それは、見惚れ、憧れ、競争している間に起きていることだ。
年齢を重ねて気がつくことがある。それは人々の関係が希薄になり、その都度離合集散を繰り返す、つまり融通無碍な関係になっていることだ。
近頃は物を所有するということが一昔前からの価値観とは変化して、リース、ローン、リサイクル、など見方によっては便利性が備わった消費経済との考え方があるが、払い終わるまでは所有権は使用者ではなく、あるいは飽きれば残債ごと利用者は移転し、債務が終わればリサイクルに転用し幾許かの小遣いが残る。
ともあれ消費は増え、生産は伸び、金利は稼げる。オリンピックはレガシイー(遺産)だと騒いでいるが、アレも同じパターンだが、地球のどさ回り興行が終われば、あとは片ずけが遺るだけだ。
ここでは、゛思いのこもった゛゛愛着のある゛固有の品物の継続性というものが無くなっている。欧州では厳しい規範のあるペット飼育も日本では、゛持ち物゛として飽きれば廃棄(ペットは物という認識)などはその典型的なもので、昨今は人の関係も、゛易しさ゛と利便性にその選択が行なわれるようになってきた。
考えてみると「腐れ縁」も考えようのあるモノで、たとえ「腐れ」でも縁の継続があるだけマシのようにみえてくる。
そこには様々な種類の「利」が含まれているが,古諺を例にすれば「小人、利に集い、利薄ければ散ず」つまり、人々はその評価を「利」によって行い、それによって離合集散する、ということである。小人がそうなら大人(タイジン)はどうかといえば、浮俗の「利」には拘らない人たちだろう。
たとえば、徒な褒章をねだらない、食い扶持目当ての学校歴に陥らない、やたら衆を恃んで群れをつくらない、流行ごとを追わない、つまり鎮まりのある落着きを醸し出すのを大人というのだろう。
小人の常は離合集散である。そして学ぶことも全て「利」にすすむ。「小人の学、利にすすむ」。そして「情(こころ)」を忘れ人を信用しなくなる。次に来るのは心地よい易しさ(優しさでは無い)に向かい、財貨のみの「利」に安住する。
それらは人の世の変遷の姿であり循環だった、そこまでは自浄も効くだろうし推考できる。またアカデミックにも整理のつく問題でもあり、数多の経典、文献古典によって理解できることでもあろう。特に欲によって陥る人の問題として・・
縷々記した、゛易しさ゛゛縁゛゛利゛などは、その作用によって人が変化、あるいは転化することは考えられる範囲の、あるいは眼に見える範囲の観察で解るものだが、「いつの間にか」となると余程のこと心耳を澄まして見なければ解りにくいものだ。安岡正篤氏は「国家は複雑な要因よって構成されている。その中でも精霊の存在もある・・・」と説いた。
「いつの間にか」という不思議感の混じった問には、゛心耳を澄ます゛つまりアカデミックな理解で可能な、゛易しさ゛とは異なる、感応する心、ここでは直感性が必要になってくる。
こう記すと「難しい」「無意味」との問が生ずる昨今ではあるが、それでは標題に書いた【人々は分断され、一極で管理される世界】については無感覚に過ごしてしまうだろう。
たとえば、銀行の横暴、役人の不作為、政治家の自堕落、温暖化、世情騒がれている問題に、争い、貧困、などの原因があると、ついつい、゛易しく゛考えて半知半解ならず半納得として自らに言い聞かせているようだが、直感の世界からすればそれらの考察は表層の吹き出物のようなもので、むしろ体質変化からくる生活習慣病的観点、つまり社会の本質部分の免疫不全状態に確実に向かっていることが解る。
その本質とは数多の生存環境に有る固有の情緒をもった人々の調和と連帯である。
それが溶けて解体しているのである。
テクノロージーの発展はPCを介して多様な意志を収集し整理管理化に向かっている。そのシステムは一極に収斂され、互いに分からなくなった人々の集団化(群れ化)をよそに、かつ同時に謳われた「個性の発揮」「個人情報の保護」「コンプライアンスの遵守」を秘匿管理のプロパガンダの手法として耳障りよく「易い」人々を誘導管理している。
自由、民主、平和のために戦争は起き、その民主と自由を用いて放埓した民族に転化し、自由の裏面にある孤独感を解消する為に架空擬似的交遊の世界を描き、情緒を無意味とした人々は財貨に志向する。また終には管理システム統合と称して通貨は共通通貨もしくは防犯セキュリティーの利便さを謳って共通電子マネーに移行する。
ETCカードが無ければサービスも受けられず、PCが無ければ時の速度を共有できない、ここでは行動の管理と時とスピードの共通化であり管理であろう。
現金支払い、回覧板、手書きの書簡、野暮や古臭いといわれるだろうが、それも何れ歴史の彼方に追いやられるだろう。
金融危機からセキュリティーや利便性を添えて新たなシステムが生まれる。物知りはパラダイムシフトと唱える。そこには小さな極面での利が添え物のように付与されるだろうが、従前固有の国家は疲弊し、これも統合管理の憂き目に向かうだろう。
米国大統領は就任式に「アメリカ国民」てはなく「市民」と謳った。そして人々は酔い喝采した。
その一瞬ではあるが、世界に向けた誓詞に含まれた意図は、歴史のステージを転化する本質的危機の表れの一端と直感したのだが如何だろうか。
まさに、分断と管理の、いつの間にか・・・ にある一種の心地よい誘引フレーズでもあろう。