まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

永田町と霞が関の毒まんじゅうは美味いか? 2018あの頃も・・

2021-11-18 12:32:07 | Weblog

   終わることなく、変化すらない・・・

 

安倍くんもおめでたく三選となり、茶坊主だのチルドレンの猟官も騒がしいが、ここまでヤルと、次は、゛江戸の仇は長崎゛で、かたき討ちにあうのは分かっているのか、今のうちに愚にもならない肩書や地位をレッテル貼りに勤しんでいるという。

 

反社(暴力団)と名付けられた任侠も薄くなり義理や人情、狭い範囲の掟も厳しい分別があるが、議員の失業対策となった騒がしい選挙は、めでたく当選すれば寄らば大樹とばかり、政策是非はともかく親鳥の餌を巣待ちしている幼鳥のようにもみえる。

 

エサは派閥や党、見栄えが良ければ行政府の充て職に納まるだけなのだが、多くの国民は怨嗟を通り越し、政治家観の諦観(あきらめ)として、ときに政治に対して怠惰にもなっている。なによりも、あの御方の大御心を煩わせる無頼の徒のようにも映っているようだ。

 

        

 

政治家についてはクリーンハンドの法則という言い方がある

賄賂を貰うような汚職について、一度でも手を汚してしてしまうと、余程のことがない限り汚れは付いて回る、つまり何かにつけても弱みとなって言葉や行動が色眼で見られてしまうということである。

 

神様でもあるまいし、と同類に慰められても、あるいは貰った当人しか知らないことでも、どうも居心地が悪い気分になり、言葉も行動も遠慮がちになる。

 

「お前だって・・」と言われれば、「それとこれとは状況が違う・・」「一回ぐらいは・」と反発しても空々しく、日頃の貫禄など吹き飛んでしまう。なにも物のやりとりだけではない。煩る雑で道徳域まで入り込んでいる法にかかれば、立ち小便、吸い殻のポイ捨て、行列の割り込み、あるいは何処かの妻持ちと旦那持ちとの人情ごとまで邪推されたりするだけの風評で立ちいかなくなることもあ。

それも競争相手を引きずり落としたり、単なる嫉妬心から謀を企てるトリックになると、うかうか甘い言葉にものれないような、せち辛い世の中になる。

 

以前、政治家が巧妙な裏切りにあったとき、「あれは毒まんじゅうを食らった・・」と激高していたことがある。

原因は、同じ村(派閥)の長年の仲間を閣僚のカラ手形で裏切ったときのことだった。この手のまんじゅうは時限爆弾のようなものもあれば、徐々に利いてくるものもあるが、中国の賄賂(人情を贈る)とは異なり、相手の魂胆を見透かして誘いをかける謀(はかりごと)のような類で、なかには陰湿な計略もある。

 

あの時は竹下派経世会は衰徴し、当時の幹部が医師会から小切手を貰ったことが露見して世間を騒がしたが村岡議員がスケープゴ―ドにされた。そのとき村(派閥)の仲間割れに野中広務議員が放ったのが「毒まんじゅうを喰わされた」だった。

 

それも慎重な相手にはそれなりの手順もあるが、往々にして日本の政治家や官吏、サラリーマンの類は「仲間の証」あるいは「上下の分別」として、あえて毒まんじゅうを、しかも喜んで喰うのである。官吏が便宜を図る利権のお手盛りなどはその最たるもので、これも日本社会の習慣的性癖として毒まんじゅうの免疫性を支えている。つまり、喰ってもアタラナイ人間が大勢いるのだ。つまり慣れという免疫だ。

 

この場合は、喰わないものは仲間外れだ。まずはそれに馴染むことから始まるが、問題は正義と公平を司る治安や税官吏、政治家に免疫が多いと国民はそれを倣い、終いには、毒まんじゅう国家?になってしまうことが憂慮にある

裏金、裏手当、便宜供与、官官接待、任官当時は正義感溢れ国家を支えると意気込んだ若者だったとは言うが、みな饅頭を喰っていれば染まるのは必然だ。若いころ…とは言うが、もともと心底が安定職食い扶持を描き、一族の期待を背負って任官した青年も仲間外れになっては喰っていけない。それを知恵もなく「しかたがない・・」というらしいが、それが日本の能力あるエリート官吏と外国では見ている。

 

    

    この方の御世は・・・・  

 

 

なぜなら、それらは喰うだけでなく、毒を毒と思わなくなり「染まる」のだ。

官吏が政治家に「これは国家の一大事」と、耳元でささやき喰わせ、政治家はできもしない美辞麗句、ときには嘘八百を堂々と公言し、教師は人類愛と平和人権を餌箱に入れ子供に喰いつばませている。どれも反対できないハナシだが、古今東西、成ったためしがない。あったのは走狗に入る知識人の言にみるだけだ。

 

その点、単純なのは政治家の毒まんじゅうだ。聴くも見るも滑稽さが付きまとう。そう思っていた輩でも、騙された、引っかかったと広言されても可哀そうには思わないのが国民だ。

一方、引っ掛けた方も決して利口には思えないが、だいたいが抗論もせず知らん顔をしている。まんじゅうに毒を仕込んだほうが一人前の政治家に思え、喰わされた方が愚かでオッチョコチョイの欲張りにみえるのも、この世界の面白さだ。

 

閣僚の候補に入れる、公認をするなどから、地方議員の利権のおこぼれや視察旅行の水増しで子遣いの捻出など、国家を護り人々の生活向上をわざわざ拡声器で誓った口の渇く間もなく、いともコロリと引っかかる。しかも体裁のよい理屈をつけながらでも撒き餌に集う雑魚のように集うのもこの群れの特徴だ。

 

この場合のまんじゅうは「俺も喰いたい」と思っているが仲間を裏切ることはない。それは蛍のように「こっちの水は甘いよ」と、まんじゅうに誘われて群れの決まりごとを破り離れることだ。近ごろは野党が合従連衡すると今までの野党が政権のうまみをと実態を知り、かつ官吏の手のひらに乗ると旧来の群れが離脱しても与党に残るような議員も出てきた。これもよく効くまんじゅうのお陰だろう。

 

加えてこの群れを手なずけ飼い馴らす上手(うわて)もいる。

 

それらは宿便のように隅々まで導管に寄生し、滋養を吸い取っている官吏だ。

 

一官、九族に繁栄する

親族が出世して高官になると、みなおこぼれがあり繁栄する(便宜供与)

 

昇官発財

役人は官位が昇るにしたがって財を発する(天下り、渡り転職)

 

隣国のみならず、多くの国家は貪りの官吏の群れによって滅亡している。

あの元総理野田君が唱えていたという・・・、シロ蟻だ

 

イメージは関係サイトより転載

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慎みの乏しくなった権力 2015 あの頃

2021-11-10 16:58:09 | Weblog




戦後レジュームとかの脱却・・・・・

レジームとはフランス語で体制だが、安倍総理が就任時に頻繁に唱えた戦後レジームと云えばヤルタ・ポツダム会談後の連合国戦後体制、つまり日本でいえばGHQ(連合軍総司令部 ダグラスマッカーサー司令)が作り上げたという日本の戦後体制である。それは憲法条文や教育、土地税制、医療保険、防衛など多岐にわたり、一方でいわれるところの日本弱体政策といわれたりしている。

安倍総理はその習慣的思考が及ぼす政治政策や官吏の立案形態を「脱」という言葉で変えようとしている。それはレジュームのもう一つの意である「管理体制」下に構築されたという前提のもと現体制のレジュームチェンジだ。

しかし、「脱」と問題意識をもっても、今更ながら「脱」は出来ない、好まない一群がいる。しかもそれが政治中枢の周囲を取り巻き、「脱」の影響範囲を狭めている。要は、この部分だということに気が付いていないだけでなく、それらによって岩盤のようになったレジームを政権の背景力として互いに利用し合っている可笑しさがある。

何を基にしているのか政権が安定すると、その内にレジームの踏襲こそ平和安定の基であるなどと言い出しかねない。そのくらいに総理を操る力をレジームはもっている。

天に唾するようなことだが、安倍総理は安倍晋太郎の子息、母は岸総理の娘。それゆえ彼のバックボーンは実の父より、岸元総理の血脈として喧伝されることが多い。
戦前の商工省、満州官僚として統制経済を牽引した。

統制経済は集中資本、統制管理によって黎明期の満州経済を発展させ、その試行成果をもとに戦後は興銀を中心に重厚長大産業といわれる鉄鋼、造船、鉄道、エネルギーなどの産業を興している。まさに戦後復興は満洲の映し絵のよう近似政策だ。

私事だが、その満州人脈が会した新橋の国際善隣会館に唯一戦後生まれとしてその老海に漂い、取り付く島の縁に逍遥していたことで満州実情を大観させていただいた。

復興経済は多くの功罪を遺した。その副作用なのか、基幹産業を育てる過程で時世をにぎわす政財界の贈収賄が数多発生した。造船疑獄、インドネシア・フィリッピンの賠償利権、韓国地下鉄利権、アラブ石油利権、穀物利権など内外政治家と経済界、はたまた高級官吏を巻き込んだ汚職腐敗が蔓延った。

しかも、どこの派閥はエネルギー、他方は建設や電波利権、どこそこは文教(教育・技術)やODA利権など、国民からすればとんでもない利権が構築され、いまでもその系譜には手を突っ込めない状況があるという。つまり改革、省庁統合、独立行政も裏を返せば利権の再構築(陣取り)のようだと新進官吏は嘆く。

つまり戦後体制は戦前の軍刀に怯えていた連中が、GHQにお追従して手に入れた新世界なのだ。維新も欧米の植民地侵攻の怯えと対応を失くした幕府を倒し、美味い飯を奪った結果だが、その小人然とした貪りを西郷は慚愧を抱いたのだ

今度も外来の侵攻軍だ。戦前の体制は倒れ、人物二番手が疲弊した戦後を曲がりなりにも担った。だからドサクサの奪い合いが起きたのだ。それが戦後レジームの恩恵を受けた群れであり、その血脈をつなぐ二世、三世の世襲議員が無くならない理由でもある。
ことさら抹香臭くも青臭い、または左翼(欲)掛かった立ち位置でいうのではない。あくまで下座観がそう観るのだ。










貧者のヒガミ根性なのか、日本人に染みついた習性なのか、今ほどウルサイ眼が無かった頃、政治家は井戸塀から金満に変わった。都内に大きな邸宅を構え、郊外には別荘、不思議に思っていると未公開株や情報有りきの土地ころがし、穀物やエネルギーの外交利権など、官吏の狡猾な知恵を寸借した蓄財が指摘されるようになった。

また、もともと財を成した二代目議員は狡猾な官吏出身議員の財布代わりになって没落したものもいる。「戦禍に倒れた人々のお蔭で繁栄した」、とはいうが、西郷の言葉を借りれば「こんな国にするつもりはなかった」だろう。それが遺伝子となって政権与党に群生する忘恩の徒を増産している。
それが、人心の衰えた権力に寄り添う者たちの戦後レジームなのだ。

官吏、政治家、軍閥の姿は、現在の官吏、政治家、官警、と何ら変わることのない御上御用の姿として国民は眺めている。数値比較ではなく、深層の国力というべき人心、情緒をみるならば確かに、戦後レジュームは戦前のそれと大きく異なる。しかし本来の問題は維新後のレジューム(体制)は、日本及び日本人の姿を根本的に変質させてしまったことだろう。

文明化は便利性とともに到来する。そして誘引されるように起きた情緒性の齟齬は近ごろの世代間の断絶どころではない。棲み分けられた地域に複雑な要因を以て構成され継続した国家なるものと、そこに棲む民と称される人間の親和性、すすんで連帯と調和心が、時とともに融解している。その憂慮に為政者の関心は薄い。その意味では、昔はそれを慎みを以て鎮考した為政者がいた。





ともあれ、戦勝国に迎合した知識人や議員、当初GHQの急進的もしくは試験的に試行しようとした勢力によって、あえて戦前・戦後と裁断された歴史的継続性だが、その後の至るところの各分野で馴染まない齟齬をきたしている。それは環境資質を基とした棲み分けられた人間の特徴ある姿の変質だ。

一方、その戦後レジームという安倍氏の云う紛い物の体制だが、ドイツの剛毅な反応と異なり、憲法のみならず、税制、教育、土地改革など、骨抜きや面従腹背を得意とする官吏や迎合政治家は巧妙にも自らの利権として戦後体制にバチルスのように寄生した。
他人から与えられたパッケージだからと理由にするが、GHQのみならず現在の日米関係は「年次的要望書」にある、建設工事の透明化は談合排除、金融・保険は市場参入の自由化、医療の自由化、郵政改革は保険・金融の分離と自由化、それらの政策は治安当局のショック策を巧みに援用して市場開放と彼らの云う自由化に突き進んでいる。正規、非正規といわれる雇用問題も要望書の切り取りだ。



ここで問題なのは、戦後レジュームの恩恵を受けてきた公職者は食い扶持土俵を毀損することなく、その身分のようになった安定担保職を変わることなく維持している。
西洋感覚でいえばタックスペイヤーは変化に晒され、タックスイーターはお咎めなしの状態だ。その群れが弛緩した戦後レジュームの守護者なのだ。それが安倍君の視点にはない。
例をひいて恐縮だが、南欧のギリシャ、もしくは後進社会主義の国情だ。


憲法だが、ことさら組織や体制、もしくは法治の基となる条文を変え、整えたとしても世の中(国風)は変わらない。書き物や制度で民族を収斂し国家として成さしめても、単なる形式的国家としてしか成立しないだろう。法がことさら証明したり説明したりするための具では無いことは承知しているだろうが、それしか方法がない、つまりそれに数字を付け加えれば唯一の正しい答えとする固陋で許容量のない思考法しか導けない人間の習慣性の問題を考えることもない。神棚は汚れ掃除しなくてもお札は鎮座している。ときおり願い事のために手を合わせるが、エゴの利益には効能もない。













筆者がおもうに、これこそ戦前・戦後のみならず、明治に遡る「脱・模倣レジューム」だ。
あの頃は、法はドイツ、イギリス、教育はフランス、海軍はイギリス、陸軍はドイツと拙速な模倣だった。何よりも人間が西洋カブレに陥っていた。
また、そのモノマネに真や核というものを拙速にも置き忘れたために起きた形式欠陥が、その後の虚飾された経済力や軍事力に依存した国風となり、民風は人心すら微かなものとなってしまった。

世上では余りにも明治維新の異業などと喧伝するものだから、偉人、先覚者と顕彰される英雄や知恵者を汚すこともできず、その背後や後の場面で巧みに、時に狡猾に立ち回った連中によって近代模倣国家が曲がりなりにも出来上がった。
そして藩民は「国民」と呼ばれ、「国家」なるものに収斂された。
繰り返すが、西郷は「こんな国にするつもりはなかった・・」との意を語る。鉄舟も海舟も松陰もそんな慚愧の気持ちだと筆者は拙くも推測する。

教育はフランスかぶれの森有礼が持ち込んだ人権や平等、自由を編み込んだ啓蒙思想を文明の証として制度化した。それに直感し諭したのが明治天皇だ。(聖諭記)
理科、物理、法科は見るべきものがあるが、果たして相となる人材を養成することはできるだろうか・・つまり部分専門家は必要だが、多面的、総合的に内外の歴史を俯瞰して将来を推考する「宰相」を養成することは、この形態では適わない、という指摘だ
今もってその残滓は教育が立身出世の具となり、その弊害は先の原発被災時の東電経営者や監督官庁の官吏、そして選挙で選ばれた為政者たちのエリートと称される階層に、明治天皇の指摘を想起するのだ。

「現場は世界一だ、比して日本はエリートの養成に関しては失敗している」とは、世界中のジャーナリスト、有識者の感想だ。これこそレジューム(体制)に安閑と巣を営む明治以降変わることのない残滓なのだ。いわゆる「脱」はこの部分であり、名利と安逸を最善の欲望として貪る者たちのコントロールの欠如なのだ。つまり欲望の自己制御を学問の基としておかず、互いに素餐を蝕む群れこそ、脱レジームの根幹をなすものであり、ここに視点が及ばないことこそ政治の放埓を招いている原因でもあろう。







ならば、どうしたら、こうしたらと堂々巡りの戯言が騒がしくなるが、先ず問題意識をもって明治以降の歴史の変遷を我が身に置き換えて内省してみたらよいだろう。
欲望についても「色、食、財」がある。世につれて対象と目的は変わるだろうが、この欲望のコントロールはどうだろうか。「数値」については法治、人治、そして数治になっていないだろうか。「知」について、質より量が単なる知った、覚えた類の学になってないだろうか。あるいは「色」にある性別、情欲が禽獣の別を弁えているのだろうか。「人物観」について一過性の数値の多寡や儚い名利に憧れたり、追従していないだろうか

学校では教えてくれなかったという。
もともと、官制の学校制度は数値競争と知の遊戯のようなもので、人間そのものを悟る場面ではない。習いはあっても「倣う」対象は少なくなっている。

未完

イメージは関連サイトより転載

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人間考学  あの、北野たけしさんでさえ

2021-11-08 11:24:59 | Weblog

イメージは関連サイトり転載

 

いつのことだったか、北野たけしさんが弟子と称する若手のタレントを引き連れ講談社の写真週刊誌に殴り込み(襲撃)をかけたことがあった。

理由はさておき、その後のインタビュー映像でこう語っていた。

「一人で行くのは怖かった・・」と。

 

後年、監督となり、文化的(教育的)な番組に出演している。

映画ではその頃は廃れてしまったヤクザ映画と称するバイオレンスを「アウトレンジ」と題して制作し、無頼な漢(オトコ)の集団を刹那的、娯楽的、かつ社会的に糾弾されている暴力団の実相を見事に表現していた。

しかも、その世代、その心情に触れたのか興行もシリーズ化さえされた。

 

あるいは某誌上で、いまは反社とか暴力団と括られている組織の統率者とも懇談して、現代任侠論を語っている。

つまり、社会の或る部分ではあるが、偶然にも直面した漢の言葉や行動に表れる姿や、かつ彼らなりの形で表現する任侠心、義理、人情、意気地、について、そこではカタギ(素人)と稼業人の括りを越えて共感する内容でもあったと記憶している。

 

「そもそも論」からすれば、人の人生はつねに自分と他人との関係で成り立っている。

それを繋ぐのが良し悪しは別として「縁」や「運」に括られて語られ、現在を語るときには何処かで「了」としなければ自身の境遇のさえ綴ることはできない。

頭の中での過去と現在と未来は瞬時に想起される。

それは過去の反復と現在の姿、将来の想像が、反省や安堵、あるいは悩み、希望などとして混在し、はっきり、すっきりしたものを観たければ言葉や行動を具体化することしか自身への納得性はない。

 

それが彼らの姿として、容{人相)、象(雰囲気)、体(身体動作)に現われるが、数奇者、傾奇(カブキ)者と云われた派手な衣装の旗本や、金糸であつらえた陣羽織をまとった戦国武将と考えれば、似て非なる目的ではあるが漢(オトコ)衣装として思いうかべることができる。

戦場での前口上(仁義を切る)はまさに舞台芸にもなるような流れがあり、装飾を施した衣装で街中を肩をいからせて練り歩く旗本と奴(ヤッコ)もそうだ。

 

あの火盗あらため鬼平犯科帳長谷川平蔵の活躍した頃はとくに町中は風紀が乱れ糜爛していた。目立ったのは旗本と奴だが、庶民も華美になり町娘は、「この帯と友禅は越後屋でかんざしは何処どこの店」と、寄ると嬌声を挙げていた。武士も「この印籠は、刀の鍔(つば)は誰々の作」などと自慢しあっていた。

ヤクザ渡世人も博打や遊興に「これがしたくてヤクザをしている。できなければやめる」と啖呵をきり、当時の警察官だった町方同心も岡っ引きを共連れに、羽振りの良くなった商家に様子伺いと称して小遣いをねだっていた。まさにミカジメ料だ。

 

だだ、カタギをいじめたり、盗人、女犯、人殺しはご法度。行儀が悪く人情もないヤクザは身内のリンチ、絶縁、所払いは、まともな親分なら内々で彼らなりの掟や習慣で処置をした。

岡っ引きも町の顔役、御上御用として同心のまねごとで懐を潤していた。一昔前の交通違反の願い下げを顔役に頼んでビール券を持参すのも、その倣いなのだろう。

 

四角四面に考えると社会機能は詰まってくる

法のくくりが追いつかなくなり、何よりも煩雑になり、三百代言(弁護士の類)が跋扈して,奉行所のお白州(裁判の場)まで、「情理によって・・」など、大岡や遠山の更生への説意や援護など失われ、現代流行の範例ならぬ知恵のない過去の「判例」に簡便埋没している。

 

明治初頭、法令が一新された頃は判例もなかった。それゆえ判決には「情理(条理)にもとづいて・・」と、裁判官は判決に添えている。

江戸っ子化すれば「粋だね」となる干天の潤いだ。

 

標記の「一人では怖かった・・」まさに腑に落ちる吐露と大衆は観た。

相手も組織を持ち多勢で北野氏の隠された部分をほじくり世間に露呈させた。

色(異性)と食(グルメ)財(金)は人の本性欲とはいうが、これに覗き、脅し、嫉妬によって誌面を飾れたらカタギ素人だけでなく、恥ずかしげもなく画面で嬌声をあげたり、醜態,イジメすら笑いにしてしまう一部芸人すら、たとえ同種の世界だとしてもカンにさわるだろう。

たとえ法律の埒外(治外法権)を演じていても、第三者への人情を汚されることは我慢ならなかったのだろう。

芸能の世界もその種のマスコミを媒体として同じ水をすすっているが、善悪が表裏となって歓迎される浮俗の感覚と、それが食いぶちになる虚構の世界ではある。

 

それを前提としても、ふと漏らした北野氏の実感する言葉に、棲む世界は違うが「野暮」ではない素直な生き方を見せてもらったようだ。

 

 

 

 

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