それぞれの「体」(本質)を理解しつつも、それぞれが「用」(利用、活用)とする妙な関係がそこにはある。
今どきの6,3,3制の官製学と教職員による「知った、覚えた」類の数値評価選別には皆無の人間考学ではあるが、「活かす」とはその種の問題に含まれた人の交歓を云うのだろう。あの安岡正篤氏も「応答辞令」について、よく言の葉にのせていた。また、異民族との交歓において、よく感じられることであり、かつ有効となる倣いでもある。
中国は日本に中国的なところを観る。日本もそのように感ずるところがある。
ここではチベット,餃子など中国に向けて投げかける問題と、靖国、南京を相殺するものでなければ、それぞれが哀れみに近い人情を相互の問題として理解するものでもないが、縁あってアジア圏に棲み分けられて、あまりにも儚く、切なく,亡羊の歎きに近い感情交換する隣人について、童心のような不思議さを考えたい。
天安門事件から6年後、あの時の緊張と感動の体験を引きずって訪中した。
広場はほのぼのとした情景が広がっていた。天安門の楼上から見る広場には占拠したトロリーバスや革命記念塔に翻っていた紅旗はなく、革命記念堂の石段に座っていた多くの青年の姿もない、いつもの広場だった。
数万ある広場の敷石は翌年取り替えられるという。そっと両手を着くと自然に膝が折れた。目の前では童が凧揚げをしている。あの時と同じ空は青かった。
訪中は中日青年友好中心(センター)の董事長との面談だった。
彼は共産党青年同盟の元委員長という履歴がある。あの胡主席を始めとする現政権幹部の出身母体である。センターは中曽根、胡書記と合意した3000人の青年交流のために作った複合施設である。日本大使公邸前の広大な敷地にホテル、劇場、室内競技場が点在している。
陳松 中日青年友好中心董事長との招宴
「友好」と「誘降」ユウコウ
宴はその言葉で始まるわけだった。
「日中友好を祝って・・」
参会者が杯を上げたときだった。
「お待ちください。ユウコウとは日本人は友の好きと書きます。また政治家や商売人はユウコウの下心がありますが、自分はアジアの友人として杯を干したい。貴国は時折技術と資金を思い図ってユウコウと言い、日本人も訳もわからずユウコウと連呼していますが、「誘降」では永い好誼は出来ません。これからは立場を超えてアジア万歳でいきましょう」
通訳者は慎重に言葉を選んでいる様子だった。通訳が終わって10秒位の沈黙があった。これを通常外交非礼というのであろう。しかし、政治舞台に居れば党幹部、政治局の重要ポストに就いただろう彼の立場において、あえてその位置に留まる意志に委ねた提言だった。
董事長は破顔して「そうしましょう」と言葉を発した。
その後は宴テーブルに盛られた料理はそっちのけで、庶民好みの北京銘酒「京酒(雑穀酒)」と無造作にニンニク(日本ほど辛くない)を椀に盛り、それをカリカリしながら乾杯、いや連杯が始まった。
止め処も無い宴が終わりに近づいた時、「○○さんに中国各地の有数の△△の優先的使用を認めます」
もちろん「そんなつもりで来たのではない、結構です」と応答した
それを感応して、また宴が続いた。
標題の「体」は同じと観た。だが「用」の使い方に巧みさはある。
翻って日本人としての「体」はどうだろうか。
「用」が慇懃で巧妙になっては居ないか。
彼の国の人々から、日本人の「ハナシ」ではなく、吾を言う自信を持った「語り」を見たいと云われたことがある。「脅せば黙る」は歴史とともに相互に交差する。
孫文は死に察して側近の山田に述べている。
「真の日本人がいなくなった」と。
彼らの言う「真の日本人」とは、筆者の命題となった。
つまり「用」でなく、「体」の認識である。
経済発展は西洋の市場と金融グランドに順化する。
それは、我国が緊張する「用」としての「反日」から、将来は「体」を再考する「反西洋的」に転化するだろう。
豊かさと、平和、人権、自由、民主は、その美句、美章であるからこそ、理想像を構成し誘引される形であるが、辿り着いた実感は弛緩した「体」を露呈し、「用」のみが利便性、有効性として、「無用の用」が説く、人と自然の関係を無意味な位置に追いやっている。
我国においては潜在する意識、直感に近い観察で問題を捉え、その本質を認知する人々が増えてきた。彼の国にも「用」のみでなく「体」、ここではアジアの「体」を憂慮する人々が居る。
まんざらでもない隣国との将来である。