と、そもそもあるべき姿を倣わせてくれた先輩でもある。その意味で「人に処すること同然」と記したものである。

然るに書斎で煙草も酒も同然だった。その方が悦しい縁が訪れるようだ。

皆さんも六然、七然、或いは「欲」や「戒」、「制」も考案して銘とし独悦すると愉しいかと。例えば「官吏十戒」などは時流に合うはずだ。
銘とするなり、律とするなり、それぞれ特徴に合わせて明記すると面白い。

    

   

 

 

ちなみに安岡氏が記す「六然」は以下の通りです

自ら処すること超然
 (物にとらわれない)
   
人に処すること藹然(あいぜん)
 (和やかに)
  
有事斬然(ざんぜん)
 (有る時は速やかに)
  
無事澄然(ちょうぜん)
 (心安らかに澄みきる)
  
得意澹然(たんぜん)
 (爽やかに、謙虚さをもって)
  
失意泰然(たいぜん)
 (堂々としている)

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いま、陛下は何処(いずこ)に   あの時もコメはなくなった  15 7/27 改稿

2025-03-27 15:24:18 | Weblog

2016年掲載 旧題 あの頃に倣う 移風は、陛下の「威」と「忠恕」しか解決はない   

「移風」・・・忌まわしい雰囲気を祓い、新しい気風を起こす

 

あの時もコメは欠乏した。

原因は多くのコメを将軍をはじめとする高位な武士が住む江戸に送り、関西は食べるコメが欠乏した。

昔から幕府(政府)の行うべきことは,治山、治水、食料充足が主たる政策であった。

近代社会において主食となるコメが2倍の価格となり、不足するような四角四面な対策しかとれない政府とは・・・・

その時、一人の善良な下級役人が義憤に感じて動き、庶民のために法を超えて天皇も動いた。



天明・天保、あの頃も天変地異は多発して人心は乱れた

だだ、民の窮状を直視し、禁中並諸法度を越えた英知で人心を整えた賢帝や国母がいた。

それは民の依頼心や皇位の謀でもない醇なる忠恕心だった。

真の学を作興し、ややもすると慣性に緩む宮中を整え、世に公徳心を喚起した。

その威の力は、経年劣化に堕した幕府(政府)の軟弱さを露呈させ、民の離反を招いた

国風に新たな清涼感を抱かせるには、物や便法ではなく、縦軸である維を新たにする忠恕の心であった。

それが大御心に応ずる民(大御宝)の強固な国なるものの紐帯なのだろう。








以前、日本の道徳的移風は王政(道)復古でなくては、との考えを記したことがある。
文字解釈での多論はあるだろうが、「移風」は現状の民情なり、その方向性や価値観から導く政治なり経済、そして教育の雰囲気や流れを好転させることだ。

以前の章では道徳的移風については王政復古と書いたが、時代錯誤と非難かつ嘲笑された。王政の何処が、と切り取り反論をされても納得するものもなく、かといって天皇に政治権力を委ねるものでもなく、だだ、現状の政治形態にある権力者に慎みがなくなったとき王政の由縁となる「王道」に取り付く島をみるのだ。

己の薄弱さと人生すら完結できそうもない庶世の民として、天皇の姿に何を描くかはそれぞれだが、不特定多数の人々に対する人間の姿として垣間見る行動は、世俗にまみえる処士として、どう見ても近づくことのできない異次元の姿として映るのだ。

たとえ、土佐の賢候山内容堂が無頼の衆と切り捨てた薩長が大義を取り繕うために内裏から世俗にお出まし願い、歴史にもない軍服を着せたこともあるが、また古今の歴史に利用されかつ権力の形式的装飾に用いられたとしても、平成の御世における天皇の大御心を体現する姿は、まさに王道の心をみる観がある。それは忠恕心だともいう。

それを伝統だというのは容易いが、人間はそれができると思うだけでも意味がある。
また、教育においても単に数値選別されて望みの職掌を得た位上人でさえ、及びもしない観念や、庶民から見ても驚愕とも思える所作にも、処世で当然考えるであろう、小欲とは異次元の大業に向かう超克した心情が読み取れる。






昭和天皇


ときに、昨今の選良の態度や輔弼としての宰相と官吏の姿を見ると、どうしても大御心を忖度した行動が読み取れない。処世の人々からすれば一種の軽さを感ずるのだ。
いくら民主や法治と謳われても、そこには収まらない安堵と鎮まりがある。

以前、少し不敬な依頼心を抱いたことがある。
皇室の奥の語り部として重用された卜部亮吾氏(侍従、皇太后御用係)が良子皇太后のお付きで葉山の御用邸に赴くとの連絡があった。筆者とは洒脱な関係だったので「サッポロのビールを差し入れします」とお伝えしたところ、「ビールは輸送でゆすられると、しばらく間をおかなければなりませんね」と氏らしい洒脱な応えがあった。氏は銀座七丁目のライオンビヤホールでの泡友仲間ゆえのビール薀蓄だった。

ところで皇太后様はお元気ですか」と問うたら「お変わりありませんかの方がいいですね」と返された。

浜辺を散歩なされますか」と聴くと「補助を必要としますが」とのこと。

「ならば、皇后陛下がお手を添えれば今どきの家族それを見習い、それが周知されれば政府の扶養費支出も抑えられます。なによりも国民のムーブメント(運動)となれば、国柄も変わりますね」これが少々不敬な願望だった。

妃殿下ご自身で養育すれば、ベビーカーはどこの製品、衣類はどこの店,帽子はどこのブランド、と世の婦女子は騒がしかった。そこで世俗では嫁が義母の車椅子を押している微笑ましい姿を見倣ったら保護費も抑えられ、家族のきずなも強くなるとトンチまがいに考えた拙意だった。

陛下を活用することを過度にタブー視する向きもあります。もちろん政治にコミットすることも問題となります。

でも、御姿、しぐさ、お気持ち、といった人間が学ぶ対象として活かすことは陛下の意にも沿うものだと思います。

よしんば弛緩した政治家や官吏に対して

「政治は目立たない処を慎重に探り、つねに不特定多数の安寧を心掛けるよう」

と、お言葉を発したら、処世の人々は縁に依って来る苦難や煩悶にたいしても、自己における時と縁の巡り合わせだとして為政者に反目しなくなるはずです。

国民が真摯に政治に応ずれば、権力を運用する政治家や官吏も覚醒するはずです。それは国情の雰囲気を変えることにもなります」






卜部皇太后御用掛  小会にて 

https://kyougakuken.wixsite.com/kyougaku/blank-1


それは縁あって日本に棲む人々の心の中に描いている長(おさ)としての立場を認知している世代が存在する間にしか効力がないことです。

次世の御代が変われば威も徳も薄れるだけでなく、認知すら軽薄な関心しか持てなくなるかもしれません。

欧米のような私生活のスキャンダルやファミリーへの愛着はあっても、畏敬の存在ではなくなることもあります」

動物でも群れの長(おさ)を失うと羊飼いに連れられ、犬に追い立てられる羊のようになります。

郷や国の防衛とて、武器道具を揃え、財を駆使しても人々が連帯を失くしたら、防衛力は弱くなります。

なかには「小人は財に殉ず」のごとく、危機を察知したら責任回避するものも出てきます。

また、間諜も現れます。その内なる反省は70年前に体験しました。」

筆者がせめてもの皇室の「奥」に職掌を持つ卜部氏に対して答えを必要としない呟きごとであった。毎年のごとく節期の激励文をいただき、小会(郷学研修会)の道学に添い、天聴(天皇の知るところ)に達しているかのように至誠ほとばしる督励清言は、あえて意を表すことに逡巡すらなかった。また不遜にも卜部氏を通じて、゛あの御方ならわかっていただける゛、そんな下座からの気持ちだった。

そんな想いも世俗に晒せば、「自由と民主の時代に・・・・」との誹りもある。
その自由と民主の仮借がさまざまな分野に善くない影響を与えているから問題なのだ。

どうも表現が今風でなく稚拙らしい。仮にも定説なるものとアカデミックな論拠を書き連ねれば、いくらか数値選別エリートの反駁にも贖えるのだろうが、そこまでの知能力も耐力もない。いや、関わりになると問題がより複雑になってしまう危惧もある。







  義士 大塩平八郎


江戸、天保の頃、飢饉が襲った。江戸の役職や御家人は強引にも地方から米の上納を図った。江戸御府内という体面もあったが、物が動けば利を生ずるように、お決まりの御用商人と担当、責任官吏の賂も問題だった。私塾洗心洞を主宰し、かつ奉行所与力職にあった大塩平八郎は道学の士を募って豪商の打ち壊しを義行した。

令和のコメ不足に比べると   

減反をすすめる政治政策  国内は不足だが海外輸出は伸びている不思議

 

以下ウィキペディア転載

≪前年の天保7年(1836年)までの天保の大飢饉により、各地で百姓一揆が多発していた。大坂でも米不足が起こり、大坂東町奉行の元与力であり陽明学者でもある大塩平八郎(この頃は養子の格之助に家督を譲って隠居していた)は、奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、仕方なく自らの蔵書五万冊を全て売却し(六百数十両になったといわれる)、得た資金を持って救済に当たっていた。しかしこれをも奉行所は「売名行為」とみなしていた。

そのような世情であるにもかかわらず、大坂町奉行の跡部良弼(老中水野忠邦の実弟)は大坂の窮状を省みず、豪商の北風家から購入した米を新将軍徳川家慶就任の儀式のため江戸へ廻送していた。

このような情勢の下、利を求めて更に米の買い占めを図っていた豪商に対して平八郎らの怒りも募り、武装蜂起に備えて家財を売却し、家族を離縁した上で、大砲などの火器や焙烙玉(爆薬)を整えた。

一揆の際の制圧のためとして私塾の師弟に軍事訓練を施し、豪商らに対して天誅を加えるべしと自らの門下生と近郷の農民に檄文を回し、金一朱と交換できる施行札を大坂市中と近在の村に配布し、決起の檄文で参加を呼びかけた。

一方で、大坂町奉行所の不正、役人の汚職などを訴える手紙を書き上げ、これを江戸の幕閣に送っていた。新任の西町奉行堀利堅が東町奉行の跡部に挨拶に来る二月十九日を決起の日と決め、同日に両者を爆薬で襲撃、爆死させる計画を立てた。≫

 


中央 安岡正明講頭  右 卜部皇太后御用係  於 郷学研修会

 

それ以前の天明の飢饉には一つの出来事があった。
庶民は、幕府は頼りにならないと京の天皇に直訴した。天皇の忠恕心に委ねたのだ。

光格天皇は窮状を知り即座に備蓄米を供出を幕府に問うた。率先して動いたのは後桜町上皇だった。

いっときは一日に三万人の庶民が御所に集まり、周囲約一千メーター余りを周る「御所千回周り」を行なった。

御所の周囲を流れる溝を掃除して清水を流し、上皇は数万個の果実を配った。他の宮家はお茶などをふるまった。

そのお姿は、その後代の孝明、明治とつづく天皇の現示的イメージとして、大政奉還、討幕維新と流れる時世を暗示する天皇の仁を添えた賢明な行動だった。






後桜町上皇



元々は民生の政治は幕府専権である。天皇が備蓄米の供出を関白をとおして京都所司代に命令を伝えることは禁中並公家諸法度に触れることであり、大問題になることだった。

その後、大塩の決起があった。天保は仁孝天皇だった。天皇は天明の件を一例として関白は京都所司代に対して救済策をご下問している。ここでも江戸の幹部用人の無策が露呈している。

江戸幕府ができてから朝廷が幕府に物申したのも初めてだが、しかも天皇をはじめとする上皇や公家の積極的救済は、たとえ「禁中並公家諸法度」という制約があったとしても、民を救済することに何ら幕府に遠慮することなく、怯むことのない皇道(すめらぎの仁道)を顕示する叡智と剛毅がある。



 

平成天皇が鑑とした光格天皇




そもそも存在する立場の役割として、民もその姿を認知し、かつ深層の情緒に溶け込んだ姿は普段の民生には隠れた存在だ。施政は幕府専権であり責任ある為政者だ。勤労の果実は年貢として徴税する。

しかし、一旦事が起こっても何ら問題意識もなく、埒外な政策しか執れないようでは、民は天皇の威と忠恕心にすがるしかないと、当時の民は考えた。そこに意が向くことは当然であり、今でもそれは威能は有し、行動は可能だ。なぜなら民の存在を大御宝(オオミタカラ)と称し、その民の良心の発露である「人情」無くして国法は機能しないからだ。制度はともあれ深層の国力である人間の情緒性は、政治機能とは別の意味で、直接的黙契の関係が厳然としてあるようだ。

幕府用人とて慣習とはいえ綱紀の緩みに対する問題意識すらなく腐敗堕落して、迫りくる欧米列強の植民地を企図する勢力との対応にすら窮するようになった。

現状追認、後回し、事なかれ、責任逃避、そして下剋上。

それは平成の御世に再来した現状とあまりにも類似した集団官吏の姿ではないだろうか。

しかも、その甦りなのか縁の再復なのか、天皇の姿が明らかに変わってきた。いや、変わったのは市井の人々の覚醒と蘇りへの愛顧なのかもしれない。








震災地への巡行、戦災慰霊の旅、津々浦々の市井の人々との交流、そして再び惨禍の兆候を察知したような言辞と国民への配慮は、あの大塩の抱いた正義と忠恕による人心の安定を共に願い祈る、皇祖仁孝天皇の宗旨(皇宗)に沿う、意識の伝承のようにも映る御姿でもある。

世俗は家族を基とした内外の社会生活に煩いを多くみるようになった。生産や消費、そして成功価値の変化や人生到達への茫洋さなどが混在して将来すら計れなくなっている。それらは苦情やモンスターと称される表現でしか表れる姿ではなくなっている。

当時の大塩とてそのような世情の姿に決起したのではないが、掴みどころのない浮俗ともおもえる時節に、問題意識を描く諸士は少なくはない。さりとて、゛どうしたら゛と暗中を模索するのみだ。





上賀茂


そこで筆者は今上陛下の発する大御心に沿うことを提案する。それは真似る、倣うことでもある。

応答辞令、仕草、言辞、様々だが、先ずは慎重に意志を読み取るべく鎮まりのある行動をすべきだろう。だからと言って崇拝主義やファン気質になることもない。姿を見せて膝を折り語りかけるだけで我が身の変化を感じられることの不思議さを我が身に問いかければよいことだ。宰相が百万言を弄しても届くことのない我が身の是非の感覚を探ることだ。

それが、普段は感じられることでなくてもよいが、何かあった時に想い起していただきたい存在でありたいとの応えに対する市井人のほどよい立場だろう。そして即位の宣誓に「憲法を遵守して・・」と、厳明した言葉を公務に嘱する人々に最も理解してほしい。

民主主義を仮借した政治なるものが、運用者たる為政者によって暫し混迷している時世に、国民は、゛あの御方ならわかってくれる゛それを護ることに何の衒いもない国民は多いと思う。

だからこそ形式的認証であっても、その受任者たる輔弼(政官)を教化して欲しいと、またもや依頼の心が興るのは自然の姿ではないだろうか。今ならまだ間に合うと思うのだが・・


一部、参考資料は関係サイトより転載。イメージも一部同様に転載しています

浮世はなれした切り口ですが、ご感想はコメント欄にいただければ幸いです。

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異なることを恐れない意志 08,8再

2025-03-24 07:56:18 | Weblog

     粛軍演説で国会を除名された 斉藤隆夫氏


国際主義、平和主義、平等主義
耳障りのよい文字配列だが、そこに自由主義、民主主義、はたまた経済構成を消費資本主義と管理社会、それらをミックスすると現代社会のようになり、茫洋としたなかで目標を描こうとしても、情報という便利魔物にかき回され、確かな答えがうっすらとモザイクを掛けられたような、まさに混沌とした状態が導き出される。

そもそも「主義」なるものをみるに一例がある。
戦前の碩学といわれた大川周明の日記の一章に、近頃、主義と冠するものが増えたが、往々にして主義業のようなもの・・・」とある。つまり食い扶持を賭して主義を唱えていたのである。

国際の云うところ、ボーダレス。平和が謳われると戦争への道程。平等は特徴を無くし却って不平を生ずる。自由は放埓、民主は分裂、消費は贅沢を生じ、管理は奴隷化の端緒、情報はハナシの充足感。

変わり者の切り口だが、人間を知らずば、そのようになること必然である。
そこには必然を意図する者もいれば、未然に考えるものもいる。

バーバリズムを幾らかでも文明に親しもうと知識を仕入れ、物腰を自制して、妙な成功価値を与えられ文明人を気取っても、現代の多岐にわたる忌まわしい現象は防ぐことは出来ない。却ってバーバリズムに内在する、ナチョラル、ピア、つまり素朴で純粋な人間の在り様が欠け、問題意識もなく危機に鈍重な人間を作り出してしまう。

不謹慎な戯れ話しだが、以前政党の世界について外国人からこんなセリフを聴いたことがある。
社会党は「斜解党」、公明党「混迷党」、共産党「共惨党」、自民党「自眠党」
主義業もそうだが、「党」も旧字には「黨」、黒で表す悪を賞する人々の集まりだと隣国の諺言にある。

「業」それを掌る「党」も似たように衆を恃み(数や勢力を当てにする)特徴を埋没させ、しかも大義と称して主義を唱え、人々を一定の檻に閉じ込め、それが世界だと思考さえ狭くさせている。

我国の情緒を著した本居宣長のいう「もののあわれ」を超え、哀しさと共に「悲哀」すら感ずる文明の姿のようだ。

明治以前はこのような文明観にもとづく「業」も「主義」もなかった。それは「分」を弁えた人たちの気概や規のなかに包まれ、「党」といえば悪党に限っていたと記憶している。たしかに善党はない。

西も東も左も右もと騒がしいが、独り鎮考すると「どのようなことを」「どのような人と」語り合おうかと、ふと心が前に進む。

そういえば安岡正篤氏は
「往々にして世の中を変え、歴史を動かすのは一握りの変人の集いだ・・」と
そして
「それには、無名で有力な人物になることだ。いまは有名だが土壇場では無力なものが多い。また今どきの学問もそのような人間を粗製乱造している」

無名を誇り、異なることを恐れない人物は、名利、財貨の成功を二の次にして己の矜持を高めている。


西郷
金も要らぬ、名誉もいらぬ、このような人間は困ったものだが、イザ(危機に際して)となったときに役に立つのはこのような人物だ」と回顧している。

確かに西郷、安岡も、人と異なることを恐れない言を歴史に標している。

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人間考学の提唱  小学より「潜在するものを観る」 

2025-03-18 15:07:54 | Weblog

 

                    

  冠位褒章歴ナシ、記すべき官制学校歴ナシ、数多の成文あれど商業著作ナシ  世俗無名に座し、と教えられればそれに随い、貪るな、と諭されれば貧を悦こび、枯木寒岩を装いつつも、浮俗に浸ることを一片の学として朋と遊び、時として独り逍遥しつつ清風の至るを悦しみ、齢を重ねている処士なり。  頑迷の誹りあるも、学ぶ処、唯、先人万師の追隋なり  

                                                               寳田時雄著 「天下為公」自歴より

 

致知出版社 所沢木鶏倶楽部 依頼講話

https://www.youtube.com/watch?v=UO0lQkpPk94 

 

(財)郷学研修所 安岡正篤記念館 寳田時雄講話 

 https://www.youtube.com/watch?v=V-KOP9uItA8

 

 郷学研修会 当初の構成

 http://kyougakuken.wixsite.com/kyougaku/blank-1 

 

                

                       

  売文ではなく有為な方に贈呈                        

 

 

 

寶田教学随聴記

         

 ≪その志、嗣ぐものあらんことを≫

国策研究会元評議委員  村岡聡史

大学における寶田時雄氏の特別講義の内容それ自体について、私が独言(論評)を展開することは極めて難しい。何となれば「屋上屋を架す」の恐れがあるからです。
それゆえ本稿では「何故に寶田時雄という日本人離れした大型の人物が形成され、皆さんの教壇の前に立つに至ったか?」という視点から寶田教学の本質と学問の方法論に就いて随聴記を編んでみました。

実相観入して神髄を極めるところ、寶田教学の本質と学問の方法論は、佐藤一斎(註①)の次の言葉に尽きる。
 「学は自得を貴ぶ。人徒らに目を以って有字の書を読む。故に字に曲し、通透することを得ず。当に心を以って無字の書を読むべし。乃ち洞して自得するところ有いん」


【言志四録】

問題はそこに至った寶田氏自身の学問上、教育上の形成過程にある。要諦は寶田氏が二人の歴史的人物と青年期に邂逅し、その薫陶を享け、これを自家薬籠中のものとして自らの人間形成に活かして現在に至っているということである。

一人は安岡正篤氏であり、その同友たちである。深沈重厚、精義入神たる昭和の碩学であり、戦前戦後にわたって要路にある人々に多くの影響を与えた教育者である。
また終戦の詔勅に朱筆を入れたことは、知る人ぞ知るエピソードでもあり、その学識の深奥は計り知れないものがある。寶田氏の説く、無名有力の奨めと郷学の作興は、官制学にはない人間学として安岡氏から直接、訓導され、その後の活動に顕示されている。

 

       

      安岡正篤氏

 

もう一人は、佐藤慎一郎氏である。明朗闊達、正言躬行たる昭和の国士であり、「拓大最後の教官」と評されていた。佐藤氏は辛亥革命を指導した孫文に終始帯同した山田良政、純三郎兄弟の甥に当たる方である。

満州某重大事件で開幕した昭和動乱の渦中、二十数年にわたる大陸生活の中で、山田兄弟同様に日中提携によるアジアの安寧を願い、これに全霊を傾け、献身した人物である。遺憾ながら、風雲に大是を定むることができなかったが、その驚嘆に値する行動の軌跡は、明治が生んだ「日本の快男児」の一人として歴史に刻印されている。
この佐藤氏の精神とその行動学は、永年にわたって行動をともにした寶田氏に継承され、脈々として生き続けている。

 

         

         佐藤慎一郎氏


斯様にして、寶田氏には二十代の青年期から両巨星【註②】と接し、人物的にも学問的にも多大な影響を受け乍、自己陶冶に努めてきた。つまり、寶田氏にとって両巨星が高等教育の場であったわけです。それは音声と触覚によって自身を供にした修学であった。

無論、寶田氏の学問や人物形成の背景の一つに膨大な読書【註③】による研鑽があっただろうことは想像に難くないが、根本的には両巨星との邂逅を契機にした素行自得にあったと思われる。

そのような来歴によるのか、寶田氏の教学や文章は難解であると感ずる人々が財界から言論界に至る各界に少なからず存在する。このたびの特別講義を通して、皆さんの中にもそう感じる人が居るかもしれない。
然らば、同情を禁じえません。実は私自身もそう感じている一人であるからです。

またそのように映ることは、氏の思考環境を支える座標にある、「無名有力」という浮俗の一般人からすれば頑なな自制心として映る名利に対する恬淡な行動があります。

それは公私を問わず、市井の観察や透徹した歴史観、あるいは異民族との間に横たわる現実の難問においても縦横無尽な応答を可能にしていることです。
それは官制学にない人と自然が活かしあうことによって生ずる直感力が、学術的な論から出される無機質な内容を有機的に転化させる柔軟な発想の基になっています。
氏は有名という現示的欲望は人間そのものを無力にさせると言います。
また「異なること」を恐れてはいけない、とも説いています。

然しながら、「ものは考え様」です。頭の表層で直ぐ理解できるようなコンビニ知識や、インフォメーション(情報誌)の類は、すぐ役立たなくなる、すぐ飽きてくる、応用が利かない、普遍性に乏しいという致命的欠陥を内包している、これは真理であります。
例えば、電車の時刻表、受験の参考書はスグ役立つという点では大変便利だが、これらが百年後に役立つとはどうしても思えない。

翻って寶田市の説く「小学」(註④)と「大学」(註⑤)は、その起源を遡及すれば中国春秋時代に至り、朱熹の大成した「朱子学」(註⑥)も、その基礎に「大学」が鎮座しているわけであります。人間の本性が根本的に変革されない限り、おそらく此の学問は百年後の二十二世紀社会においても十分通用するであろうと予見できます。

 

           

           1989 北京騒擾の臨場


此処まで読まれて、賢明な皆さんは既にお気づきのことと思います。
要するに、学問とは時代を超え、民族を超え、一般的、普遍的に通用する原理原則や、真理を追究する学為であって、学歴と称する官制学校歴とは似て非なるものである、ということです。
そして、教育にもっとも大切なことは、教育に関わる人自身が知りえた学問成果(原理原則、真理)を、現実に可能な範囲で率先垂範することであります。確かに、他者(生徒、聴衆)への訓導や説教は、必要不可欠な課題ではあるが、第二義的な意味しかも持ち得ない。

言うは易く、行なうは難し。率先垂範は困難な課題ではあるが、教育者足らんと欲するものは、これに努めなければならない。「大学」が人を説く所以は、教育が聖職であるという所以でも在る訳です。

 

              

              安岡正明講頭  郷学にて

 

次にごく簡単でありますが、特別講義に出席された皆さんの感想文と、ゲスト二人のスピーチに対する印象を徒然なるままに筆にします。
寶田教学に関する皆さんの感想文【註⑦】は総て精読いたしました。
素朴ではあるが、生き生きとした率直かつ真摯な意思と心情が私の心胆に津々として伝わり、久しぶりに感激を覚えました。

そして、皆さんの感想文を読みながら、私自身も学ぶことが多く、「教えることは学ぶこと」(教学一如)というテーゼ(定立)を改めて実感した次第です。
皆さんありがとう、心より感謝申し上げます。

また、ミスター・サキール・カーンと金沢明造氏のスピーチ、謹聴いたしました。即興とはいえ、短時間でテーマ(学問と教育)に適したトピックスを自己の体験(日本体験と法曹界の堕落)と結びつけ語られ、見事に要諦をスピーチに纏め上げました。私には百年河清を以ってしてもできない技量であり、お二人の手腕には本当に感心しました。

最後に、私の願望を一言述べて結びに代えたいとおもいます。
私は、寶田時雄氏と亜細亜大学の皆さんとの「対話と交流」が、近い将来、再び訪れんことを期待しています。何となれば、私の予感では是が日本人および日本の教育の現状に対して一石を投じることになる、と考えるからです。

確かに寶田氏と皆さんのコミュニケーションは、深刻な問題を抱えた日本の教育という巨大な社会現象に比肩すれば、微小な一石に過ぎないものかもしれない。然しながら、我々は次の佐藤一斎の言葉に鼓舞されて、前進できるのではないでしょうか。
   『一灯を提げて暗夜を行く 暗夜を憂う勿れ 只、一灯を頼め』
                        【言志四録】

寶田氏と皆さんとのコミュニケーションが日本の教育における一灯たらん事を、延いては21世紀のアジア世界の万燈たらんことを希求します。
教える人、学ぶ人、その志、大学において嗣ぐものあらんことを。
 

 

            

                                    寳田時雄 大学講話

【註①】
佐藤一斎 
江戸後期の儒学者 美濃岩村藩の家老の子
中山竹山に学び、朱子学を主としたが、後に陽明学に傾く。林家の塾長、昌平坂学問所教官。門下に渡辺崋山、佐久間象山など多数の人材を輩出。主著「言志四録」
        文献 井上正光全訳注 講談社学術文庫

【註②】
安岡正篤氏と佐藤慎一郎氏の人物や思想について、さらに精細を知りたい人は、寶田氏に問い合わせ願いたし。 ホームページ「郷学研修所」参照
文献 「運命を拓く」安岡正篤著 プレジデント社
   「佐藤慎一郎選集」佐藤慎一郎著 国際善隣協会
   ブログ「請孫文再来」寶田時雄著
   「荻窪酔譚」佐藤氏と寶田氏の師弟酔譚  郷学研修会編
   なお両氏は近しい交流関係がる。

【註③】
寶田氏の読書について想像を巡らしていたところ、南宋の黎靖徳が編纂した「朱子語録」の次の言葉を憶い出した。
『人が読書するのは、酒を飲むのに似ている。もしも、酒の好きな人であるなら、一杯飲み干せば、また一杯飲みたくなる。もしも嫌いであるなら、無理して一杯飲むと、もうそれでお終いだ』
多分、寶田氏は高級な美酒(古典の名著、現代の良書)を毎晩飲んでいるのでありましょう。老婆心ではありますが安い酒は身体や精神に悪い。

参考【朱子語類について】
1270年南宋の黎靖徳が朱熹とその門人との問答を部門別に集大成し、朱熹の思想、学問を体系化してた書。全140巻 鎌倉末期に日本に伝来した。
参照「朱子の自然学」 山田慶児著 岩波書店

【註④】小学について
12世紀末に成立。南宋の劉子澄が朱熹の指示で編纂。酒掃、応対、進退などの作法、嘉言、善行を古今の書から抜粋、収録し、中国小学(修身、道徳)の課目を示した書。内外二編 全六巻


【註⑤】大学について
春秋時代(紀元前五世紀)に成立。四書(大学、中庸、論語、孟子)の一つで、元々は五経(易経、詩経、書経、春秋、礼記)の一つの礼記の一編であったが、朱子学が重視されて以来、盛行した。最高の学問の理念について、三綱領(明徳、臣民、止至善)と八条目(格物、致知、誠意、誠心、修身、斉家、治国、平天下)を立てて説く。 後代、南宋の朱子学に多くの思想的影響を与えた。

【註⑥】「朱子学について」
南宋の朱熹が春秋以来の「大学」の人間哲学(修己治人)と、北宋以来の理気世界観とに基づいて大成した宇宙論から人間学に至る儒学の壮大な体系。
明代、清代を通じて体系強化のパラダイム(ある時代を特徴付ける思考や認識方法の基礎的枠組み)としての役割を果たし、李氏朝鮮や江戸時代の日本にも多くの影響を及ぼした。

参考
小学、大学および朱子学の歴史的沿革は、大雑把に言えば南宋時代に成立した「小学」の源流は、春秋時代に成立した「大学」の徳目の一つである修身に遡ることができる。また、南宋の朱熹によって大成した「朱子学」も、その骨格となった源流は「大学」である。但し、朱子学の宇宙論は北宋の世界理念と朱熹の創意工夫によるところが大であった。
大学には説かれていないことに要注意。要するに「小学」も「朱子学」も「大学」に遡るのである。「大学」が四書の一つに位置づけられている所以はそこにある。
朱熹と朱子学に関心のある方は次の基本文献を推薦する
  「人間の知的財産19 朱子」三浦国雄著 講談社

【註⑦】鳩首作業
学生たちの感想文の整理と検討があった。難解ではあったが真摯なコメントの中にも、抱腹絶倒する場面などに遭遇して疲れを癒す場面もあった。気がつくと終電間際、千葉から来訪した学友高野華門氏は慌てて出立、小生も学ばして頂いた次第。

 

        

       航空自衛隊 外部幹部講話

 

寳田氏とは

 在学中、司法ボランティアを志向 更生保護体験活動従事

 近在の古老より近代史を学び、明治の識者との邂逅を通じて日中史実を学ぶ

 安岡正篤・佐藤慎一郎・皇室関係者など国内外の識者らと郷学を通じて人間学を学ぶ。

 笠木会「満州事情」佐藤慎一郎「近代日中史」師友会「内外古典」

 安倍源基「民生治安」卜部亮吾「皇室関係」安岡正篤「人間学」

 督励によって郷学研修会を発足。

 TMS・China香港(IBM)副総経理を経て自営に従事。

 現、(財)国際平和協会主任研究員 郷学研修会代表世話人  槇の会

  sunwen@river.ocn.ne.jp

 

主な講話抜粋

(財)郷学研修所・松下政経塾・大学・専門学校・警視庁・地方郷学塾

三菱グループ筑波幹部研修 致知出版木鶏会 航空自衛隊目黒幹部学校

北部方面航空警戒管制団(三沢基地) など

講話趣旨「一人でも少なしといえず、千人でも多しといえず」真摯に学ぶ者あれば対価経費は要なし。

 

誓詞  「他と異なることを恐れない自己の立命

 

 

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君が在る世を鎮考する

2025-03-17 02:13:02 | Weblog

 

このような気概と忠恕心をもった人物が存在する意義、それは政治権力や財の所有多寡にはない長(オサ)のような存在でもあろう。

明治天皇は在任中に10万部に届こうとする和歌を詠んでいる
勅語とは異なり、真情が表れている。なかには国民をおもう御心や、重臣、官吏、教育者に諭すような詠み歌がある。これを別位置の客観性と見る向きもあろうが、なかなか届くことのない境地である。

詠み歌は国民には直接届くことのないことだが、為政者を越えて繋がる太い綱がある。
あの被災地の歴訪も多くの為政者が訪れたが、陛下のなす自然の動きと言葉に多くの国民は感動した。そして選良といわれる為政者の言の葉と比べたりもした。

歌会始でも御心を詠まれ、皇族もそれに倣った。

中学校でも和歌の授業が行なわれ、多くの生徒が和歌に心模様を託している。

ここでは、明治天皇の和歌を掲載させて戴き、遺すこと、繋ぐこと、事象の見方、そして現代に比して考えてみたい。







簡訳と羅線は筆者の拙意


 「詠み歌」

 言の葉の花の色こそかはりけれ 同じ心のたねと聞けども 


わが国の情緒や感性の根は同じだというが、言の葉の使い方で詠み歌はさまざまな心を表している



「処世」

 世の中はたかきいやしきほどほどに 身をつくすこそつとめなりけり 


世の中は縁の作用によって高いとか低いとかのいうが、それぞれが適材適所(特徴)を発見して怠惰なく生活を営むことが幸せに導く方途だとおもう



「塵除」

 つもりては払ふがかたくなりぬべし ちりばかりなることとおもへど
 

小さな問題でも放置すると積もり、解決さえできない大きな残滓となる。為政者もそのことを深く考えなければならない

人を観る、人間を活かす、この「観人則」が衰えると法の運用が偏り、人間の尊厳さえ毀損するようになる。そのような堕した慣性がはびこると民は施政者に倣い共に衰退する。これは精神の塵であり、その兆候を見逃さず除くことが経国の要諦である


「教育」

 いさをある人を教へのおやにして おほしたてなむやまとなでし子 

歴史上の賢人や勇者の英知を教育に活用して、それらの人格に倣うことは子供にとって有益な学びである 

目標とする人を敬い、人格を倣い、感動と感激を通じて魂の継承を学びという「人間学」


「学処」

 いまはとて学びの道に怠るな ゆるしのふみを得たるわらべは

 
 たとえ学び舎の卒業証書を授与されても安心せず、本来の学問を怠らず立派な人間になるように留意すべき



「机上の浄」

 よりそはん暇はなくとも文机の 上には塵をすゑずもあらなん

 
たとえ家業、事業で多忙でも大切な学びの机は清掃して学びの準備を怠らないように



「家庭の訓」

 たらちねの庭のをしへはせばけれど 広き世にたつもとゐとはなれ


 
家庭には家訓や歴史も善き習慣がある。その教えを将来につなげ、立身の基礎にしなければならない



「情操」

 ともすればかき濁りけり山水の 澄せばすます人の心を


往々にして自然の恵みである山水も汚れ濁ることがある。人の心も純に澄んでいる時は美しい善性をもっている

数値評価で表れる経済や軍事力だが、民族の善性を護ることを深層の国力という
 


「慎み」抑制
 
思ふことおもふがままになれりとも 身をつつしまんことを忘るな 


たとえ思い通りにならないことがあっても、平常心を以って心身を慎まなくてはならない

東電の停電の際、暖房を消して生活していた今上天皇を想起する



「人材」

 山の奥しまの果てまでたづねみむ 世に知られざる人もありやと 


山奥の郷村にも無名だが世に有力な賢人がいる。往々にしてそのような人材が斬新な智慧と鎮まりを涵養している。そのような無名有力な人材を捜し求め、世に活かすことが肝要なことだ

人格を何ら代表しない附属性価値(地位、名誉、財力、学校歴)が人物選定の具になったのでは有効な人材は探すことはできない。


「忠恕の心」

あつしともいはれざりけりにえかへる 水田に立てる賎をおもへば 


極暑のなか、津々浦々で懸命に勤労する国民のことを思うと、吾が身の暑さなど考えることでもない

昭和天皇も侍従が「今年は涼しくて・・」と呟くと、『東北は冷害で大変だぞ』と叱責

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疑問の源泉 柔軟剤?

2025-03-16 04:06:05 | Weblog

  
             秋山真之氏

このままでいい、いや変えなくては、との様々な世俗の評を観る時、直すべき対象を吾が身に振り返るときがある。

ものを書き、ものを云ってみたところで、その技量の乏しさの為か余計に滞留するものが滲み出ることがある。それは衣服を伝って表面に染み出るように、云い難い匂いを漂わせている。

若い頃、よく古老から「問題意識を持ちなさい」と言われた。
また、それを素朴で純粋に観察する為に「無名かつ有力に」と付け加えられた。
力を抜くことでもあろう。

近頃は懐中の厚みや、食い扶持となる釜の蓋を開け加減を横目で見ながら、自分にとっての人生の仕事の住処について譬えられる、蟹の甲羅に合った穴探しに没頭している。

掘ったと思えば狭く、あるいはユルイ、下手な穴掘りでもあるが、身を休めるつもりは無い。気は阿修羅だが、お人好しの気弱で、お節介。
その裏腹に可笑しくなるほど気をモミ、ときには病むときがある。

ただ、世の中便利なもので、じっとしても数多の刺激が降り注いでくる。固陋なる古典書物の紹介から、色事のお誘いまで、余ほどシッカリしなければ、いつの間にか自身を茫洋の淵に追いやる。これも終いには面倒なことに無常感を背負い、あの頃の世間知らずを懐かしみ、童心にあったようなバーバリズムにある素心への願望、はたまた胎内回帰の如く心音を聞き風に薫りを求めるようになる。

竜馬、晋作の詩情にもあるものだが、自身の五臓六腑をぶちまけても自らの邪神を祓い、「純」に「空」に希求したものは、歴史にあって芥子粒のような存在に一寸の魂の存在だろう。それは「たかだか」「でも」にみる逡巡を払い確信に向かうスパイラル循環のようなものだ。

ただ非凡なのは、そのスパイラルに回転する循環リレーには「縦軸」の存在が不可欠と認め、その「維」の改新を自身の生き方にトレースしていることである。
先ずは己を知り、己に問う作業であり、日本を問うたのである。

そういえば、竜馬の新婚旅行もオツなものだが、児玉の女郎買い、博文の異様なまでの女色、真之の昼行灯、それぞれ事績とは思いもよらぬ潤いがあった。
陽は陰に問い、陰は陽を問い、互いに惹きあい、その別なるを知る。

筆者の評点に誤解なきように望むが、何となく疑問の要因が解けかかってきたようだ。

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人間考学  君は手を差し出して貰えるか  8 11/20  あの頃も

2025-03-15 01:21:42 | Weblog

孤立無援、国会で粛軍演説を行なった   斉藤隆夫


タダでくれるものには、意味がある。それが乗数効果という国民を相手にした投資なのだ

出したら回収することは銀行も同じ手法だ。以前、別枠信用保証があった。中小商工業者は競って借りた。借りた途端、金融機関は今までの負債と相殺した。数兆円の資金は真水といわれる使える資金ではなくなった。しかも金融機関は日銀に還流したが政府保障貸出金より多くの資金が日銀の金庫に回収された。エサを撒いて大魚を釣ったのだ。流動資金は枯渇してサラ金、商工ローンへ追いやることになった。この政策で助かったのは金融機関だ。だが貸借バランスは良くなったが、国債は買わされ、これもエサになった。


天邪鬼の屁理屈だが、金をくれると云われた時の人間の姿を考えてみた。
まずは、民主の時代の政府と国民の関係におかしいと思わないか。公僕が余ったからと主人が小遣いを貰うのか・・・
政治家はこんな芸当はできない。狡猾な官吏の意図を測れず徳政に似たエサをそそのかされたのだろう。なにしろ⒈⒉年でいなくなる総理だ。

標題でが・・・
政府与党の色々な事情があろうが、江戸の徳政令とは似ても似つかぬ給付金という貰い下げ金をアリガトウと言って手を差し出せるか・・・

巷間、売文の輩や伴食議員の仔細な争論はさておき、減税ならぬ給付という名の現金を貰うのか、いや君は貰うのか訊いてみたい。

なかには、旅行だの、デジカメ、あるいは借金返し、子供の小使いなど貰う前から思案している人も多いが、一方ではその手合いとは相容れない気分と、国家に対する怨嗟が少なからず巻き起こる。

「くれるものなら貰っておく」とは云うが、それが政策失敗や官吏の不作為のツケだとしても、よくよく考えると、゛ツケ回し゛であることがよく分かる。また、大多数の国民は分かっていても、「くれるものは貰っておく」算段は付いているし、期待もしている。そんな時のためなのか、民主・自由・平等・人権・国民の権利などが幅を利かし、政治家は手柄話をする。

財産家、知識人といわれる労働教員、お巡りさんに医者、生涯賃金を企図する狡猾官吏、もちろん善男善女も手を出す。勝手にくれるものは貰っておく、と。だが、数年後には新税で強制的に財布から金が流れ出す。振込先が判れば預金の捕捉もある。、


          
          明治の言論人 陸羯南

政治家、いや宰相たらん人物の修養は自ずと異なるものだ。生半可な言辞や先見性の無い行動は、近頃とみに多くなった世襲紛いの偏った血脈によって助長されている。
一口に世襲といっても、単なる既得権継承もあれば、「道」に表現される免許や伝承、あるいは秘伝もある。政治家、警察官、教員の縁故採用の食い扶持確保は秘伝ならず、秘匿すべき既得権益の保護の為にある狭い範囲の「掟」である。


           

           初代 川路大警視の顕彰像




それは彼等に限ったことではなく、ヤクザや夜盗盗賊にも厳然とした陋規というべき掟があり、しかも習慣化され、ことに公務に関わる組織においては公金搾取、横領などが名目を変え組織内規として現存し、今以て政治権力を以てしても是正されずにある。

彼等も一応に「税金を払っている国民である」というが、欧米ではタックスイーターとして一方の納税者であるタックスペイアーとは厳しく色分けされている。


実は今回の給付金はイーターとペイアーを問わず支払われるのである。
ならば、以前も宗教政党の立案に政府が支払った似寄りの金券があったが、分捕ってくれた分け前には謝金代わりの政治献金や選挙の労力提供によって成り立っている忌まわしい政治慣習からすれば、磨りガラスの向こうの意味合いは大方の国民が知るところだろう。

さて、それでも手を差し出して貰うのか・・・?

世情が混沌として目標がオボロゲになったとき、多くの賢者は数多の歴史事象に記載されている賢人や事績に懐かしい日本人の原像を辿ろうとするが、それらに遺っている正邪の行く末や、現象を支える時間経過と賢者、偉人の事績の集積を鑑みるとき、彼らだったらどうしただろうか。


           

自ら官位を降下してまで戦勝に導いた 児玉源太郎


あるいは父や母が、゛もらえる゛と嬉々とした笑顔を見せたとき、その気持ちを忖度したとしても己は世界の異なる問題として許容できるだろうか。

どうも、天邪鬼のような偏屈するのが倣いになったようだが、窮屈かといえば、そうでもない。やせ我慢ではない。
幸いにも手を差し出す先師、先輩の縁を知らなかったことが、これほど大衆流動と思える機会に際立った観察ができたことだ。

地位、名誉、学校歴、財力を唯一の成功価値とする多くの人々が、「さもしく」「卑しく」手を出す姿を想像は、少なくとも今まではしなかった。必要な方々には差し上げるべきだろう。だがさして意味もなく、労働対価でもない下げ降し金ゆえ、「譲る」「分ける」「断る」など様々な子供の自己判断の善導にも良い機会と捉えることもできるだろう

意味もなく他人から貰う金の意味をだ。

付け加えるが、とくに先人先師が説いた「観人則」がある。

それは人も国家も行く末が鮮明に観えるということだ

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《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 07 7/8 再

2025-03-12 00:38:01 | Weblog

         清瀬一郎氏 パル博士 岸信介氏



パル博士と日本人の関係では、箱根のパル・下中記念館という名もあるとおり平凡社創業の下中弥三郎氏が特筆される存在でもある。

また「パル判事の日本無罪論」を著し、晩年は南京虐殺の欺瞞を英書にして配布した田中正明氏は松井岩根大将の側近として、かつ下中氏の傍にいてパル・下中厚誼を観てきた市井の証言者でもある。

筆者はふとした縁で下中氏の子息で平凡社の相談役であった邦彦氏との好誼によって多くのエピソードを遺しかつ願望を託されている。

よく業界では、゛社会に為すべき仕事゛をする独特な社風をもつ平凡社ではあが、邦彦氏から託された下中弥三郎辞典にある膨大かつ有意な事跡を観ると、なぜパル博士との交流がこれほど深甚になったのかを下中氏の人物像をとおして現代に語りかけてくれるものがある。

このほどベンガルのパル博士のご子息から、ある意志を託された人物が来訪した。
その人物は、「日本に来るときお父さんから『日本に行ったらパルさんのことを研究しなさい』と言われました。それは東京裁判のことだけではなく、法律家としてのパルさんの見識をアジアの意志として世界の法律に携わる方々に知らせたい」と。

また友人が二十数万字に及ぶ英文の判決文を打ち込み、インターネット配信しようと作業を完了した矢先でもあった。

何れも偏狭に日本擁護するものではなく、アジア特有の過ぎ去った事象への諦観と、それを意志に醸成して世界平和に供するといった下中弥三郎の世界連邦提唱運動にも共鳴するものである。

多摩の下中家墓地に礼して想起することは、嘱望されたことの言辞を辿りつつも、その普遍な意志には途切れることのない「道」が存在することを教えてくれた。

 

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よく、相手の立場になってと教えるが・・ 2014 再

2025-03-09 20:48:03 | Weblog

銀座 某風呂屋にて



もし、あの太平洋戦争がアジア民族解放のための聖戦と考えるなら・・・・
いまでも国内に膨大な面積を占領(領土を占める)している米軍基地の諸問題に難儀している日本を中国が開放名目として企てたら・・・
稚拙な問答だが、たしかに日本は独立国の態をなしていないと考える人間もいるだろう。

少しは考える人間は、行動を起す前に理屈の立つことを考える。
あなたがやったことなら,オレもいいだろうと・・・
あなたはアジア解放を旗印に進軍した。それに倣ってオレも解放軍とした。
要は資源と人間の支配だ。オレは金で白人の棄てた世界に傀儡政権をつくる。






ところで、精神が確かな日本人は、「聖戦の美名に隠れ・・」と議会で唱えたが、国民の代表と地位も名誉も保全された議員の多くは大勢に迎合して野次を飛ばして除名した。
だが、次は最高得票で議会に舞い戻った。ときの陸軍大臣に「腹を切れ」と議会で発言した剛毅な議会人もいた。

どうも日本風の議会制民主主義という代物は、議会では罵詈雑言を浴びせられる実直な議員を除名したが、最高得票で再び議会に送り出すような多くの賛辞を無視するらしい。

今どきの飼い馴らされたような、さもしい欲望の交差点と成り果てた議会とは似たようなものだが、日夜の空襲、戦地での惨禍、食料困窮にさらされた、もの言わぬ国民の願いは、賢い議員の発声さえ除名という代償を与えるような、日本人になり下がっていた。

その心根でアジア解放をいくら説いても、純真な彼らの多くは見抜いていただろう。
五族協和のスローガンも庶民の世界では善なるエピソードは数多有ったが、ソ連侵攻の報がきたとき、まだ数百キロ離れた新京では高級官吏、軍官僚は電話線まで切断し、しかも居留民を置き去りにして夜陰にまぎれ内地に遁走している。
新京の日本人会長平山某は日本人婦女子を集めて占領軍に提供している。当時の日本人婦女子の貞操観念は異人に汚されたわが身を恥と考え、そのまま異郷の地に残った人も少なくない。





ベンガルの子供たち


戦後のレジーム脱却はアジアも歓迎するだろうと考えがちだが、危険性を感ずるのはあながち見当はずれでもない。それは除名された議員や満州にとり残された居留民ではない。現地の戦闘を現状追認し、守るべき居留民を棄てた明治以降の速成エリートの立身出世に問題意識もなく流された指導的立場とそれに追従した日本人が信用できないのだ。
それは、日本やアジア圏のみならず、全世界の政治形態にたずさわる為政者や周辺関係者にも表れる背徳でもある。



そのことは中華民国(台湾)の国立近代史研究所の黄自進研究員(慶応大学博士課程)の言にもある。中国は日本軍閥の行為を糾弾するが、日本国内では歴史検証のもと責任者の処罰を行わず、戦勝国に任せている。そして当初はそれを受容しながら、現在では日本としての検証が対外的反証となっているようだ。

それは日本国民が考えることだが、その組織構成に伴う責任所在の明確化などは過去の歴史考証のみならず、現在、日本の政策や災害対応において歴史反復しなければならないことを考えるべきだろう。

震災後、欧米のジャーナリストの検証では「作業員の技能や精神は責任感とともに世界で有数だが、会社の責任者や担当政治家は最も低い評価がある。どうして日本のエリート教育はこのように間違ってしまったのか・・」というのが彼らの総意だった。

戦後レジュ―ムの脱却は対米国の戦後体制ではない。
日本人の変容と正邪を含む民癖を慎重に分別し、一方の邪まな内面を観察して省き更新することが、明治の近代化速成に取り残され、あるいは忌避された部分の検証になるだろう。要はその部分に在る日本人の覚醒だ。

そのためには、教育、民生、治安、の政治が行う部分と、自ら(己)を治める自治の地域(郷)再興を分別して取り組まなくてはならない。つまり、「書き連ねた法律の条文」と「掟や習慣性」の分別だ。また、それぞれが境際を峻別して補い合う関係をつくることが大切なことだ。また、その前提として「人情は国法より重し」にある潜在する善なる情緒性の作興も含まれるだろう。








余談だが、いま問題となっている慰安婦云々だが、慰安婦とは優しい言葉だ。
当時は多くの日本人女性が外地に渡った。現地軍司令官などは妾を帯同している者もいた。
いつも其ればかり興味を示すので部下から叱責され、なかには殴り殺された総司令官もいたが、もちろん病死扱いだ。残された机の引き出しには女の写真が幾枚もあった。
戦後、外地で行方不明になったあの参謀もその折檻のような暴行は止めることはなかったという。

不埒な上官も女と喰い物に強欲だと突撃の際に後ろから友軍に撃たれることもあった。憎悪の感情は世間と変わらない。
ある島ではお国のためと、出征送りまではなかったが、率先して慰安婦として外地に赴いた女性もいるが、当時は島民からは剛毅な女性と称えられたりもした。
よく女は「身を落として春をひさぐ」というが、男は「身を崩してやくざになった」といわれたことがあった。いまはそれらの人たちが否応なしに連行されたといわれているが、現代において置き換えれば、ひどい話であろう。


だが、外地占領を追うようにして料理屋や芸者斡旋のために商売を始めた商人もいる。たしかに芸人や置き屋という職種は今なら知らず当時は素人の手を出す商いではなかった。
それでなくても身を売る商いは、地方の困窮身売りとは言うが、口減らしで長男以外は郷から放逐されたように、多くは都会に出てきたことによる供給があったからだろう。

金貸しの証文でも小作人(男)や作物では担保にならず、まして返済財源もなく、働き手の子供を商人の手伝いとして年期を定め預けていた。いくら売られたといっても総てが春をひさいだわけではない。また連れていくほうも悪徳だけとは限らない。要は金が介在すると人身売買のように見えるが、西欧の奴隷売買とは大きく異なる。








当時は郷の名家でも行儀見習いで子息を預けていた。男は書生や丁稚、女は女中、多くは分別の付く社会人として成長して大人物になったものもいる。つまり、思春期を過ぎれば親子間の関係ではなじまない教育もある。だから社会の親代わり、烏帽子親といわれる仕組みがあった。

手元に置くことを固執すると往々にして人物観、あるいはその峻別意識が狂うことがある。得てして一過性の愛欲や地位や財力、学歴といった変化が激しい附属性価値で選別する夫婦関係はよく破綻するが、公位に就く立場の戸惑いは社会や国家まで価値錯交に陥れることがある

侠客はやくざと呼ばれ、人生行路の選択を可哀そうだというのは他人の言葉だ。似て非なるものだが、「これがしたくてやくざになった」というのが大半で、身を崩したとみるのは他人の言葉だ。彼らにとっては、男を売る、格好いい、と思う風潮もあった

いま、若い女性が学費や遊興、あるいは趣味のためにか、当時でいえば春を売る仕事に就いている。もちろん短期アルバイトか興味もあるが、彼女たちに身を落とすとか、崩したとは気分は毛頭ない。だだ、教育費が高くて仕送りが間に合わない、たまには人並みにオシャレをしてみたいという理由だが、ここでは供給には事欠かないくらい志望者がいる。
なかには探究心と好奇心でその世界を覗き見ることもあるようだ。老齢な紳士とコンビニで飲料を買い、腕を組んで足取り軽くホテルに入る盛り場の光景も不思議観もなくなった。

どうも日本だけではないようだ。
あの消費者金融の新法ができて過払金までもどるようになった我が国だが、数年前に北海道で韓国の被害者を援ける団体と交流会に参加した友人の話である。
韓国の貸金業の金利は49%,それでもあまりにも酷いので下げたが、以前は66%が法定上限金利だった。その借用書の特記には払えない場合は子女を担保とする項目があるという。どんな高学歴であろうが、あの名門梨花女子大であろうが担保は外さない。

有名芸能人の性的接待で自殺者も出る社会なのか、はたまた女子は蔑まれているのか、行く先は同じ結末をみる。たとえ同族に頼み込んでも66や49%では返済できるはずもなく、多くの被害者が出ている、と当時の状況をつたえ、なかには売春婦として海外に出て行く女性も多く、統計では世界的にも韓国女性の売春婦の割合はつねに高いレベルにあるという。


総生産の指数にはなじまないが、最近の調査では年二兆円余、GDP5%という記事もある。しかも海外に輸出、いや転出して稼ぐ女性は世界一だともいう。
日本でも在日一世のころは母と娘は台所、夫は居室で食事をとっていた。その一世も長男ではなく次男三男で、女性と同様に郷里では口減らしのために外地転出は普通だった。

我が国も苦しいときは都会の働き手として年期奉公もあったが、性を商いとする場所に入る率は高くはなかった。それは余程の事情などというものではなく、職種選択としてカフェの女給、酌婦、芸子が憧れでもあり、裏事情はともかく他人との比較価値に拘り易い女性にとっては外見の装いが大事だったようだ。運よく普通生活をする側からすれば、堕落と切り捨てられそうだが、嘲る側も近ごろでは好奇心ゆえか、淫靡な秘めた行動として不倫が盛んな時節柄である。

男とて江戸のころは都市建設の流れとして、武家屋敷と商家、長屋の職人の構成ではどうしても女性は少なく、お下がりが多かった。武家の腰元、商家の女中など、もしやのお手付きでも、「俺の女房は何々家のお下がりよ」「あの大店の旦那の妾よ」などと、嫁に巡り合った喜びで自慢吹聴していたくらいに、あっけらかんとしていた。

もちろん、性も謳歌していたのだろう色事の文化が流行り、地方では、゛夜ばい゛が公然と行われていた。夜ばいは男が忍び込むだけでなく、先ずは中年女性が手ほどきをすることもある伝承ごとでもある。たとえ子供ができて、父親が判明しなくても縁者や郷で育てたおおらかさと、働き手の必要性があった。

逆に処女性を厳しくする向きもあるが、男の童貞はその厳しさとは別のものだった。いわんや娼婦も心と身体は別物だ。それは現代女性の酒宴で語られる異性体験とは似て非なる職業婦人のせめてもの矜持なのだろう。








色事は、隠しごと、秘めごと、というが、色と食と金の欲望は揃わなくては意味がない。しかし色事だけは、その職種も蔑まれているのが現状だ。
いっそ、慰安婦と総称するのではなく、労賃を貰う売春婦、男と同じように国内でやんごとなき事情があり、喰えなくなって一旗揚げようと海外へ飛び出す男と同様に、売春技能を生職として認知したらどうだろうか。

韓国では売春婦が待遇改善で白昼に繁華街で大挙してデモをするようだが(マスクをかけて)、ことのほか近代化された肉体労働職種でもある。占領地の米国の調査では、行動は自由、恋愛も自由、所得は日本兵士の10倍もある女性もいた。なかには兵士と結婚する女性もいた、という

彼女たちは、みな身を落として、売られて、嫌な仕事なのだろうか。そうならば待遇改善より治安当局に自由の保全を訴えたらいいはずだ。別に正業といわれる仕事なら不満はあろうが探せばあるはず。なぜその仕事に留まっているのか尋ねることも必要だろう。

男であれば、やくざに尋ねることも必要だろう。いくら資金を遣い更生を援助するといっても、彼らなりの所属の自由があろう。あるいは法の庇護のもとに身を置かず無法の自由を謳歌する者もいるだろう。もちろん道徳に照らして、現行法に照らして誤っていれば堅気も稼業も区別はない。

法(矩)の下の平等だからだ。彼らなりの狭い範囲の掟や習慣、あえて言えば文化に棲むことが、形式的、外形的にもよくないのなら、それはあまりにも許容力のない四角四面の社会ではないだろうか。畢竟、それは堅気にも住みづらい世の中だ。

裏金のために領収書を書かされ、唯々諾々として生涯賃金安定のために辛い思いをする職業もある。あるいは人並みといわれ、借金ローンで家や車を買うことが普通とされ、人生選択の自由すら謳歌できなくなって借り物の幸せに戸惑う大衆もいる。
今は変質したが盗み、強姦、薬物は彼らにとっては禁忌で愚かと排除された。意地やメンツで法に触れれば刑罰を逃げ隠れせず受容した。

 いま、堅気や稼業を問わず流行っているのが覚せい剤だ。戦後間もなくは薬局でヒロポンを売っていたが、切れると水を打つ者もいた。荼毘にふせば骨はボロボロで採骨は箸ではなく小さなスコップでなければすくえなかった。当時は疲労回復か徹夜の勉学に重宝されたが、男女の性交にも用いた。眠くなく長続きする、中国のアヘン窟も桃源郷への誘いだった。

常習性は本人も縁者にとっても困ることだが、見つかれば刑務所だとなれば余計に秘匿せざるをえない。だから刑務所の出入りが忙しくなるものも出る。元々、世間の話も効かないためか、本人の更生意欲しか当てにはならない。小心と好奇心が常習性になったものには強制力が必要だが。世間にはそんな場所も人もいない。だから刑務所なのだろう。





津軽の秋


 侠稼業にも厳しい親分がいる。いまでも間違いを起せばゴルフクラブが折れるほど折檻するが、親分の元から離れることはない。もちろん覚せい剤は破門だが、この世界での破門は出入り禁止とどこも拾ってくれないため、彼らにとっては死活問題だ。
こんな稼業人もいる。子分が堅気になりたいという。理由は生活保護を受給するためだという。警察に脱会を届け、警察は所属組織に責任者である親分に脱会認証(印)をもらうが、この親分は印を押さないという。

親分が言うには「だいたい世間に迷惑をかけて、生活が苦しいからと堅気の人が汗水働いて納めた税金から、自分の生活が苦しいからとやくざを辞めて生活保護費をもらうなどという料簡(りょうけん、狭い考え)は許せない。それでも警察は印を押せというが、親の孝行をしたいとか、迷惑かけた世間に恩返ししたいなら赤飯を炊いて送り出してやるが、それでも押せという警察の了見がわからない」

親分は半端な気持ちが許せないという。せっかく縁があって来たからには、いい加減な気持ちで世間に出しては堅気衆に相済まない。所属する若い者にも示しがつかない。

こんな心配もしている。東北の刑務所に長期刑で入っている幹部のことだ。
「このご時世に出てきても七十過ぎで、一人前の動きはできないだろう。かといって組織に戻っても彼自身にも無理が出る。堅気になる気があるなら、いろいろ考えてやりたい。あとは、当局がどう見るかだ」

この親分は「おれたちヤクザは・・・」という。
筆者は、言霊(ことだま)は、切なさや、やるせなさ、からは生まれないと応え、
せめて「おれたち任侠は・・・」と語るように勧めている。

誰でも不幸で貧乏に産まれたくはない。ましてヤクザや売春婦になろうと生れついたものはいない。縁は親や友人や環境が運んでくる。屁理屈だが世間に認知されるには税金を払うことだが、彼らは罰金か拘留刑罰だ。

以前、税務大学の洒脱な校長は高学歴税吏の卵に、「泥棒と売春婦から税をとるには、また必要経費」と、設問した。
「売春婦はコンドームと布団に枕、宣伝はチラシがある」
「泥棒は脅し凶器の刃物、黒装束、逃走用車、電話がある」
税金のうずもれた徴収について設問されると世間知らずの官吏は頭をひねった。
校長は「税金は取れない。刑法犯なので罰金収納が適当」

それでも法の埒外に身を置く彼らや彼女にも倣うことはある。
それは、その位置から見える社会だ。
それは差別感や疎外感ではない、ねたみや嫉妬ではない。
存在を自覚する、つまり己を知ることの好位置にいる、ときに独悦だ。

時代環境で収益の増減はあるが、その位置にとどまる堅気から見た不思議感は、ときに、興味や好奇さえ覚えるのも筆者だけではないはずだ。

それは、己は何者かを明確に教えられることもあるからだろう

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後藤に見る人物と器量 〈観人則〉

2025-03-08 02:25:37 | Weblog

後藤新平  児玉源太郎
 
寶田時雄 著 「天下為公」より


◆ユング教師の伝えたアメリカとリンゴ  

津軽を懐かしむ佐藤の言葉は"人間至る所、青山あり"といった地球上のどこにわが身を置いても時流に迎合せず自らを見失わず、しかも衆を頼まぬ「孤高の憂国」といったものを感じさせるものだ。
「ユングという教師がいた。ユングが語学授業の合間に語る米国の思想や民情は、生徒の感動を呼び起こし、ときに忠孝の話になると、一同、感涙し戦慄といった状態がしばしばあった。
 

 山田と孫文



☆りんごの原木

来日のときに大切にもってきた米国リンゴの苗木は、その後の津軽の殖産事業として立派に役立っている。その原木はわが家の前にある。余談だがそのリンゴの育成方法を教えてくれと長野から来たが、なかには小心者がいて『せっかく儲けられるものを教えられない]』と追い返してしまった。
 それを聞いた弘前の樹木というところに住んでいた外崎政義が烈火のごとく怒り、時には偏狭な津軽根性を戒めたのだ。リンゴで興き、リンゴで滅ぶ津軽魂だよ」
 
 郷里 津軽を慈しみ、ときとして津軽人を憂うる佐藤は、つねに弘前は日本の一部分、日本はアジアの一部分、アジアの安定は世界の平和だと語った。4人兄弟のうち2人は米国へ、良政と純三郎は孫文の革命に挺身している環境の中で、自分という"自らの社会の中の分(ぶん)"を自身の行動で探し、次の世へ遺す啓言でもある。

「そのユング先生が来日するので江戸(東京)へ迎えに行くことになった。当時、海路もあったが、奥さんが船酔いに弱いというので東北道を使うことになった。江戸まで25日余り。弘前を発って今の岩手県の水沢を過ぎたころ、一人の少年が九郎伯父さんに添って歩くようになった。事情を聞いてみると、学問のために須賀川まで行くという。道すがら学問の話、世界情勢、日本の進むべき道、そのためにどんな学問をしてどんな人間になるか、といった話だったが、歳は違えど"切れのよい呼応"での問答があった。その少年が後藤新平だ」
 

◆後藤新平に採用された純三郎


 その後藤には純三郎も縁がある。大陸へ行って満鉄に入りたいと考えた折り、伯父九郎にその事情をはなして後藤に縁をつないでもらおうと思い面会にいったことについて後藤という人間についてこう言っている。


「後藤という人物は誰々の紹介などというとなおさら採用などしない。それより目的と意志

と完遂する勇気を見せることだ」
 
純三郎が面接に行くと九郎伯父さんが言った通りの人物だった。寡黙な良政とは異なり、応答辞令の長けた純三郎が面接採用後に伯父との関係を伝えると、後藤は生涯、師と仰いだ菊地九郎との回顧を懐かしみ、その甥純三郎との縁の感激に浸っていた。

 良政の後をうけ革命に挺身する純三郎は、自身の身分である満州鉄道株式会社の社員として業務履行の妨げになると上司に上申したところ


「満鉄の社員は何人いる。その中に満鉄のために働く者も大勢いる。国のために働く者もい

るだろう。しかし、日支善隣友好のため、ひいてはアジアの安定のため行動しているのは何

人いる。満鉄のことなど気にすることなく一生懸命やりなさい」

 純三郎はそのあと、給料が増額されたのに驚いた。後藤の器量が委ねた大きな希望の意味に背筋が凍りつくような感動を覚えたことは言うまでもない。孫文が日本人を語るとき、つねにその後藤を懐かしみ、後藤に真の日本人の姿を認めた心情が山田の口から語られる。

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あの頃も、いまも屈原にも成れなかったー

2025-03-05 02:30:28 | Weblog



《ドジョウは目が泳ぎ、溝(ドブ)に潜るのか》

ことさら目くじらを立てることではないが・・・・

以前、日中友好交渉の訪中の際、周総理から論語の一章を田中総理が貰ってきたことがある。その内容について当ブログで紹介したが、揮毫されていた文は「言必信 行必果」で、まさに実行力を謳われた田中総理に適した内容だった。

内包されている意味は『守って実行しなさいよ』という事だ。
問題は、そのあとに続く章だ。「硜々然として小人なるかな」(小石のような小者)という章が前の色紙の語と一つになって意味となる。孔子に弟子が質問した逸話である。

弟子が問う
「言うことが信用できて、行うことに必ず結果が出る、このような人物は?」

孔子が応えて
「それでも一等な人物ではない。せいぜい小石の様な小者だ」

「ならば、どのような人物が・」


「君主の命を受けて他国に遣わされ、主に辱めを受けないような人物、つまり義のある人物だ」今どきの主(ヌシ)とは日本および日本人だ。


まさに外交交渉の前提となる人物の教養だが、世俗でさえ締まりのない面妖、だらしない装い、怠惰に映る動体は、戦時の最高指揮官としても憐れさは拭えない。それは応答辞令にも現れる。国会で官僚の福話術や二人羽織の無い世界での応答機略だが、世俗では縦横無尽、臨機応変する感性(センス)、逆は野暮だ。

昭和の女傑が嘆いたことがある。「外遊送迎で女房と手を繋いでタラップを昇り降りまで西洋かぶれすることは似合わない、かえってみっともない。女房はあらかじめ搭乗するか、一段でも後に並んだほうが絵になるのに、いつ頃からだろうね・・」


周恩来総理の色紙の件だが、その後の国会では、公明党のある議員が宮沢総理にその色紙を譬えに質問した。
「あの周総理の色紙に書かれているような立派な・・・」と周恩来のような宰相を見倣ったらとの皮肉であった。宮沢氏は掛け軸の漢詩をスラスラ読解する教養人である。

筆者は早速質問者の議員に連絡、「議事録は残るだろうが、認識の是正なくして議員は務まらない」と勉学を促した。ついでの逸話だが、その党の委員長が訪中した際、歴史上多くの惨劇のあった万里の長城で、よりによって万歳を唱えたことがある。見識や感性の問題ではない、その威容に感嘆するもよし、戦火を交えた歴史が残置された場所なら鎮魂黙祷もあろう。その条約締結前の露払いの訪中なら尚更のこと、国家のお遣いとしては寂しい姿だった。

 

 

 

もっとも話題にもならなかった重大なことがある
調印の前に毛主席に接見している。(交渉の相手は両国の総理、首相、主席は元首、日本は天皇がカウンターパートとなる)「喧嘩は終わりましたか・・・」と毛は切り出した。

そのとき有り難く頂戴したのは、毛沢東が熟慮して選んだ歴史書「楚辞」である。
このなかに端午の節句でなじみ深い屈原の逸話がある。世をはかなんで汨羅(ベキラ)の淵に入水自殺した屈原だが、民衆は魚に食われてはいけないと粽(チマキ)を作って池に投げ入れた。それが端午の節句のチマキである。

なぜ屈原は世をはかなんだのか
春秋戦国の末期、大国となった楚は繁栄した。

しかしその繁栄は堕落と怠惰に陥った。とくに官吏の奢り、貴族の贅沢は極まり、世の中は財貨にまみれた。それを戒めたのが屈原である。

毛は資本主義の行きつくところ、あるいは金権政治の終末を「楚辞」を贈ることで戒めている。あるいは逆らうと屈原のようになると、暗に恫喝したともとれる。

しかし、周の色紙も、毛の楚辞も、ある意味では外交上の戯れであり、面子潰しのようなもので、粋な教養人なら絶妙な応答が利いた場面だ。


屈原に戻るが・・
もはや食い扶持の身分となった官吏、そして困窮し世をはかなんで自殺する民は毎年三万人。いや白書ではそうだが、変死、不審死、として認定されるなかで、行き倒れ、衰弱死、身元不明はその数倍となる。
つまり十年間で百万人はいるはず。ちなみに都内近郊でも毎日のように人身事故で複数の交通機関が止まる。なかには事故死として認定される犠牲者もいるだろう。それでも三万人・?  酷いのは、殺人被害者だ。相当な数に上るだろう。

これを以てしても、人は嘆き、儚くなるのは当然だ。
楚の統治でもこのようなことはなかった。
しかも、文明国、GDP第三位、最も治安のよい国、と自称している国である。

「田園まさに荒れなんとす・・」と帰去来の辞にある。
しかし、日本人は帰るところがない。外にも出られないような軟弱になった。
だだ、衰弱の末路なのか共食いが始まっている。

あの時もそうだった。
汨羅の淵は波騒いでいる。

屈原は人に押されたのではない。自身で入水した。

 



石破君 君は権門に棲み付く身分ではない。あくまで民の救い主でなければならない。

佐藤栄作氏は事あるごとに陛下に拝謁した。そして国を知り民に悟った。

陛下は悦んで民の代表者たる君の清言を迎えるはずだ。

そして真の勇気を涵養することと、国家の将来を独り鎮考することを課せられる


それが宰相というものだ

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麻生氏はあの時「さもしい」と賢察した。いまは騒がしく、かつ卑しくなっている  10 6/19 再

2025-03-04 00:58:35 | Weblog




以前、大相撲は清規(成文法)に馴染まないと書いた。
つまり、おなじ社会の、同次元のことだが、ここでは狭い特殊社会の特別な人たちの同様には扱われない考え方と行いだと考えるのである。

法人として優遇を受け公器としての役割が必要とはいうが、人が違えば公器等は看板の類であり、大義を謳うメディアにとっては何でも言い募る絶好なターゲットでもある。

人の棲みわけられた世で、これが無くなれば清河百年を待つ、つまり元通りになるには百年三代かかるというものがある。

仕草では「食三代」があるが、各々の家庭の味覚もあるが、食べ方、ここでは喰い方もある。これは作法だが民族が異なれば違うというような屁理屈ではなく、ことに色、食、財に関することは我国の人の所作に基づく問題でもある。

昨今の就職活動(就活)や婚活の重要な部分を占めるであろう共通の行動範囲における、゛なじまない゛ところでもある。
昔の職人は早起き、早飯、早糞が先達から教えられた。修行僧は音を立てずにタクワンを食べた。江戸では豪快に音を立てて蕎麦を啜った。それらは棲み分けられた職域、生活圏においては、゛しきたり゛゛格好゛として、あるいは掟として狭い範囲の調和を保っていた。

いや、「分」の明確化ともいえることだった。そしてそれらの個別の域には口を挟まなかった。

それが近頃では税制優遇や体裁ステータスなのか財団とか社団なども法に括られ、誰でもタックスペイヤー(納税者)の権利とばかり、さまざまな切り口で苦言を挟むようになった。







神奈川県野島 伊藤博文別邸 明治憲法がつくられた




掲げられる前提は「法治国家」という代物ではあるが、その法を扱い時には走狗に入るのも法関係者の常である。それらが全て法に触れるということで刑罰に随ったら社会は成り立たない。わずらわしい問題ではあるが他を論じ、ホドを超えると必然的に行き詰るのもこの手の問題である。

この民族らしいものとして和芸がある。昨今は和風カルチャーとして誰にでも参加できる「道」を謳ったものなどは奥義の伝承と称して必ず「料」と、゛お気持ち゛が添えられる。

隣国中国すら笑えない話だが、賄賂を贈ることを「人情を贈る」という。
西欧にはチップがあり、我国には、゛お手間゛゛心付け゛゛小遣い゛゛お気持ち゛がある。




               

     日露戦争出征 あの時は護るべきものが国家だった




翻って公機関にはどのようなものが有るかといえば、検察庁には調査活動費(調活費)というキャリアの裏金で辞任した高官もいた。警察庁はズバリ裏金がある。しかも部下に偽領収をつくらせるパワハラもまかり通るが、生涯賃金の保全のために正義も公徳心も捨て去る、つまり狡務員、公無員が多く存在する。そこには協力すれば仲間、協力しなければ敵の峻別が暗黙として存在する。

看板は架け替えたが財務省のノーパンしゃぶしゃぶは総じて東大をはじめとするキャリアが金貸しである銀行や、体裁のいい博打場証券会社におねだりした遊戯である。
これはまずいと思ったか金融庁を分離したが元の木阿弥状態である。

労働貴族といわれた組合幹部も国労は衣換え、教職員は組合費で遊興に走る。
表に表れるだけでも、゛さもしい゛゛卑しい゛姿は、福利、教育にそぐわない群れであることがわかる。





                 

       このときは負けた   対中降伏文書署名




これらは法治国家の棲み分けられた部分の掟や習慣によって支えられているものだが、その法務官吏もそれに当たることがある。

法務省本庁のある部屋は労働組合の看板が大書されているが、出先機関の誠実な所長の言葉にその苦渋が述べられていた。
「以前、待遇改善といえば職務対象とする少年なり退所者に関する職員の労働環境などが大義として交渉に謳われた。またそのようにして改善すると次の要求が出てくる。
そのころから外部の篤志家や対象者が出入りする庁舎の廊下に組合のポスターが貼られるようになった。
そして要求はすすみ、自分達の待遇、つまり優遇が言われるようになった。そこには代表者が居り要求はエスカレートして、内部でも組合に参加しない職員の電話にも出ないくらい先鋭的になった。その電話は少年や退所者からも掛けられてくる電話である。
はたして公務員としての要求の分別はなんだろうか。当惑した」

裁判所でも公判期間中に担当裁判官が突然変わった。何故、代わったのか。
丁度、公証人役場の空きができたからだという。
キャリアは用心棒弁護士もあるが下級審(下級といまでもいう)の裁判官は世情に疎いこともさることながら、なかなか天下りも無いため、空きが出たら直ぐ行かなければ食い扶持保全できないことらしい。






                

            塾では鎮まりがあったが・・・






以上、このようにあげつらえば世の中は名目上の法治である。また法は知っている人間と使える人間の天下のような世の中である。
よく子供の頃に「法の傍をウロウロする奴はろくでもない人間だ」と古老に呟かれた。
いまでも生きている庶民の銘だ。

上げ列ねたような公器に生息する群れは悪党にもならない「愚か者」の群れであり、その群れにいそいそと安定職として送り出す母親も愚か者だろう。

世は悪党によって衰え、愚か者によって滅ぶ

では、なぜ愚か者が増殖したのか。

冒頭に記した清規(成文法)ではなく、陋規にいう「掟」「習慣(慣習)」の欠如である。

陋規は厳しくもあり、たおやかで優しくもある。それは公器はもとより、人間の自制のなり自省の問題であり、これを融解させるのは恣意的に利用される自由と民主につらなる啓蒙的思考に飾られた平等と人権など、知ってはいても深い意味を伴わない思索や観照の崩壊が大きな要因をなしている。

翻って、悪いと思っても必ず意が向く行為のなかに遊びがある。
博打、買春、昔は、゛いたずら゛だった。胴元も楼主も弁えていた。
借用書には今どきの担保などない。そもそもいたずらな遊びには馴染まない。
ただ゛「返せないときは満座の前でお笑いください」とあった。
恥をかきたくないものは借りなければ、゛いたずら゛もしなかった。

ある侠客だか、「なぜその稼業に・・」と問うたところ
「オンナと酒と博打が駄目ならこんな稼業に入らない」

その意味では公器に蠢く群れも何ら変わりが無い。

゛国民の生命財産をまもり・・゛と街中を大声を出して徘徊する候補者が稼業への就職活動にもみえるのも、そのせいだろうか。

博打の目を読めない政治家の運と風頼みは、東西外来の胴元にかすりとられるのは当然なこと。

それゆえ、その道を極めるのは「極道」と称するのもうなずける。





              
 
               双葉山    関係サイトより





あの大相撲にも極道がいなくなって久しい。
名横綱双葉山は連勝をストップされたとき「吾、木鶏に至らず」と旅行中の安岡氏に打電している。

それは如何に静と動を交差に鎮まりのある落ち着きが必要であるかを示している。
晋作は「動くこと雷電の如し」と詠んだ。双葉山は木彫りの鶏の動ぜず沈着さを悟った。

騒ぐな、競うな、怯むな、落ち着け、
明治の小学は「尋常」と冠し、平常心を躾として肉体化した。全てそこから始まった。

相撲も選挙もそのように眺め、人の所作を学び、省く鏡とすべき、いまはその良機だ。

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まちづくりに外国人の発想をという初夢  

2025-03-02 05:55:48 | Weblog

桂林の子供たち


弟子(役人)が孔子に尋ねています 

新たな「まち造り」の根本的要諦は・・? 

「外の人、来たる。内の人,説こぶ(よろこぶ)」

 

2008年の伴氏の章ですが、今と変わりませんね

萬晩報主宰 伴 武澄 (共同通信経済部,現高知市議)



昨年来考えていることは、日本の物価水準が世界的に安くなっているのではないかということでした。

日本経済新聞の新年企画は「YEN」から始まりました。 アジアの人たちが日本で買い物天国を楽しむさ風景はまさに20年前の金満ニッポン人が欧米で繰り返したビヘイビアでした。

日本の物価が高い、人件費が高いといっていた時代はとうの昔に終わっていたのです。47ニュースの編集で頻繁に目にする地方紙の記事はアジアからの観光客誘致です。正月にも山形新聞は蔵王での韓国からのスキー客誘致の話題がトップでした。

日本の半分以上の地方空港には韓国の大韓航空やアシアナ航空の機体が並んでいます。

不思議なのはそこにJALやANAのマークが少ないことです。

国境を海で閉ざされた国民の習性でしょうか、日本の国際化は日本人が外国に出向くことでしかありませんでした。日本に外国を招くことは日本人の国際化には ほとんどなかったのです。いまやアジアの国々から100万人単位の観光客がやってきています。それも年々二けたペースで増え続けています。

     台湾緋桜

 

 

 中国人などは昨年3000万人もの海外渡航者がいたという話です。すでに日本の海外渡航者を上回っています。たぶん世界有数の人数だと思います。その中国人を日本に迎えないで、何が観光立国なのか。そう考えざるを得ないのです。

 年頭に買い物をしたヨドバシカメラでは、中国語、韓国語だけでなく、ドイツ語、フランス語、スペイン語などでも店内放送をしていました。20年近く前、新宿の百貨店で韓国語や中国語放送を始めるというニュースを取材したことがあります。隔世の感があります。

 姉が勤務する高知県のある大学では大学院生の3分の2が外国人でその半分が中国人だということです。その大学では中国人学生なしではもはや経営が成り立たないのです。姉の仕事は中国を始めアジアの大学との提携関係を強化して学生を高知に"誘致"することなのです。

 秋に何回か訪れた群馬県大泉町では日系ブラジル人によるマイホームブームが始まっていました。日系ブラジル人たちは出稼ぎから定住に切り替えつつあるので す。この町では住民の一割以上が外国人、つまり日系ブラジル人になっています。イギリスやドイツ、フランスなどと同じ水準になっているということです。役 場で聞いた話では「少し前まではゴミの捨て方などを指導していたが、今では自治会活動などに積極的に参加している」ということなのです。

 一時期、オランダ村、ドイツ村、デンマーク村などテーマパークが各地で生まれました。異国情緒を国内に持ち込んで国内の観光客を誘致しようと考えたのです が、多くが失敗に終わっています。逆に本当に外国人たちが日本の各地に住み込むようになる。そんなことは考えられないのか。町づくりに外国人の発想を導入 すればおもしろいことになるかもしれない。そんな初夢を描いています。

室蘭で中華街をつくる構想が浮上しています。実はある中国企業が熱心にそのプロジェクトを推進しているのです。

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人間考学  民主主義の周縁   14 9/15 再

2025-02-28 01:07:53 | Weblog

青森県弘前市 子供議会(中学生)


猫も杓子も「世の中は民主主義だから・・」とうそぶく。
それを有効成さしめるのは議会制民主主義の要員を選ぶ選挙だという。
近ごろは国民も選挙にはお付き合い程度の感覚しかなくなっている。

それに連れて議院内閣制である行政府と立法を専らとする議員の関係が混在し、その整理なのか,専制への導きなのか、内閣官房の力が増大している。
つまり、官吏の集合体と化し、形式的になった政府の発する規制、扶養、が、これまた委任事務を扱う出先の自治体の作業を通じて、政府と国民の関係が密になり、その選挙を通じて選ばれた議員の権能が、とみに衰えているようになった。

それは連帯を希薄にして個別化の進んだ国民個々と内閣が直結して,慣らされた群行選挙によって選任した中間監視組織でもある議会の衰退でもある。

むかしは陸軍、いまは官僚と揶揄されるような現在の実態政府の形態は、゛選挙は民主の根幹 ゛と、ときに無知蒙昧にも言葉だけの人権、平等、民主、自由を大言する大衆をいまだに混迷の囲いに閉じ込めている。

もとより、専制によって人々を収斂(恣意的に集合)するには、美辞麗句がある。選挙で謳うあの大義であり名分である。住みやすい、安心、豊かさ、行政官吏も利便と効率で追従する。現実に手玉に取られポチになった食い扶持議員は、無責任な官吏の失態や細々としたミスや恣意的作為などの議会の質問追求に、まるで隠し屏風にようになって行政官吏の擁護に窮している。まるで寄席の福話術か二人羽織のように巧みな演技をする。 答弁の脚本だけではなく、質問まで役人任せだ。

めでたく政府側に位置すると言語障害、思考狭窄になったかのように、選挙の票の騙取につかった大義は消えうせる。とくに行政改革、無駄のない政治、などは無かったかのような態度だ。これも内閣を司り官吏の住処である省庁の代弁者となった官房の管理と監視である。


つまり内閣官房と国民の直結関係であり、民主平等を掲げ遊惰に生活を営む国民との変質した民主の姿であろう。どうだろうか、この直結した関係は専制を通り越して独裁主義になりつつある前兆ではないだろうか。
上からの下ろす道はあっても、間接要員(議員)を通じた下からの道は理屈形式では整っているようで道はことのほか狭い。

とくにその風潮は、小泉氏が国民に直接唱えた郵政選挙のワンフレーズに、嬉々として投票所に足を運んだ国民大衆の群行と、その群集心理を効果的に利用した為政者の狡知なのではないだろうか。よく陣笠いわれる議員だが、国民の選任するのは腹話術のように大義を連呼し、闇雲に突撃する陣笠の就職運動にも観えなくもない。

つまり、これが民主主義のシステムに組み込まれた伝統的な間接選挙の要員の姿なのだ。これが、いまは用を成していないのだ。


瓦版屋(マスコミ)も政治記者の総理との会食が頻繁に催されている。
総じて為政者のポチに成り下がり、なかには博打場の開設や世界運動会の便宜を請う瓦版屋もいる。ここでも第四権力の有効性を衰亡させている。





いくら平等主義でもこの関係は無くてはならない相互関係だ


独裁者は思い込みと過度の恐怖心が逆な効用を誘引する。
かといって、独裁者自身も過去の歴史が示すように機関の構成員であり、一員でしかない。
民主の前提は人間の尊厳を継続することにある。尊厳とは真の自由の発見と自他の厳存を認め合う連帯を己の任務とすることから始まるが、その秤の均衡はいかに熱狂と偏見による欲望をコントロールができるかどうか、それが民主の成立前提である。

その個々の民が思索と観照を衰えさせ、種の継続要因である神と精霊の思想を無用なものとして、財貨の欲望に突き進み、善なる欲望すら退化させて他と競い争う姿は、より前記した政府との直接関係をより依頼性の強いものとして、政府は平等観念を無謬性にまで高め、より人々の制御膜を希薄にさせて刺激過敏な条件反射に応ずる享楽なり遊惰を注入している。

人々は高邁な政治には無関心となり、ひたすら群行群止を繰り返して、しまいに疲弊する。
享楽は無駄と簡易利便であり、遊惰は清規(成文法)に拘泥して易きに流れる国の方向だ。


民主は人心が微かになり、政治が易きに流れると自ずと全体主義独裁に陥る。選良の有効性を無くし中間的制御がなくなると政府と国民の直接関係が深くなり、我が国の場合は特に内閣官房を支える姿なき官吏の自浄なり改正がない限り、容易に独裁に進む傾向がある。
軍、軍官吏の暴走も議会の形骸化にあった。

他国だが、韓国の経済は財閥主導で中小企業は弱小だ。中国は官製公司が幅を利かせ、民は国家への帰属もなく財貨の欲望に邁進している。だだ、濁水に生きることを習性としている民族は滅びることもなく、他の清水に交じっても躍動はさらに増している。
韓国は財閥でさえ国際金融資本のコントロール下におかれて逼塞している。

彼らには伝統的に中間的緩衝が乏しい。民族の性癖なのだろう中央政府の直接関係、つまり専制に慣れた人々である。だから解放したりすると混乱する。ゆえに民主の価値観や欲望はなく一党独裁でなければ収斂しないのだ。
国家より天と地の間に棲むという天下思想のもと、守ってくれなくても邪魔さえしなければと考える為政者との関係がある。


ここではどのような主義が全世界の異なる文化を持った人々に普遍性を持つものだとは限定しない。宗教や独特な規範、独裁、自由、民主、社会、共和、いろいろ呼称はあるがそれが混沌を維持する妙なのだからだ。

だだ我が国をみれば、民情と制度、生業、つまり業となっている教師、官吏、宗教家の歴史的変遷をみると、政治家、官吏の突き詰めた選択肢が標準や管理を、普遍性、無謬性に置き換えられたとき、国民との中央政府の関係において独裁的方向に進みやすい前提があることに気が付かなくてはならない。

それは大権を持った当時の天皇でさえ煩悶した状況であり、いつの間にか、どうして、との疑問が熱狂した群行に遮られた、つまり大人しく、涵養で、連帯心と調和する習性なり掟を涵養した民族でもそうなった不思議さでもある。

そうなると頭を当てるか、冷水を掛けられなければ分からなかった民族である。なかには敵の力を利用してその暗雲の根である陸軍に鉄槌を下してもらおうとする企図もあったのだろう。しかし、ことは国賊的企図である。
歴史は隠蔽されるべきことも存在する証左だ。






他民族の混在は強制的収斂、統一的専制しかない  国家の弱体は他国の侵入を招く



一方は同志友愛と金融による統治だ



最近は前記した小泉選挙だ。田中真紀子議員の漫談アジ演説、小泉の政策ならぬ米国からの年次要望書にある郵便業務の透明化と解放を「開放」と「改革」にしたワンフレーズ「良いか、悪いか」がある。

慎重もしくは反対する候補者をうむも云わせず国民の熱狂と偏見を煽り抹殺する。この手法こそ独善的手法なのだ。また、それが可能になった民情なのだ。
多くの国民は喝采し、中間的緩衝層である国会の議員諸氏まで黙らせた。食い扶持安定職の就職担保なのだ。ここにも独裁の要因土壌がある



我が国は独裁が容易なのだという証左だ。また、遊惰、放埓、平等に飼い慣らされた国民を扇動し、勤勉、正直、礼儀、忍耐が国民の徳性だった頃の実直精勤した官吏や疑似権力者である、宗教家、知識人、教育者、経済人を覚醒するには、ときに善なる独裁の誘引を願う国民の心に残置されている。

もちろん第四権力や他国の、似て非なる思想主義を借用する政党は反対するだろうが、陛下の被災地巡察慰問に感動する国民の存在するうちに、一時の善なる権力行使も多くの国民の歓迎することでもあろう。

つまるところ、為政者の信頼にかかっている。多くの独裁者は国民から熱狂で迎えられた。
畏敬とか偉大は文章上の装飾文字だ。国民は簡便な善悪の区別と憧れが人を歓迎する。ときに連帯からの疎外や排除の恐怖もあるが、自由と裏腹の孤独感は新たな収斂と帰属意識を生ずる。

本来は宗教家や瓦版屋が助力するものだが、効を成さない現在は中央政府の扶養にすがるしかない。ただ、欲望の際限が亡くなった大衆は、その裏腹に苦しみの共有には従順とする習性もある。とくに迎合心と好奇心が豊富な国民性は多くの為政者にその妙手を提供してきた









上記は、独裁は近いし、人々はすぐ慣らされると考える。
誰が言い始めたのか、独裁は悪で民主主義は善だと。
大衆が選んだ総理は震災地では罵倒されたが、陛下が膝を折れば感涙する。総理が企業から五億円を受領し、瓦版屋と談合しようが、議員や官吏が放埓になって国政は荒れても、騒ぐのは第四権力と揶揄されるマスコミの売文の輩や言論貴族だが、直ぐに一過性の好奇となる。とこかで、安逸な生活を自覚しているか、国がなくなることなど心配していない。


あの時は王政復古だった。権力が糜爛して有効性を無くした時、倒したのは利害得失に敏感な無頼の武士だが、だから西郷は「こんな国にするつもりはなかった」と嘆いたが、復古した威の存在の変わらぬ座標に望みを懸けた。

考えは西洋の直線的滅亡のハルマゲドンではなく、東洋はスパイラルに時空を循環する輪廻感覚が政治観にあった。西郷のみならず無学な民衆とて当然の如く熟知している。
「もうそろそろ終わりだ」「このままで済むはずはない」「そんなものだ」渦中に飛び込むオッチョコチョイもいるか、世の中はそのように移っていくことを言葉に出さなくても知っている。


そんなつもりの諦観じみた考察だが、いつの間にかそのような政体になることは分る。
論拠や論証、合理的説明や体系化した組立と数値選別の徒は騒ぐが、そんな庶民の直観が堆積している下座の観察は、深層の国力として君たちの立つ処を支えていることも忘れないでほしいものだ。


数多の主義も人心が微かになり、堕落、弛緩したら別の統治方法を選択するものだ
だだ、旧来の既得権、つまり欲得の放棄がなければ消滅を待つしかない


「亡国は、亡国の後にその亡国を知る」
たしかに歴史は鑑のようなものだ。

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