数次にわたる空自幹部講話ですが、懇嘱を受けて教授案の作成に取り掛かります。
近隣のパワーバランス変化が危機感となり、特異な職掌ある隊員諸士の講話については技術や知識の類ではない内実が必要となります、
しかし、此の全体を包み込む言辞は、コネまわした付け焼刃で適わないことは当然のこととの受任でした。
この章は、講話後に送付された隊員の所感への、感じたままの応答です
よく、統御(組織マネージメントなど)には、人間の問題として「観人則」を伝えます。
今回、教場の一隅で虚ろに聴いていた隊士の所感は講者の人物そのものを観る洞察がありました。
洞察力とは、対象となるものの本質に潜在するものや、その奥底まで見透す醇なる観察眼です。
まさに驚愕し講者も学ばせていただいた所感でした。
数次にわたった講話で継続課題としたのは「統御」・縦横無尽、臨機応変を養う「機略」・それを有効せしめる「浸透学」・そして例とした「謀略」でした。
所感は、その課題を連結意識として、職掌各位の有効的連携、あるいは運用に必須な瞬時における直感力、想像力として感じていただいたと思います。
数百ある所感の内、特異な観点から自在に記され、かつ組織内統御の要点である「信」の在りようを彼なりの視点で考察している一部を紹介します。
下北 釜臥山 山頂レーダーサイト
所感 Y 隊員
無名にして有力、下座からの視点。こうした、下手をすると説教がましい話は、内容の如何や伝え方以上に、それを語ろうとする当人の佇まいや立ち振る舞いの次第に左右される。
増して、それを初見の人々を前に冒頭で語るとなれば、これは困難というよりも、話し手の側に何かある種の開き直りがなければ不可能であると思う。
つまり、伝えようであるとか、講義をぶってやろうとか、そうした思惑がある限り、そのことが雑念となり、無名にして有力という内容をたちまちのうちに空虚なものにしてしまうであろう。
武人は、その空虚こそを身に纏い、伝えるというより相手の内にあるものを励起することで、相通ずるものであろう。
それが仮に、予期された内容を伴わないとしても、人が互いに影響を与え、受けるということの本質は、相手をねじ伏せようとか、相手から評価を得ようであるとか、まして、人の目を気にし、周囲に阿ることで成るものではない。
先生は、私がこれまで20年ほど大学人として生き、転職後1年ほどを自衛官として経験してきたなかで目にした教養人や研究者、あるいは上官や指揮官とは異なり、何かそのような間というか雰囲気というかを、その良し悪しというよりも次元の別に自然と伸び縮みさせる方とお見受けしました。
俗っぽく言いますと、小さくたたけばそれなりに、大きくたたけば大きく響くというような、鐘か器かのような印象を持ったのです。
そしてお話の一つ一つがどうというよりも、私にすれば小学生の低学年くらいまでの、学校や剣道の先生に向き合った感覚が想起されました。素直に倣い信用できる対象であった大人に、久しぶりにお目にかかった、ということです。これは懐かしいということと、あまりにご無沙汰のことで、逆に新鮮なことでした。
わかったようなことを書きましたが、私は当初より部屋の一番後ろに隠れるように座り、お話の半分くらいはうとうととしておりました。前夜、些細なことで妻と喧嘩をし、一睡もできなかったこともありますが、結局のところ言行一致のないことは、開き直りでもなく私の本質であり、修行を要するところなのです。先生はそれもお気づきでしたでしょう。
三沢基地
応答
江戸の小話で「女房に負けるものかとバカが言い」とありますが、バカは馬鹿ではなく「莫過」と理解した方が安全です。
「あんたバカと云ったでしょう」
「いや、バカは馬鹿でなく、過ぎたるはなしといって、バカでかい、バカにできた女房、バカちから、それは愚かでないが、人より過ぎた、優れているという意味なんだ」と、利口者は応える。
貴官は再度ケンカして試してみたら如何か。野暮でなく粋な喧嘩ですが・・・
戯言は世の潤いといいますが、旧知の卜部皇太后御用係と小生の酔譚はこうだ。
昭和天皇が重篤のときビヤホールでのこと、「大変な時に外出を・・」
「いゃ、おそばにいても私は医者ではないので役立たないので・・・」
ホールには健啖家の入江侍従長も生前は泡友として愉しんでいた。
「入江さんもお亡くなりになって陛下も淋しかったのでは・・・」
「お亡くなりになったとき、陛下は『入江は食べ過ぎだったのか…』と下問された」
「お応えになったのですか」
「ええ、そのようです、と」
かの世界の実直な問答だが、一般なら病の種類を御聞きになるが、不謹慎と息巻くものもいないとは限らないが、これも同じ楽器を鳴らしている御方の音と拍子と間(ま)の妙のようだ。たしかに起因は健啖家つまり食べ過ぎでもある。
竜馬は勝と横井小楠に私淑している。西郷も勝から音の表現でドンがチンではないと印象を持っている。江戸会談のお膳立てをした山岡鉄周も駿府で西郷と会見、気概と腑に落ちる言辞に呑み込みの速い西郷も肝胆を察した。
ちなみに小楠を「おそろしい人物をみた」と述懐している。
小生も安岡正篤氏との初面で見抜かれた。「君は無名でいなさい、それは何よりも有力です」また、学び舎での向学を考えていたら、「大学(四書五経)という学問は有効だが、学び舎大学校は独学の補助、自分は学ぶべきものがないので始終図書館にいた」ー
たしか孔子も「学問は衣食ためではない」と説く。(欲心の自制)
佐藤首相も訪米間際に教えを請うていた。それは大統領との応答辞令だ。
今までは数分の挨拶だったが、終了間際に「大統領、わが国にも武士道があり西洋にも騎士道があります。真の勝者は敗者にあわれみ(憐憫の情)を持つことが真の騎士道かと存じます」
大国の大統領の、孤高ではあるが矜持見識如何を問うた。会談は長時間に及び、それを機を境に沖縄返還に進んだ指導者同士の共感であった。
それは、学び舎では、学び、知る由もなかった人物の慧眼(本質をみる)を観た応答辞令の妙だった。
まさに眼で見ることではなく、感じて観ることの促しでもあった。
安岡正篤氏から何度も諭されたことだが
「真に頭の良いということは、直感力とそれを活かす情緒(情感)の有無だ」
ちなみに「デモクラシー変じてデモクレージーの様相になって、落ち着きがなく騒がしくなってきた」と。
北部航空警戒管制団 三沢基地
そういえば、多芸の野田秀樹氏は東大医学部卒の映画監督、作家、評論家だが、
受験の要は「数学は解方パターンの丸暗記、受験は要領」と、生業はまさに感性操縦の妙手でもある。
小生も学び舎講義では、「教えるのではない、伝えるだけだ」「学校は落第してもよい、人生は落第しないでほしい」教職課程では、「先ずは生徒を好きでたまらないと思えば、気心は立っているだけでも通じるものだ」と、学び舎にあらぬことを伝えている。
マレーシアの留学生が「無財の力」について思ったことがあると、キャンバスを追いかけて来た。特別講義なので専任に遠慮したのだろう。
「私の国でも郊外に行くとお年寄りが微笑んで挨拶してくれる。まさにお金がなくても挨拶は人と人との力です。おばあちゃんから日本に行ったらそんな勉強できる先生がいるからと云われた意味が分かった」
眼が潤んだのはこちらの方だった。
「きっと帰ったら偉くなって笑顔を失くさない国にしようね」
それが精いっぱいの伝える言葉だった。
老生も若いつもりだが、独りくらいは居てもいいと、近ごろでは古木寒岩のように突っ立っている情況です。
※「古木寒岩」寒い岩肌に根を張っている古木の様相
応答の妙を感じざる所感ですね。ご賢察 恐縮です