まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

西行と東行 知の省き 08 6/4あの頃

2019-03-20 02:02:30 | Weblog


歌人「西行」は西に行く。それにちなんで高杉晋作は「東行」と号して東を目指す。その東行は「東行詩集」(漢詩)を詠むが、内容はまさに烈行の誓いと自身への鼓舞が胸を打つ。

ともに俗世を絶ち一方は嵯峨野の大原野の世捨て人となり、一方は世俗の患いごとを断ち切るかのように功山寺で維新回天の鞭を振り下ろしている。


東行(晋作)は浮世の欲心を払うためか「女房を敵とおもえ」と、決起のためらいを絶つ為か、つまり後ろ髪を引かれる心の弱さを押し込めるかのように語った逸話がある。

筆者がまだ若輩の頃、松下村塾を清掃している老婆が「晋作さんは高下駄をはいて城下からカラコロと鳴らして此処に通っていた・と母がよく話していた」語ってくれた。

同類のオーラルヒストリーだが、安岡正篤氏(旧姓堀田)の妻の本家所在の土佐では、よく母が「リョウメ(坂本竜馬の童呼び名)とよく遊んだと語っていた」

歴史は身近に引き寄せ臨場感を味わってこそ人物が良く解る。

西行に戻るが、出家したけれど世俗を捨てきれず、いつまでも都をウロウロしていた頃、多くの歌を残している。順を辿るとこんな歌がある。
「捨てし折り心をさらに改めて、みる世の人に別れ果てなん」
今時なら、゛ぐずぐずしないで勝手にしなさい゛といわれる駄々っ子のようなものだが、今のように拙速軽薄な世の中ではなく、鎮まりのあるゆったりとした世の中のせいもあった。

その点、東行は師の松陰の薫陶よろしく、゛止むにやまれぬ大和魂゛と行動している。時の回転は追い立てるように事の心を動かすことがわかる。

時々に湧きだす心の発露は、その先に訪れるものがオボロゲだとしても、亡羊な世俗に押し流されるよりマシと脱出の希望をかきたてる。
出家と烈行、それは突破力であり、「知」を超えた至情と至誠の姿だった。

共通していることは良なる、゛世捨て人゛になることだろう。
そのための覚悟、その妙案は地位、名誉、財力、官制学校歴などの附属性価値に無いものだと教えてくれる。

ましてや情報という知の集積は混沌を増すばかりだ。
また近頃の「知」は肉体的衝撃を回避する為に使われたり、狡猾な行為しか描けない。

白色の律にあるアダムとイブの食欲は、「知」の美味しさだった。
これを彼らは創生の頃に認知していたはずだが、未だ「知は大偽を生ず」の状態が続いている。知を盾にして人を欺き、己さえ欺き、我をも無くしている。

それを思うと、時に羞悪とも毒とも化す「知」の省きこそ、西行、東行の「行為」だったのだろう。

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滅ぼすのは悪ではなく、愚かさである  2010 5 あの頃

2019-03-18 18:26:21 | Weblog

まさに標題のごとくの世相である。

何をして悪党と呼ぶのかは様々だが、ならば小悪党でなく大悪党のほうが解りやすい

古には石川五右衛門や鼠小僧もいた。平将門も関東の悪党と西では云われていた。

悪党ではないが、清水次郎長やその配下も当時はヤクザ侠客といわれたが、山岡鉄舟や勝海舟との交遊は面白い。

人のことではないが、悪所といわれた遊び場が至るところにある。

浅草や通天閣あたりのことだが、別に悪人が屯っていたわけではない。かえって潤いのある遊び場だった。

屁理屈だが偽善者は有っても偽悪者とは言わない。

それは、往々にして善を表わすのは偽なる装いであり、真意は意味も解らず習慣化された善なる姿に、隠れた己が見えなくなるからなのだろう。

翻って、無礼とざっくばらんは紙一重という。

これこそ真の自由であり、あけっぴろげの姿だと勝手な振る舞いをするものもいるが、野原に放たれた犬が犬らしい顔をしていることとは趣が違う。

松陰でさえ士規七則の冒頭に「禽獣と異なること・・」を記している。動物とは異なる規範と抑制を則としている。

つまりい犬や猫も、喰ったり、交尾したりするが、グルメや風俗などは無い。

たしかに昔の日本人は宣教師が渡来して、「造物主が創った最高のものは人間」と説教しても、「可愛い犬や牛は同じではないのですか」と、疑問を呈した醇なる理性があった。人間だけが高邁にも野放図に生きてよいとは思わないと当時の庶民は判っていた。


聖書では牛は喰ってよいと記されているのだが、日本人は、囲いをつくって大きくなったら喰うために牛は育てなかった。

彼らは、クジラは神の使いだからと喰わないが、死体から油を搾った。

人間なるもの、まさに面倒な生き物だとおもう。



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刑務官が矯正局長になった話

2019-03-15 17:09:07 | Weblog

 

高知出身の元空将の平田氏から、「面白い人物がいる、前矯正局長で西田博さんという方です」と、連絡があった。

 

親が刑務官だったわけではないが、選択肢のないまま刑務官になった。

役人の昇進はそれぞれの職位に応じて試験がある。偉くなろうとは思わなかったが、目の前の課題を解く探究心にまさる好奇心があった。

受刑者の矯正ということで緊張と即応力を考え、己にも意識の向上を課した。

そして運と縁が転がれば逆にもなる人生もあると、いろいろな施策を提言した。

現場あがりの役人との自負は、刑務官の声、入所者への心慮、関係する民間への配慮など、下座観から眺めることができた。

著書出版の関係でその親会社の役員にも誘われた。己の身の名利を案じることもないが、好奇な探究心が縁を運んでくる。

幼い頃、酔客が身障の母親の真似をして、不自由な姿で歩く姿を見て今でも悔しさは残っている

それは町の保護司もしている有力者だったが、法務行政の保護と矯正に係わる立場に立って、なぜか寛容のすべを学べるようになった。

苦労する刑務官や入所者のことをつねに考えていると、役務を超えた人としての共感が湧いてくる。

まさに、同じ釜の飯を喰うという関係なのだろう。保護司さんも同じ釜だ。

人は対価をもって贖うことがある。自主的、強制的、色々だが、社会からの隔離、労働、あるいは死をもって贖うこともある。

その特殊環境から人の人生を観て己を内省したり、取り巻く社会を観察する。

まさに自得の環境に学びを求め、かつその行く末を遠望すると有難い人生かと思えるようになった。

 

    

 

 

保護司会 講話隋聴余話

 元矯正局長という厳めしい経歴を伺い、保護事業に係わる会員にとって、従前の行政的研修かと想定した方も多かったと思います。

今回の提案は、そもそも無機質な法の世界の運用だけでなく、経歴に鑑みて、どのように縁を活かし、運ばれた人生をいかに矯正事業に新発想を導入できたのか、裃を除き各々に共感でき得ることとして、西田氏の醇なる人生観を語って頂くことでした。

また、縦割りといわれる官域の世界で、保護司より長期間関係する受刑者へ思いについては、いかに処遇なり行く末に心を砕いたのか、あるいは、刑務官から局長という職掌から、多面的、根本的、社会との調和など、くわえて、西田氏の篤い情感の生成由縁を添え、保護、矯正という枠を超えた理解と協働意識を喚起できればとの願いもありました。

それ故に、氏の個人的おもいを忌憚なく語って頂けたことで、会員にも望外な効果があったことだと推察します。

とくに障碍者であった母へのおもいと、保護司への印象や、縁あって辿った法務行政への回顧など、余すところなく語っていただきました。

生まれてから亡くなるまでの「生死の間」に、さまざまな縁の作用と欲望のコントロール次第で、誰もが被収容者となる可能性もあります。しかし、更生や生活再建の途は閉ざされてはいません。それゆえ西田さんは「ゆっくりと、諦めずに」と就労支援の気概を説きます。

そして法務省は、その支援の旗を降ろさない、と社会に唱え続けています。

驚くことは、いまだ向学心が豊かで、好奇心というべき童のような感性を保持し、先日も区内の城北高校に明治の監獄法の和綴じの資料があると伝えたところ、早速、訪問して図書館で熱心に閲覧していました。

官職を辞し、民間の社長業繁忙でも学ぶ意欲は衰えていません。

また、その興味は海外にも及び、今期は台湾の矯正施設や青少年の事情を識るために渡台し関係者と交誼を深めます。

その意味では、異なる民族に普遍な「人情は国法より重し」という、法は人間の幸せのためにこそ存在意義があると、確認の訪問です。

それは、まさに西田教学の行動表現だと実感した次第です。  

                     寳田時雄 記

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人間考学  「いじめ」 2016 1/16 あの頃

2019-03-07 01:31:12 | Weblog

      青森県 鶴田の舞橋

 

苛め イジメ 虐め 

 

女偏のつく漢字は多いが男編は少ない

ちなみにイジメに似ているナブルがあるが、嬲と嫐がある。

昔は男二人が女を挟んで、゛いたぶって゛いたが、今は、女房と娘に挟まれる男が増えた。

なかには、房中(寝室)でイジメ合う睦み事がある。

声を張り上げて嫌だ厭だと云ったと思うと、涙と歓喜に変わるのは視聴覚の学びだが、これもイジメと称すが、イライラと虐げは男女共通の鬱憤発露としてよくあることだ。

 

それが上手くいかないと子供にアタリ、登校拒否になったりもする。男は部下にアタリいじいじして酒で紛らすものもいる。

十七条の「和を以て貴しとなす」は、それ以前の隣国の房中の要にある「夫婦相和し、拒ばまざるを以てむねとする」を拝借したのではないかと古人が言っていた。

つまり、調和は「素直に拒まない」ことからなのだろうが、イジメる人間の鬱積は夫婦でさえ、色・食・財の三欲のコントロールができなくなっているからだろうが、それを認知する自分の能力、相手の理解度、社会の位置、などの「分(ぶん)」が解らなくなっている。

 

教育現場の事件や事故には子供どうしのイジメが絡んでいることが多いが、どうも教育機関という 昔は治外法権のような、はたまた聖職者といわれた教師がいたころとは現場が変わってきている。

教師は教員と呼称が変わり労働者とも自認している。用務員さんは校務員になった。昭和三十年ころの団塊と言われている世代はひとクラス40人以上、土曜はハンドンといわれた午前中のみだが 授業はあった。 女教師は少なかった。授業参観も着飾った父母はすくなく、普段着の母親が多かった。生徒は着たきりで一週間とおす子供も多かった。もちろん受験なども小学校は数えるほどしかなく、高校進学率も今ほどではない。身なりもジャージーだが、筆者の頃の上級生は学生服に帽子、ズックの掛けカバンは登下校は姿勢が歪まないように左右を変えた。

 

学校現場の環境が改善され整うと、教師が教員となり労働条件が変化するとともに、数値成果による学校の経営評価や生徒の進学率を競うようにもなった。外注の全国模試による競争は教員の評価として表れ、とくに私立高校はその数値評価を上げるために血眼になった。余談になるが、あの田中角栄さんが教員の待遇を他の公務員と比べて上げ、教科書も無償にした。

 

今時は使用人たる文部省の下げ降し教育カリキュラムと課題について、なんら問題意識もなく汲々として答えを数値として出すことに勤しんでいる。くわえ、手厚い補助金などで教育が商業ベースに乗り、教員の待遇が改善され、しかも補完的二次産業となった塾の乱立は、いかに教育が利益を図れる簡便な産業になったかの証左だ。

今更ながらの考察だが、標記のイジメが高低の差が大きくなったエントロピー曲線の底部を表わしていることに、国の行政だけでなく、就学児童を扶養している家族の一過性の期間経験は世間の無関心などが相まって、常に繰り返しの問題として社会に停留している。体験は活かされない問題になっているのだ。

 しかも、受益者である子供の動向や社会的推移などお構いなしに、課題そのものの設定すら疑問を持たず、数値に依って人間を判定することを何ら不思議におもわない教員が増えている。問題意識がなければ探求や学びも無くなるのは当然のことだ。

 

                岩木

 

 

摸倣ストレスなのか、大人同士の職場のイジメも甚だしい。多くは無視が多いという。

いっとき、その職域を狙って消費者金融が動いた。自衛隊や警察官、看護婦も狙われた。なにしろ安定給与で担保は公務員共済や自宅がある。つまり普通の客より担保があり優雅で世間知らずだからだ。とくに公立の小中学校の教員はそのターゲットだった。

しかも、職場では相談もできず、判っていても声すら掛けない非人情もある。

それらの職域からは数多の相談が筆者にあった。多くは女房にも内緒のことだ。

顕著な例だが、それらの職域は問題の把握と解決能力に乏しい。つまり課題に従順な解答を求められているためか、浮俗の諸問題に感応しないことが多い。 また、不思議と親が教員なら子も教員になるケースが多く、その点は医者や警察官も同様だ。

 

昔は論理が先行し、赤い旗を振って権力を忌み嫌っていたが、こと己に向かう問題について、例えば校内暴力、非行などについては、知恵を出し、協働して解決することなく、先ずは110番で、彼らが抗した警察の権力にすがるようだ。高潔な建学の精神や校訓を掲げている私立でさえ、自己解決力も乏しくなり、゛何でも警察゛と、まるで掃き溜めのように子供に対して警察権力を利用するようになった。 是非はともかく、昔は敷地内では治外権力として威を振り回していた教員だったはずだが・・・

 

 

                                            台北

 

 

当初は尋常と冠を付けた小学校も、「常を尋ねる」という、平常心すら習慣化されなくなった。

平常心とは教科書(知識)を学ぶ前に、慌てず、むやみに競わず、騒がず、など連帯の調和に必須な精神を肉体に浸透させる(習慣性)をつける、社会性の端緒を小学校で修得べき成長過程と考えていたことだ。助け合い、正邪の判別、長幼の礼儀なども習慣性だ

 

それが無くなり、そのまま中学校に送り込まれたら、中学校の教職員も堪ったものではない。

だから落ちこぼれも、登校拒否も、非行も発生するのだ。おおくは数値選別機関のコンベアーの規格にハマらないために排除されるからだ。加えて画一化した課題の答えしか目に入らない教育労働者と上司の、彼らなりの苦痛や煩悶となって徒労感のある職場となっているようだ。もちろんモンスターと蔑視される和製PTAの一群もそれに加担している。みずから聖職を棄て、教育労働者として闘争を繰り返し、管理職を吊るし上げたころの元気さはない。また待遇確保や賃上げの熱情を教化できたらと思うが、そんな教科書は無い。

 

                 

 

 

地方自治の教育は、郷の特徴を付加した郷学のようなものでなくてはならないと考える。

しかし、中央集権統治の効率的教育方針は、その付加を逸脱として見るきらいがある。

それは、つねに教育価値とか効果とかいわれる人間の数値選別を、唯一の有効性ととらえ、安易簡便に、知った、覚えた、類の記誦学を教育の要として、社会の有効なる個々の人間の特徴さえ、平準化の流れに埋没させている。

これでは官制学校の教員は試験監督に動員されるアルバイトでも間に合うようなもので、有名高校ですら大学受験のための大型塾の様相になってきている。

「記誦の学は学にあらず」と云われてきたが、ますますその傾向は烈しくなっている。

 

韓国もそうだが、中国はコネや優遇に加えて学位による身分制度のごとく、かつ親族内で一人が官位が上がれば九族(親族)に繁栄するという歴史上の科挙現代版とした狂騒に陥っている。それは「一官九族に繁栄する」といった、親族が公位に就けば関係者は繁栄するという実利だからだ。ここには孔子や孟子のある仁や義などはなく、銅臭紛々とした金の臭いだ。

そして発生するのは排除もしくは無視だ。「仲良く」などというものは無意味なものだからだ。どんな手を使っても競争から勝ち残り、教員に賄賂を使っても学位を手にすれば財を招く手段はある。たがら、たとえイジメがあっても就学期間だけで、社会に出れば取り戻せるのだ。

 イジメは排除といわれるが、茫洋としてつかみどころのない現実の憂慮は鬱積として堆積している。そして、無くならない。

政治に当てはめれば、独裁強圧には面従腹背がある。政策には対策がある。

ここでは虐めを批判したり抵抗しても無理がある。彼らはそれが一過性で、死ぬまで耐える事ではないと鷹揚さがある。

ならば、いじめに対して柔和に避けたり、逃げられなければ同化して馴染むこともある。

イジメは現存する。しかし虐めではなくても、そう感ずることもあればストレス被害者となる。

 

                  北京1989

 

教育とは負荷に弱らないことと、我が身に発する欲望に誘引される精神のコントロール、そしてイジメに挫(くじ)けない強靭な精神を作ることなのだ。

社会には排除、圧力はつねにある。組織や人間もそれによって知恵もつき強くなる。ただし経済的事情もあるが離脱の自由もある。しかし制度となり履修しなければ受け入れない社会も考えものだ。またそれに括り、情緒すら変容させる学び舎にさも当然のごとく順応を強いる風潮もある。

己の存在を識ることが学びとするなら、置かれている環境の是非の戸惑いと矛盾こそ学びの端緒となることであり、環境批判にこだわる事なく、負けない強い人間を自身の力でつくるべきだ。隣国では、人の社会には生きている間はイジメも排除もある。だから他からの恩恵もある社会では非難する前に、「負けない強さ」を得る、それが学びと考えている。

流行りに乗る大衆の群れは意識もなく、そのものが個々に負荷環境を作ることがある。

その加害は意識もなく世俗の成功価値として人々は昂進している。

また、長い人生、禍福は転換し、罪の評価さえ置く処を変える。

 

稚拙ながら一方の切り口として、時節の備忘記とする。

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 安倍晋三さんの忘れもの 2913 再

2019-03-01 18:09:40 | Weblog

 

フジモリ元ペルー大統領は陛下との応接で「勤勉、正直、礼義、そして母から忍耐を学び、政治の根本としています」と。


「美しい国にっぽん」
あの時も今回も目標理念は一緒だが、今回は景気にまつわる唱えが多い。
ところで昔から三つの異なる意味を連ねて納まりのよい拍子言葉のようにしていた。
「美しい」の前に「清く、正しく」が入ると調子(リズム感)が良く音(オン)もいい。
政治家や商売人には気恥ずかしいからと外したわけではないだろうが、゛美しい゛だけではオンが良いが、意味が薄い。

なぜ「美しい」は「清く、正しい」からだ

江戸っ子にはこんなセリフが似合う。「義理と人情とやせ我慢
今時の義理ごとは金がかかる。女房を質においても義理は大事だ、自分でも困っているのに人に分ける、など、寄席にある我慢噺は江戸っ子のイイカッコシイの意気地だった。ここでは「やせ我慢」ができなければ義理や人情もままならない。

 

      

      残置された台湾の日本語世代

 


美しく見せたければ、清く正しくなければならない。先ずは塊より始めなければ民は倣わない。
政、官、財、のたとえ名目要職であっても、「清く正しく」を唱和しなくてはならないだろう。今までは笑話と嘲っていたはずだ。

よく魚のくさやや厠に対する五感は「臭う」だが、香水は「かおり」という。またその方が美しい言い方だ。なかには草花のように、いい匂いと当てはめるが、唇の動かし方は「かおり」が綺麗だ。あるいは政治家の演説も「上手い」より「立派」といわれた方が気分が良い。要は使い方だが、宰相の言葉としては長くはなるが「清く正しい国と美しい環境」というべきだろうが、分かりにくければ「清く正しい国ニッポン」のほうが実利はある。

それは国民にとっては気恥ずかしいと思っているのかもしれない。片腹がくすぐったい。
では、その美しいだが、漢字では羊が大きいことは美しいと教える先生がいるが、その大きい羊は首を切られ丸焼きにして神に捧げ、大きければ大勢の人で食べることができる、とは教えない。佐藤慎一郎氏は二十年にわたる大陸生活では日本人とは異なる庶民の感覚を体感している。そのなかで「美しい」ということは、女の子が素直に「ハィ」と応える形容を美しいことだという。

そのことからすれば、素直で明快をも表している。美しいとは、清く正しく、素直で明快、そのような人々が棲むニッポンを目標としているなら素晴らしいことだ。

日本人は官制義務教育の慣性なのか漢字は辞書を引く。それゆえに意味は共通語として情報交換に役立つものだが、同じ外来語で「love」を辞書で引くと「愛」と出る。
みんなが「愛」といえば意味は知らぬとも「愛してる」とつぶやけば、これも「愛されている」と考える。ならばあなたの愛の表現はと尋ねれば、百人いれば百通りある。応えられれば良い方で「愛は愛でしか・・」と辞書から抜け出せない若者がいる。ちなみに「個性」もそうだ。数人集まって、゛個性的ね゛といえば、どことなく納得するが腹はみな違う。

ならば誰がloveを愛と訳したのか。辞書が共通訳の働きがあったとしても、俺の愛はこの様なものだ、と差別化しなければ個性もなければ優劣,高低、多少で判断しなくてはならない。当ブログの初稿に記したが、二葉亭四迷は「私はあなたのために死ねます」と訳し、そう思っている。アイラブユーは、私・あなたを・愛しています、と誰もが訳すようだが、斯様に「愛」は人間の選択意志が入るといい加減なものになる。

ましてや異性と食い物と金が条件に入ると愛は殺意さえ起こすこともある。



             

台湾総督 児玉源太郎                    民政長官 後藤新平

【軍、官の異端児だが、まさに、清く正しく、美しい台湾を目指した。】


安倍さんが唱える「美しい」は政治家としてではなく、日本人の誇りを対外的にも観照して美しく感じられる国柄にしたいという願いだろう。異を唱えるものではないが、ついでに調子を合わせて「清く、正しい、美しいニッポン」と唱えるなら、その行動は緊張感と集中力をもって国民に「清新なる信」を想起させるだろう。

政治家ならずとも大人になるとなかなか口に出しにくい言葉だ。いくら当選のために、あるいは失業対策選挙だとしても、余程の厚顔でなければ大声で言えまい。なかには役者も運動家も人寄せで選挙を戯れるようだが、子供が唱和するような純で透き通った声で「清く正しく美しい政治」と、全国津々浦々で唱えれば幾らかは教育改革の助力にもなるはずだ。

本当は「清く、正しく、立派な政治」というべきだろうが、なかなか・・・

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