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仮題 「愚庵」
「あらすじ」
名は天田五郎。生地は磐城平。もちろん今どきの学歴もなければ、金もない。戊辰の混乱で、生き分かれになった親兄弟をさがす途、縁にあって小池祥敬、山岡鉄舟ノ知遇をうけ終生の師となる。
やがて陸羯南、落合直文、勝海舟、原敬、三遊亭園朝等、明治を彩る傑物との親密な交流や、庶世の仕事師や童との生活に時折起こる煩いごと、それに反応する主人公の智略と義侠は、当時のごく普通にあった情義の世界だった。
鉄舟の促しで清水次郎長の養子となり富士開墾などに功あり、当時の稼業の世界を書き記した漢文調の次郎長伝は、講談師神田伯山の手によって高座にあげられ、後に広沢虎造の浪曲づくりによって一世を風靡した。
知己の相次ぐ死で京の禅寺、天竜寺の名僧滴水の門徒となり鉄眼と称す。
糜爛した世間、ときに弛緩堕落する僧徒の世界を忌避し、草庵を設け愚庵と称す。
行動は直観と義侠を以て、動けば修羅雷電のごとく、色街で放蕩もすれど、赤貧もいとわず、つねに至るところ青山のごとく、まさに義と侠に命をそそぐ無垢な童心を併せ持ち、かつ真の教養人として余すところのない人生を疾走した。終章は路傍の童との無常の別れであったのも、まさに愚庵の生きざまであろう。
外に漏れるものを止めることは難しいが、内なる器を大きくすることで自然にして内に留まる。しかも万象に潜在する良質なものを俯瞰し咀嚼すれば、言は無くして、痛快な境地となる。これ内観の妙。仏道は僧堂に在らず、禅道は路傍の義侠にあり、まさに己の行くととろは随所に廟堂あり、そんな読了感だ。
編者 寳田時雄 拙記
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天田五郎 出家して愚庵
第一章 明治五年
五月
麹町中六番町。閑静な、広々とした、広すぎるくらいの邸と庭である。
元は、武家旗本も相当大身の居住地であったろう。庭ぐるみ千五百坪はあろうか。
そこから見おろせる邸内のずっと離れた、主人居間の方には、遠すぎてか、聴こえないようである。
座敷には、当邸主人の小池祥敬と、まだ二十歳にもならない若者が向かいあって座っていた。
ヤケに顔がまっ黒でひと目で田舎者と分る。小柄、眼光射るがごとく、みるからに不逞精悍の風がみなぎっている。
触れたら鳴りを発するような強情さがあふれている。
小池は四十をこしたばかりで、色白く、ふくよか、婦人のような柔和温厚さで容姿、優雅で、気品あり、ことに眼が美しく澄み切り、底に微妙な光ある。
さもあろうか、この人はもと京上賀茂神社の社家出身で、若くして勤王に身を挺し、家を棄て、幕吏に追われ入獄するなど、今の立身もそのためで、明治新政府は、この頃、太政官の正院大主記、当時は太政官制度で、正院(太政大臣、左右大臣、参議構成)と左右両院の構成により、左は後に元老院、右は各省長官配置、大主記はその正院十四階級中十二位に当る、まず官吏としては最高位に属する立場である。
長々とした紹介状を丁寧に読み下し、スルスルと手に巻返しながら、涼しい眸をあげて、心焦せらせ紅潮している天田五郎をながめ、
「趣のほど、よく承知いたしました。ご事情のほど、お察しいたします」
二十歳も年下に対しても、丁寧である。
若者は、勝手がちがって、ちょっと畏まった。
(承諾、されたのかな……?)
「で……」巻きおわった書簡をひざの上に、手を重ねて、端然ときく。
「あなたには、仕官の望みが有るのですか」
「ハ? 仕官……」
「つまり、官員、又は学者としてです。政府に仕え、立身する希望が有るかということです」
「イイエ……」断然として云った。
「有りませぬ」
突然の大声に、発したものも、聴いたものも、つい、微笑と苦笑を交わし合ってしまった。
「私の念願は、ただ一つ、自由独立の身として天下を廻り、戦乱の中に生別しました肉親を尋ね出だすこと、その再会だけが望みであります。ただこれだけであります」と力みこんでいう。
小池は、さそわれて、また微笑した。
「分りました。そうですね。私の所は書生などはいらないのだが」
「……」顔に陰がさした。
「マア、よろしければ、大したお世話もできないが、おいでなさい」
余りのあっけなさに、気が抜けた。気づくと、ハッとたちまち平伏した。
「ハイッ……ハッ、ありがとうございますッ」
その東北の田舎ものの生地丸出しの、率直素朴の態度に好ましさをおぼえ、小池は、いった。
「さぞ、心痛なことでしょうなア……」
その時、ジジ、ジジッ……と、鋭く鳴いて、大きな一匹の蝉が、飛んできて、松の樹の幹に止まって三匹になった。
「あの、山岡様がおみえでございます」
「ホウ……」
縁に、客来を告げる内儀の声に、顔ふりむけた小池がうなずき、
「かまいませぬよ、ここへ、どうぞ……」
「はい……」
若者は、身を固くした。
(さがろうか、退くまいか……)迷っていると、その人が、ズシリとした足音と共に、影をみせていた。
ふりむくと、大柄で壮漢であった。主人と比べて、何という違いだろう。
みると七尺有余は有ろう。目方も二十貫以上はあるまいか、鴨居にもつかえている。
五尺五寸余の痩せっぽちの若者には、圧倒的であった。
「やア……」
笑いながら、声かけ、無雑作に通りぬけて、向うに席をとる。五郎の会釈にも、一瞬目を向けたが、それっ切り。
「暫く……」
「あの時以来、お久しぶりですね」
主人もよほど親しいのか、かしこまった挨拶もない。
「うむ、ハハ、西郷さんから余計な仕事をたのまれて、勤めはするものの、なかなか楽じゃない」
「ハァ、ハハハ」小池も声を上げて笑った。
「ちょうど良い、お引合せしましょう」
二人を比べみて、
「承知だとはおもうが、このお方は、元、徳川家直参の山岡鉄太郎先生です。今、畏くも今上の御身近く、侍従としてお仕えしている方です」
若者は、吃驚した。天皇の間近に近侍するときいただけで、身体ぜんたいが痺れてしまうほどの愕きであった。
「今日から、石丸八郎氏の紹介で、私の家に寄宿することになった、奥州磐城平の人で、天田五郎という青年です。どうぞお見知りおいて、よろしく今後ともみちびいてやって下さい」
「天田五郎と申します。なにとぞよろしくお願いいたします」
ジロリと、その挨拶に凄い目をくれる。五郎は身がピリピリとした。
山のようにドッシリと、それだけでこっちの身体が威圧される感じだ。
「この天田君は篤志の青年でしてね、戊辰の戦には、十五歳で、磐城平で、官軍と戦ったそうですよ」
「ほぅ……」鉄舟もあらためて見つめ直す。
「その戦乱のさなかに、ご両親と妹に生き別れとなり、以来、いま以て行方しれず、その捜索再会が、一生の宿願だそうです。なかなか以て感心ではありませぬか」
鉄舟が、今度は鋭い目で見た。
五郎は、面はゆい気持ちになった。
「今もはっきりと聴いたのですが、仕官立身の望みはないという。いまどき珍しいですね」
五郎は、いよいよ照れくさく、尻がムズガユクなった。が、多少誇らしくも思った矢先、水をかけるように、浴びせられた。
「なるほど……変った面構えですな、ちょうど奥州の山でとれた手ごろの頑固猿といったところですな、ハハハハハ」
適評ではある。それだけに五郎はムッとふくれっ面でながめるが、屈託もない。
鉄舟こと山岡鉄太郎、この時いまだ三十六歳。
戊辰の役後、徳川慶喜公に随って静岡に在ったが、やがて静岡県権参事に命じられ、慶喜の東帰の後、再び戻る。今は、肝胆相照らした西郷隆盛の依頼で、若き新帝をめぐる皇宮内の改革のため、女官退治に、皇宮侍従を余儀なく引き受けさせられていた。宮中女官は、将軍家大奥に似たりよったりの弊害をかもしていたからである。
この出会いは運命的だった。
「天田、大分、腕が上ったナ、」
「そうですかァ、打たれているばかりで、ちっともそうとは思えませんが」
五郎は呼吸をはずませている。
吉井幸太郎が笑っていう。
「それが上っている証拠さ、勝負が見えてきたのさ、下手なうちはムヤミに打ちたがる。相手かまわずにな、ところが少し進むと、相手の強弱巧拙がしだいに見えてくるから、今度はウカツに手が出にくくなる。今、貴公がそんなところさ、もう少しゆくと、相手に応じて、あしらうようになってくる。ここまで行けてまず半人前さ、僕なんぞもう三年も通っているが、やっとそこらだ」
五郎は、うなずいている。
「何しろ先生が先生だけあって、ここには荒っぽい奴ばかり集まっているからナァ。お前なぞ、まだ半年にもならぬのだ、大した上達ぶりだよ」
「そうですかァ」笑った。
「山岡鉄舟と云ったら、荒い上にも厳しいので天下に有名だからナ。先生は若い頃には鬼鉄と云われて、得意の突きを食らったら、五日位は腫れ上ったまま飯も喉を通らんそうだった。心形刀流の伊庭八郎先生と試合した時は、道場の床板を踏み破ったというからのう」
「突きでは、しかし、斉藤の鬼歓の方が上だろう」こっちから、島村というのが口をはさんだ。
「武者修行で、西国九州を廻り一人として勝つ者がいなかった。余り若いのでバカにした長州の連中が、桂小五郎、今の木戸さん以下一人のこらず突きでやられ、それから一同ビックリしてみな斉藤道場に入門したというじゃぁないか」
「馬鹿を云え」それを聴いていた一人が打ち消した。
「たしかに鬼歓は突きの達人だが、素行が放縦でなっとらん。不節制で、もう二十四、五で死んでしまっているではないか。そこへゆくと、先生は、道場荒しもしたけれど、品行正しく、情義に厚くてかりにも喧嘩争論をしない。第一に、元々直参六百石の小野家次男に生まれながら、五十石という小禄の山岡静山師に、臨終の際に、鉄太郎が欲しいなぁ、と呟やかれたのをきいて、私で宜しければと、喜んで貧乏道場に婿入りした。それが今の先生だ。人生この意気、武士はこの精神だ。正に人間の本懐、侍の心根、これではないか。
あの動乱の幕末維新の中、生死の境を奔走して、人一人斬ったこともなく怪我一つしてもいない。こりゃァ大変なことだぞ、いくら強くったって、人格や徳が伴わねばダメだ。斉藤だって、千葉、桃井、みなご維新になってからは、すたれてゆくばかりではないか」
「その通りだ」吉見も大きく頷く。
「先生も先生だが、奥様も偉い。あのとおり穏やかな、おやさしい人柄だが、男も怖れをなした江戸明け渡しの混乱期に、先生は官軍総大将の西郷と周旋する考えがあり、そのため頑冥な佐幕派から裏切り者とみなされ、命をつけ狙われた。毎日のように侍が表をウロウロし殺そうとやってくる。ある日、そのお留守を帰るまで待つとムリヤリ上りこんだ数人があった。奥様はそんな奴らにも、お茶をすすめた。すると頭は皿の羊羹を抜いた白刃にさし、毒見をしろ、と目の前につきつけた……」
皆、身体を乗り出して話にひき入れられた
「奥様はどうなさったと思う……」
みまわした。
「顔色も変えず、『では、お毒見いたします』、口をもっていってアングリ平気で食べてしまった。これには度肝を抜かれて、『改めて参る』と、さっさと退散したそうだよ。いいか、その一人が、但馬の八木竜蔵、今を時めく新政府役人、加えて今は先生の弟子でもあり、当時威勢の北垣国道さんだよ」
吐息が期せずして座にこもる。いつのまにか、門人が集まって
「然り、然り!」
やにわに大きい声が上った。ノッポの大川だ。
「明治の東京に在って、都下第一の剣の達人はわが山岡鉄舟先生である。つまりは、先生をほめること、即ちその門弟である我々の自慢である、と、ハハ、そうだろう」
これでみんなドッと笑ってしまった。すると「しぃー・・」と、だれかが制した。
振り返った途端、羽織姿の鉄舟が、フラリと風のように入ってきて、縁の方からこっちをながめていた。
誰命ずることなく、自然に、粛然として一礼していた。
後に、春風館を称した鉄舟が、その場に現れただけで、門弟の気は昂揚し、ひきしまる。鉄舟は自然の英気が身体に漂い、周囲を圧倒した。
黙って手をふりそのままやれという風に去る。
その気風は庭道場ではあるが、稽古は凛として壮気みなぎり、烈しかった。
(幕末以来、鉄舟は道場をもたず、弟子も取らない。それでも勝手に人々が寄り集まってきた)
「天田……」
「ハ……」
「先生がお呼びだ。居間の方に行け」
「ハイ」
五郎は、この旧中野長者邸跡という淀橋中野の山岡邸に、麹町中六番町の小池邸から通っていた。
「オイ、運の好い奴だな、奥に行けるなんて、あとで何の用だったか教えろよ」
傍にいた吉見が云った。羨しそうである。五郎は、ちょっと好い心持ちになった。
「天田です。お呼びでございますか」
「おぅ、入れ」
入って障子をしめると、一礼した。
一人ではなかった。客がいる。
鉄舟の部屋は殺風景だった。が、どこやらに侵し難い風情が、その八方破れの室内に、厳として漂っている。いつものことだが、近寄って接すると、不動の山容、磐石の重量感がひしひしと押し追ってくる。その山は今日は一つではない、それが二つだった。
ちぢまっていると、
「もっと近くへ来い」
五郎は会釈を客にして、膝を進めた。
「此の男です。天田五郎と云うのは」
「ほう……」客は目をくれ、頷いている。
「天田……」
「ハッ」
「このお方はナ、小池さんも親しい国学者の落合直亮先生である。私からもよくお頼みしておいたが、よろしく今後のご指導を君からもお願い申し上げぃ、学問の面倒をみて下さろうと深切に云われる。」
「ハイ」五郎は向き直り、ピタッと手をつき、
「天田五郎と申します。ふつつか者でございますが、今後、御教導のほど、よろしくお願い申し上げます」
「イヤ……こちらこそ宜しく」
魁異な相貌であった。長身である。眼はいくぶん尖り気味に、眼の奥ひっこんだ感じで、深く光っている。尋常の人物でないとは、五郎にも分る。
「御免くださいまし」
やさしい声、鉄舟の妻女であろう。茶菓を運んできた。
「五郎……」
「ハ……」
「きさま、なかなか道場では評判がいいそうだナ」
「ハ……」ちょっとうれしくなった。
「うれしがるな。剣の筋が好いというんじゃないぞ、きさま、強情で利かん気だが、先輩には尽くすらしいで、根が暴れん坊の単純な奴ばかりだから、気に入られたらしいというのだ」
その時、退りかけていた英女が、クスリと笑う。
「なんだ」
「ごめんなさいまし、別に……」
「何がごめんなさいだ。何で笑った。云え」
英女は身を向き直し、微笑んだまま、
「今のあなたのことばで、ふと思いだしたことがあったものですから、つい……」
「何を……?・」
「天田さんのことでございます」
「五郎がどうかしたか」
「申し上げてもよろしいかしら」
五郎の方を流しみた。
「早く云え、何を焦らすのだ」
「ハイ、では申します。天田さんが、道場へ来始めのころ、どういうわけか、いつも稽古になりますと、稽古着が裏返しなので、古参の方たちは、ヘンな奴だと、注意されたのですが、天田さんはフンといった切り、どこ吹く風といった顔なのに、気にさわったかして、一度こらしめてやれと、皆さん寄り合って、天田さんにご馳走してやるからつき合えと、河童庵につれこんだそうです」
「フン……」
「……」五郎はアッという表情をした。
「そこで皆さん、天田さんに食べろと名物の蕎麦をすすめ、食べるそばから次々と運ばせ、あやまらせようとしたのですが、なかなか参ったと云わない。なにしろ音を上げた方が勘定総持ちのつもりで双方、口を利かぬまま、一方は暇なしに運び、一方は食べつづける。結局二十六杯ツルツルと呑みこんでしまったので、食べさせた方は青くなり、それ以来、天田さんの強情我慢は、古参の間でも天下御免だそうでございます」
「そばを二十六杯……」落合が剛毅な容貌を解いて思わず呟いている。
鉄舟も、呆れる感じだ。
「きさま、本当に二十六杯も食ったのか」
「……ハイ」仕方がない。
「呆れた野郎だなア、それで何ともなかったか」
「ハイ……」
「それはウソ……」英女が横から云う。
「天田さんは、そのあと腹を下し、三日ほど何も食べずに青くなっていました。それでも明くる日には道場にきて、古参の方々に、昨日のお礼をいたしたい、うけとって下さるかというので、みんな何だろうと見ていますと、天田さんは……」
「奥さま、もう勘弁して下さい」たまりかねて、五郎は手をふった。
「云ってみろ、あとを」
笑いながら英女はつづけた。
「庭に飛び出て、クルリとお尻をまくったかと思うと……ホホホホ」
あとは手を口にあてて云わぬ。
落合もこわい顔を失笑させた。
苦笑した。
「はぁ、ばかな奴だなぁ、きさまも」
五郎は、真っ赤になって、顔を伏せている。
「まだそのあとがございます。アトでこれをきいた河童庵の主人は、五杯十杯ならまだしも、我が身に苦心し工夫した手作り自慢の名物を、これでは丹精も味もあったものではないと、かんしゃくを起して、当時、山岡道場の者といえば、お断りを食うことになりました」
「それは、俺も知らなかったぞ。五郎、これが本当のくそ度胸と云うやつだな」
大笑い。五郎は身のおき処もない。
「奥さま、ひどいですなぁ」頭をかく。
「だが、そんなムチャは止せ。愚の骨頂ではないか。それを本当のバカというのだ」
それを聴いて妻はニヤニヤとした。
「なんだ?」
「あなたもそう大きなことはいえませんでしょう。ずい分昔は鯨飲馬食でございましたから」
「う……」妙な按配になった。
「ハハハハ、これは見事に参りましたぁ」
鉄舟も苦笑。
「これで困る。山岡の処は、主人より女房の方が人間が一枚上だと、専らの評判で、つけ上ってそれでチョイチョイやりこめられます」
これでまた大笑となった。五郎もつい笑った。
はじけたように笑いが上る……
五郎は、じつに愉快である。
愉快で、愉快でたまらない……
五郎は、路先で、立ち止った。
「うん、実に好い、俺は幸運だ。好い先生、好い友人先輩に恵まれている。実に好いぞ」
頭をふり、両手を天に伸ばす。思わず飛び上がった。
「アハハハハ」
通りがかりの人が、おどろいてながめているのにも、ふりむかない。
サッサと歩き出すのに、
「変わりもんだね」通行人は呟いていた。
「あっ、五郎さんだ」
「お兄さんだ」
広い庭先で、戯れている姉弟が、五郎の姿をみつけて、さわいで走りよってくる。小池の子女である。姉は幽里、弟は豊。
「おぅ、只今」
五郎も子供を一人ずつ抱きかかえ、空高くふり廻すと子供は声を上げて喜ぶ。
「お兄さん、遊ぼう。あそんで、肩車」
豊の方は、まといついて放れぬ。
幽里の方は流石に大人びている。
「ウン、あとでね、あとで」
「キットだよ。ゲンマンだよ」
「いいとも、そうら」
五郎は、二人と指をからませる。
「お父さまはお帰りですか」
「ええ、おへやに」
「奥さま、只今戻りました」
「お帰りなさい」
一礼して、ゆきかけると、ご内儀が声をかけた。
「天田さん今日は縁起のいい日なのですか、うれしそうですね。顔が光ってみえますよ」
「ハ、そうですか。実は大変にうれしいのです。うれしくてたまらんのです。奥さま」
「あら、どんなことがあったのでしょう」
「ハハ、ハハ」
五郎は、ニコニコして、去ってゆく。内儀も思わず明るくなっている
「先生、只今戻りました」
障子をあけると、着替えた小池が机に向って、書をひもといていた。
「お帰り、まぁお入り」
「ハイ、先生」入るなり、即座に口切る。
「先生は、落合直亮先生をご存知でいらっしゃいますナ」
「うむ、盟友だ」
「今日、山岡先生の処でお目にかかりました。先生のお引合せで、落合先生にも、国学文学のご教授にあずかることになりました」
「そうか、それはよかった。あの人なら君にも良いだろう。お元気でしたか」
「ハイ、先生にもよろしくと申されておいででした。甚だ失礼なのですが、ちょっと気むずかしいところもお見うけ致しますが……」
「うむ、そうだろうな……’一
「ハ……]
「しばらく行ちがって、あの人とも逢わないが、あのお人はな、この維新変革には大変功労のあった御方だよ」
「ハ……」
「家を捨て、私財をなげうち、一身を挺して多くの同志と共に、討幕のために死生の間をさまよった勇偉の人だ。本来なら私などとても足許にも及ばぬし、現在政府に羽をひろげている大臣級にも肩を並ぶべき偉い方だよ」
「はア……」
「世の中というものは、実に理想と現実とは食違うものだ。あの方はそれ程の学問と業績がありながら、岩倉卿に憎まれ、薩摩の軍人にも嫌われて、あのような低い地位に軽んじられている。ままならぬものだよ」
「……」
「何れゆっくりそのことは話して上げよう」
小池はそばの手文庫にのばした手に、包をとり
「落合さんのご教示を仰ぐとしても、無料と云うわけにも行くまい。当座として此を納めなさい。一部は自由に君が使うとよろしい」
「いつもどうも・・・」うけとったが、意外の額に、ちょっと目をみはった。
「ずい分のものですが……」
小池は、眼を和ませて、うなずいている。五郎は、恐縮して、頂戴した。
すると、廊下のあたりに、チョコチョコ影が映り、小さな足音がする。ふりむくと、姉弟である。待ちかねて、好い遊び相手にさそいにきているのだ。
「まぁだ、五郎さん。早くいらっしゃいよ」
「今、行きますよう」
五郎は小池と顔を合わすと、笑った……
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山岡邸ノ庭
今日も裂帛の気合が交錯して、汗の匂いがムンムンしている。
その中に立交って今竹刀を振う一人、イヤに強い。敏捷機敏で鋭い太刀さばきだ。
吉見、天田らは隅に今控えて、一息入れて見守っているが、思わず囁く。
「アイツ、新入りのようだが、なかなかやるな」大川である。
「全然打たせませんな。素地があるな。何流だろう」と吉見も。
烈しい立合なので、次々と疲れたものが下り、新しく入れ代るのに、その男は疲れも知らず続けている。
五郎は、とうとうその男に向って、つき進んで行った。
「お願い申す」
「おう」
双方黙礼、すぐさま竹刀を合せ、気合をこめて、
「ヤッ、ヤァッ……オゥーリャ」
吉見らは、息を止めて、ながめていたが、五郎は一方的にやられつづける。全く隙をみせず、奔放自在な動きで、チョイチョイという感じに、小手を打ち、面をおそい、鋭鋒敏活そのものだ……
「情ないな。やられっ放しじゃないか」
歯がゆくなって、吉見は立った。面具をつけて代ろうとしたが、あいにくに、竹刀を退いて、五郎と一緒に、戻ってくる。吉見は別のものと立会った。
面具をとり、流れる汗を拭う男は、まだ二十歳をこしたばかり。五郎より一、二歳しか上でない童顔のひきしまった好男児である。五郎も汗を拭いつつ、
「君は強いなア……相当前に何流かを修めているんじゃないかな」
「ああ……何流だと思われる?」大風である。逆にきいてきた。
五郎は分らない、だまっている……。
「真心影流。豊前小倉の松崎浪四郎先生に就いて幼いころから学んだ」
「真心影……」
「そうだ、心影の正統は、今、九州に綿々として厳在し、松崎先生に伝わっておる、近世不世出の名人だ」
五郎は、チトおだやかでない。
「山岡氏の盛名をきいて、僕も今度上京した折から、教を乞うてみたが噂ほどでもないネ」
ますます、こわばり返ってきた。それにもこやつは平然としている。
「竹刀剣法で、斉藤、千葉、桃井、どこもここも廻ってみたが、みな実践の用には立たん小手先芸ばかりだ」
五郎は、もうにらみつけている。それで初めて気づいたように、この男は云った。
「申しおくれた。僕は豊前中津の産、河村狂一郎だ。よろしく、貴公は・・」
五郎は、こたえずに、その冷徹とした面、表情をじっとみつめるばかり。
名のった河村もようやく不審げになった刹那、五郎は、いきなり、その面を拳骨でポカリとなぐりつけた。
ふいを食って河村は横に倒れかゝったが、やっと踏み止まった。
真っ赤になって凄い面相になる。
「何をすっか、きさま」
「隙がある」
「…………」
「それでは実地の役には立たん’・」
あたりは、何事かと、静まり、わけも分からず、注視。
五郎も、相手の河村も、今にも取っ組み合わん勢と構えだが、ふと気分を解いて、河村は、手をふった。
「こりゃ、一本、やられたのう」
二人は、どっちからともなく笑いだし。みんな緊張の気配をゆるめた。
「じゃ、又、会おう」
「おう」
「俺も、貴公のような面白い奴と知合えて、愉快じゃ。あとにも先にもこの俺の頸に手をふれたのは、貴様だけだ。しかし、用心しろ、今度はそうはゆかんぞ、うんと油をしぼってやるからのう」
「ハハハハ、いつまでその広言を吐かしておくもんか、貴様こそ用心せい」
二人は、河村の奢りで共に入った縄のれんをでた。
「俺のところにも、良かったら遊びにきてくれんか。当時大蔵省の陸奥宗光さんの処に、居る」
「陸奥さん……」五郎もちょっとビックリした。
「おお、維新の元勲、陸奥卿の食客じゃ、貴公も紹介してやるぞ、陸奥さんも、まだ、二十八、九の若さじゃ、元勲とは云え、俺たちとも、同じじゃから話はよく合うぞ、では・・」
さっさと云うだけ云うと、河村はホロ酔い機嫌で、もう背をみせて歩きだしている。五郎は河村の背を目で追いながら呟いた。
「変わった奴だナ」
たちまち秋となり、冬となり、その年も暮れて、明治六年春。
田舎者の山猿天田五郎も、ようやく都慣れして、ニ+歳の青春を小池、落合、鉄舟と、秀れた人物を師とし、文武にはげみ、寧日もなかったが、生別した父母妹のことは念頭より放れたことはない。
去年九月に、初めて品川横浜間に鉄道が敷かれ、人々はオカ蒸気といって、手弁当で見物に出かけた。この六年一月には太陰暦は廃され、太陽暦となり、その十日には国民皆兵の徴兵令が公布され、仇討禁止令も出た(二月)。
明治四年に欧米視察に岩倉具視一行重臣連がそろって出かけ、留守中の政治は、度重なる朝鮮国、それを後押しする清国の、日本無視と嘲蔑に、漸く征韓の論高まり、又北方では虎視耽耽として千島、北海道侵掠に隙をうかがう帝政ロシヤに、志ある者は、覚醒の叫びを放ち、にわかに高潮し、そして緊張している。
天田五郎も血気さかん、元気旺盛、多くの有志や若者にとりかこまれている。自ら国事憂患に血肉をたぎらすのも、また当然であった。
四月―淀橋、成趣園の鉄舟邸は、表て向は豪勢だが、裏へ廻ると、旧幕以来の貧乏は相変らずで、火の車そのものである。この邸も宮家から好い売物の邸がある、買えとすすめられたが、お断りしたら、金は此方で払ってやると、下賜同然に鉄舟の物になったのだ。もとは某富豪の別荘だったと云う。鉄舟も仕方なくお受けし、しかし金五千円也の借金証書をお渡しした。それも一文も払ってない 先生の不在にも拘わらず、烈しい稽古は絶えず、今日も気合が響いてくる。その鉄舟は、今日はまだ帰らない。
天田五郎は、一人のこり、夕やみの一室で待つ。
とうとうため息をつくと、立ち上った。
「奥さま……」
「はーい」
五郎は、障子をあけて顔をのぞかせた。
「先生は、今日は遅うございますな」
「ええ……なにか、大切な御用?」
「はい……実は、私、このたび落合先生が奥州仙台に志波彦神社の神官として赴かれますのに、従って行くことになりましたので……」
「まあ、仙台へ、お国の方ですね」
「はい、当分はお目にもかかれなくなりますので、ご挨拶いたしたくお待ちしたのですが……」
「そう、それは、いつ?」
「明後日です。色々と有りますので、今日どうしてもお別れ申し上げたいと存じたのですが」
[鉄舟も風来坊ですからね」英女は微笑った。
「この頃ではそうでもなくなりましたが、昔は出たら最後、鉄砲玉の使いと同じで、何日も帰ってこないのも当たり前でしたからね……」
「はぁ……」
「じゃ、お待ちなさい。居間の方へどうぞ……」
「しかし……」
「ご遠慮なく、さぁ……」
五郎は、英女の誘いに、そのまま、鉄舟の居室にみちびかれた。
夜は更けた。五郎は端然として、春とはいえまだうそ寒い夜気が沈む室内に座った。
気配に姿勢を正す。膳を運んできた。
「お待ちになりましたでしょう」
「いぇ……」
「おそくなってすみませんでしたね。御膳を召上れ、お腹がお空きでしょう」
「いゃー、これはどうも」
「粗飯ですが、たんと召上れ」いうと英女は退いた。
頭をかいたが、五郎は箸をとり、パクパクやりだした。美味い。
にぎやかな声に、少し退屈していた五郎は、崩れた姿勢を正した。
足音は近づいて障子があいた。
「やぁ、待ったそうだな」
「……」手をつき、迎えた。
「お留守のところを、どうも・・・」
「挨拶はぬけ」鉄舟が手をふった。
「話は、英からきいた。仙台へ行くそうだな」
「はい……」
「落合さんも、気の毒だが、東京では、身の立つ処もあるまい。仕方もないことだ」
「……」
「ま、お前も、故郷にちかいことだ。何かと便宜もあろう。せいぜいお力になってあげろ」
「はい」
「英……」ふさ、と呼ぶと奥さまは、顔を出した。
「はい」
「五郎に、少し餞別でも包んでやりたいが……」
その言葉のおわらぬうちに、と一そっと一封。
「うっ」、と、鉄舟、あとがつかえて苦笑。
「奥さま、ありがとうございます」
五郎が、さっと手を出す。その速いこと。
「こいつ」目をむいた。夫婦でおもわず笑いだした。
「図々しい奴だ」
「イヤ、これは……」
「いい、いい、どうせもう山岡の世帯の裏もお見透おし、キサマの出自もわかってる、だが、もっと良い餞別をお前にくれてやる。庭へ来い」
「ハ……」一寸おどろいていると、もう鉄舟は庭におりている。
「一本、稽古をつけてやろう」
五郎の顔が輝いた。本当か?
鉄舟自らの手にとって教わったことなどまだ一度もない。そんな門弟もまた無い。維新後の鉄舟は殆んど稽古などしたことさえないのである。五郎は、はね上って、走り追った……。深更である。冷えていた。
めずらしく防具を身につけた鉄舟が、竹刀をえらんで、中央に立った。
五郎も手早く支度をととのえ、鉄舟のまえに進む。
「天田」
「はい」
「俺の稽古は荒いぞ。男谷(精一郎)先生のような、手心はせん。俺をこの宇宙で、最も許せぬ 不具戴天の仇敵、この天下に最も憎むべき人倫非道の悪鬼羅刹と思って、かかってこい。生半かな人道主義や、小理屈、観念の正義などで、人間世界の鬼にも悪にも立向えないということを教えてやる。この世では善や純粋、まことの一念も打ち負かされる魔の如き力が存在する。それに打ち勝つには、どうするか。さァ、こい」終りは大喝だ。構えた。
一礼して、竹刀を上げたが、五郎は、それだけで、身がすくんだ。
鉄舟の構え正眼である。いつもそうだった。得意は突きで、面、小手もとったが、横面や、横胴などは決してとらなかった。あくまで一刀流の正攻法を崩さなかった。若い時は、鬼鉄、ボロ鉄と云われ、それで道場狭しと大暴れした。その強さ、大きさ、厚み重みがのしかゝってきて、五郎は身動き一つできない。
竹刀の先端が大きな火の王のように燃えた感じである。
「うりゃぁー」凄い気合に、五郎はとび上った。
「どうしたどうした、サァこい、サァこい」
今まで動かなかった鉄舟の身体が動いた、身軽で小刻みにゆれ動く巨体は、敏捷である。
「アアリャリャリャァ」
軽く、隙をみせた。五郎は、吸いこまれるように、突っこんで行ったが外されて、そのまゝ向うの雑木の方へすっとんでいく。
「どうしたどうした、なんだ、なんだ、敵はこっちだ、アリャアリャアリャァー」
竹刀を振って励ます。
翻った五郎は、気をひきしめて、ふみこみ、今度は打ちこんだ。
五郎の竹刀は一瞬に払われた。吹っ飛び、手は痺れて、そのまま突っ立った切り唖然としていた。
「こらぁ、どうしたどうした、それがきさまの腕か、拾ってこい、拾ってこい!」
五郎は、走って、拾う。そのまま破れかぶれに突っかゝる。バシッ、と打たれた。五郎は呆然とした。 竹刀は打たれた所から二つに折れて、砕けている。
「ソウラ、面ッ 」
ビュッという、唸りに、はっと首をすくめ身を縮める。
「卑怯者、それでこの山岡の弟子とはきいて呆れるぞ」
奮然として、五郎は、もう一本竹刀をとって走り、全力をこめて飛びこむ、打ちかゝる。バシッ、これも真二つに砕かれた。
三たび、竹刀をとって立ち向う。
一、二、三、小刻みに面を打たれ、フラフラになったところを、鉄舟得意の突きが来た。真っ向に食い、二間ばかり吹っ飛ぶと、そのままくずれて気を失ってしまって、動かない。
「まだまだまだまだ、立て、立て、そら立たんか」
竹刀で突つかれ、どうした拍子加減か、また息を吹き返す。
五郎の意識はもうかすんでいる。
「こい、さァ」竹刀を捨てて、大手をひろげている鉄舟に、無我夢中で、フラフラと五郎はすがりついてゆく。
鮮やかなハネ腰に、モンドリ返って五郎は倒れ落ち、もう動かない。
鉄舟は、竹刀をひろい、あとを振り返らずに退場してしまった。
朝・・・・
ふんどし一丁になった五郎は、全身にベタベタとこうやくを貼りつけられていた。貼るのは英女・・・ 息子の高太郎も面白がって手をのばし、貼りつけている。
歯を食いしばって呻きをこらえている五郎だ。
大丈夫ですか。天田さん、一人で帰れますか」
「ハッ、カ、カエレマス」
声はかすれ、やっと喉を吹き出る。鉄舟も、手加減はしたらしい。本当なら、腫れ上ったきり声は出もしない。
「ずい分またひどくやられましたねぇ」
「は、はッ、この痛さは、一生、忘れません」
鉄舟は、大いびきで、奥座敷で熟睡。
以上、抜粋
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鉄舟の勧めで山本長五郎:(清水の次郎長)の養子となる
新編
作者との交流端緒
ブログ内題「稀人 久坂総三」ペンネーム
無名かつ有力な人物である。
出会いは雨の喫茶店の片隅で、机一杯資料を散らしていた物書き風の老人にお節介な筆者が尋ねたことが交流端緒だった。
数年前に火事を出して無一文、いまは国庫扶養の独居老人だ。それ以前は4000万近くを騙されたというが、飄々とした人柄に切迫感はない。一応?物書きだが、今どき売れるものはない。されどその博識は尋ねるものを驚愕させるに充分な内容がある。
よく日本及び日本人を語る。とくに外国人から観た日本についての新しい切り口を紹介する。また近代日本の潮流に翻弄されず一隅に生きた日本人を取り上げている。たとえ有名偉人でも、表層の功績ではなく生活や心情から見た誰にでもありそうなエピソードを調べて記すことに其の筆風がある。
面白いことに恋愛などの色物はなく、どちらかといえばカタモノが主流である。
なぜか・・・女性経験が無いのである。
「青春時代は大変だった。女性を知らずに戦禍に散った友人がたくさんいた。いやそんなものには遺す思いすらない体験だった。
女にチャラチャラする男が世の中を悪くする。戦争に行った友人のことを考えると、そんなことを考える暇などないょ」
久坂は吉田松陰門下の久坂玄瑞、総三は同じく幕末の志士相良総三からとったペンネームである。実は氏の著書に「明治遊侠伝」がある。これが絶品で商業出版としてはこの一冊であるが登場人物に驚かされる。
戊辰会津戦争で両親と生き別れた少年に心を砕く周囲の大人(タイジン)たちの物語だが、その大人として、発見した山岡鉄舟、養子にした清水次郎長、他に勝海舟、原敬、陸羯南、三遊亭園朝など明治を飾るピックネームが、陰に日向に関係を持っている。
少年は最後に「愚庵」と称して禅僧になるのだが、次郎長の養子時代は侠客として名を馳せ、あの一世を風靡した浪曲師、広沢虎造の十八番「清水港は・・」の原題「東海遊侠伝」の記している。しかも漢文体である。
周囲の大人はたとえ幼少でも人物の行く末を見抜き、育てる能力に長けていたのだろう。しかもその道の一流と呼ばれていた歴史上の人物である。
何よりも「私する」ことがなかった。
《私することを忍び、以って大業を行なう」とは鉄舟の好んだ揮毫である。
羯南がいなければ変わり者の正岡子規など採用しない。となれば現代俳句も今ほどではない。海舟あっての西郷であり、江戸は火の海と会津のように破壊や殺戮強姦もあったろう。
そんな大人たちが金銭や地位をかなぐり捨てた明治があり、人物を透徹した目で見抜く度量があった。野タレ死していたか知れない少年は育ててみれば頭脳名跡、至ってクールで、しかもイイ男、例えれば白洲次郎のような男だった。最後には鉄舟に促されたといえ京都の禅坊主、しかも名は愚庵とは泣かせる。
それが日本人だと久坂総三氏は言う。
今日も火事のトラウマか、肩には大きなバック、バランスをとるように反対の手には重い小旅行が出来そうなバックに書類を押し込んで外出する。趣味は映画とカラオケ。それも街角名画館の二本立て。とくに戦前の映画か洋画のロマンものをよく観る。
なにせ風体が・・
毛糸のベレー帽に剃り残しの髭、洗濯?の上着にベルトは梱包用の紐、靴は年中同じもの、それがドトールやシャノアールで荷を散らして執筆する。
いゃ・・明治の大人たちが居たら、きっと大作家に仕上げるだろう。
そう願って、飄々と、かつ凛としてストレートコーヒーを一緒に飲んでいる。
一部イメージは関係サイトより転載しています。