まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

人々は分断され、一極で管理される世界 2013 06 再

2024-11-09 02:00:47 | Weblog

 

それは、見惚れ、憧れ、競争している間に起きていることだ。


年齢を重ねて気がつくことがある。それは人々の関係が希薄になり、その都度離合集散を繰り返す、つまり融通無碍な関係になっていることだ。

近頃は物を所有するということが一昔前からの価値観とは変化して、リース、ローン、リサイクル、など見方によっては便利性が備わった消費経済との考え方があるが、払い終わるまでは所有権は使用者ではなく、あるいは飽きれば残債ごと利用者は移転し、債務が終わればリサイクルに転用し幾許かの小遣いが残る。

ともあれ消費は増え、生産は伸び、金利は稼げる。オリンピックはレガシイー(遺産)だと騒いでいるが、アレも同じパターンだが、地球のどさ回り興行が終われば、あとは片ずけが遺るだけだ。

ここでは、゛思いのこもった゛゛愛着のある゛固有の品物の継続性というものが無くなっている。欧州では厳しい規範のあるペット飼育も日本では、゛持ち物゛として飽きれば廃棄(ペットは物という認識)などはその典型的なもので、昨今は人の関係も、゛易しさ゛と利便性にその選択が行なわれるようになってきた。

考えてみると「腐れ縁」も考えようのあるモノで、たとえ「腐れ」でも縁の継続があるだけマシのようにみえてくる。

そこには様々な種類の「利」が含まれているが,古諺を例にすれば「小人、利に集い、利薄ければ散ず」つまり、人々はその評価を「利」によって行い、それによって離合集散する、ということである。小人がそうなら大人(タイジン)はどうかといえば、浮俗の「利」には拘らない人たちだろう。

たとえば、徒な褒章をねだらない、食い扶持目当ての学校歴に陥らない、やたら衆を恃んで群れをつくらない、流行ごとを追わない、つまり鎮まりのある落着きを醸し出すのを大人というのだろう。

小人の常は離合集散である。そして学ぶことも全て「利」にすすむ。「小人の学、利にすすむ」。そして「情(こころ)」を忘れ人を信用しなくなる。次に来るのは心地よい易しさ(優しさでは無い)に向かい、財貨のみの「利」に安住する。

それらは人の世の変遷の姿であり循環だった、そこまでは自浄も効くだろうし推考できる。またアカデミックにも整理のつく問題でもあり、数多の経典、文献古典によって理解できることでもあろう。特に欲によって陥る人の問題として・・



              



縷々記した、゛易しさ゛゛縁゛゛利゛などは、その作用によって人が変化、あるいは転化することは考えられる範囲の、あるいは眼に見える範囲の観察で解るものだが、「いつの間にか」となると余程のこと心耳を澄まして見なければ解りにくいものだ。安岡正篤氏は「国家は複雑な要因よって構成されている。その中でも精霊の存在もある・・・」と説いた。

「いつの間にか」という不思議感の混じった問には、゛心耳を澄ます゛つまりアカデミックな理解で可能な、゛易しさ゛とは異なる、感応する心、ここでは直感性が必要になってくる。

こう記すと「難しい」「無意味」との問が生ずる昨今ではあるが、それでは標題に書いた【人々は分断され、一極で管理される世界】については無感覚に過ごしてしまうだろう。

たとえば、銀行の横暴、役人の不作為、政治家の自堕落、温暖化、世情騒がれている問題に、争い、貧困、などの原因があると、ついつい、゛易しく゛考えて半知半解ならず半納得として自らに言い聞かせているようだが、直感の世界からすればそれらの考察は表層の吹き出物のようなもので、むしろ体質変化からくる生活習慣病的観点、つまり社会の本質部分の免疫不全状態に確実に向かっていることが解る。





                      



その本質とは数多の生存環境に有る固有の情緒をもった人々の調和と連帯である。
それが溶けて解体しているのである。

テクノロージーの発展はPCを介して多様な意志を収集し整理管理化に向かっている。そのシステムは一極に収斂され、互いに分からなくなった人々の集団化(群れ化)をよそに、かつ同時に謳われた「個性の発揮」「個人情報の保護」「コンプライアンスの遵守」を秘匿管理のプロパガンダの手法として耳障りよく「易い」人々を誘導管理している。

自由、民主、平和のために戦争は起き、その民主と自由を用いて放埓した民族に転化し、自由の裏面にある孤独感を解消する為に架空擬似的交遊の世界を描き、情緒を無意味とした人々は財貨に志向する。また終には管理システム統合と称して通貨は共通通貨もしくは防犯セキュリティーの利便さを謳って共通電子マネーに移行する。

ETCカードが無ければサービスも受けられず、PCが無ければ時の速度を共有できない、ここでは行動の管理と時とスピードの共通化であり管理であろう。
現金支払い、回覧板、手書きの書簡、野暮や古臭いといわれるだろうが、それも何れ歴史の彼方に追いやられるだろう。

金融危機からセキュリティーや利便性を添えて新たなシステムが生まれる。物知りはパラダイムシフトと唱える。そこには小さな極面での利が添え物のように付与されるだろうが、従前固有の国家は疲弊し、これも統合管理の憂き目に向かうだろう。


                 




米国大統領は就任式に「アメリカ国民」てはなく「市民」と謳った。そして人々は酔い喝采した。
その一瞬ではあるが、世界に向けた誓詞に含まれた意図は、歴史のステージを転化する本質的危機の表れの一端と直感したのだが如何だろうか。

まさに、分断と管理の、いつの間にか・・・  にある一種の心地よい誘引フレーズでもあろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吾 平民なり

2024-11-06 02:00:07 | Weblog

 

吾 平民なり

 

明治の大日本帝国憲法では天皇を内閣が輔弼(助言、沿う行為)すると明記されている。

戦後の憲法では天皇は国政に関する権限や統治権もなくなり、象徴としての位置にある。

その象徴もオブジェのようなものではなく、国事行為である認証(裁可ではなく)は、内閣、条約、法制について多くの認証御璽を自らの御名によって行っている。

つまり天皇は権力を所持しない、国政に関与しないという制約下での象徴としてのご公務を執っている。その意味では英国女王も象徴ではあるが、形式的には元首・君主としての言葉や行為を国民に現示しているのと同様だ。

 

国民からすれば日英の立憲君主は似て非なるものと考える向きもあるが、建国から歴史的経過をたどると「依って立つもの」の異なりと、多文化との干渉なり、あるいは融和によって運用の姿は異なるっているのは当然だ。

だだ、絶対君主や共和制(大統領制など)などの統治形態からすれば日英は立憲君主制という見方として分別されるだろう。

 

また権限や統治権を有するなら他からの剥奪もあるが、゛所持しない゛象徴であるために民意やそれらで構成される司法裁判などに影響されることない安定的かつ継続的立場を維持できることでもある。それは多くの要因を以て構成されている国なるものに棲む人間を、利害を超えて収斂する、言葉を変えれば群れに自然推戴された長(おさ)の役割をもった必須の機能でもあるとの見方もある。

 

      

          東御苑

譬えで理解するとすれば、水面は風に揺れ、木々はそよぐなか、航路の指示と安全のために設置しているブイの水面下の安定重量として定位を保つ錘(重し)のような感覚だ。

近代は人権や平等、はたまた性の同権が謳われ、その意識の上で、゛重し゛の是非を論ずることもあるが、性別固有の異なる存在を認め、かつ有効的調和によって超数的効果をみとめた古人の厳存理解の認識(なじみ)とはかけ離れた論が、これまた切り口を変えて競い合っている世俗の状況があるようだ。

 

こと、人間の行為は万古から変わらない。とくに食・色・財の欲望においては、人権・平等・平和の言辞を以ても、相対、いや絶えず対する絶対のごとく、今時の論拠としての質や量に置き換えても質は劣化が進捗し量は増大している。とくに分別や弁(わきまえ)などにおいて、より分離かつ立場の混在意識が甚だしくなっている。

 

前章を考えて、果たして現在の政治家、つまり数多の意志の収斂手段をとるにしても、国民から委任、負託の関係にある立法府の政治家、行政府の為政者と官吏が立憲君主の象徴として存在する天皇の長(おさ)としての存在認識は如何なる考をもっているのか、どうも嘆かわしい希薄感が筆者の眼に映るのだ。

 

     

    悠仁親王殿下の御世は・・・

 

 

古人は「上下こもごも利をとれば、国 危うし」と云った。

その「上」は現在では為政者なり官吏、あるいは上長者である親や先輩の考えや習慣的行動などだが、それらが人を観る価値観が人格とは何ら関係ない附属性価値である、地位、学校歴、財の有無など、すべてが財利の多寡を成功価値なり、幸福感と狭視することがますます昂進している。しかも、それを抑える教育なり文化的技芸なども財利に昂進する姿に、「下」も嫉妬と怨嗟が混在した哀れにも映る追従がすすむことを古人は社会の危機と捉えていた。

 

いつぞやは偉い人と云えば政治家、医者、教師と思っていた。尊敬もした。

゛偉い゛は立派とも言った。上手い演説とはいうが、立派な演説は無くなった。

言い古されているが、「人を騙して雄弁家という」。役人も倣って、改ざん、隠蔽、廃棄、事勿れにヒラメが、デキる人間という。

知識人は、゛あてにならない大衆゛と括り、権力に迎合して素餐をむさぼっている。

売文の輩、言論貴族に落ちぶれ、そのあてにならない大衆を、これまた商業マスコミの走狗となって大衆を先導している。羊飼いの犬に似ている。エサはともに錯覚した成功感の糧となる金(食い扶持)の多寡を競う意味のない価値だ。

 

この時節は、長(おさ)の周辺も騒がしくなった。深窓の令嬢に興味があるのは人の常だが、「俺と一緒ではないか」では、炭酸ビンの蓋がはじけるのも遠くない将来だ。

そんなことを考えて、別章を記してみた。

 

以下 次号

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敢えて再々読  出処進退   「あるボスの話」

2024-11-02 01:06:25 | Weblog

 
         国会の腹きり問答    浜田国松氏   
  《舌鋒火を噴くような議論は時の陸軍大臣に切腹を迫っている》         



平成6年、あの当時は、゛変わり者゛゛はじかれ者゛と世間から非難された意見文だが・・・・再度,問う】

震災後に海外ジャーナリスト達が集まっての懇談が放映されていた
要はこの「まほろばの泉」で読者にはくどいように映る人間(人物)の問題だった。制度・マニュアル・コンプライアンスなど人間を括る方策はあっても、土壇場では能力発揮の自由度と責任感がなければ役に立たない。
一人がこう述べていた。

「・・・原発や震災の現状をみると作業員の連帯と調和は世界でも驚嘆するの力がある。しかしそれを指揮し背後で支えるべきエリートの醜態は世界ても稀な非能力だ。日本の教育でのエリートの選別はそれほどひどい。どこで間違ったのだろう・・・」

この種の人間に囲まれたら、たとえ総理大臣でも政権は維持できない。

さて、中央の政財官も然りだが、全国津々浦々にある中小諸団体、特に御上御用に成り下がったような集まりにこのような風潮は無いだろうか。そのために稚拙だが良質な問題意識を持つ若者や哲人の様な庶民の意志は覆い被されていないだろうか。
それゆえ、弛緩した社会を形成してはいないだろうか。以下の拙章をもって考えてみたい。





「キャッシュで4000億ある。だから安心・・・」軽々に金の話をする指導者は金で堕落する。



「出処進退」

 意味するところ官に仕えるか、民に退くか。また、現在の地位に、役職に止まるか、辞意するかの熟語である。

 名利位官という現在ではさほど本来の人格構成に必要ではない俗世価値に埋没してしまうと、まるで中毒やまいの如く抜け切れない世界を、無自覚のまま形成し、ときには世のため、人のため、あるいは弱者救済に名を借りて御上からの褒賞を待ち望む人々を称して社会悪といいます。

あるいは誰がその地位につくのか、誰が辞めるのか、などといとも高邁な理屈で予想屋的言動を並べる一群も同様と言えるでしょう。

出処進退は当事者の秘奥にあるものです。
世に言うところの充て職は能力、専門知識とは別の、床の間の季節変わりの掛け軸のようなものであり、一喜一憂すべき類いのものではありません。

その他一同があってこそ成り立つ貪りの舞台です。
天下りしかり、無意識に官に添う心しかり、創業、創成の意味なく、不特定多数の利福など望むべくもなく、単なる“兵隊ごっこ”の有り様が繰り広げられます。

一度この病にかかると終生治らないのもこの特徴です。
人集えば中央に位置し、出たとこ勝負で己を偽り相手に従うことの不可、強いて相手を己に従わせることの不可を、反省することのない状態です。

孔子は“六十にして耳に従い”七十にして心の欲するところに従えど矩をこえず”と言いますが、年齢とともに“分”の範囲を収斂し、なを且つ普遍な精神と、善悪一如というべき全て人間から生じた様々な現象を自然の生きざまとして認識し、たおやかな道に入境すべきです。

その中で、心あるもの、生命を継ぐべきものに普遍な精神と、忠恕な心での覚醒と決起を促すべきものです。

  「小富在勤 大富在天」
(小さな富は自らの意志の働きにあり、大きな富は天意に添った行いにあり)と、言います。

 また、孟子は「富貴も淫するあたわず、貧賎も移すあたわず、威武も屈するあたわず、これを大丈夫という」 富貴は浮雲のごとしです。

 明治の言論人、陸羯南は信じた道に人生をかける人間の少なくなった事を叱咤して、
「挙世滔々、勢い百川に東するが如きに当たり、独り毅然としてこれに逆らうものは、千百人中すなわち一人のみ。甚だしいかな。才多くして而うして気の少なきことを」と述べています。

我が国には各省認可による特殊法人がありますが、それに真似たのか地方自治体にも芸術、文化、国際交流、何々記念、等に名を借りておおく法人が創設されています。↑
構成事務の多くは自治体に委ね、役員は元首長を始め管理職以上の退職者のおこぼれ人事が大部分のようです。

中小自治体のことですから基本財産は少なく、金利低下の折り給与を支払ったら事業費が無いといった有り様が続いており、しかも自治体本体の経常経費の増大からか、にっちもさっちも行かない状態があります。 チェック機能としては議会があるはずですが質問事項さえ官吏の援助(指導)を受けているようでは望むべき効果はありません。

 しかも、リストラとか称して各種事業の委託、計画立案の外部コンサルタントへの膨大な支払いなど、一層の硬直化を助長し、なかには閉塞状態に陥っている自治体もあります。

審議会、協議会、あるいは外郭団体と称するもの、前記、特殊法人の委員、理事には民間人が多く任命されていますが、狭い範囲の自治体のこと、一人の人間が多くの役職につくことが多く、しかも貪りの民の役職病の如く、官位を貪る官吏とともに一層の深みに陥っているのが現状です。

会議でも意見開示もなく、通称“出面(ズラ)”と称する日当を頂戴しているのが地域の大もの(ボスまがい)であり、民間の“分”を忘れた社会悪の一団です。

゛一人ぐらいはまともに゛、とは思いますが“白い目”“はじかれ”の恐れか、あるいは元々、問題意識すらないのでしょう。

半世紀まえに亡国の瀬戸際にあった民が、いまはその繁栄と共に自らの手で自国を崩壊に追いやっていることに気が付かなければならないことです。

 「警鐘」すらしまい込んでしまった亡者に覚醒はあるのだろうか。

龍馬や西郷も憧れではない。「成りたい」より「成る」意志がなければ教育も意味がない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哲人の出処進退を聴く

2024-10-28 00:45:38 | Weblog

佐藤慎一郎先生
     お別れの言葉

心より感謝し、理屈のない感涙を招いた師の言葉をお伝えいたします

【心の講義】

最終講義の二、三十分間を借りて、思いつくままのお別れの言葉を云わしてもらいます。
私が社会に出ました頃は、不況につぐ不況、おさき真暗な時代でした。五・一五事件、二・ニ六事件、満洲事変、北支事変、大東亜戦争、そして敗戦、そうした激動の中で生きてきました。机に座ったことなどなくして、教壇に立っていたのです。


私は、満洲国で、初めて人間の素晴しい生き方を見ました。すがすがしい死に方を見ました。そうした方々の中には、諸君の大先輩、拓大の卒業生の方々もおられました。私は感動を覚えました。また他の一方では敗戦という極限の状態における、人間のあけすけな醜悪面をも見せつけられ慄然(りつぜん)としました。

 私も敗戦後、共産軍に捕らえられ、死刑の判決を受けること二回、二回とも中国人に助けられました.三回目は国民党に逮捕され、九分通りは死刑であるとの内示を受けていたのが、判決直前釈放されました。私は留置場の中で、または死刑執行場で、自分で自分の入るべき墓穴を掘りながら、本当の学問というものは、書物以外の所により多くあることを体験させられました。

「吾れ汝らほど書を読まず、然るが故に吾れ汝らほど愚かならず。」

「物知りの馬鹿は、無学の馬鹿よりもっと馬鹿だ」

という言葉の意味を本当に知ったのは、日本の敗戦によってでした。いかに素晴しい言葉であっても、それが信念と化し、好意と化するまでは無価値であることを知ったのです。

 では教育とは何だ。祖先から承け継いだ民族の生命をはぐくみ育てながら、次の代に伝えていくことだと信じます。教育とは、民族の生命の承継である。生命、それは魂と魂の暖い触れあいの中でしか育たない。愛情のないところに生命は育たぬ。誠意と献身のないところに生命の成長はない。

 男女の結合によって、子供が生まれる。生命の誕生である。親と子供は、同時に生まれるものです。親の無い子はなく、子のない親はない。
親子関係は、西欧思想のように、「自」と「他」という二元的なものではない。 親子の関係には、自他の区別がない。無条件だ。あるものは愛情だけだ。しかも打算のない愛情だ。真の愛情には終りがない。これこそが人間存在の原点だ。人間と人間関係の出発点だ。私はとくに母親というものの姿から、純粋な人間愛に生きる、人間の本当の生き方を教えられた。これこそが隣人愛につながり、社会愛・民族愛、そして人類愛にまでつながる根源である。

自分と他人とは別物ではない。自分と学生とは別物ではない。学生の悦びを己の悦びとして悦ぶ。学生の苦悩を自らの苦悩として、共に苦しむ。自他の一体視だ。そうした暖いものこそが、人間の本質である。しかもこれこそが現代の社会に、最も欠けているものの一つである。

学生という生命体を育てるには、魂と魂の触れあいしかない。道元禅師は「自をして他に同ぜしめて、初めて他をして自に同ぜしむる道あり」と教えておられる。また夏目漱石の「三四郎」とかいう本に、三四郎が東大の図書館から本を借りて来たら、落書がしてあった。
「ベルリンにおけるヘーゲルの講義は、舌の講義にあらず、心の講義なりき。哲学の講義は、ここに至って始めて聞くべし」とあった。

そうだ。 これだ。私にできることは、舌の講義ではない。心の講義だ。体ぜんたいで学生に、ぶっつかることだ。私は拓大に来て一六、七年間、実によく学生と遊んだ。飲んだ。歌った。語った。そして叱った。怒鳴った。励ました。そのようにして私は私自身を語った。私は「口耳(こうじ)四寸の学」は教えなかった。

耳から聞いて、四寸離れた口から出すような浅薄な学問は、教えなかったつもりである。「口耳(こうじ)の間は即ち四寸のみ。なんぞ以て七尺の躯を美とするに足らんや」(荀子)である。私は体ぜんたいで「吾れ」を語ったのです。

【食・色は人の性なり】

 私は初めて社会に出て、小学生の先生をした。三ヵ月目で首になった。若い女の先生と海岸へ遊びに行って首になったのです。駆け落ちしたのではありません。自動車で行ったまでのことです。二回目の就職先でもまた半年たらずで首になった。

 誰かの本に、こんな話があった。ある家に青年僧が下宿していた。実によく修業に励んでいた。宿の小母さんは、末頼もしく思っていた。小母さんには娘さんがあった。ある日娘が青年僧の食事を運ぼうとした時、母親は娘に、青年僧の気を引いてごらんと、けしかけた。娘は悦んで青年僧に抱きついてみた。青年僧は姿勢を正して
 「枯木(こほく)寒厳(かんがん)によりて、三冬(冬の一番寒い時)暖気なし」と答えて、娘を冷たく突っ放した。

それを聞いた母親は、「この糞坊主が」と怒って、青年僧を追い出してしまったというのです。若い女性に抱きつかれても、冬の一番寒い時に、一木の枯木が寒ざむとした岩肌に生えてでもいるように、私には一向に感応はありませんよ、とでも云って入るのでしょう。こんな男は、人間じゃない。「停電」しているのだ。

ところで、この佐藤なら、こうしたばあい、どういう反応を示したと思いますか。佐藤は、待っていましたとばかり、「漏電」してしまったのです。後始末は大変でした。とにかく私は、女には間違う。始末におえない先生だったのです。「少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒(いま)しむること色にあり」(論語)です。

 しかし私には一つの救いがあった。それは最初から最後まで、学生が好きだった。好きで好きでたまらんのだ。この拓大にも一人ぐらいは、徹底して学生と遊び通す先生がいてもよかろう。

 ところが、自分の未熟さ、能力、学問を考えると、それは恐ろしいことでもあった。そのため私は自分自身に厳しくした。私は諸君に対して「私の講義を本当に学ぶ気持ちがあるなら、先生より先に教室に入って、心静かに待っておれ」と要求した。この諸君に対する要求は、実は私自身に対する要求であった。

与えられた貴重な時間だ。一秒たりとも、おろそかにはできないぞと、私自身にたいする誓いでもあった。そのため私は朝の始業時間よりは、三十分か四十分前には、必ず学校に到着しているように心がけた。そして十七年間、この小さい小さい事をやり通した。「初めあらざることなし、よく終りあること鮮(すくな)し」(詩経)。何事でも初めのうちは、ともかくやるものだ。それを終りまで全うすることは、むずかしいものです。

【私心を去れ】

 王陽明は「則天去(そくてんきょ)私(し)」天理にのっとり私を去る、と自戒しています。毛沢東は「則毛去(そくもうきょ)私(し)」を要求しています。つまり俺を模範として、お前らは私心を去って、俺のために尽くせと要求している。中国大陸の今日の混乱・闘争の根源は、毛沢東の私心にある。

 中国は何十回となく、革命をくり返してきた。しかし中国の独裁体制そのものを打倒することはできなかった。つまり革命のない革命を、くり返して来ていたのです。ところが中国近代革命の目標は、そのような独裁体制が強まれば強まるほど、逆に民衆の自覚、目覚め、起ち上りの力が強くなり、独裁体制を打倒しようとするところにある。毛沢東の独裁体制が強まれば強まるほど、逆に民衆の自覚、目覚め、起ち上がりの力が強くなり、独裁体制を打倒しようとする革命の力が育っているのです。

毛沢東という人は、かつて三国志の英雄曹操が「俺が天下の人に背(そむ)いたとしても、天下の人々が俺に背くようなことは許さぬ」とうそぶいたように、今では毛沢東一人を以て天下を治め、天下をもって毛沢東一人に奉仕させているのです。要するに毛沢東は、中国近代革命の本質を知らない男です。中国の真の革命はこれから始まるのです。

 とにかく王陽明も「山中の賊を破ることは易く、心中の賊を破ることは難し」と云っているように、私心を去ることはむずかしい。しかし私心を断たぬ限り、世の中は明るくならぬ。私心を去るということは、自己との永遠の闘いでしょう

 殷の湯王が自分の洗面器に「まことに日に新(あらた)に、日に日に新(あらた)に、また日に新なり」(大学)と彫(ほ)りつけておいて、毎朝洗顔する度に、自分の心の汚れ―私心をも洗い流して、毎日が生まれ変った新しい人間として、政治を執るように自戒し努力し續けたと云われています。

 私も自分を反省し、私心を棄てようと、私なりの努力と自戒を續けてきたのでしたが、人間ができずして、非常にかたくなな人間に変わった。しかし「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり」(孟子)です。私にはやろうとする気があった。愛情と誠意と献身のあるところ、万物は育つというのが、私の信念であり行動の基準でもありました。それが多少なりとも、自分の欠陥を補ってくれていると思います。


【国家衰亡の徴(しるし)】

そうした気持ち現在の拓大を見るばあい淋しい気持ちがしないでもない。拓大は長い間数多くの業績を残してきた。しかしながら現在の学生の中には、はつらつとした自己の生命力を自覚し、国際人としての教養を身につけ、使命感に生きようとする気魄に欠けている学生が多いように見受けられる。

現代の学生は感性的な欲望を追求することはいても知って、学問を以て自己の本質を見極めつつ、生きがいのある使命感に生き通そうとする気概が薄いようである。
人間の幸福を、人間の欲望を追求することに求めた近代文明が、その欲望をコントロールすることができずして、ついにその欲望に支配されている。不幸の根源は、そこにある。しかも現代の教育は、このような病理現象に対しては、あまりにも無力である。

日本の現状を正視してごらんなさい。
「天下は攘攘(じょうじょう)(集まるさま)として皆利の為に往き、天下は熙熙(きき)(喜び勇むさま)として皆利の為来たる」(六韜)
世の中は挙げて、利益・利益・利益。勢利のあるところに蟻の如くに群がっている日本人の姿を見なさい。
「上下交交(こもごも)利を征(と)れば、国危し」(孟子)
上の人も下の人も、正義を忘れて利益だけを追求するようになれば、その国は危うくなると教えています。

今から二千三百年も前に死んだ荀子(じゅんし)が、「乱世の徴(しるし)」として、次のような「徴(しるし)」が現われてくれば、その国家は「衰亡」に傾くと警告しています。
「その服は組」
-人々の服装がはですぎて、不調和となってくる。

「その容(かたち)は婦(ふ)」
-男は女性のまねをしはじめ、その容貌態度は婦人のように、なまめかしく軟弱になってくる。拓大にもそんな亡国の民がおる。ところが国が亡ぶ時には、女までも堕落する。女性は、そのような男か女かわからんようなニヤケタ男を好きになる。そして女はついに「両親を棄てて、その男の所へ走る」と荀子は書いている。次は

「その俗は淫」
―その風俗は淫乱となってくる。

「その志は利」
―人間の志すところは、すべて自分の利益だけ。まさしく「小人は身を以て利に殉ず」(荘子)です。利のためなら死んでも悔いがないのです。身を以て天下に殉ずる日本人は、少なくなりました。その次は

「その行(おこない)は雑」
―その行為は乱雑で統一を欠いている。喫茶店で音楽を聞きコーヒーを飲みながら、勉強している。一つのことに専念できなくなっている。

「その声楽(せいがく)は険」
―音楽が下鄙てみだらとなり、しかも雑音なのか、騒音なのか、笑っているのか、泣いているのか、とにかく変態となる。音楽を聞けば、その民族興亡の状態が分るのです。荀子の言葉はまだ続くのですが、結局、「亡国に至りて而る後に亡を知り、死に至りて然る後に死を知る」、これが本当の亡国だと警告しています。現在の日本の国情と比べてごらん。まさしく「驕(おご)り亡びざるものは、未だこれあらざるなり」(左伝)です。

漁夫が屈原に「なぜあなたは世の中から遠ざけられたのか」と問われて、屈原は
「世を挙げてみな濁(こご)る、我れ独り清(す)む」
と答えて、ベキラの淵に身を投じて死んでいます。日本の現状も諸君が歌っているように、ベキラの淵に波騒ぐ状態です。しかし私たちは屈原のように、自殺して苦難を避けることはできないのです。


【魂の承継】

 私には父から貰った素晴しい財産がある。父は不自由な手で一幅の書を遺してくれました。
 「富貴も淫するあたわず、貧賤も移すあたわず、威武も屈するあたわず、これこれを大丈夫と謂う。」
 孟子の言葉です。私はこれを父の遺言であると信じています。富貴は我れにおいて浮雲の如しです。また母の実家の真向いは、陸羯南(くがかつなん)先生の家でした。陸先生は、とくに日本新聞を通じて、一世を指導した大思想家でした。

先生は
 「挙世滔滔(とうとう)、勢い百川の東するが如きに当り、独り毅然(きぜん)として之れに逆(さから)うものは、千百人中すなわち一人のみ。甚しい哉。才の多くして而して気の寡(すくな)きことを」と、信じた道に命をかける人間が少なくなったことを叱咤(しった)しておられます。

 日本は国を挙げて、挙世滔滔として中国へ中国へと流れていった。私は日本を愛し、中国をも愛する。なぜ日本人は中国人を、かくまでも軽侮し殺さなければならないのか。私は滔滔とした日本の巨大な流れを、阻止するすべを知らなかった。私は北京大学の学生たちが、排日・侮日・抗日に起ち上る姿に感激した。

私はなんらのちゅうちょすることなく、彼らの抗日の波に飛びこみ、「打倒日本帝国主義」を叫んだ。私の力は大海の水の一滴に過ぎなかった。完全に無力であった。しかし私には無力を知りつつも、そうせずにはおれないものがあった。

 弘前中学の先輩岸谷隆一郎さんは、終戦のときには満洲国熱河省次長(日系官吏の最高職)でした。八月十九日ソ連軍が承徳になだれこんで来た。岸谷さんは日本人居留民を集めて、「皆さんは帰国して、日本再建のために力を尽くして下さい」と別れを告げ、数人の日系官吏とともに官舎に引き揚げた。岸谷さんはウィスキーを飲みかわしながら、動こうともしない。人々は再三に亘って、「ソ連からの厳命の時間も過ぎた。一緒に引き揚げましょう」と促した。岸谷さんは「そんなに云ってくれるなら・・・」と起ち上って、奥の部屋のふすまを開けた。
 すると死装束をまとった奥さんと二人の子供さんが端座していた。岸谷さんは満州と一緒に亡くなったのです。

 さあ、私も諸君から「おれたちの清純な頭に、くだらん講義を詰めこむのは、やめてくれ」、そして「そこを退いてくれ」と云われんうちに、この辺で自ら去るのが賢明のようです。
 
 そこで最後にもう一度言う。皆さん、大志を抱いて下さい。諸君は民族の生命を継承するのです。新しい歴史を創るのです。それに起ち向かうだけの気魄をもって下さい。生きがいのある使命感に生き通して下さい。がん張って下さい。
 私は拓大を去っても、私の心は諸君の上から離れることはないでしょう。
 皆さん、さようーなら。
(昭和五十一年一月二十四日)

佐藤先生 参考資料
http://greendoor2.exblog.jp/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人間考学」前例執着から善例創造への臨機 11 4/17 あの頃

2024-10-25 01:18:03 | Weblog

「非道」 一石百鳥ならぬ百石半鳥      岡本義雄


少し落ち着き始めると「前例」による紛い物の規制が頭をもたげるようだ。

大勢の人を統率し、普遍的という冠をつけることに慣れた職位にある人たちによって前例が巾を利かすようになる。混乱状態になった現況には前例の投網を掛けることが、選択肢の少ない突発的事件には仕方が無いことでもあるが,従前の垂直指示が途切れ、判断不能になったとき現場当事者は少ない過去の例から探さなくてはならないのも現状である。

同じようにマニュアルがある。アンチョコや教科書も同類だ。
とくに人の管理が過度の規則などで括られると、家畜同様に時間と存在を管理され、考える工夫もないままに行動を習慣化され、創造的な意思さえ発揮できなくなる。

そこに仕組みの標準化として「基準」と称する、現世一過性の時流が押し寄せると、それが例として新たな規則がスタンダードとなり、独創性豊かな考察や観照が特異な様態、つまり例に当てはまらないものとして忌避される。

昔、バブル華やかな頃、住友銀行頭取が「向こう傷は恐れるな」と行員に発破をかけた。業績は上がるが不祥事も多発した。いま金融機関は厳しい法制と自縛的コンプライアンスによって、どこか応答が官吏のようになって、放牧ならぬ養鶏(ブロイラー)のようになり、融資査定も前例踏襲を旨として、より行員の考察力、応答感性が衰え人間としての可能性さえも狭めている。

より高い公共性と無謬(誤りのない)性を求められる職業は、とくに確実性もあり、当事者責任の発生しない前例に執着するようになった。それに倣って周辺職域である議員、教員、公務現業にも患いのように伝播して硬直した人間を増産している。それらが執り行う口先やペーパーで行なわれる下げ降ろし規制は、下々の民にも生業にも影響を及ぼし、今までの通り文句であった人権、民主が「前例コンプライアンス」という言葉に取って代わり、商店主や居酒屋などの自由自立業者の言の葉にまで蔓延している。

ある大企業の監査役に尋ねたことがある。
「国民総生産といわれるGDP数値の降下の原因に、切り口の違う視点ではあるが、人を過度に管理する流行(はやり)規制の負は考えたことがないか・・」
応えはこうだった。

「監査も鑑査される時代です。ことにコンプライアンスの整備度合いは会社の存亡にも関わる問題となり、そのために専門コンサルタントや弁護士を雇い、彼等は社長直属のお庭番のようになって人事や方針まで口を出すようになっています。しかも年間数億円の支払いがあります」

前例やコンプライアンスは食い扶持にもなり、囲いから出たら生活することのできない人たちは、嫌々従っている、とは監査役という役職を持った彼の心情だった。

この「嫌々」が、仕方が無い、そういうもの、と怨嗟が諦観になった民族は連帯と調和を失くし、合議の前提にある収斂されて目標のある議論がままならなくなり、騒々しくも落ち着きのない世情を構成する。それは、外圧、土壇場、突発事変に百家争鳴となってうろたえるようになる。

柵(埒)に囲われた家畜は囲われていることに意味があるが、放埓(らつ)して埒外になったら関係は途絶えるが馬は馬であるが、飼い主にとっては意味の無いものになってしまう。
あるいは、狭い金網に区切られた養鶏は照明さえ操作して日夜卵を量産するが、放たれれば身体は強健となり、摂理に応じて産む卵は滋養も多い。

社会や組織、国家、は夫々特異な枠組みがある。放埓を避けるために様々な相互関係をつくり、富や存在に表れる、量や質を調整しながら帰属意識と歴史という継続性を保っている。





                    

      本来の寺は学問の場  先ずは師である僧侶を崇める





前例とは本来、継続性から導く「歴史の倣い」であり、善例を探し出し倣いとすべき「鑑」、つまり手本のようなものである。それを直感自得し、善なる習慣性を他に及ぼすこと、それを理念として肉体化すること、それが教育や学問であろう。その前提があって知識の集積や技術の発揮がある。ただ、知識の「識」である道理、技術の「術」である工夫と役立ての術(すべ)がなければ、単なる知技は痴偽になってしまう。

智は大偽を生ず」「小人の学は利にすすむ
まさに己の邪心によって良心を欺き、身を守るために大きな偽りを偏った智によって補うことになり、人格を何ら代表しない現世価値のみの地位、名誉、財、学校歴に競い本心を失う。それは心の柵である道理とか規範からの放埓であり、孟子も説く「放心」という心が放たれてしまう状態である。これを茫然自失という。

説明責任に追求されても、話すも聴くも放心状態では、「言った」「言わせた」で終始して理解の淵にも届かないことになってしまう。本当は「お前の本心はどうなんだ」と、本質無理解の追及に終始し、別の切り口を売文の徒やマスコミ言論に求めるが、大偽を智で包んでいる知の放舌では半知半解の理解で終わってしまい、行動にもならない。

まず理解の端緒は己の内心に聴くことだ。その前例は体験だ。そのなかで善なる体験を想起することが、相手の理解を深めることになる。

翻って今回の政府対応について多くの非難がある。
ことさら管総理の対応や人物を問うもことではないが、「総理」という役割の本質を知らぬままに管直人という人間の茫洋とした曖昧さを批判しているようだ。それは多数によって推戴した役割に対するやり切れにないこと、あるいは新しい意識による対策が多言によって曖昧になっていることだろう。
あの小泉氏は得意のワンフレーズだった。理屈は付いてきた。後藤新平は大風呂敷といわれた。それは善を想起する驚きだった。







     文部省官制学校歴にはない教養   佐藤慎一郎先生講義


政治はできなかったことを貶(けな)すより、些細なことでも成果を歓迎しなければ関係は成り立たない。それが善例となる。
ただ、善例体験が無い人物は、おおよそ目は虚ろで、落ち着きもなく、騒がしく、直感も磨かれていないのは古今東西の為政者に見られる、これも悪しき倣いだ。

ちなみに党を変遷し党務にうつつをぬかす議員もいるが、「党」は「黨」であり、クロを尊ぶ集団、つまり犯罪でもホシをクロというような人間の集まりのようだ、と隣国の古老は語る。

震災復興は拙速と慎重さの両面が求められる。不可能とは違い「無理」は無限大の「理(ことわり)」を導く。だから無理を押すことも必要となる。だか、たかだか人間のつくった成文前例はこの妨げになる。それは未来を描いていないからだ。落ち着いて考える余裕、それが善なる例を創造するすべとなる。
いっその事、この機会に煩雑無用な法律、成文化された惰性な前例を整理したらどうだろうか。

掃除も整理片付けもできない女房に無駄使いが多いのは世間のつねだ。そんなのに限ってモノでこどもの歓心を煽り、無駄な虚勢を張り、終いに借金漬けになる。

国家に当てはめれば明らかだ。

多岐煩雑な政策、膨大な冗費、こども手当てなどの扶養費、強国に順応、債務増大

政外   政治のピントが外れる  (惰性)
内外   内政がままならないために外交に虚勢を張る (虚飾)
謀弛   政策に一貫性がない    (弛む)
敬重   敬われる人物を得ない   (信)
女厲   女性が烈しくなる  (両生の不調和)

これを「五寒」といって国家衰亡から亡国の徴だという。

茫然自失では何も生まれない。
先ずは整理整頓、それは歴史の先人たちは「※小学」によって習慣として学ぶことだった。

※小学校でなく、四書五経にある大学、小学

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病院は親切でなくてはならないと賀川はいう

2024-10-23 01:15:30 | Weblog


高知に引っ込んだと思ったら時折東京が懐かしく顔を出す伴武澄さん。
本人は『色々とやることがある』というが、思春期に恋愛ごっこで失敗したこともなく、ことのほか表層真面目だったせいか、老境に差し掛かってその人生のスキップを埋め合わせているかのようだ。
ゆえに当時は記事にも書けなかった人間愛や平和を書き連ねている。その内に心の底まで書いてくれることを期待している。
今回はその一章を賀川豊彦の著書抜粋として紹介している。
なるほど、視点が鮮やかだ。










賀川豊彦の『十字架に於ける瞑想』を読んで面白い部分があった。病院は英語でHospital。本来は「親切院」でなければならない。そして病院は医者がつくったのではなく、看護師がつくったのだというのだ。以下、その部分を転載します。
-------------------------------
 日本の看護婦が給料の値上げをやかましくいふやうになつたことを私は悲しむ。イギリスには看護婦にストライキは絶対にない。『ホスピタル』といふのは親切院といふのがほんとで、日本のやうに病院といふのが間違つてゐる。最初、ローマの元老院議員のガリカナスといふ人が、みづから進んで看護者になり。奴隷といへども助けて行かうといふ考で、病院を創めたのである。西洋では親切院の看護婦は医者より偉い。

 月給を貰はずに看護する、それが赤十字である。西洋では看護婦を尊敬する。英国のチヤーリング・クロスには一看護婦であつたエデヰス・カベル女史の銅像が建つてゐるが、その下に『愛国心だけでは足りない』と書かれてある。

 あの独逸人がイギリス人を憎んだ最中に、エデヰス・カベルはその敵兵をも愛して看護した。が、この愛の権化のカベルを独逸兵は射殺した。英国はこの看護婦を尊敬して銅像を建てたのである。だから英国には看護婦が給料をあげてくれといふ運動はない。

 英国では看護婦が、各国の全権大使の次に席を占める特権を与へられてゐる。英国では、医者や看護婦や小学校教員にストライキはない。どんな時にも医者は、来てくれといふ時に断る権利がない。月給をとりたいといふ看護婦になら、ならない方がいゝ。英国ではセント・トマスの看護婦の服装をして街を歩いてゐると自動車が止るといふことである。かういふ看護婦を尊敬する気持が、やはりアメリカにもある。それがあつてこそ国が進歩する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間考学 愚者の親和力 2011 7 あの頃

2024-10-22 00:56:09 | Weblog

津軽ヨシ人形  木村ヨシ作  「孫文と側近山田兄弟」


高いところに登って下界を観る  少し下がって遠目で眺める

鎮まりを以って、独り観る  そんな時節だろう 


本稿


親和力とは化学の世界で、より似たものが結びあう力の姿を言うらしいが、親しく和する、つまり人間に当てはめれば素朴に仲良くなる状態をつくる包容力なり、理解力だろう。

安岡正篤氏は、ことを新たにすることのオンである「シン」を親しむと置き換えて「大学」講義で述べている。大学は四書五経にある「大学、小学」のなかのことで文部省官制校の類では「新」を「親」と言い換える感度は教えない。

親しく和することと、新たに和することも和することは変わりがないが、こと古典にある君臣の問題となると大きな隔たりがある。

宰相が任を退くとき出処進退を騒がしくいわれるが、進むことも退くことも決断できない人物にそもそもそれを説くことには無理がある。よく推戴されてその任に就くが、往々にして辞任は悲哀をかこうようだが、力を残して退くことは稀である。

ときには氏(うじ)でいう出生や育ちまで云々され、遠い過去の国籍出自まで探られる始末である。スパイやいざとなったら逃げだす危惧なのか解らんが、あの元の宰相であった耶律楚材も中央アジア系の色目人だった。

聖徳太子のころの秦河勝も渡来人である。ただ彼らは賢人だった。楚材は勇猛な兵を率いる宰相であり、哲人、としてもその能力を余すところなく燃焼している。今騒がれているのは何処か名利に目ざとく、上に諂い、下を蔑む、人を信用せず屋敷は塀たかく、明け透けな色、食、財への亢進性がある。

     

   

 

近頃、日本に祖をもつ者も同化し始めている。つまり貪りが激しく、防衛本能が際立ち責任の取り方が曖昧である。たしかに元々武士以外は形式的にそれを要求されなかった。

他人が行う討ち首獄門ではなく切腹にて自裁する権利、つまり名誉があった。あるいは弁護士のような三百代言などを要しない潔さがあった。それは成ってはいけない人間が成るということであり、選挙という選別の土俵もおぼつかない足元になっている。


また、土俵を構成する大衆も選挙や政治をイベントのように眺めているフシがある。そんな種々雑多の覗きや嘲りのなか、いかに身を処すかは、たしかに至難の業である。注目される側もさるもの、逃げるが勝ちと病気と称して病院に逃げ込み、そのまま出るに出られず本当の病気になり事後の処理までおぼつかないものもいる。それは、成りたくてなったものか、床の間の石で都合よく推戴されたものか、何れにしても双方とも程度が悪い。要はホドの問題だろう。

さて、『辞めろ!』と、与野党問わず売文の徒や言論貴族、はたまた芸人やタレントが参戦し聴くに堪えない駄論を騒々しく発する姿は、侮られる本人もどうしていいか解らない状況だろう

政権交替で攻守を替えたのも、つい先頃のこと。その前は彼の仲間との言いがかりに約一年ごとに入れ替えを迫られた野党も、いまはうんざりして元気がない。代わったところで、また同じ状況がみえているからだ。その点の先見の明は利くようだ。





 
ペルー元大統領 アルベルト・フジモリ氏




大統領候補となった ケイコ・フジモリさん


親しく和すが、触媒仲介がウイルスになることもある。
また、巷間言われている触媒は政治資金という金もしくは便宜供与である。
いまでも金を集められるものが選挙に当選し、地域内利権、省益利権の撒き餌に群がっている。

それらが親しく交わると

上下交々利をとれば 国危うし」   

上も下も金を追い求めれば国は滅ぶ

小人、利に集い、利薄ければ散ず」  

愚者は金に集まり、なくなれば散り散りに離れる

つまり交わりは利交、詐交、熱交となり、男子の淡い交わり(淡交)など亡くした世界となる。それは民衆も政治家を現世利益の獲得量を追及する役割とみていることも彼らの真の政策親和力を妨げている。

だか もっとも妨げているのは、欧米植民地の地域撤退時の謀りである分断統治、つまり同民族の統合調和を妨げるよう異質な宗教(思想)なりを扶植し、つねに争いの種を残して影響力を温存する、あの手に似ている。

表面は政権党のようで、職員組合は野党親派で、つねに貰いぶち、食い扶持の待遇保持を描いている。

撒き餌は種々各省が色取り嗜好性を凝らして「要請」|陳情」を待ちかねている。狡い言いがかりに、ケチな利権の小遣い銭や、審議会の別封デズラ(日当)で操っているのである。

世界いたるところ親和力を知っていても、何処か混じり合わないその茫洋とした繰り返しは、たとえ金融資本の屏風はあるにしても、問題は金と獅子身中の虫である狡猾な官吏の群れである

ギリシャ危機も国家経費がかかりすぎた、つまり公務員の増殖と人件費の増大だった。江戸は大奥で財政を衰えさせ,清朝は宦官の狡猾さに根を腐らせた。ソ連はノーメンクラツーラという特権階級に浸食され活力を失い、中国も解放軍古参幹部の子弟によって再び混乱を巻き起こしている。

善とは違い、悪は徒党を組む。世界の倣いだが、その親和では民衆は泣くに泣けない。
ちなみに党の旧字は、黒を貴ぶというらしい。クロは腹黒い意味でもある。

亡国は亡国の後、その亡国を知る」、
内外の賊はともかく、滅ぶということを知らない民は、滅んだあとに、滅ぶ事とはそのようなことだと知る。

最後にやつあたりは誰にくるかだ。
天が落ちると高いところから順に当たるという隣国の古諺がある。
地位が高いものに一番先にあたる、それは地位とか権力があれば影響は大きいということだ。

やはり地に伏して、天に舞う、それが一番いい生き方だと思える昨今である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である 2020 あの時から

2024-10-20 15:35:12 | Weblog

旧掲載だが、あの頃も同じことがあった。

そもそも悪党と言うが、善党とは言わない。

犯罪でも黒は容疑者、白は無罪という。

党の旧字は「黨」、つまり黒を賞する、まして白は党ではない、連(ツル)まない。

群れにならず党からは弾かれるのが白のようだ。

黨には掟がある。とくに悪党には厳しい掟がある。口の軽さと裏切りだが、ゆえに嘘が上手くなる。むかし、「政治家は人を騙して雄弁家という」一種の戯言があった。

近ごろは「会」を装っても腹は黒が多くなった。

 

 

 

市井の陶芸家の作品

 

検察官の人事に黨に政治家の介入があったと騒いでいる。

幕府でいえば目付の食い扶持を担保するような話だが、あんたの都合で決められては、タマッタものではないという事らしい。

下座から眺めれば、暗記上手の学び舎エリートが一方は政治家になり、一方は官僚となり、お手盛り利権で政治家や高官が捕まれば巨悪、訴追する検察も同じ同窓高官では、国費で贖い獲得した人格とは何ら関係のない地位だとしても、下座からみれば、彼らのやりきれない戯れとして、諦めに似た感情が堆積している。

 

※下座観は上部と下部の問題や、下座行と名付けた修養のことではなく、東西南北と天地の立体(球体)が、さまざまな回転や展開をする中で、下座観と俯瞰視(鳥瞰視)が回転に応じて眺めの位置が転換し、それゆえ部分と総攬が複合した観点となる(人間考学より)

 

検察側の言い分は、「中立性を求められる検察官の判断に影響を及ぼしかねない」

近年、惨禍や事件が起きるたびに学び舎エリートの土壇場の無能力が問題になっている。

彼らにとっては一番癇に障る言葉は「無能力」と知っての記載だが、知能ならぬ痴脳とも思える劣化に気が付かない、いや気が付いても食い扶持には問題ないと鉄仮面を装い、四角四面の法を駆使して大偽を助長している「狡務員」とその一群が蟻塚を築いて、曲がりなりにも国なるものを運営している。

まさに、下座からすれば、タマッタものではない状況である。

影響を及ぼしかねない」それは、俺たちも生活や卑小な欲もあるので、俺たちの蟻塚に口出しされると、どんなことになるか、自分のことも自信持てない。つまり人格とは何ら関係のない附属性価値である学校歴(学歴ではない)獲得に邁進した曲学阿世によくある成れの果ての戸惑い表明である。成れの果ては、落ちぶれた結果の彼らなりの有様である。

 

庶民はとみに数値利権化した警察組織同様に訴追権を持つ検察に対して、「江戸の仇は長崎で・・」と諦めて、従順としている。とくに狡猾となり生活を担保された者たちは、往々にして心底に仇討ちを企てている。辞めればダダの人になる政治家はとくにその事を知っているためか、子供だましの厚遇提供に気を配っている。官僚作文がなければ腹話術の人形として飼育された議員はひとたまりもない。

そのことを熟知した大衆が、顔の見えないことが利点のネット投稿に集うのは、さもありなん、ということだが、カオスに続く前哨なのだろう。

 

ある県官吏の酔話だが、採用時、少しは雇用主たる県民のためと青雲の志があったが、中堅になると議員の愚かな的外れ質問にも真面目に応えることに慣れると、有能な部下は寄せ付けなくなる。無能と化した姿を見抜かれないようにとの魂胆だが、定年も近づくと閑になるので、ときおり意味もない通達なるものを管轄の民間事業体に出すと、自分の所にお伺いを聞きにくる。

これが暇つぶしのようなもので、なかには福祉法人化の再雇用を進言する事業者もでてくる。もちろんアゴ足付きの講演や宴席もあってのこと。と役人人生を振り返っているが、聴くほうにしてみれば、バカが吹聴しているとしか聞こえない。

 

   

 

それが対策や立案の専権を有するとなれば、あとは歴史の栄枯盛衰を見るまでもなく衰亡は必然だ。そこには後付理屈で政策に彩を添える御用知識人や売文の輩、御追従の陣笠代議士となれば、よりその進捗を早めるだろう。

問題が起きても検察幹部の私的遊興費と化した、調活と称する調査活動費でたんまり楽しんだ検察の元ダラ幹部が、「オカシイではないか」と気勢を挙げても、国民は白けている。

まして、庶民の声に追従しなくても検察らしく自浄作用を働かせていれば、為政者もうかつに手を出せないと考え、こんな騒動にはならないはずだが、甘く見られる原因は官僚に多くの責任はある。

 

あの絶大な権力を維持した田中角栄氏でさえ、日本の司法制度を守ると順々と随っているが、そこには三権の維持と、政治家としての矜持があった。

後付の言い訳で最高裁には採用されなかったが、外国からの免責供述書を種に逮捕起訴したころから検察は弛緩した。それにつられて裁判所の証拠、判例主義も前段での訴追の垣根を高くしている。冤罪問題もあるのだが、どうも人間を裁く法の世界には、隠されたように人が見えなくなった。

 

だが、食い扶持担保や生涯賃金をつねに企図する官僚にとって、その問題になると「人」があからさまに出てくる。しかも、さもしい性根が理屈を添えて元気に這い出して来る。

中国や韓国を嘲る声も聴くが、政権(権力)が変わると前任者は排除され、逮捕粛清もされるのが倣いのようだが、台湾でも陳水扁前総統が逮捕拘留された。

 

よく「」というが、旧字は「」。よくみれば黒を賞するだが。悪党とはあるが、善党はない。黨の親玉はつねに下剋上や裏切りを恐れて、側近には縁者もしくは狡知が働く従順な者を配置して、しかも従順な武装治安組織で身を守っている。

権威」を象徴とする立場とは異なり、権力為政者はつねに怖れを抱き、退任後の安心を企図するようだが、往々にしてそのような為政者に寄生する者たちは、権力がなくなれば当然のごとく裏切り、次の権力者に寝返る。

今まで警護していたような組織も、衆愚の歓心を煽って正義を装い、組織の継続、つまり官吏特有の私心にある小欲の保全に邁進する。

凡その為政者の末路はそのようなものだが、ゆえに軍と警察(検察)は最後まで手放さないのが、諸々の主義や思想を問わず、為政者の宿命になっている。

まさに、「小人 利に集い、利 薄ければ散ず」そのものだ。

 

だた、「お前ら、勝手にやれ、税は払うが、生活の邪魔はしないでくれ」と、隣国のような溌剌とした民族性癖を持たない大衆は、いまだに、くれるものなら幾らでもと為政者頼りの従順さを持っている。

ときにネットを活用と叫ぶが、ネットの網目は便利な経路だが、もともと網は掛けるものと掛けられるもので成り立っている。異国の人たちは、掛けられることを慎重に想像している。魚でいえば下から大魚も雑魚も一網打尽にすくい上げられる。資源保全もなんのその、より網目は細かくなっている。

 

翻って、国家も税の網はより複雑になり捕捉率は高まり、効果的な消費税もその意図だ。公金(罰金)を徴収する警察にしても、安全安心を標語にしてよりその網目を細かくしている。

逆に、市民の要望を聞くと称して、担当部局を増設し、足りないところは非正規雇用を増やしている自治体も、いずれ経常経費の増大でまともな運営ができなくなるのは必然だ。

 

    

    

北京の友人から

 

つまり、法に依って栄えるものは、法に依って滅ぶのが必然なのだ。

その「依る」ことに慣れると、いずれ弛緩し、綱紀や徳目が乏しくなる。政治家に徳目などないと揶揄するが、徳目がなければ政治家になれないとうそぶく者もいる。

問題が起きれば政府に依る。悪がはびこれば警察や検察に依る。当然ながらその相手は法に依らなければ何も動けない群れなのだ。

国民とて肉体的衝撃のリアルな行動を忌避するために、身を隠すネットに意見を載せ、多数になれば、我も我もと身をさらす。人は社会への自己承認とはいうが、それに乗じる学び舎エリートの元狡務員も後に続く。

 

現象に対する良し悪しを問うものではないが、本質はフラットで無機質にみえる社会が、ときおり振幅を起こす時に表れる人間の心象が気にかかるのだ。

何を成功価値として、何を失うのか。

バブルは繁栄を謳歌して幸福だったというが、失ったのは財物だけではない。

ことさら心配性で恐れ体質ではないが、どうも歴史の特異点に差し掛かったように感ずるのだ。

「中立性を求められる検察官の判断に影響を及ぼしかねない」

筆者はこの言辞に彼らの限界があるとみたのだが・・・・

 

あらためて赤木財務事務官の御霊に哀悼を奉げたい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総理・・? 俺たちが当選しやすい看板なら誰でもいい  2022 あの頃も

2024-10-18 00:45:28 | Weblog

 

青森県弘前市  子供議会

 

 

いつ頃からか議員の資質評価が変わってきた。

同時に論議も騒がしくなり、答弁は稚拙で反論もまるで地裁の法廷のような弁護士と検事の応答のようになってきた。それにつれて党首は選挙の顔として実像はともかく、有権者受けする顔と弁舌良し悪しが有効とされてきた。

顔は学問や体験で集積された出来上がった容貌ではなく、だだ、器官の位置が整った程度で、弁舌は、まさに舌が言う「話し」ばかりで、吾(自身)を言う「語り」などなく、古人が揶揄した「政治家は人を騙して雄弁家という」そのものになってきた。

 

マスコミとて江戸の瓦版屋が記事の束を振りかざして台の上で庶民の耳目を集める口上を大声で叫んでいたが、政治家も似たようなもので、話す内容は聴衆の興味に合わせて難しいことは云わない。そのせいか聴衆にとっては難解だか、社会や国にとって大切な問題は学ぶこともなくなった。それは小泉総理の「自民党をぶっ壊す!」のワンフレーズに踊る大衆の簡便さからだ。

今どきの民主主義文化とはいうが、文を売って生活したり、舌の上下運動で稼ぐ言論貴族も政治家と類似した群れになっている。

 

そもそも、脅し、覗き、楽になること(もらえる事)を話題にすれば、一応は聴いてくれるが、街頭でまともなことを聴こうと思うことすら、そもそも期待はできない。大衆は立ち止まってくれることでカウントされる頭数になる。その多くは、政党動員の付和雷同、なかには日当もでることがある。ましてやテレビに出ている議員を見てきたと、内容はともかく浮俗では話題にはなる。

 

経歴看板も、昔は官吏くずれか、地域の顔役しか議員にならなかった。

役人の世界では、変わり者、金銭にルーズ、女性に問題がある、そのような者が省益の守護者として規制管轄の企業を動かして当選させ代弁者となる。

学校歴は東大法学部、それも目くらませの流行り事だが、その後は私学早稲田の雄弁部、あとは松下政経塾が看板となるが、大衆は見事にコロリと騙される。

東大が金看板だが、知識はともかく見識も胆力も乏しく、なにより騒がしい。

旧制は教養を旨としたが、新制になった途端、食堂は騒がしくなり、校歌でさえ古臭いと歌わなくなった。

そこの出身は、きっと頭がいいはずだと、役所にいれば新聞ネタになるが、政治の世界では小回りがきいて利権の嗅覚が鋭く弁舌巧みとなるが、ときに刑務所の塀を歩くようにもなる。

面白いことに巨悪も捕まえる検察も法学部の同窓生。 しかも、国費の補いで在籍しただけの群れが官域、政界、財界で看板のごとく乱立して戯れている。

単なる学校歴の充て職なのだろうが、まるでバチルスのように蟻塚を築き、まさに社会の悪弊ともなって閉塞した社会構造をつくり、国民の諦観ともなっている。

 

邪魔な同僚をそそのかし政治家にしても狡知に長けた官吏だが、クビにもならず、つねに生涯賃金を計算して退職後を夢見ている群れだが、慇懃無礼に政治家に迎合しつつも、落選すればタダの人と心中は嘲わらっている者が多い。

しかも特異なところは、改竄、隠ぺい、虚偽報告などが、露呈すれば部下に被せ、いさぎよく自裁するような高潔な部下がいても、我が身をかばって鉄仮面のように無視する非人情な特異な群れだ。

世界のいたる国でもその傾向があり、大衆が苦しみ国家が衰亡しようとも、崩壊の瀬戸際まで彼らの醜態は継続する

 

また、腹話術師のように議員を手なづけ、語ることなく、読むだけの答弁を強いている。

これでは人格はいらない。だだ、人格とは何ら関係もない附属性価値があれば十分だ。

それは、地位・形式名誉・財力・学校歴(学歴ではない)、加えれば家柄や役に立たない名目資格、それに顔と口の上手さだ。それで日本国の政治家になれる。

 

      安岡正篤氏

 

筆者の青年期に縁あって高齢な人物に会う機会があった。

「君、政治家になりたいかね」

「そんなつもりで学問はしていません」

「政治家は、人物二流でしか成れないものだ。そんな世の中になってきた。」

「・・・・」

「大衆もデモクラシーを権利としているが、デモクレージーの様相だね」

或る日のこと、書斎で訓導していただいたとき、来電があった。

「○○さんから電話です」

「来客中!」

間をおかず再度来電。

「来客中!」

「〇〇さんとは、あの・・ソウリ」

話して解かる人物なら良いのだが・・

 

この古老は大学についても語ってくれた。

「家の事情で大学へは進みませんでしたが、いちど大学へ行ってみようかと思うのですが・・」

当人は一高帝大の秀才で今は碩学と謳われた人物であり、政官財に多くの自称弟子が存在しているが、本人は弟子など持ったこともないと、つねづね語っている。

人は称して、歴代総理の指南役とか陽明学者と勝手に喧伝されているが、筆者に語ることは「無名で有力、有名は土壇場で名に囚われ無力だ」と。

 

大学について諭している。

「「大学」という学問は面白いが、大学校はこれほど、つまらんところはない。自分は学びたいことがなかったので毎日図書館に通っていた。君、大学に行くのかね

氏の云う「大学」とは中国の古典にある四書五経の「大学・小学」のことだ。

「西洋学も試みたが、深く考えると頭がぼんやりしてくる。そこで東洋の学びに戻ると腑に落ちることが多い。いまの教科になくなったが「人間学」的な学びを求めたらよい」

 

その言に倣ったことで深慮されたのか、人物行脚と称して氏の「人物」と思われ各界の大立者と称す方々に会うことを促された。たしかに有名無名問わず「人物」といわれる人間は全国津々浦々に存在していた。

まずは世間で有名に属す部類として、議員会館や高層ビルの最上階に会長室を構える企業経営者もいた。また有名大学の名誉教授や高級と称され官僚もいた。見方を変えれば政治体制の囲いのなかで名利を保全し、研究成果物を担保として世間を遊弋しているようにもみえた。

それは、安岡氏の説く、無名かつ有力とは逆の、責任地位にあるものの有名かつ無力という、まさに土壇場での実態だった。

 

         八甲田

 

たしか笹川良一氏が喝破していた。人の人生は、喰って、寝て、クソして、やって、お終いだ。

それがグルメと健康と性だとしても、人間はいろいろなことを考えるものだ。

ましてや、総理は誰でもいい、当選できる看板になるなら・・・。

まさにコロナより恐ろしいバチルスだが、実態は誰になっても落ちればタダの人と狡猾に沈黙している官域の手玉になっている。

デモクラシー変じて、デモクレージー。人物二流しか代議士になれない時代。

碩学の慧眼は怖ろしいくらい人物をよく観ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人間考学」 刮目した野田君  2012 あの頃

2024-10-15 01:18:16 | Weblog


情報サイトより転載

後悔、後に立たず」は、我が国の政治、いや政治家の倣いの様になっている


党首討論を観た。視た、見たのではなく「観た」。
好き嫌いではなく、政策でもなく、機に臨んだ人物の刮目した姿だ。
まして、彼らにとって緊迫した政局なのだろうが、国民は幾分の間をおいて観察している。なかには選挙好きで血が騒ぐ国民もいるが、利他(他のために)は争いに無駄だとする一群はここでは措いて観た。

相手は各党首だが,自民党総裁は数年前と少しも変わらぬ様子だ。獲らぬ狸で昂揚しているのか早口がより希薄な人情が表れている。どうしても攻める野党はテレビ向けの演説調になるようだが、野田君の覚悟と比べ軽薄にも映る攻勢だった。

生活第一は老練さともみる向きもあるが、「礼」がにじむ聴きごたえのある応答だ。
公明党もその姿を見せて、双方、相手の人格を尊重した党首らしい応答だ。

いろいろ裏読みの事情はあるようだが、国民にとっては毎度の議会風景として面白く眺めているのが実情だとしても、あるいはセレモニーだとしても、後ろに控える同僚議員の騒がしさは今では死語となっている「人格識見」の乏しい人間の姿として反面教材になる。

いずれ少数多党になるようだが、国民が依るべき「力」や「威」がより遠くなる。それも「何かおかしい」と感じている世情を明らかにするすべとなることを望むが、解決の目途は立っていない。米国は今回もぎりぎりの攻防だった。韓国もそうだ。明確に決着がつかないというが、多くの民主主義を取り入れた国家の選択は、遠い昔に賢者がこれを想定したシステムは他の選択を許さない囲いとして人々を覆っている。

余談だが、これを推奨し、ときに圧倒的武力を使って民主と自由を掲げ商業市場を確保している超大国だが、衰えが目立つと囲いにもほころびも目立ち、シーソーのような政権転換が足下をぐらつかせるようになった。こうなると一党独裁が懐かしくなる。利の集中や少々生活も窮屈になるが、それらの国は活況を呈している。為政者がどんなに財を蓄えても、自分の経済生活さえ邪魔にしなければ賄賂も是とし、かえって多く貯めれば「大したもんだ」と褒められるような国々だ。

隣国は軍,政、党、を一人で統括するシステムだ。よく民癖に合った方策だが、多神教ながらホドよい国柄を構成してきた我が国にとって政治家が国民の面前で相手を嘲り、貶める争論を「何かおかしい」と感ずるのは至極当然だ。情緒民情の異なりは様々だが「国柄」と「人間」を知る為政者が維新の当初に病に罹ったような、゛かぶれ゛というべき阿諛迎合が抜けきらないようでは経国も危うい。

政府も官吏も国民も、最後は陛下では、申し訳もたつまい。
あの頃も明治の残り火のように、いや江戸の御家人のような軍と官吏の争論で国家はまとまらなかった。税も過酷だった。多党乱立し、軍の現地既成事実をなぞって泥沼化した。土壇場では前線兵士の多くは異国の土となり、多くの軍人は割腹して責を全うしたが、経国の責は陛下とマッカーサーの応談に委ねた。後世の学者、売文の輩の珍奇な切り口は色々あったが、高度成長という豊かさにまぎれて歴史を忘却し語るものも少なくなり、現在の様態になった。

被災地では総理に対して帰れコールは起き、陛下は膝を追って頭を垂れ国民に在るべき姿を顕した。人々は人間の姿を観測するにどのような人物を推戴したらいいか理解した。
そして議会の構成員である代議士を比して観察した。なにが「力」で「威」なのか。
そして、賢明な国民は安心して委ねるべき人物とはどのようなものなのかを学習した。

一時は官吏に操られ朝霞の官舎建設予定地でパフォーマンスを演じた野田君だが、多くの喧騒のなか鎮考して刮目した。「男子、三日あわねば刮目して見よ」というが、人間は男子だけでなく三日前と三日後では人物が変わったと思えるほど変化するのである。
野田君はどこかで変わった。「16日解散します」と言い切った言葉の力は今までと違う威力があった。「いゃ、それなら力を委ねるから辞めないでほしい」と、考えた知人も野田君の刮目を観察した。

その多くは人物との邂逅か、意地か、恥をそそぐ大事か、つまり己を知ることで転化する心の在り様であり、他人には映り様である。
音声は知性を表し、容姿は覚悟を映し、後背は自信をにじませる、その現象だ。

こうなると生真面目さが生きてくる。狡猾な官吏に踊らされることもないだろう。
「あの時、言えばよかった」「流された」そんな弱気が悲哀となり、手のひらを返したように官吏が寄り付かなくなるのは侘びしいことだが、「独りを以て国は興る、独りによって滅ぶ」と覚悟して、多勢に無勢であっても邁進するであろう姿に、多くの人々も刮目した。

はじめから、そうすればよかったのに・・・」とは井戸端での女子の呟きだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宰相は、慌てず、競わず、怯まず     14 6/12再

2024-10-12 01:19:44 | Weblog

青森県十三湖



政治の「政」は、正を行う意だが、一に止まる(正)、「してはならないこと」、ことと、「これだけは行わなくてはならない」ことの矜持と決断を表している。それには下座観と時節の俯瞰が必要だが、その思考の座標は沈着冷静を以て行うべきだろう。

標記は、総てが沈着冷静を本とする「多不」だ。急がず、阿(おもね)ず、妬まず、など色々だが、要は不完全なる故の「自省」を本としている

茶坊主や陣笠には分からなくてもいいことだが、宰相は内外の施策方針を陛下に奏上(天聴)する務めがある。陛下とて内外の事情、とくに国民(大御宝)の生計を案じ、細かく世情を観察している。

安倍さんの叔父さんになる佐藤栄作首相は度々皇居に参内している
いまも変わりはないが、猟官、政策提言、など、こと理由をつけて総理に面会を希望する者がいる。宰相とて選挙を深慮するあまり、忙しい合間を縫って地元なり経済界の後援者と会うが、お決まりは陳情もしくは地域や職域の充て職就任の報告など、断りにくい煩いの時を費やしている。





後藤新平

『人を観て、人を育て、人を活かし、人が資材を活かせば超数的効果がうまれる』。
数字をもてあそぶ乗数効果では効果は誤った方向に行きかねない。


一方、数値教育の弊害によって、部分専門家が増えたためか、あるいは各省の縦割りの弊害なのか、それぞれが完結せず、どうしても総理の裁可を仰がなければならない事案もある。
つまり、信頼に足らなくて任せられないのか、官僚に多面的能力と許容量が乏しいのか、これまた分刻みの予定が入り込んでいる。

それに加えて昨今の政治につきものの、マスコミ用のパフォーマンスにも磨きを掛けなくてはならない。株上がれと八百屋でカブを掲げ挙げるのもその一つだが、よくぞ総理にやらせると思う珍奇な芸を所望する取り巻きもいる。いくら選挙向けでもそれほど国民のIQは低くはない。その点、物知りの馬鹿より無学の莫過の方が愚かではない。
「莫過」は過ぎたるは莫(な)し、バカに出来がいい、バカでかい、の類で、決して愚か者を喩えることではない。

余暇にゴルフや居酒屋もいいが、それでストレス発散や教養の種になるのは応用力のたまものだが、昔の宰相は閑居に独想を愉しみ、「清風の至るを許す」厳しさがあった。
「清風・・」とは、「葷酒、山門に入るを許さず」と禅寺の山門に大書したあることと同じで、「葷酒」は臭い人間が入るところではないよ、ということと、「清風・・・」ならいいが、金の臭いや、名利の促しはお断りでということだ。

もっとも、黙っていても漂う人格識見なら近づきもしない。つまり、余計な情報を押し抱いて来るような輩を寄せ付けない人物に成れ、ということだ。逆に欲の深い迎合心の強いものが集まるのも、その人物の雰囲気から発する臭いだ。類は友を呼ぶ。
人格者は諫言をよく聴き、決して遠ざけない。
慌て、騒ぎ、競い、小心で怯む人間は、諫言をことのほか嫌う。くわえて雑事でも聴きたがり、知りたがる。


現実政治は現世価値による世情観察で物事が動くと考えている。とくに数値や仲間内の理屈は、往々にして計算違いした時に分派、分裂する。
とくに、外交では対立した異民族を対象にしたときは表裏と民癖などがどうしてもネガティブに向かってしまう。

しかも急ぎと競争が面前に現われると、どうしても売文の輩や言論貴族の言を流用し、かつ弄ばれて、歴史に耐えうる政策の統一性と思索の許容力が、古臭い、野暮だと切り捨てられ、目新しい巧言をともなう政策に堕してしまう。
ついには追い立てられるように政策を乱発して、ただ落ち着きのない騒がしい政治になってしまう。






宰相は孤独を悦ぶのが和魂の為政者の風だった。絵画に描かれている借景を観て自然を想像し、賢書を読んで出処進退を倣いとする、故に急がず、騒がず、慌てず、競わず、怯まず、の気風が養われ漂う落ち着いた政治ができたのだろう。

なにも固陋な隣国な古典を読まずとも、我が国の栄枯盛衰に表れた和魂を知るだけでもいい。
政治でも洋行帰りの洋才流行りだが、語学とグルメと合理と思われる仕組みを知っても、伏魔殿を形成している国賊的省庁もある。

静かに落ち着いた思索と観照が宰相の務めだとしても、おちおち黙っていられない連中を相手にしては大変だろうが、そんな取り巻きに限って窮すれば他人のせい、危なくなれば使いっぱなしで総理に責任を負わせる。

一度は政権を離れ孤独な閑居と国内巡察を得て習得したことは、人を観る目(観人則)だったはずだ。昨今は観人の座標が一過性の功利に揺らいでいる。
何となく、落ち着かない流れに乗っている国情だと感じる国民の多くは、政経・マスコミの騒ぎの底流を、宰相の沈着冷静の微かなる姿だと考え始めるのは、そう遠いことではない。

それは国家への信の行方でもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙ポスターはいつから笑う(嗤う)ようになったのか  10 7/28 再

2024-10-10 01:00:46 | Weblog

あの頃と同じく変わらない 後藤新平

 

選挙のたびに旧稿を再掲載するが、世は改革と騒ぐが、15年前から相変わらず人間は変わらない。多くなったのは金か色事だ。



古臭い考えかと思うが・・・

街中のいたるところに掲示されている選挙ポスターだが、今どきはデザインも印刷もナカナカのものである。

そして多くが歯を晒して笑っている


書きモノの中身は公約が姿を消し、マニフェストやらアジェンダと゛盗って?゛つけたような異文化の文字が約束事として羅列されている。
この横文字で有権者の大部分は半知半解のマジックにはまってしまう。

昔は「国つくり」「まちつくり」が脚色され、゛お年寄が安全に暮らせる゛゛夢と希望の描ける゛など、曖昧だがどこか納得させるものがあった。

近頃では具体性と説明責任が加味され医療や年金、雇用が細かく謳われるが、これもあてにはならないことを国民は承知している。  今は「安心・安全」だが、これも言うはヤサシイが、優しくはない

ちなみに防衛や外交は票にはならないと語らない、いや語れない候補者が増えた。
当選に必要条件は駅立ちと握手、そして有名人の応援演説だ。
また、何よりも歯を出した笑顔が大事な用件だという。

「熱き叫び・・」とは田中角栄氏のはじめてのポスターだが、今どきは野暮で古臭いらしい。どうせ陣笠で官吏の不作為の言い訳に使われると判っていても、いずれ実力者として郷に役立つだろうと,タニマチのように時間を掛けて育てる地域ボスがいたが、結果と利のリターンが早くなったせいか口が達者で映りの良い候補者が選ばれた。

 

今回の参議院でも多くの職域団体からの推薦があった。ある省ではオンナに問題があったキュリア官吏を補助金団体に委ね立候補させている。官吏はつねに生涯賃金に頭を絞っている。たかだか代議士は落ちれば徒の人,生涯給料は政策責任もない安定職官吏には敵わない。しかも国会の言い訳は代議士がやってくれる

あの地方分権が叫ばれている自治体とて市会議員と課長は同じような給料だ。

ただ、税金経費は議員の方が使う。
あるとき〇〇砲と云われている週刊誌記者が駆け込んできた。

その元建設官僚も欲張りなのか関係業界からの口利き献金の収集に忙しい。

日本人だが外国人風に髪を染めたオンナを係りにして外車、別荘をねだり、補助金団体の役員技官の便宜を図っていた。

本妻が苦情をいえばオンナは、゛その生活を維持したければ・・゛と脅す始末。それが辞める時に「参議院の本義にももとる」と、野暮な言いぐさで離党までしている。

この議員もポスターは笑っている。
標記だがいつごろから歯を出して笑っているのだろうか。
また、その頃からだろう西洋の外交儀礼だと称して女房と手をつなぎタラップを降りてくるようになった。選挙でも女房は髪を振り乱し土下座までするようになった。
候補者もイケ面だからと亭主にけしかけ物書きや芸人が数百万票獲得するようになった。
思慮分別の無くなった国民から頭数を掠め取る選挙が蔓延ったのもこの頃からだ。




中央とパイプがあるとか役所に顔が効くことも役人天下を如実に示すことだが、この時節に金の差配権限を戻した途端、数兆円の裁量予算、いや欲望を喚起しいらぬ競争心を煽り民意を混乱させる狡知が再び頭を持ち上げてきた。



  

  国会の開会
              

                        
喩えは悪いが、女房(官僚)が自由を担保にして恣意的に配っていた家計(予算)に釘を刺し、財布の管理と使い道を限定した途端、うわべは何ら変わることなく巧妙なサボタージュを子供(部下)を巻き込んで始まった。

亭主を気取ったところでスーツを買い、バッチをもらったが、渡された財布はカラッッポ。これでは体裁が取れない。鼻を膨らせたところで威厳も無い空威張り。もちろん房中の秘事も拒むことは無いが無感動。

だだ、こんな亭主にいつまでも威張られては堪らないと、あの祖父の様に唐突に大風呂敷を広げさせ他人にもボケたように見せることで、巧妙に外からも内からも攻め立て、堪らなくなった軟弱亭主は財布の管理と使い方を再び女房に任せるように仕向ける。

すると、どうみても収入に見合わない臨時小遣いが渡され、またスーツに似合った空威張りが始まった。

どうも家計の目的を旦那の自由にさせてはならない。子飼いに迎合され歓心をもたれなければ女房のプライドが許せないらしい。

また、さもしくも卑しい子飼いが増殖し教育にも悪い。

多数の危機・・、消費税の広言・・・、惨敗・・・、戦略局形骸化・・・、二兆円
どこか女房の狡知と類似している。同じ餌でも税のような苦い餌はだれも喰い付かない。
言わされる亭主も高級な竿を渡されて意気込んだようだ。
しかも錯覚した潮目と海流のデーターも女房が優しく小耳に呟いている。




       

          北一輝   陳基美



同じ大風呂敷でも後藤新平や孫文は笑ってはいない。
どうも雄の子が歯を出して笑うのは、こと精神的、肉体的にも衝撃を受ける有事指揮の立場におかれると思うと薄気味悪い。

想像してみて欲しい。

この時世に嗤う男が、「お願いします」と哀願する。

国民のために命を懸けるという者が笑っている。

最後のお願いと泣いて頼むのもいる。勝って泣く男も増えた。

そんな候補者の覚悟は如何に・・・・

これが我が祖国、日本の避けられない現状のようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当の姿を出したら、と言われて久しい 18/3

2024-10-08 01:36:45 | Weblog

        香港

 

以下は屁理屈だと人はいう

 

人の人生経過はセミや蛇のように脱皮する。いや、しないものもいる。

 

何のことはない暗黒の大宇宙の一塊の誰が名付けた太陽系の親星に近い三番目、地球の表皮に四季のある稀有な地域の環境に順応したと思えば、それも然り。

天下思想という生き方のある中国では他人と接するときに「逢場作戯」という妙手がある。

あなたの素晴らしい御高名はこの国でも有名です

大げさとおもっても、普通の日本人なら舞い上ってしまう。これで外交は先手が打たれる。

その後に小声で、「ところであの人物は何という名前

これは本当にあった話だ。

 

在中国三十年、北京語が流暢な佐藤慎一郎氏が高官と会った際の逸話だが、佐藤氏は北京語を分からないと思っていたのか、廊下で部下に尋ねていた話だ。

たしかに前段では気分悪くないが、その都度、人と逢う場面で己を偽ることは並大抵のことではない。だが、己を隠すことも守りの大きな武器となる。

 

若いころ高齢の方の話を聴くことが好きだった。両親が忙しかったためか爺さん子に育った。同世代とも普通に交わり先頭になって悪戯もした。ただ女性にだけは臆病だった。母親が厳しかったこともあるが、中高は男子校、野郎ばかりの世界だった。

銀座のみゆき族のはしりだった頃だが、当時はストライプのカラーシャツやマドラスチェックの半袖を着て薄茶色のクラフト袋を持つのが流行りだったが、地元へ帰ると不良にみられた。

厳格な校長だったが学園祭では高校で初めてエレキギターを許可してもらった。まだビートルズがデビューする前だ。プレスリーかベンチャーズが流行っていた。

 

それが二十歳代になって縁なのか明治生まれの老海(そう呼んだ)に漂った。

爺さん子が老海では活きてきた。それとオンナには興味が薄かった。年寄りのハナシの方が楽しかった。話は酒がお供でよく飲んだ。息子はうるさがって聞いてくれない話を孫のような筆者に口の乾くことも、刻も忘れて語ってくれた。あとで分かることだが、近代史の生き証人みたいな方ばかりで、現在でも語るに憚ることもある。

商業出版や新聞の編集者が訪ねてくるが、「書けば有名になる」と決まり文句。

有名になったら好きな女とも歩けないし、立小便もできない」と断っている。

それでも、゛資料は?゛とさまざまな連絡があるが、頭に入っていると断り、ときおり変わり者を呼ぶ集いには、「誘われるうちが華」と、秘密の駄弁を漏らしている。

 

         

         いろいろな場面を体験させてくれた  五十嵐八郎氏

 

 

酒だが、よく「酒を殺しているね」といわれる。酔いを抑えているのかもしれないが、老海で漂っていると仰天する内容に転覆しそうになる。また戦後生まれにとって始めはチンプンカンプンで意味がつかめなかったが、分かりかけてくると、とんでもない秘史だと分かり、酒に酔ってはいられない気分になる。それはいつの間にか強くなったのか習慣となった。

 

酒には酔うが、ヨッパラワナイ、仲間内ではつまらないようだが、彼らは酒で本音が互いに言えるといっている。酔っ払いをみる(観る)と、薄めのバーバリズム(野蛮性)が目覚めるのか、大声を上げたり、次はオンナのいるところ、と騒いでいるが、オンナの接待はもともと苦手だ。君子危うきに近寄らずだが、「聖人にも欲情あり」と故事にあるとおり、そのこと自体は正常な部類だとおもう。かえってかけがいのない異性として尊敬もしている。

 

自分でも不思議だと感じているが、時折キビシイときある。

誰とでも鷹揚に交流するが、己の何かに感ずると断捨離がおきる。数年行きつけの店だったがプツンと足が向かなくなる。親しい友も遮断する。目に見える頑固ではないので、女将にあえば「相変わらず若いね」と愛想もつくが、こちらからは連絡はしないが友から電話があれば変わらぬ応対もする。

 

内なる心は分かっているつもりだが、どうも表現が届かない。

きっと妙な欲なのだろうかとも思っている

たとえば「夢は?」と尋ねられると、「恥ずかしくて・・」といえない。

童の素直さが欠けてきたといわれればその通りだが、大人になって言えないこともある。

気恥ずかしいのだろうか。

あの頃は、金持ちとか,映画スターだとか、いや、それ以前はパイロットとか、それこそ夢想があった。そのために「勉強をしろ」といわれた途端、嫌いなことは覚えないためか、挫折する。

 

難しいことを学ぶと、それは宿命感に囚われると怠惰になると悟った。もっと学ぶと「立命」だと師は訓導してくれた。そのステージに立てば縁が広がり運も運ばれてくる、ともいう。

だが、現世価値でいう地位や名誉や学校歴や金にうつつを抜かすと、縁もなくなり運も乏しくなると、付け加えられた。

そして、あろうことか「無名で居なさい、それは何よりも有力てある」、と筆者の人なりを見透かしたように厳命された。

 

         

         若僧を見抜く目があった  安岡正篤氏

 

 

それからは世間の常人とは異なった生き方になった。

己の活かし方といってもいいだろう。

そうなると他人も世の中も人と違った観察をするようになり、見方が変わったせいか意見を求められることも多くなってきた。

よく、「自分の頭のハエも追えないくせに」とあるが、意味としては自分のことを始末できてから後に、となるのが、「いつの間にか追えなくなる」のが、たどり着いた生き方になったようだ。世間とは逆な生き方をしたようにも近ごろ感じている。

ただ、「他と異なることを恐れない」ことを旨としているためか、逆進することはない。

 

己を知るために「内観」という方法がある。生を過去に下るとすべての縁は両親に当たる。それ以前は先祖だ。ところが現在より先に向かう羅針盤はない。

ただ、己を知らずに戸惑ったり、悩んだりすると他人に相談したりするが、己の生き方まで他人に相談したことはない。

人の相談事に真剣に考えたり、深い思索をすると己の生き方まで判る面白さがあることが解った。

老海でも「利他の増進のための学び」を促されたためか、習慣化されたようだ。

  利他・・・・不特定多数への貢献

 

それゆえか、名利を図り私利にうつつを抜かす公的立場には厳しい対応をするようになった。

老海の先輩たちも、それを望んだのだろう。何故かと考えると、戦渦と敗戦は彼らの世代に起きたことであり、かつ留まる機会を逸して、いつの間にか戦争に陥った各界各位の公職者の人物として劣化、欠陥があったのではないかという慙愧の念だったのだろう。つまり、官制の学歴による立身出世主義への内省だったのだ。

 

        

        佐藤慎一郎氏も満州の縁

 

 

老海の人たちは各分野で昭和史に名を刻み、戦後も有力な位置にある方が多々だが、それでも沈静して回顧するとより因が鮮明になるのだろう。

彼らは、語り始めると口が渇くのも忘れ,刻を忘れて語った。みなそうだった。

それは教科書や研究本には載ることのない臨場感ある真相が多かった。

理由は、公表するには世情が馴染まないが、妙な企図する人間ではない若者に遺したかったのだろう。

 

当時、そこは満州人脈の巣窟で政治、経済、思想の日本をリードする大立者の集まる場所としてよく書かれたところだ。

戦後の復興は満州で試行、成果を挙げた統制経済によるものだった。興銀を分配元として多くの大企業が育った。

十河信二の新幹線の発想、右翼思想の系統、政界は岸信介氏の系統だ。経済は満州の重工業を牽引した日産、その流れの結果が高度成長経済だ。 

 

         

         満州経済界の雄 王荊山の孫 戴麗華女史  

         香港IBM総経理 懇請された筆者は、なぜか副総経理

        

 

そんな処に投げ入れられ溺れそうになると誰かが手元に寄せてくれた。

人と変わっているとは言われるが、それで変わらない方がおかしい。

己を説明するのも、おっくうになる。

ゆえに他人には理解できない人間だと自分でも思っている。

講話を依頼されても、主催者は人物説明することに難渋している。

経歴は生きてきた年数しかない。それを知って講話が活きるなら行うが、それでは本当の自己紹介にはならない。単なる経歴紹介でしかない。

自己を知らずしての自己紹介では、知ったつもり,聴いたつもり、の認知でしかないと考えている。

ゆえに備忘録を綴って、その数多の拙考駄文ではあるが、部分認知ではなく、眺めてほしいと願っている。

オボロゲに浮かび、掴みづらいとは察するが、見ることではなく,観ることをお薦めしたい。

 

そして「お前はそんな人間なのか」と伝えてほしい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵌って慣らされる、課題(えさ)には喰いつくな。  あの頃 23 2/7

2024-10-06 15:23:22 | Weblog

嵌って・・・ハマって

 

読者からの資料を含む

 

友人の税理士から届いた知らせを転載します

Q&A(質問と応え) これは課題ではなく、今の時点では仮題である。

消費税そのものを論ずることは課題だが、想定問答を徴収するする側が仮題であってもクイズもどきの質問と答えを出されると従順と随う民癖には、さぞ丁寧に感ずる国民もいるはずだ。

最近、国家を具体的に表す権力為政者の姿は、それに問題意識もなく面従腹背を従順に装う役人、ここでは税官吏の無謬性(間違いがないとの前提)が疑われている昨今、たとえ仮のケースであっても、クイズもどきにして混乱を整える作為には、とこか腑に落ちない。代議士が争論談合して、なんとなく決まったようだが、国民の多くは、どうにかなるだろう、これも慣れるしかないと、種々繰り出される政策同様な諦観(あきらめ感)をもっている。

売文の輩やマスコミで騒がしい言論貴族の騒ぎも、食い扶持を気にして戯れている状況で、集め方、使い方より、タックスペイヤ―(納税者)、タックスイーター(税金食い、徴収者)の分別論議が見受けられない。

バナナの叩き売り(台に上にバナナだけを並べ、調子よく棒で台を叩きながら売る香具師)ではないが、種類は一種類のバナナだけ、国別種や生産地部もなく、大方フイリッビンバナナを山のように並べ、「裏も表もバナナ、美味いよ、今でだけだ、買ってけ!」」と房の表をみせたり、裏かえしたり、人目をひく。

口上につられて興奮している客もつられて買ってしまう。しかもスカートではないが、包装の新聞紙をバナナの上で隠したり見せたりヒラヒラさせると、余計に引き寄せられバナナしか目に入らなくなる。何のことはない、それでバナナは飛ぶように売れる。

軽減税率というのもあると囁かれれば新聞社は押し黙る。老後が大変だよ、国庫も借金で大変なことになる、しまいにはミサイルが飛んでくるのでと、口上巧く語らせれば三兆円近くはすぐ手に入る。あの期待されていた進次郎くんでさえ家庭をもち子供もできれば、官吏同様に巧言宜しく上手に立ち回るようになる。これは狡猾の患いだ。

なかには一万円で200円上がるだけと不埒な議員はいうが、一万円で1000円とは云わない。だから軽減2%は大したことないと慣らされるのだろう。面倒だから一律10%になるに違いない。

諸外国は・・・」と、いまだカブレているが、前記の「イーター」と「ペイヤー」の峻別は欧米の方が厳然としている。納税者は税という参加料と担保を払っているという考えで、つねに「イーター」を監視している

漢字の印象だが「納税」「徴税」は義務だというが、善や義を背景にした権利の理解は乏しいようだ。

昨今、公平と正義をその職掌において表現する、税官吏と警察官の姿が変質した。「税と警察の面前権力の姿が劣化すると、国家は深層から衰える」とは元税務大学校長の安岡正明氏の言だ。つまり正義と公平の観念の亡失だ

もとは、それらを指揮監督する行政のトップ、総理大臣の国家観ではあるが、それを選ぶのも納税者。

厄介な似非民主主義の責任循環のようだ。

 

    

 

以下は<情報提供:エヌピー通信社>の税率についての章の転載です

◆食べ歩きの消費税率は? 

- ◆東京ディズニーランドでミッキー型のワッフルを買い、歩きながら食べたら消 費税はいくらになるか――。

こんな場面を想定したQ&A集を国税庁が作ってい ます。

8月1日にも拡充し、並んだ事例は224問になりました。10月の消費増税 で初めて導入される軽減税率の周知のためで、ホームページ上で公開中です。

◆軽減税率は、酒類を除く飲食料品や、定期購読の新聞の税率を現行と同じ8% に据え置く制度。飲食料品はスーパーなどから持ち帰る場合にのみ8%が適用さ れ、店内で飲食すると外食扱いになり税率は10%となります。ただ、持ち帰りと 店内飲食の線引きがあいまいで、税率に迷うケースもあるため、国税庁では事業 者から寄せられた具体例をもとに、Q&A集で規定を解説しています。

◆8月には、遊園地内の売店で飲食料品を購入した人が、園内で食べ歩いたり、 点在するベンチで飲食したりするケースを紹介しました。各売店が管理するテー ブルや椅子を使わなければ「持ち帰り」となり、軽減税率の対象となることを明 記しました。「遊園地の施設自体は『店内』に該当するのか」という事業者の問 い合わせに答えた形です。

◆同様の考え方で、野球場などでも、売店前の椅子などを利用すれば10%ですが 、観客席で飲食する場合は軽減税率が適用されます。一方、遊園地内のレストラ ンで飲食したり、野球場や映画館にある個室で飲食メニューを注文したりすれば 10%となるので注意が必要です。

◆また、ファストフード店などに多い食事とドリンクのセット商品は「一つの商 品」とみなし、一部でも店内で飲食する場合は外食扱いとなって10%を適用しま す。ただ単品で購入すれば、持ち帰りのハンバーガーは8%、店内で飲むドリン クは10%といった支払いになります。

◆低所得者の負担軽減をうたって導入される軽減税率ですが、事業者や消費者の 混乱は必至と言えそうです。

<情報提供:エヌピー通信社>

参考URL: 国税庁 http://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/zeimokubetsu/shohi/keigenzeiritsu/02.htm

 

イメージは北京の知人の作品です

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安岡が共感し、児玉が師と仰いだ笠木良明

2024-10-04 01:06:36 | Weblog

寺のもみじが色づく頃、毎年のことだが笠木先生の墓前に参って懐かしむことがある。


「安岡は先生の葬式のときに、いの一番に到着して墓前には中華月餅を供えてくれた。彼は先生とは袂を別けて権力についたように思うが、かれの目標は別のところにあった。学者としては珍しくも出る場面は政、経、軍に誘われているが、念ずるところはあったはずだ。」

「先生は児玉が内地で身を持て余しているのを見て、『君は外地へ行ったほうが能力を発揮できる。すぐにでも行きなさい』と児玉の異質な能力を見抜き促している。」

縁者も薄くなった笠木のために世田谷の豪徳寺に同志が墓を建立したとき、傍らには満蒙関係殉職者の墓と児玉が揮毫している。
「いゃ・・字を書くのは苦手でねぇ・」と、ようやく動かした筆である。

また豪徳寺では宮島大八(詠士)氏が主宰していた鎮海観音会が毎年行なわれ、笠木関係者も参加している。「書は東に行った」と中国から讃えられた書家であり思想家であった宮島の縁も多岐にわたり、代々この会は布施無しと住職に伝わっているほど盛大なものだった。本堂での観音経の読経は重厚で長く、毎回足がしびれる不謹慎を記憶している。





                  






毎年一回の笠木会には満州高官、関東軍、笠木の提唱した自治指導部、あるいは満州体験の政治家、経済人が新橋の国際善隣会館に集った。
また、世田谷豪徳寺でも法要があったが、児玉の主宰する交風倶楽部の面々も参加している。

筆者は唯一の戦後生まれだが、可愛がられ、いたずらされ、叱咤され、縁を繋いでもらった。当時、新日本協議会の甲斐田氏、新勢力の毛呂氏、あるいは神兵隊の中村武彦氏、また師友会の安岡氏や多くの影響を戴いた佐藤慎一郎も笠木氏の道縁である。




               





この笠木会を陰で導いているのは終生笠木氏を看た五十嵐八郎氏であり、名幹事の木下氏である。五十嵐氏は神田神保町に事務所を設けて多くの運動家や引揚者の拠点というべき場所を提供している。前記にある面々も五十嵐氏の世話になっている。

剛毅な五十嵐氏は大よそ姓なり名を呼び捨てである。巷間、正統右翼の論客といわれた中村氏を、゛武さん゛とよび、よく筆者を同席させて昔話をしていた。岡村吾一さんとの縁は、筆者が通っていた銀座の東京温泉のサウナ室で何気なく話した笠木氏の縁から五十嵐氏との厚誼がわかり、ときおり精力のつく栄養剤を土産に歓談する仲だという。
児玉氏との逸話は別章に記したが、これも元は笠木氏の縁である。





                





戦前は笠木、大川周明、安岡が歩みをそろえたときがあったが、意を違えて袂を別けている。その事情を知っているものにとっては月餅をもって一番に駆けつけた安岡の純粋な情感は、様々にいきさつを超えて感謝をしている。

筆者がみて似ているところは、ぶっきらぼうだが、温かく、語ると厳しい。あるいはあの年嵩も違う選手に聞こえよがしに呟く野村監督のボヤキに似たものが多くのインフォーマルな逸話にある。器でも度でも目方が違うのである、いや量れないのである。





               






世情に博学な人物を評して、物という字に点を付けて「テンで物にならない」(点を付けたら物という字ではない)、単なる物知りだということだ。
あるとき大企業の社長が就任挨拶に訪れた際に、「辞めるときのことを考えておやりなさい」と、褒め激励されるものと想像していた社長に応えている。

笠木も大川周明の話を聴きに行ったが、みな高名な学者の話に聞き入っていると「オレはポチではない」と纏わりつく弟子と称するものを嘲笑している。
また、滝にうたれて修行したと自慢する人間には「滝にうたれて偉くなるなら、滝つぼの鯉はもっと偉い」と応えている。

つまり、「本立って道生ず」人間としての本(もと)のないものは、いくら学校歴や地位を貼り付けても役に立たない、その証拠に満州崩壊時の軍、官高官の醜態は、まさに、「儚き知の集積」でしかなかった。

安岡にも多くの弟子と称するものがいるが、本人は弟子を持ったことが無い。
また多くの高学(校)歴を有したものや、名利を金科とするものが訪れるが、心中は、゛幼児でも解ることが分からなくなっている。これが国家の指導階級か・・・゛と歎いていた。

゛政治家は人物としては二流にしかなれないものだ ゛とも。

確かに安岡は共感し、児玉は師と仰ぎ添った。笠木良明とはそんな日本人だ。

[敬称略]



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする