まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

日本をすくう津軽の情(こころ)

2010-02-28 14:49:06 | Weblog

こんな標題で講話を行なった

丁度、弘前から弘南鉄道の終点、やく三十分くらいのところに黒石市がある。
八甲田の伏流水をもちいた酒造りの大店が軒を並べ、雪国特有の軒を通路にした「こみせ通り」が有名です。近頃では日本三大流し踊りの一つ「黒石よされ」と、フト麺の「黒石焼きそば」が周知され季節には全国から観光客が訪れるようになった。




              

             黒石こみせ通り




ものの10分走れば温泉が至る所に点在し、足を伸ばせば八甲田山麓の百人風呂の酸ヶ湯、ランプの青荷温泉もあり、四季を明確に感ずることができる城下町弘前の奥座敷のようでもある。









岩木山麓 嶽温泉





中国の近代化の魁となった辛亥革命で功績のあった人物の研究からはじまり、ふとした縁の広がりで近在の黒石、平賀、岩木と地域で暮らす普通の人々と交流によって、革命に挺身した人物の生い立ちと教育、育んだ環境と人の情緒を体感することができたと同時に、昨今の経済状態からみる諦めにも似た地方の疲弊に対して、郷土の歴史資材の活用と覚醒を、お節介ながら描くようなったのも自然の動きだった。





                


             豪雪と吹雪 ゛いまどき地元の人は来ない゛とのこと



弘前に到着していつも最初におこなう恩師の墓参と郷土の先覚碑の拝礼は、身の丈に積もる雪のために断念、それからは、朝は雪の岩木山を眺め、昼は毎時天候が急変する奥域の湯を探索し誰もいない温泉に身を浸し、夜は慣れない雪の小道をたどって般若湯を傾けるような日々でしたが、最終日の講話はその経過のお陰か、ハナシでなく吾を語ることができた。






               

             すべて口の無い人形  ヨシ人形




その中で、津軽ヨシ人形の作者やサキ織りの作者の方々との邂逅と同感は、新たな津軽の方向性を見出す端緒になりうることでもあった。それは数値で表される成功価値や都会の流行ごとに惑わされない沈潜した人間の重厚さが、徒にもアカデミックに評される論者のステージに翻弄されない人間の鎮まりだった。

「あのモルガンは津軽が好きだ」
唐突だったが酔宴にしては納得する言葉だった。




               






講話では、
「文明人に似せて利便を追求するだけではいけない。野暮で古臭いと思われようが、あるいはグローバルの普遍性と謳われようが、文明の最先端は、つねに棄てられ、忌諱されたものの中から心の宝物を探そうとしている。だだ、軽薄なカルチャーに交わらず無名でも眼前の事象に素直に向き合わなければ必ず応えてくれることを忘れてはならない。つまり、津軽は歴史の資材を功利のみに用いず、集積された恩恵として足元の宝物を伏して観察しようとする試みそのものが、真に魂の普遍性を有効なものとして繋げることができる。此れが誠の実利というものです」

その後のモルガンの逸話だった











               

              鎮まりの館




モルガン財閥といえば世俗の欲望では使い切れない財と時間の余裕があると考えるが、津軽とモルガンの取り合わせを理解することは人生のセンターラインと座標さえ違えなければ容易に理解できる。゛金さえあれば゛と嫉妬と羨望が先にたつのが普通だが、津軽の教えてくれるメッセージはそれとは異質の問題を吾が身に応えてくれるようにもみえる。

あの「北のまほろば」を著した司馬遼太郎氏は弘前高校を志望している。残念ながら及ばなかったが、氏の著した坂の上の雲の最初に描いた主人公は正岡子規である。今では官民でも採用しそうもない子規の人物を見抜いて採用したのは弘前の陸羯南である。
孫文の革命に挺身した山田兄弟は羯南の向かいに住んでいて、「これからは亜細亜だ」と日々、影響を与えている。
ちなみにブラジルに渡り、後のグレイシー格闘技を広めたのは弘前の前田光世(オンデ・コマ)である



              






なぜ、司馬氏が津軽弘前を選んだのか・・・、人物を知る上で興味のあるところである。筆者が訪ねてくる新聞人や業界人に、「陸羯南の観人則と気概を座標に・・」とお節介を弄しているが、司馬氏も記者志望ならその意も先刻承知だったに違いないと推察する。

世界に普遍に通用する人物が多く輩出した独特な地域を歴史の語りとして包み込む津軽の倣いは、モルガンならずとも文明のたどりつく境地として再考しなければならないだろう。
何よりも津軽人はその人々を手元に引き寄せ、相諮ることだ。

くれぐれも似非文明の徒にならよう願うばかりだ。
コメント (2)
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対談録「荻窪酔譚」 抜粋其の六

2010-02-15 20:35:13 | Weblog
 




  
           北一輝         陳基美



        第二宵 一座 其の一刻




S  僕は中共が田中首相を呼んだ時の国内向け「人民日報」を見ている。 日本にくる「人民日報」とは違う。 そこには、日本で革命を起こすために田中を呼ぶと、向こうの文章に書いてある。


T  書いてあるということは、誰でも見られてよいということですか


S  向こうの謀略ですよ。 見ていいわけよ・・・


T  見てよしということは、田中さんも見ているということですか?


S  だから周恩来が「お前さん、小物だよ」と書いた。


T  このあいだ、国会質問で公明党の二見議員が宮沢総理にむかって、田中さんが貰ってきた色紙「言必信、行必果」が大変いい言葉だと、「言うことは偽りがなく、行動は潔い、結果が出る」といったような意味で説明するわけですよ。
   僕はそれを聞いて、これは大変な錯覚をした質問ではないか・・・議事録は抹消できないしと・・


S  その解釈は外務省の通訳が行った。


T  それで僕は論語の抜粋コピーを送った。実は「言必信、行必果」という言葉は、その後に「コウコウ然として小人なる哉」と、小物の意味になるもので、他国の総理である周恩来を引用して、しかも国会質問で行うことは如何に見識のないことかと・・・・
   二見氏からは早速二度ほど電話があったようだが、その後の議事録はどうなったか・・・・  
 




                          

            佐藤氏の伯父 山田良政
 
≪恵洲の戦闘で囚われ「中国人である」と言い張り斬首。当時外国人は殺されないことを知りながら中国人として亡くなっている.佐藤氏はその魂を心に刻んで中国の安寧の為、死ぬまで意志を継いでいる≫




S   僕、なぜニクソンを呼んだかという中共の本もっていた。
    それにははっきりと、「田中をやっつけるために呼ぶ」と、書いてある。

T   今日、先生に訊きたかったこと、ちゃんと羅列して来ました。

S   やぁー 蒋緯国さんと戴天仇さんね。 
これ、原文を少し見つけたから

T   だいたい全部聞いてますが、わからないことがあります。
    青ぱん(チンパン)の親分が金の密輸で日本に捕まった。なぜ密輸するのかという と、朝鮮で戦争が起きるからだと。
    それだけで戦争の勃発が解ると・・・ 

S 彼、船乗りの親分で、中国のコロ島(ころとう)から来た船が神戸に来ると挨拶に行くわけだ。
   
 コロ島から来た子分の話では、重装備の騎兵が、どんどん北上しているという。 
 いろいろ訊いたら、どうも戦争をする態勢で北上しているらしい。 彼、それを僕に知らせたわけだ。
   
 彼、警官に追われて、僕の住んでいる引き上げ寮に逃げてきた。
 六畳間に物一杯あって五人も寝ているところに大きな体の彼が来てね・・・西荻の寮にずっといて動かないの。 
それで僕は「君は何かやったんじゃないか」と尋ねた。

「やりました 部下のやった密輸で警察に追われています」

「部下がやった密輸なら、おまえが逃げる必要がないだろう」

「部下がやったことは俺がやったことと同じだ」と・・・

 ある日、河本大作の秘書(中学の同級生)が寮に来てね
「佐藤さん、だめだ、これじゃ死んでしまうよ」と心配して、 文部省から全国の純綿の運動服など貰えるから会社やれる。お金を見つけてくれる友達に話したら出してくれて、僕は重役になったけれど、掃除だけやって、晩、飲むほうだけ真面目にやった。

 青パンの親分、張玉ハツから聞いた話を会社で馬鹿話として喋ったら、とんな関係だか、京都のCIAに聞こえたらしい。
 京橋の会社に、そこの日本人が来て

「佐藤さん、あなたの話、もっと詳しく知りたいので、その人に会わせてくれ。ぜひ京都へ来てください」と、言われたが、

僕、旅費が無いし、お金くれともいえないので、岡村寧次司令官の通訳、
木村達男というシナ語がペラペラな僕の友人がいた
 彼、金があるから、「張玉ハツを連れて行ってくれ」と、頼むと
張は「行きたくない」(アメリカ人が嫌いだから)という。
 「僕は頼まれて困っている」
 「じゃぁ、仕方がない」と、いうことでいったんだ。

アメリカ人の自宅(神奈川のCIA)に連れて行かれ、奥さんが料理出したら、「オレ、アメリカ料理は好かん」と、答えたそうだ。
 彼は日本贔屓で、戦争中は火薬製造に使う塩を運んでくれた。
大本営から感情を貰っているよ。


 


    

 孫文の側近 良政の弟 純三郎

孫文は常に山田を同行させ、慶玲夫人の希望で臨終の水を孫文の口元に注いでいる
その純三郎は佐藤を吾が子のように中国革命の体験を語り、佐藤は中国民衆のために一生奔走している。

≪「あの頃は一生懸命騙し、騙された。双方真剣だった。頭も使い身体も使った。不幸ではない。こんなに歴史を一緒に重ねられる民族同士は、そうあるモノではない。後になってみれば、戯れていたようだ。日本及び日本人が滅んでは中国もない。孫文も,゛真の日本人゛がいなくなったと・・・それを知っていたのが蒋介石だ。どこにも悪い取り巻きが国を滅ぼすのだ」何度も語った真情である≫
 






                          

               孫文の指示で満州工作 石岡という日本名の蒋介石と山田







T  中国人でありながら日本贔屓ですか。 青バンって相当な組織ですね。


S  十三歳から船乗りになって、青バンの親分(二十二代か二十三代)になった。  密輸以外やったことがない。
   
   彼の「部下がやったことは、俺のやったこと」という感覚は、日本の大臣の「秘書のやったこと」というとは、まるで違う。
   彼、自分で資料の出所を示して、コロ島からやってきた部下の報告を話したわけです。
     それがアメリカの参戦を決断させた訳です。
     もう少し遅れると、アメリカは朝鮮半島から追い出されただろう。


T    そうですね・・・ 北は釜山まで下りて来たわけですから、ということは相当前から準備していたんですね。


S    朝鮮戦争が済んでから、CIAに呼ばれた。
     七、八名かな。木村さんもいた。 金一封をお土産で出されたが、僕は断った。


T    在日のGHQではないですか。


S    日本人だけで、アメリカ人は一人も来ない。
     僕は情報の仕事なんか、やったつもりがないから断った。
     
      「あなたの資料(情報)が、今日来た人の中で一番、役に立った」
     
      「そんなこと、僕には関係ない」といって帰ってきた。
    
 張玉ハツね・・・日本のために塩を運んだこと。 戦争中に天津で、日本人助けて貫通銃創を受けたこと。
     そうゆうことがあったし、実際に密輸やった中国人も来た。
     僕は彼を助けなければイカンと思ってね、皇宮警察長官のホンダとかいったかな、その人に頼んだの・・・
     その人が新宿の料亭で会うというので、張玉ハツを連れて行った。
     会って事情を話して、「助ける」という約束をした。
     ただ、日本では事件が発生して、解決しなければ問題が残るわけだから
    
    「神戸に自首しろ」と、いうことになった。
     張も納得して自首しにいった。
     ところが、ぶち込んだら、なかなか出さないの・・・
     僕、大阪の刑事部長だった秦野さんだったかなぁ、その人を訪ねた。


T    秦野さんって、警視総監をやった?


S    そう、その秦野さん。
     「神戸のアノ件だけど、約束して救けないのは怪しからん。 何とかしてくれ」といった。
     すると、秦野さんは部下呼んで「アノ件とうなっているんだ」
     「あいつは密輸しかやらん奴だ。あいつは悪いやつだ」と、
     秦野さんもどうにもならない。
     
僕、仕方がないので、東京へ帰ってきて警察庁長官の柏村信雄さんのところへ行って頼んだ。
     満州時代はまったくお付き合いがなかったけれど、戦後は亡命中国人救出のことてお付き合いするようになった。 
     それで、彼のことをしゃべった。
     事情をすべて話した。密輸しかやらないし、日本のためにいろいろ貢献したやつだが、助ける方法はありませんか、と。
     柏村さんは秦野さんと同じ川崎の近所に住んでいて、百メートルとは離れていない。 
     柏村さんは「わかった」と。
     神戸の次席検事に個人的に手紙を書いて、僕に持たせてね・・
     それで神戸に行って次席検事に会い事情を話した。
     それで、どうゆうことか、アノ当時の金で四十万円の保釈金を積めば出すと。  結局「出さない」と、いうことなんだ。

T    当時の四十万ってゆうのは大変な金額ですね。


S    そう、神戸の張玉ハツのよく行く料理屋「天津料理」で、

    「佐藤さん四十万ですか、じゃ、明日の朝まで待ってくれませんか」と。
     次の朝早くホテルに四十万円持ってきた。 そして釈放だ。
     安心して東京に帰ってきたら手紙が届いて
     
    「これ以上、迷惑を掛けたくないから、死にます」と。
     柏村さんのところへ飛んで行って、

    「死なせては困ります。日本のために役に立つ人間です」と。
すると、全国港湾、みな調べてくれたが、船から投身したした形跡なし。 
神戸から香港へ密航したのは後で分かった。
しばらくして、僕に時計を送ってきたよ。






               







T    先生、青パンの「パン」って?


S    青パンのパンは、助け合うとうことだ。
     清朝を救けるという意味で、清のサンズイを取ると青い組合。
     華南で米を生産する、政府は北京にある。
     北京まで米を運ぶが、途中で米泥棒に遭う。
 それを守るのには軍隊や匪賊より強い秘密結社の青パンでないと駄目なの・・・
     国民党になって紅パンという名になった。
     国民党が負けて中共政権になってから青パンを全部、船に乗せて情報収集の人材にしたんです。
     だから、中国人が日本に密航しても神戸から乗せて逃がす方法がちゃんとある。
     僕、その方法知っているけれど、神戸の警察はなにも解っていない。  神戸で僕が講演するとき、神戸の警察からものすごく丁重に案内されご馳走される。
     その中でも、一番、僕にアレしてくれるのは石原さん。


T    日本の秘密資料を周恩来に届けた人ですね。


S    これ、情報の訓練ばかり徹底的に十何年受けたから、中共のウラがすぐ判断できる。

T    あの国際問題研究所の羅堅白の告白の中で、
   「朝鮮戦争は日本を我が物にするために用意周到に仕組まれたものだ 」と、


S    日本に入り込み、民主勢力や左翼と結んで日本をひっくり返すと。
     その資料、(原文)まとめてあります。


T    外務大臣の羽田さんも中国の外交術からすれば、田中さんと同じ村(派閥)のあなたを田中さんと同様に大事にします、と言われれば、彼だって次に総理の芽があるわけですから、気持ちはよくなるわね。
     
情報機関は指導者の健康状態、家族、女性関係、性格、金の出処などすべて把握しているわけだから、何か材料を出されたらコロッとやられてしまうでしょうね。


S  中共へ行くでしょう。中曽根さん泡くって金(八千億)を貸したのは私ですよ・・と。
   そしてね・・炭鉱開発、港湾整備、鉄道建設等々理屈はあるわけだ。 あれ、どこの会社の機械を使用すると情報が入る。


T    いつの間にか商品借款に切り替わってしまうわけですよ。そして自分の息の掛かった会社にコミッションを出させると・・・・
     それでは手の内を見せてしまうというのでODA関係で問題になっていますが、お金が出た時点で、相手の主権というわけで手も出ない。 こちらの会計検査には出てこない。 
     国民には危機感もないしな・・・
     一人一人の政治家の心持しだいですが、外交の腐敗は国家の衰亡としてボディブローのように効きますよ。


S    汚いね。


T    余りにも中国共産党の歴史的意図を知らなすぎる。
     コミンテルルンもそうだが、それをも駒として利用するもっと大きな意図を知らな過ぎる。 


S    文字に出たことしか知らない。
     外務省、一番ピントが外れているよ。 
     外務省で其の事、話したら、その後、講師は辞めさせられた。


T    アノ人たちに恥をかかすとまず駄目ですね。 省益や面子、あるいは特定の政治家や、ひどいのになると相手国との高官のご機嫌取りなど、恥知らずの恥ですよ。


S    僕、中国のことは中国社会の中で、中国人に訊かなければならないと解らないと思って勉強した。


T    言葉では表せない生活からくる感覚ってありますよね。それ今の日本人は感じることができないようです。  たかだか人間の作為ですが、自然の摂理にある理(ことわり)が必要ですよ。
     科学的根拠、論拠、知識人の話(ハナシ)ですよ。


S    いまの日本人、文字の解釈だけ。 中国人の気持ちわかっていないよ。中国のこと中国人に訊かなければわからないよ。
     だから、ぼくは安岡さんの本を読む程度で、日本人の東洋史の本は読まない。


T    面白おかしく知識として書いてあるだけですね・・・
     どうも、もうひとつ理解に深みがありませんね。普遍的な人情なのかな・・・
     国際問題研究所の内容を見ていると、最後に何がナンなのか訳が判らなくなりますね。 どうも矮小な検索研究に陥りやすいんですが、人間の問題、あるいは地球的な謀略として観察を広げるとよく観えて来るんです。 流れの目的もありますね。






               






S    北進論を南進に転化させるソ連の一貫とした目的がある。
     北京の反日運動や西安事件、盧溝橋、重慶の国際問題研究所、これらは確かに一貫として繋がっている。
     僕、なぜやらなかったかというと、図書館にいつて背景を調べなければ解らないし、僕、個人の力ではできないから投げ遣りにした。

T    あの、盧溝橋事件は劉少奇の謀略で両軍を戦わせ、日本軍を中国本土に引っ張り込むという・・・・


S    日本を南に引っ張り出して蒋介石とぶつける。


T    延安の共産党の学校で一番、成功した謀略は盧溝橋だと教えていたようですが・・・・


S    それ、北京の全学連の委員長の彼の本名とか、年月日とか、これすべて僕が訊いたものだ。


T    彼、共産党の工作員として香港に来たが、その後、奥さんが北京から来た。  よくよく訊いてみたら、彼を監視するために党から派遣されてきたと。


S    それで憤慨したわけだ。結局、アメリカが日本に連れてきて、公安調査庁に頼まれて僕が彼を渋谷に匿った。


T    だけど、北京の無血開城の時の全学連の委員長だから、共産党の特務情報の中ではトップクラスでしょう。


S    中共中央の統一戦線工作部の副組長


T    ある意味で、奥さんも夫のスパイ・・・・


S    彼、僕が世話するようになってから、いろいろと話し始めた。


T    こうゆう事、今まで先生は文字にされていない。
     文字にされているものは誰が見てもいいハナシですね。
     ところが、例えば山田(叔父、純三郎)さんにしても、貴重な体験の
     中で文章にすることは危険だったし、そばにいた先生がお聞きになった。  
文章にしてはいないけれど、山田さんは孫文の意思を汲んでいたわけですし、孫文も叔父さんにも伝えているわけです。


S  文章にしたら捕まる。 だから年月日は必ず間違っている。


T  それが学者の研究になると、正確じゃないと駄目だと・・・
     
 それは彼らの特殊な立場ですが・・・・


S  これ、宝田さんに整理して差し上げたいが、さっぱりやらないんだ。   
僕、目ばたきするようになった。九十二だから、だいたい終わりだなぁ、と思う。


T  若い連中、百歳まで生きるといっていますよ・・・


S  できるだけ資料を日本語にして遺します。


T  山田純三郎さんが蒋介石に招かれたとき、
  
「蒋さん、もうそろそろ、孫文先生に命じられて丁仁傑同志と三人で満州工作に
ったときの事を話してもいいだろう」といったら、蒋介石が「ハオ ハオ」と。
   
その後、山田さんが廖承志(中日友好協会会長)の仲介で毛沢東と山田さんの会
を試みましたが、山田さんの長男の問題(商行為の逸脱)があって直前に壊れた。
   山田さんは毛沢東に会って何を話そうとしたのでしょうかね・・・


S  それ、訊いていないんだ。 叔父は余程のことでないと喋らない。


T  蒋介石の了解は・・・・

S  例えばね、台湾に呼ばれてね・・・蒋介石と話しをすると、僕は傍にはいない
国家の大事は一対一しかないと。
    叔父は僕をいつも連れ歩いたので聞きかじりで知っているだけだ・・・・


T   山田さん、子供の頃はかなりひ弱な子で剛さが見えないが、そういう人が辛
亥革命に挺身した。人間はそこまで変われるものなのですね。


S   アッ! おばあちゃん駄目ですよ。 台所へ立ってはいけません。ここへおい
で。  ホレ。 アッ おみかんでも持ってきて頂戴。


M   はあーい。



T   山田さんは満州へ国を作りに行ったことは、公に何も話してないですね。

S   僕は何回も聞いているけど。


T   蒋介石は石岡という日本人名で・・・
    たしか、二回ほど行っていますよね。


S   一回目は陳其美、戴天仇、山田純三郎  二回目は蒋介石、丁仁傑、山田純三郎
    三回目は山田純三郎ただ一人


T   孫文は蒋介石に満州をどうしろと・・・・





           

       弘前市在府町 陸羯南は山田と真向かいに住んでいた
      ≪兄弟に欧米植民地に侵食された亜細亜に目を向けさせ、そのためには中国を      興さなければならないと訓導している。また、正岡子規を援助したことで俳句      再び盛んになったした。≫





S   満州に日中共同の理想国家を築いて日本にロシアの南下を抑えてもらう。
    自分たち(漢民族)は、万里の長城以南に統一国家を作る。
    満州理想国家の帽子(領袖)は中国人だけど、経営は日本人にやってもらうと。


T   ということは、張親子(作霖、学良)と蒋介石は対峙することになりますね。

S   一番。嫌なのは張学良なわけだ。

T   それで、例の「爆殺事件」ですか。

S   石原莞爾や孫文の意思は入っていない。

T   蒋介石の意思は入っていないですか・・・・

S   何応欽の自宅で訊いた。
    
蒋介石は「日本が滅んだら中国は駄目になる・・・・中国は日本と戦うべきではない」と。ところが情勢は一人歩きをする。

T   二律背反なんですね。日本がやられると中国は駄目。
    日本をやらなければ゛中国も問題がある。
    孫文が言うように、歴史的にみて北が問題なんだ、と。
    そこに共産党の入り込む余地があった。

S   万里の長城、アレ、防ぐといった感覚ですね。
    だからね・・・日本が満州に理想国家作ってロシアを・・・
    孫文は日本に期待をかけた。日本が欲張った。そして謀略に乗った。
    アッ!  おばぁちゃん、ここに座りなさい。おいで・・・・
    やったら駄目。 また今晩苦しむから、やめなさい・・・

M   だいじょうぶ・・・

T   でも、毛沢東は利口ですね。 その北と手を組んで・・・・
    上手なのはマルクス・レーニンを取り入れて、同じ顔すれば相手は攻めてこない、    ということを知っていますね。そうも考えられますね。


S  お煎餅、どうですか・・・

T  あーそうそう  これおいしいんですよ
                        

     

     
                  【第二宵 一座 了】























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対談録「荻窪酔譚」 抜粋其の五

2010-02-14 17:14:17 | Weblog
            モト夫人




第一宵 五坐 其一刻

S : 三 (参) と云うのは生命誕生のしるし。 男性は何歩威張っても子供を産め無い。 女
性は何歩威張っても独りでは子供を創れ無い。 神様だけでも駄目、 三つ一緒で生
命が誕生する。 中国の皇帝は 〝一皇后三婦人九嬪二十七世婦八十一御妻〟 を貰
う。 総数で百二十一人 (そして総て、奇数であり参の剰除である)。

T : 〝世婦 (セイフ)〟 って、〝婦人 (夫人?)〟 の 〝フ〟 は?

M : 側妾を貰うの?

S : 三は生命の源。 亀の甲羅に焼け火箸を当てて八卦を判断する (亀甲占式)。 桃の
節句、〝桃〟 は厄除け、女性の陰部を顕わしている (印度仏教を起源とする考え
方)。 老は背を曲げて杖を点いた格好。 〝ヒ〟 を省いて 〝子〟 が支えるのが、
【孝】ですよ、と昨日も老人会で云った。

T : 〝天・地・人〟 の違いは無く、一貫すると?

S : 天地人を一貫して合わせると 〝王様〟 に為る。 畝々した流れに杯を浮かべ自分
の前に来たら其の杯に詩を詠む、此れは三月三日に行われた (桃雛節祭としてでは
無いが奈良・平安期にも旧暦の宮中行事として行われた/追儺の儀後の慶事として)。

T : 王 義之の《曲水の宴》! きざしの 〝兆〟 が木で 〝桃〟。

S : 三月三日、川に入って心体を洗って 〝禊〟 をするの。

T : 日本でも古来より俗に 〝桃色遊戯〟、好色に遣いますね。 (其うする事に拠って)
逃げ払われるものは?

S : 〝厄〟 が逃げ (去) るの。

T : 交合して三月三日に逃げる、いけ無いね (笑)。 知ら無いですよね、雛祭りの日 (桃
の節句) に (本当は) 是う謂う意味が有るなんて。

S : 此う云う噺、爺ちゃん婆ちゃんは悦んで聴くの (笑)。


T : 我々だって悦んで聴きますよ (笑)。 此う云う説明が出来る様に為ったのは中国体
験ですか? 庶民の学問と皇帝の学問て区別が無い訳ですよね。

S : 黒板が無いから、画いて持って行ったのです。

T : 今度此処の老人会で学んだら、うちの方の老人会で話そうかなぁ。

S : 僕は中国の事しか識ら無い。 日本の事は全然解らん。 「僕も皇帝に成りたかった
なぁ、だけれども (今は) 独りの女房 (ですら) 持て余して在るよ」、と云うと笑わ
れてねぇ (笑)。

T : うちにも皇后 (女帝?) が一人棲ます (笑)。 〝妾〟 と云う字は出て来ませんね。
是は飽くまでも正当な女性ですか?

S : 曾うです。 時代に拠って名称は異為るのだけれども必ず貰う。






関係資料より転載




T : 我々は儒教で堅苦しく考えているけれども、中国は我々とは似て非なるもので、
向こうは性に対して平らかですね。 此う云う噺だと、安岡先生だって此う為って
(グッと噛り付く様に) 聴くだろうね (笑)。

S : 親孝行の 〝孝〟、〝ヒ〟 を取って 〝子〟 が支えている訳です。 結婚以来、両
親が死ぬ迄の十数年、コレは給与の三分の一をずっと僕の両親に送っていた。

M : だって、お父さん (佐藤先生) が働いてお金を持って来てくれるから (笑)。

T : 其の言葉、最近出無いの? お父さん、働き悪い、て (笑)。

S :『毎日新聞』に掲ていたのだけれども、今は親の面倒を見るの四人に一人も在無い。
「何の為に勉強をするのか」
と謂う問いに
「金の為」が日本は世界第一位 、「社会貢献の為」が世界最低。

T : 漢和辞典等を調べると語源等の説明は有るけれども、活きた漢字の使い方は出て
来無い。 日本では完全に記号に為っている。







              

    熱海での講義
          85歳で熱海の新幹線階段を駆け上がる元気がありました




S : 師友会の会合で
「孔子様、孔子三世、妻を追い出す」
と云ったら皆吃驚して在た。
彼が説いたのは愛情 〝仁〟 でしょう。僕はコレを追い出して在無いから、孔子様
拠りも偉い (笑)。 孔子の言葉は確かに偉いけれども、或れでは中国 (の本質) は解
ら無いよ。

T : 中国大好き人間が在て、(本当に) 何でも好き。 自分が (持って在) 無いと何でも
受け容れてしまう。 だけれども下手に教えると、斜めに世の中を観る惧れが有る。
先生の説かれた聖徳太子の 「和を以って貴しとせよ」ですが、或れは夫婦の和合の
話しでしょう?

S : 老人会で 「何でも政府に嗚呼して欲しい、此うして欲しい、と謂っては駄目だよ」、
と云った。 主体は自分だよ。

T : 日本人は 〝血〟 を尊びますが、中国には有りますか?

S : 矢っ張り有るのでしょうね。

T :  小平や毛 沢東の親戚と云えば尊ばれるかも識れ無いが、逆に溥儀・溥傑の様に
忌み嫌われるケースも有るでしょうね。 最近の日本の様に、身分制の無いお蔭で
妙に俗世の価値に傾く事も有るし、中国の様に 〝善い人なら善い人〟 と観る方が
自然で、もっと真面に世の中を観られる。

S : 中国は大自然の流れから離れ無い。 例えば
「満州国が滅んでも、一姓の滅亡に過ぎ無い、俺達には関係が無い」
と謂って全く以って慌て無い。 八月十五日の玉音放送を聴いて、僕はベソを掻いて役所で掃除をして在ただけ。 中国人は皆、青天白日旗をポケットから出して在た。 半年前もから、日本が負けたなら之を点てるって準備をして在たらしい。 ベソを掻いて在るのは僕独りだけ。
「何故泣くの? お前には関係が無いでは無いか」、と中国人に笑われた。

T : 今の内に五星紅旗を作っておいた方が (笑)。

S : 偉いものだよ、全く以って実に淡々として在る。

T : 或る意味では、其れは力強さですね。

S : 大自然から離れ無い。 悪く云えば 〝食・艶・財〟 のみ。 中華民国も中共も要ら
無い。

T : 大した肚だと思ったのはチンギス・ハーンです。 色目・漢等、嗚呼云う侵略された
人達を平気で使う。 耶律楚材も其の典型でしょう。 久さん何かは満州でしょう。
懐が深いと謂うか、日本では考えられ無い。









           

在日朝鮮の方と・・・、このあと恐るおそる「スナックというところへ・・」初めてのスナックと満州の歌を・・・『これは愉しい』との感想




S : 日本人は如何ですか。 毎日、新聞を見るのが厭に為る。 賄賂・人殺し、如何する
のかな、此れ。

T : 惧いのは、何時の間にか (危惧する感覚が) 麻痺する事です。

S : 外部から緊張を与えられて活きて行くしか無いか。

T : 其の国の運勢を診た時、今の日本は八方塞がりですね。

S : 食糧 (生産自給力) は無いし石油も無いし、終わってしまう。

T : 今、米屋に米等有りませんよ。

M : うちのお米は如何しているの?

S : 新潟の庄内平野の米を送ってくれるの、其のお蔭。

T : 今、アメリカのお米が輸入されているでしょう。 今日、天丼を食べたら矢っ張り
少し違うね。 満州のお米は美味しかったですが?

S : 王道楽土で日本だけが米を喰って、満州人は喰え無かった。

T : 誰かが謂って在たな
「佐藤さんは本当に変わった人だ」、って。
「俺が戦後佐藤の家に行ったら、青森県人がゴロゴロと居候して在た」
と話していましたね。

S : ご飯だけは喰わせるから、と通知を出した。 其れは皆中国人のお蔭です。

T : 満州へ行っていた当時、上海の山田さんとは全く交流が無かったのですか?

S : 上海へ行った伯父の記録を採ってある。 広東にも行って孫文の息子の孫科とも会
って色々としました。









            

   桂林郊外




T : 溥傑さん、亡く為りましたね。 日本に好意を持っていましたが。

S : 嵯峨公爵の娘が嫁いでいたが。

T : 溥儀さんの周りに宦官は在たのですか?

S : 在た。 子供の時に宦官と遊ばされ、ふぐりを弄ばれて壊れてしまった。

T : 其う云えば、本当にか弱い感じですね。

S : 女を雇って壊す方法も有る。

T : 宦官て、勃起はするけれども子種は創れ無い、と云う事ですか?

S : 珠は必ず採られた。 一番の方法は竿を幾許か残す。

T : 為る程。

S : 棗の実、之を女性の陰部で濡らす。 皇帝は是を朝必ず食べる、此れ宦官の仕事。
皇帝の身体を20~30人の若い女に舐めさせると、彼女達は本当に白痴みたいに為る
らしい。

T :  小平が若返りの為に、同じ血液型の若い女の子の血を輸血するとか。

S : 男の欲するものを女が持っているからと謂う簡単な論理です。

T : 儒教の中で其ンな噺は全く出ては来無い。 道教・房中術・仙道術等、本来は其う謂
う事を理解し無いと、中国は理解出来無い。

S : 宦官から僕が訊いた噺、かなり詳しいのだけれども文字には成ら無い (と云うより
も出来無い)。

T : でも、其う謂う勉強は楽しいですね。 所謂、精力増強。 何しろ精力が無いとね。
(自分の) 肝臓が悪ければ (健康な他者の) 肝臓を喰うとか。

S : 全く簡単な論理だ。

T : 出来れば人間のが善い。

S : 一番困るのは、日本語と中国語がゴチャ混ぜな事だ。 中国語だけでなら信じてく
れる。 終戦後、追い駆けられた中で急いでいて日本語を混ぜて書いたから、嘘を
書いたと思われた。 (文書は) 十分の一だけ持って来て、残りは向こうへ置いて来
た。

T : 本当の庶民の考え方、此れが基本ですね。

S : 七名の宦官から訊いてね。 全部在れば素晴らしい記録に為るのだけれども、留置
場から奉天へ強制送還されたから何も持て無い。

T : 其う云う基本が解ら無いと、怖さも善さも何も解ら無いですね。 日本人は同化さ
せられ易いから惧いです。

S : 僕の命を救けてくれたのは全部中国人。 7・8年前のお礼をする為に、吉林の田
舎から新京迄3~4日も掛けて、卵20~30個も持って捜し廻ってくれた。 其のお
蔭で僕等は飯が喰えた。

T : 3~4日だと数百キロ程でしょう。

S : だから中国人の善さとは日本人が考えているものとは違う。 孔子様が此う謂った
から、此うでは無いの。 日本人も善い処は在るとは思うのだけれども。 牢屋に入
っていた時、僕だけには差し入れがある。

M : 牢屋に入って在る時の態度が善かったからよ。

S : 三・四百名も囚人達が在た中で、僕独りだけが特別扱いだった。 賄賂一つ遣った
訳では無い。 機嫌を摂った事も無い。 満州一の悪党と新聞は伝う、其れでも差し
入れは僕独りだけ。

M : 普段から中国人との付き合いが有ったから。

T : 監獄に入ると勅任官でもうろたえますよね。 僕等もうろたえますよ。 矢っ張り
余りにも外の世界を観無い善い生活をしているのですよ。






                 

   左佐藤 右山田



S : 最後は伯父さんのお蔭で救かった。

T : 矢っ張り本当の勇気が無いと出来ませんよ。

S : 忙しくて忙しくて、僕独りで皆の世話をするのだ。

T : 矢っ張り其れは理屈では無い。 或の人が来ると楽しくて仕方が無い、と云う雰囲
気って在りますよ。

S : 大連の小学校で一緒に先生をして在た人が、国民党の外事課長さん。 十何年振り
に会って 「逃げなさい」、と。 僕はお断りした。
「あんたに迷惑を掛けるし留置場に在る日本人を残して僕だけが返る事は出来無い」、と云って。



国法か人情か。 人情は国法に勝る。

T : 其う云うお譚を訊くと、其う云うものが仄かにでも在れば。 矢っ張り好きだから、
無言で判る訳でしょうし。

S : お世話に為った此の人、中国に在る筈なのだが。 恐らく、もう生きてはいらっし
ゃらないと思うのだけれども。



T : 五月頃。 拓本を採ったのが出来たので、国府記念館に寄附をしようかと想い、台
湾へ行ったついでに大連へ行きますから、其の噺もね。

S : 大連へ行きますか。

T : 苗さんの奥さんは大連出身なので、写真等渡そうと想って。 張 学良は苗さんの
奥さんとの交流は無いのだそうだけれども、奥さんの
「或の人 (張 学良) はお坊ちゃんだからねぇ」
と謂うと真実味が有りますよ。 苗さんの娘は中共の会社に勤めていますね。 でも苗さんは普通のアパートに住んで居ます。

S : 苗さんをアレすると、蒋 介石の事を暴露されるからでしょう。

T : 苗さん位なら、もっとずっと凄い家に住んでいても善いのだとは思うのだけれど
も。

S : 苗さん、 仲々良い言葉を謂っているよ。
「三木には観切りを着けた・田中 角栄と云う奴は一角の繁栄しか判らん奴だ・大平にはオオッピラに御免だ・中曽根には根が有るとは思えん・今の日本には日本人が在無い、日本人の在無い日本など日本では無い」と僕に謂った。

是の言葉、活きているよ。 台湾へ行くと本当に温かく迎えてくれる。 中共とは全く違う。













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対談録「荻窪酔譚」 抜粋其の四

2010-02-13 17:36:14 | Weblog
第一宵 四坐 其一刻

S : 張 学良が西安で蒋 介石を監禁した時も、満州事変が勃発して排日運動が起きた
時も、蒋 介石は排日運動を禁止して在るのだよね。 日本の為、満州の為。 (と、
寳田が持参した土産物を摘まんで) 之、頂きます。 或のウイスキーだったら有る
のです。

S : 本届きました、五冊ばかり。【佐藤慎一郎選集】

T : 後でうちの方にも送って来ます。

S : 結局、寳田さんが活字にしてくれたやつだけ、整理して提す。

M : (持参した土産物を見て) 食べられるかしら?

T : 大丈夫、(中身は) 餡子。 私等二十冊ばかり (送って) 来ます。 個人では無く会
として。 (資料の写真を観て) 先生好い男ですね、若いですよ。 何時の頃ですか?

S : 其れ、今年撮ったのです (笑)。

T : 此ンなには太っては在無いですよ、修正したのかな (笑)?

M : 余り似て無いわよ (笑)。






           

   叔父 山田純三郎 孫文



突然・・・

S : アメリカに居った孫文から上海に居った伯父 (山田 純三郎) に連絡があって
「大平洋を渡って中国へ行きたい。 其の方が早いから」、と。
犬養さんも外務省に交渉してくれたのだけれども、絶対に駄目と拒否されてね。 結局日本を通過出来ずに、大西洋廻りで香港へ着いた。 宮崎 滔天と伯父が一緒に迎えに行った。

T : ○○さん、先生の事を余りご存知では無かったと思いますが、佐藤先生を安岡先生の様に、世俗の中で日の当たる所に出してやりたい様です。
然し、所謂学んだ事をやって行く志を教えてくれるのが学問であって、佐藤先生をマスコット的な存在にしても、志の学問には為ら無いです。
和田さんは解っている。 其れ以外の人は僕を変わり者に観ている。 そっと守るべきものを大勢の前に出しても、解ら無い人はマスコット的に観るだけです。
志の学問は曾うでは無いですよ。
国際問題研究所の問題に即いても、僕等が何年も懸けて勉強しますから、と云った訳です。

S : 之、建国大学の坂東さん、一生懸命やってくれた。 是の本に日本代表の講師が酷
い事を謂っているので、僕が直したのだ。 終戦後、ロシアの暴行が酷いから、日
本人は右往左往するし、日本の偉い奴は直ぐに逃げるし。 関東軍は一番先に逃げ
たね (苦笑)。 総参謀長の処に行ったら、カジ園さんが連れて来た横山が在てね、
公使が 「八月十五日迄は公使でしたが、今は関係有りません」、と謂ったら横山が
「ブッコロシテヤル」、と凄い剣幕だった。

T : (コップが空いたので) 一杯って云うのは失礼、もう少し呑もう。





                          





S : カジ園が来て、其の事を話してくれた。 景気が悪いと必ず来るのだ。 鮫の
脂の薬、持って来たよ。

T : (思い出して) 深海鮫の人ね。

S : 終戦後、軍人で働いたのは或れ独りだ。 奥さんは朝鮮人で、彼も戸籍が無いのだ。

T : カジ園さんも朝鮮の人でしたね? 憲兵の仕事で、共和会会員に成って情報を採
っていたとか。 此の前、CIAのソ連担当部長が捕まったのですよ。 仲間を売っ
たりして大変な情報が流れたらしい。 (其の点) 日本人は頓珍漢ですよ、今の世の
中解ら無いですよ。

S : 食べると、直ぐに忘れる (苦笑)。

T :   此の間、伊藤さん・和田さんともう一人の満州から帰って来た人と会いました。 僕は戦後生まれで、組織人では無い。 不躾で失礼だけれども、今自分が想っている事を堂々と何でも云う。皆さんは組織の人だから、彼等から観ると僕の事は希有に観えるらしい。
最後にビア・ホールに行った時、伊藤さん (ブリヂストンの経理部長) から 「厭ぁ、吃驚した。 あなたは人を裸にする。 あんたと喋っていると此方もしゃべってしまう」、と謂われてしまった。
今度、東亜関係協会で講演をする時、和田さんも来るって謂っていました。 明日、
紀さんと代表に会いますから、 其の時に之を其の侭、紀さんにお渡しします。
明日十時に、白金の台北駐日経済文化代表処でお会いします。

S : 僕は能く知って在るけれども、出席出来無いのだ。 皆、寳田さんが活字にしてく
れた。 日本人の講師の名前を消したり、中国人の名前を換えたりしてね。 未だ生
きている人ばかりだから。 之一冊で勘弁して欲しい。

T : ファン・クラブみたいです。 伝記を描きたい (と要望している) 人が在ますが、(先
生は) 大切な人だから能く考えて提して下さい、と云ったのです。

S : 僕の誕生日に間に併せると謂って、五冊だけ送って来た。 此処も正直に書けば善
いのだけれども、ココからココまで四年位役所に全く出無かった。 確かに辞令は
其う貰ったのだけれども、役所に出た事が無い。






             

       津軽 ヨシ人形




なれそめ・・・

T : 上市川尋常小学校勤務の時奥さんに逢ったのですか、綺麗だったのだろうね (笑)?

M : ドウイタシマシテ (笑)。

T : 朝陽小学校(弘前)の時は未だ結婚されてはいませんね。

S : 小学校の先生を一年で二回頸に為った (笑)。 其れで二十六才の時満州へ。 満州
で女性間違いをして自殺を図ったが (苦笑)、姉の夫が旅順長官で偉い奴でね。 新
聞に載るのが判っていたから、お詫びに行ったら
 「其ンな事何でも無いよ、北京に留学して勉強しなさい」
 と謂われガクッと来たのだ。 友達と酒を飲んでから死ぬ積りだった。

M : 何したの (笑)?

S : 女と間違ったの (苦笑) !

M : 誰、其れ (笑)?

S : 竹内の義兄さん、旅順の民政庁長官。

T : 今度、大連へ旅行するのです。 僕は観光地には行か無いで、小学校・食堂・飲み屋
等一般人の行く処を観て廻ります。

M : 田舎の先生て、何か変よね (笑)?

S : 校長の奥さんがコレを嫌った。

M : 女性の先生は校長の奥さん (と私) だけだったのよ。

T : 焼き餅焼きなのですよ (笑)。

M : 変な事した事は無いわよ、手すらも握った事無いものね (笑)。

T : 肩、組んだのでは無いの (笑) ?

M : 咄しは能くしたわ (大笑)。







整理整頓 物を大切に・・ 角が丸まった木製積み木  弘前養生幼稚園





S : (話しが変わって) 中学校を出た其の日 (三月二十日頃)、弘前から其の侭家出した。
一銭の金も無し、塵紙も無し、オーバーも着無いで、途中知ら無い家で飯を貰った
りして80キロメートル離れた優しい叔母 (伯母?) の家へ行った。

T : 先生の若い頃は純三郎さんに似ている。 所謂、身体は弱いし勉強はし無いし (笑)。
処が其う謂う人が良政先生の遺を継ぐとは、世の中解ら無いものです。 矢っ張り
学問ですとか教育ですとか、環境のお蔭ですね。

S : 事情を知ら無いで新しく嫁いだ叔母さんの家に行ってしまい 「泊めて下さい」、と。
良い蒲団に寝かせてくれて、其の日いきなり寝小便をしてしまった。

―――〈一同大笑〉―――







                  

      桂林



第一宵 四坐 其二刻


T : 自分が影響を受けたお話しの中で、お父さんが出て来ませんね。 烏帽子親子と云
って寝食を伴にして在るから、自分が悩んでも親には云い辛い。 女性の事で当か親
には相談出来無いし。 影響を受けるのは他人や祖父など。 安岡 正明先生から謂
われたけれども 〝父から教わった事は無い〟 と。

S : 親父の顔を見たら畏くて駄目だった。 兎に角も僕の人生、訳が判ら無いよ。 若
くして志を立てて満州へ行った事に為っているのだが・・・

T : 矢っ張り伯父さんですか?

S : 嗚呼、菊池 九郎の事ね。 不言の教えを矢っ張り享けているのだね。 毎晩小便を
垂れても一度も叱った事は無い。
勉強が嫌いで身体が弱いから
「牧場で働け、身体が強く為るから」、と其れだけ覚えている。
優しい叔母さんの家へ行ってから牧 場で働いた。
 二時間位で目眩してフラフラ。 其れが一日一杯働ける様に為って小便も治った (笑)。

そして一年で小学校の先生に成れる師範学校の二部に入り、三人で下宿した。
其の家では村上と女の事で競争して、其の翌日に女の子にキスをしたのだ。
「ザマぁ見ろ」
と威張っていたところ、夜 (下宿先の) お母さんが来たから為替でも届いたのかと思って会ったら叱られて、下宿を出て去ってしまっ た (笑)。
そして呉服屋でバイトを執り、毎晩呑みに行くのだけれども、キリスト教の影響で僕だけ呑ま無いで、帰りにラムネを一本飲まされた。 酔っ払って在無いから、何時も僕だけ叱られる。
親父は県会議員で偉いのだから。 其れで弘前へ行けると思ったら、八戸の山奥に遷られた。 赴任して校長から
「押う、当到来ましたか (笑) !」、と謂われ吃驚仰天したよ。

T : 相当のワルでしたね (笑)。

S : 教頭の若林が
「校長の噺し、解ったのか?」
と訊くので、
「サッパリ解りません」、
と答えると、
「師範学校を卒たのが一人欲しかったのだが、〝佐藤 慎一郎だけは要らぬ〟、と校長は謂っていた」
と説明してくれた。

僕は生徒が好きでね、遊んで ばかりいた。
校長に会いに行っても居無い、其れで職員室をブッ壊した (笑)。
其れから弘前へ栄転 (左遷?) に為って、九月に赴任したら、十二月に校長から 「君は、教師似合わ無いよ」、と謂われた (笑)。




               





其れで旅順の姉に手紙を出した。
姉の夫・竹内 徳亥は、旅順の民政庁長官だから頼んだ。 すると 「支那人の学校なら 臭くて汚くて誰も行か無いから、其処なら有る」、と返事が来たので僕は、水師営コウ学堂 (小学校) へ勤めたのです。
僕は五年生の算術が解らから無いから、生徒とは遊んでばかりいる (苦笑)。





                  

                  桂林



T : 奥さんは何を教えていたのですか?

S : コレは八戸の高等女学校を卒ているから全教科教えるのだ。 代用教員で来た。 僕
とコレに有らぬ噂が起って、二人共頸に為った。 生徒に大八車を牽いて来させて、
其れに荷物を載せて、八戸の実家迄送って行ったのだ。

T : 要するに、今の週刊誌と同じで流言を起てられたのだ。

S : 僕は旅順で女性と間違ったお蔭で、コレと一緒に為れた。

T : 先生、〝役所に出て来無くて良い〟 と謂うのは?

S : 僕の様に中国語が出来る奴や中国人社会に浸った奴は少無かったから、何処の役
所でも欲しい訳です。 だから役所から正式に 〝来てくれ〟 と謂われる迄は自由
にして良いが、但し居場所だけは絡えてくれ、と。

T : すると植民地政策は暗中模索?

S : もう滅っ茶苦茶、訳が分からぬ (苦笑) ! 例えば裁判を執るでしょう、身代わり
で裁判をしてそして死刑だ。 僕が調べて随分と救って上げた。

T : 矢っ張り日本人の感覚では理解出来無い。 中国人の感覚では有難迷惑、羅 ケン
パクさんみたいだ。

S : 中国人は調査官の僕を危無いと観た。 大観園 (ハルピンの魔窟) のケースでも大
蔵省の役人を連れて来てね。 日本人の役所は肩書きで調査が出来ると思い上がっ
ている。 日本人の感覚、莫迦だよ。

T : 其の意味で 〝陋規〟 と 〝清規〟 が在りますね。 満州国政府は総て清規で行こ
うと謂う事で庶民が治まら無い。 役人が賄賂を摂れ無いから痩せてしまった。

S : 朝から晩迄 〝賄賂〟。 中国人は賄賂とは謂わず 〝人情を贈る〟 と謂う。

T : 台湾の大学の先生が 「是、日本から教わった。 此れを忘れてはいけない」、
と生徒に教えているそうです。 今度此の人に会って来ようと思います。

S : (話しが変わって) 最近の日本の新聞は否だね。

T : 最近は台湾関係が気に為ってね、何か有ると全部新聞切り抜きをして在ます。





                





S : (更に話しが変わって) コレ (奥方) 疲れるとね、夜中にガス栓を抜いたりね。 今
年に入って (もう) 四回。 僕はガスの止め方が分から無いから心配で…… (苦笑)。

T : でもコックは必ず閉めてお休みに為るのでしょう?

S : 僕は歩いて牛乳とパンを買いに行くのに五分懸かる。 其の間に栓を抜いてしまう
の。

M : ガス (栓) 抜いたの? 私が?

S : おまえが (苦笑) !

T : 夜は止めないと駄目ですね、何かカバーをしましょうか?

M : では、私も弄ら無いことにしましょう。

T : (ガスの周りを観て) えぇと、大丈夫。 抜いても出無い。 危険防止装置が附いてい
ます。

S : 抜いても出無いのですか。 其れは有り難い、安心した安心した。

● 第一宵 四坐/了 ●
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亜細亜的慈母を懐かしむ

2010-02-12 16:06:28 | Weblog




佐藤慎一郎氏の妻モト御霊の葬儀に際して中華民国駐日代表処 陳燕南氏、哀悼の辞

「荻窪酔譚」登場人物 Mは夫人


粛 呈

 ここに佐藤モト御霊のお別れの儀に際し、謹んで哀悼の意を表させていただきます。
ご逝去の報に接し、天空を仰ぎ見て回想することがございます。

我が中華民国は半世紀にわたり多難な歴史を乗り越え、内外同胞ならびに世界の友人が手を携えて奮闘した輝かしい国造りの歴史的成果を内外に示すようになりました。

このことは国父孫文先生の指導による民主、自由、均富の提唱に基づいた国民の努力とともに、日本朝野における義侠溢れる方々の賛助と奮闘に拠ること誠に大きいものであり、両国の歴史に懐かしく記されております。

弘前訪問のおり、桜花に包まれた孫文先生御筆による山田先生の革命頌徳に拝礼し、より一層の感慨と誓いに添えた感謝に打ち震えたことを思い起こします。 同時に、歴史に深く刻まれた、もう一つのエピソードを我々は想い起こすことでもありました。

それは懐かしむべき日本女性の姿です。
辛亥革命における恵州義挙に際し、最初に犠牲になられた山田良政先生の奥様である敏子様の毅然とした姿勢、そして弟純三郎先生のお嬢様の民子様の生き方は未だ国境を越えて語り継がれる受難と友誼の証しです。

忌まわしい歴史の刻が相い交わる渦中に、普遍な人情をもって、いまなお日華両国のみならずアジアの正義を遂行される佐藤慎一郎先生を拝観するとき、常に奥様の激励と慈愛に支えられた先人の魂の継承者として、その至高な精神の存在を見ることができます。

満州国崩壊のおり、望郷の念を打ち払い鉄領駅頭から再び新京に立ち戻る奥様の気概と清純なる生き方は、居留民のみならず、人間の作り上げた惨禍を吾がこととして受け止め、アジア民族の魂を悠久の安寧に導くために死を超越した先生の行動を支え勇気づけることにもなりました。

異国における日本人女性としての奥様の慈愛は、一家、一族、一姓にとどまる事なく、佐藤先生の普遍なる志行によって日華両民族友好の根本的指標として広く生き続けております。
奥様のご逝去は慈母喪失の悲しみでもありますが、魂の伝承、創造の始まりでもあります。

私たちは時世の複雑な渦の中で、ときとして恩讐を繰り返すことがあります。

また縁の甦りには時の経過と御礼霊が示していただいた、人情の潤いが必要なのです。

悲しみを共有した民族は、喜びも共に分かち合えると確信します。

孫文先生は「その心 東方において嗣ものあらんことを」と結んでおります。 私たちは奥様の貴重な体験を歴史の教訓として語り継がなければならないと同時に、国境を乗り越えて共有できる奥様の志操の開花を期待します。

ここに私は謹んで佐藤モト様の徳業を頌し、アジア安寧を願う国是を兢々として銘じつつ、ここに哀悼と感謝を添え、心香を献じ御霊安らかを御祈念申し上げます。

   
民国 八十七年 十二月二十六日
            中華民国台北駐日経済文化代表處 
                陳 燕 南 (代 寶田)

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対談録「荻窪酔譚」 抜粋其の三

2010-02-12 13:05:01 | Weblog
満州時代 





第一宵 三坐 其二刻        対談Mはモト夫人


T : 先生、ココへ来て一番の問題は中国です。 米国が何故、中国と絡むのか? 朝鮮
を相互承認すると謂う単純な問題では無く朝鮮自体、中国が惧い訳です。 現在の
中共、改革開放政策。 矢っ張り大きな意図が有り、流れや大きな考えが有る。 国
際問題研究所にヒントが有る、と想う。 羽田さんの体たらく、再たやられたと思
いましたよ

S : 田中訪中際の向こうの極秘資料、翻訳したものを差し上げます。

T : 今でも是うした特務機関、日本に潜んでおりますね。 政府機関に侵っている事も有りますね。

S : 僕の総理報告が、政府筋を通して中国大使館へ渡って在たのだからね。

T : でも中国大使館も莫迦ですね、スパイをして在る事を教えている様なもの。 知らん振りをして在れば良いのに、大使夫人を態々呼び出して在る。

S : だから其れ以上の何かが在る筈です。

T : 其れ以上の謀略が在るのですか?

S : で無ければ呼ぶ筈が無い。 だから中国に堵って或れは大問題では無い。 そして 別に狙いが在る筈だ。

T : 泥棒でも (侵入先の) 警備状態を調べる為に、鉄砲玉を飛ばして反応を観ますよね。

S : 昭和四十年の〃三失事件〃 計画書が十三部作られたのだけれども、其の仮想敵国
が中共。 日本社会党の誰かが中国へ行った時、十三部の内一部を周 恩来が持って
いて、其れを社会党議員が日本へ持ち返った。 其の資料を漏らしたのは (中国人
民軍の)准将で、此奴は○○○○会員だ。

T : (驚いて) 其う云えば、○○さんが向こうへ渡っていましたね。

S : 其の准将が漏らした事だけはハッキリとしている。

T : 今の政党資金は中共から出ているのかも知れませんね。 〃○○闘争〃も中共から
資金が・・・。

S : 田中さんの件は後で纏まった資料をお渡しします。 其れを補正して下されれば。
  中共は本当に恐ろしいよ。 記録には無いけれども、関係者から事情を訊いて准将が漏  らしたのが判った。




               






T : 周 恩来 (ルート) から社会党代議士が貰って来るなんて! 〃教科書事件〃でも
土井 たか子が向こうで溢した。 其の度に謝っている。 別に中国人民が憎い訳では無  いのだけれども、中国共産党の策謀って凄いですね。

S : 日本はルールが無いと駄目だけれども、中国では謀略、極く普通なのだ。 ハルピ
ンの魔窟の親爺が
  「満州国の滅亡は、一姓の滅亡に過ぎ無い」
  と謂って平然としていた。

田中さんが (ロッキード事件で) 五億得ったと謂って十年も騒いでいるが、中国では噺しにも成ら無い。 清朝の和坤という総理が家財を没収されたら、
国家財政の十数年分にも成った、と謂う。

T : 日中友好が結ばれる前に親書を持って行ったのは、公明党の竹入委員長ですね。 彼
は万里の長城で万歳をやっている。 何千年も民族が血を流した処で万歳をするな
んて日本人て莫迦では無いか? 手を併せるのなら解るけれども。 今日、先生
からお話しを聴いて吃驚しました。 以外と符合しますね、色々と。 自民党の使い
で中共へ行くのは必ず公明党ですね。

S : ○○の財産て凄いのだらしいね。

T : 金が新生党に。 小沢さんが無知なら大変な事です。 羽田さんは中国へ行ってコ
ロリとやられている。 怖く為りましたよ。今の政治家の誰に具申したら……、自民党  も駄目でしょう?

S : チョット、在無いなあ…… ―――。

T : 或の小沢 一郎て人は、お父さんが岩手県水沢の出身で、後藤 新平と同じなので
す。 批判もされては在るけれども、ハッキリとものを謂うし目的も持っている。 だ
けれども、やっている謀略、日本の政治家って下手糞! 見得々々の事をやるから
ね。

S : (僕は) 新聞は読ま無い、余りにも (内容や書き方が) 汚くて……。
(と、突然奥方が立ち上がったので) アッ お婆ちゃんいけませんよ、お座りなさい。

T : もう、何処が痛いのかも忘れてしまったのですか?

S : 何歩、動くなと云っても駄目 (と、溜息)。

T : 働き者だから ―――。 でも、一週間に何回かお嫁さんに来て貰えれて有り難いです
ね。 (お子様方を) 皆ご立派に育てられて。 安岡 正明先生は 「父から教わった事
は無い」、とおっしゃられていましたが
  「今は女性が強い (畏い) ねぇ」
  ともおっしゃられていました。

S : 家の婆ちゃん (奥方) も強いよなぁ、何ひとつ文句も謂わ無いで本当に能くやってく
れました…………。






                 






T : 良政さんの奥さんも其ンな感じの女性ですね。 普通、結婚して一週間で嫁さんに
親を委み、中国へ行った切り消息不明 (何ンて出来ませんよ/苦笑)。でも、辛抱
して待って在た。 現代では、直ぐに家を出て去ってしまう。 其れで (良政氏の消
息が) 十何年後に判ったのですね。

S : 明治三十三年に死んで、大正七年に葬式をやった。 其れで漸く、籍を抜いて家を
出た訳です。

T : 今では其ンな人は在無いですよ。 昔でも其ンな事は (簡単には) 出来無いでしょ
う。

M : だけれども (良政氏も) 家庭を持った以上、責任は持た無ければねえ。

T : 女性の立場からすれば当然曾うですよね。 でも良政さんにしても苦しかったに違
い無いのでしょうが、其処に何か一つ、男としては自分を探し求める何かが。

M : 結婚はし無い方が善いですよ (苦笑)。

T : 曾う、本当にそうですよね (笑)。 苗さんも自分が何者で或るのか、 〝我何ぞ乎
〟、 行動してみて自分を確認する訳ですが、 苗さんの奥さんは其れを認めている
のですね。 其う謂う旦那でも、 或の奥さんは尊敬している。 苗さんの家に安岡
先生の漢詩が額に入って有りましたが、安岡先生は誰でも惹き入れるから、或る意
味で惧いですね (笑)。

  ≪苗剣秋氏東北軍(張学良)顧問 帝大、高等文官 周恩来と親密な交流 西安事件の   首謀者と佐藤氏は云う  日本の要路(安岡氏等)とも交流 戦後台北に居住
  『お前の父親は誰に殺されたのか・・、いま誰(中共)と戦おうとしているのか・・・』
  痺れを切らした蒋介石は西安に乗り込み西安事件となる≫



          

苗剣秋夫人 1989台北



M : 革命をやるなら、結婚し無ければ善いのよ。 無責任ですよ。

T : 曾うですよね、結婚したら一切してはいけ無いと。

S : 終戦の時、コレに子供達を連れて返らせたのだけれども、再た戻って来た (苦笑)。

T : 結婚したからこそ出来たのだと云う側面も。 還す言葉は 〝有り難う〟 しか無い
ですよ、奥さんにね。

S : 僕、コレが返って来た時、何も言え無かった ―――。 コレは何の文句も謂わ無
いで一生懸命やってくれた。 僕に文句を謂うのは最近ですよ。
―――〈一同破顔〉―――



● 第一宵 三坐/了 ●

以下次号








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対談録「荻窪酔譚」 抜粋其の二

2010-02-11 11:47:52 | Weblog
  佐藤慎一郎氏88歳のとき
                 

                  録音起文   郷学同人 高野華門 25歳


T : 処で、或の平山 (其の時は日本人会会長) ですが、日本の女性を売ったのですか、
差し出したのですか? 金で。

S : 金を貰ったのか如何なのかは判ら無い。 終戦翌年の五月十九日、新京のホウラク
劇場で平山主催の日ソ友好大会があり二十日に五千人の女性を出したらしい。 カ
ジ園さんの噺に拠れば五百六十二人だ。 何にしても、出したのは確かだ。

T : 其の後、(彼女達の) 消息は何も無いのですか、現在向こうから残留日本人婦人 (孤
児) が来ていますよね?

S : 善い意味で、残っては在無い。

T : 要するに、日本人に罪が在る訳ですね。 満州関係の援護の人で、誰独りも手を差
し伸べては在無いですね。

S : 本当に悲惨だった…… ―――― 。 結局、計画を長引かせる程、賄賂が多く得れ
る。 誰から貰ったのかは判ら無いが、田村は其の金で妾を拵えたよ (苦笑)。

T : 三井からでしょう。
S : 誰から金を貰ったかは判ら無い、三井かどうか ――― 。 山田 純三郎も僕も貰
った事に為っているかもしれ無い。 桂公使 (戦犯容疑者) が山田 純三郎の処へ行
って玄関で土下座して
  「救けて下さい、私が誤魔化しました」
  (蒋介石は満州国の日本国内の土地、資財の処理を革命の先輩山田に懇請していた)

  と、伯父にはっ切りと謂った。 カンオン会が香港から留学生九十七名連れて来て、相  模女子大学に入れる積りで松平 キトや山口 重二が奔走したけれども、金の見通しが着  かず結局、武蔵境の日本経済短期大学 (現・亜細亜大学) に入れる事に為って、其の経  費は善隣協会が三千万円出すと云う約束で其処に入った。
  之は何処迄が本当かは判ら無い。 カジ園さんが三井鉱山の山川 良一の処へ行って、生  徒を救ける為に更に金を借りて来た。 真面目に向こう (満州?) の金を動かそうとし  て在るのは借金で頸の回ら無い善隣協会だけ。








春は枝頭から





第一宵 三座 其一刻

S : コレ (奥方) が二十歳の時に結婚した、僕は二十二才。 僕の弟が中学校を卒て、
一週間位大連に遊びに来た時、何も知ら無いで
  「兄さんの或嫁、魚好きな兄さんに魚を喰わせ無いで!」
  と文句を謂った。 コレ (奥方)、僕の両親に自分の給料から三分の一も、然も両親が死  ぬ迄の十数年間送り続けたのだ。 だから魚を喰いたいだなんて云え無いよ。 僕の過ち  は、女房の両親を全く構わ無かった事。 でもコレ (奥方)、文句を謂った事など一度も  無い。

T : 矢っ張り初めの時に二人分の電車賃、奥さんが持って来たのが良く無かったので
は? 或の時、奥さんが
  「自分で遣るべきものです」
  と謂えば良かったのかもしれない。 九郎さんが山形へ命懸けで交渉をしに行った時、  母親が羽二重の晴れ着を持たせましたね。 母親は (九郎さんが) 死ぬと解っていて   も、〝恥を欠くな〟と謂って歓んで送り出してやりましたよね。 囲炉裏の灰で、字を  教えたりもしている。 母親が利口 (深慮) ですね、立派な教育 (者) ですよ。

S : 〝維新は女性 (こそ) が立派だった〟 と安岡先生がおっしゃられていた。

M : 女は当時、夫本人では無く其の家へ嫁に行ったのですよ。

T : 青森県人は立派な人材を出しているけれども、(大抵其の) 母親が立派でしたね。 其
の頃の男性は、外国からも尊敬されている。 例えば日露戦争でも、負けたロシア
に対して憐れみを掛けて尊敬されている。 山田兄弟 (良政・純三郎) にしても、津
軽の山奥から中国へ渡って革命に参加し、中国人から尊敬されている。 (其れ等の
人材を育て、世に送り出した事を踏まえても) 人を育てると謂う意味で、母親は凄
いですね。

S : 拓殖大学に勤めて、初めて給与二万円 (現在の相場で約十万円前後) 貰った時 「是
じゃあ生活出来無いから、考えなければいかぬなぁ」、と (妻に) 云ったら、コレに
僕は怒鳴られた。
  「何ですか其の言葉!? 私は二万円で結構ですよ。貴方が執りたいと謂ったから私は  賛成したのでは無い。 お金の事を慮えて、学生さんの教育が如何して出来ますか?   其れなら嵯っ々とお辞めなさい!」、と。
  此れには僕、有り難かった。




               

          弘前城公園にて




M : (嬉しそうに) そぉ、

T : 女房では無く、お袋さんみたいですね。

S : コレ (奥方)、安い豚肉と菜っ葉を買って来て炒めた。 拓大の学生連中と食べてい
たね。

M : 若い人が喜んで食べるのを見ると、嬉しいのよね (微笑)。

S : 狭いので、子供達は押し入れで寝ていたりしてね (笑)。

T : 現代じゃあ通用し無いです。 先生が此ンなにもご活躍出来るのも奥さんのお蔭だ。

S : 長男が肺病で臥て在る此ンな状態で勝手な事が出来たのは、コレ (奥方) のお蔭で
す。 大同学院の人 (医師) が無料で長男の肺病を診てくれて助かりました。

T : (先生の奥様が今も) 食欲が有る事には吃驚しました。 顎を動かすのが良いらしい、
喋っている事が。

S : 之、出来るだけ早く整理して寳田さんにお渡しします。

T : 無学無知だけれども、何時か何処かで誰かの役に立つか判ら無いから。 学校時
代、勉強は嫌いだったけれども、人の話しを聴くのは好きなのです。 中国へ行こ
うが書類を見ようが、楽しくて仕様が無い。

S : 頭の良いか悪いかでは無くて、ヤル気だと思う。

T : 或る断面で良いから役立てる事が出来れば。 アウトローでは困るのだけれども。
全体の中の或る一方で善いから。 〝無用の用〟の一つ、ですか。 嗚呼、整理はゆ
っくりとで結構です。

S : 息子が来てコレを抱き起こしてくれた時、転んでしまって。

T : 一緒に転んだのですか? 息子さんに担がれて怪我をしたのでは文句は謂え無い
ですね (苦笑)。 昔、お婆ちゃんの肩を揉んで上げたら筋を伸ばしてしまって悪い事し  てしまった (苦笑)。 若い者が下手に執ると、親孝行とは云えどもチョと
考えものです……。  

(話しが変わって) 蒋 維國さん、戴天仇さんの件は台湾へ行く前にゆっくりお訊きします。
手紙拠りも先生のお声のメッセージを頂ければ、其れを持って行きます。

(更に話しが変わり) 山田さんが引き取って養子にした春子んが、お元気な姿で雑誌に出ていました。 確かに山田 純三郎さんは、若い頃は好い男ですね。 孫文も中国人らしからぬ面相をしていますよね。 二人共もてただろうね (笑)。

S : 之は幸ちゃんのお父さん、〝一戸直蔵〟 と謂ってね日本最初の (近代西洋) 天文
学博士。 其の娘さんが幸ちゃん。 僕は幼い頃から九郎爺ちゃんの家で幸ちゃんと
遊んだのだけれども、小学生に成って幸ちゃんは東京へ行ってしまった。 僕は慮
順で女に失敗して義兄さん (長官・竹内氏) にお詫びに行ったら
  「其ンな事何でも無いよ。 早く郷里で嫁を貰って来い」
  と諭された。




             

  竹内夫妻  妻は佐藤氏の姉



東京に着いて幸ちゃんの処に立ち寄ると
  「母と喧嘩をして、お金が無くて困っている」
  と謂うので、金全部くれてやった。 弘前へ帰って事情を咄して、コレ (奥方) と結婚  した。

  こうちゃんに渡して満州へ返る金が無いので
  「汽車賃を貰って来い」
  と云ったらちゃんと貰って来たので、僕 花嫁って善いものだなぁと思ったよ。(奥さん爆笑) 東京駅へ着いたら幸ちゃんが迎えに来てくれた。 其の時、コレの目の前で
  「慎ちゃんの傍で死なせてぇ」
  と謂ったらしい (苦笑)。




危ない?方向なので・・・話しが変わって
T : この前にお手紙を貰った時、先生は三つの目的を持っていらっしゃ
ると。 其の内、二つは〈自分の父親に即いて〉と〈宦官に即いて〉ですが。

S : 父の謂った事、青森の新聞・雑誌に出て在るから、青森へ一ヵ月位行けば調べられ
るのだけれども。 青森の (県立?) 図書館に資料が全部有って見当は就いて在る。



突然奥様が・・・

M : 幸ちゃんは死んだの? 慎ちゃんの傍で死んだの?

T : (幸ちゃんも先生も奥様も) 能く覚えていましたね。 其ンな人に能くお金を渡せま
したね。 お金は別なのですね。

S : コレ (奥方)、僕に黙って幸ちゃんにもお金を送っていた。

T : でも、お金を送った方が勝ちですね、尻を捲ったら負けですね。

S : 幸ちゃんの兄弟は博士の子供だから、皆頭が良い。 でも幸ちゃんは少しおかしかっ   た。 僕の従兄弟と駆け落ちしたり、松竹の女優をしたり、政治ゴロと一緒に居たり。   真夏でも窓をビッシリと閉めて、部屋の東西南北に杯をお供えして何かを拝んで在た。

T : 一緒に死な無くて良かったですね (苦笑)。


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対談録 「荻窪酔譚」 抜粋 其の一

2010-02-10 12:23:31 | Weblog







「荻窪酔譚」読後感

魏の文帝曰く「文章は経国の大業、不朽の盛事なり」
荻窪酔譚を一読して想起した言葉である。
実は、私の読後感は之に尽きる。然しながら是では、木で鼻をくくる、に等しい。暫し、私の独言にお付き合い願いたい。
 
 荻窪酔譚は佐藤慎一郎氏と寶田時雄氏との師弟対談である。(註)
 近代史の中で、このジャンルを物色すれば、まず筆頭に挙げられるのは「海舟座談」(岩波)
である。これは衆目の一致するところであろう。
 次に、挙げられるのは「矢次一夫対談集」(サンケイ出版)である。 此の対談集の秀抜は、昭和の怪物と呼ばれた矢次一夫氏と碩学安岡正篤氏との対談である。
 是等に勝る対談集は当分の間、現れないだろうと諦めていたところ、私の周辺の縁を通じて突然、眼前に出現したことに驚いてしまった。 晴天の霹靂とはこのことである。
 即ち、私の先輩であり、精神的な背骨である寶田時雄氏の下から出現したわけである。
 
元はといえば、四年前、私の先輩である大塚壽昭氏(THINK JAPAN主宰)のご紹介で寶田時雄氏に邂逅したという事情が横たわっており、畢竟は道縁であろう。

 さて、「荻窪酔譚」であるが、これは資料集めの類である一編の作品ではなく、一個の人格(人間精神の交響楽)である。これを思い得ない人は少々、修行不足というものである。
 敷衍(フエン)すれば、師弟の拍子が絶妙であり、テーマは政治、社会、文化、歴史、人物論等々、広範に及び、対談それ自体が恰も一つのシンフォニーを形成しているということである。
 まさか?と思う人は「論より証拠」とにかくご一読あり。あなたはきっと何かを感じ、人生に一つの光明と感激、そして清涼で力強い世界観、人生観を確保するに違いない。
 心の荒廃が憂慮され、価値判断が混迷している昨今、「人生はどうあるべきか」「自己をどう形成するか」「他者にどう向き合うか」「歴史はなぜ繰り返すのか」という問いに、豊富な啓示を含む『荻窪酔譚』を、多くの人々に読んで頂きたい。
 語るも人、語らせるも人『荻窪酔譚』は真に座談の珠玉である。

                          村岡仙人













第一宵 二坐 其一刻

S : 僕の家を県人会本部 (会長・松野氏) にして、青森県人だけでもご飯を喰べさせよ
うと思った。 高粱飯と豚汁で。 狭いから皆立って喰う。 便所に行くと、トイレ
ット・ペーパーも電球も盗まれている。 靴も (苦笑)。 そして然し翌日、再び喰い
に来る。 コレ (奥方)、二人も産婆役で取り揚げたよ。 或る時、桜田って奴が来
て (自分の親戚を見付けて)
  「あっ、オバさん!」、と謂うから
  
   「君、我家にはこの通り家族や避難民だらけで満杯だから、オバさんを引き取ってく  れないか? そうすれば、新しい人を一人入れられるから。 頼むよ」
  と云ったら
   「家の女房が体弱いので駄目だ」
  って言い訳するものだから、僕、怒ってね
  「犬畜生、返れ!」、と。
四~五日したら謝りに来て連れて帰った。

T : 満州にソ連が侵った後ですね。 悲惨な状況下で、其の様な生活も在った訳ですか。

S : 政府の連中は高い米を売っていたのだ。 其れに僕は憤慨したから、次男坊に 「其
奴(政府の手先) の店前で安い米を売ってやれ」、と云ってやった。

T : 北進論と謂う大政策の中で開拓団が満州へ征った訳ですが、〃王道楽土〃と謂う
国策の下で其う云う輩が在たのでは、崩壊するべくして崩壊したと云う事ですか。
国策以前の【人間】の問題ですね。 学者は 〝If〈 もしも ~ならば、 〉〟 を
遣って 「嗚呼だ、此うだ」、と曰くけれども。

S : 土壇場では国策も糞も無い、人間の問題だよ。 糞喰らえだよ、帝大を卒た奴は皆
駄目だ! (笑)。

T : 満州の高級官僚、高級軍人が須く体たらくでしょう。

S : 勅任官が留置場で僕に
   「ターバンの時計をやるから救けろ」、と。
  全く情け無いよ。

T : この間、『教育勅語』の起草に関与した元田 永孚の『聖諭記』を読んでいたら、
「帝大は、知識・技術の学問は有るけれども、身を修める学問が無いでは無いか。
江 戸時代以来の藩校や塾を卒た重臣が在るから今は未だ良いけれども、果たして、
帝大卒が国家指導者の任に堪え得るで或ろうか……」
  と書いて有りましたが、 其の危惧が満州崩壊時に露呈してしまった訳ですね。

S : 〝記誦(暗記など)の学は学に非ず〟 だ。

T : 矢っ張り志と云うか、何か一つの絶対的価値を持つと云う事でしょうね。 時節で
価値が換わるのは善く無いですね。 全体の中の部分、【自分】を識る事ですか。 教
師が注入すると云っても、其れを次世代に教えるには手段・方法では無く、〝感動・
感激〟 が大切ですね。

S : 不言の教えだ。 言葉も大事だが、体で教える。 困難を乗り越えて人間が出来て
創めて、歓びが有る。 先生が其れを実行しているから、昔は先生を尊敬していた
のだ。 或る時、中学校で 「孔子は女房を放ったらかしにしてオカマばかりほって」、と  悪口を云ったら、漢文の菊池 ペロー先生が
  「お前何ンぞ死んでしまえ、去ってしまえ」、
と叱られた。
  是う謂われたら本当に退学なのです 。 退学したく無いから
   「卒業したら、孔子様のお墓の前でお詫びをしますから、赦して下さい」、
  と云ったら赦してくれた。 今考えると、能くも巧い事云ったものだと思うのだけれど  も (苦笑)。
其れで北京留学の頃、本当にお詫びに行った。 孔子廟も何も判ら無いので、本当
に難儀をしたよ (笑)。

T : 其処にいくまでの機会・試行錯誤・体験、其れが大事なのでしょうね。 僕も中国や
台湾へ初めて行った時、言葉も何も解ら無いので不安でしたが、乗ってしまえばこ
っち占めたもので、感動・感激の体験でした。 此れが大切ですね。







                     九十歳



S : 僕は人生の目標が無かった。 只、中国人が何を考えているのかだけを勉強した。

T : 人に接するのが好きだったのでは無いのですか?

S : 小学校五年生五十三人に何を教えても、直ぐ
  「はい、解りました」
   と答えるから一生懸命教えたのだけれども、試験前に何を訊いても誰も解ら無い訳、   如何にも為らん (苦笑)。

T : 矢っ張り先生に注目されようと思うのじゃあ無いのでしょうか。

S : 其れで、中国の事は中国人に訊か無ければ解ら無いと思う様に成った。 学問の方
 向では無く、現実に引っ張られてコソコソと勉強した。 目標も体系も無い。 もう
 少し早く、人生の目標を持てば良かった。

T : でも目標に窮してくると、閉塞状態に陥ると云う事も有るでしょう。 僕が思うに、
 多寡が人間のやる事だ、と。

S : 終戦後、中国人は皆、親切にしてくれた。 然も留置場だからね、極限の世界でしょ    う。 是の時初めて、中国人が解った。

T : 先生の様に、中国人社会に順っていても解ら無かったでのすか。

S : 迷惑が掛かるから本名は云え無いのだけれども、戦犯を管理する外事課長さんが
 僕を庇ってくれた。 僕は生徒と遊ぶのが好きで、子供が直ぐに僕に懐く。 其れを
 観ていた同じ小学校の先生が、其の外事課長さんです。

T : 俗世的で無い人の評価って有りますよね。 日本人は肩書き等、俗世的なもので人
を観て、其れ以外は何も察得ない (察無い)。 中国人は観え無いものを察る能力が
有りますね。 個人で人の価値観を察ると、〝好きか・嫌いか、善か・悪か〟 どち
等で判断しますかね?

S : どち等かなあ……。 難しいが、命を救けてくれた中国人、この日本では (同じ種
 類の人間は) 考えられ無いよ。
 
T : 協会の伊藤さんはご存知ですか? この前、大連から来たお客さんと三人で食事
をしたのです。 先方が立場上カチンと来るのを覚悟の上で、敢えて云ったのです。
「之う云う席では、〝東北三省〟と云う言葉を遣ってくれと謂いましたが、戦後生
まれの僕は満州と云う教わった言葉しか遣えません」
 云々と自分の考えを率直に陳べたら、大連から来たお客さんその場で怒っていたが、新  宿から池袋のホテルに送っていく途中、あなたは嘘が無いと、
  「今度大連に来たら、二人で良い商売をしましょう」
  と迄謂ってくれました。共産党の幹部です。

S : 中国人の本性は其うなのだ。 皆向こうが救けてくれた。 逮捕されて却って良か
った。 僕のリュックだけ差し入れで一杯。 看守は初め、威張っていたが、後に優
しく為った。

T : 自然の三欲 〝食・艶・財〟 で表現されることが、自然の流れで正しいのでしょう
  ね。 人間も自然で在るべきだ。 斯と云って、禽獣とは違うのだけれども。

S : だから中国では、天下・国家は所謂 〝お噺し〟 に為る。

T : 現在の改革開放路線で〃拝金主義〃に成り、其う謂う善い部分が消えて悪い部分
 だけが残ると云う恐れが。

S : 政治が良く無いからだ。 中国人は公の席で政治は語ら無い。 政治は不文律で、
 公の席は公文書だからだ。

T : 六月三日の天安門事件で彼等学生は、日本人が考えて在る以上に命を懸けて在た
 と謂う事ですね。

S : 如何解釈したら良いのか、難しいな。 例えば紅衛兵のやった事でも、人を殺して
  喰っているし。 実態をレポートした本が此処に、未だ目次しか読んでい無いのだ
  けれども。

T : 此う云う本、中共でも出せる様に? 嗚呼、台湾で。

S : 記録を持って、夫婦でアメリカに逃げたのだって。 其処で英文に成り、其れが日
 本語に成った。

T : 人を喰べる文化は中国だけでは無いのですよね?

S : 世界中至る処に、其の歴史は在る。

T : 変な話ですが、人って美味しいのですかね (笑) ?

S : 簡単な論理。 (自分の) 肝臓が悪ければ (健康な人の) 肝臓を喰えば、体には善い
 と謂う。









            王荊山 遺子と孫





(話が変わって) この前、カジ園さんが来た。

T : 十二月十九日の或の件を訊きましたか、王荊山さんの?

S : 少し訊いた。 高梁を百トン運び、塩・油を無償でくれたらしい。 総指揮者は劉 ショ   ウケイ(?)が執って、其の物資を平山 (副知事) が受け取って横流しをした。

T : 平山が横流しを!?

S : 平山は留置場に唯の一回も、差し入れをした事が無い。 関東軍のやった事を僕は
  知っているから逮捕されても不平不満は無いが、奴等は見舞いも何も無い。 其れ
  で栄養失調で皆死んでしまった。 終戦後、露スケが侵って来て避難民が新京に集
  まって来た。 処が関東軍の奴等は 「露スケが来た!」、と聴いただけで、弾の一つ
  も長春 (新京) に落ちて来ない内に、皆逃げてしまった。 僕らが長春に着くと、関
  東軍の宿舎には、誰独りも居無かった。

T : 高級将校がですか?

S : 兎に角、独りも居無いのだ。 其れで
   「如何したのだ?」
   と訊いたら
  「ソ連が来ると謂うので、関東軍は皆逃げてしまった」
   と訊いてやっと解った。 僕が憤慨して総務長官の処へ行って初めて
   「関東軍の命令で電話線も三ヶ所切断した」
  と謂う事も判った。 兎に角、酷い事をやったのだ、関東軍は。

  ソ連が侵って来て、略奪と強姦で日本人は右往左往した。 憤慨して、総参謀長の処へ  相談しに行ったら
「日本の女も悪いよ、ケバケバしいから捕まるのだ」、と。
   もうお話になど、到底為らない (苦笑)。 公使は
  「私は昨日迄は公使でしたが、今は唯の避難民です」、とほざいた。
  僕の傍らに、カジ園さんが連れて来た横山さんが在て
   「この野郎、殴り殺してやる!!」
  物凄い剣幕だった。


以下次号



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