まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「諺」゛ことわざ゛と、駄洒落のすすめ  2008 9/1再

2016-07-16 12:09:55 | Weblog

「駄洒落の帝王」と敬称?されている筆者の畏友である塩田丸男が「ことわざ・・」について珍書を著した。

そもそも読売の黒塗り専用車に乗ってナベツネこと読売新聞の会長と同じ窯の飯を喰った記者仲間ではあるが、一方は政治好き、塩田氏は荻窪団地で執筆した著書をデビュー作として、今では辛口コラムニストという奇名で活躍している。

以前、このコラムで電柱とピースの箱のことを記したが、当時の記者は黒塗りに社旗をはためかせてネタ取り廻りに忙しく、俸給外の駄賃も結構バカにならない、そんなイイ役分だった。

80を軽く過ぎ、いまだ数多麗人の心中を気分良くさせる話術は、午前を過ぎても健啖旺盛な怪物ぶりで、彼の、゛ことわざ゛゛駄洒落゛のもつ、悠々とした容像体にも良く現れている。また俳句の師匠としてもその博覧は参会者を魅了し、その会にも門松を数え切れなくくぐった麗人が多く参集している。

「ことわざ」だが、近頃は在日二十年という米国人宣教師がバンドを組んで「ことわざマンボ」という楽曲を出している。「アイラブ・ジャパン」という曲も秋田音頭を題材に軽妙にリズムで好評を得ているが、彼らの説く聖書(旧訳)のソロモン王の章に「ことわざ」と似た諭がある。


           


【絶世の美人でも行儀(性格)が悪ければ、鼻に金の鎖をしている豚と同じ】

だから、そんな女性のうわべに騙されてはいけない、と云う事だろうが、ことわざにも豚が出てくる。「豚に真珠」、なぜかくも文化の異なる地域で「豚」が取り上げられるのか、朝鮮半島でも日本人の下駄履きを豚の蹄が割れていることを指して、あざけ笑っている。たしかに清潔好きで神の奉げ物にもなる豚だが、旧訳では女性が豚の例えである。

確かに、ブランド漁りの禿げ鷹、フテ寝のトド、男を騙す夜の蝶、バイキングのハイエナ、など、不謹慎にも他の動物に例えられる女性だが、そんな女性に対して「女房に負けるものかと馬鹿が言い」と、男のか弱さ?を謡っているものもある。

それにつけても「ことわざ」は、畏まった理屈や、論理考証という土壇場にはさして意味の為さないものより、瞬時の直感を活かす民族固有の智恵であり、セキュリテーでもある。

以前、ジュニアブッシュのイラク開戦を憂慮したワシントンシンクタンクからコメントを求められたとき、直ぐ思い浮かべたのは「猿も樹から落ちる」だった。

そのまま送るわけもいかず、「直にして礼無くば、則ち絞なり」とと題して、
負ける筈の無い戦争は緊張も無く、勝てば勝ったで国内を弛緩させ、秘密であるべき謀や企てが露見し、かつ政府の不祥事が露見し、内外がコントロール出来なくなり、諸外国の信頼を失い、政策が頓挫するようになる】と直ぐ送付した。


           
          『人生はホドが大事だょ』も組竹本


これも誰から聞いたか、童心の耳に留まっていた年寄りの言葉だった「猿も・・」を気転として活用したのであり、その後の人生の学びにあった古典の栄枯盛衰にある「人間学」の応用であった。

技術知識の活用は人間の応用機転にある。
よく、゛気が利かない゛とあるが、小事ならともかく、こと大事には結果を左右する気転である。

その応用の「気転」を左右するのは、習慣化、肉体化された小さな言葉と些少な体験である。

いま日本人は制度化、マニュアル化され人間力に有る、「察知」「直感」が衰えている。しかもいつの間にか利便性に導かれ管理化されている。しかもそれは「数字」という人間の「気」を含んではいない。それでは「転」ずることは出来ない。

つまり、゛社会を変える゛とは言うが、変えることによって物質を云々することではなく、人の精神や心に云う「気分の転換」が図られるべきだろう。
その意味では「変える」ではなく、「還る」ような精神回帰や自然と寄り添う「循環性」と考えるべきだ。

衣食足りても礼無く、節も無く、カオスのように映る現況に我国の「ことわざ」に似た隣国の「医者要らず」を引いてみよう。

静座して「躁」を医す
酒を温めて「鬱」を医す
欲を少なくして「貧」を医す

これは俗諺といわれるものだが、「欲張らなければ、貧しいとは感じない」その通りだ。あるいは「買い物好きの掃除嫌い」心当たりのある伴侶はいないだろうか。
逆に考えれば「倹約する人は掃除が好きだ」ということだ。

政治家には
一利を興すは、一害を除くに如かず」
新しい政策を立てたり税を徴収しなくても、不要な法を破棄し、不必要な人員を割くだけで、多くの利が自然に発生する、ということです。
蒙古の元は異邦人(色目人)であった耶律楚材を宰相に任じて多くの政策を立案させている。しかも彼はそれに応え、勇猛なる元の将を束ね、かつ哲学者として余すところなくその才能を発揮させている。

日本にも渡来人によって国家の根幹というべき礎が築かれた。
戦後も在日朝鮮人や中国人が、まるで強く引いた弓が弾かれるかのように社会に躍動を与え、民族を超えて社会に貢献したものもいた。
マッカーサーの施政、あるいは税制に言をもった外国人など多くの異民族によって戦後復興の端緒が開かれた。

どうせ不作為な食い扶持狡務員に大枚払うなら、いっそのこと退職したFRBのロバートルービンや相撲好きのシラク前仏大統領、あるいはビル・ゲイツなど賢明な人物を雇用してみたらどうだろうか。
現実に用心棒の米国のミリタリーに基地や資金を提供し、はるばるペルシャ湾まで兵站を構成している我国のこと、真の人的グローバリズムは易いことだろう。

小人、利に集い、利薄ければ散ず
こんな喩えがピッタリな金融資本に手玉に取られ、あるいはモミ手をする小人政治家に委ねずとも、自由と平等という奇なる大義を掲げ、世界の智を移民として収集する米国に倣わずとも、「ことわざ」に溢れる情緒的人財は、争わず、抗さずとも
那家には含有している。「人情は国法より重し」と隣国の俗諺にある。
つまり人が財であり、その闊達な行動を担保するのが国家なのである。

別な人財だがある米国シンクタンクの俊英な研究員は、日本女性の空想域にある素晴らしさは、優秀な異邦人を虜にできる。これは日本の有効活用すべき資財だと真顔で語っている。片腹痛いハナシだが、そうらしい・・

           

情報によって金は集まる。その情報は古今東西、゛女性゛゛グルメ゛゛財貨゛の欲望の在り処である。人を惹き付ける売り物はそんな素朴なモノなのだろう。


ユダヤ民族には諺に似たタルムードがある。華人には多種他民族を経国する共通の智恵がある。我国の「諺」は習慣化され肉体化されて、時折人の口端に快いテンポで発せられる。それは売文の野から言論貴族、はたまた政治家の大言壮語、役人の指標やスローガンを頼らずとも、ナチョラル、ピュアに世の中に当てはまる智恵が溢れていることが解る。先ずは自身を「ことわざ」に当てはめたらいいだろう。

意図的な宗教や知識本に委ねずとも、自身の脳髄に解りやすい答えを心地よいリズムとテンポで導いてくれるだろう。

「今度、お会いして一献・・」との書簡が届いた。
又、駄洒落叔父さんの愉しい酔談と、ハナシを折る筆者の漫談を想像して、この凶変した世を量り、企ての糧としてみたいと遊筆にて失礼した次第。



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