まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

安倍晋三さんの忘れもの 加筆   2010 5/17 あの頃も・・・

2018-12-13 13:35:52 | Weblog

 

        

           『嘘はつきません!!!』

 

以前、旧知の売文家の門田隆将氏に講話を依頼した折、話料は20万とのこと。近ごろは出版業も世俗変わりで部数も伸びないため、映像や音声媒体に身を晒したり、講演などで稼ぐことが多くなった。内容はともかく人集めのために名の売れた者が歓迎され、スポーツ芸能、政治家くずれ、売文の輩や言論貴族が漫談の類で大衆を愉しましている。感想は「聴いた」ではなく、「見たよ」が口の端に上るようだ。

そのとき、「櫻井よしこさんは80万だ」と自身の講演料の比較安価を伝えてきた。その桜井氏はマスコミ媒体でよく「美しい国」と記し、語っている。

よく耳にするようになったのは安倍議員が「美しい国、日本」とスローガンを述べたことからだ。「美」は羊が大きいと書くが、隣国の古老は「若い女性が素直に、ハイ、と発することだ」と聴いたことがある。たしかに実利のある言葉だ。

以下は筆者が、バングラデッシュの子供新聞キシロチェトロに掲載した「清く正しく美しい国」について、問われたことの内容でもある。それは、豊かな国、強い国、他国を理解する国について、「美しい国」との童心の問いだった。少し難しくなるが、情緒性の問題であり不文律(成文法とは異なる)の涵養と継続についての説明だった。

彼らは日本の首相が政治のスローガンとした「美しい国」の意味と、なぜ美しいかを理解し、醇なる問題意識をもって日本を観察している。

桜井氏らは戦争の呼称は太平洋でなく、アジアの開放を謳った「大東亜戦争」だというが、昨今、その大東亜の若者が労働力確保の号令によって日本に誘引されている。巷間、自殺、逃避,疾病等によって多くの若者が夢を求めた異郷の地で戸惑い、苦しんでいるという。

一昔前は為替の操作で追い立てられるように安価な労働力を求めて大東亜(アジア)に進出した。今度は「口入れ屋」(就職あっせん業)と政府の甘言に多くのアジアの若者を招来している。あの時はアジアの開放を謳って進軍した。必要だったのはアジアの石油と資源だった。現地の軍官吏(日本人官吏)はいまと同様に素餐をむさぼった。いくら戦争だといっても軍政下における暴行、收奪は日本人の所業としてアジアに刻まれている。もちろんよき司令官らおいて善政を布いた記述も残されているが、国策として日本のためにアジアを用いたことに変わりはない。

今度はアジアの若者である。

救いはあった。陛下は外国人就労者施設において「この国で幸せになってください」と

 

利は智を昏からしむ利のみを追い求めると本来の智誠や道徳観念は無くなってしまう。

まさに、このことによって利を企図する商人や一部の政治家、そして追従する売文の輩はいたずらに民を扇動している。そして忘れる。

 

 

     

子供新聞を教材にして・・・

 

美しい国にっぽん

あの時も今回も目標理念は一緒だが、今回は景気にまつわる唱えが多い。

ところで昔から三つの異なる意味を連ねて納まりのよい拍子言葉のようにしていた。

「美しい」の前に「清く、正しく」が入ると調子(リズム感)が良く音(オン)もいい。

政治家や商売人には気恥ずかしいからと外したわけではないだろうが、゛美しい゛はオンが良いが、意味が薄い。

 

よく魚のクサヤや厠に対する五感は「臭う」だが、香水は「かおり」という。またその方が美しい言い方だ。なかには草花のように、いい匂いと当てはめるが、唇の動かし方は「かおり」が綺麗だ。あるいは政治家の演説も「上手い」より「立派」といわれた方が、気分が良い。要は使い方だが、宰相の言葉としては長くはなるが「清く正しい国と美しい環境」というべきだろうが、分かりにくければ「清く正しい国ニッポン」のほうが実利はある。

 

それは国民にとっては気恥ずかしいと思っているのかもしれない。片腹がくすぐったい。

では、その美しいだが、漢字では羊が大きいことは美しいと教える先生がいるが、その大きい羊は首を切られ丸焼きにして神に捧げ、大きければ大勢の人で食べることができる、とは教えない。佐藤慎一郎氏は二十年にわたる大陸生活では日本人とは異なる庶民の感覚を体感している。そのなかで「美しい」ということは、女の子が素直に「ハィ」と応えることを美しいことだという。

ところが、「政治家は人を騙して雄弁家という」と揶揄され、落語家や漫談家のような演説を、゛うまい演説゛と近ごろは言うらしい。役人に素直さを求めることは出来ない算段だが、この人たちが群れとなって素餐をむさぼり、言葉だけは美しく偽装しても、「素直で美しい」とはいわない。

 

日本人は官制義務教育の慣性なのか漢字は辞書を引く。それゆえに意味は共通語として情報交換に役立つものだが、同じ外来語で「love」を辞書で引くと「愛」と出る。

みんなが「愛」といえば意味は知らぬとも「愛してる」とつぶやけば、これも「愛されている」と考える。ならばあなたの愛の表現はと尋ねれば、百人いれば百通りある。応えられれば良い方で「愛は愛でしか・・」と辞書から抜け出せない若者がいる。

ちなみに「個性」もそうだ。

 

ならば誰がloveを愛と訳したのか。辞書が共通訳の働きがあったとしても、俺の愛はこの様なものだ、と差別化しなければ個性もなければ優劣,高低、多少で判断しなくてはならない。当ブログの初稿に記したが、二葉亭四迷は「私はあなたのために死ねます」と訳し、そう思っている。アイラブユーは、私・あなたを・愛しています、と誰もが訳すようだが、斯様に「愛」は人間の選択意志が入るといい加減なものになる。

 

安倍さんが唱える「美しい」は政治家としてではなく、日本人の誇りを対外的にも観照して美しく感じられる国柄にしたいという願いだろう。異を唱えるものではないが、ついでに調子を合わせて「清く、正しい、美しいニッポン」と唱えるなら、その行動は緊張感と集中力をもって国民に「清新なる信」を想起させるだろう。

 

政治家ならずとも大人になるとなかなか口に出しにくい言葉だ。いくら当選のために、あるいは失業対策選挙だとしても、余程の厚顔でなければ大声で言えまい。なかには役者も運動家も人寄せで選挙を戯れるようだが、子供が唱和するような純で透き通った声で「清く正しく美しい政治」と、全国津々浦々で唱えれば幾らかは教育改革の助力にもなるはずだ。

 

本当は「清く、正しく、立派な政治」というべきだろうが、なかなか・・・

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国の変容 明治の御維新のあとで・・・ 2012 8/5 再

2018-12-06 13:00:13 | Weblog

 

国土交通省航空局の実直な官吏が森友問題に関する文書改竄の自責の念で自殺した。

責を他人に転ずる事なく、自裁した。行政の最高責任者は部下の死に哀悼の姿もない。

経済も政治もよいが、同胞の情がない為政者に選ぶ言葉もない。

陛下の言葉つなぎの大御心は忠恕(慈しみ、思い遣る心)だが、それを座標として具体化するのが為政者の務めだ。

しかも己の起こした煩いのための煩悶し、黙して命を絶った部下(大御宝)への冷酷な態度は民族の歴史に刻まれる暴虐な政治でもあろう。

憲法・・・、軍事力・・・、先ずは瞑目して大御心を我が身に問うてからだ。

 

 

   

 

以下は久坂総三の著作「明治粋狭傳」の一章です

現在は、校正や挿入をおこないつつ新たに編集中ですが、著者名の総三の由来である相良総三らが起こした御用党のくだりで語られている当時の維新にかけた漢(おとこ)の絞り出すような言葉です。

あの西郷も忸怩たる思いで明治の変質を見ていました、また明治天皇も「聖諭記」に人物養成と教育の在り方を諭しています。つまり一方では西洋かぶれと成り金権力、一方では維新の行く末を危惧すればするほど惨禍に倒れた同志の無念さが己を突き刺す醇な日本人の二極化を生じました。

その西洋かぶれと成り金権力の行く末を視ると、あながち懐古とか固陋では棄てられない心情です

この章は、いまでも通用する日本人の「質」的なものなのでしょう。













「俺は、いついかなる場所でも、これで、潔く命を決する覚悟でいる。一つには、折あらは、岩倉に迫り、そのことを正し、しだいによっては彼を刺し殺し、おのれもその場で死ぬつもりなのだ」
 
凄気がながれ、落合の気迫に、一同は、身ゆるぎ一つ咳き一つせず、みな鎮まった。


「いかなる事情、いかに余儀ない仕合わせとは云え、逆賊反徒ならイザ知らず、この一新明治の国難に、忠心を以て先導を切り、いささかならざる功績をもたてた者を、人倫非道の汚名の下に殺し、このような醜悪卑劣を以てする。何のこれが維新だ。何の改革ぞや、明治維新とはそんなものなのか。新政成ったその当初に、すでに汚点を印して、何の光輝ぞ」
「ハイ」

思わず誰かがいった。


「われらはなにも権勢栄華や立身出世のために身をなげうったのではない。徳川に代ってその座につこうとしたのでもない。たといその功も労も無視抹殺されても、報われ 認められず、地に埋もれても、なんの恨みともせぬ。ただこの日本がより美しく、われら日本人が、より正しく、強く、豊に栄え伸びてゆくならば、以て欣びとし、本懐とする」


「しかし、維新成ったという、今の日本の現状はどうか、果して、過去より進化しているか、より美しく、正しくなっているか・・・」


「それがおれたちの信じた日本か、維新の日本か。断じてちがうぞ。ちがうのだぞ。おれたちの夢み、あこがれた世界、望みこがれた日本の在り方では、決してない」


「大らかな、生々溌刺たる大和心をこそ、今、回復せねばならぬ。それでなければ人あって国なく、我欲の民有って、畜生、獣に他ならぬ世界だ」



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死生観の涵養を学びとして

2018-12-01 11:03:31 | Weblog



講話2015.12.16

 「機略の縦横無尽・臨機応変を養う人間考学」

機略とは事に際して臨機応変に思考をめぐらすことではあるが、その要は人間(人物)そのものにある。それは状況に応じて、瞬時な対応を考案することであり、たとえ集団内においても、全体の一部分において発揮できる己の特徴を発見して、連帯の調和をいかに維持するか、また、各々の部分をいかに連結統合できるかという、多面的かつ根本的で、さらには連結統合の効果となる他に対する許容量を拡げ、高めるような習得が必要となってくる。

特に、瞬時の機略判断は技術や知識の習得だけではなく、直感性を養う浸透学的な要素が必要となる。また、如何なる状況においても判断基準となる座標軸を強固かつ、柔軟に持つ感覚も必要となる。

こういった感覚は、己に立ち戻ってみれば、まさに生死の観、不特定に対する責任感が混在するなかでの突破力となる覚悟など、怯み、怖れを祓う勇気の源泉を、自然にかつ容易に発生させるすべともなる。

しかしながら、このような人間考学は官製学カリキュラムにはない。

いわば学びの「本(もと)」となるものであるが、この「本」のあることの認識し、その「本」を伸ばす学びや人間関係の柔軟さを習得することは、生死の自己完結の自由を担保し、慈しみをもつものに靖んじて献ずる精神の安心した状態を維持涵養することにもなると考える。

また、生死の間を想像し、それが不特定多数の安寧を任務として、かつ、安らかな生活を願う最愛の家族隣人を想起しつつ平常心で職務を遂行することは、戦闘集団の高位にあり責務ある立場のものとして、いざという時の瞬時に、志願発起時に希求した姿を想い起こしうることにもつながるだろう。それは溌剌とした自己躍動の想起でもあろう。

この場合大切なのは「公私の間」の峻別でもあろう

この度は、この官制学カリキュラムにはない機略の縦横無尽を養う人間考学を、明治初頭の残像にみる学問を振り返って眺め考えてみる。

 

 

或る日の松下政経塾



◎講話レジュメ

Ⅰ 明治初頭の学制と、それ以前の学問について

明治天皇の直観 啓蒙思想・フランス革命

フランスの学制をもって学の習慣を転換させた(森有礼・ありのり)

≪王政の打倒と市民という個の発生は、民族の長を消滅させた≫

似て非なる、自由・民主・平等。人権などの意識


関係サイトより参考転載

(山室[1998:1576])

旧来の学問のあり方を否定し、思考方法の転換をもたらす新しい学問を普及させることであった。

福沢らにとって儒教や国学は現実から遊離した机上の観念や文字を弄ぶ虚学にすぎず、学問とは現実の実践に有用な知識を追求する実学でなければならなかった。実学とは、天や理などから森羅万象を演繹的に理解する形而上学的な方法を排除し、現実世界の事象に対して観察や実験を重ね、そこから法則を機能的に導き出すという自然科学をモデルにしたものであった」(山室[1998:1576])

・・・この人間観を体系化した西は「人世三宝説」において健康・智識・富有の三つを人生の宝とし、すべての人間活動の源泉としたが、これは人欲を害とした儒教や煩悩として斥けた仏教の人間観を否定し転換したものに他ならなかった」



 

 

 

≪聖喩記≫

 明治19年丙戌11月5日

 元田永孚謹記

 

 11月5日午前10特例に依り参内既にして 皇上出御直に臣を召す。

 臣進んで 御前に侍す。 呈上親喩して曰く。

 朕過日大学に臨す(10月29日)設くる所の学科を巡視するに、理科・化(学)科 植物科・医科・法科等は益々其の進歩を見る可しと雖も、主本とする修身の学科に於いては曾て見る所無し。

和漢の学科は修身を専らとし古典講習科ありと聞くと雖も如何なる所に設けあるや過日観ること無し。

抑(そもそも)大学は日本教育高等の人材を成就すぺき所なり。

然るに今の学科にして政治治要の道を講習し得るべき人材を求めんと欲するにも決して得るぺからず。

仮令理科医学等の卒業にて其の人物を成したりとも人の相となる可き者に非ず。(治世に就く人物 宰相)

当世復古の功臣内閣に入りで政を執ると雖ども永久を保つすべからず。(維新の功臣)

之を継ぐの相材を育成せざる可からず。然るに今、大学の教科和漢修身の科、有るや無きやも知らず、国学腐儒固陋なる者ありと雖ども其の固泗なるは其の人の過ちなり。(教える人間の問題)

其の道の本体に於いては固より之を皇張せざるべからず。

故に 朕、今徳大寺侍従長に命じて渡辺総長に問わしめんと欲す。

渡辺亦如何なる考慮なるや、森文部大臣は師範学校の改正よりして3年を待って地方の教育を改良し大いに面目を改めんと云って自ら信じると雖ども中学は梢改まるも、大学 今、見る所の如くなれば此の中より真性の人物を育成するは決して得難きなり。

 汝 見る所如何。(どのように考えるか) 

 

要約《西洋の学術を学ぶことは大切なことだが、そもそも高等教育は社会を構成し、国を経営する人物を養うことにある。法科、理科、植物などは観るべき進展はあるが、この学科だけで政治の要諦を学ぶ人材を得ることは難しい。

また、治政を司る人材を得るべき学科はないようだ。相となる人材を育成する大学の教科(和漢修身)は見当たらない。和漢の学は固陋とのことと考えるものもいるが、固陋な印象は教える人物にその因はある。このままでは国家の要路に就く人材を養成することはできない。》



その後の変遷は、学問が己を虚飾し立身出世を図る道具と化し、各科はそれぞれの派を成し、ボスを推戴して、統合成果とすべき知識や技術は各々の棲み処を形成した。

とくに官域における職掌分派(分裂)は先の大戦の敗因とも思われるような状態になった。明治天皇の洞察された国家のガバナンスを負う人材の枯渇でもあった。

その鋭敏なる人間観察は、現代の教育形態や政治にも通用する痛烈な聖諭でもあろう。

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文は読むこと、読まれることではない 読者所感

2018-11-30 13:09:22 | Weblog

 

まさに、筆者としては恥ずかしながらの収受した読者の希文ですが、ご了解を戴き掲載させていただきます。

氏は鹿児島県出身の元治安官僚です。拙文ながら御賢読いただき、ときおり顔を見せては洒脱な話をします

 

        

                     弘前城公園

 

ブログを拝見し、僭越ながら私の感想を述べさせていただきます。

 前書き(ブログ全体を通し、)

今の時代の数々の問題を、枝葉は気にせず根本的に、いろいろな方向から客観的に分析し、回答まで導いており、見識の深さと肩を張らない自然体で物の見方を教えてくださり読む人に問題意識をもたせるブログと感じました。

全体として博愛主義で、多くの人と交流するが、どのような人にあっても、どのような場面でも人を差別せず、同じ目線で来る者は拒まず、去る者は負わず、自主性に任せる、実に懐が深いお考えをもたれ、うらやましい限りです。

私などは直ぐに熱くなってしまいます。

この世を平和に、人の心をより強く安らかにするためにも今からでも自分を磨き、選挙における1票をも大切にしたい。

 

2017.6.21

文教利権 得意な分野で緩み挫折すること

過去の政治家や官吏は純粋であった、昨今の政治家、行政官は得意な分野で緩み、挫折することがおおい。

政治家の本質、行政に対する姿勢を教え、解いている一例として教育機関の堕落、長いものにはまかれろ体質、人にこびる世界、お金が全ての昨今の風潮に対し、人の生き様とはどうあるべきかを具体的に述べ解いている

例として国際的な南スーダンの問題に対する政府の対応、自衛隊の現実、全て国家のためという大きな名目で政治家の利権構造を述べ、ODAという日本の金(税金)の垂れ流し、政治家への還流、又政治家の建前と本音、岸・安倍における問題、そこから加計問題が発生している。

海外においてもしかり天安門事件においてもさにあらん。

国を動かす人は、もっと人間教育を学び未熟な政治を反省し、真摯に政治、行政に取り組み日本を、国民のことを真剣に考えるべきだ。

 

2017.6.19

「人間考学」より 自己憲章の進め  

歴史は人から人への精神の流れ

安岡正篤氏の「六然訓」の銘記

後藤新平の「自治三決」を自らに課した件

岡本義男の「尽くして欲せず、施して求めず」

何事も善意を対価にするような風潮に警鐘を鳴らしている

 

2017.6.15

籠池、加計騒動 私人だとか公人だとか騒がしいが

この問題を例に為政者の実態をよく言い表している。

学びは行動―公人とは?

価値観は変わり現在は「にせ公人」を輩出してきている。

現在の公人と言われているやからは居丈高な態度、議員の資質、その役人に対する企業人のおごりだが役人にもよい人もいれば悪い人もいる。

使われることが不特定多数の利副を前提とするなら公人の行為、己や特定のことをその優位さを用いるのならば私人。

 

2017.

財団法人「国際平和協会」

成り立ち、心情、メンバー、目的を記し、世界への広がりを説明している。

1945年8月26日東久邇宮氏に声をかけられ首相官邸にて世界平和の実現のお話しをされた。

9月27日日本再建の同票は「世界国家」のほかに無いと考え、首相官邸において財団法人国際平和協会を設立した、設立の基本金は東久邇宮氏のポケットマネー5万円かで賄った。

京都から発信し広島などを経て「平和の再認識」を実践し日本再建、万世に太平を開く、日本の道義のために心を通じる日本のそうそうたる設立メンバーにより協会が運営された。

1946年4月13日活動が認知され、財団として正式に認可が下りた。

この思想は、世界に広がり世界のそうそうたる設立メンバーにより世界連邦が推進され世界においても認知されてきた。

国際平和協会は機関紙「世界国家」を発刊し日本では京都から広島へと広がっていった。

この協会の目的は地球規模で国境の垣根を超えた平和の発想が求められている。

 

   

 

   

           

     皇室記者 松崎氏と荘シュクキ先生の弔問へ   外交部歓迎宴

 

上皇(今上天皇)様 台湾へお越しください

台湾と皇室の絆

コピー右半分白紙のため全体を創造して感想を書きました。

政府は台湾と断交しているが、友好団体や民間が引きも切らずに関係を持っている。

台湾の人の受け入れは突然訪問しても大歓迎してくれる。

過日台湾に訪問団を結成し、矯正施設を訪問したときも歓迎してくれ、台湾人の考え方、行動力を見せてくれた。

東北地震の際、無我夢中で日本に対し熱烈運動を展開してくれたことを知ればなにをかいわんや。

皇后様の台湾の人々に対する思い・台湾荘女医との心のつながり・本物の信頼感を記し日本人と台湾人の心根を表している。

 

2017.6.9

あの日、憲法前文を撰す

現在の騒がしい世相について、わが国徳目を基礎とした日本人の役目について修練し、憲法における国民の意思を次代に継承することが重要。

憲法起草者について法とはなにか、権力者によって人間の尊厳を侵されないための法であり、憲法である。

権力者が国民を下座視し支配するような前文試案であってはならない。

憲法にある天皇という言葉、また元号の本質をしっかり考えてほしい。

 

2017.6.3

この有様は「五寒」の政外、内外の表れである。

五寒にある「諜弛」

官邸と一部の迎合官僚と業者で国会のチェックも無い政治は弛みと洩れが必ずおきる。

為政者が使う「忖度」は自己主義の粋たるものだ。政治家は政外、内外を認識し、四患を超え五寒になる過程は、人身の劣化と国家の衰退である。

今の日中、米国との対人政策を理解すべき。

「力」とは何かについて具体的な説明がなされた。

 

2017.6.2

彼らの低俗で卑しい手段と態度

政治家が行う庶民に親しむというパフォーマンスほど卑しいものはない、具体的に例を挙げて説明している。

実に官吏から低俗で卑しい一群はどうしようもない。

天皇においては、自ら進んで平服で避難所の板の間に膝を折り国民をねぎらっておられる。為政者はどのように感じているのか。

 

2017.5.30

安岡家の仏間の書籍

本という物は眼のみで読むのではない、「聴き」「体験」することが大切である。

 

        

      

 

2017.5.23

天皇誕生日の稿 あの時民衆は御所に集まった

あのとき民衆は御所に集まった、数というものの大切さを記している。

又同時に数の怖さも感じている。

「司」の集団的劣化が幕府の崩壊する端緒となった。今の為政者はこのことに気づく感性も亡失している。

天皇の行動、言動の重さ、重要性の具体例を説明している。

陛下は国民を「大御宝」称し歴史の俯瞰から大局を見ている、本質を探し、無言の行為で諭している。

 

2017.5.17

平成の終わりに「下々の責はわれに還る」

下々の本来の使われ方

下々の昔と今の生き様、生活感

わが国には下々もあるが,安寧の祷りを先進としている「上」もいる「上」は所有せず、もっとも倹約が行き届いている立場でもある。

 

2017.5.12

祖国の響きと余韻

近頃は聞くことの少ない言葉だが、慎重に行動し、一度は考えてみる価値がある。

 

2017.5.9

ぬるま湯に入る知識人の珍説

知識人といわれる人種の学識見識の無さ、学問の大切さ、教育の本質、

現在の教師における教育の姿勢、目的、数々の問題をかかえている学者は、学問途上の意であり完成到達者ではない、どの時代においても、どの身分においても教育は崇高なものだ、今は知識人、教師が愚論を競っている、まず率先垂範する知識人になれ、具体例を持って説いている

さらに官吏は礼をもって仕事にあたれ、と。

≪「礼」は四角四面な形ではなく、譲る心をいう≫

 

2017.5.3

間工学から「伸びしろ」をみる

伸びしろのある逸材はあらゆる世界にいる、人の目利きと指導力を持った者が人間関係によって培われる。

 

2017.4.23

また台湾から贈り物を頂いた(心の贈り物)

台湾の人々から心からの日本に信頼を寄せ、信ずる心をもって日本と接してくれる、日本人は、再度本当の意味で台湾の存在を考えてみる必要がある。

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拙い縁の備忘として日中四方山話「梅屋庄吉と宮元利直、そして笠木良明」Ⅱ  10 12/3再

2018-11-23 21:13:03 | Weblog

                津軽 黒石




《人間学》

明治以降の学制にある点数主義と記誦、記問の学による選別と立身出世の風潮は地位、名誉、財をつくっても人物を養成しなかった。つまり真の教養人の養成である。
また、どのようにしたら欲望をコントロールして公私の間を弁えるかの学問なり倣いの方策は明治以降の文部省官制学校には存在しない。

また自己を律する習慣性や、その本となる前提を是と理解する社会も群れもない。
己も解らなくなり、当然座標軸の無い思索や観照は相手を理解することすらできなくなっている。つまり無意味な知の集積は真の学歴を単なる「学校歴」に置き換え、人々は愚問を乱発して鎮まりのない騒がしい民風を作り出している。

当ブログに多く記した「四患」や「五寒」に表れる現象はその動向と結末を警世言として述べているのである。

あの戦端を決した御前会議の決断の前提にある現地の認識と、その現状を意図的に作り、かつ日本人の性癖というべき四角四面と曖昧な合議を熟知した彼等の策動は、とくに高位高官、知識人の習いとする現状証拠のみに論を立てる指導部という位置におかれている人物特有の意志欠落である。あるいは惰性というべきものだった。

近代国家とはいえ負ければ虐殺、強姦、あるいは社会構造の強制的転換は当然起きることだ。その期に及んで合議や手順は合法といえ、覚悟と責任という前提が立っていない合議は責任分散に他ならない。日露戦争の統治コントロールの基には戊辰で戦った戦士の勇気と恐れ、そして国民に対する忠恕心があった。それゆえ脳髄を振り絞り智慧や頓智も発揮できた。何よりも普遍的な「人間」そのものを知っていた。

時代が違う、状況が異なる、あるいは野暮で古臭い観念と切り捨てられそうなことだが、指導者が「信」を失くし、単なる、゛窮屈で面倒なことはお任せ゛に陥った国民との関係は文明開化以降に染められたフランス革命の前段思想のような啓蒙主義にある。その唱える自由、平等、民権などという恣意的な統治コントロールの平準化を進捗させ、国論さえ調和連帯させることができなくなった。

終戦の御前会議に列席した阿部原基内務大臣は筆者に慙愧の念を吐露した。
それは杉並区和田の自宅において自著「昭和動乱の真相」について拝聴したいことがあったことと、氏の郷里山口仙崎の蒲鉾を呈したいと訪問したときのことである。
あのゾルゲ事件のときの特高課長でもあったと聞く。

「先の大戦は外国との戦いでもあったが、日本及び日本人が次の将来を問われる内なる省でもあった。何を得て何を失くしたか・・・」
かく乱、扇動などの治安維持に努め、民情、国風を俯瞰視する氏ならではの観察、ここでは日本人の変質、その因を、天井一点を見つめながら押しつぶれたような独特な声で語っていた。







                


             桂林の童



≪安易に誘引される人々≫

王の組織は、ゾルゲと連携し謀略によって混沌とした日中戦を誘引し、しかも奥地まで誘い込んで補給を分断し、かつ蒋介石率いる国民党の疲弊を導き共産党政権を樹立する目的があった。
周恩来は国交回復後、訪中団にこう述べている。
「日本のお陰で政権を得ることができた」

ここまでは専門家なら辿り着く内容だが、この先は秘事である。
この国際問題研究所の組織図には著名な日本人が適材として配置されている。
あくまで下部だが、青山和夫、野坂参三、加持、尾崎ホツミ、それらに連なる日本国内の人脈をたどれば別の見方が浮かんでくる。

そして重要なのは第一処(上層部)に関するものとして、英国情報部M16所属のパイル中佐が載っている。蒋介石直下でありながら多くは隠れ共産党員の組織であり、ゾルゲの謀略に協働するこの組織がパイル少佐を通じて英国が資金と情報を得るという相関がある。
まず日本人には理解できないだろう。あの田母神氏の論文でもコミンテルンと書くように、大方は表層考証も模倣で国際共産党の仕業として、中には一部の好戦的な軍人や冒険に走った官吏、アヘンの売買で秘密資金を得たもの、隠匿物資をドサクサで持ち帰った醜態までもがコミンテルンのお陰で邪魔されたと思っているのではないだろうか。

一方ではコミンテルンを作り、一方では自由と民主を煽り、互いの反目は其の実験として二十世紀を戦火の歴史に誘導した。

ことは日中の問題ではない。

観るべきは、その現象に翻弄され、いかに人間が変化したか、いや劣化したか、が重要な観点であり今の混迷の原点を押さえ、そこから思考を出発させることしか解決は無い。
作られた現象に稚拙な思惑で対処したところで劣化は止まらない。
あの近衛でさえ東條でさえ、゛いつの間にか踏み込んでしまった゛゛現状追認しか手が無い゛つまり手詰まりに陥り思索の巾を狭められた原因を、世界的な意図によって決断の選択肢まで狭められた我国の智の変質の由縁を、歴史を遡って観ることが必要だろう

残念ながら文明開化を謳ったころ国柄とは異質な啓蒙思想を基とした官製の学制は、その由縁を観照し思索することを忌諱してきた。そして立身出世と、いまは安定という食い扶持学に堕している。

現象はあげつらったり、反論したりする機会や道具ではない。現象を多面的、根本的、あるいは時空を超えて過去や未来に自身を「仮置き」して、まず自身の考察を拡大、柔軟化しながら現象の作り手である人間を観察することが必要なことだ。

故に経済動向、政局などの一過性に自身の意を発することの意味を、己の秘奥に問うたらいい。
怨嗟、嫉妬、反目、発散、いや心配の余り、人が可哀想だから、国が気になる、いろいろあるだろうが、先ずは自身の思考座標の在りどころと変化を考えることを優先すべきだろう。そして転んだことを論ずるより、転ばぬ先の杖の姿を想像したらどうだろうか。

アジアが未開や野蛮として白人のお節介が始まった頃、アジアは亡羊としていたが夫々の棲み分けられた地域の民族には定理があった。今どきの西洋合理思考では決して届くことのない「理(ことわり)」があった。

そこに金と物と宗教を用とする支配が侵入した。あの麻生総理の唱える繁栄の弧はインド洋を越えた英国のものだった。その英国は゛アラビアのローレンス゛と装飾されたM16の工作員よってイラクはクエートと分断された。あのタゴール、スバス、パルなど多くの知識人を輩出したベンガルをインドと切り離し、フランスはベトナムの南北分離、インドネシア、東チモールはオランダによって分離、朝鮮半島は承知の事情だ。





                

                  桂林




前章に重複するが、ならば負けたのはコミンテルンのせいならば、はじまったのは何れの企てなのか。
いまだ暴論だが筆者からみた二十世紀は、共産、独裁、自由各主義の実験期間だったようにみえる。ソビエト、中国、カンボジアは主義を掲げて粛清を行なった。知識人を面倒なことをいう理屈屋として抹殺した。台湾でも国民党の上陸では、2.29事件は多くの知識人は口を封じられた。
そしてすべからく専制を試みた。それは当に為政者からすれば民を支配するための方策だったが、大きくは実験だった。

独裁はイタリアとドイツなどだが、一次大戦の後の賠償などで苦しみを味わったドイツが再び大戦争を企てたことになっているが、あの軍備にかかる資金とヒットラー総統の成り立ちが余りにもスムーズに進む不可思議と、「国際金融資本との戦い」と考えたヒットラーの歴史の頚木が今なお力を増して継続している姿に先見の予言をみるようだ。

潮流として残ったのは自由と民主を掲げ資本を自在に運用できる市場の共通化と平準だ。
人を支配するには自由と民主と平等と人権がコスト的には容易だ。好き勝手に行動し、人の嫉妬を喚起し、争いを助長させる、つまり纏まらなく騒がしい国情の増殖だ

そして個々の人々は連帯を亡くし、調和の手立てを失い、より大きな力に寄り添い管理されるようになる。孤独を補う虚構な幸福や便利な情報と、財貨への欲求とに交換された管理だ。

その現象はモニター国家となったような我国の政党政治にみるように、群集に必然な「長(おさ)」の消滅から数多の首相の交代、争論騒がしくなった議員の狼狽、つまり国論の亡失であり官吏の腐敗堕落である。また家族も同様な乖離を現している。

その潮流を起こしコントロールする者たちの原資は情報と財力である。
その情報は平和や愛によって血の混交を善きものとして助長し、バーチャルな理想郷に色づけされる。

しかも、それを謳いながらも決して混交を行なわない民族種がある一方、表層の利便さと一過性の成功価値で飾りつつも絶対数を虚ろで怠惰で指示待ちの人間を作り出している。

それは神と精霊の志操を亡きものとして思索と観照の暇を与えないように多くの情報を降らし続け、その人々の嗜好は商工業(ビジネス)であり、パンとサーカスといわれる温泉、グルメ、旅行、イベントである。
それは被支配者を愚に誘導し集約(群れ化)する最も有効な手立てとしてギリシャ、ローマ、大英帝国の衰退に類似した社会融解の姿であろう。

アジアの西洋化はそれらの企てに色づけされ、「人が人でなくて、どうして国家が国家といえるのだろうか」と歎いた清末の読書人、梁巨川の慧眼にあるように、生命財産という「金と命」を守ると謳う民主国家の誘引に釜中の民のように飛び跳ねている。

※ 「釜中の民」釜の中にいる魚も火を炊かれれば死ぬ。その状況で水が冷たいうちは気持ちいいが徐々に熱くなるとうろたえ狂乱する譬え。

これがアジアといえるのか。
彼等はその危機への直感とそれのモトを為す人間の変質を憂慮して人物に賭けたのである。

そのように考えながら歴史の一部を切り取ってみたい


               


               童の散歩




≪資金≫

アジアの衰徴や復興期に異民族の地で活躍した梅谷と宮元を、なぜ取り上げるのかといえば、双方とも莫大な資金を孫文、蒋介石に援助しているが、その巨額な資金を果たして彼等の個人的経済活動によって賄えたのかに不思議感を抱いたからである。

宮元は湖南省出身の実直かつ純粋な俊英と映った王と大経綸を語り合っている。また信頼する老朋友でもある。宮元の公館は軍人、経済界、浪人が混在し多くの情報が入り混じり、状況を推考できる雰囲気が漂っていた。それは特務といわれたスパイの絶好の溜り場でもあった。宮元はそこを主宰し必要とあれば資金を提供した。ならばその資金はといえば大倉財閥だという。

当時、満州の頭目は張作霖軍閥。当時海外伸張、とくに大陸は三井財閥が深い縁を持っていた。その代表的なものは無順炭の採掘である。もちろん関東軍との深い関係の下おこなわれたものだが、あの孫文に援助と引き換えに満州買収計画を企てた森格や下田歌子の逸話でもその意図は推し量れる。
そこに大倉財閥の進出意図である。その計画として国民党軍閥の司令である蒋介石への資金援助である。ともあれ三井も大倉も異民族の地での市場争奪の姿であった。

宮元には愚直なる大義があった。その理想を推し進める為にグランドを広げなくてはならない、しかも相手に資金も与えなくてはならない。その日本人らしいジレンマも大陸の地における融通無碍で、かつ開けっ広げな欲望に無限の躍動感を覚えつつ大義を包み込む余裕を悟ったようだ。







              


                   桂林 小学校


《笠木良明》

あの頃大陸に渡った男子は活きていた。
満鉄の笠木良明は自治指導部を動かし多くの若者が単身異民族の中に入って様々な協働を行なった。あの児玉誉士夫も「国内にくすぶっていないで大陸に行ったらいい。君はそのほうが似合う」と笠木に諭され大陸に渡っている。(児玉の盟友五十嵐八郎氏談)

戦後、新橋の国際善隣会館で行なわれる30名ほどの笠木会は呉越同船の様相だった。
関東軍は片倉メモで有名な片倉衷氏、総務長官星野直樹氏、次長古海忠之氏、児玉氏の主宰する交風倶楽部からは奥戸氏、興亜塾の五十嵐八郎、その五十嵐氏から武さんと呼ばれていた思想家中村武彦氏、広島宮島競艇の岩田氏、そして中国研究の佐藤慎一郎氏など多くの満州人脈と称される人物が笠木を偲んで参集した。ちなみに戦後生まれは筆者のみであった。
もちろん商工省の岸信介氏や大同学院、建国大学、あるいは大陸浪人も満州同様はつらつとした姿があった。

敢えて伏せることも多い内容だが、巷間いわれている歴史の事績が臨場感溢れる秘めた史実として語られる。とくに裃を解いた呉越同船は、施策における暗闘や衝突があからさまになり、かつ嫉妬や面子、競争の腹の底が笠木の位牌の前で明かされる、まさに異民族の地での日本人の実像秘話が語られた。

このような気風は意外と身内は理解せず、ましてや親爺の思い出話など馬耳東風で聞くようだ。また覗きや自己納得の売文の徒は相関図を推測して意図を想像するが、ことのほか純粋で自然な彼等に驚かされるに違いない。笠木は満州においてそのグランドを提供した。
毎朝、観音経を唱え、滝で修行をしたと言えば「滝つぼの鯉は年がら年中修行している」と皮肉を飛ばし、各地に雄飛する青年の覚悟と融和を説き、関東軍との抗論は舌鋒火を噴く激しさもあった実践教育者でもある笠木であった。

あの頃、どこか日本人は外に向かって元気があった。内地では収まらなくなった自身の経綸と夢があった。そして宮元も笠木も小異を拘らず大同に可能性をみていた。それは立身出世主義に飽き足らず、しかもそれに拘ることがいかに己の本質を劣化させ矜持の在りようもオボロゲニなるような内地の現状を外地から俯瞰することでもあった

だから、まず行ってみることだった。しかも異民族に通ずるものを探しつつ、まさに烈行だった。そして貧しくとも遅れようとも黙々と、悠々と日々の営みを繰り返す彼等に忍耐ということで片付けられない「もの」をみた。加えてその「もの」を研究したり、工夫もした。それは人と社会と国では括れない人情の世だった。

幾分だが西洋文明という代物を理解し、便利さにつられた成功価値を倣いそれが近代的と思っていた日本人にとって一種の回帰でもあり、一方、民族に適した連帯と集約と生産を当時の地政的防衛の要として統制的経済の試みも行われた。それは国外という場においてインフォーマルにみる躍動と自由の能力回帰でもあった。現代の日本人の共通した欲求である「やりたいこと」ではなく、それぞれが自身にあった目的を設け「成すべきこと」グランドが満洲にあった。




              
 
              山田純三郎





《二兆円》

標題の梅屋もそのグランドの造成を孫文の為に行なっている。かれは専ら資金援助である。
写真館から活動写真と多面的な事業を東南アジアで展開し多くの財を得たという。
今流に言えば、どれくらいな売り上げと純利があったかは掴み資料では皆目判明しないが、巷間言われている現在邦貨にして2兆円というが、十年でいえば毎年2000億、彼の事業はそんなに大きく儲かっていたのだろうか。国際企業トヨタの収益純利を考えても摩訶不思議な記述である。

よく彼の地を白髪三千丈といって、歴史上ビックリするくらいの数字が並べられる。
たしかに万里の長城や紫禁城、天安門をみると納得はするものはあるが、こと政治上の餓死数や戦闘死者数、虐殺数といった現場検証のつかない数字は膨大な数字が用いられる。

翻って梅屋庄吉の資金援助の現在邦貨2兆円は日本側の出版物に多く散見する数字である。
昔は「何々をしてやった」ということは大声で語るものではなかった。それが「お互い様」を篤志とする日本人の風情だった。それは争論となっている歴史認識でもいえることだが、彼等に合わせて言わなければ損という気風は、゛目には目゛の西洋風の相対的な主張に似て薄弱な人情を作り上げてしまう。

2011年は辛亥革命百周年である。胡錦濤主席も縁者の経営する日比谷松本楼を訪問した。台湾政府当局者も革命に侠助した明治の日本人縁者のリストアップをしている。
その功績は当時の政府に反対された孫文への義援を行なった日本朝野の先覚者のものであり、そもそも現代日本人の功績ではない。

まず行なうのは哀悼と感謝であろう。そして彼等の敢闘精神を倣うことだ。
彼等は憧れではない、実態とそれを培った精神の涵養の仕方まで遺してくれている。
どう考え、どのように行動し、そのために何を棄て、どこに集中して、誰のために、自らの志操と生命まで賭したのか。
この手順なら誰でもできることだ



             






《華人について》

たとえ便宜上の思想でも、唯一共産主義大国として存在している中国だが、今の自由度は一点を除いて世界で一番だろう。その一点の屏風の季節替えが必然的に迫られている。その一点がいくら権力と財の拠り所だとしても内憂外患の兆しは圧力なって内外から押し寄せてくる。つまり騒がしくなるものを静かに押さえるのは強権ではなく、時宜を得たスローガンの顔の架け替えと経済分配の仕組みの再編でしかないことを知っている。

そのスローガンの顔、それが孫文的人物再来の必然なのだ。マルクス・レーニンがいまさらケインズではあるまい。中国流を推し進める他はないのである。形式的には孔孟を飾りながら厚黒学、賄賂学、という功利的な文化と、天下思想にある地球の表皮は吾が棲家という無尽かつ柔軟な思考と行動が、あの西洋のグローバルに便乗して、それをも凌駕するようになるだろう

そして膨らんだ蛙のように爆発点を伺いつつ突き進むようになる。そのとき砂に例えられるような纏まりもなく、国家連帯意識がない民族は取り付く島として歴史を懐古し孫文を発見し一息つけるだろう。

前記の革命資金にもどるが、世界の華僑からの革命援助資金は上海の山田純三郎の家に集まった。それを子供の乳母車に乗せて革命党の拠点に運んでいる。しかも孫文は金に触れなかった。「山田さんあのことはどうなった」と常に行動をともにしている山田に尋ねている。後継者指名を山田に尋ね、蒋介石を推挙したのも山田だ。(甥 佐藤慎一郎氏談)

近年アメリカの公文書館で発見された対支二十一か条に極似した日中盟約書の署名は、中国側は孫文、陳基美、日本側は山田純三郎、満鉄理事犬塚信太郎であり、起草は外務省の小池張造と秋山真之である。このように側近として終始帯同し、臨終に際し末期の水を注いだ山田は革命資金の出納の全容を知る唯一の日本人である。また兄良政は革命資金援助を請う為に台湾民政長官後藤新平を訪れている。

「後藤は海の物とも山のものとも判らない革命に資金は貸せない。しかしこと革命だ。奪ったらいい。アモイに台湾銀行がある。その地下に金がある」と、靴底で床を何回も叩いて ゛地下だよ゛と知らせている。

あの亡命中に頭山満家の隣家に官警が乗り込んだとき、柳ごうりが一つあった。開けてみると本がぎっしり入っていた。また妻慶玲に宛てた遺書に「上海の家を・・」とあったが、抵当がいくつもついていた。そんな人物だから明治人は賛同し命まで賭したのだ。

儲かるか否か、学歴は、地位は、それが安定しているか、そんなバカバカしいことに命まで賭して平然と死に赴いたのではない

ある共産党高官もそんな日本及び日本人を懐かしんでいた。
自身がしつらえた豪勢な料理に目もくれず他の客人に任せ、剥き身のニンニクをどんぶりに山盛りにして高粱酒を勧める高官は筆者に「国が亡くなっても人情は滅ばない」と呟いた。

一息ついた感じがした。


ひとまず終章・・・


コメント

拙い縁の備忘として日中四方山話「梅屋庄吉と宮元利直、そして笠木良明」 その一 10 12/2 再

2018-11-21 03:20:21 | Weblog

 

 

部分を読めば脈略も前後して、支離滅裂のような拙い章ですが、ともあれご賢察いただければ考えるものです。文の整理も、頭の省きも世情の煩わしい小事に流されるなか、熱狂と偏見が漂う今の期にはそぐわない内容も含まれていますが、ゴマメの歯軋りと察して戴きたいと念ずるところです。

本文

ご存知だろうか・・・
梅屋庄吉は上海の写真館から東南アジアに写真館、映画産業をおこした実業家であり、孫文の革命資金を援助した人物として来年の辛亥革命百年を期に注目されている。

一方、宮元利直は北京に宮元公館を拠点に蒋介石の北伐を資金面で援助して、あの謀略機関である国際問題研究所所長の王ボン生(ボンは草冠に凡)とは義兄弟の契りを結んでいる。また安岡正篤氏の戦犯指名回避に動いている人物である。それは渋谷の東急アパートの自宅に宛てられた何通もの手紙にその状況をみることができる。

しかし宮元、安岡両氏の接点は数多の資料にもその痕跡はない。ただ敗戦後に蒋介石の招きで最初に南京に訪れたのは宮元氏であり、あの産経新聞の蒋介石秘録や映画の仲介をとったのも宮元氏である。また晩年は台湾新竹での開発に労をとったが、巷間いわれているファクサーの類ではない。ちなみに宮元は王が共産党工作員だとは戦後まで知らなかった。

一方、安岡氏は台湾断交時の特使椎名悦三郎に託された総理親書の筆を執り、「蒋介石が納得する内容だ」と言い添えているが、戦犯回避の本意である、゛利用でき得る人物゛としての留保の意図は判らないような脇の甘さは、形式納得による外交の祐筆のようにもみえる。

また終戦直前にアメリカの公文書で日本を終戦に導くために有効な人物の筆頭に安岡氏の名前が記されているが、裏面にグランドをもつ特務にとっても有用な人物として考えられていた証左である。

なぜなら戦後まもなく中華民国大使館の参事官として赴任していた王を「人物」として講演で述べているのをみても、王が影の共産党員でありながら蒋介石直下の情報機関である国際問題研究所の所長であったこと、加えてその組織の任務は日本の北進を南進に転化させ英米と衝突させ、ソ連の対独勝利のためソ満国境の精鋭をレニングラードに転戦させ、かつソ連の満州南下を企てる組織の責任者であったことは知る由もない。

安岡氏の事績を顕彰するために設立された埼玉県武蔵嵐山菅谷の安岡正篤記念館(財、郷学研修所内)には苗剣秋氏の大書が掲げられていた。筆者は硝子ケースのアメリカ公文書と軸書の撤去を促した。苗氏は張作霖に可愛がられ一高帝大、高等文官試験を経て張学良率いる東北軍の顧問となっている。また周恩来との親交もあり、あの西安事件の真の首謀者であり、国際問題研究所の日本駐在でもある。王ボン生もそうだが当時の中国エリートが容易に駆使する漢籍の文言なり学識は、我国の漢文学者にとって最も受容しやすい学の筋(スジ)だった。

それゆえ東アジアにおける漢文学は国籍をオボロゲにもできる、かつ人物観までも錯覚させるに充分な素地をもっていた。゛脇が甘い゛ということはそのようなことだろう。

講演後、佐藤慎一郎氏より「王は対日謀略の総責任者ですよ」と指摘され蒼白となり押し黙ったことでも、知らなかった、いや騙されたともいえる心中だったろう。
筆者は戦後東急アパートに住んでいた宮元氏との交流があった著述家木田紀夫から宮元氏と安岡氏の交換書簡について聴いたことがあった。木田氏はその関係する意味を知る由もなかったが王氏との関係は宮元氏の肉声として聴き、筆者に語った。それは新竹の病院建設について宮元氏の助力と木田氏の参入についての相談の合間のエピーソードの話だった。
そして宮元、王の関係を記述した「中国革命の舞台裏」を佐藤慎一郎氏に呈し、佐藤氏も王と宮元氏との関係を知った。

それによって国際問題研究所を舞台とした王、宮元、そして安岡氏の相関図を描くことができた。
また、佐藤氏の中国体験に綴られている各種の事件、孫文側近だった伯父の山田純三郎から聞いた経過などが一方は事実認識として、一方は推考としたものを繋ぎ合わせてより鮮明な構図が解き明かされた。

しかし佐藤氏も筆者も、この問題を単に明からさまにしたり、歴史の書き換えを促したりすることはしない。それは共に座標として抱いていた孫文と明治の日本人が描いた日中提携してアジアを興す、そのために人物を育成するという経綸と願目のための共感があったためだ。

 

               

 


真実を明かす、歴史の賞罰を確定する。そのようなことは考証を趣とする人々の生業だが、それぞれの当時の置かれた環境(政治的、心情的、家族)を斟酌し、互いの祖国なり衆を護るためにあらん限りの謀を絞った人間の、ある種互いの奮闘努力に共感し、理解するものであり、怨み辛みを残したり、力関係の駆け引きに使うような愚劣なる人物の登場を防ぐことでもある。

佐藤氏は中国人の民癖、人情、所作のすべてを含んだ上で登場人物をあげつらうことはなかった。自身も同時期における歴史の構成員としてその人々の止むにやまれぬ行動を理解している。そうせざるを得ない事情も熟知している。その関東軍、国民党や共産党特務の謀略も日本や中国というよりか、権力や一党一派にある人間の劣化として多くの指摘がある。その視点は将来のアジアの安寧に向けられ、つねにその志操を嗣ぐ人物の養成に懸けた。

それは安岡氏の、゛うかつ゛として王との関係を認めることとなり、安岡氏もその後の講演なり、朝野の人物足りうるものの養成に郷学を提唱して多くの事績を遺した

あの晩年を騒がせた細木氏との問題でも佐藤氏は「男でよかった、僕などは綺麗な女性を見れば漏電する。あの立場は大変だ・・」と酔談している。「公」における事情と結果については邪まなことには烈火のごとく憤慨するが、言葉は「いけないことだ」と察するように発する。

学識において佐藤氏は安岡氏を敬していた。人を褒めたことがない安岡氏も形式や器に納まることなく、衣冠財利に囚われない高潔な佐藤氏を畏敬していた

筆者も同席したときのこと、身を乗り出した両氏の懇談は余人の入る隙もなく、笑ったり、厳めしくなったり、うなずきあったり、大勢の参会者が注視する中で熱中していた。
虎ノ門教育会館や日光田茂沢行なわれていた師友会の講義も安岡氏の懇嘱で務めたりしている。あの、゛うかつ ゛な出来事が慙愧の念を共感したとしても、その厚誼は終生継続している。

筆者への多くの訓導は白山の安岡邸書斎、一方の佐藤氏は荻窪団地の三階ではあったが、通う途上の好奇な嬉しさと帰路の爽やかさはいつも変わらなかった。

佐藤氏はその ゛うかつ ゛について多くの想い出を中国体験を通じて語っている。

交流していた国民党の将官が共産党占領後、共産軍司令官になっていたという日本人なら考えられない事実の認識の、゛うかつ ゛さ。

だから国民党軍事委員会国際問題研究所のスタッフの多くとその責任者の王が共産党の謀略責任者だったことに「ありうること」と冷静に観察している。また戦後、朱徳の孫が台湾で反共新聞を作っていて、かつ共産党の重鎮である朱徳の使いで訪日して佐藤氏に日本政府高官とのつなぎを依頼している。

わけわからんょ」と何度も聴いたことか・・
だだ、日本人の中国問題研究家や知識人の理解のニュアンスとは異なる。
部分考証に囚われることなく、またそこに留まることなく異民族を体験的に熟知した上での、「なぜ」なのである。
また、その関係や経過において「人情」が重要な意味を持っているという。そして彼等の「人情は国法より重い」という日本人と思考の違いを押さえたうえで、日中相互の齟齬や錯誤がおこす謀りごとと争いの行く末を逆賭している。


「体験などあてにならない」とアカデミックな考証をする徒にすれば、対極にあるものだが、三十年続けた対中総理秘密報告の辞任を伝えたとき、「高名な学者や研究者は沢山いるが、中国人がこの問題をどのように考え、行動するかについて先生ほど的確な人はいない」といわれ「国のためなら・・」とその後暫く受任している
香港の海岸に泳ぎ着く逃亡者から中国人ですら日本人と分らない流暢な北京語で聴取したり、荻窪の団地に縁ある留学生を住まわせたり、訪ねてくる共産党高官を人情で迎え家族的に接する佐藤氏に優る人物はいないと国家の中枢は考えていた。

報告をどのように使うのかは尋ねなかったが、安岡さんと話していたときに福田(赳夫)さんが入ってきて、やぁ佐藤先生の報告書は読ませていただいています、といわれたので、そういうことか、とそのとき知った

「ただ、この報告書も全部手書きで七部作っているといったが、すぐ中国大使館に渡っていた。いゃ~参ったが、特務同士の選択した情報交換はあるようだ、しかし筒抜けとは驚いた」







                 





うかつ」について

かりにも国策決定の要にある大東亜省の顧問であり、アメリカからもそのような重要人物とみられていた安岡氏に取り付く工作員は、氏の弱点なり盲点、あるいは知識人特有の誘引される知の追及意欲を知り抜いていた。

つまり人物を見切ることについては彼等の前では童の純朴さと映っていた。
その後、安岡氏は著述に「謀略」「観人則」が多く記されるようになった。

あの岸信介氏が「このような背景があったのか・・」と嘆息した三田村氏のコミンテルン謀略論についても、これらの全貌やその背景にある英国情報機関の実態には辿り着いてはいない。すべてはコミンテルン謀略論で止まっている。

だから現在すら読み解けないのだ。説明明快と思わされているアカデミックな考証に囚われて人間、あるいは民癖の織り成す状況を数多の関係性から除外して基礎的な前提をつくり、組み立て、重ねる論証は、その方程式を提供され模倣した異文化の擬似知識人なり空想研究家には国家の紐帯は背負えない

あの孫文側近の山田純三郎の臨場感溢れる記述でも日時が違うと彼等の具にならず、ひどいときには虚偽と断定する。革命は記録のためにするものではないし、そのさなかに取れないものも、残してはいけないものがある。言葉や文にない仕草、癖、を忖度して行動することがある。

余談だが孫文は「ストマックが痛い」とあらぬところを杖の頭で指した。山田は「孫さん、ストマックはそこではないですよ」と部位を擦った。
孫さんは名医ということになっているが、医はからっきし、国家を治す名医だ
ところが記述では医者である。

人間の関係は数値やアカデミックには考えることはできるが、先には進めない。

物書きが残すものならまだしも、複雑な要因を以って人間が介在する社会なり国家は、土着的・伝承的教育(エスノペタゴジー)な考察がより重要な視点となる。再々指摘することだが、この手の人間を涵養する機会も指向もいまはない。教育機関から社会へ排出される学生に適応性を云々する前に、無駄な教科、無駄な法制、無駄な習慣を再考したらいいだろう。

しかも、流行のコンプライアンスという自縛など、人を信頼すれば解き放たれることをわかっていながら、人としての共通土台である人と人との擦り合わせを土着的に戻すことすら数値によって遮る官制学の限界を早く悟るべきだろう。

近頃でも政治主導と騒がれてはいるが、この点を当てはめてみれば混迷の度合いを深めることは当然と思われる。かつ社会の混迷と衰亡は必然である。

アメリカや中国がその原因ではない。
われわれ日本人自身に問われている問題だ。





                 








《秘話》

筆者も白山の安岡邸に訪問し初対面にて失礼をかえりみず一つだけお尋ねしたことが「宮元利直さんをご存知ですか」という問だった。聴くに達したと思われたが、一瞬の間をおいて同行の岡本氏に同友の話題を切り出していた。それは佐藤氏から件のことを伺う数年前のことだったが、前に記した宮元宅に出入りしていた著述家からの伝聞だった。筆者も思わず発した問だった。後日、事情を認識したときよくよく考えると大変な問だった。

その関連から推考し、あの新潟の岩室温泉で近衛文麿氏とのロシアを仲介とした終戦工作の秘密会談が、綿々亭で「蛍」を詠んだ漢詩のいわれから知り、まだ終戦直前の蛍の季節まで、゛其の認識だった゛、いや、゛其の認識に陥らせた゛外部からの意図にまんまと騙された、もう、゛一方゛があったと知ったと同時に、かくも易々と謀略意図に乗じたのか・・・

其の、゛一方゛とは、陸軍の意地と面子によって止められなくなった戦況を連合艦隊という虎の子が壊滅し、手足をもぎ取られた海軍大東亜省の、゛スマートエリート゛意識にある横目で陸軍を見るものと妙に意を重ね合わせた人々である。前記したが、安岡氏は戦時中に大東亜省顧問を懇嘱され受任している。

それが近衛を交えた人々の国維の護り方の陸軍との違いであり、近衛人脈に通じた上海東亜同文書院(近衛らによって創設)に連なる接点として尾崎、樺山、松本の動きであり、明治からの陸軍専横に国維大綱の変質を危惧し、別物としての改造を外部から試み、それが王ボン生、ゾルゲの謀略を装う大義と理想に誘引され、しかもこれを利用しようとして、逆に利用された結果があった。

騙されたといえば、日本では中国知識人の代表的な人物である郭末若氏だが、市川に住んでいたころにゾルゲに誘われている。理由は柔軟的人物にみるような、時の権力に風見鶏的態度をとるような、ある意味では一部知識人ありがちな狡知に期待したのであろう。

郭は、そのとおり体制が変われば反省文を書き連ねるようになった。それは時の粛清の恐ろしさは言語に絶する凄惨さと、友人や親族さえ信用を置けないような人情の破壊がソ連や後のカンボジア同様に試行され、その試験的支配形態、つまり問題意識や疑問を抱く知識人をターゲットに行い、当時の知識人は臭九老と身分十段階の下から二番目、乞食同様に扱われて下層労働者と同様な賃金に抑えられ、営みの危機さえ感じていたからでもある


《地球を俯瞰する企てに誘引される国々》

だが、これも部分現象でしかない。
実験思想であった共産という主義は、リーダーの資質やエピソードを検証することで集団化、粛清などの政策を見るようだが、スターリン、毛沢東、ポルポドは、知識人、つまり理屈、講釈を言うものを有無をいわず捕縛し粛清している。その数一億人を超える。もちろん怨嗟、反感、抵抗を誘い炙り出す手法は似ている。言いたいこと、言うべきことを問わず一過性の自由を装い、其のターゲットを一網打尽に捕縛する手法は同様だ。

理屈で考える知識人はそれにまんまと引っかかるが、もとより民癖を検証外に置き、あてにならぬ民風を民意として曲解して高邁な構想や企画を唱えても人々は、゛今日の実利゛を測って付和雷同しているのである。(民主主義)

また、そのような生き方になってしまうのも眺めなくてはならないだろうし、その泥水のような社会に蠢く人々が企てる謀略は、曲りなりに国家の存在を信じ、依頼するような清水に生きる日本人には到底理解の淵にも届かないような問題でもあろう。

相手側からすれば、あくまで防衛であり、力の無いものが力のある者を倒すのは騙し謀略であることは常であり、その連続として統治すべきスタイルを構成するのも当然なことだ。

それを認識し指導する人間。これは人物識見の問題ではない。

土壇場における人間の所作はあの満州崩壊の折、電話線まで切って居留民を置き去りにし、かつ黙って夜陰にまぎれて逃走した我国の高級軍人、高級官吏の醜態を見ても人ごととは思えない弱い部分だ。また、ことごとく肉体的衝撃に弱いのもこの部類の人たちの共通した姿でもある

 

次号に続く

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「生命」は民族種、「財産」は貨幣の価値

2018-11-19 13:22:01 | Weblog

  懐かしい異邦人 キャロル・スタンバーグ氏

 

生命は人間だけではない。おなじ環境に共生する動植物の「種」も守るべき国家の命題でもあろう。

 

政治家は、「国民の生命、財産を守る」と唱えるが、聴けば心地よく伝わるフレーズだ。

生命は命そのものだが、己の命の治癒や延命は医者の範疇だが、保険や扶助を税で補うのは確かに国家なるものだ。

なにも政治家に言われなくても、徴収された税で補うこと、そのことを突き詰めれば多少の差はあるが自己責任の範囲だ。

人間一人を(個々)考えれば、家族や社会、あるいは国家としてくくれば それぞれが部分を成している。

ならば夫々の小単位の家族など全体を構成すには、他の部分(個々)が必要であり、接合したり運動体として躍動するには共通意志も必要となるだろう。

人間は厄介なもので、生きるために喰うだけでなく、満たされれば美味く、楽しく、大量に喰うことを始める。

地球の表皮に縁あって棲みついた民族種とて縄張りをつくり、長を推戴して民族種を誇り、他を排除したりする、これは歴史の証左だ。

同化、混交、特に勝者(強者)は優勢とみなされ、男性種は他の民族の女性種と混交する。

現代の勝者は、賢い知識でも狡知でも財の所有多寡が勝者となり、また喩え仮装や偽装でも容姿が整っていれば優性とみなされ、この場合は群がるのは女性種の方だ。

     

 

いままでは勝者の収穫物のように女性は蹂躙され混交同化した。混血ゆえはじめは奇異にみられたが、優性遺伝ゆえか眉目秀麗な混血かもてはやされるようになった。平和になると商業マスコミやハリウッド(映像)は、愛と勇気を唱えで種の混交を当然如く促している。

しかし、決して混交しない民族も存在する。他に混交を奨励しても自らは混交しない。その出自をもつ物理学者は来日時に「連綿とした血筋を持つ御方を稀に見る存在として人々は畏敬の念をもつだろう」というような意味の言葉を天皇について述べている。

そう考えると種の価値、つまり地球の表皮に縁あって棲み分けられた人種が、気候環境に順化するために個々の形容、ここでは原種が変種することになるのだろう。

先の戦争でも日本人男子が多数亡くなることに、日本人種滅亡の危惧をいだいたことが終結の端になったという。

進駐軍とも多くの混交があった。満州崩壊のソ連侵攻、モンゴル軍のヨーロッパ侵攻、ベトナム戦争、セルビア、チベットやウイグルも勝者による混交が意図的、あるいは勝者の収穫として行われている。満州では男に負けじとソ連の女性兵による日本男児の捕獲も横行していた(佐藤慎一郎氏談)

つまり、「生命を守る」は延命やライフプランを描く平和時の夢想ではなく、有事に種を守ることなのだ。

ならば財産は、貯金通帳の数字や不動産ではなく、それを有効せしめる貨幣の価値と領土の専有使用になるだろう。

いまは為替や株の恣意的操作で容易に財は移動する。先の大戦の合計戦費も金融ショックで一瞬に消える世の中だ。それにより民族は金融奴隷になり、思索さえ衰える。それが自由と民主と人権や平等が名目では謳われる世界なのだ。

いくら敗者が平和憲法だと謳っても、それを盾として国を守るといっても、津々浦々に広大な土地を専有(領有)している他国の軍隊は、「いつどこにでも基地を作ることができる」「裁判権は第一義的には米軍が有する」「有事の際の指揮権は米軍に有する」を憲法外部ないし実効的には上位に明文化し、加えて基地上空の管轄空域に侵入すれば民間機でも排除される。インフラ(社会基盤整備)・教育・医療など、面倒で金のかかることは施政権として返還するが、占有している基地や関係施設は返還しない。

護られているのか、管理されているのか、まさに悲哀を感じる日本および日本人である。

これも阿諛迎合と、゛仕方ない゛に行き詰った戦後の諦観のようだ

ちなみに江戸の頃の借金証文は、「もし期日までに返せなければ満座の前でお笑いください」とある。農民から土地は取り上げなかったが、女子は年期で奉公なり働きに出された。同民族での栄枯盛衰は立場も逆転することもあるが、異国との戦争敗者は手も足も出ない。

どうにか政治体制を維持するためには、金を撒くか、詭弁をもちいるか、目を転じさせ、パンとサーカスに興味を持たせるしかない。

「国民の生命と財産を守る」

近ごろは厄介になったのか、自己責任論が目立つのはそのためなのだろうか。

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元号・・? 07 6/2 あの頃

2018-11-15 11:05:41 | Weblog


■元号に祈りを込めて

 明治以降は天皇陛下のご逝去によって新元号の制定がなされるようになったが、それ以前は一世一元ではなく、天災飢饉が起きると天皇の在位中、何度も改元している。
 それは忌まわしい現象が起きる世の中の新規復活、あるいは改新の意味を含めて天皇は新しい元号を制定して祈りを込めていた。
 

元号は国家のスローガンでもあり、時々の現象を向上、自制の意を含めてつくられ、その意味も中国の古典を引用した五穀豊穣や民生の安定といった農業社会にある、「天地に祈る」契約の意も含んだ言霊を司る姿であった。

 近代日本といわれる明治、大正、昭和、平成も、時々の国情や歴史の行く末を深く観察して、ときには警鐘として、また或るときは希望を込めて起草されていることが分かる。
 いまから十五年前にさかのぼるが、あの小渕元総理(当時、官房長官)が平成と書かれたパネルを掲げ元号を発表している。
 誰が起草したのかと騒がしい推論が横行したが、竹下総理は退任後しばらくたってから、先生を偲ぶ懇意な会合で「安岡先生に起草を依頼したものだ」と述べている。

 竹下氏の明かした安岡先生とは、いまでも多くの著作が書店の棚に並ぶ安岡正篤氏である。政財界の指南役、陽明学者など呼称されるが、いずれも真を得たものではない。
 昭和も終わろうとした頃、氏は筆者に「へいせい…」とつぶやいたことがある。
 今となっては「平成」を意味するものなのか、あるいは「平静」、もしくは悪政を意味する「弊政」なのかは判明しないが、どれも時世を観察したものであった。

 

      

       香港

 

 それは義父の碑文監修をお願いしたときのことであった。
 先生は三度精読し、丁寧な添削を終えた後こう述べている。
文章は上手、下手を問うものではない。また世情の流行ごとに迎合するものでもない。とくに頌徳文(徳を称える文)は、五十年、百年経っても起草するものの意思が、心ある人々の精神に唱えるものではなければならない。国は独りによって興き、独りによって滅びるものだ」

 天皇ご逝去の後、平成の意味として二通り出典が説かれた。
『地、平らかに天成る』『内、平らかに外成る』いずれも中国の古典である。
 前記は、天と地という絶えず調和して対(つい)となっている「絶対」離れることのないものが、地上に生息するものと自然界との不調和によって天災(現代風には大気汚染、オゾン現象)が必然的に起きるという「警鐘」とみることができる。

 後記は、家庭や内政、あるいは己の力量など「内」を養わず、外部の虚飾によって価値を測る事への自省の促しであり、民衆の嘆息をよそに外交にその評価を求めるような、歴史が説く、衰亡する国家に現われる為政者の象徴的な姿に、警鐘を与えたものと推察する。

 まさに『平成』への改元は、国家の安寧を祈り、歴史を直視して将来をも推考した安岡氏ならではの起草でもある。

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カエルの面に小便政治

2018-11-10 14:52:45 | Weblog

カエルの面に小便政治

 

カエルは天上からの潤いに、顔を上げて目をつむりウットリとした顔でそれを享けている。

いまどきは放射能か黄砂混じりなどという野暮はあえて言わないが、たとえ小便でもそれは変わらないだろう。

無感能、人間なら問題意識無しの無関心とでもいおうか、はたまた空気が読めない(KY)ともいうらしい。

 

為政者はカエルなら国民は「釜中の民」(ふちゅうの民)だ。

これもカエルに例えるなら、カマドにかけられた大釜の水が、ぬるま湯なら温泉気分でもよいが、温度が上がり煮えたぎるとカエルは茹カエルになってしまう。水鉢のボウフラなら飛び立つが、メダカや金魚は死滅するだろう。

まさに、温泉・グルメ・旅行・イベントの刺激と遊興が、ギリシャやローマ、あるいは大英帝国が衰亡するときに表れた市民の指向性だと識者はいう。

 

上下こもごも利を征(と)れば、国 危うし」まさに倣い、似るものだ。

 

王陽明も「外の賊、破るに易し。内の賊、破るに難し

解り切っていることだが、人間の動向が「風」となり、いまわしくも息苦しくなっている。それも、いつの間にか、徐々に慣らされ、怠惰になり、それさえも関知することなく、無関心になる。大釜を温め,熱く熱中に導く釜焚きは、その手をゆるめない。

 

天邪鬼はついつい野暮なお節介を言うが、相手も分かっているのか、それとも分かっているけど止められないのか、それとも、゛いいんじゃん゛と思っているのか、偏風はとまらない。

 

ゴーギャンは南の島に、寒山寺の拾得和尚は隠遁して世を嘲笑い、利休は庵で鎮まりを求めた。人気者のジョブスは、ときに「狂」にならなければならないと説き、松陰は「他と異なることを恐れない意志」を志士に説いた。みな天邪鬼で変わり者だ。

 

多くは大釜に入って、人と゛つるむ゛ことを嫌い、お願いしますと土下座までするカエルにはなりたくなかった。そのカエルがホドも弁えずに釜を炊いている。

そっと薪を差し出す者もいるが、焚き木を出すだけなら言葉違(言語)いは気にならない。

 

喩えにしたカエルには気の毒だが、水と小便は判らぬはずはない。

分からぬのは二本足で歩く生き物だけだ。

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泥棒と売春婦から税金は徴収できる・?? 15 4/18 加筆

2018-11-08 09:26:59 | Weblog

長野県 鹿教湯


巷では「税金泥棒」が徘徊しているが、日本ではめったに捕まることはない。いやその仕組みになっている。
あるいは格差社会と貧困問題、くわえて男女の性文化の糜爛、もしくは若き女性の生活苦ゆえかグレーゾーン産業が盛んになっている。
以下は韓国の状況である。

ところが掲載から3年、日本はより酷くなった。「若き女性・」だけではなく、熟年と称された主婦や大学生が全国で数十万人、風俗に関わりのある闇(世間には秘密)の世界で生活をしている。なかには生活保護、母子家庭の扶養補助の補いもあれば、学費、遊興と様々だが、その供給は絶えることはない。(アンダーライン加筆)




ここでは税を取り上げて珍奇な拙論を記すが、細目に目を奪われず、韓国のみならず世界的な風潮となっている人心の動向や流れの停滞や劣情、とくにエリート層と云われる部分に顕著に表れている問題を考えてみたい。。

≪ソウル地方国税庁では、投稿された写真などから「脱税の可能性がある」と判断。現在、投稿者の身元を調べている。国税庁関係者は「この内容が事実であれば、警察を通じて売春女性の経費などを確認し、実際の所得に対する税金を納めてもらう」と話している。≫

さすがと言おうか、韓国の税制は面白い。
このことは或る女性が売春をよって得た貯金が日本円で1千万あるとネットに掲載したことによる騒ぎだ。大よその客は1000人に上るという。
日本でもバブルの頃には数千万貯めた泡姫もいたが、最後はヒモにタカラレたりホストクラブで散財してスッカラカンになった話をよく聞いた。
近ごろでは生活苦や好奇心でその世界を覗く女性もいるが、参入者(供給)が多くて選別が難しいとも聴く。その世界のことだと思っていたら何十万の女性が参入しているともいう。







金沢八景 野島



韓国では高齢者の自殺も多い。若い女性の売春従事者は海外にも飛躍して諸外国に比べても顕著だ。明け透けに売春と書くが、いっとき従事者が昼間にマスクで覆って待遇改善のデモをしていたことがあった。女ボスもいるだろうが総じて支配は男だ。
数年前は女優が性接待を強要されたと数人が自殺した。我が国でも芸能の世界にはありがちなことだと云われているが、昔は枕芸者といわれることもあった。芸者さんには気の毒だが男芸人や相撲取りもそんな言葉で揶揄された。


偽エリートの醜態

行儀の悪い成金タニマチや、世間知らずで野暮な政治家や官僚に酒を注いだり侍ったりするだけで小遣い銭をいただいていた力士や芸能人もいたが、普段は男を売る気質を演じていた。野暮と云えばノーパンシャブシャブもあった。彼らの思春期は受験で暗かった。しかも青春をスキップしたためか粋な遊びも知らない。横目でスカートを覗いたり、なかには手鏡や携帯で盗撮する者もいる。アキバでマスクをしたりダテ眼鏡をしているのは役人か教師だとおもっていれば間違いないと、その道の通はいう。

つい先ごろもタイで1万人超の少女を買春したと校長が捕まった。数値データーの集積に長けたのか、統計学でもあるまいに行為を集積していた。人生は見たり体験したりすることは多いが、ホドを弁えないとならないのは大人の世界だ。

ブラジルの日系富豪も暇にあかせて約800人の経験をノートに残した。陰毛を張り付け感想を書き記した。しかし、ある悲惨な生活をする住民を援けようと一念発起した時、一切を止めた。広大な不毛の大地に住み込み、土の匂いを嗅ぎ、舐めて味を探り、住民と困窮を共にして、その結果、不毛の大地は豊饒の大地となった。ブラジルも穀物輸出国として甦った。これも女好きだった男の転化だ。





江の島 児玉源太郎を祭神とする児玉神社


横道にそれたが、その韓国の女性を責められるのか。
一例がある。安岡正篤氏の長男が税務大学長をしていた頃、数値選別エリートが税務官僚の卵として入校した。官制学歴で部分教科のスペシャリストたちは課題を与えれば競走馬が真っすぐ走るための遮眼帯をはめたように、課題そのものに問題意識も持たず回答を探した。

要は、「売春婦と泥棒の所得徴税の算定は・・」という意地の悪い設問だった。
キャリアは懸命に思索した。売春婦の経費は「布団にコンドーム、テッシュ・・」、泥棒は「凶器の出刃包丁なり作業服に交通費・・」と様々だった。
これが税によって補助を受けた国立の学び舎の学徒である。情緒の薄い真面目さだが四角四面の理屈には易々と順応する愚かさがあった。

「もし、所得から経費をひいて納税したら売春婦や泥棒、あるいは詐欺師は社会認知ある職業になるか。子供の頃、物を盗んだり、人を騙してはいけないと教えられた。まして売春は一時の遊興であっても、政治が間違い、国民が困窮して売春が増えたら国家と言えるのか」
安岡氏はこう伝えて、
「これは罰金だ。しかも、行為の瑕疵を探し、この多寡を税収などとすれば社会は衰亡する。また政治との信頼もなくなる」
また「税はこの国への参加費だと思えばよい」
と。

つまり、勤労の結果における所得の一部を税として徴収することは社会の維持機能だが、錯覚したり、戸惑ったりした結果の触法にある罰金を、官吏のノルマ化などと多寡を数値化したり競ったりすれば、いずれ社会の信は乏しくなり、政治政策すら国民に届かなくなるという危惧だ。






逗子から江の島を


ここで標題に戻るが、韓国では売春婦から税金を徴収するというなら、認知された職業と認めることに相違ない。ならば買春も合法だ。
また、姦通罪もあったが、つい先ごろ法がなくなった。だからなのか男女の不倫が陰から這い出てきた。刑事法はなくなったが民事法は日本と同様にある。つまり出会い系のサイトや仕組みが蔓延ることだ。

民情とはそのようなものだ。
生活苦で稼いだ金が邦貨で1千万、ギャンブルやファッション、はたまたイケメンの追いかけに浪費する余裕もない。そのような若き女性に探し出して税をとる。
きっと嬉しくて人に話したかったのだろう。

安岡氏は「税と警察の姿勢で民情は好転も悪転もする」と説く。
権力に慎みもなく、国民に対して忠恕がなくなったら、富貴は他郷に逃避し貧者は奴隷化する。

まさに日本にとって他山の石のようにもみえる

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還りたい あの頃のつずり 08 9/25 再

2018-11-04 19:41:44 | Weblog

 

夏が過ぎると候を待ち臨んでいたかのように草花が甦ってくる。
古より、「天高く・・」と詠まれているが、首(こうべ)を巡らせると透き通った円空が目の前の海に溶け込んでいるかのように水平線が混色している。

そこから海原を渡り水際から足元に眸を転じると、不思議かな視界が狭くなり,仕舞いには黙想状態になる。日頃世俗の事象に追いかけられているものにとっては、一瞬であろうが、言いようも無い独悦の刻でもある。

それは、ことさら憂いや悩みがあることではない、ただ還ってみたいと思い立ったのである。世間知らずのガキが憧れの車を駆って、よく訪れた処で、同じ情景を味わいたかった。時を違えているがガキのころの気持ちと何ら変わってはいない。

あの頃は嬌声に囲まれ騒いでいたが、今は浮世の戯言の訪れに口耳四寸を駆使するくらいにはなったが、゛独り゛の気分はあの当時と早々変わるものではない。
ただ、適わなくなったことがある。それは童心を想起することはあっても、応答に躊躇するようになったのである。


            
初春の称名寺 横浜市金沢区


今年の夏、幼子の手紙を読んでも、なかなか応答が叶わなくなった躊躇である。
それは不思議でならないくらいの吾が身への戸惑いでもあった。

齢を重ね、巳にかかるものには柔軟な対応が曲がりなりにも可能にもなった。老齢者の応答にも応えられるようになった。また大自然を吾が身に溶け込ませる意志も衰えてはいないと思うが、未だバーバリズムの残る幼子のメッセージに対して、純に応えられなくなった歯がゆさがある。

足元の砂を握ると指先から幾条の滝のように落ちる。浪打際に投げつけようとしても飛散して届くことは無い。

           



先人はこれを、゛無常゛というのだろうか・・・
情が無い「無情」ではない、常に定まることは無い「無常」である。
武士はその定まりと鎮まりを尋ねる「尋常」として、心の平常を尋ね(探求)冷静に対峙したのであろう。『尋常に勝負せよ』まさにそれである。

八景の一つ「野島の松」で有名な野島の寿司処、鎌倉の名刹称名寺の彼岸華、阪東橋の板さん、中華街の女傑、何かに追い立てられたような人物逍遥のあと、占領軍の名残があるグランドのバーで潤いはあの時と同じカウンターのシェリーだった。


             
 

いつもの部屋は変わり往くベイサイドのとばりをスクリーンに映すようにワイドに広がる。備えの紙片に何かを書こうとしたが微動だにしない。

早朝、高層からみる初秋の港は、いつもと少し違うようだった。自身の眸もいつもより大きく開いているようでだった。それは、手前勝手にも昨晩の逍遥が効ある刻だったかのようにも思えるものだった。そして自身に言い聞かせるように幼子への応えがおもい付いた。

「アリガトウ」と





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唐学と国学 (再掲載). 11. 7/4

2018-11-01 08:24:17 | Weblog

1998年天安門広場の敷石(いまは敷き変えてある)



イージス艦問題に揺れる衆議院予算委員会の質問で、元防衛庁長官の三原朝雄氏の長男が「信なくば立たず」を引用して石破防衛大臣に問うている。
両氏は世襲二世だが相感ずるところがあるようだ。

三原朝雄氏とは30年前に満州関係の席で懇談させていただいたことがある。
余談だが筆者は20代に唯一の戦後生まれとして珍しかったのか、日々多くの関係者から孫扱いで妙な戯れがあった。
当時は戦後日本を構成した満州人脈といわれ、岸,根本、十河、古海、片倉、児玉、岩田各氏は満州における政、官、軍が描いた史実の表裏を構成した方々であった。

辛口評論家の佐高信氏の著作にも「信なくば・・・」があるが、古書のためか著作権には触れないようだが、漢(唐)学の余りにも有名な一章である。
国会でもよく引用されるが、以前茨城選出の二見議員が宮沢総理に問うている。

それは日中国交交渉の折、周恩来総理から田中首相に贈った一枚の色紙に書かれた章を引用したときのことである。
二見議員は、この章を書いた周総理を讃えて、我国の政治指導者も此の様でなければならないと宮沢氏を諭している。

関連、以前のブログに有ります
2007.10.27「あの夜のこと」

ことさら目くじら立てることではないが、これは、゛してやられた゛戯れの遊び文であることは佐藤慎一郎氏や安岡正篤氏の指摘にあるが、それは翌日の中国高官から佐藤氏への伝言で色紙に書かれた文字が判り、旧知の安岡氏に伝えられたのである。

 

 

 


佐藤氏は二十年間にわたり中国、満州において市井に馴染み流暢な北京語を駆使する教育者であり歴史家でもある。またその学風は現地中国人の情緒をもとに、中国人から見た孔孟などの古典や、生活に裏づけされた俗諺などから思考形態を考察する、つまり身を浸して人と文化を学ぶ姿勢が一貫していた。そのためか、戦後は極秘の総理報告を数十年に亘り専任している。

世俗の研究者とは異なり、中国人の汗と血を知った数少ない日本人であり、何よりも民族を超えた普遍な人情は、国境を越えて口舌ではない「信なくば立たず」を地に這って実践している。周総理の色紙の内容をすぐ伝えた中国政府高官も、その人情に魅入られた人だった。

(佐藤氏について関連)
http://greendoor2.exblog.jp/
http://sunasia.exblog.jp/7292498/

 

 


一方安岡氏はいうまでもない碩学といわれる漢学者である。
色紙にある論語の一章は瞬時に解している。

ただ、佐藤氏は訪中前後の極秘情報からこの事態は想定していた。また瞬時に色紙の含まれて意味を将来の国家交流を考えるにあたって、異質な民族性癖に無自覚な日本人の姿に避けることの出来ない国家や民族の軋轢を危惧したのである。

それは政治教養にもなっている漢学素養について、またそれを鵜呑みに染まっている日本人に対して、本来養ってきた智の前提に在る情緒性と中国人のそれとの乖離を知らず、同一教典の観方を「似て非なる」ものとして認知しているかの憂慮である。

鎖国時代のように海外との交流が少なく、かつ難儀であったときの文化の良質選択とは異なり、面前応答が官民において頻繁になると、その唐学の解釈や恣意的理解に日本人が適正に応じていけるのか思案するところである。

今どきは安岡正篤氏の著書がもてはやされ、多くの人々が漢学古典にある一片一句を座右にしたり、処世の術にしたり、はたまた中国を理解するツールにしたり、なかにはロシア文学好きが、゛ロシア我が祖国゛とインターナショナルを歌ったように、巷の古典好き教養人の複雑な中国感情は、現実の口舌、行動と、古典の美章との整理もつかない軟弱な状態を作ってしまっている。政治家もそれに続く。

江戸の漢学者佐藤一斎は多くの知識人、武士階級に影響を及ぼしている。
その頃は善かったのだろう。
しかし、その漢学(唐学)に対して国学の重要性を柔軟に唱えた本居宣長も忘れてはなるまい。古事記、万葉集を判りやすく表わしたのも彼の技である。
それは日本の国土、環境によって培われ、涵養された情緒の問題としてその題材を捉え、そこから単なる教養知識や為政の具としての漢学素養でなく、日本人が「学ぶべきもの」を示唆している。

顧みれば、漢学(唐学)、蘭学などの洋学は当然のことながら外国から発生した学問である。それはその当時の問題意識と科学に対する好奇心などから多くの時の集積を経た貴重なものではあるが、もとは発生地の情緒や習慣なりに少なからず影響された論理の構成であろう。またそこには発生に必須な「負」も存在している筈だ。

ならば、邦人、および邦家はその固有なるものを座標として外来学を良機選択するべきだろう。とくに昨今の知の混積による思考の錯綜が、譬えは奇だが、゛小泉総理のワンフレーズ゛の如く、心地よい名言にその方向を委ねるとしたら児戯に等しい「無考の民」になってしまうだろう。

もし漢(唐)学が心地よいとしたなら、その情緒は発生地と「似て非なるもの」から
よく似たものになったと思うべきだろう。

確かに「色(性)」「食(グルメ)」「財」の欲望をダイレクトに求め、国家の「四患」という「偽、私、放、奢」に陥った為政者と取り巻き官吏をみると、彼の国の発生状態とよく似ている。

国学は何処か・・


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政治・行政・教育  要は綱紀粛正からだ

2018-10-23 10:15:02 | Weblog

 

       

 

 

文字と詭弁の「乗数効果」、そして「超数的能率」

 

いっとき管直人君がこれでやられた。

ただアカデミックな言葉は知らなかっただけで、政治家の離合集散における乗数効果はお手のものである。

 

小人、利に集い、利薄ければ散ず

小者は利の臭いに目ざとく、利(力)が衰えれば離れる、

 

考えれば選挙制度なども政権側の継続的維持のために図った仕組みだが、浮気性の国民はその仕組みさえ別の要因でひっくり返す。年金とスキャンダルだ。

突き詰めれば大きな勢力による専制、つまり同じ党でも思惑がバラバラで纏まりがつかなくなり外交や税制すら決められなく、終には候補者の選任を党が行うという、国民にとっては衰退の選択すらなくなった小選挙区制による議員の生存与奪権の党一極集中化にもなった。

 

向かうところは憲法改正ではあろうが、仕組みは宜しくとも人間が成っていなければ食い扶持や便宜供与ですぐにひっくり返る代物だ。それくらい卑しくもなっている。

 

官吏とて、゛今のままがいい゛と、無理もせず傍観している。これもしたたかだ。

 

怠惰や堕落の兆候も世上に表れたとたんに「乗数効果」のように、100が500効果となって、ここでは蔓延効果がはびこっている。天下りによる組織権益の増殖などは、まさに乗数効果である。

 

彼らのその位置をまんまと占めた結果、法によるガードは国民に向かっている。同じ理屈の土俵に乗った議員などは情報の栓を閉められればギブアップである。

 

 

あの大阪の橋下君は維新を唱える。

いまの法の在り様を是正して新法をつくり対抗しようとしている。あのレーニンも、「その行動は法に違反する・・」と忠告されたとき、「革命は現在の法を無とする、つまり無法が革命だ・・」と既存の法体系にこだわりない行動を推進した。

 

翻って維新は「維」を新たにすることだ。「維」は国家の縦軸の様なもので、現在観の横線はスパイラルのように縦軸に絡みついている。この連綿と続いている縦軸を折ったり、入れ替えることが革命である。橋下君の維新は、縦軸に絡みついた人の模様、つまり怠惰堕落に陥った既得権をはぎ取り、すっきりした「維」を明確に表して、新たな縦軸に寄り添い、守り,護られる覆いを作ろうとする新風運動でもある。

 

台湾でも蒋介石、維国総統が「新生活運動」を行っている。公務員の綱紀粛正、国民の道徳喚起を柱とした整風運動だ。「風」は趣、装い、香、などだが、異郷に我が身を浸してみると社会の情勢、人の姿、落ち着きなど異なりを以て感じたり察したりすることがある。単に雰囲気としての印象はあっても、それを支える表層の経済や政治の姿とは別に、往々にしてそれを司る官吏の意識で国情は変化するものだ。

 

たとえば官吏の賄賂だ。高官や政治家が汚職を働けば国民はそれら倣い、また国家に怨嗟の気持ちをもち愛国心などはお題目になるが、官吏の汚職は社会の喧騒を招き、公徳心すら毀損する。しかも人々が信じられない世界が表れるようになる。

 

汚職といっても大金ではない。せいぜい税関や郵便局、役所、それと警察官だ。

それらの国は、国民も分かっている。その点「人情を贈る」ぐらいの気持ちだろう。

物でなければ、「風」を忌まわしくさせるのは怠惰である。手続きの遅延や滞貨である。

 

 

 

翻って我が国はどうだろう。賄賂はないが罰金の種別の多さと法の煩雑さは諸外国でもずば抜けている。街には制服警察官が溢れ各々交通切符を抱えている。昔は家族駐在があったが、こんなことをしたら防犯や非行防止の協力さえ得られない。街での精励勤務の姿の現示はいいが、罰金徴収の勤務評定はいかがなものだろうか。

 

狡猾な官吏は坂道に隠れてスピード違反の切符を切っている。これでは坂道を作ったり、車が増えれば罰金の乗数効果があるということだ。筆者の懇意なある警視庁幹部も捕捉され「こんなところで・・」と嘆息していた。そもそも坂道で捕捉するのは日本だけではあるが数値は上がる。まず欧米ではアンフエアーな行為だ。

 

なにも交通安全、法令順守に掉さすつもりはないが、面前権力の姿として一番目立つその立場からすれば「風」の乱れを考慮すべきことだ。税にもいえる。赤字解消と首長が騒げば、我が身を切らず、サラ金の取りたてのように税官吏が法の平等を屏風にして恫喝する。

事情は忖度することなく「差し押さえするよ」、しかもその金利は延滞税と称して14%で経費にもならない。

これも税収や罰金徴収が順調なら上司からも数値を責められず、国民は安心して暮らせる。

政策がよくて経済にまともな乗数効果が発揮できればのことだが・・・

 

この二大面前権力は「江戸の仇は長崎で・・」のように国民は逆らうことができない。

これが、我が国の「風」だ。大人しく、押し黙り、我慢をする、そんな印象は当然だ。

 

 

 

さて元気な時もあった。

後藤新平は『一に人、二に人、三に人、その人が金を効果的に使えば「超数的能率」はかならず上がる。つまり国運は上がり人心は安定する』と言った。

金が人を駆使するものでなく、人が金を産み、活かし、それが数字を超えた能率を高める、と言っている。

「乗数効果」と「超数的能率」、前は数値計算、後の方は人の資質如何で増大する。

つまり、官吏の能力によって数値は想定外に超えることができるということだ。

人品骨柄を問わざるを得ない環境に堕した、それは人間の質といってもいい。

明治はことのほかリーダーは人物眼を要求された。それは地位、名誉、財力、学校歴という人格となんら関係性の無い附属性価値を避け、目的を共有し、使命、責任を全うできる人物の登用をまず国政の要諦にしたのだ。もちろん経済界、教育界もそれら倣う。

 

これは物資量や国力を補う精神論に置き換える時代状況だと愚者は狭い抗論をするが、もともと官制学カリキュラムには人間そのものを知る、つまり己の座標を確かめ自らを明らかにする(明徳)という「大学」(官制学歴に有る大学校ではない)の就学目標が、「食い扶持安定目標」に堕したために無知錯覚した徒には理解の淵にも届かない状態になってしまった。それは「人間考学」から生ずる英知の欠落でもあった。

 

そもそも「人間考学」は、教える者もいなければ、学んでも金にも安定担保にもならないと考えられているが、ブロイラーはつよく善い卵は必要ない。ただ大量に見栄えのいい卵が必要なだけだ。

 

認知しているかどうかわからないが、名古屋の河村市長も橋下君も国家の下座観から推考している。余談だが公務員上級試験に「空間推理」「数的推理」「判断推理」がある。

だが、狭い度量、目的意識の欠如、はたまた偏執、変態の類は計ることなく数値評価のみが支配する。もちろん公徳心や愛郷心などはかえつて邪魔で無意味な感情だろう。

 

とくに、経国に必須な「先見」や「逆賭」、あるいは「地球俯瞰」、「歴史事象の賢察」など、ゼネラリストとしての養成が欠落している。ただ海外研修や官官交流、渡り職でお茶を濁している。

 

だが、安定職と食い扶持のタックス・イ―タ―任官試験ゆえに、通ったら忘れる類だが、後藤の言う、「一に人、二に人・・・」の類は微塵もない。

公徳心や使命感、責任感の乗数効果も、相乗効果すらない。

 

どの社会もそうだが、部分分担に調和と連結が無ければ総和は図れない。

天に唾する拙い考察だが、ここでは後藤新平の慧眼と逆賭に今を観るようだ。

 

人物如何で超数的能率の効果は国家の盛衰を示す。

 

だれでも分かっていることだが・・・・

 

 

 

 

 

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貪りの民の必須学 「賄賂学」の提唱 11 1/20再

2018-10-21 01:44:35 | Weblog

2012年 夏


隣国、中国の専売かと思ったら、防衛庁、国交省、東京都まで騒いでいる。こちらもオスプレイ同様ヘリコプターや地下に潜った水道工事、どこにでもその種はある。尖閣竹島も大切だが、納税者にとってはこのバチルス退治の方が重要だ。

こんなことをしているから狡猾官吏の手玉にのった貪り議員の扶養費(生保)押し込み、便宜供与が目立ち、議会答弁でも官吏の不手際の言い訳を議員が負っている状態になる。
あえて極論、奇論のごときに映る「賄賂学」の提唱は、実に合理的実利の真理であろうと考える。どうだろうか・・・、体形化して論理付けたら面白い学説が現われるのではないだろうか。
今の時節、この教科に取り組むもの益々多くなること必然。

まずは東大法学部や警察大学校が魁となれば国家にとって有益なる効果が出るはず。


以下、再掲載

少々、長文だが・・・


これはアカデミック(学術)な経済論や学校のカリキュラムにはないものだが、隠された人間の所業として、重要な部分を占める問題でもある。金と便宜のやりとりは法律という成文法には犯罪もしくは抵触するものとして周知されている。それは表の数値を支え、もしくは支配する重要なポイントでもあるが、あからさまにされることはない。


その姿は、上に厚く、下に薄く、実利の量にあわせて配られる。
胡錦濤主席が訪れるところ首脳外交では各々数兆円の購入をおこなっている。飛行機をはじめとする高額なものだが、民主国家の経済を熟知した金の使い方だ。そのようにあからさまな使い方は日本では馴染まなかった。「金で頬を叩く」様な態度は成金か金貸しとして蔑まされた。近頃は「そうはいっても喰うのが先決」とばかり、抵抗感がなくなり、政府の消費税折込の御用金の配布に誰もが手を出すようななっている。「貰えるものは貰って当然」とより多くの御用金を強請るようになってきた。



               




つまり、貰い慣れるようになったのである。もちろん此処で記す賄賂にも抵抗感が少なくなったかといえば、逆に賄賂に関係した人間を徹底的、執拗に糾弾して嫉妬の溜飲を下げている。それは隠れて貰って判らなければ、という人間の質に似てくるようだ。

ビジネスに例えれば、成文化した契約書もその不可は、接待、便宜供与、賄賂というアンダーテーブルが有効さを増すことに似ている。


それは華人の商慣行が世界に周知され、市場確保のために順応せざるをえなくなった国々は、中国の善悪規範を超えた賄賂(人情、潤い)の考え方に驚愕の有効性をみている。とくに開発国であるアフリカや南米、南アジアにおけるアンダーテーブルの即効性は市場や資源の確保競争に群を抜いた力を見せつけている。またそれに倣うように賄賂に対して穢れ意識や宗教規範を持っていた諸国も、背に腹を代えられないとプラスアンダーテーブルの手法を陰ながら研究し始めている。表立ってアカデミックの土俵に乗せられない厄介な問題のために遅々としてすすまないが、生活の習慣性となった華人の賄賂提供と人情の確保には足元に及ばない。華人はあからさまに、ダイナミックに、当然の如く行動できる柔軟性がある。

その理解はグローバル・スタンダードを提唱し、また追従した範囲では許されないダーティーなものだった。それはその世界のルール違反であった。あくまで表面的にだが。

賄賂には許容量もなければ、無知のためかセキュリティーもない。あるのは当世三百代言であるコンサルタント、弁護士の食い扶持であるコンプライアンスによって自身の智慧や突破力を自縛した結果でもある。またこれを倣い学び活用するすべもない。それは余りにもアカデミックな論証や検証に馴染まないからだ。

だか、経済のすすみ方がいままでの経済論にあるスタンタード(基準)を超えて出現したとき、どのように対応したら良いか戸惑っているのである。それは数値や成文化されたデーターなどに過度にこだわり、唯一の選択として考えたために、本来、人間のなりわいの根底にあるエスノペタゴジー(土着的)な考察を無意味なものとして忌諱してきた結果でもある。

金融資金によって生産を管理し為替、投機によって利潤を生んできた中東に根をもつ民が基準として広めてきたシステムが、人の所作応答と欲望を自然な営みとして実利ある人情(賄賂)を交換していた民族の勃興によって世界のいたるところで戸惑いと煩いを発生させている。

表相の力である政治力、軍事力が賄賂を添えることによって、相手国の政策まで転換し転覆さえおこす。日本でも戦後間もなくは戦後賠償で多くの相手指導者に資金提供をおこなった。あるときには女さえ提供した。また冷戦時には各政党のスポンサーは思想の類似した其々の大国からの提供だった。政党会館の建設資金数億円の現金を風呂敷包みで受け取ったものもいる。隠れているが当時の売国的行為は現金より利権だった。


                 


賄賂は商行為の契約、政治の政策も変える。関係する個人の懐にねじ込む、あるいは手を差し出すものにわたせば良いだけだ。海外口座に入金、親族の便宜供与など手口は様々だが、数人の総理候補者からそれぞれ金をせしめる議員も多いようだが、賄賂学でもあればで教師にもなれるが、あくまで上手に貰うための、゛さもしい゛部類だろう。

これほど認知され、効用もあり、相手も喜ぶ賄賂をいつまでも儘っ子するものではない。
いまのカリキュラムにない「人間学科」の「金銭哲学の認知とその手法と効果」として作ったらどうだろうか。
経済学科では、もっとも効果的な資金の活用としてシステム化し、その実例を背任汚職、贈収賄事件の前科者と検事、知能犯事件の捜査二課担当者に事件の表裏と、捕まらないためのセキュリティーを聴講したらいいだろう。


それは社会規範や法の運用者や執行者が弛緩して、賄賂成立の元となる日本人の「貰い慣れ」「渡し下手」が顕著になったこの機会に、是非とも表面化して、みなで学ぶ賄賂学が必要のようだ。経済も停滞し、政治もオボロゲ、加えて「金」という善悪を包み込んだモノに理解もなく、しかも弱く、金によって是非分別、公私の峻別もなくなる人間の本質を考えるべきだろう。



              






あの田中総理も権勢もさることながら、役人の本人家族やマスコミ、配下の陣笠の佛祝儀に現金を手渡し「人情だ!」といわれると皆、懐に隠し持つように受領する、ある意味では大らかさが金の穢れ意識を祓ってくれる。渡し慣れ、貰い慣れの賄賂なのだろうが、不思議と社会は活気があった。

その様態は、渡し方、貰い方、隠し方、使い方、と表の経済に増してダイナミックかつエキサイティングで、どちらも智慧を絞った、゛面白み゛といって良いほどの満足感があるようだ。十手持ちの袖を出す仕草や、岡っ引きのタダ酒も、お目こぼしの情けといったものだが、現在は執行者でも戸惑う煩雑な法を乱造して、合法的に小銭を召し上げる手法がとられている。十手持ちは御上のご政道を盾にしたが、いまは安全の為、公平の為と妙に口も挟めない納得性が添えられる。

マネーロンダリング(資金洗浄)ではないが、人情を添えた目こぼしが無い代わりに、投網のように細やかな法を駆使した合法的、組織的な徴収が行なわれている。あまりにも機械的なためか名目の公的題目を越えて国民の怨嗟の発生を膨らませている。

文明国家の体裁なのか、人も法も金次第という狭い範囲の一種の潤いの関係のようなものを、倫理道徳上、あるいは法治の守護として、あるいは我国の民癖であるという四角四面な構え方を法治の姿として、面前権力の執行者に委ねた結果、善なる施政との印象となった。しかし、間違いなく、善であるという見方とは逆に、運用者や執行者の専権として肥大化し互いに税利を貪るようになったことも現実だろう。しかも、それが止め処もなく増殖しているのである。

先に書いた口応えもできない怨嗟は選挙で選ばれた政治家に向かい、その体たらくから官吏コントロールの信頼は薄れ、国民各々も社会的貢献は官製イベントに括られ、個々の公徳心や他にたいする貢献などは官任せの状態となり厭世観すら漂わせている。

総じて観れば裏や陰のやりとりがある社会は民衆がダイナミックである。たしかに、あの高官は賄賂がすごい、あれは賄賂のお陰、と聞くし、それゆえの持たざる者と持つものの差は拡大するが、それでも生活力と人情の連帯はみるべきものがある。

古諺をひけば「平でないものを、平にすれば、平でなくなる」といって、もともと働けず、金儲けの手段もなく、貧しいものを、人為的に金持ちと平均化すれば、不平がおきる。また社会の連帯もなければ、立場の違いを超えた積極的な社会参加も乏しくなる。なぜならありもしないような、人に当てはめる「平」という考えは双方に苦しみの情(苦情)の種を蒔くことになるからだ。また平等分配を待つことは、「動かずにその位置にいなさい」、ということでもある。

この時代、職分はあっても身分はない。身分は貰う立場にも既得権益を与えるし、渡すほうにも専権から生じる既得益を与えるものだ。つまり、身分の固定化は自ずから発生させていることでもある。

賄賂は色々な姿に変えて立場を任ずる人間に潤いを与えている。法のあるところ賄賂は必然であるといっても過言ではない。また利だけでなく「便」を得ることでも賄賂は発生する。状況を容易にするために「利便を働かす」というが、配達人に荷物を速く届けてもらうにもインフォーマルな銭の提供がある。最近のバングラデッシュのことだが、郵便局の窓口や配達人にも当然の如く手を出すものがいるという。パスポート取得の手続き期間を短縮するのに便宜賄賂は多くの国で共通した官吏の姿だ。








               

  彼は与党の小遣い賄賂には無縁の位置に自らを置いた

  独り自民党案に賛成して起立する
      与野党談合忖度議会に反発し、55年体制の終焉の端緒
 





日本人の満州官吏は真面目だった。「しかし」と古老は笑う。「あの偽満州はよかった。泥棒も少なく役人も賄賂を受け取らなかった。だがお陰で俺達小役人には小遣いが下りてこなかった。これには参った・・」

「あの頃は多少の悪いことをしても金持ちは金を配った。「力」というものはそうゆうものだ。いまは賄賂を貰っても銀行貯金だ。ひどいものになると海外口座と子供を海外に出して永住権をとり、いつでも逃げられるようにしている。本当はみな考えていることだ。あの偽満州の日本人はこの地で死ぬつもりで頑張った。ただ泥水でも生きられる魚は清水でも生きる。しかし清水に生まれた魚は泥水では生きられない。早く負けて日本に帰ってよかった。そうでないと日本そのものが亡くなっていた」

渡すことと、召し上げられることとは自ずから異なる。
日本人からすれば五右衛門の「浜の真砂は尽きぬ・・」と思われるほど賄賂が流行っているが、中国の歴史に多く登場する宦官の賄賂は言葉を変えて「人情を贈る」という。
ただ、成文法ではご法度である。汚職の処刑はいまも絶え間なく続いている。

「上下交々利を征れば、国、危うし」というが、皇帝はもともと己の所有する国なので獲る理由が無いが、宦官は性器まで切り取って宮廷出仕するためか殊のほか賄賂に敏感である。忠臣蔵の松の廊下の刃傷沙汰も内規作法を、教えた、教えない、の争いだったが、これにも礼という貢物が絡んでいるという。大奥の寝所の睦み話しも口添えがあったようで、茶坊主と老女の監視のもとに秘事を行なうようになったというが、これにも便宜賄賂が絡んでいる。

宮廷でも内外の諸国から貢物が皇帝の前に並べられるが、一番目立つところに置くことが宦官の職権であり賄賂が発生する。この場合はお礼、つまりその世界の礼儀作法のようなものである。それが輔弼として権力を壟断するようになると賄賂どころではなく国家予算すら掠め取るくらいに強欲になる。

紫禁城とはいうが、ことのほか禁ずることが多かった。官吏が禁ずることを作ればつくるほど賄賂が増えるのは古今東西、いずれも同じだ。ただ地方官吏と紫禁城の宦官との官々のやり取りは我国の官々接待と同様だが、彼等はあくまで金のやり取りだ。それに引き換え我国は金では足が付くと、旅費、宿泊、宴会付の官々接待だが、民間が絡むとノーパンしゃぶしゃぶやゴルフ会員権贈与、天下りの予約など官吏らしい「さもしくも卑しい」饗応が繰り広げられる。

一時、規制緩和が叫ばれたが、隣国鄧小平の開放政策同様、政策などというものではなく、縛り上げた規制を「解き放った」だけのことだ。ただ解放されたときの民衆の姿は異なるため隣国はより慎重さを求められる。香港返還後も一般の自由往来はない。はじめは幹部の子息が基盤を作り、香港らしい自由を謳歌した。いまでも香港パスポートは中国にはない特別な効力がある。

 

              

 


我国でも晩節まで司直の世話になりそうで、なりっこないと見透かされている元大蔵の最高幹部は、ゴルフ場開発が盛んだったころ、労働省のノンキャリアを道連れにゴルフ場回りをして帰りには会員権を貰って帰っていた。ゴルフ場には労働省管轄の規制があるためだ。売れば数千万がざらだった会員権も、土産に会員権二枚とは恐れ入った所業だ。
これは、お縄になっていないが、便宜供与はある。それも認印一つの世界だ。
この大蔵、労働コンビは関東一円のゴルフ場の新規開場に絡んで、数億円の紙切れをもらい、労働官吏は数奇屋様式の豪邸まで業者の便宜を受けている。もちろん親族も公務員だが、生活費は管理下の売店の経理を操り、給料は手付かずの優雅な人生を過ごしている。

あのリクルート事件でも労働省幹部が逮捕されたが、地味な役所と思われている今の厚生労働省の規制権限も大蔵キャリアの威光に添乗するように、行政全般に投網のように広がっている。ともかく四角四面といわれる日本の官吏もその狡猾さをみれば、世界に冠たる秀逸さを誇っているようだ。立身出世を支える学校歴は文科省、命は医薬と医院を管理下におく厚労省、それが金主の財務省と個人的な関係になれば、治安官吏も手を出せない。

あのロッキードのときに裏道で車と車の尻を合わせて五億円を渡したといわれたが、国家予算さえくすねる国から見れば、なんと些細なことだと嘲笑される。
賄賂なりコミッション、はたまたチップを生活の足しにする倣いは欧米にもある、とくに暗黙の身分がある地域は、有る者が無い者に贈るのは対価ではなく宗教的にも人の在りようとして贈るようだ。





               

         『なにごとも、ホドが大事だ』



「言いえて妙」ということが当てはまるなら、官吏に対して民間が媚び諂ってモミ手で差し出す金を懐に入れることと、心や気遣いに対して「心付け」を差し出すことに日本人は公私の間の弁えはあった。また、貧しい人や対価にならないような偶像には喜捨という文字を当てはめた。

江戸っ子は掌に隠れるくらいのポチ袋に紙幣をたたんで、分からないように襟元に差し込んだ。あるいは連れの子供に小遣いとしてわたした。

大勢の前で財布を開けないことが常識人だった。もちろん、長(おさ)は早めに席を離れ、相当の金を店のものに預けた。金は隠れたものであり、隠してわたした。割り勘で上司に悪態をつけられては割りに合わないが、その割り勘も近頃では行儀の悪い若手のアドバンテージのようになっている。

日本人は金の使い方、渡し方がことのほか下手なのだ。使い方が己の趣味や嗜好に限定しては、他からの見返りも人情もない。交際費や雑経費に頼れなくなった社畜や貪官はコンプライアンスや内規に縛られて実質数値さえ激減させている。つまり精神も身体も気が抜けて弛緩しているのである。これも幾らかは女房の管轄下にない金で始末は付く。


華人国家はその得意とするインフォーマルな手法を、経済発展と共にスタンダードとすべく世界を足下に置きつつある。

我国の官製ODAのように日本企業の採用と国内既得権者へのキックバックなどのようにシステム化されたものではなく、金の効用を公私の別なく、しかもケチらず投下している。しかも天下思想を観とした民族性癖は世界のいたるところを住処にしてダイナミックに浸透している。
我が祖国、我がグランドは天と地の間として地球の表皮を縦横に躍動している。

四角四面に非難することではない。グローバルスタンダードを提唱したのは白人社会だ。それも国家のカテゴリーを超えて、その時代の強国をヤドカリにして食い荒らしている民族だ。双方、インフォーマルな財利の効用を熟知し、その状況を都合よく作るために情報、謀略を駆使できる狡知もある。また人間の弱さも習性として認知している。

つまり、色(性)、食、財という欲望の本質を、虚構の知欲を発信することでコントロールし、そして彼等の得意とするグランドである商工業と金融為替に誘い込み、その仕組みを成果あるものにするために、獲物である民衆を思索と観照を不可能にして、獲物のセキュリティーである固有の神や精霊の志操を弛緩させてしまったことだ。

賄賂(金)で志操を売る民族と、一時の人情の交換と考える民族の違いは、付和雷同、四角四面を性癖とする人々には峻別が付かないだろう。なぜなら賄賂は邪まなことではなく、使い方、貰い方、渡し方、隠し方を「粋」や「通人」の魅せる世の情とした江戸庶民を範とすれば容易となるだろう。

見え透いた、もったいぶった、格好つけた、没落成金の見せ金は、渡したところで効用が無い。「もっと寄越せ」と続くはずだ。賄賂は悪銭となるか良貨となるかは、日本人が野暮で古臭いと忌諱した古き人々の倣いにあるようだ。

やはり、賄賂効用の学は必要だろう。

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人間考学   機略の縦横無尽を養う郷学講座

2018-10-16 18:20:46 | Weblog

津輕弘前 昨冬

 

≪以下はある組織の指導的立場の人材養成についての講話録である≫


それは長時間微動だにしない真剣な講話でした。

巷の礼賛や激励ではない。彼らが志を願って(志願)した職域で縁を以て結ばれた人間の気概に応えたものだった。

それは誰にでもある誕生と辿りつく死への意義を、人生観として伝える、時に修める(自修)の機会でもあった。

後刻送達された「所感」には、紅心に中(あたる)る真剣な内容が綴られていた。


 

 標題に添えて・・・


機略とは事に臨んで臨機応変、縦横無尽に思考をめぐらすことではあるが、その要は人間(人物)そのものにある

それは状況に応じて、瞬時な対応を考案することであり、たとえ集団内においても、全体の一部分において発揮できる己の特徴を鑑みて、連帯の調和をいかに維持するか、また、各々の部分をいかに連結統合できるかという、多面的かつ根本的で、さらには連結統合の効果となる他に対する許容量を拡げ、高めるような習得が必要となってくる。

特に、瞬時の機略判断は技術や知識の習得だけではなく、直感性を養う浸透学的な要素が必要となる。また、如何なる状況においても判断基準となる座標軸を強固かつ、柔軟に持つ感覚も必要となる。

こういった感覚は、己に立ち戻ってみれば、まさに生死の観、不特定に対する責任感が混在するなかでの突破力となる覚悟など、怯み、怖れを祓う勇気の源泉を、自然にかつ容易に発生させるすべともなる。

しかしながら、このような人間考学は官製学カリキュラムにはない。

いわば学びの「本(もと)」となるものであるが、この「本」のあることの認識し、その「本」を伸ばす学びや人間関係の柔軟さを習得することは、生死の自己完結の自由を担保し、慈しみをもつものに靖んじて献ずる精神の安心した状態を維持涵養することにもなると考える。

また、生死の間を想像し、それが不特定多数の安寧を任務として、かつ、安らかな生活を願う最愛の家族隣人を想起しつつ平常心で職務を遂行することは、集団の高位にあり責務ある立場のものとして、いざという時の瞬時に、志願発起時に希求した姿を想い起こしうることにもつながるだろう。それは溌剌とした自己躍動の想起でもあろう。

この度は、この官制学カリキュラムにはない機略の臨機応変。縦横無尽を養う人間考学を、明治初頭の残像にみる学問を振り返って眺め考えてみる。

 

                 

                     負荷を悦ぶ気概があった

 


◎講話レジュメ

Ⅰ 明治初頭の学制と、それ以前の学問について

1.藩校、塾から数値選別の立身出世 「聖諭記」

2.自己の特徴を発見して伸ばす 「小学と大学」

 

Ⅱ時代は違えても児玉源太郎や秋山真之が注目されるこ

1.人を観て登用する 「観人則」

2.後藤新平の「超数的効果」とは

 

Ⅲ現代の実相を人間から俯瞰視する

1.「衰亡の徴」 荀子

2.「四端」   孟子

3.「四患」   荀悦

4.「五寒」

 

次後はその機略を容易にする「浸透学」を講じ、余話として「謀略」について知見をお伝えして一年の季間講話を終了した。

 

一部イメージは関係サイトより転載

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