某大学での依頼講話
木鶏倶楽部 筆者依頼講義「潜在するものを観る」より
《ある日の応答です・・・》
漢学(唐学)や洋学にある知識、技術が、我国の文化に影響しあい、固有の文化を向上させたり、あるいは劣化させたりしながら歴史の事跡を積み重ねてきた。
しかし、その外来するものに影響されたとしても、成文化無き情緒や、民族的直感から導かれるセキュリティー、つまり五感にある潜在した能力を、自然界に謙虚に表現する人の行いや矩が、その外来とのバランスを崩し、浸透潜在していた情緒まで融解しつつあるようです。
また、多様的価値、個性の独立、と文字の意味としては普遍的であるように見えるが、往々にして錯交、分裂、反駁、孤独、に誘引され、前記のような情緒を゛固陋゛だとか、゛野暮゛と考え、相互信頼から生まれる感動感激の交換である「学問」の良質な効果すら理解できなくなっているのが現状です。
天安門広場の敷石 1996
それは以前、「深層の国力」に記した数値評価や成文化された書物の量、はたまた応答のためのみの証明論、根拠論だけでなく、「阿吽」にある無言の共感を、山紫水明、山川草木にいう自然界との対話ツールとして真の個々特性を磨くような涵養を見直すべき、゛辿り゛になったと思うからです。
そろそろ邦学(国学とも)を見直す期が来ています。
つまり簡便で有効な学びの提唱です
知学ではなく、浸透されたされたものを甦させるだけでいいの良いのです。
唐(漢)学においても然り、似て非なる民族の、それも彼の国では「ハナシ」の類を無条件に戴くことを鎮考しなければなりません。
エルサレム 嘆きの壁
制度、文化の導入として漢字を・・ビジネスの導入として英語を・・・
古人は様々な技法を活用して文化を取り入れ、また意思を交換するために共通文字を使用しましたが、宦官、纏足、科挙は拒絶しました。
拒絶することで融解するものを知っていたのです。
それは深層の国力を表わす情緒性です。
本居宣長はそれを知っていたようです。
今どきは、そのセキュリティーの在処も知らず、同化しつつあるようです。
とくに顕著なのは、色(性)、食(グルメ)、財貨への止め処も無い欲望です。
[再掲載]
安岡氏は筆者に説く。
「宿命感は怠惰につながる、ゆえに立命しなくてはならない」と。
京都には立命館という大学校がある。いまどきだから「大学」の意は説かず、大学校の在籍確認を提供するようだが、商業的大学校の生徒は、゛お客さん゛だ。
その受益者なる生徒はせっせと経営者や教授に俸給を運んで、似て非なる華人の歴史記述を、゛知った゛゛覚えた゛類の知識として提供されている。
知識と言っても知の道理を構成する「識」も曖昧で、なかには済世や己の裁制をともなう利を虚しくさせ、逆な意もふくむ「利は智を昏からしむ」「小人の学、利にすすむ」状態に陥っている。
それを助長し看過しているのは、己の学説を周知すべく売文の徒や言論貴族に堕す教師に成らぬ、学校教職員のようだ。それは人間の師「人師」ならぬ、教科書に記された内容を説明する「経師」の存在であり、安定食い扶持を学び舎に求める学恩なき人間たちである。
なかには隣国の昔話を矩のように説き、「信なくば立たず」と広言する教員がいる。
現在の商業的大学校は知ることに対価が掛かる。
つまり授業料を払わなければ教えてくれない。加えて教員が知ったことを自己体験して活用した成果もなく、云いつくされた感のある隣国の昔話を用いて、邦家の情感と似て非なる栄枯盛衰の事績を教材応答の種としている。
それによって歴史には記述されることの少ない農民や処世の民がどのような情感を育て、現在にどのような関係性を生んでいるのか聴くことは少ない。
隣国では聖賢であっても、あるいは近代において蘭学をはじめとした西洋合理主義をそれぞれ唐学(漢学)、洋学と分類しても、それが混在する日本社会において「日本的」に馴染みやすい、あるいはス―っと入ることは現在の古典学習すらアカデミックに論調に整理され、かつ数値評価にさらされるようでは古典教員の意味すらない。
そこには国学の本居の苦渋した唐学大好き人間の姿であり堕落でもある。
はたして大陸に棲み分けられた諸民族の興亡を記した昔話(古典)を人々はどのように読み、実利の具としているのか。
それは我が国の教養の一端として、かつ名利衣冠の背景に飾られる名目としてのみならず、異民族の歴史の昔話に登場する英雄豪傑や文人思想家の文言に自己陶酔の如く記誦する知識人の多いことか。
そこには身体浸透して魅せる人物の稀なるをみて、さらに異民族の情感の表れとして映る。
なぜなら、借り物の教養となる似つかわない学問は、とくに明治以降の啓蒙思想に因をみる官制学校のカリキュラムとなり、アカデミックな分類、考証でには馴染まない土着的な人物往来、応答辞令、俯瞰した推考などとは異なる、肉体的衝撃を回避するための狡知でしかない。
それは官制学校制度という枠組みのなかで特殊な身分を構成すると思われている教職員の多くに表れる、世俗、いや浮俗と乖離することによって特殊な権能があると想像する社会の見方が其の界や域を保全しているようだ。
「政治家は人を騙して雄弁家と言う」と市井では語られる。それでも一昔前は教員,お巡りさん、医者と並んで政治家は結婚式に招かれるように尊敬の対象だった。
しかし、昨今の守秘義務と説明責任と矛盾するような理屈にさらされ、表裏の公開が義務化された観がある。それゆえ尊敬の対象であった彼らは非難と怨嗟、そして嫉妬の対象となっている。その意味で庶民は隣国同様、嘲りの対象として彼らの姿を共有している。
つまり、阿諛迎合と好奇心が民癖といわれる日本人にとって、隣国の庶民がみる彼らの姿と同様な観察眼を抱くことは彼らの変質を推考して当然なことであった。
それは、我が国の人物観、職業観、彼らからすれば職業意識と使命感、矜持が隣国の知識人や医師に視る如く衰えたとみるべきだ。
よく、事象や考証の起点に座標軸や幹といわれる本綱が大切たせという。それによって切り口も決まれば結論に導く経過も浮かぶ。ならば尊敬の対象であった知識人(隣国では読書人)、いまでは諸師、教員が何を「本(モト)」に説(せつ)を発しているのか。
その尊敬の対象として、あるときは有名人として地位を有し、学び舎に所属することによって生活を営む彼らの「本」はどのような在り様だったのだろうか。
それは、「利他」の増進への使命感と感動を発揮する所行だった。
利他とは「下座観」とその安寧を阻む人間や組織への論理的抵抗だった。またそのような師や知識人が津々浦々に無名に座して存在して、人々には時に起こる無闇な争論を諭して人々に教化をすすめた。
中央に座して高邁な講釈などは論外だった。たとえ貧しくとも縁あるところに座して処士に徹した。
そこには欲望もあった。偉くなって有名な学び舎に素餐を求め、御上に言を呈上して名利を謀る「偉そうな知識人」も数多の愚論を競っている。「善い知識人」もいた。
本来は前例に執着せず、良知を以て利他のために「善例の創造」に異なることを恐れず率先垂範する知識人だ。彼らは昔話(古典)を活用して登場する先覚者にその範をもとめ倣った。
古典の多くは説であり、他に対しては語りだ。拡声器をとおした聖賢の説など舌の上下でまかなう「話」でしかない。
吾を言う「語り」、舌が言う「話」とは古典教員も知らないらしい。おなじ説でも「語り」は吾を知ったうえで伝えることだ。安岡氏の主宰した金鶏学院の掲額は「我、何人(ワレ ナニビト)」と記されている。つまり学者は学問途上の意であり、完成到達者ではないのだ。
清末の読書人(桂林出身)梁巨川は
「読書人(知識人)は聖賢の書を読むものをいう。そして聖賢の書を読んだのち行動をする。それらを読書人という」
つまり前記した、知って教えず、学んで行わず、これは知識人ではないのだ。
しかも、時運に乗った知識人は切り取り知識を添加して世の中を魑魅魍魎な世界に誘導するのが常だ。聴くものが無知だとか、外的要因をあげて講釈するが、「説」が名利に堕すとロクなことがない。
だから庶民は「九儒」と蔑み、毛沢東も「臭九老」と称して十段階の下から二番目の位置に彼等をおいた。くわえれば宦官官吏に取り入り、いくばくの俸給のために曲学阿世に陥るのもこの人たちだ。だだ言い繕いが巧い彼らは「説家」として三百代言のような使い方をされている都合のいい連中でもあった。今は弁護士とも称している。
そんな連中が大手をふるったのも理由がある。
それは真宋皇帝の「勧学文」に書かれている、「書中、自ずから黄金あり」「書中、自ずから女あり」と、学問すれば仕官が叶い,官位が昇るたびに黄金が手に入る。女も思うままになる、という学問の勧めだ。
おかげで、我が国の大学で四角四面に説いて食い扶持に与る教員も潤っているが、その意図を以て珍論,奇論、を編み出した当時の知識人の心底の多くは金と女と名誉である。
だが、元の攻略には何の助力にもならず、国は滅亡した。
つまり、政治を弄んだ昇官発財の徒である官吏と同衾してこそ「説」の意味があったのだ。キリストや日蓮のように不特定多数の安寧のための靖献ではなく、「説」を届けたのは官吏であり、皇帝への歓心と諫言を天秤に様に謀る狡知でしかない。
だから庶民からすれば「あれはハナシ(話)」と蔑んだ。近代でも共産党のスローガンに四つの近代化「四化」が公布された。おなじ発音て゛「化」は「話」、だから、できもしない四つのハナシと理解していた。同様にト・ショウヘイの小平は「小瓶」と置き換え、壁にガラス瓶を投げつけていた。
隣国では、党員、官吏は身分である。だから賄賂が発生する。日本と違うところは、その身分に保証がない。縁者、出自になる出生地、派閥、革命以後の成分(労働者,富農)、留学地、世代など、それらは昔からある班のような群れを構成している。
だから昇官は群れは、長のさじ加減で決まる。
その賄賂は成文法にある日本の贈収賄とおなじように便宜供与と群れの参加料のようなものだが、あくまで仲間内では「潤い」なのだ。たから賄賂は「人情を贈る」という。
それは色、食、財に明け透けな欲望にも表れる。女とグルメと金の欲望にはよほどのことがない限り抗せない。古老は「偽満州は良かった。だが一つ困ったことは日本人の官吏が賄賂を受け取らない。たから下に流れてこない。あれには困った」と。
グルメだが食卓にのる山海の珍味はどこの贅沢にもある趣向だが、人間種を喰う慣習は少ない。あの孔子の弟子,子路も戦争に負けて喰われている。病気の親孝行は自身の太ももを切り取って食べさせた記録もある。子供を食べたければ子供を交換して喰う。「本草綱目」には多くの食人記録が記されている。
その意味での金であり、女であり、喰い物なのだ。だから聖賢逸話が必要だったのだろう。その孔子も孟子も宦官、纏足は否定していない。宦官の登用試験は前提に陰茎を切り取ることと、孔子、孟子を題とした科挙試験だからだ。
日本の大学でも先任教授の論を否定すると教授にも推薦されない。しかも先任教授の雑ぱくな論書を生徒に買わせて単位修得の前提とする食い扶持走狗の教員もいるが、分派ならず分裂した学派のボスとなって学科統合活用できる教養人の輩出を妨げている。
隣国ではその孔孟を鑑として修得した宦官が専権と賄賂を弄んでいるが、これでは民衆は孔孟を敬して近寄らない。宦官とて名目学習だ。その意図は総て「財」であり、昇進して財あれば「一官、九族に繁える」だ。官吏が一人でも一族からでれば親類縁者が繁栄するのだ。
それは日本の官僚制度の身分にも表れた。
江戸のころは諸侯の合議だった。それは支配層として人の上に立つ心構えと郷(邦、藩)の習慣と矜持を継承した。決して食い扶持保全に堕してはいなかった。官吏である武士を制する矩や成文はあったが、庶民を統治するための成文法はなく、郷の掟や習慣(陋規)で充分だった。
民主党の綱領云々も話題になったが、当時は憲法すらなかった。だだ、和人の民癖を深慮した聖徳太子の十七条には、いつの世も変わらない官吏の慣習堕落を逆賭して今でも当世官吏に通用する律をのこしている。
それは、いずれ権力を構成し人々の尊厳を毀損するであろうことへの危惧だ。その対象は政治家、官吏、宗教家、知識人(教員)、今どきは金融資本家も入るだろう。
それは、学び舎もなかった当時の豪族武人と官吏という部類に向けられたものだが、いまでも十分通用する簡潔明瞭な内容だ。
ちなみに権力の暴走を制御するのが憲法だ。民法、刑法はそれに準ずるというが、「法の傍をうろうろする奴はろくでもない」といわれたつい先頃の社会では弁護士も少なく、警察官も市中では目立たなかった。たが、法に対する庶民の無意識はいたるところで罰金を徴収され、官吏の人事待遇では政治家が異論をさしはさめないように堅固なものになっている。もちろん教員の人事待遇もだ。
廃棄されていない「十七条」
一 仲良くして競い争わない。
ニ 精霊と法理を守る。
三 長(おさ)の定めたことに謹んで随う。
四 官吏は礼(譲る心)をもって仕事に当りなさい。
五 官吏は貪りの心を慎み、法を賄賂で曲げずつねに貧しいものたちのために心を砕きなさい。小さな善行でも隠すことなく、悪を正す。媚びへつらうものは上には下の過ちを云い付け、下には上の過ちを非難する。これらは国家に忠義なく人々には仁徳も持っていない。それは国家大乱のもとだ。
六 官吏は職務を忠実に実行して権限を乱用してはならない。人材は大小にかかわらず適人をもとめ、人を得ることによって世は豊かになる。決して人のために官職を設けない。
七 官吏は怠惰な勤めをおこなわず早朝から出仕して、夜遅くなって退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。
ハ 信は義のもとだ。ことごとく信を維持せよ。善悪成敗は信にあり。信なくば滅ぶ。
九 官吏は真心をもてば必ず達成できる。なければ必ず失敗する。
十 心に憤りをなくし、表情に出さず、人の心を思いやって行動しなさい。
十一 官吏たちの功積、過失をみて適宜賞罰をおこなう。近ごろの賞罰は効積によるものでは必ずしもなく、懲罰は罪によらない。官吏は賞罰を適性におかなくてはならない。
十二 官吏は公の意識を堅持して税を徴収する
官吏は勝手に税をとってはならない。あくまで国の民であり私的(恣意的)に税をとってはならない。
十三 官吏はお互いの前任者の仕事を倣い職掌を知れ。前のことなどは関知せずと公務を停滞してはならない。
十四 官吏は嫉妬の気持ちをもってはいけない。それでは幾年たっても賢人や聖人は望めない。またそのような人物があってはじめて国が治まるものだ。
十五 官吏は私心を捨てて公務に精励せよ。視診は恨みと不和をまねき、私心で公務が滞り、制度や法律を破るものが出てくる。だから上下仲よくすべきと第一条でも記している
十六 官吏は民を使役、徴税するには時をみなくてはならない。民が農耕しなければ何を食べ,養蚕しなければ何を着たらいいのか。
十七 物事はひとりで判断してはいけない。みんなで議論しなさい。みんなで検討すれば道理に合う結論が得られる。
どうだろう、現在騒がしい憲法九条問題だが、これを問答したらどうだろう。
≪官吏は真心をもてば必ず達成できる。なければ必ず失敗する≫
これなら人員をやたら補充しなくてもいいし予算も効果的に使えるだろう。
時運の現象である防衛や、もっとも重要な銃後の援けは国力として甦るはずだ。
さて、いろいろ官吏の皮肉を交えて記したが、今度の憲法は十七条を肉づけするだけで充分おさまる。
ただ、付記は≪よってその成果如何は国民の良心に任せる≫と記せばいい。
なかには早々と「新政権に授けたい官僚の活用術」と題して加持という教員が書いているが、それぞれ目的使命感を以て職掌につき、民の汗と油の果実を徴収し数倍もの優遇を受けている官吏に迎合する当世知識人の鑑だが、民からすればあくまで前提は太子の十七条の厳守ではどうだろうか。
ときに欲望の民草や権力者が草案したものではないだけに、大綱を嗣ぐ陛下の心情と覚悟と拝すことが十七条の読み方だろう。
また、そう考えるべきことが邦家に棲み分けられた人々の結縁の証だとおもう。
なにも我が国の情感と似つかわぬ、いや本居でさえ鎮考した我が国の情緒のありようを、穂が国の古典にこそ求めたらどうだろう。だだ、十七条ですら隣国の倣い出典だと講釈が飛んできそうだが、確かにある「夫婦 相和し 拒まざるを以て旨とする」という房中(寝室)の秘めごとの規だが、ここには権力者も官吏もいない安逸がある。
知識人の堕落は生活の安逸にあると安岡氏は呟く。これからは熊楠だとも言った。
オッチョコチョイな側近が揮毫の御用を無恥な政財の徒に依頼されると、墨をすりながら長考して、「霞を喰っては腹が膨らまないが」と言うやいなや、書くのは経世の警言である。政局は語らず、官吏には「天子論と官吏論」を説いた。
「活用は人を得てからのこと・・・」と、政治家の官吏活用などなどは問題外だった。
おなじ昔話(古典)でも下座観のある人物の学問は天地の開きがある。
前号の関連稿として参照
国民、国家の遣いとして・・・
あの時は岸田さんがバイデン大統領と、麻生氏がトランプ元大統領と会った。
今は関税交渉とやらで、石破さんのご指名で数少ないお友達の中で赤沢議員が交渉に渡米した。
何を話題にしたのかわからない。毎度のことと国民も諦めているが、売文の輩や商業新聞はお決まりの覗きと予想記事で紙面を埋めている。
問題はアメリカ国民が現と元に朝貢と迎合を繰り返す日本の媚態政治家を人物としてどのようにみているのか気になるところだ。
政治的背景や経済的事情はあるとしても、国民の代表として説明や営業、加え信頼確認のために米国民のみならず、遣いに出す日本国民の軽重すら測られる姿であろうか憂慮がある。
中国共産党の党学では歴史、古典の科目があるという。
いま日本では受験科目にも忌避され、企業でも採用には無用の能力として顧みられることが少なくなった。
それでも挨拶のネタや微かな教養の披歴として稲盛氏や安岡氏の言葉や文字を説明している。
習近平氏はその党学校の校長を歴任している。しかも下放という辺鄙に地方での労働教化も体験している。
それは、人物によってその情勢や時の流れが見て取れることであり、相手が政治指導者ならその国の力量や行く末まで読み取れる、一種の度量や器量の類だ。まさに頭の良いということは数値秀才ではなく「直観力」や先を見通す「逆賭」の力量だろう。
「逆賭」・・・現状観察からあらかじめ起こり得ることを推考する。事前に手を打つ。
「観る」・・・多面的、根本的、全体的、俯瞰
もちろん、相手によって対応を変えたり、古典百家の逸話を駆使した応答も長けている民族のこと、我が国の売文の輩や言論貴族の珍奇な説に踊る政治家や企業人にはない、厚く深い智慧や洞察によって逢場作戯(場面や相手によって応答を戯れる)を、まさに愉しんでいる。つまり見極めた余裕である。「呑んでかかる」と思えばよい。
以前、佐藤首相と米国大統領の応答を記したことがある。
佐藤総理とて岸田総理同様、仮にも学び舎教育を受けた学歴持ちだが、こと相手が戦争の勝者、こちらは白人から野蛮で未開と云われ、時の流れで完膚なきまで叩かれ敗戦した国の宰相だある。それゆえ、臆する心があったのか道学の師である安岡正篤氏に対応の妙を請うた。
安岡正篤氏は簡略に騎士道と武士道の共通理念を説いた。相手は利権に目ざとい陣笠代議士ではない。地位の立場に相応した教養と、歴代大統領に比した矜持の現示を他国の指導者に表わす威儀もあった。
従来は短時間の表敬後、ホワイトハウスの庭で共同会見を行うのが通例である。まさか「何の用で来たの?」「ワシントンは素敵な街ですね」はないと思うが、相手によってはそれもあるのが首脳会談だ。
共産主義国家同士でもテーブルの下は足の蹴りあいもある。衛星国の子分のようにあしらうこともある。
「こちらは核がある。言うことを効かなければ大変なことになる」
『いや~、8憶いるので、半分失っても4億は残る』
半分冗談だのようだが、応答は鷹揚だが国を背負う胆力、気概がある応答だ。
笑って握手して協力を謳ってマスコミが化粧して喧伝しても、「どうなるか分かっているよな」は応答の内実である。
なかには,はじめから卑屈、迎合して歓心を買う政経の人間もいるが、もともと仁義道徳が亡失しなければ当選も金儲けもできない世界での一過性の成功者では、なかなか出来ない芸当のようであるが、国家の衰退や亡国には現れる人間の類である。
日中国交交渉は官僚で積み上げられ、周総理、田中総理によってまとめられた。二人で毛主席に報告した際、「もう喧嘩は終わりましたが、ケンカしなくては仲良くならないようです」と、大人が子供に諭すように語った。そして田中総理は「楚辞」をもらった。楚辞は「世はみな濁る、吾、独り清む」と嘆いてベキラの淵に身を投じた人物の逸話が書かれている。つまり最後には「身を投じる」ことの暗示のようにもみえる。
周は論語の一説「言、信を必す。行、果を必す」と揮毫を贈呈した。随行は歓喜し,記者もそれを発信した。
佐藤慎一郎氏は「遊ばれたね、あれは文字遊び。一国の総理やエリート官僚がコロリやられた。いずれ日本は下座になる、それがエリートなんだ」 それは占領時の軍人が高名な書家に揮毫依頼したときのこと、エリート軍官吏は書いてある内容はわからないが、有名書家の、つまり女性のブランド好きのようなもの。
ところが文中に「恥」が欠けていた。恥を知れということだ。嬉々として床の間にかけている軍官吏が高位高官に就いたエリートなのだ。ロシア文学好きの共産主義者や論語好きの媚中のようなものだろう。
論語に戻るが、周の揮毫は論語の一節にある「弟子が一等の人間はどのような人物をいうのでしょうか」と問うた部分の抜粋だ。
「言うことが信用できて、行うえば必ず結果がでる、このような人物はどうですか」
「まだまだ小者だよ」
「一等の人間とは」
「主人(皇帝なり元首)の遣いで異郷の地に行って、主人に恥をかかせない,義のある人物が一等な人物だ」
つまり、周の揮毫に書かれていた章は論語の重要な部分が欠落したものなのだ。
続く章は「硜々然として小人なるかな」、つまり言うことが信用できて、行うことに結果がでる、それは小者で、国や民族、要は元首や国民の思考や教養を矜持として他国に遣いに出なければ真の宰相とはならないと皮肉ったのだ。
だだ、これも遊びて、一杯食った、今度は知恵を絞って、一杯食わせると考えれば、これも人物としての懐に深さだろう。総理みずから国会で流行りごとのようになった細々とした説明や言い訳では会談も締まらない。貴重な時間の浪費でもある。まして改竄、隠蔽、先延ばしでは異国では通用しない。
彼の国は人治と云われるが、所詮、法を積層しても、部分を探求する官吏が優秀と云われても、軍備が整っていても、在れば有るに越したことはないような類で、個々の力量、深層の情緒が真の国力であることは熟知している。歪めるのは汚職腐敗で民が面従腹背になり放埓になることによる国内社会の衰亡だと考えている。
いや歴史の教訓として、弱さを見せれば外敵も内敵も浸食する歴史が学びとして重要視され、先ずは「人間観察」を要点として現在から将来を推考する、つまり人物の力量を見抜き応答する、かつ信用できる人間の存在こそ国の命運あると考えている。
周さんは上手くやった、と人民大会堂は万歳が響き渡った。万歳は「万砕」(ワンソイ」同じ音でもある。
鄧小平さんは、小平は「小瓶」黙って瓶を壁に投げつけた。
四つの近代化は「四化」だが「四話」、あれはできもしない四つのお話しだと。
でも、批判されても分り切ったことだ。角さんも一杯食わされたと鷹揚だ。
高く買わされれば、「あんな良いものを安くしてもらって」といえば、売り手も隙がでる。日本人なら今後は買わないとなるが、彼の国は関係性が継続する。看板な「言、二値ナシ」とある。価格は間違いない、これが正価です。ところが看板の二つの値段はないが、三値や四値はある。そこには断絶や訴訟もない。前記した「逢場作戯」なのだ。悔しがれば、運が悪かった、今度がある、と。
いっとき市井で流行った本に「厚黒学」がある。要は面の皮が厚く、腹黒い生き方だが、まさに腑に落ちる心底を表した内容でもある。それならと香港で「賄賂学」はないかと探したが見当たらなかった。日本人は賄賂は悪で腐敗堕落の根との印象だが、昔から賄賂は「人情を贈る」と考える慣習があった。
それは「よろしくお願いします」「邪魔しないでください」の類で大らかな人情交換だった。コソコソした日本人と異なり額も大きい。数年前に摘発では、省幹部でも数100億、党幹部になると数千億にもなった。日本では政治家や官僚も小粒で狡猾なのか、その度胸は無い。だからなのか決断は鈍く、すべて打ち抜きで曖昧を旨としている。政治資金の流用も居酒屋やガソリンの領収証、最近では家族に還流して大臣を辞めた小者もいる。それでも東大出の元エリート官僚だ。これでは国を代表した外交など任せられないし、せいぜい握手と写真、少し小狡ければODAの援助利権が関の山だろう。
今回は岸田君は彼の国の民から観て小者のように映った。もしも装って隙を見せたなら、今度は大人のように振る舞って欲しい。孫文も「真の日本人がいなくなった」と、側近の日本人に嘆息している。
先ずは、狡猾な官吏、欲張り陣笠や曲学阿世な知識人に阿諛迎合せず、宿命を立命に転化する学びが欲しい。
メンツをつぶさず、一杯喰わせるような頓智があるなら、面白い漢となる。また、亜細亜は再興するはず。
それなら「宏池」を冠とした命名者安岡正篤氏も感服するはずだが。
< 現在の中国での状況と民情は、繁栄とともに政治指標も変化し民の習性や情操も変化している。ここで取り上げた逸話は人間の本性とする「色・食・財」の欲望に向かうとき、ときおり垣間見る民の智慧と観えることがある。
政治の政策には応ずる民の対策と云われるものがそれである。とくに外交交渉での隘路として異なる姿を見せることでもある。たしかに独特の感覚と応答である。それは個々のメンツとも思えるものではあるが、環境や状況で瞬時に変化する。日本では立場の形式と本音として通底されている姿でもある>
以下、Yahoo!ニュース コラムより抜粋
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
岸田首相が習近平と会談できたのはG20が終わった翌日11月17日にタイに移動してからだった。単純に国の順番から言うと、国連のグテーレス事務総長を含めて15番目となる。
もっとも、11月17日にタイのバンコクで開催されたAPECに参加する国と参加しない国(オランダ、南アフリカ、セネガル、アルゼンチン、スペイン、イタリア)があるので、必ずしも日本が関係国の中で15番目にしか位置付けられていないとは言えないものの、やはり図表を作成してみると、習近平が日本を相当低くしか位置付けていないという現実が、否定しがたい形で突きつけられる。
少なくとも、同じ大統領あるいは首相がAPECにも参加しているのはフランスやオーストラリア、インドネシアなどで、タイで会っても良かっただろうが、優先的にインドネシアで会っているし、17日にタイに移動してからも、フィリピンやシンガポールの首脳よりも、日本は後回しになっている。
日本が少しは優位に立っているのは「ブルネイ、ニュージーランド、パプアニューギニア、チリ」に対してのみだ。タイが最後になっているのは主催国だからだ。
一方、視点を変えると、韓国の大統領とはかなり優先的に先に会っているのは、韓国は米韓との関係上、何としても中国側に引き付けておきたいという思惑があるからだろう。韓国の場合、APECには大統領に代わって首相が出席することになっているからという理屈は成り立つだろうが、韓国側のやり方もうまければ、韓国が6番目に位置しているのは、日本人として決して愉快な気持ちにはなれない人が多いのではないだろうか。
中国は、こういう順番を非常に重視するという伝統があるので、その視点から見ても、韓国に比べて日本など、「どうせ放っておいても尻尾を振って近づいてくる」と高を括っている何よりの証拠だとしか見えないのである。
◆習近平の前でオドオドと焦る岸田首相
そのイヤな予感は、初対面の場面で早速、現実のものとなった。
11月17日午後8時46分、習近平が宿泊するホテルに岸田首相が表れた。バイデンのときと同じように習近平が対面舞台の真ん中にいて岸田首相が速足で歩いて近づいていく設定だ。最初に会った時の会話と動作が滑稽過ぎて、実際の対談がどうであったかはほぼ関係ないほどだ。
以下、日中両国のネットに現れている数多くの動画に基づいて、「習近平&岸田」の対話や動作を記したい。( )内は中国語の和訳や筆者の説明で、会話の文字起こしに関しては筆者自身が聞き取れたものを記録した。
習近平:到了(あ、来た)。
岸田:・・・(走り寄っている最中)
習近平:你好啊(やあ、こんにちは)。(非常に軽いトーン)握手。
岸田:(ペコペコしながら)ええ、習主席と直接対話できましたことを大変うれしく思います。
習近平:那我们今天呢,坐下来谈一谈(じゃあ、今日はですね、座って話しますかね)。
岸田:・・・(大急ぎで日本語通訳の方を見るが、通訳が間に合わない。)
(習近平、握手の手を離す。)
習近平:今天过来的还是昨天过来的?(今日いらしたんですか?それとも昨日いらしたんですか?)
岸田:・・・(通訳の方を振り向いている)
習近平:从巴厘岛(バリ島からさ)(回答が遅れてるので付け足す)
岸田:(しばらく沈黙。通訳の方を振り向く岸田首相に日本語通訳の声が届くと、ようやく)そうですね・・・、あのう・・・、え――っと、そのう・・・、本日、こちらに移動してきました。
(「今日です」という一声が出なく、「あのう・・・、そのう・・・、えーーとぉ」を続けた後に、ようやく「本日」という言葉が出た。)
習近平:今天刚刚到的、我也是(ああ、今日、着いたばかりなんですね。私もです)。
(ここで対面場面は終わることになっていたらしく、二人は対面舞台から去ろうとするのだが、岸田首相は間違えて習近平のあとに付いていき、習近平ら中国側の方向に向かおうとしたので、習近平がそれを遮り)
習近平:你们这边(あなたたちは、こっちですよ)
(岸田首相ら日本側が向かうべき反対側の方向を、習近平が掌を上に向ける形で指す。「あ、どうも」と言ったのか否か、声は拾えてないが、頭を軽く下げながら習近平の後ろをアタフタと「日本側」の方向に戻る岸田首相の姿が映し出されたところで、画面は切れた。)
バイデンとの出会いの場面も見ものだったが、岸田首相との対面場面は、それに輪をかけて「抱腹絶倒」と言っても過言ではなく、中文メディアは大喜びだ。
日本人としては愕然とする。会談で何を話そうと、あとは推して知るべし。
平然とゆったり構える習近平の前に、おどおどと緊張し、日本語も普通には出てこない岸田首相の小物ぶりが際立った。
習近平はそんなに「偉い」のか?
なぜ、ここまでビクつかなければならないのか?
何を恐れているのか?
だらしない!
みっともない!
せっかく国際社会的には有利な立ち位置にありながら、結局は「ご機嫌伺い外交」しかできない国のツケが露わになったのを見る思いだ。「言うだけ外交」、「戦略なき日本」の姿は、こういうところで顕著になる。今後、岸田首相が中国に関して、どのような勇ましいことを「言葉だけで」言っても、何も信用できない。
日本はなぜこんな国になってしまったのか、暗然たる思いだ。
以上,参照として転記させていただきます
イメージは一部関係サイトより
イメージは他サイトより引用
長文だが繰り返す煩いごとを、異なる切り口で観た:あの頃:の備忘録として記す。
体系的とおもわれる説明、アカデミックな学び舎での課題応答には馴染まないが、事は許容力、つまりここでは胆力でいう「力」の問題でもある。記憶力や整理の問題ではない。
また見識にある識の意である「道理」の問題であり、所詮たどり着く道程である。
部分観察は煩いが起きると繰り返し騒然となる。故に多面的、根本的、歴史の時空を超えた俯瞰を、拙章ブログに通底して提唱している理由でもある。
以下 10 9/16 稿
個別の部分考察ではない
普段、歴史を俯瞰して人物を眺め、善例を倣うことを薦めているゆえ、その観点で考察したい。
ことは尖閣海域での中国漁船を海上保安庁の公安行動における政府担当者の狼狽である。
外務省は海上保安庁の問題と縦割りに逃げ、外国との問題にすすむであろう行動に、ここでは知らん顔をした。
海域での資源交渉が進捗しているさなかのことと考えられるが、国権指揮の発動については心もとない態度だ。多面的に考えを張り巡らせれば、円高、資材安ゆえの企業の中国シフト、北朝鮮との六カ国会議、普天間基地問題の米国との関係、それと喉もとの骨のように刺さった歴史問題、乱暴な言い方だが、食い扶持と、安全と、体裁と考えれば分かりやすい。
また、一過性の市民感覚を国家の総攬とみる現為政者の感覚は、往々にして歴史認識や棲み分けられた地域で培われた固有の民癖までも曖昧な同意性を視るのだろう。
それぞれが複雑な要因を以て構成され、曲がりなりにも国家を形成しているという歴史的経過を、思索、観照の内からスキップしたような軽薄幼稚な判断しか下せない指導者、つまり彼の国の大人に比した小人の姿であろう。
ここでは指導者としての教養の特殊性と勇敢なる決断に任せるしか手はない国交の問題だが、そのような意識は国内においては、゛内弁慶 ゛のような政策ならず対策を弄するようだ。
【面子は内に】
よく面子が立つ、立たないということが言われるが、彼の国は内に向かい、我国は外に向かうようだ。極端な分別のようだが、例えば外交交渉でも曲がりなりに連帯と調和を基に外交当事者に全幅の委任をする国柄と、一方は守るものは多民族国家の中で権益を擁した一党一派、一族郎党、あるいは実利という一点に共通価値を求める民衆の期待であり、しかも、器量や度量という人物まで測られる緊迫感が「面子」というかたちで表れるようだ。
面子の貸し借りもある。
外交交渉でもあることだが、立てたり立てられたりしながらしているうちはいいが、政権が代わり、゛ババ゛を掴まされることがある。とくに「人情を贈る」(賄賂)とか、「仕事を差し上げる」(交易利権)などを渡されると交渉そのものが成り立たなくなり、こちらも交渉当事者の交代ばかりか政権まで交代せざるをえなくなることもある。
ただ、覚悟と迫力は別物である。教科書、靖国、ロシアとの思想路線論争などが前段なら、国境の線引きや勢力圏については覚悟と能力が測られるが、「力」の在り様として軍事力が交渉の全体を支配する切迫感がある。
歴史に表れる我国の武勇伝は一騎打ちが誇りであった。
しかし彼の国は一郷でも数万の大群を用意する周到さと、裏返しの恐怖心がある。匈奴、韃靼、ロシア、モンゴル、みな北からの侵入だが、万里の長城、北京を囲む城壁、狭い路地と各戸には高いレンガ塀、あるいは蒋介石渡台後に顕著となった高層階まで伸びる窓の鉄柵が、その過剰なる意識をみせている。
他人を信じないのか、人の物を奪うものが多いのか、日本統治のころには窓を開けていても平気だったと古老は語る。
石原莞爾氏 弘前養生会保存
【「力」について】
同じ問題でも中国の易のようで表裏があり、易の象形であるトカゲのように場面によって色を変える。
彼の国の「力」の考え方を知らずして一過性の繁栄の果実である経済の「力」を、これまた唯一の贈り物として差し出しても、相手に「力」がつけば端金でしかない。
また、その「力」のあるところを見抜くのも彼等の言う利口者であり、゛意味ある゛ことなのだ。
ある女性が子供の大学入学に便宜が図れないかと旧知の人に相談した。もちろん縁ある日本人は四方八方当たるが、その中で、゛こちらも依頼されている゛という話がいたるところで聞くことになった。ここでの「力」は入試試験の便宜の図れる人物のことである。
つまり「力」を利用できるもの、それは悪でも邪まな考えでもいい「力」がある者が意味ある人間なのだ。国交当初は技術力と援助がその「力」だった。
その点、商国家の御用聞き議員の数多訪中は顔売りと権益種別の確保があり、双方の「力」の有りどころの評定、つまり、「各社見積もり合わせ」と同類の狂騒だった。
発注者と受注者の関係に似て、当初は発注試算まで作ってもらっていた技官が、覚えてしまうと発注者の意向で受注者を競わせ、そこに便宜や賄賂、有力者の口利きが生まれることと同様なことと思えば解り易い。
さて標題にもどるが、我国の政治家と役人と称する権力負託者なり委任執行者は一様の姿がある。それは阿諛迎合性と無責任、ここでは作為の付け替えと現状追認だ。
夫々の現場実行者は大義を必要とする。満州事変当初は防衛の為の緊急避難処置で現地関東軍の衝突を追認、しかしここでも国力の加減がおおまかな認知を看過している。
当時の国会は多党化して軍に阿るものもあり、宮中派の意に沿うものあり、と纏まりがなくなっていた。それゆえ議員は軍からも軽んじられていた。
もちろん現場の肉体的衝撃を関知しない議員がその状況を増幅した恐怖の「力」として触らぬことを常としていたこともあった。それは職分境目のない「寄らば大樹」だった。
2025 再びその傾向にある
【銭で国を売る輩】
これは腐敗というよりか怠惰な堕落というものだが、戦後の援助におけるキックバックといわれる海外治外の賄賂は商社や、相手国を通じて多くの政治家に流れているという。
またそれを以て陣笠を養うのも大物議員の「力」であった。
しかし善悪を問うのは独り占めしたか、分けたのか、が彼等のバロメーターだが、彼の国はそれを人情と置き換えて国政とは別物と考えている。ただ、「力」の強さとしての「面子」を見せるために、腐敗、汚職の摘発が為政者の恣意によって行なわれが、そのホドは弁えている。
つまり「力」の行使は、゛ホド゛を弁え、勘案できる人物によって行なわれ始めて効果有るものだからだ。
説家といわれた交渉役や、あの諸葛孔明とて智慧と弁舌の限りを尽くした後、将来に起こるであろう煩事の一点を見据えて、゛杭を打つ゛という逆賭を心得ていた。もちろん、現状危機を回避する交渉(駆け引き)も相手の面子を立て、将来の杭を確信したら頭を垂れることさえ是としていた。
これは雑兵の代表では適うことは無い。宰相としての学を成した人物によって成されるものである。それは歴史の栄枯盛衰に表れる人間の所作を倣いとして、覚悟(己を知り確信する)を養う学問である。
雑兵の損得や官吏の諂いを一瞥せず、つねに国家を登覧する気概をもつ、そのような人物を宰相というのである。
戦後賠償利権、地下鉄、道路、ダムなどインフラに関わる利権、その他の資源、食料にまつわる腐敗は枚挙ある。相手国の政権が代わって露呈するかと思えば、主義主張や思想まで当事国の利権の付け替えのための戦闘ではないかと思えるほど政権移動がスムーズに行なわれ、受け取る相手が変わるだけである。
ただ、それをネタに強請られることも当然起きる。
我国でもいつの間にか表舞台から消えた議員などもいるが、相手国のシンジケートとして売国的な言動を吐くものもいる。
ある政党の会館だか、いまは建て替えているが、旧館は同様な思想形態の国から3億貰っていると除名された当時の会館建設委員が語っている。しかも風呂敷き包みの現金だ。
ある運動家は反共を唱えながら、その当事国から裏資金を貰ってビルを新築しているが、これもその新築挨に呼ばれた気骨ある大物閣僚がその逸話を皮肉って挨拶している。
反共も反米も金になるらしい。
普通は考えもつかないことだが、台湾で反共雑誌を発行していた人物(革命世代の大物の甥)はその大陸の大物の使いで日本の有力政治家を訪れ、゛二人の親密な付き合い゛を提案している。当時2000億の援助を政党幹事長が約束していた時期だ。
(佐藤慎一郎氏談)
ともあれ、数多色々ある滑稽で哀れな関係者の姿だが、それもこれも官吏の不作為を補う政治主導が彼の国の「力」の見方と符合する。なかには派閥抗争も海外に持ち込まれ当事国も困ったことだろう。
斉藤孝夫
国内ではコンプライアンス、政治主導、官吏の不作為、がもてはやされているが、あの当時の食い扶持翼賛的議員の混迷は諸外国から「明確」ではない国家として軽んじられた。そしてズルズルと戦争という惨禍の淵にすすんでいった。そのなかでも兵庫県出石の斉藤隆夫議員は衆を恃まず独り敢然として粛軍を訴えた。国会は一致して除名した。だが出石の斉藤のもとには全国から激励の手紙が届いた。人々は再び最高点で議会に送り出した。
余談だか金や旅行や、中には箪笥やテレビも選挙の道具だが、そんな選挙区ほどろくな議員が出ていない。゛さもしい゛有権者には、゛卑しい゛議員しか生まない一例だ。
【測れない畏怖】
「いまは真の日本人がいなくなった」
孫文は側近の山田純三郎にこう歎いた。
そして「器量も度量も、測れるものは恐れることはない」
゛測れない゛ことが怖いのだ。
人物においては鎮まりの中で洞察するような畏怖を覚える人物を指し、国家においては潜在する国力である情緒性を護持している社会なのだろう。
「無条件の忠恕」それを明治の日本人に志操にみたのである。
測れない力があることを、日本人自身が潜在することから探し出さなくてはならない。
金もない、資源もないころアジアの光明として、今までのアジアでは測れない希望があった。当時は、゛測れない゛強さと具体化する日本人がいた。
そんな畏怖に譲るのも普遍な人間の在りようだ。その「譲」は礼の司るものだ。
衣食足りて礼節・・・もそうだろうが、無意識の礼は畏怖の強さにある。此れを隷属とか服従とするのは人間の力関係の小局でしかない考えだ。畏怖は外的なものではなく、己の内面に照らし合わせ、許容なり多面的な考察の深まりを表すものだ。
いまの日本にはそれが見えない、とくに損得勘定を補う[力]を求める大衆と、それを効率や効果としてマクロ数値に翻弄される権力当事者や官吏に顕著のようだ。
彼等の「譲る」ことと「阿る」ことの錯覚は、いらぬ混乱や惨禍を起こすことは先人の事例をみても明らかだが、どうも忙しくて騒がしく腰が落ち着かないようだ。
裕福そうな領袖の子息を咎めなく飛行機に乗せる決断と、その国の不審船に戦後初めて銃撃をした決断は同じ政府のものとは思えず、さらに銃撃現場の映像に戸惑いが解けたと人々の声を聴く。
その後、不審船は近寄らない。
今回もあの時と同じように咎めもなく特別機が飛んだ。
大国ロシアの皇太子を襲撃した大津事件の司法対応を想起した。
やはり「日本人はいなくなった・・」と、漢民族の孫文の言葉が頭を巡る。
彼等もそんな「日本人」らしさを見たいのだろうか・・・・
今どきは・・・と批評があるだろう。
学び舎の数値選別に血道をあげた学徒の群れには、学びは過去のことなのだろうか。
いや、入れる箱もなくなり、量で表す「器」や「度」も人物を測る目安ではなくなった。
以下は、見たり読むだけではなく、世俗では異論ではあるが「感読」「観読」を試みていただきたい。
朝日新聞 文化・文芸より
前ブログ「教員免許?」の関連稿です。
数日前に友人の賢者に偶成だが、奇怪な考えを呈上した。
また、学縁をいただいた安岡氏の自宅書斎での諭しを想起して、人物造化の教育論に同じような薫りを利いた。
岡氏は世界的な数学者、安岡氏は碩学と謳われ多くの事績を遺している。
岡 潔 氏
以下メール文・・・・
≪ 賢人の各位 殿
無学の拙意ですが・・・、我が身を脚下照顧してご感想をいただければ幸いです
以前、アジアは未開で野蛮といわれ植民地になった。
しかし支配は変わっても滅びることはない。このロングヒストリーを構成し、支える要因に人間がいる。自然界への諦観は支配者にも通用した。そしていつの間にかいなくなった。
この一連の経過にある柔らかさとしぶとさを論理的に表せないか、と友人に問うたら、複雑系数学で解けるという。面白かっのだが、理解の淵には届かなかった
最近、居酒屋の隅っこでめったに読まない朝日新聞を片手に一人酒を呑んでいたら、数学の本質は「論理ではなく情緒」と書いた記事に凝視した。
「多変数複素関数論」
複雑な要因を以て多面的に変化するものの数値的関係、とでもいおうか、まるで国家や社会なるものの構成要素だ
当ブロクでも再三「複雑な要因を以て構成されている国家なるもの」と、師の言を仮借している。
たしかに理屈より、それを関係なさしめているのは情緒なのだろう
ゆえに神とか教えとか、こねたものより、精霊を情緒の元とすれば複雑感は解消し、多変は収斂して結び合うだろう
無学の妙だが、これなら疲れたら空を眺め、せっせと土と草木の関係を熟知した農民の方が実利として浸透している
まして宇宙空間の微粒として地球が浮遊しているとして、考えを人間に当てはめれば、まさに構成の要は情緒交換の潤いの恵みであろう。
宇宙域の限界は未定だが、枠を仮に想定して、当たって戻る波動の強弱が存在するとしたら、枠の弾力性も想定域に入る。
ゆえに人間の許容量、思索の柔軟性、観照力、そして他に対する多面的な対応力、突破力、まさに愚成で筆者拙考した「人間考学」というべきものだ。
岡氏は靖国神社出版の「靖献遺稿録」に安岡氏と巻頭を記している。
ここで、改めてその献言を拝見し、情感の豊かさに敬服するのである。
こんな数学教師がいたら、少しは面白かったろうと慚愧する。
なにしろ、あのころは計算が立つ男は人から心配された頃だ。
しかも数値で人を選別することなど、と、数字の学には触れなかった。
まして身を崩すのもこの手の金勘定の装い学だ。高学歴・高収入の滅びは、情感の薄い金勘定とケチらしい。
岡氏の学を巧く活かせば、この手の学問なら少しは人に役立つだろう
まさに括目する紹介記事だ。≫
安岡正篤 氏
無学で体系もない前のめりの拙意メールだったのか、周囲の賢人からは応答もない。
安岡氏や鬼界に入った昭和の賢人なら腹を抱えて笑い、そして「じっくり考えてみる」「何かの既説にはまらないか」と、珍奇な思考に面白がるだろう。
こちらは苦、迷、狂の入り混じった官制学の在籍経過学舎になじまない情と感の浸透学ゆえ、納まるものもないことは承知している。しかし、彼らの風儀の薫りや老齢ゆえの優しさは体感している。
そして辿りついた境地から発する、人のため、自然との調和のため、の在るべき教育の姿と現実との対比、また彼らの説く人物造化への問題意識は、浮俗に生きる徒に痛切な啓示として覆いかぶさるのだ。
ここで、岡氏の教育論と安岡氏の論を掲載し、拙者の備忘として、部分考察や片々考察ではなく、多面的、根本的、将来的な推考として賢読して戴ければありがたい。
倫理御進講草案を著した天皇侍講 杉浦重剛
≪岡 潔氏の教育論≫
…学校を建てるのならば、日当たりよりも、景色のよいことを重視するといった配慮がいる。しかし、何よりも大切なことは教える人の心(情)であろう。
国家が強権を発動して、子どもたちに「被教育の義務」とやらを課するのならば「作用があれば同じ強さの反作用がある」との力学の法則によって、同時に自動的に、父母、兄姉、祖父母など保護者の方には教える人のこころを監視する自治権が発生すべきではないか。
少なくとも主権在民と声高くいわれている以上は、法律はこれを明文化すべきではなかろうか。
台湾の父母後援会は校長の罷免権がある
いまの教育では個人の幸福が目標になっている。
人生の目的がこれだから、さあそれをやれといえば、道義という肝心なものを教えないで手を抜いているのだから、まことに簡単にできる。いまの教育はまさにそれをやっている。
それ以外には、犬を仕込むように、主人にきらわれないための行儀と、食べていくための芸を仕込んでいるというだけである。
しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかならない。
生まれて六十日目ぐらいの赤ん坊ですでに「見る目」と「見える目」の二つの目が備わるが、この「見る目」の主人公は本能である。そうして人は、えてしてこの本能を自分だと思い違いするのである。
そこでこの邦では、昔から多くの人たちが口々にこのことを戒めているのである。私はこのくにに新しく来た人たちに聞きたい。
「あなた方は、このくにの国民一人一人が取り去りかねて困っているこの本能に、基本的人権とやらを与えようというのですか」と。私にはいまの教育が心配でならないのである。
岡潔関連サイトより転載
たとえ皇太子でも相撲で投げ飛ばしたという御教育掛 山岡鉄舟
≪安岡氏の趣意書撰文≫
今と変わりがない・・・、昭和6年
「日本農士学校創設の趣意」
現所在 (財) 郷学研修所
安岡正篤記念館
人間にとって教育ほど大切なものはない。
国家の運命も人間の教育に掛かっていると古の賢人はいう。真に人を救い正しい道を歩むためには、結局、教育に委ねなければならない。そしてその大切な教育は現在、どのように成っているのだろうか。
現代の青年は社会的に悪影響を受け感化されるばかりでその上、殆どといってよいくらい家庭教育は廃(スタ)れ、教育は学校に限られている。
しかも一般父兄は社会的風潮である物質主義、功利主義に知らずしらず感染して、ひたすら子供の物質的成功や卑屈な給料取りにすることを目的として学校に通わしている。
その群れとなった生徒たちを迎える学校は粗悪な工場となり、教師は支配人や技術者、はなはだしく一介の労働者のようになり、生徒は粗製濫造された商品となって、意義ある師弟の関係や学問の求める道などは亡び、学科も支離滅裂となり学校全体になんの精神も規律も見当たらなくなっている。
そのため生徒たちは何の理想もなく、卑屈に陥り、かつ狡猾になり、また贅沢や遊び心にある流行ごとに生活価値を求め、人を援けたり、邪なものに立ち向かう心を失い、ついには学問に対する真剣な心を亡くしている。
男子にいたっては社会や国家の発展に欠かせない気力に欠け、女子は純朴な心に宿る智慧や情緒が欠けてしまった。
このようなことで私たちの社会や国の行く末はどうなってしまうのであろうか。
さらに一層深く考えると、文化が爛熟(ランジュク)して、人間に燃えるような理想と、それを目標とした懸命な努力が亡くなり、低俗な楽しみと、現実から逃避するような卑怯な安全を貪り、軽薄な理屈によって正当化するようになってくると、このような人々は救済不可能になってくる。
平安時代の公家も江戸時代の旗本御家人もこのようにして滅んでいる。
徳川吉宗も松平定信も焦ったのだか、権力や法では手の下しようも無いほど民情は退廃している。たとえ百万の法規でも道義の崩壊は食い止められない。
このような時、社会の新しい生命を盛り立てたものは、退廃文化の中毒を受けず純潔な生活と、しっかりした信念をもった純朴で強い信念を持った田舎武士であった。そのことは今もって深い道理には変化はない。
この都会に群がる学生に対して、今の様な教育を施していて何になろう。
国家の明日、人々の末永い平和を繁栄を考える人々は、ぜひとも目的の視点と学問を地方農村に向け、全国津々浦々の片隅に存在する信仰、哲学、詩情、に鎮まりを以って浸り、もしくは鋤(すき)鍬(くわ)を手にしながら毅然として中央を注視して、慌てず、騒がず、自身をよく知り、家をととのえ、余力があれば、まず郷、町村を独立した小社会、小国家にして自らを治める自治精神を養うような郷士や、人々に尊敬される農村指導者を造って行かなければならない。
それは新しい自治主義(面白くいえば新封建)主義というべき真に日本を振興することにもなる。
農士学校 現 郷学研修所 埼玉県武蔵嵐山
農士学校は、さまざまな軽薄な社会運動や職業的な教育運動とはまったく異なり、河井蒼竜窟のいう地中深く埋まって、なお国家のために大事なことを行おうという鎮まりを護り、人々の尊厳と幸福を天地自然に祈るように順化し、人間としてあるべき姿を古今東西の聖賢の教えを鏡として、まず率先して行うべき行動である。
金鶏学院の開設から四年が経とうとしている。我々は自身の意思と身体をこの場所に潜め、大地に伏し、地方農村に生活を営みながら、国を正しい姿に改新した先覚者、あるいは社会に重きをおく賢人とはどのような人格なのか、また学問や教養の積み重ねを、いかに勤労をとおして励んだらよいかを研究しつつ、さらにその間、私たちのささやかな意思は、日本の中心に置かれている各方面の国を考える多くの国士とも交流を図ってもきた。
今の様相はもはや一刻の停滞を許さない。
我々は自らの安易な生活をむさぼり、空理空論といういたずらに無意味な議論に安住してはならない。
此処に至っては前記に掲げられた覚悟を行動に現すべく、屯田式教学(勤労しながら学ぶ「産学一体」)の地を武蔵相模の山々に囲まれた武蔵嵐山の菅谷の地に求め、鎌倉武士の華と謳われた畠山重忠の館址(やかたあと)を選んで、ここに山間田畑二十町歩の荘園を設立することができた。さすがに古の英雄が選択したところだけあって、地形、土質、環境に得がたいものがある。
私はここに今まで寝食をともにして学問の道に励んだ有志とともに、日本農士学校を設立して平素考え求めていたことを共に実現したいと思う。
昭和 六年四月
安 岡 正 篤 先生撰
現代訳文責 郷学徒 寶 田 時 雄
≪卒業に際しての送別撰文≫
「送別の辞」
諸君、期満ちて今まさにこの学園を去らんとする。
古城の春色は又新たにし、秩父の山・槻川の流れ低回(俗世間の煩わしい物事を避け)を去るのも能わざるものあらむ。
世の学校に学ぶ者は多し。然(しか)れども諸君は彼らとは学ぶ目的を異にする。
彼らの多くは立身出此の為に学校を選びて入る。だから彼らは知識を弘め技術を修めるといえども、これをもって人を排し(排斥、じゃまな人を押しのける)己を遂げる(自分を成功させる)。
たくましい者は功を立てて名を誇るが、其の劣れる者は終身犬馬を相去る幾何(数量・一生涯犬や馬のような地位から抜け出る人の数)もなし。
諸君が学びに求めるものは、初めより所謂(言うところの)立身出世の為に非(あたら)ず。
倫身・斎家〔自分を修め・一家をととめえおさめる〕に出て、窃(ひそか)に冶郷・、護国を期す。
これをもって遂ぐべき(成し遂げる)己なく、排すべき人はなし。
学問は安心立命(天命を悟り、心を安らかにしてなやまない)の為に開物成務(世の中の人知を開発し、それによって世の中の事業を成し遂げる) の為にする。 ※「開成」「開務」(易經)
造化(むぞうさに、物質をよせあわせ万物をつくりだす・また自然を支配する道理)に参じ、道妙(道理の不思議な機縁)を楽しむ。
実に先哲の達意なり.器の大小・才の利鈍は敢えて憂いるに非ず。
ただ身の修らず、世の安んぜざるを是れを愁(憂う)う。この心を尽くば、大地一不朽(非常にすぐれて永遠に亡ぴない)なり。願わくば、これより世間の有名・無名の人に伍(ご・仲間になって)して、復た(再び)惑うことなかれ。
古今東西の学者学説を羅列(られつ・網の目のようにつらなり並ぺ)批判して愚夫愚婦を導く事は難しい事である。
欧州米国の文明・文化を嘲笑罵倒(あざけ笑い、ののしる)して、北狄〔中国北方地方にすむ民族〕南蛮(南力の野蛮人・タ・イ、ジヤワ、ルソン等)を支服(支配し従属)するような事は、諸君の倫理学・政治学にあたらず。
諸君の孝行は一学の愚夫愚婦をも化し(かし・人格や教育によって接する人の心や生括ぶりをかえる「感化」「徳化」)し、蛮狼(野蛮で冷酷で欲深いもの)にも行わせるにある。
人爵(人から与えられた位・名誉)を求めず、天爵(天から授かった爵位・白然に備わった人徳のこと有天爵者、有人爵者(孟子・告上)天爵遊有、人爵(社会的地位や名誉)を楽しむところにある。
これは、諸君は、底(すで)に知る所である。
安 岡 正 篤 先生撰
( )内は筆者挿入
下北 カマブセ山
文化文明は興隆し、財貨を蓄え矛と盾を増大し、「高学歴」と称するものが増えても、世の中の「なぜ」に妙答も智慧もない。
世の先達たちは死生観もなく、いたずらに死を恐れ、繁栄の残滓を残したまま戸惑い生きている。
笑談の臨機に切り口が見つかったように突然、耳元で口からもれた至言があった。
伝とは、絵画の作者などの、゛そのように伝えられている゛作品だ。
掛け軸などで江戸時代の作者名が揮毫されているが、本物か偽物か真贋は判別しないが、その作者だと伝えられているという意味で「伝」と冠される。
ある晩のこと友人が、「安岡先生の文なり言葉は感性を以て理解しなければならない」と発言した。戸惑ったのは感性への理解だった。彼は学び舎エリートで派遣留学でスタンフォードで早々とドクターになって帰国、官域でも高位を得た人物である。巷の立身出世組と異なり現場認識に秀でるゆえか、将来を推考して醇なる問題意識を涵養している稀有な人物だ。
筆者も教育者,道学者としての安岡正篤氏と妙縁をいただき、幾たびか忠告、提言、文章添削をなど戴いたが、「感性理解」とは思ったことはなかった。
だだ、世俗の学び舎の合理を求める課題に汲々として答えを探るようなことはなかった。
自身の童のような稚拙な不思議感だが、たしかに己の視点や観察、行動への好転、結果への対処が多くの他者と少し違うのかなと感じてはいた。
「感性での理解」帰宅後瞑想した。
何となく、こんなことを書き連ねていた。
学舎は合という理で充て、世間は非合理なるを万象の真理とする。
整理すれば 「合理は論で充て、非合理は感性で充て、不合理は無理に充て」
古諺に「平ならぬことを平すれば平ならず」
もともと平らでないものを無理に平らにすれば不平を生ず、ということだ。
生まれながらの天爵と人為で成る人爵もある。
それを無闇に平ら(平等)にすれば夫々に不平が生ずるだろう。
人の特徴に、モノ覚えがよく暗記が得意なものは試験に向いているが、人格は問えない。
計算が得意で、組織人として従順なら官吏か銀行家だが、無償の情感は乏しい。
暑さ寒さをいとわず肉体的辛苦を問わないが計算が苦手なものは、秀逸な匠や篤農にもなれる。つまり自然界からの自得だ。
昔は「あの子は計算が立つので心配だ」と親は注視していた。多くはオットリ好人物の長男ではない兄弟だ。
ならば、試験に向いているものや組織人を、肉体的衝撃をいとわない戦士に任じては国は護れない。いや似つかわしくない。
東郷は運がいいからと 感性と直感の人事
容姿も天爵がある。
青ひょうたんのように軟弱な者はヤクザ渡世の世界では威圧感が乏しい。いかつい男にはナンパな口説きは似合わない。心根はあるのだが似合わないと人は勝手に感ずる。
ある国では、幹部登用に外国高官と比して見栄えが劣らない顔はともかく、長身の者を任用する。稀に出現するが、往々にして隠れた実力者として権勢をふるっている。あるいは国民は貧困で痩せていても為政者はふっくらと太っているが、姿かたちも威厳になるようだ。
官界の変わり者 後藤新平と任用した児玉源太郎 人事は何を見るか
はたして、人権や平等という主義の謳う人間社会理想の合理だとしても、論の立て方は難儀になる。ましてや学び舎の課題としてもどこに論拠を充てたらいいか答えも数値評価も、世間の実利からすれば詐学、利学、錯学の類でしかない。
近ごろは錯学や詐学を頭がいいエリートと称して素餐をむさぼっているが、まさに不特定多数への利福増進を妨げ、錯覚を誘い、欺く不合理ではないだろうか。
権力あるものに課題を与えられれば、疑問さえ持たず、好むような答えを出そうと努力する。忖度などではない、教育奴隷のなれのはてだ。
故に人物を育て観る目を養うことを為政者の学びに求められているのだが、「観人則」のかけらもない組織の末路は歴史の証にもあることだ。
不合理は無理と書いたが、無はゼロないしナッシングではない。西洋的合理からすれば無意味な「無」だが、ゼロ概念発祥地東洋では、ゼロは「無限」の端緒であり、創造の種と考えられていた、いや今でも活学されている。
それが友の呟いた感性で覚え、察する境地だと思う。
まさに入道の観がうかがえる合理を含有した人間科学認知への端緒に立った呟きだった。
国会の腹きり問答 浜田国松氏
《舌鋒火を噴くような議論は時の陸軍大臣に切腹を迫っている》
【平成6年、あの当時は、゛変わり者゛゛はじかれ者゛と世間から非難された意見文だが・・・・再度,問う】
震災後に海外ジャーナリスト達が集まっての懇談が放映されていた
要はこの「まほろばの泉」で読者にはくどいように映る人間(人物)の問題だった。
制度・マニュアル・コンプライアンスなど人間を括る方策はあっても、土壇場では能力発揮の自由度と責任感がなければ役に立たない。
一人がこう述べていた。
「・・・原発や震災の現状をみると作業員の連帯と調和は世界でも驚嘆するの力がある。しかしそれを指揮し背後で支えるべきエリートの醜態は世界ても稀な非能力だ。日本の教育でのエリートの選別はそれほどひどい。どこで間違ったのだろう・・・」
この種の人間に囲まれたら、たとえ総理大臣でも政権は維持できない。
さて、中央の政財官も然りだが、全国津々浦々にある中小諸団体、特に御上御用に成り下がったような集まりにこのような風潮は無いだろうか。そのために稚拙だが良質な問題意識を持つ若者や哲人の様な庶民の意志は覆い被されていないだろうか。
それゆえ、弛緩した社会を形成してはいないだろうか。以下の拙章をもって考えてみたい。
「キャッシュで4000億ある。だから安心・・・」軽々に金の話をする指導者は金で堕落する。
「出処進退」
意味するところ官に仕えるか、民に退くか。また、現在の地位に、役職に止まるか、辞意するかの熟語である。
名利位官という現在ではさほど本来の人格構成に必要ではない俗世価値に埋没してしまうと、まるで中毒やまいの如く抜け切れない世界を、無自覚のまま形成し、ときには世のため、人のため、あるいは弱者救済に名を借りて御上からの褒賞を待ち望む人々を称して社会悪といいます。
あるいは誰がその地位につくのか、誰が辞めるのか、などといとも高邁な理屈で予想屋的言動を並べる一群も同様と言えるでしょう。
出処進退は当事者の秘奥にあるものです。
世に言うところの充て職は能力、専門知識とは別の、床の間の季節変わりの掛け軸のようなものであり、一喜一憂すべき類いのものではありません。
その他一同があってこそ成り立つ貪りの舞台です。
天下りしかり、無意識に官に添う心しかり、創業、創成の意味なく、不特定多数の利福など望むべくもなく、単なる“兵隊ごっこ”の有り様が繰り広げられます。
一度この病にかかると終生治らないのもこの特徴です。
人集えば中央に位置し、出たとこ勝負で己を偽り相手に従うことの不可、強いて相手を己に従わせることの不可を、反省することのない状態です。
孔子は“六十にして耳に従い”七十にして心の欲するところに従えど矩をこえず”と言いますが、年齢とともに“分”の範囲を収斂し、なを且つ普遍な精神と、善悪一如というべき全て人間から生じた様々な現象を自然の生きざまとして認識し、たおやかな道に入境すべきです。
その中で、心あるもの、生命を継ぐべきものに普遍な精神と、忠恕な心での覚醒と決起を促すべきものです。
「小富在勤 大富在天」
(小さな富は自らの意志の働きにあり、大きな富は天意に添った行いにあり)と、言います。
また、孟子は「富貴も淫するあたわず、貧賎も移すあたわず、威武も屈するあたわず、これを大丈夫という」 富貴は浮雲のごとしです。
明治の言論人、陸羯南は信じた道に人生をかける人間の少なくなった事を叱咤して、
「挙世滔々、勢い百川に東するが如きに当たり、独り毅然としてこれに逆らうものは、千百人中すなわち一人のみ。甚だしいかな。才多くして而うして気の少なきことを」と述べています。
我が国には各省認可による特殊法人がありますが、それに真似たのか地方自治体にも芸術、文化、国際交流、何々記念、等に名を借りておおく法人が創設されています。↑
構成事務の多くは自治体に委ね、役員は元首長を始め管理職以上の退職者のおこぼれ人事が大部分のようです。
中小自治体のことですから基本財産は少なく、金利低下の折り給与を支払ったら事業費が無いといった有り様が続いており、しかも自治体本体の経常経費の増大からか、にっちもさっちも行かない状態があります。 チェック機能としては議会があるはずですが質問事項さえ官吏の援助(指導)を受けているようでは望むべき効果はありません。
しかも、リストラとか称して各種事業の委託、計画立案の外部コンサルタントへの膨大な支払いなど、一層の硬直化を助長し、なかには閉塞状態に陥っている自治体もあります。
審議会、協議会、あるいは外郭団体と称するもの、前記、特殊法人の委員、理事には民間人が多く任命されていますが、狭い範囲の自治体のこと、一人の人間が多くの役職につくことが多く、しかも貪りの民の役職病の如く、官位を貪る官吏とともに一層の深みに陥っているのが現状です。
会議でも意見開示もなく、通称“出面(ズラ)”と称する日当を頂戴しているのが地域の大もの(ボスまがい)であり、民間の“分”を忘れた社会悪の一団です。
゛一人ぐらいはまともに゛、とは思いますがも、“世間の白い目”、゛はじかれ”、の恐れか、あるいは元々、問題意識すらないのでしょう。
半世紀まえに亡国の瀬戸際にあった民が、いまはその繁栄と共に自らの手で自国を崩壊に追いやっていることに気が付かなければならないことです。
「警鐘」すらしまい込んでしまった亡者に覚醒はあるのだろうか。
龍馬や西郷も憧れではない。「成りたい」より「成る」意志がなければ教育も意味がない。
青森県十三湖
2025年 石破首相、いやこの場合は自民党の総裁としての、選挙結果の責任者として、身内の仲間からの出処進退を問われ、行くも退くも地獄の様相を晒しているが、理由は任期がくればタダの人となる議員の失業対策運動選挙の旗印として総裁の差し替え騒動のようなものであろう。
以下、再掲載
政治の「政」は、正を行う意だが、一に止まる(正)、「してはならないこと」、ことと、「これだけは行わなくてはならない」ことの矜持と決断を表している。それには下座観と時節の俯瞰が必要だが、その思考の座標は沈着冷静を以て行うべきだろう。
標記は、総てが沈着冷静を本とする「多不」だ。急がず、阿(おもね)ず、妬まず、など色々だが、要は不完全なる故の「自省」を本としている。
茶坊主や陣笠には分からなくてもいいことだが、宰相は内外の施策方針を陛下に奏上(天聴)する務めがある。陛下とて内外の事情、とくに国民(大御宝)の生計を案じ、細かく世情を観察している。
安倍さんの叔父さんになる佐藤栄作首相は度々皇居に参内している。
いまも変わりはないが、猟官、政策提言、など、こと理由をつけて総理に面会を希望する者がいる。宰相とて選挙を深慮するあまり、忙しい合間を縫って地元なり経済界の後援者と会うが、お決まりは陳情もしくは地域や職域の充て職就任の報告など、断りにくい煩いの時を費やしている。
後藤新平
『人を観て、人を育て、人を活かし、人が資材を活かせば超数的効果がうまれる』。
数字をもてあそぶ乗数効果では効果は誤った方向に行きかねない。
一方、数値教育の弊害によって、部分専門家が増えたためか、あるいは各省の縦割りの弊害なのか、それぞれが完結せず、どうしても総理の裁可を仰がなければならない事案もある。
つまり、信頼に足らなくて任せられないのか、官僚に多面的能力と許容量が乏しいのか、これまた分刻みの予定が入り込んでいる。
それに加えて昨今の政治につきものの、マスコミ用のパフォーマンスにも磨きを掛けなくてはならない。株上がれと八百屋でカブを掲げ挙げるのもその一つだが、よくぞ総理にやらせると思う珍奇な芸を所望する取り巻きもいる。いくら選挙向けでもそれほど国民のIQは低くはない。その点、物知りの馬鹿より無学の莫過の方が愚かではない。
「莫過」は過ぎたるは莫(な)し、バカに出来がいい、バカでかい、の類で、決して愚か者を喩えることではない。
余暇にゴルフや居酒屋もいいが、それでストレス発散や教養の種になるのは応用力のたまものだが、昔の宰相は閑居に独想を愉しみ、「清風の至るを許す」厳しさがあった。
「清風・・」とは、「葷酒、山門に入るを許さず」と禅寺の山門に大書したあることと同じで、「葷酒」は臭い人間が入るところではないよ、ということと、「清風・・・」ならいいが、金の臭いや、名利の促しはお断りでということだ。
もっとも、黙っていても漂う人格識見なら近づきもしない。つまり、余計な情報を押し抱いて来るような輩を寄せ付けない人物に成れ、ということだ。逆に欲の深い迎合心の強いものが集まるのも、その人物の雰囲気から発する臭いだ。類は友を呼ぶ。
人格者は諫言をよく聴き、決して遠ざけない。
慌て、騒ぎ、競い、小心で怯む人間は、諫言をことのほか嫌う。くわえて雑事でも聴きたがり、知りたがる。
現実政治は現世価値による世情観察で物事が動くと考えている。とくに数値や仲間内の理屈は、往々にして計算違いした時に分派、分裂する。
とくに、外交では対立した異民族を対象にしたときは表裏と民癖などがどうしてもネガティブに向かってしまう。
しかも急ぎと競争が面前に現われると、どうしても売文の輩や言論貴族の言を流用し、かつ弄ばれて、歴史に耐えうる政策の統一性と思索の許容力が、古臭い、野暮だと切り捨てられ、目新しい巧言をともなう政策に堕してしまう。
ついには追い立てられるように政策を乱発して、ただ落ち着きのない騒がしい政治になってしまう。
宰相は孤独を悦ぶのが和魂の為政者の風だった。絵画に描かれている借景を観て自然を想像し、賢書を読んで出処進退を倣いとする、故に急がず、騒がず、慌てず、競わず、怯まず、の気風が養われ漂う落ち着いた政治ができたのだろう。
なにも固陋な隣国な古典を読まずとも、我が国の栄枯盛衰に表れた和魂を知るだけでもいい。
政治でも洋行帰りの洋才流行りだが、語学とグルメと合理と思われる仕組みを知っても、伏魔殿を形成している国賊的省庁もある。
静かに落ち着いた思索と観照が宰相の務めだとしても、おちおち黙っていられない連中を相手にしては大変だろうが、そんな取り巻きに限って窮すれば他人のせい、危なくなれば使いっぱなしで総理に責任を負わせる。
一度は政権を離れ孤独な閑居と国内巡察を得て習得したことは、人を観る目(観人則)だったはずだ。昨今は観人の座標が一過性の功利に揺らいでいる。
何となく、落ち着かない流れに乗っている国情だと感じる国民の多くは、政経・マスコミの騒ぎの底流を、宰相の沈着冷静の微かなる姿だと考え始めるのは、そう遠いことではない。
それは国家への信の行方でもある。
カドの丸くなった積み木を積む
弘前、養生幼稚園
五徳は「正直、礼儀、倹約、勤勉、忍耐」である
参考ページ 「四患」にみる
http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/d/20080225
南米の西岸、南北に張り付くような国がある。あのインカ帝国の国、高級服地のビキューナ、また硝子原料の硝石の産地としても有名なペルーである。
アジアと同様に早い時期から植民地収奪の嵐に巻き込まれた南米にあって、ペルーはイスパニア(スペイン)の支配下になっている。またブラジル同様、「移民」という渡航移住奨励によって多くの日本人が移り住み、今では各界の要路に多く活躍している国でもある。
先進途上に有りがちな為政者の独裁、官吏の汚職や腐敗が蔓延り、その資源に誘われた金持ち国(アメリカ等)の政策影響などによって其のくび木から抜け出せない状況が長年続いていた。
それは古代における世界的な文明を構築していた英明な民族が、神々への祈祭のために献上蓄積された金具装飾のために民族の生命のみならず、伝統と誇り、そして意志までも奪い取ったヨーロッパ白人の野党盗賊の如き所業は、柔和な民族性癖を怠惰、姑息な姿に変質させ、かつその愚民政策から学校、道路、二次産業生産施設などの投資や奨励を行わず、一次産業である鉱業、牧畜、漁業を専業として定着させてきた。
大統領アルベルト・フジモリは熊本県を郷里にもつ移民の子である。 その子が教育界から大統領として立候補したとき、母は外国を祖にもつ移民として目立った振る舞いは避け、実直な生活を心がけていたため、息子の立候補にためらいがあったという。それは南米各地に同様にあるような、異郷における日本人が普遍とした矜持に伴う控えめな態度の表れだった。
これは決っして卑屈な迎合でもなければ、計算と謀にあるものではない。時代の表す日本のありふれた人々の生活であり、他国で恥ずかしい真似をしないという善なる良心でもあった。
そのアルベルトが国賓として我国を訪れ、昭和天皇と懇談した時のことである。
そして胸を張ってこう述べた。「ペルーは日本と同様のすばらしい歴史を持っています。私が大統領に選出され、行おうとする政策を支えるのは、勤勉、正直、礼儀、そして母から学んだ忍耐です」
感情を抑えた陛下の応えは、「我国を祖とする人々が外国において、其の国の方々のために役立っていることを嬉しく思います」
今、アルベルト・ケンヤ・フジモリは毀誉褒貶の嵐に遭遇している。ただ大統領立候補の初心と母が守り伝えた誇りを忘れない限り、浮俗の評価を超え、人ととして両国の歴史に記されることだろう。
アジアの黎明期、明治維新に触発された被抑圧民族を救おうと多くの日本人が勇躍した。
孫文の側近、山田純三郎も津軽の雪に耐え、至誠正論ゆえに日本人からも命を狙われたが、自らの意志に偽り無く、天命に随い異民族の苦難を払おうと生涯を賭けている。
その昔、江戸を訪れた外国人の印象は、整理され清潔な町並み、礼儀正しい人々、そしてよく役割を任じて勤勉だ、と記している。
ローマ法王に謁見した少年使節団は、年若ながら礼儀と威厳を心得ていた。それを涵養したのは武士道であり、他に対する実直な対応を養った父母の教えだった。
若き蒋介石と革命の先輩山田純三郎
台湾に遷都した蒋介石率いる中華民国は、逃避せざるを得なかった国民党と民衆の乖離を、堕落、腐敗とみて、国維(経国のセンターライン)を正すため、「新生活運動」と称して、道徳整風の一大運動を唱えている。
勤勉、正直、礼儀、倹約、忍耐
いまどき、と哂う無かれ
ハナシ、お題目などと、マズは無理、と諦める無かれ
世界に普遍で冠たる五つの徳目は、まさに深層に潜む人々のグローバルスタンダードとして其の徳威を発揮する役割が期待されている。
五徳には便利、統合、合理、を唱えるものにも、欺くことが出来ないセキュリティーがある。
金もなく、車も無く、恋人も無く、家も無い、政治も悪い、嘆くことは無い。
徳目なくして其の富と価値はおのずと融解することは歴史に問うまでもなく、誰もが振り返る己の良心に答えは記されている。
2012年 夏
隣国、中国の専売かと思ったら、防衛庁、国交省、東京都まで騒いでいる。こちらもオスプレイ同様ヘリコプターや地下に潜った水道工事、どこにでもその種はある。尖閣竹島も大切だが、納税者にとってはこのバチルス退治の方が重要だ。
こんなことをしているから狡猾官吏の手玉にのった貪り議員の扶養費(生保)押し込み、便宜供与が目立ち、議会答弁でも官吏の不手際の言い訳を議員が負っている状態になる。
あえて極論、奇論のごときに映る「賄賂学」の提唱は、実に合理的実利の真理であろうと考える。どうだろうか・・・、体形化して論理付けたら面白い学説が現われるのではないだろうか。
今の時節、この教科に取り組むもの益々多くなること必然。
まずは東大法学部や警察大学校が魁となれば国家にとって有益なる効果が出るはず。
以下、再掲載
少々、長文だが・・・
これはアカデミック(学術)な経済論や学校のカリキュラムにはないものだが、隠された人間の所業として、重要な部分を占める問題でもある。金と便宜のやりとりは法律という成文法には犯罪もしくは抵触するものとして周知されている。それは表の数値を支え、もしくは支配する重要なポイントでもあるが、あからさまにされることはない。
その姿は、上に厚く、下に薄く、実利の量にあわせて配られる。
胡錦濤主席が訪れるところ首脳外交では各々数兆円の購入をおこなっている。飛行機をはじめとする高額なものだが、民主国家の経済を熟知した金の使い方だ。そのようにあからさまな使い方は日本では馴染まなかった。「金で頬を叩く」様な態度は成金か金貸しとして蔑まされた。近頃は「そうはいっても喰うのが先決」とばかり、抵抗感がなくなり、政府の消費税折込の御用金の配布に誰もが手を出すようななっている。「貰えるものは貰って当然」とより多くの御用金を強請るようになってきた。
つまり、貰い慣れるようになったのである。もちろん此処で記す賄賂にも抵抗感が少なくなったかといえば、逆に賄賂に関係した人間を徹底的、執拗に糾弾して嫉妬の溜飲を下げている。それは隠れて貰って判らなければ、という人間の質に似てくるようだ。
ビジネスに例えれば、成文化した契約書もその不可は、接待、便宜供与、賄賂というアンダーテーブルが有効さを増すことに似ている。
それは華人の商慣行が世界に周知され、市場確保のために順応せざるをえなくなった国々は、中国の善悪規範を超えた賄賂(人情、潤い)の考え方に驚愕の有効性をみている。とくに開発国であるアフリカや南米、南アジアにおけるアンダーテーブルの即効性は市場や資源の確保競争に群を抜いた力を見せつけている。またそれに倣うように賄賂に対して穢れ意識や宗教規範を持っていた諸国も、背に腹を代えられないとプラスアンダーテーブルの手法を陰ながら研究し始めている。
表立ってアカデミックの土俵に乗せられない厄介な問題のために遅々としてすすまないが、生活の習慣性となった華人の賄賂提供と人情の確保には足元に及ばない。華人はあからさまに、ダイナミックに、当然の如く行動できる柔軟性がある。
その理解はグローバル・スタンダードを提唱し、また追従した範囲では許されないダーティーなものだった。それはその世界のルール違反であった。あくまで表面的にだが。
賄賂には許容量もなければ、無知のためかセキュリティーもない。あるのは当世三百代言であるコンサルタント、弁護士の食い扶持であるコンプライアンスによって自身の智慧や突破力を自縛した結果でもある。またこれを倣い学び活用するすべもない。それは余りにもアカデミックな論証や検証に馴染まないからだ。
だか、経済のすすみ方がいままでの経済論にあるスタンタード(基準)を超えて出現したとき、どのように対応したら良いか戸惑っているのである。それは数値や成文化されたデーターなどに過度にこだわり、唯一の選択として考えたために、本来、人間のなりわいの根底にあるエスノペタゴジー(土着的)な考察を無意味なものとして忌諱してきた結果でもある。
金融資金によって生産を管理し為替、投機によって利潤を生んできた中東に根をもつ民が基準として広めてきたシステムが、人の所作応答と欲望を自然な営みとして実利ある人情(賄賂)を交換していた民族の勃興によって世界のいたるところで戸惑いと煩いを発生させている。
表相の力である政治力、軍事力が賄賂を添えることによって、相手国の政策まで転換し転覆さえおこす。日本でも戦後間もなくは戦後賠償で多くの相手指導者に資金提供をおこなった。あるときには女さえ提供した。また冷戦時には各政党のスポンサーは思想の類似した其々の大国からの提供だった。政党会館の建設資金数億円の現金を風呂敷包みで受け取ったものもいる。隠れているが当時の売国的行為は現金より利権だった。
賄賂は商行為の契約、政治の政策も変える。関係する個人の懐にねじ込む、あるいは手を差し出すものにわたせば良いだけだ。海外口座に入金、親族の便宜供与など手口は様々だが、数人の総理候補者からそれぞれ金をせしめる議員も多いようだが、賄賂学でもあればで教師にもなれるが、あくまで上手に貰うための、゛さもしい゛部類だろう。
これほど認知され、効用もあり、相手も喜ぶ賄賂をいつまでも儘っ子するものではない。
いまのカリキュラムにない「人間学科」の「金銭哲学の認知とその手法と効果」として作ったらどうだろうか。
経済学科では、もっとも効果的な資金の活用としてシステム化し、その実例を背任汚職、贈収賄事件の前科者と検事、知能犯事件の捜査二課担当者に事件の表裏と、捕まらないためのセキュリティーを聴講したらいいだろう。
それは社会規範や法の運用者や執行者が弛緩して、賄賂成立の元となる日本人の「貰い慣れ」「渡し下手」が顕著になったこの機会に、是非とも表面化して、みなで学ぶ賄賂学が必要のようだ。経済も停滞し、政治もオボロゲ、加えて「金」という善悪を包み込んだモノに理解もなく、しかも弱く、金によって是非分別、公私の峻別もなくなる人間の本質を考えるべきだろう。
あの田中総理も権勢もさることながら、役人の本人家族やマスコミ、配下の陣笠の佛祝儀に現金を手渡し「人情だ!」といわれると皆、懐に隠し持つように受領する、ある意味では大らかさが金の穢れ意識を祓ってくれる。渡し慣れ、貰い慣れの賄賂なのだろうが、不思議と社会は活気があった。
その様態は、渡し方、貰い方、隠し方、使い方、と表の経済に増してダイナミックかつエキサイティングで、どちらも智慧を絞った、゛面白み゛といって良いほどの満足感があるようだ。十手持ちの袖を出す仕草や、岡っ引きのタダ酒も、お目こぼしの情けといったものだが、現在は執行者でも戸惑う煩雑な法を乱造して、合法的に小銭を召し上げる手法がとられている。十手持ちは御上のご政道を盾にしたが、いまは安全の為、公平の為と妙に口も挟めない納得性が添えられる。
マネーロンダリング(資金洗浄)ではないが、人情を添えた目こぼしが無い代わりに、投網のように細やかな法を駆使した合法的、組織的な徴収が行なわれている。あまりにも機械的なためか名目の公的題目を越えて国民の怨嗟の発生を膨らませている。
文明国家の体裁なのか、人も法も金次第という狭い範囲の一種の潤いの関係のようなものを、倫理道徳上、あるいは法治の守護として、あるいは我国の民癖であるという四角四面な構え方を法治の姿として、面前権力の執行者に委ねた結果、善なる施政との印象となった。しかし、間違いなく、善であるという見方とは逆に、運用者や執行者の専権として肥大化し互いに税利を貪るようになったことも現実だろう。しかも、それが止め処もなく増殖しているのである。
先に書いた口応えもできない怨嗟は選挙で選ばれた政治家に向かい、その体たらくから官吏コントロールの信頼は薄れ、国民各々も社会的貢献は官製イベントに括られ、個々の公徳心や他にたいする貢献などは官任せの状態となり厭世観すら漂わせている。
総じて観れば裏や陰のやりとりがある社会は民衆がダイナミックである。たしかに、あの高官は賄賂がすごい、あれは賄賂のお陰、と聞くし、それゆえの持たざる者と持つものの差は拡大するが、それでも生活力と人情の連帯はみるべきものがある。
古諺をひけば「平でないものを、平にすれば、平でなくなる」といって、もともと働けず、金儲けの手段もなく、貧しいものを、人為的に金持ちと平均化すれば、不平がおきる。また社会の連帯もなければ、立場の違いを超えた積極的な社会参加も乏しくなる。なぜならありもしないような、人に当てはめる「平」という考えは双方に苦しみの情(苦情)の種を蒔くことになるからだ。また平等分配を待つことは、「動かずにその位置にいなさい」、ということでもある。
この時代、職分はあっても身分はない。身分は貰う立場にも既得権益を与えるし、渡すほうにも専権から生じる既得益を与えるものだ。つまり、身分の固定化は自ずから発生させていることでもある。
賄賂は色々な姿に変えて立場を任ずる人間に潤いを与えている。法のあるところ賄賂は必然であるといっても過言ではない。また利だけでなく「便」を得ることでも賄賂は発生する。状況を容易にするために「利便を働かす」というが、配達人に荷物を速く届けてもらうにもインフォーマルな銭の提供がある。最近のバングラデッシュのことだが、郵便局の窓口や配達人にも当然の如く手を出すものがいるという。パスポート取得の手続き期間を短縮するのに便宜賄賂は多くの国で共通した官吏の姿だ。
彼は与党の小遣い賄賂には無縁の位置に自らを置いた
独り自民党案に賛成して起立する野党の渋谷修議員
与野党談合忖度議会に反発し、55年体制の終焉の端緒となった
日本人の満州官吏は真面目だった。「しかし」と古老は笑う。「あの偽満州はよかった。泥棒も少なく役人も賄賂を受け取らなかった。だがお陰で俺達小役人には小遣いが下りてこなかった。これには参った・・」
「あの頃は多少の悪いことをしても金持ちは金を配った。「力」というものはそうゆうものだ。いまは賄賂を貰っても銀行貯金だ。ひどいものになると海外口座と子供を海外に出して永住権をとり、いつでも逃げられるようにしている。本当はみな考えていることだ。あの偽満州の日本人はこの地で死ぬつもりで頑張った。ただ泥水でも生きられる魚は清水でも生きる。しかし清水に生まれた魚は泥水では生きられない。早く負けて日本に帰ってよかった。そうでないと日本そのものが亡くなっていた」
渡すことと、召し上げられることとは自ずから異なる。
日本人からすれば五右衛門の「浜の真砂は尽きぬ・・」と思われるほど賄賂が流行っているが、中国の歴史に多く登場する宦官の賄賂は言葉を変えて「人情を贈る」という。
ただ、成文法ではご法度である。汚職の処刑はいまも絶え間なく続いている。
「上下交々利を征れば、国、危うし」というが、皇帝はもともと己の所有する国なので獲る理由が無いが、宦官は性器まで切り取って宮廷出仕するためか殊のほか賄賂に敏感である。忠臣蔵の松の廊下の刃傷沙汰も内規作法を、教えた、教えない、の争いだったが、これにも礼という貢物が絡んでいるという。大奥の寝所の睦み話しも口添えがあったようで、茶坊主と老女の監視のもとに秘事を行なうようになったというが、これにも便宜賄賂が絡んでいる。
宮廷でも内外の諸国から貢物が皇帝の前に並べられるが、一番目立つところに置くことが宦官の職権であり賄賂が発生する。この場合はお礼、つまりその世界の礼儀作法のようなものである。それが輔弼として権力を壟断するようになると賄賂どころではなく国家予算すら掠め取るくらいに強欲になる。
紫禁城とはいうが、ことのほか禁ずることが多かった。官吏が禁ずることを作ればつくるほど賄賂が増えるのは古今東西、いずれも同じだ。ただ地方官吏と紫禁城の宦官との官々のやり取りは我国の官々接待と同様だが、彼等はあくまで金のやり取りだ。それに引き換え我国は金では足が付くと、旅費、宿泊、宴会付の官々接待だが、民間が絡むとノーパンしゃぶしゃぶやゴルフ会員権贈与、天下りの予約など官吏らしい「さもしくも卑しい」饗応が繰り広げられる。
一時、規制緩和が叫ばれたが、隣国鄧小平の開放政策同様、政策などというものではなく、縛り上げた規制を「解き放った」だけのことだ。ただ解放されたときの民衆の姿は異なるため隣国はより慎重さを求められる。香港返還後も一般の自由往来はない。はじめは幹部の子息が基盤を作り、香港らしい自由を謳歌した。いまでも香港パスポートは中国にはない特別な効力がある。
我国でも晩節まで司直の世話になりそうで、なりっこないと見透かされている元大蔵の最高幹部は、ゴルフ場開発が盛んだったころ、労働省のノンキャリアを道連れにゴルフ場回りをして帰りには会員権を貰って帰っていた。ゴルフ場には労働省管轄の規制があるためだ。売れば数千万がざらだった会員権も、土産に会員権二枚とは恐れ入った所業だ。
これは、お縄になっていないが、便宜供与はある。それも認印一つの世界だ。
この大蔵、労働コンビは関東一円のゴルフ場の新規開場に絡んで、数億円の紙切れをもらい、労働官吏は数奇屋様式の豪邸まで業者の便宜を受けている。もちろん親族も公務員だが、生活費は管理下の売店の経理を操り、給料は手付かずの優雅な人生を過ごしている。
あのリクルート事件でも労働省幹部が逮捕されたが、地味な役所と思われている今の厚生労働省の規制権限も大蔵キャリアの威光に添乗するように、行政全般に投網のように広がっている。ともかく四角四面といわれる日本の官吏もその狡猾さをみれば、世界に冠たる秀逸さを誇っているようだ。立身出世を支える学校歴は文科省、命は医薬と医院を管理下におく厚労省、それが金主の財務省と個人的な関係になれば、治安官吏も手を出せない。
あのロッキードのときに裏道で車と車の尻を合わせて五億円を渡したといわれたが、国家予算さえくすねる国から見れば、なんと些細なことだと嘲笑される。
賄賂なりコミッション、はたまたチップを生活の足しにする倣いは欧米にもある、とくに暗黙の身分がある地域は、有る者が無い者に贈るのは対価ではなく宗教的にも人の在りようとして贈るようだ。
『なにごとも、ホドが大事だ』
「言いえて妙」ということが当てはまるなら、官吏に対して民間が媚び諂ってモミ手で差し出す金を懐に入れることと、心や気遣いに対して「心付け」を差し出すことに日本人は公私の間の弁えはあった。また、貧しい人や対価にならないような偶像には喜捨という文字を当てはめた。
江戸っ子は掌に隠れるくらいのポチ袋に紙幣をたたんで、分からないように襟元に差し込んだ。あるいは連れの子供に小遣いとしてわたした。
大勢の前で財布を開けないことが常識人だった。もちろん、長(おさ)は早めに席を離れ、相当の金を店のものに預けた。金は隠れたものであり、隠してわたした。割り勘で上司に悪態をつけられては割りに合わないが、その割り勘も近頃では行儀の悪い若手のアドバンテージのようになっている。
日本人は金の使い方、渡し方がことのほか下手なのだ。使い方が己の趣味や嗜好に限定しては、他からの見返りも人情もない。交際費や雑経費に頼れなくなった社畜や貪官はコンプライアンスや内規に縛られて実質数値さえ激減させている。つまり精神も身体も気が抜けて弛緩しているのである。これも幾らかは女房の管轄下にない金で始末は付く。
華人国家はその得意とするインフォーマルな手法を、経済発展と共にスタンダードとすべく世界を足下に置きつつある。
我国の官製ODAのように日本企業の採用と国内既得権者へのキックバックなどのようにシステム化されたものではなく、金の効用を公私の別なく、しかもケチらず投下している。しかも天下思想を観とした民族性癖は世界のいたるところを住処にしてダイナミックに浸透している。
我が祖国、我がグランドは天と地の間として地球の表皮を縦横に躍動している。
四角四面に非難することではない。グローバルスタンダードを提唱したのは白人社会だ。それも国家のカテゴリーを超えて、その時代の強国をヤドカリにして食い荒らしている民族だ。双方、インフォーマルな財利の効用を熟知し、その状況を都合よく作るために情報、謀略を駆使できる狡知もある。また人間の弱さも習性として認知している。
つまり、色(性)、食、財という欲望の本質を、虚構の知欲を発信することでコントロールし、そして彼等の得意とするグランドである商工業と金融為替に誘い込み、その仕組みを成果あるものにするために、獲物である民衆を思索と観照を不可能にして、獲物のセキュリティーである固有の神や精霊の志操を弛緩させてしまったことだ。
賄賂(金)で志操を売る民族と、一時の人情の交換と考える民族の違いは、付和雷同、四角四面を性癖とする人々には峻別が付かないだろう。なぜなら賄賂は邪まなことではなく、使い方、貰い方、渡し方、隠し方を「粋」や「通人」の魅せる世の情とした江戸庶民を範とすれば容易となるだろう。
見え透いた、もったいぶった、格好つけた、没落成金の見せ金は、渡したところで効用が無い。「もっと寄越せ」と続くはずだ。賄賂は悪銭となるか良貨となるかは、日本人が野暮で古臭いと忌諱した古き人々の倣いにあるようだ。
やはり、賄賂効用の学は必要だろう。
国会から町内会・PTAまで様々な会議と称する集いがあるが、散見るのは親分のコントロールによる正式委員の腹話術のような意見だ。とくに、゛村社会゛と揶揄されるような共同体では親分、ここでは、゛主だった人゛といわれる有力者や組織の先輩の意向が委員をコントロールしてロボットのように使役するようだ。
一人前の意見を述べているようで方向性は親分の意向どおりのコントロールだ。別に生活保障されているわけでもなく、なんら服従する理由もないが、ここでは逆らえないような、言うに言われぬ風圧があるようだ。
国会では派閥のボス、党の意向、町では世話になっているわけでもないが昔の地主や先輩の存在が大きな影響がある。ここでは悪しき意味での忖度がある。心を察して随うのだが、ボスには責任は及ばない。
ここでは全体を構成する不特定多数の利福などは無く、ボスの意向を隠す装いが重要になってくるが、鎧の下の狡猾な刃は隠しようもない。かつ多くの人には見抜かれている。
会議でも「コントロール会議」の如く、強引に意見を言うが強ければ強いほどその臭いは漂ってくる。委員も独立と自由を装うが、心はボスの事前指示がトラウマとなって、突き詰めれば半知半解の借り物意見ないし、怨念を装うためか応えに窮するようになる。
このような人間だから分派された小組織なら尚更、「おまえはバカだ・・・」「このようにしろよ・・」と猫のよう従順になっている。それでも子分か手代のように随うことを安住として考えているのか、会議では水を得た魚のように自説を展開する。とこか滑稽さはある。
もともと一刻の学級委員のようなものだが、村会議といわれる揶揄に含まれている問題意識の欠如がある。その他一同意識の無理解にある従順かつ、ノンポリシーと称されるその他一同意識の会議では、そのバカといわれようが親分に従順な小者の屁理屈に騙されるようだ。
人と変わったことをするな、口は禍の元、と育てられた分を知る世代もある。その効用も大きい。
なぜなら集団構成に必須な継続の要件としての見識ある人物による裁可や佳き習慣性の護持、また独特な掟による自制自照の促しは、異物の混入を抑える、あるいは同化させる力もあった。よく村八分が問題になっているが、邪まな者を出さない、出たら裁断するといった抑制免疫の効用があった。
人権・平等・民主の概念は人の調和と連帯を毀損することに用いられることがあると古老は説いたが、その最たる方法論としての選挙は余程のこと人物を得なければ人気選挙、好き嫌いの感情選挙、あるいは損得の利得選挙になってしまう。
また。それを指示する方も、される方もそれが及ぼす人間関係の煩いごとを推考する洞察も見識もない。あるのは思い通りにならない悔しさや嫉妬、過去の怨恨などだが、コントロールされ、ボスにバカと叱責される委員には血沸き肉躍る会議のようになる。とくに怨恨を晴らす人事の会議になると、それでなくても怪文書は飛び交い、密談が横行するイベントなのだ。
藍綬褒章
なかにはこれを求めて争論、嫉妬・復讐する地域のボスや使われる手代もいる
下は上に倣ったのか、邦人の性癖なのか、普段は寡黙な者まで言葉に熱が入る。おおよそは生きていることの存在確認と己を他人に知らしめることのようだが、言葉も「言いたいこと」が多く、責任が伴う「言うべきこと」が少ない。
毎年のこと任期限が近づいたり、改選が予定されると全国津々浦々で人間間の珍事が繰り広げられる。とくに損得や名誉がかかわると熱を帯びる。損得といっても、たかだか一過性のおこぼれや、名誉といっても記録に記される地位や、欧米ではタックスイーターと称されるる部類の役職官吏の感状や表彰状の奪い合いだが、その後の陛下からの褒賞狙いを主目的とした人事抗争も数多全国で展開される。
同時に褒章業者がモーニングや配りもの,名士を呼ぶパーティなどの一斉に営業が始まる。経済効果も多いが、なによりも本人にとっては価値観の問題ではあるが一世一代の晴れの舞台なのだ。役所も紙切れ一枚でコントロールされる業界や国民ゆえに、重宝している制度でもある。
政治や経済ならさも有らんかと思うが、福祉団体や更生保護団体でも額に入った四角い紙が近い(もらいやすい)せいか、一部の者たちが熾烈な闘い?が繰り広げられる。
一方は弱者救済、一方は犯罪者の更生保護と周知だが、弱者といわれる方も犯罪者も縁のないそれらの感覚だ。まして一億超の国民からすれば水たまりのボウフラが争っているような細事だが、その連中の意識には忘却されたこの時節の恒例イベントのようなものになっている。
まさに社会を覆う人の感情裏面でもあるが、見方によっては篤志を掲げる目的意識に沿わない社会悪の一端ではないかとも思える姿だ。
それを意図したり、嫉妬したり、怨念の復讐のようなゴマメの企てだが、「お前やれ」と指示されて出てくる腹話術役員も同じ臭いのする手合いだ。
その従順な子分となった委員の役割は、この点では重いが、任に耐えられない珍奇な発言が多いのもこの手の人間のようだ。
「保護司が処遇対象者によって殺害される」
同僚保護司として深く哀悼の意を捧げます
4,6000人余の保護司、ご家族は思いもよらぬ結果に戸惑いと緊張を強いられている。
以下は備忘録として改めて想起し、調べなおして難儀な考察を改めて再編しました。少々感情の入り混じった文体となっておりますが、世上の様子として「眺め読み」をしていただければと再掲載します。
長々とした備忘録ですが、犯罪者の更生を援けるという目的を掲げた官と民の協働の体験考です。
文中にあるPTAやBBSといった外来の仕組みや運動が如何に変容していったのか、その類似点は国家の形式看板である我が国の民主の実態を如実に顕わしている。それは先のブログに記した「官製の地方創生策」が如何に政策遂行の遡上に馴染まないのかを表し、その隠された民意のブラックホールに吸い込まれ、より弊害を深めるかを推考するのである。
従順にして、かつ、したたかに官と間をおく民意は、為政者の善なる政策すら届きにくくなっている。
つまり、「戦後レジーム」はこの民風だと気が付かなくてはならない。
【本文】
保護司法では人数の上限は全国で52000名とされている。つまり保護観察官の補助員として社会ない処遇を補う保護司は、対象者の増減に関わらず定員を定められている。それは警察庁の統計でも減少している犯罪数と比して適当とする定員なのかどうかの検証さえなされていない。よく他機関でみる既得予算消化のためのお座なり研修や恒例視察経費の員数集めとは違うとは考えるが、全国観察所の積み重ね員数なのか、犯罪件数にスライドする様子もない。
昨今、保護司の増員が図られている。それは減少に伴う定数ラインへの補充の感がある。
そこで保護司の職務に関する研究および発表を保護司法で促されている当職として現況の一考を呈したい。
まず前記した定員と定められている上限と適当人数との問題である。また、あくまで保護観察官の補いとしての保護司だか、保護観察官の定員と担当件数の推移の関連性である。 以前は直担事件もあり少年の場合はBBSのグループワークなどに委ねたりして多くの成果を得ていたが、いまは平均年齢60歳以上の保護司に委ねている現状である。
≪「直担事件」(観察官による直接担当事件)
本来は保護司に委託するが、対象者の状況によって観察官がBBS(兄と姉の年代による更生援助活動団体)に委嘱することがある≫
以前は、守秘義務に関連して保護司の受任すら地域で隠れた存在であった。それは来訪する対象者の人権を考慮するものとして永い間の倣いとなっていた。それが、犯罪防止活動が加味され、活動の社会的認知の一環として「社会を明るくする運動」が法務省主唱で行われるようになると、地域の各種団体との交流や、なかには一人で多くの地域役職を兼任し、ややもするとステータスとも考えられていた保護司の活動周知が「社会参加活動」と称して、多くの関連および重複行事と活動リンクするようになってきた。
現在、青少年健全育成を冠とした施策は、法務省、警視庁、地方紙自治体、教育機関など、数多類似した活動がある。非行防止からアウトドア体験、スポーツなどが官製行事として恒例化され、くわえてボランティアによる特徴ある活動が行われている
朝礼の国旗掲揚 台北
比するも妙だが、以前のBBSもワンマン・ワンボーイといわれたケース活動(対象者を保護司、観察官より受任する)が、善行をしている集団との高揚感なのか、組織拡大、会員拡充を意図して、学域、職域へその掲げる理念の周知活動を始めるようになり、学域では学用に供する少年犯罪および対象者の研究と化し、職域においてはグループ化されたBBSが政治的言行を表すものも出てきた。
たとえば、宗教集団も、゛良い教え゛を己の内観する咎め(内省)に向けず、現世利益を謀り社会の脆弱な部分にリンクして外部を変える、あるいは転覆することを考えるようになる。またそれを使命として信者は掟を作り協働するようにもなる。とくに非行少年を社会の弱者、あるいは格差のゆがみと捉えると体制への疑問、問題意識の芽生えから、「善いことをしている代弁者」の意識に高揚し、組織を運動の衆として考える一部の会員も出てきた。
つまり「善い考え」「好い行い」は得てして外部に影響力を発揮しようとすると軋轢が起きる。そのために多勢の衆を恃んだり、無理な権威づけをして行動を絞め付け、疎外感すら覚えるようになる。悪い風評はまたたく間に伝播するが、善い行いは隠匿された善行としてより人格を照らすのはわが国の情緒にある義狭心ではあったが、それも、近ごろでは、考えを解ってほしいとキャンペーンを張ったりするようになった。
また、成文法(清規)に記されている文言に随って任命されている保護司だが、狭い範囲の地域の掟や習慣(陋規)によって支えられている各々の「地域」に、御上御用の保護司として表面だって地位を確立しようとする動きが組織的行動として表れるようになった。
それが、慇懃な推薦として人々からもったいぶった姿として、「臭う」のである。
一昔前だが、善行を旨と称するBBS会長には法務省OBが就き、出張にはファーストクラス、各地の会合には法務省高官、現地観察所長、自治体首長、現地保護司会会長が参席して、BBSは数十人という珍奇な形式会合が行われる。善し悪しを問うことではなく、それが人の生活する郷の「そうゆうもの」にいう世界の連帯と調和の姿なのだろう。
関東地方5000人の運営を委ねられ、各県各地域に点在するBBS会の集いには、たとえ山海僻地でも訪問した。それは、毎週二回九段の東京保護観察所内にあった関東地方更生保護委員会事務局に机を持ち関東管内の更生保護協力団体の連絡調整を行っていたころだった。
形式だが、書式の問題があった。
今ならパソコンで毎月報告書のフォーマットをつくり、ワードなりエクセルで打ち込みネット送信すれば管理も運用も簡便になると思われるが、筆者とて普及とセキュリティーを考えると提案すらはばかる環境がある。とくに、昨今の個人情報厳守の流れは、保護司法の成文に記されているとしても、公務秘密については普遍なコントロールは難しいようだ。
当時、関係省庁との交換文章も法務省は裁判所書式だった。あの手書きの警察調書を想い出してほしい。何段下げて、何行を空けるあの縦書き書式だ。BBSとてそれに随い和文タイプで打ち込んでいた。これでは若者は到底ついてはいけない。だが今まではその様に決められていた。今では警察も検察も調書はパソコン印字だが、昨今は偽造といわないまでも削除や加筆が時系列に関係なく行われるようになった。
当時は記録もできない和文タイプである。その煩雑さと民間篤志の活動普遍性を担保するために、A4横書きに改めたが、何のオトガメもなく受け入れられた。そしてあの巨大なロールでチリチリと刻む電送機のお世話にもなった。あるいは懐の乏しいBBS会員が地方研修に行くときに旅費が支給されたが後清算の手続きが慣れないために未支給が生じることがあり、是正方法が検討され順次、行政と民間ボランティアの風通しを整理もした。
一方、九段の庁舎には東京保護観察所もある。各区担当官も今と違って狭い部屋にかたまっていた。本庁の霞が関と離れているせいか、アットホームな雰囲気だった。みなBBSにとって好い人だったのでそう見えたのだ。
いつ頃からか廊下に組合のスローガンを大書したポスターが増えた。出獄、退院者がまず訪れる観察所の廊下である。外部の気易さか「見えない所に貼ったらどうか・・」と提案した。所長は筆者を呼び、声を押さえて語った。
「職場環境と職員の待遇はあくまで職掌にある対象者との関係にある。突然の電話、急遽の出張も大変なことで理解はできる。当初はそうだったが、いまは組合という集団の存在に関わる問題になって来た・・・。」
BBSや民間ボランティアに理解があった観察官が、組合未加入職員の電話には出ない、連絡応答もないと聞くようになった。ここでも対象者の顔が見えない世界があった。
関東BBS事務局の責任者としての印象に戻るが、地方はもともと異端者、とくに犯罪者を蔑視もしくは疎外する固陋なセキュリティーがあるせいか対象者も少なく、会員も、゛選ばれたもの゛との認識があり、記念行事には近在の有力者が祝い袋にいくばくかの祝い金を持参して、都会とは異質なコミュニティーを作っていた。
ある意味では深層の国力というべき情緒の共感と連帯であり、科(とが)人を出さない良き環境でもあった。ただ、外来を拒む意識は良き変化の浸透を許さない固陋にもみえたが、煩雑な法規をあてにしない穏やかな環境自治があった。
もちろん保護司も一人多役が多く、僧侶、議会関係者、官吏OB、教員OB、医師等、昔の釈放者保護団体、司法保護委員の古き良き部分の篤志と、御上御用の選民意識が混在し独特な地位を構成している。
BBSの場合は学生、勤労者、地域居住者と様々だが、ワンマン・ワンボーイという一対一のケースワークも基本とされてきたが、スポーツや趣味を通じたグループワーク、あるいは施設訪問などか行われていた。保護司の平均年齢60歳超が示す通り、中学生のように若年との面接は環境報告、面接報告ならまだしも、更生への実質的活動については隔年の理解ということで無理を生じることがあり、その点、一緒に汗を流し、抱き合い歓喜するようなスポーツでの理解と順応にくらべ、更生効果を問うものが少なからずあった。
横文字のBBSは法務省の外郭団体として、保護局所管の保護観察行政の篤志ボランティアとして非行少年の保護更生分野の係わりを深めた。それは独自の大義名目はあっても、存在意味は保護分野への依頼と活動遵守によって多面的な活動を狭めることでもあった。
否めないことは、依頼される対象少年を独自に発見することではなく、また社会内の種々の組織間交流が微かになり、それは会員の社会内の人的交流の希薄さゆえも理由ではあるが、法の監督下にある少年たちを、明確な身分もないBBSには行政としても間(ま)を置かざるを得ない事情があった。つまり、指導や援助の限界があるのだ。
その意味では、怠性化した関係と共に、ステータス意識、狭い範囲の帰属意識を生み、逆に独立性、自立性、柔軟性を失わせ、個の尊重ゆえに連帯意識を失わせ、社会への善行啓蒙運動の基であるはずの組織間の調和も乏しくなり、運動は衰退していった。
なかには、使命感や責任感を問うことではなく、自らの疎外感、孤独感が組織帰属によるささやかな充足感、もしくは学びの対象(学用対象)として交流の場にもなって来た。
なかには婚活紛いやスポーツ同好会のようなものもあった。
つまり、同じ社会内で生活する境遇のことなる子供たちへの柔軟であるべき問題意識が、ややもすると、異なる環境の対象として自己の存在と認識の客観性のみが優先され、一体となり共にする情感が薄れることもあるようだ。集団化した行動によくある個々の目的や責任の在り様が希薄となり問題ともなった。
ここでは、なぜ一対一のワンマン・ワンボーイ活動がなくなったのか。それを社会現象の推移としてみれば、BBSの衰退のみならず、迎合にもみえる外来からの環境順化の問題意識もなく経過、看過してきた社会の情感の変化に注意深く観察しなくてはならないだろう。
以下は林壮一著「アメリカの下層教育現場」関係抜粋を参照
≪生きるうえでのビジョン≫
林壮一著 「アメリカ下層教育現場」より
アメリカには引きこもる部屋もベットも、そして満足な食い物もない貧困層がいる
BBSについて
1902年、ニューヨークの法廷事務員の男性が仕事の合間に戦争孤児、低所得者の子供、親が獄中にいて誰にも相手にされない児童が対象だった。
同時期、ニューヨークでは女子児童のみを対象にサポートするグループもあった。
「ともだち活動」を目標に掲げた。また1904年ペンシルバニア州フィラディルフィアでは、屑籠を漁って食料を得るホームレスの子供たちへの支援団体が誕生した。
目的を同じくする三団体が手を結び、組織化して「ビック・ブラザー&ビック・シスター」とネーミングされた。他地域にもユース・メタリング活動を促し、100年後には全米50州、35か国でユース・メタリング活動が広がった。
※ Youth Mentoring 若者への助言指導
親でもない、教師でもない第三者の大人が、週に一回、一対一(ワンマン・ワンボーイ)で時間を共有した。注目すべきは、一対一という点だ。
活動の条件は、どんな人間かを知る身内以外の3人の人を紹介するのが規則だった。
人種問題と貧困
「小学校では、白人の教師と生徒、マイノリティーはマイノリティーでうまくいくが、そうでなければ絶対にうまくいかない」と説明を受ける。
面接者は「さまざまなデーターを照らし合わせて、あなたと合いそうな子供がいたら連絡します」といった。
≪筆者註 センターの職員はボランティアと子供(対象者)をつなぎ、責任をもって調整する介在人であり、ある意味では管理人、インストラクターともいえる。≫
運営は税金を免除され、寄付金でまかなう。
大事なことは「子供の友人として接する」、愛情を注ぐことはやまやまだが、決して親のようには振る舞わない。
10項目のポイント
⒈ 友人になる
⒉ 明確な目標とプランを立てる
⒊ 互いに充分楽しむ
⒋ 考えて言葉を選び、助言する
⒌ いつも前向きな姿勢を忘れない
⒍ 会話の意味を理解して、意見を押し付けない
⒎ 子供の発言に注意深く耳を澄ます
⒏ メータリングを行う場所を敬う
⒐ 子供との関係を忘れず、親とならない
⒑ 使命と責任を忘れない
それぞれの社会環境でサービスが異なる
【アメリカ社会の抱える問題】
低所得者のコミュニティーは常識外れの大人が独自の方法で子供と接している。なかには10歳にも満たない子がアルコール・ドラック・喫煙・凶器などの携帯を覚える。
善悪の判断ができないと犯罪に結びつく。貧困エリアではそれらが結びつき、ドラックの売人やギャングになる子供が多くなる。
林壮一氏は教壇に立った経験を活かしてテキサス州ヒューストンのジョウジ・フォアマン・ユースセンターでボランティアをした。
≪筆者註 ジョウジフォアマン 元ヘビー級プロボクサー ザイールでの行われたモハメド・アリとの試合を最後に引退して、牧師となりボランティア活動を行う≫
問題児や登校拒否児童を集め、人生をやり直せるように支えるセンターである
方法は、リクレーションを通じて整列・挨拶、約束を守ること、などの規律を学ばせた。
ユース・メンターリング(若者への助言や指導) 6歳から19歳までの子供に寄り添う活動
も行った。
台北 六士先生顕彰碑
【再本文】
だだ、保護の三位(み)といわれる保護司、更生保護婦人会(当時の名称)、BBS,の分別した役割とは別の、地位的感覚や視点が上下関係として集約され、一人の処遇対象者をめぐって考察が異なる問題が、老若の軋轢にもなったことも少なからずあった。
多くの保護司は対象者を包み込んだ協働を多としたBBSの考察を報告書に添付して多く成果をあげることができた。逆に若者特有の反発なのか、かつBBSのなかにも長幼の順に馴染まないのか、一人対象を忌避してグループワークや多地域組織、上部組織との関係にある組織運動に向かうものも出てきた。
たしかにBBSは保護司の補助機能もなければ、法的擁護もない。また、法に関わる対象者への係わりに明確なガイドラインもなく、ときどきの個人的理解に委ねる脆弱さもある。だが、老若に関わらず目的の裏付けとなる公機関の依頼が、逆に社会への活動周知において、普段、犯罪者の更生などには関心も持たない世界には「公機関の依頼」が、異質な雰囲気を持たれるのは当然なことである。
その意味では保護司もBBSも個々の指向は対象者にとって有効な立場ではあるが、なかには、いかに組織における立場の維持や社会認知に励むような同質な「臭い」がすることでもある。
あくまで、保護観察官のへの助力であり、犯罪者更生という特殊な目的を持つ組織であることの理解の齟齬が読みとれる姿でもある。
つまり、そのことを理解しつつも上位の促しによる社会啓蒙活動は曖昧な目的と手段によって、どうにか形作られているといってもいい状態がある。それは更生保護従事者による社会参加が敢えてその特徴を発揮できない形式行事になっていると思われる現況である。
一部の若者もそれに倣ったのか、経年すれば役所から授与される感謝状や表彰状を案じたり、組織の置かれている位置関係にある、役位を求める若者らしくない姿も表れてきた。
セレモニーには皇室関係者や政府高官も列席するので応接も法務省の保護局を超えておこなわれ、よりその邦人らしい帰属意識と活動意義を高めたが、役職位置の本義である観察官への補いである対象者への取り組みは変化し、地域への事業周知と自己周知が相俟って「更生と保護」が単なる「報告委託」になってきたと、さる法務官僚の述懐がある。
以前、法務研究所で「権威」について語り合ったことがある。機関紙でも紹介されたことだが、保護司を先生と呼称することについての問題だった。尊称なのか、従前の倣いなのか互いに「先生」と呼び合い、若い観察官も「先生」と互いに呼び合っている。
ことさら切り取らなければ大した問題ではないが、当時は教師が教員や職員となり、それでも生徒が「さんづけ」ではなく先生と言い、庶民から選ばれた議員が先生となり、落選すれば「さんづけ」あるいは、形式的に「先生」と呼ばれるなど、゛そうゆうもの゛と思うものでも議論の題材になったことがある。しかも当局のなかにも疑問視する声も上がった。
なぜなら社会内処遇で民間保護司の助力を得る個々の処遇と、その処遇を容易にする、あるいは社会を浄化するという官製運動が各省、自治体関係機関を通じて勧奨されつつあるなかで、それぞれが協調し時に一体感を以ておこなうムーブメント(運動)に保護司の領域が異質に感じられないよう、その権威の表層にある狭い範囲の呼称である「先生」が、議論になったのだ。
担当を決められ対象者が来訪しても、もともとは互いに市井の人々ゆえ犯罪種別に嫌悪感を覚えたり、ときには憎しみさえ抱くこともないとは限らない。だだ「不幸にして犯罪をおこし・・」とおもいやる保護司受任の前提があるために、保護司とて俗世の感覚とは異なる自制が働かなくては受任の意味をもたないのは当然なことである。
一方、アカデミックでもなく法に含有されない義狭心というものがある。保護局の依頼で多くのテレビ、ラジオの媒体に出演したが、NHKの一時間放送のスタジオで「そうゆう子供の姿を視ると、面倒見たいと思う気持ちが湧きます・・・」と応えたことがある。
つまり、自発性と積極性、そして縁の連帯意識が基となるべきだとの表現だったが、視聴者には更生保護に携わる多くの人々の意志がストレートに解りやすく伝わったとの意見が寄せられた。また、資格などなくても誰でももちうる情感を喚起するという気持ちと、切り口の違う社会資源の活用が、その「特別ではない容易さ」として伝わったようだ。
それ以後の保護局への問い合わせとBBSへの志願は多くなり、BBSのモデル地区設置としてつながった。
更生保護に携わる方々への印象は、一種の「匂いと臭い」があるとの感触があった。人を困らせた人をお世話する、疎外された人との交流、まるで村八分のような感情のなかで善行の匂い(薫り)は観えても、ステータス意識、御上御用の臭いも同時に漂うように感じられた。
当時の更生保護婦人会の島津久子氏は当時のBBSに『臭いを消すことが篤志家の善行であり陰徳を有効に重ねることになる』と、善行の本意を伝え、東京保護観察所長の堀川義一氏もBBSの若者と好んで応接していた。
当時は各区の保護司会の運営もさることながら、保護司法をもとに個々の保護司を任命して直結した関係が強かったが、昨今は紹介が推薦となり、推薦権が各保護区に与えられるようになり、なかには恣意的な推薦まで行われるようになってきた。
保護司法で無給と定められているが、其の代りなのか他省庁に連なる諸団体と比べ、年次を重ねるごとに賞状が高級になり、官吏の地位に順じた感状、表彰状、大臣の感状、最後は陛下からの褒章や勲位と、役職、組織貢献度、あるいは地区責任者の推薦裁量で要綱を記載された長方形の紙を推し抱いていく。
つまり、その視える作業を通して選ばれた人々の善行と組織が陰徳から周知になり、世間の理解と善意の喚起をふくめて「権威」が徐々に醸成されてきた。しかし、それはあくまで対象者にとっては「虚」だった。その彼らは一生目にすることも、手にすることもできない代物だが、彼らの「不幸にして・・」とある存在由縁であることを忘れてはなるまい。
ある保護司は「君らが真面目になったお陰でこんなものを貰った。祝賀会とやら騒いでいるが君らが一緒に参加すると眉をひそめる人もいるし、普段着では君らもひもじいだろう、祝いの騒ぎはやめて、君たちの仲間を呼んでやろう」と、祝賀会の催しを断っている。
何枚もある四角い感状や褒賞も棚晒しだった。
冒頭の定員数の問題はさておき、定年の増加とともに定員未充足の問題が起きてきた。
永くは定年保護司の紹介だったが、近年はその方法も効果がなく、地域の関係団体の紹介を請うことが選択肢にあがった。手っ取り早いのは地域を構成する町会にお願いしようとする試みである。
この種の受任は事業内容の問題も含んで受ける側の条件も細部にわたる。
なかには「臭い」を維持するものもいる。
実際にあつたある応答を紹介する
保護司が候補者を訪ね
゛保護司をお願いしたいのだが゛
「報酬は幾らくらいもらえるのか」
゛無報酬だが、あなたの若さなら藍綬褒章まで届くはず ゛
もちろん、嬉々として受託する者もいれば、頑として断った人もいる。
ここで注目したいのは、対象者は一生、藍綬褒章など縁のない人たちだ。報酬については社会の認知もあるが、褒章をあてに、あるいはそれを餌に受任を求める心底は一種の社会劣化を助長するような姿である。
なかには五百万を寄付して紺綬褒章をもらい背広を新調して自身で祝賀会案内状をもって参加懇請していた可愛い猛者もいた。もちろん賓客は自治体の長か議員である。人生訓や慈愛を説き、信頼を立て更生を促し、縁の効用を人間関係とした対象者は招かれることはない。もちろん、そう考えるのは天の邪鬼で変人と思う世界なのだ。
面接では、生活の簡素、節約、人に対する思いやりを説くが、腕には金時計と金の鎖、未だゴルフ遊戯も知らない幼い対象者にゴルフを勧める人間もいる。逆に天涯孤児の境遇にいて非行(喧嘩)をした対象者をおもい図ってゴルフを封印した保護司もいる。もちろん生涯の友になったことは言うまでもない。
保護司同士の推薦会議での会話だが、地域は保守系が多い地域だ。
「紹介したい方がいるが元某党の議員で心を砕ける方です」
゛某党、それはまずい゛
「もう退職している方ですよ」
゛それは推薦できない゛
それは共産党や社会党もそうだろう。つまり地域の主だった者、ボス的な者の威圧であり、そりこそ「臭い」の素の感覚なのだろう。
別に個別政党の云々ではない。たとえ応援政党があっても、対象者は元犯罪者であっても宗教、思想を保障された国民だ。ましてや自らの経歴実務や篤志を活かそうと志願する人に対する応答ではない。しかも意図するものは裏に隠れ、善悪も分からない従順な後輩保護司が代りに口を開いている
なかには断られたので次をあたり、断った候補者が「こちらで断ったためにあの人に回った」と、二番手候補者と揶揄されたりもする。
どうも御上御用は妙な意識が働く様だ。あるいは既得権意識なのか、推薦の端緒は根回し、裏話、が多く、しかも妙なところで守秘義務を持ち出し、一部情報で会議を構成する田舎芝居のような雰囲気が滞留している地域もある。よく下話、裏話で決着をつけ、正式会議は形式的な集まりになっている低俗な会もある。これでは有能な候補者や、正論すら閉ざされ、単なるサロンの遊戯にしかならない。
その町会からの照会だが、いつの間にか「町会長の推薦」と錯誤して、町会長を兼任する保護司は既得権、既成事実、専権として考えている保護司も散見する。
あくまで、照会であり紹介でも推薦でもない。いつから町会長が保護司法にのっとり保護司適任者を選択できるようになったのか、あるいは町会長が議員兼職の場合にあった選挙協力者や後援者をPTA役員、民生委員、自治体の各種委員に推薦するような愚を保護法に基づいた保護司が行うことは、将来の禍根をのこす試みにも見える。筆者も将来を危惧するものだが、官も員数合わせに符丁のあった理屈を唱え、地域保護司も何の問題意識もなく員数確保に奔走しているのが現実でもある。
一例として、戦後、GHQの招聘で米国教育使節団が来日してPTAを勧奨した。翌年事後調査に来ると、とんでもない組織になっていた。その構成は学区のボスの集まりだった。つまりGHQ推奨の御用組織だと勘違いし、大仰にも子供のため、教育のためと席を占め、敗戦転化で軟弱になった教員をしり目に、いまのモンスターペアレント顔負けの醜態だった。
また、その珍奇なPTAを選挙人数として与野党そろって影響力の浸透に努めた。多くの篤志家が創立した保育園が左翼政党に乗っ取られたのもその反動だった。ましてや町会長もその類を免れない。それは教育機関以上といってもいい固陋な姿が都市部でも残っている。
もとより、町内会は思想、宗教、国籍、支持政党はさまざまだ。また町内会といっても任意の私的団体であり全世帯数からすれば、お近ごろは未加入、お付き合い参加も増え、決して町民を代表する「町内会」ではなくなってきている。
ある行政区でも保護司の推薦は自治体の長を以てする、という案が出たが、よく調べると首長公選への迎合と保護司会長の女房と首長の郷県が一緒で、たまたま世辞を言ったことを取り巻き保護司が早合点したと笑えない話があった。このときはさすがの保護局も苦言を呈している。
また、それぐらいな位置と利用できる保護司という地域効用を意図するものがいれば、独特な法権威を得ると考えるシロ蟻には恰好な餌にもなるものだと実感したものだ。
また、好奇な目と関心がいたずらに拡大すると、多岐で多様な切り口、ここでは怨嗟と人格否定が多くなるのは必然である。昔は医師、議員、警察官、教員が地域の尊敬対象であり、住民にとっても頼もしい存在だった。だが昨今の情報氾濫で多くの隠された不祥事や優遇が露呈され、それらは却って怨嗟の対象になっている。本来の業務や責任まで疑われ、風評や井戸端談義のタネになって有効かつ永続性を求められる保護司の対象者との関係信頼性も毀損されるようになる。つまり大幹と枝の峻別が半知半解な多勢によってできなくなる危険性がある。
保護司補充も下げ降ろしの政策だが、意図の事情や真意まで探る問題意識は無く、御上御用に慣れた人々によって、部分解消、全体衰退に陥る先見の推考がなされるべきだろう。
なかには、俺の言うことを聴いて、会議にも出席していれば感状、表彰状の推薦をしてやると広言し、それを餌に取り巻きを役員につけて担当官吏に事業を誇示する保護司会の責任者もいる。浜の真砂は尽きぬとも・・・ではないが、それが保護司といえ元犯罪者を観る目であり、姿とは思いたくないが、あくまで「観察官の補い」という官への篤志的援助を忘却してはならないはずだ。
また社会のなかでの更生保護を考えると感ずることだが、あのBBS運動に没頭し生活の一部になっていた活動が、一旦離れて見ると社会生活のなかでどこの位置を占めているのか、どのような関心があるのかが、まるで忘却消滅したように無くなったことがある。
別に嫌気がさして辞めたわけでもなく、おおむね30歳と記載されていたことに随っただけだったが、やり残したこともなく、ただ18歳からの浸透した更生保護の活動を回顧するのみだった。また、20代の後半から警視庁の少年補導員を受任し、保護観察以前の非行の端緒を扱うようになって、保護と同じような「臭い」が充満していたことに「御上御用」と「善い行為」に集う大人世代の疑問に妙な普遍的ともいえる慣性をみるとともに、この国の民癖なのかと諦観を感じたりもした。それは、あくまで下座観からどう考えるかという前提からだ。
その意味では20代の若年ボランティアの社会的効用を認め観察官の直接担当対象者を依頼されたり、更生保護の社会的周知のための端緒であった「社会を明るくする運動」の在り方を提案し企業協賛、運動の骨格作りにまで参画することができた当時の保護局の許容量と柔軟さがあつた。
笑えない話だが、法務官吏とて社会に慣れた職場ではない。
あるとき飲料大手の会長に協賛金のお願いの話があった。其の会長は中央官庁の中堅が来るので大きな額を想定していた。そのとき官吏は恐る恐る50万を提示した。目を丸くした会長だったが額の低さだった。「それなら球団の交際費で・・」と拍子抜けだった。
鈴鹿の交通研修の協賛も本田技研の後の社長が応対だったが、同様な応接だった
その際、提案させていただいたのが鈴鹿サーキットでの交通安全教室でした。ホンダの鈴鹿というだけで少年たちは興味を示してくれた。社名運動は法務省主唱だが、願いは国民運動であり継続性が伴わなければ、単なる官製イベントの人集めしかない。本来は対象とする世代に問題意識を持ってもらい行政や保護司が下支えするものでなくてはならない。予算取りが成果となり、効果もなく恒例化する行事なるものに風穴を作るアイディアは、対象となる世代に委ねることであろう。
貧すれば鈍す(貪す)では恐縮な見方だが、世間と関わりの少ない省で、とくに世間慣れしていない保護行政が社会に参加?しはじめた頃はそんな調子だった。だからマスコミ対応、特に映像は溌剌としたBBSの若者で、当初の広報キャラバンの企画やビラ作り、配布も若い女性BBSだった。
しかし、現在にいたっては机上の企画の下げ降ろし、かつ御用意識ゆえに半知半解のようにも思える明確なガイドライもないままに各地域に提示するようになったことで、それぞれの異なる理解が却って混乱を起こしている。地区会でのパソコン導入でも喧々囂々の争論が起こり、就労援助も厚生行政との協調理解不足の混乱、社会参加活動の他機関との類似と参加人数と実質効果など、あの当時と類似した戸惑いがあるようだ。
若い行政官吏と高齢世代の理解齟齬も多分にあるが、変化を厭う職域ゆえ世代間に妙な怨嗟さえ起きる状況がある.
もちろん保護行政としての運用効果や成果を目的としたものだが、およその混乱は対象者処遇ではなく、社会との関係促進と新たな施策(周知)と、多岐にわたる社会サービスなど多様化に起因している。またそこには多くの戸惑いの因が隠されているが、なにぶん処遇効果と善なる周知という大義のもと、為さざるを得ない選択としての現状があるようだ。
一利を興すは、一害を除くにしかず (元宰相 耶律楚材)
(真の効果は、積層された法や仕組みを整理するだけで、敢えて新しきこと、あるいは職域を拡大させなくても自ずと効果は表れる)
それは情報の流れの姿として、保護司そのものも対象者のための適切な処遇をどのように工夫するのか、あるいは将来をどのように推考するのかという自発的思考や、ときには異なることを恐れず提言するという、官と民の相互提言が乏しくなることでもあった。
それは保護司候補の選任基準にもうかがえる。
本来は法を基にすれば観察官のお手伝いであり、活動を通じた対象者の側に立った提言を行える人材の提供、また曖昧ではあるがそれらしき信頼に値する人物とあるが、以前は地域の主だった者、有力者、どんな形でも肩書を有する者との倣いがあった。またそのような人物は許容量があり、多少の財と時を有し、対象者にも鷹揚な理解と涵養があると考えられていた。
しかし前記した権威と御上御用意識が妙な選別されたステータス意識として候補者を特殊な選良として挙げることによって、組織運営に忙殺され、本筋の目的である対象者処遇に、より窮屈な世界をつくり出してしまう危惧があった。
≪あくまで保護観察官の補い≫
当初は対象者の人権を考慮した陰徳した行為が、官側の社会参加の促しによって多方面にリンクする、その混沌とした理解と、あたかも整合性ある社会内処遇の姿として個々が多様な理解をしても、あくまで観察官の処遇のお手伝いとしての保護司の前提となる「本」が易き方向に流れ、民をして、より権威が屏風となるような社会表現や妙な社会的認知が出来上がるのではないか逆賭し、かつ憂慮する。
とくに一般の保護司より、保護区の役職といわれる立場の保護司に見られる傾向のようだが、人事抗争まがいの怪文書や応援者確保の陣取りが行われるようだ。別段一般保護司には関知することではないが、保護区長(会長)が高位官吏の感状推薦権があるとの考えが一部のステータス意識(御上御用)に敏感さをより刺激しているようだ。その弊害は昨今是正されたと聞くが周知はされていない。
いわんや、行政が外郭取り巻き集団として用することは数多あるが、多くの官域で行っている育成や未然防止という茫洋とした運動に混在させることは、その処遇効果を高めることにはならないと顧みて実感するのだ。
自治体や民間団体はもとより、あれもこれもと他省庁との連携や活用を謳うが、国情、世情を俯瞰するとあまり効果の無いようにもみえる。
畢竟、もともと犯罪者の更生は世間では理解の薄いものであり、これを濃くしようとすることは人的にも膨大なエネルギーを要し、国柄や情緒さえ転化しなければならないものだ。いくら人権や平等を唱えようと世間は別世界のものとして、あくまで官域の専権として、それらからの守護を求める側にある。たとえ官制スローガンや巧みな企画を弄しても、俗に言うハナシと行事倒れに終始する。またその印象はとみに峻別に厳しさが加わっている。
筆者の拙い保護分野の40年の体験であり、経年の成長と劣化という勝手な俯瞰視だか、将来の国情と民癖を推考するに、ここは観察官のお手伝いとしての対象者処遇に保護司の活動の重点を置くべきと考える。一時は一万人以上の若者が参加していたBBSも京都の学生の自発的行動だった。それが組織維持と拡大を目標に社会にリンクし、欧米型のケースワークやアカデミックな処遇技術を学び、それを学用として会員の自己学習の充足や自己認知という本末転倒な運動に進むにしたがって組織が停滞衰亡していった経過がある。
かつ若手官僚の現場対応能力や固陋なる習慣を持つ様々な地域観の再考証がなければ、若手保護司の補充など望むべくもないだろう。認知や周知の願望が社会を明るくする運動のなどの社会的認知の高揚感から発したものなら、それは本末転倒な施策であり、保護局内の目新しいと思われる政策立案の方向性への再考が必要だろう。
社明運動のスローガンにある、対象者を同じ世代の若者の「不幸にして」、あるいは「不慮の結果」という、誰にでも起きるであろうという共感をなくしてはならないだろう。
余談だが、日本の更生保護のはしりであった鬼平こと長谷川平蔵がおこなった石川島での殖産事業、そして毎度のように訪れて言葉をかける「権力のささやき」を懐かしみ講演したこともある。保護司の集会には別世界の大手通信社の解説員を紹介し多面性と視野拡大を意図した保護局の助力も行ったことがある。
そのころ、世間で流行り、カブレたのは、個性化と国際化、そして自由と平等ではあるが、教育は数値評価と、人格涵養とは何ら関係もない地位、名誉、財、学校歴という附属性価値の競争だった。非行とか犯罪はあくまで外の忌避する世界なのだ。また大人たちはそれを煽り、その附属の価値を権威づけすることに励み、表層に謳われる善なる行為の勧めを我が身の虚飾とするものも増えた。また、「ポランティァ」という言葉も大手を振って喧伝されるようになったが、却って人々は連帯をなくし調和すら衰えた。
それは「人物」を視る目が表層の附属的価値と、曖昧かつ虚偽を含む一過性の風評に人をみるという稚拙で狡猾にもみえる世情となり、思索と観照をなくした情緒は無名でかつ有力という人物観が意味をなくし、有名をもとめ、さらに干渉し、批評するという軽薄な人の見方しかできなくなったことでもある。
保護司は保護司法に随い、かつ護られた一個の人格の為せる作業である。(その意味ではヤクザは稼業の親分の方が効果はある)
そして、複雑多岐な事情をもった行政の補完として助力、提言を行い、その相互連絡の必要性を「会」に求めるものであり、近年に謳われてきた社会参加への易き誘惑の前提に、対象者の更生と保護、それは長谷川平蔵の殖産事業や金原明善の善行を範とした歴史の賢人の意志を顧みて己に問いかけるべきと時代は要請している。
政治の人間関係においても疎外と排他が流行りとなり、人々の離合集散がめまぐるしい時世である。また、それは土壇場の民癖であり、四角四面と阿諛迎合が官と民の関係を支えている陋規(狭い範囲の掟、習慣)だが、あくまで最後は人物の義狭心と和魂は語られる。
いくら清規(成文法)が整っていても煩雑で用をなさない法では社会は整わない。
また、「易き」は進捗するごとに軟弱となり、弛緩し、堕落崩壊する。
複雑な要因を以て構成されている世事としては保護行政も細事だ。だが日本のみならず地球のあらゆる文明に棲み分けられた民族や仕組みを俯瞰すれば、たとえ国家が行う細事な保護行政も価値の優劣を競い、優を有効、劣を無効として切り捨てられる溝の拡大は、「劣が烈と転化」し、「優が遊惰を生ず」という古事の倣いをひくまでもなく政治の要諦として見直されるべきだろう。
大仰だがあるインタビューにこう応えたことがある。
「非行犯罪が増えることは国家が脆弱になる。ただそこに追い込む善良な大衆もいる。求めるものの裏側には自身の鏡となった彼らがいることを忘れてはならない」
2024 12 7 激震ノ夕刻 加筆再記す
説明なきイメージは津軽弘前
あの国はともかく、そろそろアジア回帰するべきだとの意見が起きている。
トランプ大統領は日米安全保障は片務的でおかしい、商船は自国で護るべきだ、との発言を受けて専門家と称する人たちが騒いでいる。
在日米軍は「瓶の栓」ともいう。先の大戦や、それ以前の日露,日中と戦った異能な兵士と経済力に、いつかまた、という危機感がそう言わせたのだろうが、今の浮俗に戯れる国民には覚悟も能力がない。それより無関心だ。
まして国防組織そのものが大国に取り込まれている状況では、防衛や偵察は長けても、戦闘は装備も教育も難しい状況と慣性に成っている。いわゆる「瓶の栓」は必要なく、却って米軍の情報収集力は、あの橋本総理の経済交渉の内輪話を盗聴するように、金融や経済を矛として有効性を増している。
それは日本が資本市場構築のキャッシュディスベンダーのごとく資金をばら撒き、市場進出先駆けとなるインフラ整備の役を、これまた政策と称して従順に遂行する姿がある。
犬でも主人のリード線がついていれば、安心して威嚇し吠える。リード線を操作して相手の鼻面まで近づいても、緩めたところで、今度は飛び掛かることもできず不安な顔をするばかりだ。
相手は強いぞ、と脅かされれば新しい装備を用意し、近所を徘徊すれば船も飛行機もレーダーも新品に買い替える。そのたび国庫は痩せてくる。その購入先は「瓶の栓」を、盾(用心棒)のように使いこなす米国製だ。しかも防衛装備は最新でもも戦闘装備は二流品しか売ってくれない。つまり、信用置けないからだ。
レーダーサイト
わが国では兵員といわず隊員という。
しかし、防衛当局者の、゛徐々に゛゛すみやかに゛が、無関心の国民からすれば、゛いつの間にか゛その防衛(戦闘)能力は諸国と比べて格段の向上をみせている。
軍事における宗主国のような米国とは、経済貿易における摩擦と称する論理と、わが国の依頼心と迎合をチームバランスとして、物理的、政治的、軍事能力において、その役割分担は、より明確さを表してきている。
それは戦闘の指揮権限や装備品にしても米国の専権であり、その軍事的プレゼンスを補完する部分は自衛隊と明確に分担されている。
例えば海上自衛隊は航空部門として海上の監視と警備、船舶は補給と第七艦隊の周辺警護、潜水艦やイージス艦がその任にあたる。航空自衛隊は空域の目であり、航空機の運用に欠かすことのできないレーターサイト。あるいは不明機のスクランブルや地対空ミサイルなど、米軍が運用する日本国内の基地や政府施設の防衛警護の役を任じている。
とくに、兵站や航空警戒の空自、周辺海域警戒監視や戦闘艦(米国)の補給を任務とする海自は米国司令部と緊密な連携をとって運用されている。安全保障協定の随時運営上の取り決めである地位協定では、指揮権、基地権、裁判権が明記され、国内に広大な基地を専有する米基地に寄り添うように空自、海自も配備されている。
極東軍司令部の横田は航空総隊、三沢基地は敷地の90%以上は米軍が使用し、自衛隊は残り僅かな敷地に基地司令部、第三航空団、北部警戒管制団が配備され、基地ゲートの管轄は米軍が行い、自衛隊員もその許可を得なければ基地にも入れない。
近ごろ、これも、゛いつの間にか゛だが、平床型大型護衛艦二隻(海外ではヘリでも戦闘機でも航空の母艦)に戦闘機を搭載するという。支援戦闘機には渡洋能力、ミサイルは距離を伸ばすなど、着々と自衛から外征型戦闘集団に装いを変えている。近隣の軍事上の変化に応ずるのは政治の責任だが、今まで担ってきた米軍の警備・警戒・補給・基地提供が、米軍のお墨付きを得たのか、彼らが疲れたのか、徐々に武装集団の運用が変化している。
また、自主防衛を面前の問題としてきた制服組の当然なる思考回路でもある。
現実問題には俊敏な是々非々が必須なことだ。まして軍事侵攻は待ったなしの判断が必要だ。無関心や享楽遊惰の、これも、いつの間にか゛親しんできた浮俗の民情のようだが、火事に消防士の喩えのように、武装しなければ戦争がない、消防士がなければ火事がない、では、最後は人の責任とする民情では、その説明理解も難儀になるのは仕方がない。
ここでは、゛誰だって゛とは思うが、その誰が、゛自分゛になったら、生死は自分で決めなければならない。いくら税金を払っていてもだ。
それとは別に防衛現場では、また癖が出て、しかも深くなってきている。
よく、明治以降の軍は人も組織も、欧米の植民地主義に抑圧された被抑圧民族からすれば、一時は光明にも映った時期があった。
その特徴は組織になれば強固だが、まさに民族性癖という悪弊が発生する。民は町会から各種団体、官は縦割りと、それぞれが蟻塚(コロニー)を造ってボスを推戴して同類の他組織と競い、利を企図するようになる。近年、謳われてはいる「個人」だが、その個人が各々独立できない蟻塚は、出れば風邪ひくヌルメの温泉のようで、目的を失くし怠惰、劣化、腐敗に進むことを誰も止められない。
とくに、肉体的衝撃を体験しない「戦争を知らない世代」になると、装備を持ては高邁になり、ときに夜郎自大にもなる。持てば使いたくなる。なかには威張りたがる。大型車や舶来車に乗ったり、ブランド装身具に身を包むと、男女問わず虚飾者同士が競い、そして争い、内心の争いになる。中身が乏しいと、なおさらその劣情は激しくなり、ときに衆を恃み(味方を集い)闘いにもなる。人間では中身は健全な思考と価値観意識だが、国家では内政が騒がしく落ち着かい、そこでパンとサーカスだが、今は贅沢に慣れて効き目がない、そこで外に危機を煽り向けるのが為政者の常套手段だ。
思えば、その起因する状況も個人の考え方、社会の仕組み、国家の目的も、慣らされ、馴れた結果のシステムなのだ。つまり大自然に生息する犬も、犬小屋に入ればエサは与えられるし、散歩もする。
本来、犬は散歩などしない。自由に大地を駆け、泳ぎもする。
人間に馴れるから、名犬ではない。ちなみに檻から解き放たれ自由に動く犬の歓びと、顔つきならぬ犬相は、まさに犬らしい。
゛いつの間にか゛檻に入り、掃除され、エサもあり、小屋も居心地がよくても、いずれはほかの檻が気になり、不満も貯まる。すると吠える(声を上げる)。なにぶん外を知らないため、エサがまずい、日当たりが悪い、散歩が少ない、鎖(自由)が短い、などの狭い欲求だが、他の洋犬や若い犬がくると、人間同様に嫉妬や諍い、排除が働くようだ。
はたして、野良犬から檻の中の従順な犬をみたら、どのように思うのだろうか・
たとえ貧しくとも、自由がいい、と思うに違いない。
人間の世界でも常人からみれば変人でも、その変人に興味を持ち、模倣したりすることがある。もちろん、居心地の良い檻での一時の夢だが、ひそかに、その純真さを覚えて、我が身を嘆息することもある。
歴史上でも、将来から立ち戻って、あの時の感情、些細な行動が後の惨禍の起因であったと思える特異な分岐点がある。防衛問題から大衆の集団化されたときの民癖、そして犬の人生ならぬ本来の、゛犬性゛に例をひらいた。
詰まるところ犬と同様に安逸の檻、それは皆で造って、悦んでいた檻が、つまらなくなって別の檻を求めたりても、脚力は野生に及ばず、考えは狭く、与えられた餌(課題)に無意味に腹を膨らませることのみ考えている飼い犬は、広い世界には通用しないばかりか、他の犬との普遍的交わりも難しい。たとえ柴犬がチワワの鳴き声を真似しても、似て非なる犬に相違ない。
人間社会も柴犬語、ブルドック語、ポメラニアン語のように、様々な言語が混在している。
ブルドックに守られたいとブルドック語を倣い、ポメラニアンの雌犬に気に入られようとポメラニアン語を習ったところで、純なる血統は雑になるだけだ。
まさに課題を与えられれば、課題そのものに疑問も抱かず、美味い餌ほしさに懸命に主人の好きな答えを出し、単なる一時の出来、不出来で、しかも毛並みならぬ、数値で選別され、居心地の良い檻に閉じ込められることに慣れた、それを安全と豊かな暮らしと沁み込んだ人間種には肉体的衝撃や、奪い、殺傷はなじまないはずだ。
近ごろではコンピューターと武器が、ファジーでバーチャル世界のような戦争を繰り広げている。痛くて、寒くて、帰りたい、そんな戦争は少なくなった。それでも血と涙は無くならない。
空も海も陸も組織はそれぞれの職掌がある。それは部分だが、それも前記した各々の蟻塚によって、分離し、機能不全になった歴史が厳存する。戦闘指揮権は米国とのことだが、平時組織の軍官僚の内部統御は、有事に機能するのだろうか。
なによりも有事になると想定したら、国民の無関心に覚醒は望めるのだろうか。
すべては人間の問題とはいえ、厄介な民癖と蟻塚の存在は、現況の経済と装備をリンクさせた政策に、別の切り口で検証が必要となるだろう。
はたして「生死の間」に生存の意義があるとしたら、あまりにも生の亡失を念頭に置かざるを得ない諸士に、一抹の不安と、かつ助長させる世俗の情況において、力の優越を問う以前の問題として考えなくてはならないことだと思うのだ。
イメージは関係サイトより転載させていただきました。
佐藤慎一郎先生
孫文は側近の山田に、「真の日本人がいなくなった」と呟いた。
その山田の甥、佐藤慎一郎は敗戦まで二十年以上も中国社会で生き、その体験を通じて、戦後は中国問題の泰斗として要路に提言や気骨ある諫言をした人物である。
その佐藤氏と筆者の応談は音声記録「荻窪酔譚」として残されている。
いつもは荻窪団地の三階の居間で御夫婦とご一緒の酔譚だが、悩み,大笑、ときに不覚にも二人して落涙することもあった。
「これもある」と、長押に設えた棚から降ろしたり、背後の書棚から引き出したり、それでも「ほかの方がご覧になるから」と遠慮すると、数日して依頼文を添えて送付していただく。
すべて音声応談に関することだが、講話依頼の課題に逡巡すると、その音声を聞くたびに、無学な恥知らずを回想している。
昨日のこと、アジアの「そもそもの姿」を考えたく、繰り返し酔譚を聞いた。
そのなかに「中国人は中国人に戻る。日本はアジアに戻る」それは、孫文と山田のことを聴いていた時だった。
筆者はすぐ応じた。「孫文は山田さんに、真の日本人がいなくなったといっていましたね。それは台湾に革命資金の援助を当時の民生長官後藤さんに頼みに行った時のことでしたね」
「後藤(新平)さんは菊池九郎から大きな影響をうけた。叔父もその関係で一緒に行ったが、後藤さんの対応に孫文もまいってしまったと、叔父が言っていた」
- 菊池九郎・・・代議士、初代弘前市長、東奥日報、東奥義塾創立
「・・真の日本人。異民族に畏敬されるような日本人、日本人の命題ですね」
「中国人は中国人に戻る(還る)。日本はアジアに戻る(還る)」
言いたいこと、書きたいこと、様々だが、そもそも「言うべきこと」は、なかなか聴くことはない。この「・・・戻る」ことも稀な論だが、市井に生きて中国なるものを体感した佐藤氏ならではの至言でもある。
山田純三郎 佐藤慎一郎 故郷弘前
以下、荻窪酔譚 抜粋
S…無佐藤慎一郎先生 T・・・筆者
T : 満州にソ連が侵った後ですね。 悲惨な状況下で、其の様な生活も在った訳ですか。
S : 政府の連中は高い米を売っていたのだ。 其れに僕は憤慨したから、次男坊に 「其奴(政府の手先) の店前で安い米を売ってやれ」、と云ってやった。
T : 北進論と謂う大政策の中で開拓団が満州へ征った訳ですが、〃王道楽土〃と謂う国策の下で其う云う輩が在たのでは、崩壊するべくして崩壊したと云う事ですか。 国策以前の【人間】の問題ですね。 学者は 〈 もしも ~ならば、 〉を遣って 「嗚呼だ、此うだ」、と曰くけれども。
S : 土壇場では国策も糞も無い、人間の問題だよ。 糞喰らえだよ、東大を卒た奴は皆駄目だ! (笑)。
T : 満州の高級官僚、高級軍人が須く体たらくでしょう。
S : 勅任官が留置場で僕に 「ターバンの時計をやるから救けろ」、と。全く情け無いよ。
T : この間、『教育勅語』の起草に関与した侍従元田 永孚の『聖諭記』を読んでいたら、
「東大は、知識・技術の学問は有るけれども、身を修める学問が無いでは無いか。 江戸時代以来の藩校や塾を卒た重臣が在るから今は未だ良いけれども、果たして、東大卒の彼らが国家指導の任に堪え得るで或ろうか……」
と書いて有りましたが、 其の危惧が満州崩壊時に露呈してしまった訳ですね。
S : 〝記誦の学は学に非ず〟 だ。(暗記)
T : 矢っ張り志と云うか、何か一つの絶対的価値を持つと云う事でしょうね。 時節で価値が換わるのは善く無いですね。 全体の中の部分、【自分】を識る事ですか。 教師が注入すると云っても、其れを次世代に教えるには手段・方法では無く、〝感動・感激〟 が大切ですね。
S : 不言の教えだ。 言葉も大事だが、体で教える。 困難を乗り越えて人間が出来て創めて、歓びが有る。 先生が其れを実行しているから、昔は先生を尊敬していたのだ。 或る時、中学校で 「孔子は女房を放ったらかしにしてオカマばかりほって」、と悪口を云ったら、漢文の菊池 ペロー先生が
「お前何ンぞ死んでしまえ、去ってしまえ」、 と叱られた。 是う謂われたら本当に退学なのです 。 退学したく無いから
「卒業したら、孔子様のお墓の前でお詫びをしますから、赦して下さい」、と云ったら赦してくれた。 今考えると、能くも巧い事云ったものだと思うのだけれども (苦笑)。
其れで北京留学の頃、本当にお詫びに行った。 孔子廟も何も判ら無いので、本当に難儀をしたよ (笑)。
T : 其処にいくまでの機会・試行錯誤・体験、其れが大事なのでしょうね。 僕も中国や台湾へ初めて行った時、言葉も何も解ら無いので不安でしたが、乗ってしまえばこっち占めたもので、感動・感激の体験でした。 此れが大切ですね。
S : 僕は人生の目標が無かった。 只、中国人が何を考えているのかだけを勉強した。
T : 人に接するのが好きだったのでは無いのですか?
S : 小学校五年生五十三人に何を教えても、直ぐ「はい、解りました」と答えるから一生懸命教えたのだけれども、試験前に何を訊いても誰も解ら無い訳、如何にも為らん (苦笑)。
≪分かりましたと云えば先生が悦ぶと・・・≫
T : 矢っ張り先生に注目されようと思うのじゃあ無いのでしょうか。
S : 其れで、中国の事は中国人に訊か無ければ解ら無いと思う様に成った。 学問の方向では無く、現実に引っ張られてコソコソと勉強した。 目標も体系も無い。 もう少し早く、人生の目標を持てば良かった。
T : でも目標に窮してくると、閉塞状態に陥ると云う事も有るでしょう。 僕が思うに、多寡が人間のやる事だ、と。
S : 終戦後、中国人は皆、親切にしてくれた。 然も留置場だからね、極限の世界でしょう。 是の時初めて、中国人が解った。
弘前城公園
T : 先生の様に、中国人社会に順っていても解ら無かったでのすか。
S : 迷惑が掛かるから本名は云え無いのだけれども、戦犯を管理する外事課長さんが僕を庇ってくれた。 僕は生徒と遊ぶのが好きで、子供が直ぐに僕に懐く。 其れを観ていた同じ小学校の先生が、其の外事課長さんです。
T : 俗世的で無い人の評価って有りますよね。 日本人は肩書き等、俗世的なもので人を観て、其れ以外は何も察得ない (察無い)。 中国人は観え無いものを察る能力が有りますね。 個人で人の価値観を察ると、〝好きか・嫌いか、善か・悪か〟 どち等で判断しますかね?
S : どち等かなあ……。 難しいが、命を救けてくれた中国人、この日本では (同じ種類の人間は) 考えられ無いよ。
中国人の本性は其うなのだ。 皆向こうが救けてくれた。 逮捕されて却って良かった。 僕のリュックだけ差し入れで一杯。 看守は初め、威張っていたが、後に優しく為った。
T : 自然の三欲 〝食・艶(異性)・財〟 で表現されることが、自然の流れで正しいのでしょうね。 人間も自然で在るべきだ。 斯と云って、禽獣とは違うのだけれども。
S : だから中国では、天下・国家は所謂 〝お噺し〟 に為る。
T : 現在の改革開放路線で〃拝金主義〃に成り、其う謂う善い部分が消えて悪い部分だけが残ると云う恐れが。
S : 政治が良く無いからだ。 中国人は公の席で政治は語ら無い。 政治は不文律で、公の席は公文書だからだ。
津軽の学び舎 悠心居
T : 十二月十九日の或の件を訊きましたか、王荊山さんの?
S : 少し訊いた。 高梁を百トン運び、塩・油を無償でくれたらしい。 総指揮者は劉 ショウケイ(?)が執って、其の物資を平山 (副知事) が受け取って横流しをした。
T : 平山が横流しを
S : 平山は留置場に唯の一回も、差し入れをした事が無い。 関東軍のやった事を僕は知っているから逮捕されても不平不満は無いが、奴等は見舞いも何も無い。 其れで栄養失調で皆死んでしまった。 終戦後、露軍が侵って来て避難民が新京に集まって来た。 処が関東軍の奴等は 「露スケが来た!」、と聴いただけで、弾の一つも長春 (新京) に落ちて来ない内に、皆逃げてしまった。 僕らが長春に着くと、関東軍の宿舎には、誰独りも居無かった。
T : 高級将校がですか?
S : 兎に角、独りも居無いのだ。 其れで 「如何したのだ?」と訊いたら
「ソ連が来ると謂うので、関東軍は皆逃げてしまった」と訊いてやっと解った。
僕が憤慨して総務長官の処へ行って初めて「関東軍の命令で電話線も三ヶ所切断した」と謂う事も判った。
兎に角、酷い事をやったのだ、関東軍は。 ソ連が侵って来て、略奪と強姦で日本人は右往左往した。 憤慨して、総参謀長の処へ相談しに行ったら 「日本の女も悪いよ、ケバケバしいから捕まるのだ」、と。
もうお話になど、到底為らない (苦笑)。 公使は
「私は昨日迄は公使でしたが、今は唯の避難民です」、と ほざいた。 僕の傍らに、カジ園さんが連れて来た横山さんが在て 「この野郎、殴り殺してやる」物凄い剣幕だった。
王荊山の娘と孫(戴麗華) 佐藤先生
T : 処で、或の平山 (其の時は日本人会会長) ですが、日本の女性を売ったのですか、差し出したのですか? 金で。
S : 金を貰ったのか如何なのかは判ら無い。 終戦翌年の五月十九日、新京のホウラク劇場で平山主催の日ソ友好大会があり二十日に五百人の女性を出したらしい。 カジ園さんの噺に拠れば五百六十二人だ。 何にしても、出したのは確かだ。
T : 其の後、(彼女達の) 消息は何も無いのですか、現在向こうから残留日本人婦人 (孤児) が来ていますよね?
S : 善い意味で、残っては在無い。
T : 要するに、日本人に罪が在る訳ですね。 満州関係の援護の人で、誰独りも手を差し伸べては在無いですね。
側近山田と孫文 革命の同志蒋介石と山田
章を変えて
S : 本当に悲惨だった……。 結局、計画を長引かせる程、賄賂が多く得れる。 誰から貰ったのかは判ら無いが、田村は其の金で妾を拵えたよ (苦笑)。
T : 三井からでしょう。
S : 誰から金を貰ったかは判ら無い、三井かどうか ――― 。 山田 純三郎も僕も貰った事に為っているかもしれ無い。 桂公使 (戦犯容疑者) が山田 純三郎の処へ行って玄関で土下座して「救けて下さい、私が誤魔化しました」
(蒋介石は満州国の日本国内の土地、資財の処理を革命の先輩山田に懇請していた)
と、伯父にはっきりと謂った。 カンオン会が香港から留学生九十七名連れて来て、相模女子大学に入れる積りで松平 キトや山口 重二が奔走したけれども、金の見通しが着かず結局、武蔵境の日本経済短期大学 (現・亜細亜大学) に入れる事に為って、其の経費は善隣協会が三千万円出すと云う約束で其処に入った。
以上、抜粋




