台湾の大使館にあたる台北駐日経済文化代表處は家族的雰囲気で訪れる人を迎えてくれる。
正式な国交がないため台湾外交部(日本の外務省にあたる)の亜東関係協会の対外機関として日本との関係交流に努めている。
あの東日本の被災の際しての積極的貢献、便利になった羽田、台北松山の直行便、在留華僑の援護など、日台交流の交渉調整役として欠くことのできない窓口である。
港区白銀台にある代表處に入ると右手の受付カウターから「ニーハオ」「いらっしゃいませ」と歓迎の言葉が心地よい。その声の主は楊桂香さんという美麗な女性である。
現地(日本)採用のために外交官任期にかかわらず、かれこれ十五年、いや二十年近くかもしれないくらいの勤務だ。それゆえ筆者の多岐にわたる依頼訪問に的確なアドバイスをしてくれる。カウンターに彼女がいるだけで安心する訪問者も多いと聞く。
楊桂香さんは多くの台湾事情に関する案内を送信してくれる。それは多くの関係日本人の理解を深め、より浸透された人間関係の構築に善良で実直な影響力を与えている。
以下は、彼女の情感と、異なることへの理解、そして寛容と許容量の表れた文章である。そこには強い意志も感じられる。
それは、台北の高齢者施設に通う戦前の台湾高等女学校卒業の女性の日本語の語りと仕草に似て、現代日本人に問いかける「忘れずの情感」のように感じた。
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台北中山記念小学校 生徒が取り仕切る朝礼
出水芙蓉―蓮花 楊桂香
憶曩昔,甫抵東瀛之際,原本以為:同樣是使用漢字的國度,思惟理念、價值判斷應不至大相逕庭的一廂情願淺薄想法,在一次次與日本人的交會中,徹徹底底地被顛覆了。
日本に参った間もない頃に、同じ漢字圏であるから、考え方や価値観に大した落差がないかという私の一方的な甘い考えは、数々の日本人との交流において見事に翻されてしまった。
記得是乍暖還寒的四月天,我著上一件嫩粉色,鑲滾細金邊的小鳳仙裝,表演完交織吟、揉、輪等繁複指法的快板『陽春白雪』後,許是因與邊低沉吟唱,邊以撥子輕攏慢撚的平家琵琶韻味截然不同,司儀十分好奇且笑盈盈地央求我示範一下指法,同時耳輕柔地詢問:日本人喜愛粉紅的櫻花,楊樣穿著粉紅服裝,是否也雅愛春櫻呢?
確かにまだ肌寒いある年の初春に、淡いピンク色の絹生地の演奏服で、私が宛もギターを弾くような技法を駆使し、『陽春白雪』という極めて早いテンポの琵琶曲を披露した。きっと低く唸りながら滔々としたバチ捌きである平家琵琶との趣が違うためか、司会者が興味津々の表情と笑顔で私に演奏法を尋ねると同時に、耳に心地良い声で、「日本人は桜がこよなく愛します。楊様はピンクの服を着ていますが、やはり桜がお好きなのですか」と質問をしてきた。
時隔數載,受到日本文化洗禮後的我,若是現今,該會顧及司儀的立場,含蓄且委婉地回覆自己想法吧?然則彼時,我竟左右晃頭、直截了當地表示:不﹗我對蓮花情有獨鍾。那一瞬間,我發現司儀原本洋溢陽春的的笑靨,霎時變成愕然的神情,我倆之間的空氣竟仿若白雪般冰寒…。
数年が経ち、日本文化の洗礼を受けた今の私なら、彼女の立場を考慮し、建前を使った返事をしたが、あの時、私は「いいえ。私は蓮の花に思い入れがあるのです」と言下に否定した。その瞬間、私はあの春の陽光のような笑顔を称えた司会者の表情が一瞬にして俄然な表情に変わり、2人の間の空気はまるで白雪のような冷たさとなったことを今でも鮮明に覚えた。
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孩提時,祖母、母親常會教導我們:貌美端莊為何因?前世鮮花供佛前。並加以說明:這花指的就是蓮花。美人的比喻方式雖有國色天香的牡丹,雍容華貴的芍藥,但都不及芙蓉如面柳如腰來的親近。牡丹、芍藥兩者嬌豔雖好,多生自富貴人家,身為女人若是面容粉嫩如芙蓉,身材纖細如楊柳,就是平常人家婷婷玉立的美人了。
幼い頃、祖母や母親は私達に厳しい躾をし、更に「私達の祖母や母親の代から、美人の例え方としては鮮やかでおっとりとした美しさを持つ牡丹や芍薬があるが、それはお金持ちの家のお嬢様に匹敵するものです。百姓の女性として、容貌は芙蓉のような笑顔を持つ上に、柳のようなしなやかな物腰を持てれば無敵ですよ」と付け加えた。
由於芙蓉不多見,蓮花倒是尋常可見,因之自然而然地被視為是芙蓉的姊妹花,再因其成長水濱,便冠以美麗的『出水芙蓉』專稱了。
芙蓉という花は滅多に目にすることは出来無いが、夏となると蓮の花は随所に見かけることができるためか、いつしか水辺に成長する蓮の花は芙蓉の代名詞となり、『出水芙蓉』という美人を喩える固有名詞までとなった。
東瀛的蓮花則似乎不如此備受愛戴,在經歷過那次冷場的尷尬事件後,我戮力了解當時瞬間天地變色的原因。終於,在一家花商的娓娓說明下,我才恍然大悟:原來,在日本蓮花鮮少拿來當插花素材,多半僅在盂盆蘭節時,寺宇用之來供奉彼岸靈魂, 換句話說蓮花幾乎是與彼岸、佛寺畫上等號的。
それとは裏腹に、日本の蓮の花の境遇は聊か様子が違う。あの気恥ずかしい事件の原因を突き止めるため、私なりに調べることに勤めた。果たしてある花屋さんによる丁寧な説明で、私はようやく悟った。元来、日本では蓮を花道等に用いらないばかりか、盂蘭盆会の時にのみ、お寺が彼岸の供え物として使う。つまり、蓮の花はお彼岸や仏事とイコールなのだ。
回想起來,那位用心良苦的司儀,一定是萬分詫異:花樣年華的這位外國人,為何偏偏會愛上象徵無常人生的蓮花吧?
思い返せば、あの気配り上手な司会者は驚きを感じたのも無理が無い。まだ花盛りのようなこの外国の方は、どうして人生の無常を象徴する蓮を偏愛しているのだろうかと。
雖說如此,時稍事翻閱日本古寺巡禮書籍,襯托古剎靜謐威嚴的美景有繽紛櫻花,胭脂楓葉,彷彿柳絮因風起的白雪紛飛,而蓮花綻放的寺宇景象卻微之極微。倒是約莫十二年前的中元盛夏,造訪京都宇治萬福寺,意想聆賞僧侶精心保存的360年黃檗梵唄。猶記得踏入山門,順著石路走往大雄寶殿,炙熱的艷陽天下, 卻感到徐徐涼風拂面而來,碩大而油油的蓮葉,與令人賞心目的蓮花仿如笑吟吟的美人向訪客招手。眼前景象,讓我不禁想問道:隱元禪師東渡長崎、京都,也將愛蓮的文化併同黃檗教義傳承當時的江戶嗎?
とは言え、日本の古寺巡礼に関する書籍をめくると、古刹の荘厳な静けさと美しさの中には咲き誇る桜に始まり、口紅色並みな紅葉、風で舞わせる柳絮を彷彿とさせる白雪はあるものの、蓮の花で引き立てる寺の景色は極めて少ない。12年ほど前の盂蘭盆会の時に、僧侶が心を込めて360年間も守ってきた『黄檗梵唄』を拝聴しようと思い、京都の宇治にある万福寺を訪れた。山門にひと足踏み入れ、石畳の参道を雄大な本堂に向かって進んで行くと、炎天下なのに、涼しい風を感じた。何と大きくて瑞々しい緑を湛えた蓮の葉と、人の心を満たし、目を楽しませる蓮の花はまるで綺麗な女性が笑顔で参拝客を快くもてなそうではないか。目前の景観に、私は思わず「隠元禅師は長崎、京都を巡られ、蓮を愛する文化
を黄檗宗の教義と共に江戸時代の日本人にも伝いたかったのでしょうか」と尋ねた。
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蓮花亦稱荷花,蓮根又名蓮藕,蓮花節籽,曬乾剔除色苦芯便稱蓮子,蓮花、蓮葉上下均可入畫、入食、入文,不拘身分、名位,各行各業的人都能在蓮花的身上尋覓到自己的安身立命之道。故宮有南宋出水芙蓉畫作,老饕以蓮葉包裹糯米,清蒸可口的『荷香糯米珍珠雞』,據說駐顏有術的慈禧太后則是特別青睞『冰糖銀耳蓮子羹』,而描述蓮花脫俗的周敦頤『愛蓮說』則是老少均能朗朗上口的膾炙人口經典之作。
蓮の花は「荷花」とも称され、「蓮根」または「蓮藕」とも呼ばれ、ハスの種は乾燥した後に緑色の苦い芯を抜いて「蓮子」と言う。蓮の花から蓮根までは墨絵になり、食材にもなり、文学作品だって引用される。身分や地位に関わらず、どんな人でも自分を蓮に置き換えて自分に合うライフワークを探り出すことができる。故宮博物院に、南宋の『出水芙蓉』という墨絵があり、食いしん坊が蓮の葉で美味な「荷香糯米真珠鶏」を調理したり、あの美容に関心を寄せる「美魔女」の西太后も「冰糖銀耳蓮子羹」に特に目が無かったという噂も飛び交い、蓮の花を描写する周敦頣の「愛蓮説」は老若男女に膾炙したアカデミックな名作になっている。
四月十九日聽聞NHK一篇溫馨感人的報導:岩手縣廳為回報在311震災慷慨出援手的台灣,特別餽贈予岩手世界遺產『中尊寺』所尋覓到800年前、現今栽培有成、象徵復興之光的『中尊寺蓮花』。
4月19日のNHKニュースで、心温まる報道があった。岩手県庁が東日本大震災に暖かい手を差し伸べてくれた台湾に対し、中尊寺が800年間絶やすことなく守り、復興の象徴として輝く「中尊寺の蓮の花」を特別に株分けするというものだ。
台灣人何其有幸?﹗竟然能近距離觀賞到800年前就已經綻放,而今千里迢迢跨國而來的世界遺產、名勝古蹟的蓮花﹗相信就在明年夏天,綻放笑靨的『中尊寺蓮花』,同樣也會帶給台灣人溫馨且象徵希望之光的安身立命勇氣﹗
台湾人は何て幸せであろう!800年という遠い歳月を経た今も咲き綻び、千里の道を、国境を越えてやってきた「世界遺産」にあたる名所旧跡の蓮を目の当たりに見ることができるから!来年の夏には綻びほほ笑む「中尊寺の蓮の花」は台湾人にも心温まる希望の光の象徴として勇気を与えてくれることを信じている。