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田中角栄氏の子女真紀子氏は教育行政について独特な考えがあった。
父は教科書無償、教員の給与を含めた待遇改善を多くの反対を押し切って立法した。
今は、言葉には混乱もあるが官制の教育制度にある大学校の設置基準について政治家としての言を述べた。
角栄氏は戦後の教育行政へ勢力を伸ばしてきた日教組の構成員である教員の待遇を改善し、公務員なかでも厚遇というべき施策をおこなった。
その理由は子供たちに教育の機会拡大する枠組みとサポートする教員への援護だった。要は、角栄氏の許容量と見るべきだろう。
思想も施策も人間のなせること。複雑多岐な要因を以て構成されている国家を俯瞰すれば与党も野党もその協力者も当然な意味を含んだ存在だ。与党為政者といえど、欲望交差点に騒ぐ陣傘代議士とはことなる位置に居たことは確かだ。
当時、教員の多くは日教組に参加し、その政治志向は共産党、社会党と与党自民党の反対勢力だった。
教科書とて後の侵略記述にあるとおり教員の選択に任せた教材だが、これを無償配布した。
後日、「この施策については忸怩たる思いも少なからずある・・・」とも述べているが、それは自身の体験から「姉の使った教科書を大事に使った・・・」という、その教育環境の、゛ひもじさ゛と、教科書(もの)を大切にするという徳目が混在した複雑な思いからだった。
だだ、戦後の疲弊から豊かさへの欲求であったが、易きに流れる風潮は内面(情操)教育を疎かにして、外面の形式を装う教育とそれに迎合する政治(政治家)・行政(官吏)・教育(教育者)の人材養成に多くの諸問題を発生させた。
それは政治家、官吏、教員という公を代表する位置に在る「人間」の弛緩、怠惰、堕落を誘引し、角栄氏が時代を繋ぐ子供たちのために施策した法のもと、社会事情を顧みることなく既得権保護として、政府の是正もしくは効率化に、いや教育環境の適正化に対して政党を巻き込んで反対するようになった。
加え、偏差値という数値選別が人間の多様な能力を閉ざし、学校が商業化してそこに官界、政界の利権として多くの既得権者を生んだ。
覚えた、知った、類の数値が唯一の選別基準として社会全体を覆い、「人」の存在が希薄な状況を作り出した。
茫洋な混沌、あるいは橋下市長の言う、ふんわりした民意の怨嗟、とはこのことだ。
わかりやすく例をひけば、金融機関がリスク回避をするために信用保証機関の債務保証つきの貸出をするようになってから職員の査定能力が衰え、単に保証機関の取次店のような姿になったことと同様に、教員の教育の独自性、多様性が文部省通達と全国試験を生業とする企業の偏差値に右往左往して教員の機械的作業となり、あるいは適性(偏差値で算定した学校)紹介業の補助的な役割に陥っている。
時間が足りないとは言うが、それだけではあるまい。
本当の子供新聞
子供の不思議感、子供ながらの残酷な大人への疑問や指摘を直接生徒が取材して、日本の中古二色刷りの印刷機を駆使して生徒がカラー版を作る。
もちろん日本のような宣伝広告は無い。識字率は向上し、新聞によって大人は子供の疑問を知る。そして学校では子供新聞を教材にする
バングラデッシュ子供新聞 「キシロチェトロ紙」 記事は学校ポスト投函、日本へメール送信して校正・紙面データー化して送信する。
16ページ、海外面、社会面など、みな子供の書く記事で、大人の記事は小さいコラムだけ。毎月1000部、費用は数人の現地、日本の少ない賛助で発行している。
日本の大学数約800、多いか少ないかは別として、多くの内情は供給側の減少を補うために珍奇な学部を増設したり、コンビニ、レストランの併設や校舎のリフォームなど、より大学校本来の意味合いをなくしている。その大学に請われて講義に行ったことがある。
90分の授業では教授案作成が一週間かかる。同じ授業で教科書も同じなら、学生が変わっても同じ授業をオウムのように行っている教員もいるが、こちらは一期一会の機会である。
また、90分の間で緊張できる時間は15分ぐらいと老練な教授の言だが、そのほかは居眠りか、近頃は取り入れているパソコンへの集中だ。
授業とは言うが、顔を観て声を聴き、学びの意欲を共有することが学び舎の教場と考えていたが、ここでも出席単位の確保のみがはびこっている。
ある大学で女子生徒を注意したが、「叱らないほうがいいですよ、それに生徒はお客さんですから・・」何をかいわんやだ・・・。
私事だが、進学校だった私立高校卒業時に人並みに大学進学を考えた。それは想像したといってもいい。現実に視えたことは大学紛争と弛緩した大学生の生活だった。なかには女と酒と遊びがもっぱらな先輩たちだ。教場では居眠り、途中参加、教員はお構いなしにボードに学説という「説」なのか「拙」なのか分からんような文字を書きこんでいる。そしてお座なりの試験という数値選別だった。
一旦、人生の様子見を決め込んで逍遥した。逍遥はブラブラしたわけではなく、したいことより、するべきことの発見だった。
そして今は歴史記述にある多くの人物と邂逅し、いまは流行りとなっているオーラルヒストリーという、直接応接してときに問答した。
あるとき、安岡正篤氏に
「そろそろ大学に行ってみようかと・・」呟いたところ、
『大学という学問は面白いが、大学校はつまらん所だ。君、行くのかね』
確かに氏は帝大だが、自身の志す教科が無かったために併設図書館に通って、あの王陽明研究という名著を在学中に著した氏のこと、意味は深い。
゛好きで楽しくなければ覚えない゛゛学問は衣食のためにするものではない゛と古人も説くが、その意味では「大学」と「官制大学校」の世界は異なる場面だ。
その後、多くの縁を促され、多面で多岐な人物と応答が適った。それが安岡氏の言う「学問」なのだろう。
いまは拡大された縁を収斂する齢に差し掛かっている。それに随って拙意の提供を請われたり、大学等での駄弁を弄する機会も多くなった。
軍隊でいえば二等兵が士官に講ずるようなものだが、生徒が好きで楽しいためか居眠りも少ないようだ。犬ですら犬好きには吠えないというが、その点、若者のバーバリズムは健在のようだ。
もちろん教科を説明する「経師」ではなく、縁に随った稀な人物に倣って「人師」になろうと心掛けている。官制の「学校歴」はなかったが、学びの継続は「学歴」をいまだ追求し、そして欲している。そして生徒には「大学校は落第してもいいが、人生だけは落第しないように」と語る。
それは舌が言う「話(ハナシ)」でなく、吾を言う「語り」だからだ。
言い方が悪い、空気を読んでいない、仕草が悪い、と散々な真紀子氏だが別の切り口で見ると、よく空気を読んでいることが分かる。
あの石原氏や橋下氏が訴える官吏の弛緩と堕落、それは外務省の外交姿勢と隠ぺいされた内外の勤務状況に絡んだ経費の支出。文部省の政治家と絡んだ呉越同船の学校利権と、それが及ぼす教育の実態。みな夫々が判っているが是正できない問題だ。
桂林
いろいろ発言を面白がられ、それを気にもしない突破力は石原、橋下氏にも劣らぬものがある。政治家の言は国民の期待とはいうが、あくまで想像力をかきたてられるものだ。
また、総てが納得することもないが、ただ、橋下氏が言う、゛ふんわりした期待と怨嗟゛、石原氏が言う、゛大きい枠で協働する゛(小異をのこして大同につく)様子は、思索力をなくした人々に明確に喚起の為す意味を教えているようだ。
余談だが、あの小泉氏への応援演説は当の小泉氏への期待というよりか、田中氏への行動力、突破力に自民党有権者は賭けたのだろう。
それは外務省にも向けられたが、漏れるはずのない井戸端噂の類が高学歴、高級官僚の狡猾な情報操作で伝わったのだ。
父は高学歴の愚かものには人情という小遣いを使った。その位な連中だということを知っていた。要は国民のための政策を容易に実行するためだった。ただ、娘は入れ込んで昂揚していたためか、あるいは余りにも世間とかい離した官界に切れたのか、押さえきれない暴走になった。
「国民の意志を」と政治家は言うが、社会や国家を憂慮する意志などサラサラなくなった人々に、欲望の喚起を誘引することこそ、国家の自殺行為であることすら解っていない。歴史を観照して現在をみて将来を推考する、そんなことすら億劫になった人々には、たしかに変人、異物に映るだろうが、時宜を得ている言辞は貴重な存在だ。
面白がって揶揄する処世の民癖だが、こと大学ならず生徒を客として大学校を食い扶持にする連中にとっては前段の緊張として歓迎すべきことであろう。
ただ、またしても女性の烈しさに隠れる男子が情けなくも映るのも忸怩たるおもいもある。