まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「八百長」寄って たかって  11. 2/6 あの頃も

2017-12-26 10:05:59 | Weblog

 

直にして礼なくば則ち締なり

いくら己れが理があり正しいと思っても、他との調和(礼)がなくては、いずれ自らの身を締めることになる

締める……自由を失くす

 

野次馬は「寄って、たかって」

また相撲が騒がれている
切り口の違う食い扶持立場の論が飛び交っているが、成文法を基とする総理までもが言い繕いのコメントを述べている。つまり八百長は悪とのことだ。
口を反すような騒ぎも同じようだが、機密費を政治記者や評論家にばら撒き、与野党では忖度談合が浜の真砂のように絶えることが無い彼等のことである。

八百長はテレビや新聞も大声で非難できない。
江戸の瓦版根性が抜けず、販売店への押し紙と称して部数をごまかし、広告費を掠めることを八百長といわないまでもパワハラ恐喝詐欺である。官吏に電波利権を握られ、最も大事なことを伝えず、お笑いとグルメに堕し、広告主から縁故採用などは八百長ではないが公的立場を付与されたものの便宜供与である。社内コンプライアンスで臭いものに蓋をするかのように社員の自縛を推奨することが、公器と冠された企業のすることか。

エジプトの若者の鬱積のもとは、まさにこの状態を指しているのである。

百歩譲って、内なる掟、習慣は表に出れば成文法(法律)に晒され、弁護士やコンサルタントの餌食になることは先刻承知のはず。ビロウなことだが、男女の房中の秘めごとや家中の習慣性や決まりごとも表の平準化という虚構に晒されれば、変態、異常になる。屁理屈ではない、己に降り掛かればそうなるのである。ならば内なる行為は総じて非難されるものなのか、ことはその世界を見るものの分別、峻別なのである。

公私の問題であれば「公私の間」の弁えに人は信頼をみるのであって、私的な内なるものの無謬はことさら騒がれることは無い。ただ、嫉妬は別物である。




                 






相撲界をみれば、まさに内憂外患である。
子供の悪態に難渋する親心も、外に出れば親の躾け方が悪いと私的事情まで穿り出される浮世であるが、吾が身を探られたら世の新しい趣向が騒がれるまで、止め処も無い他人の悪態に晒される。相撲界の親方と弟子、家庭の親子、夫婦と様々な相対もあるが、官吏、政治家、国民の三角関係は「生涯賃金」「利権名誉」「おんぶに抱っこ」と、どれかが譲らなければ解決できない混沌とした状態だ。

とくに官吏の組織と法の庇護は垣間見ることができないくらい複雑な伏魔殿の様相だ。
裏で何が行なわれているか、まさに秘匿の掟と便宜供与の習慣性である。
そもそも、法律では括れない問題でもある。

だからガス抜きのように、時おり噴出すれば騒ぎ立て、狡知に長けた官吏から「証拠があるか」と反発され、ただ騒ぎ立て、飽きれば鎮まるのだ。とくに諸外国のように大衆運動によるデモ、動乱にはならないのは気概のなくなった個別の人間の問題もあるが、彼等、官吏の身分によって構成され、安逸とした安定食い扶持に堕した総体を「国」と仮借して、法を盾に国や社会という名目を護持する治安組織もその一群であろう。

ことは国家の八百長や詐欺のことではない。

法人といえど、営利商業興行の雇用力士同士の連帯と調和の種だが、前記の群れ同様に倣い続いた日本人の情緒では口角泡を飛ばすことでもなかった。
国会でも大の大人が「泥棒」「詐欺」「八百長」「脱税王」と、互いを悪しざまに熟議?をしているが、慣れ親しんだ怠惰な抗論は国民の嫉妬や怨嗟の解消の一助になっている。
それが、国会であろうと内なる掟や習慣と認知している国民の諦観でもろう。

表に出れば第三者の非難に晒されることは、何処にも誰にもあることは分かっていた。
それは、「相撲という世界の話」だからだ。それは稼業人と素人やカタギという分別でもあった。それは相撲に親しんだ者たちのホドのある見方だった。
なぜなら、常人と違う大男が裸にフンドシ一丁でぶつかり合う見世物をみる表世界から遊離した遊びであった。試合やスポーツでとは考えなかった

ただ、近頃は芸人もスポーツも金になり、それに憧れるものは浮俗の見世物へ妙な想像と観念を抱くようになった。それは営利興行にとっても都合のよい受け入れ基盤でもあり、また、それに合わせるように相撲界も変質して世情の虚構軽薄に沿うようになった。
それは彼等の懐具合を潤おすことになった。










               






稼業の話だが、鳶の古老が
「あくまで旦那がいて俺達がいる。ちかごろは半纏も着ずに背広を着て御上から褒美を貰うようになると、ドッチが旦那かわからなくなってきた。江戸時代からの火消しは身体を張った稼業ゆえ、世間と違った掟があった。それは侠客のそれに似ているが、あくまで稼業違いは峻別している。ある意味では旦那衆を支える裏稼業でもある。だからドブさらいや塵芥の片付けも頼まれれば出かけていく。たが、一旦火事にもなれば、女を抱いていても、好きな博打の最中でも飛び出していく、だから世間はある意味別世界の人間たちとしてみていたが、やんちゃをしても蔑まれることなく生きてこれたのだ・・」

食い扶持や懐の具合は其々だが、いちいち世間から言われたくは無い。たとえ梯子に乗ったり、曲芸紛いに見える技をするが、そのときは近頃の風呂屋ではご法度の刺青も大手を振って魅せられる。役人もお巡りさんも拍手してみている。旅行に行けばチンチロリン、花札は付き物だ。御法では博打だ。赤半纏を着て素人には分けもわからない木遣りを詠っているが、表の形式では相撲と一緒で女は穢れだ。今どきの法からすれば御用だが、うちらが昔から繋げている義理や人情やオトコのヤセ我慢は「粋」だとか言って面白がっている世間だ。替わった物、妙な風情が無くなったら、つまらん世の中になる」

その世界、つまり「界」は分別として棲み分けられていることがよく解る古老の語りだ。

「女が土俵に上がれないと女の大臣がケチをつけたが、御法との境もわからなくなったから覚悟も無い素人がバッチをつけるようにもなったのだ。あそこも特別な場所なんだ。だから矢鱈ご政道には口を挟まないのが、ワシらの生き方なんだ」

なにも御法で括って駄目だと野暮な連中が言うなら、途切れるのは惜しいが辞めるだけだ。あとは知らねぇこった」








               

               白神




あの江戸時代でも士農工商という身分があったが、相撲はどの位置にあったのだろうか。
一昔の横綱の立ち姿は刀剣を持っていたから武士なのだろうという声もあるが、神事の五穀豊穣祈願に厄を祓うために神楽が刀を持って舞うのは農民である。奉納土俵入りも太刀持ちを随えて拍手(かしわで)にある大手を広げて神招きの神事を行なっている。もとろん四股を踏むことも大地の神への鎮まりの祈りである。

五穀豊穣は天と地と人の勤労を添えて「産む」ことでもある。結婚の「結び」は神道では「産霊」と書き、その意としている。相撲にもどれば古話にタイマノケハヤとノミノスクネが神事を行なったとするが、当時は談合の調和だった。ガチンコで争って血でも流れれば、それは穢れである。忌まわしいことだった。

つい最近までは横綱の免許は吉田家の専権だった。いつごろからか相撲は国技と称するようになった。日本だけではないモンゴルもその意味では国技として親しまれている。国技は、国ひとの国戯、つまり習い覚えた戯れなのだ。
あの勝ち誇って両手を挙げて舞う姿は朝青龍が賞賛を受けるときに、その倣いを観ることがある。褒美は羊であり我国は米だった。

一方はモンゴル帝国の末裔だが、当時でも戦争がなければ遊牧民である。日本でも普段は農耕の民であり戦いがあれば足軽となって武士を凌ぐ戦闘をしている。相撲も神事と格闘技の両面を具えていた。いや、その境を云々するが、当時は曖昧ではなく迫真ともいえる姿だった。

これが神事例祭の街場における談合花相撲興行から商業相撲になると税金の投網にかけられるようになる。当時は運営者の縄張り場代である。それが体裁もあったのか掟や習慣によって成り立っている相撲興行を税の恩典を得るために法人化すると、関係法の適応が求められるが、最近の世情の覗き、嫉妬、怨嗟の対象が、風容異質さゆえの相撲界に、コンプライアンスという流行ものを盾に騒ぎ立てるようになった。

以前はプロレスも談合があると騒がれたが、あくまで私的興行団体ゆえに騒がれることもなければ、検察OBやマスコミの大物を屏風にすることはなかった。
世間は髷を結った大男が麻薬や八百長の発覚にうろたえる姿を恒例のイベント風に見るようになってきた。発覚と書いたが裏から表に出たまでのことだった。ことは、余りにも大げさに騒がれるために気を向けるのであって、まともに考える余裕のないご時世ゆえ、内心は、゛一時の大人げのない騒ぎ゛とも思っているのではないだろうか。






              

               岩木




政治家の宴や官製イベントにモノ珍しいゲストとして力士を招き小遣いや祝儀を渡すが、彼等の『ごっつぁん』に仔細な税を問うものはいない。問うことは野暮なのである。

野暮といえば、敢えて監督官庁も棚に上げている八百長や談合もある。中曽根臨調とい行政改革があったが、財団、社団と称するものが、それまでの数十倍増殖して目の届かないところで国費補助金の浪費が堂々と行なわれるようになった。また或る官庁では課長は五箇所の天下り先を増設する狡猾な技量が求められるという。これは八百長臨調と言って憚らないOBもいる。

これは「法律に基づいた・・」という談合であるが、彼等の世界では掟と習慣に基づいた陋規(狭い範囲の職域などの陋法)であり、憲法を元とした法律や公務員法にその遵法規律にはない。いや、表に出ても犯罪にはならない。摘発すべき治安官庁も同類だからである。
掟や習慣であるゆえに、同類は舐め合うとするなら、相撲界のそれは騒ぐに値しない

騒がれても、軽薄になった政治家を手玉に取る連中は「カエルの面に小便」と装える狡知がある。しかし身体が大きいからと童心が残る世代で入門し、退いてもその世界で営みを持ち、終生尽力する力士にはその狡知はない。まわし一本で禄を食みオトコを上げる力士の、そのフンドシであるまわしを取り上げ、善いか悪いかと突き詰めて何か世のためになるのだろうか。

真っ当な警察官も裏金領収書を書かなければ晒し者であり虐めもあろう。それは上司の命令ではなく習慣の倣いとして大方は看過している。たとえあっても、それ以上に善いお巡りさんになって欲しいと願っているのである。表裏とはそのようなものだ。たとえ理不尽だと思っても掟に随わなければ疎外されるのは力士も同様だ。
おおよそ体育会系は先輩に愚直である。そうでなければ警察官も力士もヤクザにもなれない。ある大学の同窓会に集まると呉越同船で、関取になった、警部になった、組を持ったとイカツイ男たちが破顔談笑している。みなその世界に生きている。
中には東大法学部出身の検事が同級生の巨悪といわれる政治家を逮捕して、先輩裁判官が裁き、弁護士は検事と同級生だと笑えない話がある。みな事件という雲の世界の「出来事」で食っているのである。

翻って八百長が賭博に関わっているという疑惑がある、・・・という。
この世界も損得承知の上だが、ことは暴力団の資金源となっているという。
近頃は、博打を稼業とする博徒、テキヤといわれる紳農組織もシノギという稼業収入の境がなくなり表稼業にその道を求めるようになったという。

この稼業にも掟や習慣がある。
「強きを挫き、弱きを援ける」が、この稼業の生き方であり華だった。
いまでも多くの侠客といわれる人はその気概をもっている。そして裏稼業と自認している。ただ、表に出たために裏では普通だが、表では受け入れられない異質なものとして疎外されているのだ。ひと繰りに暴力団と忌諱されるが、これは表の用語である。

次郎長や国定忠治、御用十手持ちの岡っ引き親分や人の好い三下奴は日本人にある残像だが、「ふと」と称する貰い下げ不処分のような人情の潤いとしての頓智はなくかすれている。つまり四角四面の表だけでは社会は動かないことを庶民は理解しているのだ。大岡裁きや遠山金四郎の刺青も歓迎されているのもそのせいだろう。

もともと庶民には法規は無かった。
水戸黄門の印籠は超法規ではなく、武士の陋規である身分の分別維持の為に欠かすことのできない敬重(畏敬)という形で繕う武士組織参加の許意のようなものだ。
年貢納税や一揆、あるいは押し入り、殺人などの凶悪犯以外、工、農世界のその地域なり組織を緩やかに維持してきた掟や習慣には立ち入らなかった。それを司ったのは名主や地主、大家といわれる地域の長(おさ)だった。もちろん義心ある侠客もいた。

それが、医者、校長先生、お巡りさん、に替わり、いまは弁護士であり、最近はパソコン情報となったが、落ち着きの無い社会の騒がしさは増大した。
それは、人から人へ倣うことが無くなり、教師も経師教員となり人間の師となる「人師」がいなくなり、学校も単なる安定食い扶持の保障機関と成り下がった。
※「経師」とは、紙に書いた記述を読む教員

表の揉め事は警察が担い、政治家が欲の交差点を合議という言葉によって調整した。つまり裏の陋規に対して、清規である法律によって表の社会を治めている。ただ、前に書いた表の社会の職域なり各組織にも、垣間見ることもない内面には法には馴染まない掟や習慣がある。これが表に露見しなければ、その陋規は守られる。また露見しても力関係で不問にもなることがしばしばある。それは棲み分けであり阿吽でもある。

阿吽とは「天に唾」して己の内面を探られたくないための頓智でもあろう。力関係とは忖度する関係と理解すればいい。

そこで八百長だが、認可法人の理事長が管轄文部省の政治家(政務官)にお詫びに行くという。総理大臣まで国会で事件を語っている。いまはギスギスしているが与野党国会こそ出来レース(八百長)を国民に見せ付けてきたところはないと考えるが、如何か・・・
いつの世でもそうだが、「下は上を見習う」中国の古語に借りれば、
上下こもごも利を獲れば、国 危うし」といっている。





              






生身の世界の裏表が混交混濁した世相であり、秘匿したものを敢えて引っ張り出し、寄って集って、しかも口舌稚拙な老齢な大男に頭を下げさせる日本人の情緒はどうなっているのだろうかと心配になる。

「分」を声高に叫ぶが「分際」の分別も極みもなくなった。
暴力団といわれて久しい彼等も侠客と讃えられたときがあった。吾が子の祝儀にも立場を控えて出席しなかった人物がいまでもいる。棲む世界は違うが、表裏を峻別した傑物が存在する。官吏が民の世界にパラサイトのように巣を増殖しているが、庶民は幾ら目隠しをされても官の裏世界を知っている。なぜなら、今どき彼等の身分となった立場の内部陋規と民生社会を峻別しているからである。

だだ、食い扶持が乏しくなったから安定職である公務員を目指しているのである。
生涯賃金を計算して金持ちになるのは官吏がいいと思っているだけなのだ。
だから相撲界同様に認可法人である私学校に大金を寄付したりして商業教育に吾が子を投入したり、監督官庁の官吏の専権に便宜を願ったりするのだ。

あの時、力士会の長である横綱の白鵬の姿と心情を忖度かつ感動して、陛下みずから書簡を下した。その関係のもとにある忠恕と期待は大仰に騒ぎ立てる一群の罵声にかき消されている。

相撲界は表の清規である認可件と優遇の監督下には馴染まない。認可を取り下げても充分運営ができる組織ができる筈だなにも相撲は「そうゆうもの」としてのみ見るものではないが、先の陛下と白鵬の逸話に、「のこった、のこった」が光として期待できるのである。

法に照らせば悪いものが鮮明になる。国会議員のように法の裏技を使うことを見習うことは無いが、掟や習慣性を問われるなら、それを以って維持できた効も論じなければならない。要は表裏に照らしても共感する問題はあるということだ。その中で論外のものを穿り出して騒いでも論外は「理」に値しない。

書き重ねるが、日本人の表裏に共通して涵養され流れている「理(ことわり)」、つまり情理を毀損するものを除外することはもちろんだが、その情理を感性で自得し体現し、その良なる基となる陋規を納得した異民族の白鵬という長(おさ)に対し、その姿に普遍な情理を観た陛下の忠恕は国民に向けた「考え方」「観方」の促しであると考えられないのだろうか。

相撲にコンプライアンス、どうも腑に落ちない感じがする。
ここは政治家、官吏という表にも馴染まなくなった関係を返上して、純で善なる陋習の在りようが如何に生活実利に必須なものかを肉体化した精神で具現したらどうだろうか。
力士達が見習うべきは、自らの鏡となるものを自得した群れの長(おさ)であろう。

熱狂と偏見が過ぎ去った後、鎮まりの中で正邪の判別を問うべきだろう。
ときに土砂降りのような罵声に低頭して、木鶏のようになったらいいだろう。
罵声は、ときに寝覚めの悪い情態と、苦い汁を己が飲まざるを得ないことになるだろうと、日本人なら判るはずだからだ。

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明治淡交録  陸羯南  秋山真之 園朝  次郎長 原敬

2017-12-11 07:26:01 | Weblog

 元新聞記者、司馬僚太郎氏が書き遺そうとした人物に明治の言論人陸羯南がいる。
 遠く懐かしい明治の人物論ではなく、「坂の上の雲」ある国家,国民という呼称創成の時代に,日本国及び日本人を『日本』という新聞言論を通じて政治、文芸に影響をのこした傑物であり、あの伊藤博文をたじろがせた言論人としての独特の矜持を顕示した人物でもある。
 それは、いまどきの口舌や文筆で営みをするものにとって、近寄ることさえできないような眩い対象でもある。

 自分は何の為に存在し、他に対してどう在るべきかは、第四権力と称される新聞マスコミに携わる者の問題意識に大きく影響することでもあるが、大前提の゛食ってゆく゛商売゛が大きな位置を占めてくると情報伝達も歪められ、ときには架空表現を伴う場合がある。

 しかし、そこそこの書き手や話し手の謬をあげつらう大衆遊戯には程よい類だが、こと、対象の多面性と一面性、根本的と枝葉末節的、現世の浮俗価値と将来価値の錯誤となると社会の流れや風といった歴史のうねりを誤った方向に誘導してしまうことになってしまう。
゛どうするか ゛といった類の論調が多いなかで、多面的,根本的,将来価値を大衆の習慣思考の前提においた「ささやかな教示」が渇南の言動にはある。 そして明治人特有の「人間を育てる」行動も羯南という人物から学びとることができる。

 また、驚くべき多面な人間関係とそのエピソードは、市井の健筆久坂総三氏の「明治粋侠伝」にその記述を見ることができる。
主人公は会津出身の天田五郎という青年と山岡鉄舟の出会い、その縁で清水次郎長の養子となり、あの「次郎長伝」を漢文で表し、後の広沢虎造によって一世を風靡した東海遊侠伝の原作者でもあり、晩年はやはり鉄舟の促しで京都の禅寺に入道し、愚庵と名乗っている。

 この風変わりな天田五郎の無名であるがために研ぎ澄まされた感性を、鉄舟、次郎長、原敬、陸羯南などか総じて可愛がったエピソードがある。明治は人物観に添えて洒落と人情がある。天田五郎を取り巻いてその動向を一喜一憂する妙な同志的結合がそこにはある。
 
 山岡鉄舟と侠客次郎長の縁も面白いが、正岡子規、三遊亭円朝、落合直文、原敬、羯南がおりなす幕末明治は、出自、門閥を問わない闊達な人間交流があり、それが、たとえ無名であっても人物を見抜く慧眼があった。それはごく自然の男の情であり、それが熱情や烈情になり、ときには奇女相手の交情にも真剣になる生真面目さがあった。

 羯南の筆は単なる批判ではない。観察の座標軸がぶれない。各々の立場にあるものが、そもそもの役割と乗り越えてはいけない部分に対して鋭角的に筆峰を向けている。それは政治家はもちろんのこと、言論人、記者、教師にも向けられる。

 司馬氏の観察に羯南が創った「新聞日本」の新入社員の採用についての記述がある。
 羯南が採用したなかに正岡子規,長谷川如是閑など、いまどきの採用試験ではまず合格しないような人物がいる…・子規がいなければ江戸以来,電池の切れた懐中電灯のような状態だった俳句も…・・

 孫文とともに辛亥革命に挺身した山田兄弟も弘前市在府町、羯南の真向かい家で育っている。兄弟は幼少より大陸雄飛の志を「薫醸の学」として学んでいる。
羯南は「これからは外国だ。とくにシナだ」と兄弟に海外飛躍の夢を描かせ、兄弟を辛亥革命に挺身させている。
 
 羯南自身も山田の叔父で東奥義塾の創始者である菊池九郎や、吉田松陰との交流があった儒者、伊東梅軒の薫陶を受けた弘前に育った独特の学風を繋いでいる。
 菊池九郎は南部水沢の後藤新平の師としても有名だが、後藤と同郷の原敬との縁も羯南にとってはごく近しいものであった。

 正岡子規も山田兄弟も活躍場面は異なるが,渇南のかかわりを持った人物に関する観察は、人間とはどうあるべきか、という知識技術の習得の大前提としての人格の至る「資質」にみることができる。

 ここに面白い縁がある。
 四国松山は道後温泉で代表される古い歴史をもった町であるが、あの「坂の上の雲」の主人公である秋山好古、真之兄弟を育んだ地であり、正岡子規も深い縁をもっている。
 前記、陸羯南に訓導され、その一身を中国近代革命に献じた山田純三郎は、その書「国おもえば国賊」に秋山真之将軍のことを記している。











 余談だが、
 近年アメリカで発見された資料に、対支二十一か条に関する記述がある。
起草は秋山真之、署名は孫文、山田純三郎、陳其美、小池張造がそれぞれ中国側、日本側として署名されている。
あの、袁世凱に突きつけたとされている対支二十一か条であり、中国側からすれば国辱とされた文章である。
 それが亡命先であった頭山満邸の隣家貝妻邸の一室で署名されている。
まず山田が入室、しばらくして陳其美が招かれ、署名後、まず陳が退出して、その後山田が退出している。山田と孫文はそのような関係にあった。

 その山田が秋山将軍について語っている。
それは、あの日露戦争において陸の児玉、海の秋山と謳われ、対馬沖海戦において村上水軍の古記にある敵前回頭(T字戦法)を執った主任参謀としてあまりにも有名となり、その後の将軍の動向が華々しい武勲と比べ、少々影が薄くなったとの評があることについて、山田なりの秋山の意思を語っている。

 それは以前、孫文の指令で満州工作に行ったときのことである。
 山田、丁人傑、石岡という日本人名で同行した蒋介石、山田は蒋介石にとって革命の先輩である。協力できるという満州の有力頭目のハナシがまるでデタラメですべて騙された三人は、犬塚満鉄理事、外務省小池張造、秋山真之に向かって「すっかり騙されました」と、顔を真っ赤にしてうなだれる蒋介石の真摯な姿にうたれ、「こんど何かあったらみんなで協力しよう」と誓い合ったという。

 戦功ばかりが取り上げられる秋山だが、山田は言う、「秋山さんは中国革命を成功させ、日支提携してアジアの再興を図ることが、つねに頭を支配していた」

「海戦の構想を立てるに参謀室に閉じこもったり、奇行が取り上げられることが多かった秋山さんだが、あの海戦の勝敗は日本の興亡のみならず、アジアのことが基本だった。否、すべて戦闘に参加した提督、作戦参謀、士官、兵士の敢闘の精神根幹には白色人種に対するアジアの意志があった。しかし残念なことに大陸に対する日本の政治政策の根本にそのアジアの意思が欠け始めてきたことが将軍にも分かっていた。

 それはあの大戦を戦った兵士の意思に泥を塗ることだ。あのとき日本が、唯一戦闘可能な立場にあり、能力とアジアを守る気概が漲っていた。だから日本は立ったのだ。
 アジアの近代化と独立を考える立場に、丁度、日本がそこにいたのだ。アジアはアジア人みんなのものだ。だから日支相提携してアジアを興し、抑圧されたアジア民族を解放する、そのために満州においてロシアの南下を抑え、満州を日本の手でパラダイスを築いて欲しいという孫文の経綸に共鳴したのだ。秋山さんだけではない、革命に命がけで挺身した日本人はの多くは、その意思だった。

 秋山さんにとって日本海海戦はその大望からすれば通過点だ。あのT字戦法といわれるものは、白人の意図に、『待った』をかけたアジアの意志だったんだ。陸では児玉将軍が北へ追い払った。その後の秋山さんは中国をどうするか、日本ができる役割は、いつも参謀らしく考えていた。 

 あの華々しい海戦後、東郷元帥はいつもうつむき加減に歩いていた。それは勝者でも敗者でもない武人のもつ戦禍への哀れみの情であろう。それは戦いも好むと好まざるにかかわらず縁の為せること理解しているからだ。秋山将軍もしかり、元気がなくなったとか、覇気が消えたと世間は云うが、より高い目標に向かって沈潜した境地に達した将軍の意思を理解する術は、勝利に浮かれた人々には解るまい」

未完

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再  女房を敵とおもえ

2017-12-09 09:49:21 | Weblog

         孫文の妻であり革命の協力者 



昨日の一章に高杉晋作が言ったという「女房を敵と思え」に早速応答があった。
その前回には性別の交換は「潤い」とも記した。

「女房を敵と思え」への反応は不思議と男子からだった。
曰く、家族崩壊、女性蔑視、と様々だが、応えに窮する場面だ。

ここで逃げ口上だが、山岡鉄舟の真筆に「私することを忍び以って大業を行なう」「私」とは横文字ではプライベート、逆は「公」だ。孫文の「天下、公の為」は有名だ。
「大業」とは大欲、小欲は「小業」だ。その意味は不特定多数、或いは国家、社会への貢献だ。

天安門事件のあった広場には学生達が「天下、公の為」とスーローガンを掲げ、「官倒」と大書されたプラカードとともに広場を埋め尽くした。
あの砂のような民とたとえられ、利己主義で纏まりの無い民族のように見えるが、どっこいデモのゴミは片付けるし、整然と行なっている。しかも100万人でもである。

日本でもメーデーなどでデモがあるが、スローガンは、゛待遇改善゛゛権利獲得゛の小欲小業が多く、自治労官吏や教職員が主たる先導で、結果現在の在り様である。しかもデモのゴミは片付けない、出ズラと称する日当を支払ってその他一同のエキストラよろしく町の職人さんや学生を動員して気勢を上げている。

天安門の学生はその結果、多くの死を以って世界史にその姿を記し、尊い血を代償にした行為は、後の東欧の独裁国家や大国の楔をも払う先導として勇気を示してくれた。

たしかに北京大学など、一人っ子政策で大切に育てられた学生の已むにやまれぬ決起だったが、多くの親は中国の未来を示すその行動に賛意さえ示している。
「止めてくれるな、おっかさん」とは学生運動華やかな頃の日本だが、中国の強大な国家権力に向かって、その根幹を揺るがす行為を、黙って認知する親心を鎮考せざるを得ない。

それは、学生達が将来活躍するであろうグランドを自らの手によって作ろうとする行為には沈黙せざるを得ない実利的説得力だろう。
「大富在天」「小富在勤」中国にはこんな訓語がある。
小さな富の欲求は働くことで得るが、真の大きな富は天恵に随って得ることができる。

日本人の徳目には勤労があるという。
しかし、これを活かし国家の繁栄を願うとき、誰にその任があるのか。
人は政治家、官僚、宗教者、教育者だという。だが憲法の大願目には、このような任にある人々は「人間の尊厳」を毀損する権力を構成する人々ではないだろうか。
ことさら職務の細目や数値成果を云々するものではないが、彼らに私欲を滅して大業を行なう自覚があるのだろうか。

つまり、庶世に息潜む無位無官の人々が政治にリンクせざるを得ない、あるいは官吏の無作為に手をこまねいている状況に、世界史に刻まれた栄枯盛衰を倣いとすれば、草むらの隠者(草莽の士)が、不特定多数の将来に危惧を抱いたとき、その行動は「特定の関係」にある、家族、親類を分別し、不特定に身を置かなければ大業は達せまい。

財政が窮したとき松代藩の恩田木(もく)は妻に離縁状をしたため、山田方谷は女性の華美をたしなめ、庶世では吉良の仁吉は助っ人の次郎長に覚悟を示す為、三行半の離縁状を書いている。

不特定多数への貢献は、ときに肉体的衝撃を伴う。特攻隊の若者もそうだった。
捨てなければならないものがある。命であり最愛の家族もある。
それは、たとえ小さな郷村でも国家でも「覚悟」と「犠牲」の上に刻まれている。

「女房を敵と思え」はにかみ屋の晋作さんには精一杯の覚悟だった。
まさか、受験や入社試験に付き添う如く、戦場まで駆けつけて「それは無いでしょう」という歴史は未だかって世界史にも無いはずだ。

家族と社会、そして男女の別を弁えないと日本のようになる。
それが世界史のなかで日本を見る鏡でもある。

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煩雑多岐にわたる法に煩悶する現場運用官 その一

2017-12-06 09:45:17 | Weblog

 

 

法の恣意的ともおもえる立法と運用は、近ごろとみに煩雑さを増している。企業のコンプライアンスが世のサラリーマンの躍動を妨げ、まるで自縛されたかのように委縮する姿は見るに堪えない。しかも子犬のリード線のごとく操られたいる。昔の上司は現場を信頼していた。突発の初動や行政域を超えた調整などは現場を信頼し委ねていた。阪神の震災はそれが功をそうした。いまは一抱えある法律書がなければ運用すらおぼつかない。

肉体的衝撃や死に直面する体験を共有することのない関係は、とくに平和安定時において、有閑をつぶすがごとく、つまらぬ法律書をめくったり、想定問答や提案書、あるいは難問課題をあれやこれやと 作り出すことがある。それが机上想定だとしても、実働運用する過程では多くの場合、齟齬が生ずることかある。相対する事物や生身の人間の反応に、どのように対処したらよいかの悩みすら生ずる。とくに警備警察から民政への移行において警察官も悩んだ。いまもって権力と民生の係わりに戸惑っている。

自衛隊も専守防衛から、字句は古いが外との関係に進む外征型の政策転化によって、組織も人間も装備も、また有効的活用を期すための現場からの具申方法などが拙速にも変わりつつある。そこに法が囲いをつくる。省益もしくは、勝手に行動してはいけない、という旧軍のトラウマなのか、遵守しなくてはならない法がシャワーのように現場に降り注いでいる。

 法治は、法に依って規制なり罰することで社会の歪みや不安定化を防ぐことと、従前に保持する固有の権利を維持継続するための援用もあるが、近ごろは法解釈論議もさることながら、その運用する人間次第によって、かえって治めにくい(治乱)状態になっている。

 

現象は、それぞれ切り口の違う考えのもとに運用する者同士の既得権争いや、曲がりなりにも社会を安定せしめた道徳(公徳心)や自制をうながす習慣規範との整合などを否定し、成文法(清規)万能のごとくの風潮を醸し出している。

それは家族間の問題、学域、法人の内規にまでおよび、ときに宗教域まで清規の囲いの中に取り込まれつつある。しかも各域の問題意識の枯渇とならんで解決能力の衰えが安易な成文法規頼りになっている。

 

洋式スポーツのルール。剣道や柔道にある「道」の、゛しきたり゛、花、茶、舞踊などの和芸の、゛たしなみ゛なども、ときおり成文法に委ねなければ人と人の問題を解決できない状態になりつつある。いつの間にか国技になった相撲も、成り立ちから辿れば法の差し入ることではないことも分るが、興行として、マスコミ、稼業など、他分野とのホドある協働によって構成されていたものが、敏感となった法の触覚によって今まで構成せしめていた大きな要因である一門性、売り興行、鍛錬などの方法が事後に成立した法に触れると自己規制が多くなり、柔軟性のない運営に戸惑っているようだ。

 

相撲界の、゛しきたり゛を、各々の法や世間常識に当てはめるだけで違法性を問われることは多いだろう。また、科(とが)に適応する条文を分厚い全書をめくって、その整合性を探すことで罪が発生もするが、狭い範囲の掟や習慣(陋規)によって、どうにか継続維持してきた「角界」も、いまや単純スポーツのようになっている。

 

だだ、「利」についての発生や分配については税務行政の範疇では届かない問題として、構成員たちにさまざまな煩悶を発生させている。それは縄張りと派閥のもつ利権だ。越えれば法の適用、内に留めれば、゛しきたり゛で済む独特の互助の知恵もあるようだ。

 

もちろん野球界にもある。シーズン終盤の勝負や記録に懸ると、捨て試合、打率の減損を避けるための打席忌避、など、まともに試合を観戦する善良なる客を騙すことだ。相撲界での互助も、ケガで番付落ち瀬戸際の力士との立ち合いで、つよく当たらない、患部を狙わないことも下手すると八百長になる。道や芸に必ずつきものは、チップと心付けがあるが、うるさく言えば申告しなければ脱税だ。

これに四角四面の法を当てはめたら「野暮」だと云われるだろう。

 

近ごろでは何から何まで法が入り込んでくる社会だ。民事や刑事を問わず、その手のマスコミ種も事欠くことはない。上は政治資金、下は詐欺や家族間の諍いもある。だいたいは金や嫉妬の世界だが、昔のように大向こうをうならせる政治犯もいない。是非は歴史の判断だが、青年将校の叛乱、田中正造の直訴などだが、あの西郷がいう「地位も名誉も金も要らぬ人間は始末に悪い。だが一大事の時にはこのような人物にしかできないことがある」まさに今は死語になっている。人がせせこましくなっているのか、それとも浮俗に浸って思索も観照も利他の心も野暮になったのか、まさに「人が人でなくなって、どうして国家といえるのか」と喝破した清末の哲人,梁巨川の時代の再来のようにも思える情況だ。

 

それらは人間の社会構成能力の衰えともいえる状況だが、人間は人の間(ま)とは言い得て妙なことであり、その間がとれなくなったのだろう。

それと、目の前に課題を与えればそれしか見えず、しかもその課題の発生を探ることなく、答えを出すことに汲々としているような学び舎の習慣性である数値選別狂騒に似た状況がある。その智慧の薄い法や数値の万能意識が、社会構成を支える深層の国力といわれ、個々の異なりを認めつつ親和性を高める情緒性などは、合理性、論理整合性になじまないと忌避されている状況もある。

 

              皇居 東御苑

 

警察官や自衛隊の諸士は階級構造によって、より命には愚直さを求められるが、どこか故事にもある「壺中天あり」のごとく、肩の抜けた爽やかさがある。

頭上の壺口からは青空も見えるし、潤いの滴も降り注ぐとの佳き諦観意識が求められる愚直さ、ある意味では自由の制御の求めを授受する意味付けとしての使命感と目的意識には、ことのほかその明確さを求められるが、法令明記以前に志願という自己決定が自由環境にて行われたための明瞭さでもあろう。

 

世上は「釜中の民」のごとく現世価値にまみれて明日も変わりなく続くと考えている。

しかも我が国の歴史の循環には禍福が繰り返すように、まるで人間のサイエンスのように、必須な循環定則があるかごとく世代を超えて再復する。

そこには恩讐を携えて人々は煩悶することもあり、逆に人々の省きとともに恩顧や感謝も訪れることもある。

 

満洲国の副総理張景恵は日本人を評して・・

『物事に四角四面な日本人だが、何度か戦争に負ければ少しは角が取れるだろう・・』

 

大陸民衆は、為政者が恣意的に作った法は「禁ずるところ利を生ず」と、禁ずれば罰金や賄賂が広範囲で発生し、愚か者でも法に乗れば地位も名誉も権力もついてくると、法匪を嘲った。

しかも、孔孟に代表される儒者の説を「あれはハナシ(話のみ)」と面従腹背している。なぜなら官吏任用試験(科挙)の課題は、孔孟などの古典の習得にあったが、それらが任官すると賄賂取得に励む様子をみて、試験通過のための勉強とその実利獲得の学となった儒学を嘲り嗤ったのだ。

何のことはない、国家財政の充実を謳いながら、官吏の自由裁量による使用量を増やし、一方の恣意的罰則や禁法によって懐銭を増やしているのだ。

総てを達観した官吏と民衆の関係だが、次の言葉に傾聴した。

『その徴収には従う、また何もして欲しいものはない。だだ、俺たちのすることを邪魔しないでくれ』

 

しかし、それが官吏の陋習となり、社会構造上のシステムのようになると、仏儒・武士道などの影響によって吏を道(吏道)まで高めた高潔な日本人官吏は彼の地では異端とも映ったようだ。それが彼らの法への対応でもあった。

満人官吏は・・・

偽満州は良かった。日本人だからできた。だが官吏の四角四面は法匪のようで、堅苦しく、ややもすると目の前の課題しか目に入らない狭いところがあった。賄賂も受け取らないので、下の役人にも流れて来なくて困ったものだ (笑々)…』

 

我が国でも安保法なるものが成立し、いかに職掌の理解度を高め運用するとしても、関係諸法との整合性を考えると、現場に法政官を帯同しなくてはならない状況もならないとも限らないくらいに法は煩雑で、ときにパズルを解くように入りくんできた。

この現象は運用官の優劣を数値選別するには応用できる多面なケースともいえるが、そもそも運用官の目的と使命に必須な瞬時の面前対応として、土壇場で露呈する人間の姿(恐れ、怯み、逡巡)などに、いかに沈着冷静、行動果敢に結びつけるか、その際、どの部分で法の援用や効果を期待できるのだろうか。

 それとも、法は異なった世界の、別物なのか。

次号につづく

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