まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

東条英機と積善の宿

2007-12-06 16:10:57 | Weblog


上毛の湯宿は伊香保、草津など全国的に名高いものが多い。その中でも湯治で名高い上野ノ国 四万温泉には古くからの旅館が軒を並べ、今でも都心からの湯治客を多く招いている。
病気の回復治療や、近在の軽井沢より以前に拓けた避暑地として、政経人、文士などが、清流や川面を渡る風によせて一刻の思索と風雅を愉しんでいた。

病は気からというが、地中の陰気を含留する温泉と地上の陽気が、山間に寄り添う大小の木々の間をわたる爽やかな風に調和して浮俗の邪気をとき放してくれる

奥まったところに積善館という宿がある。宿の名前からして、さぞ創建者の教養は素晴らしいものであった事だろうと想像する。

善を積むことは、不特定な利他への貢献に加え、子孫に大きな恩恵を遺すことは我国の道徳的行動規範の徳行として、戦前の教養には欠くことのできないものであった。

゛善とは何なのか゛などと、文字の前提理解で留まってしまうような、いまどきの教養とは異なり、諮りごとなど微塵もない自然界の小宿だからこそできる積善の作業だったに違いないと察するのである。

本館上手の山荘には贅を凝らした部屋が並んでいる。贅といっても華美ではない。
積雪が豊富なせいか屋根は亜鉛葺きで軒も長めに突き出ている。
部屋は書院と床の間が大きくとられ、角部屋の回りには畳廊下を隔てて雪見障子が二方を囲んでいる。
欄間は銘木の透かし彫りの唐模様、玄関の上がり間と居室には直径三尺ほどの円窓に竹が組み込んである。

この部屋の独り客人となったのだが、聞くところによると開戦時の総理大臣東条英機氏や後藤新平の常部屋だったという。先晩、お孫さんの由布子さんと英機氏を話題にしたばかりなので妙縁を感じざるを得ない。どうも寝られそうもない。あの戦争の開始と終結を拙文に記したばかりであることと、某新聞社の依頼で出版の勧めが現在あるのも手伝っているからだ。
帰郷後は専門家との対談も予定に入っている。

なんという巡り合わせなのか、しかも独りで静寂のなか清流の音だけが耳に伝わる
あの当時の日本に倣って、いまの日本を取り巻く暗雲と、その行く末を考えてみたい。
コメント
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