まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

日本人の性癖 2007/11再

2016-12-31 19:43:10 | Weblog

          満州新京 或る日本人家族



満州の統制経済、ある意味では国家社会主義的経済といわれるものだが、それを実験?といっては疑問も残るが、その携わった人脈が戦後の高度成長を成し遂げたとの記述が「歴史街道」という月刊誌に掲載されている。

小生も若かりし頃、満州国古海総務次長や関東軍高級参謀片倉衷氏、あるいは自治指導部、満鉄調査部、はたまた満州浪人といわれ戦後右翼の大立者、終戦証書に署名した安倍源基内相など、小僧だったせいか異様な厚誼があった。

そのなかで理屈はともかく日本人の特性を基にした数々のエピソードを聞いたことがある。またこの特性を融解させ個々バラバラにしてしまう誘引要素もその中にあった。

 よく国家の為とは言うが、それは「不特定多数の利他の為」と彼らは理解していた。そして、その「他」と同様な憂いと喜び、そして危機感にともなう衰退を先見して対応をする、といった指導的立場の基本的要素について始終議論していた思い出がある。
 明日の飯や自己矛盾を他に抗する不満にしている部類には理解しがたいものだが、彼ら善男善女の行く末を含めて真剣で、ある時は喧嘩腰の討論があった。


 余談だか、毎回意見開示のお鉢が回ってくるが、戦後生まれは小生のみなので彼らにとっては小僧である。すると「この○○(小僧)にとって我々は何が出来るか!」と重鎮が大声で不規則発言をする。
 続けて喝破する「年寄りは早く死ぬことである!
 頷き、誰も怒る人はいない不思議な空気である。

 たしか高度成長のはしりのころだった。もちろん新幹線に執念を燃やした十河国鉄総裁も満州人脈だ。
 勤勉、正直、礼儀、忍耐、まさにそれなりのぶつかり合いだった。
 だが、呉越同船というべきか、現地で抗論し合った縁者の葬儀や祝儀事にはことの他大切にしていた。

 所得倍増は三倍となったが、人は浮かれ、人心は微かになった。
 しかし、彼らのような真剣な議論は聞くことがない。

 理屈は如何様にも付くハナシだが、昨日東北部(旧満州)の当時大財閥の老いた縁者が尋ねてきた。 若かりし頃落合の尾崎行雄宅に寄宿して自由学園に留学していた。2,26事件の時は自分の部屋の押入れに重臣が潜んでいたと笑いながら思い出話を語る人物でもある。
私たちは国家とはどのようなものか、民族を超えた人々の人情、そして不特定多数に対する貢献や連帯について日本人から学んだ

その縁者の親類には満州国張景恵総理もいるが、面白いことを言っている。
日本人は四角四面だ、あと戦争に二、三回負けたら丸くなるだろう・・
確かに彼の地では丸くならなければ生きられないだろう。
しかし、日本人は四角四面でなくては経国が成り立たない。
儒教だ、教育だと騒がしくもなるが、検証、論拠を借りるまでも無く、順目、逆目も「なるほど」とその有効性を飲み込んでしまう双方の言でもある。

人には色々ある、歴史の隘路もあるが、敢えて問うまい。
小生は縁者の言葉に、久々無条件に耳を澄ました。


【満州人脈との会は毎回30名ほどで、建国の精神的支柱であった笠木良明氏を偲ぶものである。墓地は世田谷豪徳寺であるが訪れる人は少ない】

《満州についての参考拙書ですが》
http://sunasia.exblog.jp/d2007-11-06

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「安岡学」などというものは無い 10 4/28 再

2016-12-29 12:00:10 | Weblog

 

 

数多,古典を活用しつつ世間に説く中の一人の人物である。
総称すれば西田哲学などと呼ぶものと同様、その意味では安岡学であり、安岡流古典活学である。書物を基とするならば原典ではなく倣いの応用説である。

安岡氏の説かれる前提には、幼少の倣いとした明治の気風と簡潔表現、そして機に符合した建言は文部省の官学にはない新鮮さと切り口がある。そして知には識という道理を添えて「知識」にしている。しかしステータスやエピソード、あるいは安直学にある表層の「安岡学」に堕する危険性があるのではないか。筆者は安岡氏と昵懇の高齢の道縁に危惧を伝えたことがある。

人には表裏の経過と歓喜苦渋した履歴がある。
しかも、これ等のネガティブな面をほじくり、ときに全てを否定することもある。
安岡氏でいえば、あの細木女史のことが騒がれたら、今どき弟子と詐称しているものまで当時は、゛青菜に塩゛の状態であった。細木氏が分与された貴重な蔵書は韓国の大学に寄付されているという。アツモノなのか、高弟、愚弟を問わず、いずれもよそ見を決め込んでいた。こちらにあるのは著作権と称する利を生む代物である。

本来人物に興味を持ち,倣い知ろうとするものは生地の環境、家族関係、幼少の習慣性を培った師と学問形式などがあるが、学校歴やエピソードなどは本質に対する附属のようなものである。
その意味で、どのような書籍を読み、関連付け、自身の特徴を発見して伸ばしたのか、それを知るには蔵書の蓄積傾向が必要になってくる。

当時、財界、政界、にも弟子と称するファンも綺羅星のように存在していたが、誰一人として前章の意による倣い、つまり陽明にある伝習さえもない意志や意気、はたまた胆力など、もともと有しない者が多かった。

その点、誰も細木氏を責められまい。彼女とて安岡氏と知り合いたく師友会の事務所近くの安岡氏の立ち寄る店で待っていたという向学心ならね積極性があった。
謦咳に接したとか、直弟子の話を聴いた、名のある子息の話を聴いた、テープを何十万支払って買ったと吹聴するなどの浮遊学徒からすればのハナシだが・・・

夫々は臨機、臨度の考察の事例や身の処し方を伝えるが、文の華麗さとか口舌の巧みさは真の内容ではなく、伝え方の術である。

加えて、履歴エピソードにちりばめられた高名な人物との交流や歴史の記述に関わったことなどは一過性の流行学の帯表紙の類である。

『無名は有力だ』『政治家は人物二流でしかなれない』『音声は知性を表す』
書斎での茶飲みハナシだが筆者はよくこの言葉を聴いた

氏は多くの有名な政治家,軍人交流があり、甲高い声は教場に合うが肉体的衝撃に敢えて向かう重厚な胆力とは異なる。

また大久保利通の子息牧野内大臣に多くの献策提案を送っている。それは一抱えもあろうほどだ。




                







戦後『謀略というもの・・・』について記しているが、北進を南進に転換させた軍事委員会国際問題研究所

(蒋介石下の情報機関でゾルゲ機関と連携、内外構成員に尾崎、青山和夫、苗剣秋、野坂がおり資金は英国情報機関)のリーダー王梵生(戦後中華民国駐日参事官)を講演で「人物」と褒め上げている。

尾崎からの誤った情報は近衛をして敗戦間際までソ連の仲介に希望を託し、終戦間際の蛍の飛ぶ季節に新潟岩室の綿々亭で安岡氏と相談している。もちろん秘密協議だか陪席は新潟県知事である。

余談だが
道縁の士が新潟に行く機会があった。「知事を紹介願えるか」との依頼に『知事より傑物を紹介する』と、山本五十六大将と昵懇の反町氏を紹介されたことがあった。安岡氏にとっても新潟は縁の深いところでもある。岩室温泉は長岡の奥座敷で弥彦をはさんだ鎮まりのあるところである。

つい最近まで苗剣秋の大書を嵐山の郷学研修所の資料室に掲げ、終戦に導くための日本の実力者としてリストアップされた米資料のトップに安岡氏の名があると誇らしげに陳列してあった。

筆者は即刻、館長に撤去を促した。

なぜなら、苗氏は西安事件の真の首謀者で国際問題研究所の日本駐在だからだ。ただ、苗氏は人物である。張学良と仲良く、張作林に見込まれ日本に留学、帝大、高等文官試験を経て東北軍の顧問となり、周恩来とも昵懇である。西安事件は周恩来と苗、そして苗氏の妻が吐露した『張さんはお坊ちゃんですょ』といわれた張学良によるものだ。苗氏は筆者に『男は世界史に載る様でなければ・・・』と「天下公のためその中に道あり」(和訳)の色紙を託した。

リストの一番上の記載は彼等にとっても、゛一番役立つ゛ことである。
また、王梵生氏と義兄弟だった宮元利直宅には安岡氏の書簡が多くあった。その関係を知るものは少ない。戦犯回避、当時誰もが望んでいたものだ。

中華民国と断交とき日本側特使が安岡氏の起した書簡を携えて蒋介石の寛恕を請うた。
安岡氏はそのときこう言った『これで理解されるだろう』と。
秘められた関係事情は、近づいてきた外国特務の意図を読み解けなかった人物の利用意図でもある。蒋介石はその書簡の作成者を知っていて、敢えて大人の風を整えた。






                  








あるとき虎ノ門の研修会の折、控え室に客員として来場していた佐藤慎一郎氏が訪ねた。
佐藤氏は中国滞在二十年、無名を貫くが現地の古典、俗諺のありようを人々と共に実感した人物であり、孫文の側近で末期の水をとった国民党最高顧問、山田純三郎の甥である。
しかも孫文に問われて後継総統に蒋介石を推薦したのも山田であるという関係である。





                    





また、中国問題の総理報告を行い、部数は手書きにして6部、内閣調査室が毎月聴取していた。あるとき後進に委ねたいと申し入れたら、「高名な研究家は沢山いるが、何処で何を決断し、何を目的に行なうかを中国人の側に立って考え方を測れるのは佐藤先生しかいない」と、なかなか辞めることはできなかった。
池田、佐藤、福田、こと中国問題においては佐藤氏を頼りにしていた。
安岡氏と懇談していたところに福田総理が入ってきて慇懃に労いの礼を述べている。

杉並の団地の一室には多くの中国高官も訪ねている。
まさに無名で有力な傑物であるが、大らかで腰の低い姿は、自らスコップで墓穴まで掘ったという獄舎にあっても,中国官吏に畏敬さえ覚えさせる剛毅、高潔な気風を漂わせる人物である。つまり譲るという柔軟さと「公」に殉ずる覚悟が肉体に浸透した人間の趣があった。

その佐藤氏が、めったに現存人物を誉めない安岡氏が特務の最高責任者王梵生氏を「人物」と褒め上げたことについて、人払いをして「彼は北進論を南進に転換させ米英と衝突させた張本人ですよ」と告げたところ、見る間に真っ青になって押し黙ってしまった。

その後、頻繁に『謀略というものは・・・』との記述が多くなった。

また、安岡氏は総理の指南役といわれた戦後は政治を語るが政局は語ることは無かった。
軍部ではなく宮中に連なる内大臣、そして陸軍に抗する海軍の一種当世外務省の如く貴族的軍官吏との関係を深くして大東亜省顧問となり、かつ牧野の縁戚である吉田総理の縁から時世各界につないできた。

そこには明治以降の一部陸軍の暴走に手を拱くようになった宮中派と称する人たちの諫言行動ではなく、悲観的傍観という肉体的衝撃をものともせず抗することの馴染まない人たちの一方の群れだった。
それは、゛江戸の仇は長崎で゛と考える狡猾な官吏に抗しきれずに順化する自民党、民主党をはじめとする現状追認の陥った政治家の姿と同じようだ。
あの時も、事変拡大を現状として追認し、尊い犠牲、統帥権が、昨今は国民生活の為、政策の連続性といわれ何ら論することのではない議員のようで変わっていない。
軍や官吏の不正や利得の言い訳をする与党の姿も同様だ。

以前、赤尾敏氏とキャッチボールの如く試されたことを記したが,その時も「白足袋学者」といわれた。一時、同門にあった後の血盟団メンバーの四元氏等も「勇ましいことを言うが優柔不断で、付き合う連中は財閥、軍人が多い・・」と袂を別けている。






                






安岡氏が国家についてこう述べている。
「多岐複雑な要因によって構成されている国家・・・」

だとすれば人間も、表裏、内外、臨機、臨度に複雑な考察によって口舌なり行動が成されているとしたら、夫々を組み合わせれば無限の考察ができるはずだ。
ただ、そこには個々夫々の特徴ある座標がなければならない。つまり社会を構成する人々の調和と連帯のありようと、「私」からパブリックへの広がりだ。

前記に綴った章は人物の裏のネガティブな部分の抽出ではない。
人物の口舌、文章に現れるものの辿り着く経過である。
たとえば、神棚も普段は埃だらけでも必要なときには手を合わせ願うのが人の倣いだ。聖書を懐に大量殺人をして許しを請う。

コンプライアンス、組織、マニュアル、不景気、亡羊な自身、不確実な将来、道理が無い知のみの好学の心、これらは全て人間の問題である。安岡氏も途方にくれ、多くの徒労と錯誤を経て古典(生活経過と、人の昔話)に辿り着いた。
「西洋の学はノイローゼになることがある。そんな時東洋の古典は何ともいわれぬ潤いがある」ある講義での言葉だ。

明治以降の文部省官製学制のカリキュラムには人間学はない。後藤、児玉も秋山も龍馬も松陰のような先覚者は見当たらない。

いまは、ただ傍観し憧れているだけだ。知ってはいるが行なわない


歴史の先達であり倣うべき人格者である安岡正篤先生を評することは忸怩たるものがあり、かつ当世学徒の誠に惜しむべき傾向に異を唱える辛さもある。しかし、各々学徒が自身の潜在する能力を発見して伸ばす為の活学として、また自身の座標構築の糧として歴史の碩学を用いていただければ、さぞかし氏も欣快な境地かとおもう。

何よりもも説く事より説き方に覚悟を観ることだ。
あの時の、あの場に自身を置けば自ずと理解できることだ。




            




以下は、ある時の筆者の観方ですが、重複することもありますが必要とならば参照のほど


安岡氏の説くものはマニュアル学ではない。とくに明治以降の官制学(文部省)の六、三、三制カリキュラムに忌諱された独立した人間学的要素と古典を加味した説である。

原典は安岡氏ではなく、あくまで歴史の森羅万象に刻まれた逸話や隣国の古典の応用活学である。

また明治人の実直さと緊張、おおらかな洒脱、エリートに有りがちなニヒリズム、全てを複雑にも抱合して臨機や臨度に符合させた柔軟性である。

政財界との係わりを云々され、それが恰も大物然として持て囃され、安心材として数多の金屏風として重用されたことは氏としても鬱積したものがあった。

とくに政財界の腐敗,官吏の堕落、大衆の流行迎合性などは筆者もその呻吟を幾度か聴き問答した。


だがこれは決して学問の堕落や完成度ではなく、人そのものの欲望に起因する、もしくは良質な異物でも摺りあうことによって生ずるであろう嫉妬、競争心のコントロールであり、他に配慮忖度する心の在るを知らない家庭や社会の修得錬度 の衰えとして考えたものである。

その衰えに対する問題意識は過去の歴史に刻まれた栄枯盛衰に観ることが必要なことだとも考えた。






                







安岡氏の数々の格言、経国論は以上の解決の為に必須な前提として提供したものである。あくまで自身が問題意識を立て、運命論に怠惰にならず、立命(やりたいこと、でなく、やるべきことの行動発起)を促したのである。

惜しいことに現代人は理解度は書籍に宿ることが多い。格言に頷くしか手が無い。氏の意思は一時の清涼剤ではなく、立って興すための前提である。

知って教えず、学んで行なわずして何が人生だろうか。

安岡氏は殊の外、脇が甘かった。 人は寛容とも云う。
政財界から官僚や任侠、大陸浪人や外国の諜報員など数多である。ときには騙されることもあった。そして酒席にも出向き艶のあることもあった。

ただ巷の評論家と異なり政局を語ることはなかった。政敵同士の相談にも応えた。難しくも、切なくも、憂いて余りある己の立場を考慮した。

きっと壷中天有りの境地であり、六然とは己に制した銘でも有ったと思う。
筆者がその雰囲気と風が感じられたのは、白山の書斎でピースを気持ちよくたしなむ時だった.

 

 

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ラダ・ビノード・パルにみる普遍な人情  07  6/17 再

2016-12-27 11:08:55 | Weblog

               パル博士と東條家の人々


昨晩、東條由布子さん(東条英機氏の孫)にバル・下中記念館の写真データー保存の際にプリントアウトしたものを確認していただいた。

博士に抱かれているのは親戚のお子さんとのことだが、和服姿は東條勝子さんである。同行したパル博士と同郷のベンガル出身のシャカさんは、インド独立を援けてくれた東條氏は、今でも好意的にみてくれている人たちが多い、と。

はたして、バル判事はウエップ裁判長の「デス、バイ、ハンギング(絞首刑)」をどのような境地で聴いたのだろう。
シャカさんは言う「あのとき判決を聞いた被告人たちは何かに礼を云う様に頭をげた。その光景は外国人にとって驚くべき光景だ。しかし、インド人は深い考察に入った。そしてあの印パール作戦で多くの兵隊がインドを目指していた意味を深く考えた。また抑圧されたアジア人として、はじめて白人に勝った日露戦争をわが事のように歓喜したあのときのアジアの人々のおもいを想い起こした。はたして日本および日本人とは・・・」

パル博士の無罪論を、日本は罪なしと錯誤する向きもある。
博士は、日本は真の日本を想い起こして内省することが必要だと説く。
そして新しい姿で出発してほしい、その行動をアジア人は見ているし、一番理解するのもアジア人だと。

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安岡氏の心中に在った呻吟 09 6/5 再

2016-12-23 12:12:41 | Weblog




・・・・安岡氏は「呻吟語」意味深く解説している・・・・


安岡氏の説くものはマニュアル学ではない。とくに明治以降の官制学(文部省)の六、三、三制カリキュラムに忌諱された独立した人間学的要素と古典を加味した説である。

原典は安岡氏ではなく、あくまで歴史の森羅万象に刻まれた逸話や隣国の古典の応用活学である。

また明治人の実直さと緊張、おおらかな洒脱、エリートに有りがちなニヒリズム、全てを複雑にも抱合して臨機や臨度に符合させた柔軟性である。

政財界との係わりを云々され、それが恰も大物然として持て囃され、安心材として数多の金屏風として重用されたことは氏としても鬱積したものがあった。

とくに政財界の腐敗,官吏の堕落、大衆の流行迎合性などは筆者もその呻吟を幾度か聴き問答した。


だがこれは決して学問の堕落や完成度ではなく、人そのものの欲望に起因する、もしくは良質な異物でも摺りあうことによって生ずるであろう嫉妬、競争心のコントロールであり、他に配慮忖度する心の在るを知らない家庭や社会の修得錬度の衰えとして考えたものである。

その衰えに対する問題意識は過去の歴史に刻まれた栄枯盛衰に観ることが必要なことだとも考えた。


安岡氏の数々の格言、経国論は以上の解決の為に必須な前提として提供したものである。あくまで自身が問題意識を立て、運命論に怠惰にならず、立命(やりたいこと、でなく、やるべきことの行動発起)を促したのである。

惜しいことに現代人は書籍に宿ることが多い。格言に頷くしか手が無い。氏の意思は一時の清涼剤ではなく、立って興すための前提である。

知って教えず、学んで行なわずして何が人生だろうか。



               
 
             上海 東亜同文書院




安岡氏は殊の外、脇が甘かった。
政財界から官僚や侠客、大陸浪人や外国の諜報員など数多である。ときには騙されることもあった。そして酒席にも出向き艶のあることもあった。

ただ巷の評論家と異なり政局を語ることはなかった。政敵同士の相談にも応えた。難しくも、切なくも、憂いて余りある己の立場を考慮した。

きっと壷中天有りの境地であり、六然とは自身に制した銘でも有ったと思う。
筆者がその雰囲気と風が感じられたのは書斎でピースを気持ちよくたしなむ時だった.

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要は、法を盾にする運用官という人間の問題だ 15 8/14再

2016-12-01 11:20:19 | Weblog

パーシー海峡戦没者慰霊祭  門田隆将氏(慟哭の海峡 著作)



台湾海峡を望む高雄にて「ごまめの歯ぎしり」の屁理屈備忘として

【台湾は積極民主主義、我が国は依頼受動妄動に近い民主主義】

台北では教科書が中国寄りで偏向していると学生が教育部敷地を占拠
最近は立法院(日本の国会にあたる)を長期間にわたり占拠
香港でも台湾でも若者の意識は鋭く、しかも社会観も広く勇気もある。


本文

六法全書を読む暇もないが、必要な人間の思惑をみれば自ずと行く末は読み解ける。
法の整備と適用が整わなければ何もできないと怯えや無作為を装うが、要は行為にともなう責任と罰(罪)を回避するために法治を繕うことが多くなった。
はたして、たかだか現世の人間がつくった法がそんな万能なのか。
歴史上、多くの民は法によって自由を毀損され財を収奪され、命まで捧げた。

だからと言って全体(国家なり組織)からの恩恵の亡失を恐れ、唯々諾々と従ったわけではない。いくら国家目標(命題)だとしても、そこまで法の及ぼす範囲をがんじがらめにしたところで、各々の人生命題に応ずるものではない。
いや、自尊自衛や義侠の行為が人心を安堵させ安寧に導いた逸話も存在するが、多くは成文化された法の効用ではなく、陋規(狭い範囲の掟や習慣)に基づいた人々の醇なる情緒性に由来していることが多い。

つまり、法律書に書かれている条文をアカデミックに検証したり、物知り学者の身勝手な合理性を仮借してマクロを統治したとしても、深層の国力となる人々の情緒性なり善なる行為の喚起すら作興することなく、かえって調和や連帯のもととなる各々の分(役割)の効用を無意味な分裂状態に陥らせる危険性がある。

国力・国益になるマクロの公共心(公徳心)の存在を含有することのない法律論争がそれだ。
人の心や人の話は検証すらそのすべはなく、無価値なものとして論拠の端にすら加味されない専門家の論理構成だ。知識は「知」だけでなく、「識」にある道理が整わなくては真の知識とは言わない。

国家なるもの、社会なるもの、が優先されるような雰囲気になると、個の尊重や人権が課題に叫ばれるのだろうが、不特定多数が織り成す社会に置いて、かつ複雑な要因をもって構成されている国家なるものの法の存在は、はたして国民と称される欲望の渦巻く現下の人間模様に効あるものとして存在しているのか、

また、民主を盾に唱えるなかに、民が主ならそこには従があり、「主従」の理屈もある。
はたして、従なる存在は何物でどこに存在するのか、かつ偏ったかのような民主を唱えることに「従」の問題意識と依願意識の安逸はないのだろうか、以下は世俗の下座観からみてみたい。



高雄


身近な所では交通事犯の執り締りが分りやすい
高速道路の追い越し車線を間断なく走る車が制限スピードを越えていた場合、取り締まり車両は一台、その場合は先頭車両を取り締まるという。
違反車両を総ては不可能だが、その場合もし運用官が《取り締まらなくてはならない》となっていれば法の普遍的運用に問題が出てくる。だから《取り締まることができる》となっている。

今は技術的にも可能なのだが、そのうちカメラや車にバーコードを処理すれば、一秒間に数十台をナンバー、所有者、違反履歴が瞬時に読み取ることができる。
人間にも認識ナンバーを極小チップにして埋め込めば、30mの距離で数十人の歩行者を認識できると数年前に開発公表された。ちなみにチップのメーカーは日立だと聞く。
国籍、収入、病歴、犯罪歴、家族構成などがはじき出され、入国審査に用いればパスポートも不要になる。現在は顔認識と記載確認だがこれもなくなる。

それらの技術的運用も《しなくてきならない》に近づいてきた。つまり《することができる》という運用官の、ときに恣意的運用も不可能になってくるだろう。
論理的にも合理的にも普遍な運用が叫ばれているが、そのうち裁判の世界にも応用されるだろう。それは当てにならない人間の意識や判断として括られることでもある。

野球や相撲の審判もビデオ判定を利用するようになった。彼らの威厳やメンツも昔話になるようだ。ただ、これ等のスポーツの多くは狭い範囲のルールや掟によって形式化され装いすら整えてきた。ここに客観的な人間ならぬ「法」が適応されると神事談合が八百長となり,個々の運勢遊戯が賭博となってくる。稼業のシノギ賭博や金の動く八百長は論外だが、狭い範囲の互助慣習は、商い興行として年六回と巡業という過重労働を考えれば花相撲も相場に入る阿吽の姿であろう。

四角四面の世知辛さは邦人の民族的様相のようだが、毎度のこと法を持ち出されたら生活も窮屈になる。しかも狭い範囲の集団にコンプライアンスというコンサルタントの簡易規律を加えられたら元気がなくなるのも目に見えてくる。因って自律自浄機能は衰えて教育現場や会社の本来の目的や遂行機能さえ劣化して、様々な社会問題を引き起こしている。
しかも、それに付随して、またしても法の援用を図るため細々した立法が問題意識なく増産されている。






高齢者施設 カラオケでは都はるみの「大阪しぐれ」男子は軍歌「守るも攻めるもくろがねの・・・」




事は飛ぶが、テレビを見ていると考えることが乏しくなるという。話題は増えるが飛び込む情報をネタに口論さえ誘うが、前記のように法が乱立すると関係法をふくめ煩雑になると、思索の観照の衰えに順って手軽な相談人が増えでくる。もともと全体の一部分という意識が枯渇した個人主義ゆえに、つねに客観的評価を渇望する人々は問題の答えの理解や受け皿すらなく、茫洋な世界観に紛れ込んでしまう。
そんな時に手を差し伸べるのが無機質な「法」の世界、つまり人の思いや情が入り込まない厳然とした客観的視野がそこには広がる。ここに至って法治ならぬ法の隷下の状態だ。
形式的には自らの作った法の隷下となり、しかも玉虫色の解釈すらできる法の無常なる争いに巻き込まれるようになる。

勝ったとか負けたとか一喜一憂するが、上告審になれば逆転する。
博打でもあるまいに、だから一昔前は「法の傍をウロウロする奴はロクでもない」と、智慧の無さを嘲られたのだろう。

標題になるが、どんな法でも反すれば罰がともなう。
とくに執行するものが権力者なら、だれでもフリーハンドを求める。
それが人間の尊厳を毀損する恐れがあると聖徳太子は十七条に律した。
民のために、偏るな、むやみに税を取り立てるな、民のために精励せよ、など簡単明瞭に権力を行使する運用官に律を以て誓わせている。

だが、近代的制度といわれる民主衆偶主義ではすべて民にお伺いをたてる形式になっている。欲望の交差点となっている国会において、いちいち聞いていてはまとまるものも、まとまらない。明治初頭に西洋にかぶれたように模倣した教育や法制度、軍制度だが、反知半解のデモクラシーも、いまやデモクレージーになりつつある。民族の連帯と調和を解き放つような付随価値である人権、自由、民主は、その看板を飾りたてて人々の放埓に進んでいる。
それが近代だと促された結果だ。いまはそれに苦悶している。

だから数を合わせた機の転換なのだろうが、たとえ内容は良としても運用に携わる人間の劣化についての問題は問われない
よく形式エリートは課題を与えられれば懸命に答えを探す習性がある。課題が問題ではなく答えを探すことが大切な人達である。
帝国陸軍は一握りの将官の企図によって現地で行動を起こし、機能しなくなった国会と政府はひたすら追認するだけとなった。軍は二者選択などでは動かない。ときに一方の意見(作戦意図)を抹殺する。つまり競馬馬の遮眼帯でなければ作戦は出来ない。しかも動き出したら止まらない。それもメンツなのか準備の都合なのか公共事業も総てそうだ。


およそ官吏は総てその運用に昔から慣れ親しんでいる。だめなら止めればいいものだが,止めるために敢えて新法を作らなくてはメンツと責任があるらしい。
唯々諾々としている議会人も継承利権がある。教育・スポーツ・ODAは岸・福田・安倍とつないだ清話会、土木建設・運輸は田中・竹下とつづく経世会、その他、薬事、労働、などがあるが、おおよそ立法成立した時の功労者や派閥の利権となるようだ。
手垢がついていないのはカジノ、日陰だった防衛調達、そしてオリンピック関連だ。
近ごろはマスコミの不動産業とカジノ誘致だが、産業経済新聞(産経)が手を付けて煽っている。新聞では食えないからと不動産に転じているが、それに連れて紙面もおかしくなっている。庶民に近いところでは警察のパチンコ・道路だが、目新しい産業が興ると超党派の議連が連立する。

手足となる官吏だが、この仕組みを調整し税収なり省益を企図する奥の院には議員も手のひらに乗せられている。つまり利権の分配だが、いまはそれが既得権力構造として為政者を取り巻いているのが現状だ。






世界的ボランティアで有名な仏光寺



俯瞰すれば、この不埒な国内事情は高学歴無教養なセコイ(ケチで小心)児戯だが、米国からの年次要望書などは、形式的には国内の構造改革とか国民の利便と、まるで為政者が考えたようなことを政策として上程するが、そのたび争論が起きる。
建設業界の談合防止とヤクザの締め出しと市場開放から始まって、医療行政、保険、金融、と旧来の利権構造が崩壊して、より米国スキームの市場開放が進んだ。それでもしぶとく国内では部会規制を護持する運用官の便法は、より複雑さを増してきた。

だから誰も理解ができない新法なのだ。つまり時に応じて運用してみなければ法の効果は計れないからだ。そこで問題になるのは土壇場の決断と責任なのだが、軍の場合の専任司令はより強い軍が統御するのは必然だろう。韓国でも作戦命令は米軍だった。
だから「国民の平和と安全」というが精一杯なのだ。

だだ、一抹の憂慮は歴史を知る大方の国民が憂慮する、外に順応して内に威張る政治家や制服の行く末なのだ。
金を集め差配する財務省には逆らえない。ドライバーや遊戯店は警察に逆らえない。企業は調達先の防衛相には逆らえない。医者は厚生省に逆らえない。ましてやノンキャリアは最終的にキャリアに従順だ。
それらが天下りや生涯賃金の夢想に勤しんでいたら、原発や被災地、派遣現地で精勤する隊員の志気に障るのは当然だ。いま警察もその状態だという。双方は武器を携帯する制服組だ。
隣国の人民解放軍は当初、農作業を協働して信頼された。しかし政権の意向で市民に銃を発砲した。命令とはそのようなものだ。発砲しなくても武や財を背景にして威を示したら同様なことになる。

歴史の憂慮とはそのような法の恣意的運用者によって起こされる、ある意味汚れなき犯罪なのだ。とくに法は独り歩きする。
役所の窓口で法を盾に門前払いするが、法には逃げ道となる特例がある。
これはいくら困っても訪れる老人には教えてくれない。しかし、こちらから特例の運用を持ち出すと、容易に適応してくれることがある。つまり、土壇場にならなければ特例記述は持ち出さないものだ。






台湾観光夜市の露店のテキヤ?


最近気持ちの良い話題があった
神社の祭礼ではテキヤと称する臨時売店がたつ。いくらテキヤが暴力団だと括られても、これが無ければ祭りは様にならないし、人が集まらない。神社の境内は私有地なのか宗教法人の管理地なのか判然としないが、土地を借りればショバ代や電気代もかかる。多くはホンダの発電機だが、ガソリン発火で事故が起きたせいか神社から借用すことが多くなった。
その件は、神社の所有管轄地に昔から稼業が賃貸借関係を持っていたが、ご時世は暴力団と呼ばれて排除の風潮があるためか神主は借地更新を断り係争になった。時の流れで仕方がないと敗訴を予想していた。

裁判は勝訴だった。裁判官はこう判決で述べた。
簡約だが・・・
つね日頃テキヤは暴力団と言われているが、祭礼の度にそれらからショバ代(地代)を徴収している。しかも彼らの出店を楽しみにしてくる子供たちもいる。それは互助的慣習であり公共管理の道路で行なってもいない。また慣習での役分にも夫々の関係性がある。法の裏付けを持った賃貸借に抵触することなく良好な関係を持っていた当事者が類似する関係者だと推定するだけで、明確な違反事項がない限り一方的な破棄は認められない。

その責任者は述懐する。
私たちは博徒といわれる分野だ。テキヤは仮店舗で品物を売買する。私たちには到底できない、馴染めない仕事だ。テキヤにも昔ながらの市をもって全国から流れてくる商売人を管理して諍いが起きないようにしている。また地域のシマを仕切っている主立った人(稼業や興行管轄者)に挨拶をして問題が起きないようにしている。カタギ衆でも地方から来れば商店街の会長や町会長に挨拶に行くのと同じだ。手ぶらではいけないので土産の一つも持っていくのが、タオルか酒だ。なかには強引な連中もいるが、そんなもめごとはどこにでもある。店の前に自転車をおいたり車を駐車したり、大音響で騒いだら商店街でも鼻つまみだ。そんな時、商店会長や役員が仲裁に入るのと同じことだ。だからって金もって来いとは言わない。


以上は同じ法(則.矩)でも狭い範囲の掟や習慣(陋規)だ。そこには自ずと自省と罰はある。家庭や職域にある慣習や納得した決まりごとだ。

生きている人間による運用の妙もあるが、権力が他国の強要で特例を運用されては、国会とて無用になる
そこで為政者の覚悟と使命感が問われるのだ。

それがないから、子供ながらでもどこか不安なのだ。
連帯と信があれば、一時の嶮しい法でも遵うのは国民の情感だと思うのだが・・・。

コメント
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