まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

いまトルコのケマルパシャを想う

2012-09-23 17:09:40 | Weblog


あのオスマントルコの雄、サルタンは幾度となく十字軍の侵攻を押さえた。以前はギリシャに侵攻してギリシャの血を混交した。多くのギリシャ人はトルコを恨んだ。ギリシャの血の何割かはトルコ系と混血となった。あの第一次世界大戦ではギリシャがトルコを侵攻し兵士のみならず婦女子も凌辱した。怒ったトルコ兵士はギリシャに侵攻した際、仇打ちとばかり、同様な行為をした。

究極は血の混交が戦争の目的だ。血を汚されてはいけないと兵士は戦った。今どきの「生命財産を護る」などという謳い文句はない。最近ではボスニアも混交や血の抹殺が行われた。
ヒトラー総統がアーリア民族の優越性を求めたのもその理由だ。

よく、ハリウッドがユダヤ系の資本で支配されているというが、その優秀映画にはアカデミー賞が授けられる。そのポイントは暴力とセックスだと評者は言う。欧州もそれに倣うようだがハリウッドほどではない。ただ松竹の小津安二郎のようにワンカット(場面が変わらない)10分などのヨーロッパ映画は近ごろの日本人でも観ない。売れるのは問題になったピカチュウのように音と光とコマ切れの画面がないと観客は悦ばなくなった。

映像は愛と平和と民族普遍を描いて、民族混交は普遍な愛があり平和だと謳い促す。しかし資本家である民族は殊のほか血脈を守護し混交を戒めている。映像に触発された若人は流行りごとのように混交を歓迎している。中世は戦果として財の収奪と男子は奴隷、女子は無抵抗で凌辱され民族種は混交した。まさにここでは男系種の拡散である。

女兵士はどうか。満州崩壊時、男兵士は日本人居留民を夫と子供の前や玄関先でも輪姦凌辱した。女兵士はトラックの荷台から男子の襟を捕まえて拉致し、数日後放逐した。することは陰部を舐めさせることだった。恥かしくて語ることはなかったが、しばらくすると口唇梅毒となった。強姦ではないが、これは嬲(なぶり)ならぬ、イタブリだ。

あの日露戦争で負ければ、今頃は青い目と金髪のハーフが当たり前だった。それより満州族のように言語まで取られ文化さえ消滅する。地つづきの民族はみなそれを恐れるのだ。
だから男を戦場で殺戮し占領すれば無抵抗な女子を襲うのだ。

なにも生命財産を大声で守ると政治家が唱えても、「血脈」を絶やしたり混交すれば民族は無くなるのだ。愚かものは自身の命と財のために頭を垂れ、 敗れても命だけはとひれ伏すのだ。たとえ結婚前に何十人体験したと自慢げに吹聴する現代婦女子の風潮があるとしても、戦う意味とはそのようなものだ。そして多くの兵士は身を靖んじて、その身を献じたのだ

もう一つは思索と観照の自由だ。オスマントルコ帝国のころも異民族の改宗は求めなかった。いまでも東西の境にある海峡の対岸はキリスト教の影響ある街並みとなっていて、両岸の交流は盛んだ。賢人は刃をたたかわせた相手の宗教選択の自由は毀損しなかった。安定までの拘束や肉体的衝撃があったとしても、過ぎれば闘いは存在と時間が縁あって衝突したものとして互いを讃える教養もあった。それがトルコの伝統的矜持である証左はエルサレムに混在する異宗教の施設でもわかる。排他的ではないアジアの許容でもあろう。

歴史上ロシアは何度もトルコに侵入し広大な領土を割譲させた。その恨みは日露戦争の敗戦でおおおくの負傷兵が海峡を通ったとき、旅程中だった孫文は日本人と間違えられて泣かんばかりに抱きかかえられた逸話でもわかる。
ケマル・パシャは政教分離を唱えて指導者になった。彼の居室と執務室には明治天皇の写真が飾られていた。

イランイラク戦では多くのパイロットが志願して 日本人を救出した。
そして先の震災に際して台湾同様に尽大な支援を贈っていただいた。

日本および日本人はアジアの西端、トルコ共和国に注目すべきだろう。



参考サイト紹介「かつて日本は美しかった」写真転載

http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120412/1334232564

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパードライは人情のウエットだった

2012-09-19 18:18:45 | Weblog


故郷の土佐にもぐりこんで山歩きをしている伴さんの視点が光ってきた。食い扶持の共同通信を脱出して故郷の自然に馴染んでくると経済部から「人間考察部」に変化した。
醇な童心が甦り問題意識が明快になってきた。

以下の稿では経済は株価や資産の時価評価、もしくは組織の大小ではなく、人物の観方、問題の意識度と解決能力、そして突破力がいかに重要かを樋口氏が組織に滞留した既得権の残滓を打ち払うエピソードとして記してある。まさに数値評価の前提に人間評価の「則」が必要だとする樋口氏の組織観が表れている。それはスーパードライを褒めそやされる前に、「ここを観てくれ!」といわんばかりである。

その現状を陸羯南のような切り口で読者に問いかける伴さんに、敬意を表するものである。





右 伴武澄氏




>   組合幹部専用食堂のドアを蹴破った樋口廣さん
>
>           萬晩報主宰 伴 武澄
>
>  アサヒビールの樋口さんがなくなった。経済部にいながら一度も取材したことは
> ないが、1990年代にビール業界を担当したとき、いつも話題になった人物である。
> 樋口さんが日経新聞に「私の履歴書」を書いたとき、いくつもの逸話が紹介されて、
>
> さすがはと思わされた。もう一度そのときのコラムを掲載したい。このコラムは萬
> 晩報にとっても500号となる記念すべきものだった。
>
> ------------------------------------------
>
>  1月1日から日本経済新聞の「私の履歴書」にアサヒビールの元社長の樋口廣太
> 郎さんが登場した。1986年、住友銀行副頭取からどん底だったアサヒビールに
> 単身乗り込んで経営を立ち直らせた人だけに、なかなか読ませる。
>
>  当時の磯田一郎頭取とそりが合わずに住友銀行を飛び出したのだが、仮に銀行に
> 残って頭取にでもなっていたなら「スーパードライ」は生まれなかっただろう
> し、
> アサヒビールという会社だって存在していたかどうか分からない。それよりも樋口
> さん自身がバブルの後始末で銀行の経営責任を取らされていたかもしれな い。
>
> 「人間万事塞翁が馬」という中国の格言をこれほど地で行った人生に出会ったことはない。
>
>  缶コーヒーつくりの代わりに命じた草取り
>
> 「履歴書」は連載中だからこれからいくつもヤマ場があるかもしれないが、前半の
> 圧巻は7日付(6)「筋違いの要求は拒否−専用食堂など特権認めず」と題した労働
> 組合との対決場面だ。
>
>  当時のアサヒビール本社には社員食堂の隣に組合幹部専用の食堂があって、社員
> が行列をして食事をするそのすぐ横で組合幹部だけはゆったりと食事をしてい
> た。
> これに頭に来た樋口さんは秘書に入り口のドアを蹴破らせ「みんな行列しているの
> に、のうのうと食事をしているとは何事か」と一喝。ただちに社員にその場を開放
> した。なんともスカッとする逸話である。
>
>  また缶コーヒーをつくっていた柏工場では、コーヒーが売れて品不足になってい
> るにもかかわらず、社員は終業時間の30分前から帰り支度を始めていた。「職場
> に戻るように」と言ったら「帰れ」の怒号が返ってきた。樋口さんはここではウィ
> ットで切り返した。「工場は動かさなくていい。解雇はしないから」と 言い放ち、
>
> 缶コーヒー製造のかわりの仕事として「草取り」を命じた。「草はあとからあとか
> らはえてくるので仕事は永久にある」といったら一週間で音を上げたという話である。
>
>
>  かつての国鉄をみての通り、傾きかけた企業には必ずといっていいほど労働組合
> が君臨していて、経営側が組合幹部にペコペコしている状況がある。緊張を失った
> 労使関係は組織をだめにするという好例がかつてのアサヒビールにあった。現在の
> 日本社会全体に当てはまるのではないかと思う。
>
>  さわやかな印象を与えたキリン佐藤社長の退任
>
>  同じビール業界でこの15日さわやかなトップ交代があった。キリンビールの佐
> 藤安弘社長が会長に退いて後継に荒蒔康一郎専務を昇格させる人事だ。佐藤さんは
> 任期たった4年で社長の座を下り、後任には医薬事業というまったく違う畑の人材
> を登用した。
>
>  佐藤氏の在任中、キリンの「ラガー」はアサヒビールの「スーパードライ」にビ
> ールのトップシェアの地位を奪われた。ラガーの長期低迷に歯止めが掛けられなか
> ったことに悔しさは残るだろう。しかし発泡酒「淡麗」を世に出して、会社が元気
> を取り戻した。この功績は小さくない。業界最大手のキリンが「ビールもどき」と
> 揶揄された発泡酒の販売に踏み切るには相当の覚悟があったはずだ。佐藤氏はキリ
> ンの本流の営業畑ではなく、総務畑だった。保守本流を歩まなかたからこそできた
> 決断だったに違いない。
>
>  佐藤さんが常務だったころにあるパーティーで一度お会いした。むろん佐藤さん
> が覚えているはずもない。そのころ輸入ビールの攻勢でビールの価格破壊が話題に
> なっており、内外価格差も大きな社会問題だった。筆者は日本の缶ビールの出荷価
> 格の3分の1がアルミ缶代だという問題を取材していた。
>
>  アメリカの缶が3−5円で日本製が20円弱。アルミ缶を輸入すれば利益は何倍
> にもなることは誰もが確信していたが、ビール会社はどこもそのことになると口を
> つぐんだ。佐藤さんだけは違っていた。日本のビール会社が抱える問題点をあっけ
> らかんと語った。そんな佐藤さんが4年前社長に抜擢されたから、キリンビールは
> 変わるだろうと考えた。案の定、殿様企業から商売人に一変した。
>
>  社長というのは社外でどんなにぼんくらといわれようが、いったん上り詰めれば
> 絶対権力者となる。そして長期間その座にあれば、どんなに評判の良かった人でも
> ぼろが出てくる。苦言を呈する人は自然と退けられ、社長室はやがてイエスマンに
> 囲まれた楽園になる。佐藤さんは社長室が楽園になる前に住み心地の良かっただろ
> うその部屋を退室し、取り巻きから後継者を選ばなかったからさわやかなのだ。
>
>  ちなみに樋口さんはアサヒビールの経営を軌道に乗せて4年で社長を辞めること
> を決めていた。事情があって6年半の任期となったが、当初方針通り、生え抜きの
> 瀬戸雄三氏を後継者に選んだ。会長になってからは後継者がやりにくいからと言っ
> て本社に部屋を求めず、東京支社に会長室を置いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋下選挙はパチンコ並みの三店方式の解体・・

2012-09-14 12:32:37 | Weblog


三店方式とはパチンコ店、景品買い入れ店、景品納入店の流通関係だが、その流れは、たとえばパチンコ店は1玉4円で売り、交換率が8割なら3.2円で商品を代える、もちろん定価の7割引きで仕入れしたらその利益と、2割が儲けとなる。景品買い入れ店だが、まさかチョコレートや縫いぐるみはかさばるので買ってはくれない。店も阿吽で腐らなくて小さいもの、例えばライター石などを持ちこめば現金に換えてくれる。店では現金に換えられない、なぜなら博打になるからだ。買い入れ店はその商品を景品納入者に売り、また店にライター石が戻る。

出玉計算が間違うと石が足りなくなる、すると納入業者では間に合わないのでコッソリと景品交換所に名目上は借りに行く。これは違法だが、永年この景品交換所は地元稼業(組関係)の仕事であり利権だった。この利権が大きかった。その頃は組組織も羽振りがよかった。

今でも法律では遊戯店である。一台で何十万も出入りしても博打場ではない。しかしこの利権も暴力団追放ということで第三者の仕事となったが店との関係は深い。また遊戯台の認可は警察、プリべートカードの導入もNTTと大手商事会社と警察官僚の薦めであるが、その威力に遊戯店は文句も出ない。セキュリティーと称してテレビ監視、コンピューターなどの強制的導入と清掃やガードマンもその外郭のOBである。

三店方式といわれた方法は現況博打であるが、゛博打ではない゛という言い繕いで形式的には残っているが、稼業から利権が移動しただけのことである。

ことさらパチンコの話をするものではないが、当時は新規の開店をするときに許可を貰いに警察にいくと「話はついているのか・・」と係りからいわれたという。つまり景品買いの組関係者とは話が済んでいるのか、ということだ。新規開店の情報が入ると幾つもの組関係者が出入りして景品店開設権を得ようといざこざが起きることがあった。
それも掟の世界である。あくまで名目上の名称である「遊戯店(ゲームセンター)」の景品交換という民と民の経済交渉であるため警察も表立っては口を出さなかった。













いまは世情も替わり、御上が大手を振って第三セクターならぬ外郭団体を通じてパチンコ屋を管理コントロールしている。なかには退職してパチンコチェーンを経営しているOBもいる。もちろん遊戯機器製造会社も多くの治安関係者が進出している。

そのパチンコ店の多くは朝鮮総連係の在日が占め、近接の貸し金ATMもその関係者が多いという。また警察の外郭にあるパチンコ関係の協賛、協力団体の委託収入は非行問題、青少年育成、防犯団体などの警察協力団体や機関に協賛支出して役立っている。
その組関係からの利権を移行する構図をすすめた当時のキャリアは代議士となり、拉致解決と称して北朝鮮に渡ったパフォーマンスは、その複雑な構図の整理によって培った人脈であることは衆目の知るところである。
(安岡正篤氏を始めとする賢人の督励で行っていた小会(郷学)には向学心のある多くの在日朝鮮系の学徒も参加していた。教育関係、実業家などが古典(東洋史、朱子学)を学んでいた。普遍な学風故に治安関係、官僚、思想家が呉越同船の環境にあり、そのなかに前記の話題もあった)

その三店方式の衣換えは上記のようだが、この三者三様が掟習慣のごとく「話はついているのか・・」と法の世界を埒外にして理解していた社会は、一種のホドのよい環境でもあった。













似たようなものだが、騒がしくなった首長選挙にも三店方式のような申し合わせがある。
それは職員で構成する自治労の存在である。あの大阪市長選のとき職員がこぞって現職の平松氏の選挙に関わっていたと、当選した橋下氏が調査処分している。三点方式の解体である。とくに東京以南が烈しいようだか、リコールをふくめてダイナミックな自治体構想を掲げ、まずは内部改革だと、人員や給与の削減を民衆の怨嗟を背景に、時宜を得た行動を起している。

今までのような首長と議会、そして職員の弛緩した関係を抉り出した彼等の行動は、戦後の日本人風とも言える政治無関心や、゛おんぶに抱っこ゛に慣れた民情とともに、官吏の職域増殖と相まって、いつの間にか税収と給与のバランスが崩れ、しかも官吏の掌に乗ってお手盛り俸給に馴らされ、問題意識も無く形骸化した議会が内部事情を屏風のような隠す手助けをするようになった。
それは組合官吏と議会と市長、まさにパチンコの三店方式に似ている。
勉強不足といってはそれまでだが、質問さえも答弁者である官吏に書いてもらうような愚かな姿は、市民社会とは別世界の宴を食む群れのように映るのは当然でもある。

景気のいい時はまだ無関心でもよかった。あの頃は官吏も有り余る税収をどう使っていいか苦慮するほどだった。元々さもしい根性もあったのか、珍奇な手当てを考え、人事院も大手を振って賃上げ答申を出した。その比較の平均は大手企業の五十人の部下のいる課長クラスの待遇だと聞く。
哀しいかなそれに問題意識も無く惰性の既得権として狎れ親しんだ。
この内患の賊といわれる一群は、「公」の意識を失くして「私」の放埓に入り込んで自省の念すら乏しくさせた。しかも仕事時間に高待遇確保と食い扶持組織擁護の為だとして自治労働組合の専従を看過し、あの法務省でさえ民間がめったに降りないフロアーの一室に法務自治・・を大書した人の背ほどある看板を掲げている。
同フロアーには官房があるが、待遇向上の心底は同根であるようだ。










実直な官僚の呟きだが
「最初は業務の為、つまり公務の為の合理性研究と改善だったが、そのうち政治スローガンが加わり、まるでスト権のあったころの国鉄並みの待遇を主張するようになった。そして組合に参加しいていない職員の電話さえ取らなくなった。更生保護関係の出先では保護観察対象者や少年院退院者が相談の電話が頻繁に架かってくる。それを承知で電話に出ない。中には常識的な組合員が電話に出ると仲間から吊るし上げを受ける。更生対象者のための待遇改善が、自らの待遇の優位性を得るための闘争となってしまった。」

この上級職官僚は日曜早朝には教会に通い、保護行政はその「臭い」を消さなければならないと積極的に民間ボランティアと交流の機会をもっていた。
それを常に登覧して「臭い」にある、ややもすると一部ではあるが、権力側の御用ボランティアに堕していた従前の更生保護委嘱者に危惧の念を抱いていたチャコさん(敬愛を込めて若者は称していた)こと、島津久子さんも若者の問題意識に共感していた。
当時、青年司法ボランティアに集う若者達のお世話をしていた筆者は、その方の転勤先、九州まで尋ねて教えを請うた想い出がある。

有名な逸話だが、福岡市長の進藤一馬氏は仕事が終わると名物の屋台に出入りして市民との語らいを親しみ、市民もその心意気を馴染みとして市政の施策に応えていた。
威や力を備えることは政治において重要な意味を持つことは認知していても、その許容の器と忠恕の実践行動はことのほか慎重さを要求される。彼等はそれを人間の信頼を公に立つ姿として具現することで当然のごとく知っていた。

横道にそれたが、地方自治体の首長選挙に妙な仕組みがある。
当時、首長を応援するのは国政に倣って自民党、公明党の与党だ。対立候補は共産党と社会党の俗に言う野党勢力である。与党が強いところは公共事業、清掃業務などさまざまな利権構造があり、野党も福祉、あるいは扶養援助などの便宜依頼があり、おかしくも固定した勢力図が出来上がっていた。

ともに選挙に後援者や運動員がおこぼれに預かるのだが、なかには日当の出る審議会、協議会委員、あるいはPTAや町会の役員に推挙され悦に入っている体たらくがある。
公共事業は補助金に誘われ箱物管理経費が増大し、扶養手当は財政を圧迫している。

そこにその固定された勢力図を打破しようと従前の与野党の枠から外れた候補者が立候補すると、首長は職員組合組織と談合し、かつその組合組織をベースにしている野党も阿吽で候補者を立てる。もちろん食い扶持保全と面子の当て馬候補である。
ある都内の区長選では、対立候補が退職金の返上といえば、がぶ飲みして連呼する。昔は職域労働組合は社会党か共産党と相場は決まっていた。あの団体交渉のなごりだが、議会与党は自民、公明と相場は決まっていた。まだ民主党が勢いのなかったときのことだが、勢いをつけると地方自治は同じような姿になる。つまり行政の素人が人気投票で当選しても、不慣れな為か事務執行職員の掌に乗っているために起きる姿だ。
国政の民主党もその例に漏れない。













その行政職員だが、今の基準で言えばおよそ課長クラスの年収が議員の俸給だ。つまり、安定的な生涯賃金を保証されたものと、落ちればただの人の立場は集積情報と身分価値を持ったものの方がすべてに優位性がある。格好つけた質問をしようとすればその実証は数値である。しかも

会派控え室をみれば一目瞭然、共産党は各自企業社員の机のように資料を並べ調査研究をしているが、与党は回りに役員クラスの椅子を並べて机もなく、新人がお茶いれ当番をしている。部分調査の算術的総和は行政全体の俯瞰考察にはならない矮小さはあるが、俸給対価が与党の賛成挙手の労務と、調査追及の追求野党を一概に比較できないが、議会の役割としては相対必然の姿でもある。

よく組合には教職員、理事者以下の行政職がある。一方の観方ではこれは左翼勢力だという。その掲げるものは労働者、市民、そして弱者救済であり、時々のスローガンには反核、人権、平和、反戦、があるようだが、こと食い扶持安定、要求確保については一部与党議員のような鷹揚さや安易さはなく、つねに先鋭的に要求貫徹を叫ぶようだ。

与党に後援されている首長は彼らと談合するのである。
スローガンを見れば与党の規制権力と対峙して弱者の味方のようにおもえるが、組合幹部はお手盛りについては仲間なのである。珍奇な名目の手当て、隠れ手当ての確保である。

知らぬは有権者である。
議員とて与野党は恒例になった視察ならぬ慰安旅行にうつつをぬかし、しかも議会職員は旅行者のようにツアー料金を水増しして、一部を土産代にして議員を篭絡している。その毒饅頭を食べたら最後、仲間である。この場合は与野党も呉越同船が多いと聴く。
つまりお手盛りの食い扶持共有である。
景気のいいときは区議会議員でも一人170万の予算で東欧の福祉視察、もちろん職員の強制出張もあり自宅で寝ていた猛者もいる。










首長はその習慣化した毒饅頭を保障し、職員には珍奇な手当てと、議員には便宜供与が通例だ。慣習とはいえ卑しい群れではあるが、何よりも騙されるのは納税者である。

欧米ではタックスイーターとペイヤ―の峻別は厳しい。税を払う人と、それで生活している人の分別である。それを監視するのが議員である。払うべきものを払い、正しい無駄の無い使い方をする立場、それは重箱の隅を突っつく枝葉の指摘ではなく、互いに信頼を醸成する、あるいは信じて任せるものでなければ役割の意味は消滅する。

新たな候補者はこの表層では峻別されているように見える、職員、与野党議員、理事者の共通既得権である安定食い扶持と闘わなくてはならない。だが何れ欲望には同化する。
橋下氏はここに切り込んだ。山賊の酒盛りに乗り込んだようなものだが、追従者はカメレオンのように色変わりが得意な連中のようだ。

標題にある三店方式であるが、警察は権力で確保した。標題は暴力団対策と健全娯楽である。これとて効果は挙げたが、どこか苦いものが広がっている。パチンコ店のトイレ自殺が増え(白書では自殺数にはない)、出し入れは一台数十万にも達し、官吏庇護の博打場のようになった。しかも法的には遊戯店だが未成年は入店できない。

昨今はすべてを蹴っ飛ばせとばかり、大阪、名古屋で孤軍奮闘しているが、青年の意気も足下が危うい。あの更生保護の青年司法ボランティアでさえ、一部には「御上御用」をひけらかし、四角い感謝状を待ち望む老獪な青年が「臭い」を発していた。すべての対象は不幸にして縁薄く非行を犯してしまった次代の後輩であり、四角い紙や褒章など一生見ることもできない子供もいる。。

パチンコならずとも三点トライアングルは、使うものにとっては姑息で卑しい姿を露呈する。政官財の構造、あるいは母と父の間を器用に泳ぐ子供もそうだろう。米国と中国にカメレオンのように蠢く外交も同様だ。

それぞれが欲望を喚起する「臭い」がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする